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日蓮大聖人・池田大作

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信越・北陸代表協議会 力強く、胸に響くように、わかりやすく語れ

2002.8.27 スピーチ(2002.8〜)(池田大作全集第94巻)

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1  青年に励ましの声かけを
 信越は、初代会長牧口先生の故郷。北陸は第二代会長戸田先生の故郷である。
 新潟、長野も、石川、富山も、偉大なる広宣流布の前進を成し遂げておられる。
 皆さまの大勝こそ、創価の大勝である。ご健闘を心から讃えたい。
 信越の壮年の方が語っておられた。
 「この秋へ向け、青年部が大前進しています。本当に頼もしい」
 うれしいことである。
 青年には、励ましの声をかけることだ。
 「これは、いいね!」「よくやった!」「すばらしい!」
 何か、いいものがあれば、必ずほめてあげることだ。反対に、悪いものは、ていねいに注意してあげればいい。
 青年には刺激が大事だ。頑張っていても、先輩のほうは、いつも同じで、何の反応もない――それではいけない。
 上から「こうだ」と決めつけたり、すぐに怒ったり、重荷を与えるような言い方はよくない。
 青年が力を出していけるよう全力で応援するのが、名指導者である。
2  大聖人の魂を伝える現代的解釈を
 北陸の方が話しておられた。
 「北陸といえば、念仏信仰が根強い。大聖人は『念仏無間』と破折されました。本当に力強いお言葉です。ところが、そう言っても、相手が念仏をやっている自覚がなくて、ピンとこない場合もあります。
 これからの折伏のなかで、四箇の格言(念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊)を、どのように考えていけばよいでしょうか」
 たしかに、そういう場合もあるだろう。
 日蓮大聖人のご在世は、念仏宗、禅宗、真言宗、律宗が、強大な影響力をもっていた。しかし、今、多くの宗教は衰亡している。そのなかで、創価学会は、思想界の王者として前進している。
 人々の心をつかみ、正しい人生を教える力ある宗教、現実社会に脈動する生きた宗教は、どれだけあるだろうか。
 こうした時代の違いを無視し、人々の心の変化を無視して、四箇の格言を、ただ繰り返し唱えるのは、たとえて言えば、江戸時代の歌を歌うようなものだ。聞く人がわからなければ、大聖人の魂は伝わらない。かえって大聖人のお心に反することになりかねない。
 ゆえに本義を違えず、現代的に解釈することが必要になるのである。
3  大事なのは、大聖人の「破邪顕正の魂」を受け継ぐことである。
 御聖訓には、「仏法と申すは勝負をさきとし」と仰せである。
 現実は、正義ゆえの迫害がある。陰謀もある。そのなかで、広宣流布を阻む敵とは、断固、戦うのは当然のことだ。
 大聖人は、当時、権勢を振るった諸宗とまっこうから戦いぬかれた。
 人間を不幸にする魔性を倒せ! 民衆を地獄の苦しみに突き落とす邪悪を許すな! そうでなければ、尊極の妙法は弘まらないではないか!
 人間としての、やむにやまれぬ怒りを叩きつけられた。それが四箇の格言であった。大聖人の鋭き理性は、民衆を愛する大感情と表裏一体であられたと拝したい。
 また文・義・意から見ると、四箇の格言の御文(文)は、深義・道理(義)の面で不変の真理であることはいうまでもない。そのうえで、大聖人の元意(意)を拝するならば、全人類を幸福にする「人間のための宗教」を弘めることこそが肝要なのである。
 仏法は道理である。社会の良識に照らし、生活に照らし、学問に照らして、最も正しき生命の軌道である。大宇宙を貫く、永遠の幸福と平和への根本法則である。
 聡明に、あらゆる智慧をめぐらして、広宣流布を断行してまいりたい。
4  四箇の格言を通して学ぶべき、もう一つの点は、指導は「わかりやすく」「力強く」「胸に響くように」ということではないだろうか。
 「立正安国論」を全部、覚えなさいと言われても、大変であろう。しかし、「念仏無間」と聞けば、「ああ、そうか!」と心に、すっと入る。
 覚えておける一言。忘れられない一言。これを相手の心に刻みつけるのが、指導の要諦である。
 「ああ、そうだったんだ!」「いいことを言うな。たしかに、そうだ!」「あの言葉は忘れられない」――胸に響いた、その言葉が力になる。
 真実を語ることだ。心から出た言葉で。何か、つくったものでは、だめだ。自分の体験が必要である。
 うんと戦い、苦労してこそ、相手に真実が伝わる。功徳を満喫できる心の道を開かせていける。
 指導者には、そういう力がなくてはいけない。そうでなければ、人に勇気と希望を与えることはできないからだ。
5  月氏の国からの栄誉
 この数日来、諸天も寿ぎ、日天も月天も祝賀するような、さわやかな天候であった。
 「月氏の国」インドの名門州立大学、ヒマーチャル・プラデーシュ大学から、私は、皆さま方を代表して、「名誉文学博士号」を拝受した。(二〇〇二年八月二十六日)
 これは、皆さまが、仏法の人間主義を世界に広め、あの地この地で社会の信頼を勝ち取っておられる証左である。
 私は日蓮大聖人の「顕仏未来記(仏の未来記を顕す)」の御文が思い起こされてならない。
 大聖人は仰せである。
 「月は西より出でて東を照し日は東より出でて西を照す仏法も又以て是くの如し正像には西より東に向い末法には東より西に往く
 「顕仏未来記」は文永十年(一二七三年)のご述作である。「佐渡流罪」という大難の渦中で、「仏法西還」の未来記を宣言されたのである。
 今年(二〇〇二年)は、七百三十年目の佳節である。仏教発祥の地インドからの栄誉を、大聖人がさぞかしお喜びくださっていると確信する。
 名誉博士の学位授与式には、インドの国立デリー大学から、パンダ博士ご夫妻も、わざわざ出席してくださった。
 デリー大学といえば、メータ副総長との出会いも懐かしい。世界大学総長会議の副会長も務められた、二十一世紀をリードする大学人である。
 東西の文明を結ぶ「新たな人間主義(ニュー・ヒューマニズム)」などをめぐって語りあった。副総長と私は、現在も、書簡等で対談を続けている。
 哲学の大国インドの方々の言葉には、未来への知恵があふれている。精神の光が満ちている。
 (メータ副総長は語っている。
 「池田博士の思想をインド全体が支持しています。博士は、二十世紀のみならず、二十一世紀にも釈尊の教えが重要であることを示しておられる。
 また、『世界の平和』『文化の発展』『環境問題』『貧困の問題』に最書の努力をされている。
 悩める人々のために心を砕き、手を差し伸べ、生活の向上に尽くしておられる。『戦争なき世界』の構築のために全精魂こめて献身されておられます」
 「池田博士の思想と行動が、今後も、多くの人々を啓発し、動かしていくことを願います。人類史上の偉人たち――ガンジーも、トルストイも、私とまったく同じことを望むでしょう」[「聖教新聞」一九九九年一月九日付])
6  沈黙は臆病! 勇敢に正義を叫ベ
 インドには、釈尊に源を発する「非暴力の精神」の水脈がある。
 独立の父ガンジーは、インド中を、くまなく歩き、非暴力を訴えた。何が、ガンジーを突き動かしたのか。
 それは、「欺瞞や虚偽は、今日、世界じゅうに蔓延しています。わたしは、黙ってこのような情態を傍観していることはできません」「真実を語り尽くし、それに従って行動する必要が生じたときに、黙っているのは臆病にひとしい」(マハトマ・ガンディー『私の非暴力』2,森本達雄訳、みすず書房)との思いであった。
 真実を語りに語る。正義を毅然と叫びぬく。その「勇気」こそが、歴史を動かす力である。
 牧口先生は、「無気力の善人」に対して、「おとなしく追随する能しかないが故に、価値に於ては悪人と五十歩百歩の差」(『牧口常三郎全集』3)であると、厳しく戒めておられた。
 また、″善人は、昔も今も、必ず、強大なる迫害を受ける。これを、他の善人たちは、内心には同情を寄せるものの、なんら実力がないからと傍観する。それゆえ、善人は負けることになる″と嘆いておられた。
 だからこそ青年が立ち上がり、勇敢に正義を師子吼することだ。
 インドのタゴールも、邪悪に対して、炎のごとき言葉で立ち向かう大詩人であった。
 彼は、臆病を戒めた。
 「戦いはすでに始まっているんだ。一瞬一瞬が戦いなのだ。こんな時に君たちが安心しきっていられるとすれば、それは何よりも君たちが臆病でしかないということなんだ」(『ゴーラ』我妻和男訳、『タゴール著作集』3,第三文明社)
 目の前を見よ。虚偽がある。害悪がある。なのに安閑としていていいのか! 臆病者になるな! 使命を忘れるな! 詩人の叫びが、胸に響いてくる。
7  法華経には、「未曾暫廃(未だ曾て暫くも廃せず)」(法華経四八二㌻)と説かれている。(少しも、たゆむことなく、仏事を続けていくさまを説いた経文)
 広宣流布は、衆生を救う「仏の仕事」である。間断なき戦いである。この大闘争に、つねに勇気凛々と戦うことが「未曾暫廃」の精神である。
 また、毎日、読誦している自我偈の結びには、「毎自作是念(つねに自ら是の念を作す)」(法華経四九三㌻)とある。
 仏は、いつも衆生を成仏させることを願っている。すべての人が絶対的幸福を勝ち取っていけるよう願っている。これが大聖人のご精神である。
 「日蓮は生まれた時から、今にいたるまで、一日片時たりとも、心の安まることはなかった。ただ、この法華経の題目を弘めようと思うばかりであった」(御書1558㌻、通解)と仰せのとおりである。
 私たちも、つねに広宣流布を願い、自分が縁するすべての人の幸福を祈りながら、一日一日を、生き生きと語り、敢然と行動してまいりたい。
8  民衆が団結せよ、民衆のための改革に
 私たちの前進は、民衆の幸福のための闘争である。
 イタリアの革命家マッツィーニの言葉をトルストイは記した。
 「改革は民衆のために民衆によって遂行されるべきである。改革が現在のように、ある階級の専有物となり所得となっている限り、それは甲の悪を乙の悪に置き換える働きをするのみで、民衆の救済には役立たぬ」(『一日一章 人生読本』原久一郎訳、社会思想社)
 民衆のために、民衆によって――二十一世紀こそ、その「改革」を実現する時である。
 アメリカの憲法の父マディソン第四代大統領は語った。
 「権力というものは、本来、他を侵害する性質をもったものであり、したがってそれに与えられた限界をこえないように、効果的にこれを抑制しなければならないものであるということは、何人もが否定しえないであろう」(『ザ・フェデラリスト』斎藤真訳、『世界の名著』40所収、中央公論社)
 権力者は、ひとつも偉くない。民主主義の社会は、民衆が主人である。権力者は、民衆に仕える公僕である。民衆が、もっと強く、賢くあらねばならない。
 ロシアの文豪トルストイは言った。
 「自由は、人間が人間に与えるものではない。誰しも自分で自分を自由にするほかはない」(『文読む月日』北御門二郎訳、筑摩書房)
 一切の変革のカギは、自分自身の中にある。
 トルストイは、こうも語る。
 「われわれが現在の瞬間になしつつあることを除いて、他はすべて重要でない」(前掲『一日一章 人生読本』)
 今、直面していることに全力をかたむけることだ。足下を掘ってこそ、泉は湧いてくる。
 トルストイは叫んだ。
 「人々の不幸は分裂から生じるではないか。そしてその分裂は、人々が一つしかない真理に従わず、数多くある虚偽に従うところから生じるのである。人々を一つに結合させる唯一の手段は真理において結合することである」(『宗教論』下、中村融訳、『トルストイ全集』15、河出出版新社)
 そのとおりである。偉大なる理想へ、団結し前進するわれらこそ、幸福の大道を歩んでいるのである。
9  人生に勝つ「人間王者」と輝け
 ここで御書を拝したい。
 「(乱世の軍師たちは)幕を張った中で作戦を練り、戦場から千里離れたその場で勝利を決したのである」(御書183㌻、通解)
 「一艘の船に乗り合わせれば、船頭の舵取りが悪いと、乗り合わせた人々は皆、同じく命を落としてしまう」(御書1220㌻、通解)
 リーダーの責任は重大である。だれが、どう頑張っているか、何が課題なのか――すべてを緻密につかんでいなければ、広宣流布の″将の将″は務まらない。一切はリーダーの勝利への執念で決まるのである。
 戸田先生は語っておられた。
 「本当に苦労した幹部、本当に磨き上げた幹部、そういうものに、一人一人がなっていただいて、御本尊にほめられるようになろうではないか」
 「折伏に信心に、純真な態度をとり、『さすがに信心していればこそ、ああなられたのだ』という手本をとれば、その姿が真に折伏になっている」
 仏法は勝負である。自分に勝ち、社会に勝ち、人生に勝つ。その力を、実証を必ずつかんでいけるのが、日蓮大聖人の仏法である。
 「私は勝った!」「この勝利の姿を見よ!」
 こう叫べる人生は幸福である。人間王者である。
10  広布の労苦は永遠の功徳と花咲く
 今夏、各地の研修等を支えてくださった、すべての方々に対して、私は心から御礼申し上げたい。
 「皆さまの 広布と学会守護の労苦は 永遠の栄光と功徳と花咲かなむ」との言葉を捧げたい。
 人の見ていないところで頑張る。広布の前進を支える。そういう陰の人の戦いがわかる人が、一流の指導者である。表面に出てきた結果しか見ないのは、二流以下の指導者だ。見栄の指導者である。
 それよりも大事なことは、陰で戦っている人を賞讃すること、人知れず奮闘している人に光をあてることだ。これが指導者の極意である。
 仏法は「冥の照覧」である。広布への労苦は、必ず、日蓮大聖人が讃えてくださる。
 そのうえで、人間の世界であるから、指導者が皆の努力を知り、讃えていくべきだ。正しく評価されれば、うれしいし、何倍も力がわくものだ。讃えた人も、讃えられた人も、大きな功徳に包まれていく。
11  悪意の中傷には断固、立ち上がれ
 今年(二〇〇二年)は、アメリカの教育哲学者デューイ博士の没後五十周年。デューイ博士は、牧口先生とも、ゆかりが深い。
 博士の命日にあたる六月一日には、デューイ研究センターとボストン二十一世紀センター、アメリカSGIの共催で、記念講演会が盛大に開催された。(=講演会は「デューイ没後五十周年記念行事」の一環。池田名誉会長は、同行事の名誉議長)
 講演会場は、アメリカSGIのニューヨーク文化会館。デューイ博士が何度も講演した歴史的な知性の殿堂である。これには教育界をはじめ多くの著名な来賓が駆けつけてくださった。
 その一人が、デューイ博士の友人であり、アメリカを代表する女性教育学者、ルイーズ・ローゼンブラット博士である。博士は九十七歳。今回の講演会を知った博士は、一人で列車を乗り継ぎ、二時間かけて、会場にやってこられた。
 その気概。かくしゃくたる姿――。博士をよく知る、デューイ研究センターのヒックマン所長も感嘆しておられた。
 皆が驚いたのは、それだけではなかった。会議で、デューイ研究の第一人者、ニール・ノディング博士(スタンフォード大学名誉教授)が、こう主張した。
 「かつて、デューイ博士が受けたような、″意図的な誤解″による、悪意の中傷に対しては、われわれは、断固として立ち上がり、正義を訴えなければならない」
 九十七歳のローゼンブラット博士は、それに呼応し、毅然と立ち上がり、みずからの信念を堂々と述べたのである。博士は言われた。
 「われわれの民主主義は今、危機に瀕しています。私たちは、ゆっくりと腰をおろして、事態の推移を見守っている場合ではないのです。私たちは、最前線に飛び込み、今すぐ、戦わなければなりません。デューイ博士もきっと、そうしたにちがいありません!」
 気迫にあふれる博士の熱弁に、会場は、割れんばかりの大拍手に包まれたという。戦い続ける精神――これこそが、民主主義を守る柱であることを、私たちは決して忘れてはならない。
12  ローゼンブラット博士の研究も、かつては長年にわたり無視され、正当に評価されない時代が続いたようである。しかし博士は、こう、さわやかに語っておられる。
 「私は、自分の考えを深めるのに忙しくて、他人が自分をどう評価するかなど、気にとめる暇はありませんでした。私は、未来のために戦い続けてきたので、後ろを振り返ることもありませんでした。ただ九十歳を過ぎて、″もう一世紀近くも生き続けてきたのだ″という感慨をもったことはありますが……」。まさに人生の達人の言である。
 信越でも、北陸でも、草創からの多宝会の方々が、はつらつと活躍しておられる。
 その尊き、わが同志のますますのご健康とご長寿を、私は朝な夕な、真剣に祈っている。
13  『人生地理学』には共生の智慧が
 明二〇〇三年は、牧口先生の大著『人生地理学』が発刊されて、ちょうど百年。意義深き佳節を前に、うれしいことに、『人生地理学』の英語版が、アメリカで出版された。
 編集および英訳監修には、創価教育学研究の大家であるベセル博士があたってくださった。教育専門の「カド・ギャップ出版社」の発刊である。
 ベセル博士は、『人生地理学』の意義を、地理学、教育学を超えて、文明論的な視点からも、鋭く考察されている。
 博士は言う。――『人生地理学』は、資本主義社会の無秩序な発展に警鐘を打ち鳴らす書である。人類に″自然との共生″を促しゆく、「持続可能な社会」へのビジョンを示している――と。
 ベセル博士は、今回の英語版『人生地理学』の序文に記した。
 「もし日本が、環境と教育についての牧口の洞察に基づいて、実際にそうした産業社会の形態を発展させていたなら、そしてもし、その日本のモデルが、アメリカ流の西洋的なものに代わって、世界中に広まっていたなら、今日の世界は、どんなに違っていただろうか!」(Tunesaburo Makiguchi, ''A Geography of Life, Edited by M. Bethel, Caddo Gap Press, 2002)
 そして、こう結ばれている。
 「今日、教育界においても、実業界においても、あらゆる社会制度の面においても、より良い、より人間的な二十一世紀への基礎を築こうと願う人たちは、この『人生地理学』から、深く考えるに値する洞察と、豊かな着想と実践法を見いだし、それらを自身の努力の助けとするであろう」(同前)
 牧口先生の先見の眼は現代をも見つめている。深く豊かな哲学と精神をたたえながら。
 南アフリカでの「環境開発サミット」(持続可能な開発に関する世界首脳会議=二〇〇二年八月二十六日から九月四日まで。約百九十力国・地域から六万人が参加)でも、SGIは、さまざまな協力を行っている。
 世界が今、創価の平和・文化・教育運動に注目し、共感を寄せている。
14  「環境との調和」といえば、世界的な経済学者のガルブレイス博士が、北陸の金沢の街を絶讃しておられた。
 博士は、私の古き友人である。対話を通じて平和を生みだし、広げゆく創価の運動に、深く期待してくださっている。
 博士は十二年前(一九九〇年)の秋、金沢を訪れた。
 その印象をつづっている。
 「一歩、金沢の町に足を踏み入れた瞬間、私は思わず息を呑んだ」
 「素晴らしい文化と学問・芸術から期せずして発散されている香気が、町全体に満ち満ちていたのだ」
 「町全体、いや地域全体が深い大自然としっかり溶け合っているのだ。水も、空気も、あくまでも清洌に澄み切っており、人々の表情も実に穏やかで幸せそのものであった」(『日本経済への最後の警告』角間隆訳、徳間書店)
 北陸の天地を愛する一人として、私もまったく同感である。
15  御書は全人類の幸福のために
 きょうは、創価信越御書会館で忘れ得ぬ歴史を刻むことができた。
 大聖人は、流罪の地・佐渡の厳しい状況下で、多くのお手紙をしたためられた。書いて書いて書きぬかれた。門下を励まし、この大仏法を世界に弘めるために。未来の全人類の幸福と平和のために――。
 そうしたお手紙の一つで、こう仰せである。
 「私たちが住んで、法華経を修行する所は、どんな所であれ、常寂光の都(仏が住む国土)となるであろう。
 私たちの弟子檀那となる人は、一歩も歩むことなくして、天竺(インド)の霊鷲山(仏が住して法華経を説いた所)を見、本有の(永遠に存在する)寂光土へ昼夜に往復されるのである」(御書1343㌻、通解)
 この仰せどおりに、わが地域に、本有常住の常寂光土を建設し、拡大しているのが皆さまである。人類史の先頭に立つ、偉大なる使命の人である。大聖人が、諸天・諸仏が厳然と守る。だれがどう迫害しようが、広布の人には、絶対にかなわないのである。
16  長野研修道場の周辺は、三十八年前の東京オリンピック(一九六四四年十月)のさい、総合馬術競技が行われた地である、とうかがった。
 当時、地元の温かい歓迎は、外国人選手など多くの人々に忘れ得ぬ感動を残したという。研修道場近くの一角には、聖火台をかたどった記念碑が立っている。
17  御書では、南無妙法蓮華経の音声の力用が、白馬のいななきにたとえられている。曾谷殿などヘのお手紙にある。曾谷殿は、今の富山県に領地をもっていた。
 ――過去世に輪陀王という賢王がいた。この王は「白馬のいななく声」を聞くと、心身が安穏になるのだった。白馬は白鳥を見て、いななく馬だった。
 この説話を引かれて大聖人は「白馬は日蓮なり・白鳥は我らが一門なり・白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり」と仰せである。
 妙法を唱えれば、諸天が威光勢力を増し、われらを必ず守護すると確信していきなさいと教えてくださっている。
 白馬が大草原を、さっそうと駆けていくような、そしてまた、大宇宙にまで響きわたっていくような、すがすがしい音声の勤行・唱題を心がけていきたい。
18  青年部に贈りたい。フランスの彫刻家ロダンの言葉である。
 「ああ、若さは何物にも代えられない。金銭にも高位高官にも」(『ロダンの言葉』高村光太郎訳、岩波文庫)
 青春は、人生の花である。一生の幸福の土台を築く時である。
 ドイツの作家ヘッセは呼びかける。
 「君たちが、新たな、あらしをはらむ、わきたつ時に生まれたのは、一体不幸だろうか。それは君たちの幸福ではないか」(『若き人々へ』高橋健二訳、人文書院)
 正義の人こそ、幸福の人である。
 古代ギリシャの哲学者プラトンは書いた。
 「一番幸福なのは、魂のなかに悪をもたない人間なのだ」(『ゴルギアス』加来彰俊訳、岩波文庫)
 プラトンは喝破した。
 「不正の極地とは、実際には正しい人間ではないのに、正しい人間だと思われること」(『国家』藤沢令夫訳、岩波文庫)
 民衆の幸福を踏みにじる、仮面の偽善者とは、断じて戦うことだ。追撃することだ。正義は戦う魂の中にある。
19  今こそ折伏のチャンス到来
 恩師戸田先生は言われた。
 「活動が活発になるかならないかは、長たる者の人物にある」
 「いま折伏しなかったら、絶対幸福はこないことをいいきろう。いまは折伏しやすくなっているのです。時期がきているのです」
 今こそ広宣流布の絶好のチャンスである。リーダーの名指揮をお願いしたい。
 さらに先生は言われた。
 「(学会の)結合を破るものには、かならず罰がある。うそだと思ったら、やってみたまえ。和合僧とは、仏法上の哲理をもってすれば、学会のことである」
 「君の生命力がきわめて強盛であるなら、悪人に搾取されるようなすきがない」
 団結することだ。信心の団結は無敵である。
20  長野青年部が「諸法実相抄」、新潟青年部が「如説修行抄」の現代語訳を進め、尊き努力の結晶を届けてくださった。
 結びに、「如説修行抄」の一節を、ともどもに拝したい。
 「『法華折伏・破権門理(法華の折伏は、権門の理を破す)』の金言であるから、ついには、権教権門を信じている者を、一人も残さず折伏して、法王(釈尊)の家人となし、天下万民、すべての教えが一仏乗に帰して、三大秘法の南無妙法蓮華経が独り繁昌するようになった時、万民が一同に南無妙法蓮華経と唱えていくならば、吹く風は穏やかで枝を鳴らすことなく、降る雨も壌を砕かないで、しかも世は義農の世のような理想社会となり、今世の生では不運な災難を払い、人々は長生きできる方法を得、人も法もともに、不老不死であるという道理が顕れるであろう」(御書502㌻、通解)
 学会は、「三類の強敵」「三障四魔」を打ち破りながら、世界広布を成し遂げてきた。平和と文化を花開かせてきた。
 「心こそ大切」である。広布のために、喜んで戦い、喜んで努力すれば、必ず、生々世々、大功徳に包まれる。才智だけでは人生は勝てない。自分が決めた広布の道を、愚直に貫き通した人が、最後は勝つ。幸福になる。
 このことを深く確信し、最高の栄光輝く人生を、晴ればれと生きぬいていただきたい。
 また、お会いしましょう!
 (長野研修道場)

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