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日蓮大聖人・池田大作

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東京・東海道・東北代表協議会 私が行こう! いちばん大変な所ヘ

2002.8.25 スピーチ(2002.8〜)(池田大作全集第94巻)

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1  青年よ広布の歴史に名を残せ
 「青年の時代」が来た。各地の青年部の新出発に、私は心から期待したい。
 私も、五十年ほど前に、東京の本陣で、男子部の第一部隊長に就任し、戸田先生より、部隊旗を直接、授与していただいた思い出が懐かしい。
 青年部時代から、私がつねに心に刻んできたのは、「いちばん大変な所へ、自分が行こう! いちばん大変なところで、自分が戦おう!」という精神であった。
 二十四歳の時、私は東京の大田で立ち上がった。蒲田支部の支部幹事として、広宣流布の突破口を開いた。
 同じ年の夏、私は大阪へ向かった。ここから、愛する関西と私との共戦が始まった。
 大田と、その近くの横浜の鶴見区と、両方の法戦の指揮を執ったこともある。二十七歳の勝利の歴史である。
 青春時代、私は体が弱かった。そのうえ戸田先生の事業は挫折。給料のない時期さえあった。
 そのなかで、私は学会を支えた。どこまでも戸田先生にお仕えした。学会を圧迫する傲慢なる権力に対しても、厳然と正義を師子吼した。
 だれが見ていなくとも、一人、師を守り、友を守り、新しい広布の道を開く。それを五十五年間、貫き通して、今日の学会を築いてきたのである。
 どうか、私の直系である青年部の皆さんは、広宣流布という尊い歴史に、誉れの名を残していっていただきたい。
2  正義を力説せよ
 仏典には、こんなエピソードが説かれている。(以下、南伝大蔵経、増支部教典を参照)
 ――ある朝早く、釈尊の一人の在家の弟子が、師・釈尊のもとで仏法を学ぼうと、はつらつと家を出た。真剣な求道の彼は、師のもとへ馳せ参ずる前に、正義の対話を敢行しようと、みずから外道(インドで、仏教以外の教え、ならびにその信奉者を呼んだ語)のもとへ足を運んだ。
 に気づいた外道の顔羅理がちは、たがいに示し合わせて、釈尊を釈尊の弟子が向かってくるの一
 誹謗する言葉を浴びせてきた。
 「君の師匠のゴータマ(釈尊の俗姓)は極論の持ち主で、あらゆる苦行者を厳しく責め、そしっているそうだな」
 弟子は、即座に反論した。
 「いいえ。それは間違いです。釈尊は、叱り責めるべき者は叱り、賞讃すべきものは賞讃するというように、立て分けておられます」
 今度は、別の外道が、からんできた。
 「お前が賞讃するゴータマは、世間のことも、手当たり次第、何でもかんでも否定しているというではないか」
 彼らの言うことは、すべてが、偏見と悪意の非難であった。
 釈尊の弟子は、ただちに、敢然と打ち返した。
 「釈尊は、して良いことと悪いことを、しっかりと区別されておられます。あなたたちの言うことには、何の根拠もないではないですか!」
 正々堂々とした、気迫あふれる真実の言論の前に、外道たちは黙り込み、思わず下を向いた。そして恥じ入り、すっかり意気消沈してしまった。
 その姿を見届けると、誇り高き弟子は、意気揚々と師・釈尊のもとに駆けつけ、この勝利を報告した。
 釈尊は、「善き哉、善き哉」と賞讃し、「このように、愚人をば、法をもって、よく破折せよ!」と説かれたのである。
3  思えば、入滅を前にした釈尊が、最も喜んだことは何であったか。
 それは、「法華経の敵を討ちます!」という、燃え上がるような、弟子たちの闘争の誓いであったと御書には仰せである。(「祈祷抄」一三五一ページなど)
 かつて戸田先生は、「たとえ、きょう入会したばかりの人であれ、ひとたび創価学会員として法論にのぞんだならば、断じて負けてはならない」と叱咤激励された。
 牧口先生も、「毀誉褒貶を顧ず、大に訴えねばならぬ」(『牧口常三郎全集』8)と言われている。
 さらに牧口先生は、″今後さらに「不自惜身命」の決心をもって、いよいよ正義を力説するつもりである。だれかが言わねば、社会は決して改まることはないからである″と断言されている。(同全集5,趣意)
 これが、不滅の学会精神である。
4  牧口先生は、みずから折伏し、座談会へ、個人指導ヘ
 破邪顕正の言論と、広宣流布の拡大の本陣こそ、わが大東京である。
 戦時中、牧口先生は、希代の悪法である治安維持法違反と不敬罪の容疑で逮捕された。
 その起訴理由の一つに、逮捕されるまでの二年間、三百四十回以上にわたり、都内等で座談会を開催したことが挙げられているのである。(昭和十六年〈一九四一年〉五月から同十八年六月の間。およそ三日に一回のベースである)
 牧口先生に対する起訴状は、そのまま先生の偉大なる闘争の記録である。
 そこには「(=座談会のたびに)説話、実験証明等の方法に依り参会者数名乃至数十名に対し折伏又は信仰の強化に数め」(同全集10)とも記されている。
 牧口先生は、ただたんに、座談会を担当するために参加していたわけではない。まず、みずからが、自分の友人や親戚への折伏を実践し、戦いの息吹を五体に満々とみなぎらせて、座談会の会場へ、そしてまた個人指導へと向かわれたという。
 そして皆に、「愚人にほめられるは第一の恥、大聖人にほめられる信心が大切なのです」と、烈々と言いきっていかれたのである。本当に偉大な先生であられる。
 ともあれ、中心者みずからが自身の壁を破る、率先垂範の戦いこそが、全軍を奮い立たせていくものだ。
5  当時の創価教育学会の記録によれば、戦時中の厳しい当局の監視のなか、学会は飛躍的な発展を遂げている。
 軍部政府により、一九四〇年(昭和十五年)に、宗教団体を国家の統制下に置くことを目的とした宗教団体法が施行された。その翌年には「治安維持法」が改悪され、国家権力による宗教への弾圧が強まっていった。
 最も困難な時期に、最も勇敢に、最も力強く、究極の平和と正義の大仏法を語りぬいていかれたのが、牧口先生であり、戸田先生であられたのである。
 今年(二〇〇〇年)は、牧口先生が東北・福島の郡山と二本松を折伏のために訪問されてから、六十周年。
 さらに明年は、牧口先生が静岡の伊豆で逮捕されてから六十年である。
 また今年は、戸田先生の横浜での「原水爆禁止宣言」から四十五周年。さらに戸田先生の東北指導から五十周年。これらの佳節を、各方面とも、限りない大勝をもって飾っていただいた。そして、これからも、さらに飾っていただきたい。
6  「対話拡大の年」を率先して
 今年は「対話拡大の年」。私自身、新たな対話拡大に取り組んできた。その一つの結晶として、新たな対談集が完成する。
 まず、韓国を代表する教育者で、国立・済州チェジュ大学の総長を務めた趙文富チョームンブ博士との対談集である。(=同対談は、月刊誌「灯台」で連載。二〇〇二年十一月に『希望の世紀へ宝の架け橋』と題して徳間書店から発刊)
 博士は、高名な行政学者であり、韓国公法学会の副会長、韓国・地方自治学会常任理事なども歴任してこられた。
 趙博士との対話が、私にとって、韓国の知性とともに発刊する初めての対談集となる。
 なお、今月(八月)、韓国と日本の「国民交流年」を祝賀して、ソウル市の国立劇場で、第一回「韓日親善吹奏楽演奏大会」が盛大に開催され、両国トップクラスの十五楽団が競演した。(十六日〜十八日)
 これには、わが音楽隊の創価グロリア吹奏楽団が、主催者側の要請に応え、三日間にわたる演奏会の最後を飾って出場し、大喝采を博した。万雷の拍手とともに、三回ものアンコールがあったという。
 いつもいつも、本部幹部会等で真剣に演奏してくれている、わが音楽隊には、「訓練」で磨いた「魂」がある。それが、言葉を超え、国を超えて、万人の心を揺さぶるのである。
7  リーダーは皆に喜びと希望と自信を贈れ
 さて、「女性の世紀」に入って、最初の女性との対談集になるのが、アメリカの行動する未来学者ヘイゼル・ヘンダーソン博士との対談である。(=『地球対談 輝く女性の世紀へ』と題して二〇〇三年一月、主婦の友社から発刊)
 博士はこれまで、市民運動家として、大きく国際的な連帯を広げてこられた。博士の寄稿は、常時、世界の約四百の新聞に配信されており、その論説は絶えず注目を集めてきた。
 また博士は、世界的に著名な「ワールド・ウオッチ研究所」や「世界社会予測研究協会」などの理事を歴任されたほか、「国連基金のための地球委員会」の創設に尽力されたことでも知られている。対談では、このヘンダーソン博士とともに、希望に満ちた「女性の世紀」の未来を展望した。
 博士は、月刊誌「潮」での対談の連載を終えるにあたって、次のような感想を語っておられたという。ボストン二十一世紀センターの代表が報告してくれた。
 「池田会長との対談は、私にとって、人類の未来を、長期の視野と展望に立って考える、じつに重要な機会となりました」
 「私は、池田会長の精神的な深みに加えて、組織や機関をつくり上げていく力量に、心から感服しました。このような(精神性と実行力の)両者の力を備えている指導者は、じつに希有な存在と言わねばなりません。
 アメリカに大学を創立されたことも含め、どれだけのものを池田会長が達成されたことか。しかも会長は、こうした創造的な貢献を、人々が関心を向けるずっと以前から、先駆的に行われていたのです。
 私は、池田会長こそ、真の意味の未来主義者であると思います。真の未来主義者とは、『人間のもつ可能性』についてのビジョンをもった人であると、私は考えています。
 ″人間の可能性を信じて闘いぬく。それこそが、平和で持続可能な未来をつくるための唯一の方途である″――これが、対談を通して、私と池田会長が深く合意した一点であったと確信しています」
 私への評価はともあれ、SGI(創価学会インタナショナル)運動に対する温かい共感の言葉として、ありのままに紹介させていただいた。
 ヘンダーソン博士が言われるように、私たちの戦いは、「人間の可能性」を信じる戦いである。
 ゆえに、どこまでも愉快で楽しい戦いである。
 聡明な言葉で、皆を包み、皆を安心させていく。そして、皆に希望を贈り、喜びを贈り、自信を贈り、やりがいを贈り、勇気を贈っていく。これが、リーダーの責務である。
 上から押しつけ、圧迫感を与えるようなものであってはならない。なかんずく、女性を最大に大切にし、尊重しながら、「平和で持続可能な未来」へ向かって、前進していく世紀となっていかねばならないと思う。
8  「善」は着実に永遠に勝ち栄える
 アメリカの詩人ホイットマンは謳った。
 「宇宙』についてあれこれと思い迷っていると、わたしは見た、『善』という名の小さな者が永遠の生に向かって休みなく急いでいるのを、
 そして『悪』と呼ばれる巨大な者がそっくり自分を溶けこませ、消えてなくなってしまうよう急いでいるのをわたしは見た」(『草の葉』酒本雅之訳、岩波文庫)
 大詩人の眼は、善と悪の実相を、このように鋭く見抜いた。
 善は、たとえ小さくとも、着実に、永遠に勝ち栄えていく。一方、悪は、いかに傲り高ぶっても、必ず、みずから滅び去っていく。
 妙法という、宇宙の根本の大善の法則に生きぬくわれらには、いかなる邪悪も、絶対にかなわないのである。
9  時代は大きく変わっている。創価学会は、地球的規模で、「平和」「文化」「教育」「環境」に貢献を重ねてきた。創価の民衆運動を、世界の識者が、また第一級のリーダーが、ますます深く期待し、注目し始めている。
 私自身、多くの世界の指導者と対話してきた。中国の周恩来総理、アメリカのキッシンジヤー元国務長官……。とうてい言い尽くせないが、皆、時代の激流を勝ち越えた人物であり、思い出は尽きない。
 実際に、会って、語って、友情を結び、平和への「点」を世界中に打ってきた。その点と点を、「線」でつなぎ、壮大な世界平和の未来図を描いていく。そういう時代に入った。
 私は、自分に与えられた使命は、すべて果たしていく決心である。
 どうか皆さまも、永遠の悔いを残さぬように、低次元のことに左右されずに、学会とともに、同志とともに、生きて、生きて、生きぬいていただきたい。
10  会員根本のリーダーたれ
 東京も、東海道も、東北も、この上半期、広宣流布の隆々たる大発展を成し遂げられた。日蓮大聖人が、また三世十方の仏菩薩が、最大に讃嘆しておられるにちがいない。
 広宣流布の新時代である。新しい前進のために、いくつか具体的に、リーダーのあり方の基本を確認しておきたい。
 一、まず、とくに男性の幹部が注意すべきことだが、リーダーは、尊き仏子を決して叱ってはならない。なかんずく、絶対に、ご主人の前で婦人を叱ってはならない。これは重大な冒漬である。人間として許されないことだ。
 その反対に、奥さまの前でご主人を叱ることも絶対にあってはならない。
 これは鉄則である。人間の道である。仏法は人間の道を説いている。
 さらに、お子さんの前で、お母さんやお父さんを厳しく叱責するようなことも断じてあってはならない。
 その子は、「どうしてうちのお母さんが叱られるんだ」等と、その人を一生、憎むかもしれない。学会まで嫌いになるかもしれない。それで、信心から離れてしまったら、結局、その子は不幸である。本当は、子どものいる前で、ご両親を最大に讃えるべきである。
 一、かりに、組織で、思うようにいかないことや、愚痴をこぼしたくなることがあったとしても、子どもの前では、口にしないようにすべきである。なぜなら、子どもには関係がないからだ。
 子どもは、すくすく伸ばすことだ。親の不満のはけ口を、子どもに押しつけてはいけない。
 子どもは敏感である。悪い影響は、毒を注射するように入ってしまう。最後は不幸だ。
 子どもには、楽しい話や、いい話、ためになる話をしてあげることだ。
 子どもは「世界の宝」である。「未来の希望」である。一人も残らず、立派に成長してほしい。
 偉大なる広宣流布のリーダーとして、世界の一流の指導者として活躍しゆく使命の人と確信し、長い目で温かく見守り、育てていきたい。
 一、幹部のもとには、いろいろな相談が寄せられる。そうした個人的なことを、絶対に人に話してはならない。秘密を厳守し、プライバシーを守るのは、当然のことである。
 一、会合等で帰るのが遅くなる時は、必ず自宅に連絡を入れるよう、心がけていきたい。待っている家族に心配をかけてはいけない。
 また、会合の後、道端で集まって、大きな声で立ち話をしないよう、気をつけていきたい。近所迷惑であるし、夜など危険な場合もある。会合が終わったら、さわやかに解散するようにしていきたい。
 一、会合の時、わが子が留守番をする場合もある。子どもと一緒に会合に出る場合もある。いずれにせよ、子どものことは、親が責任をもつのが大前提である。もちろん、皆で助けあい、協力しあうのは当然だが、他人まかせにしてはいけない。
 一、会場を提供してくださっているお宅を大事にすることである。真心こめて、「本当にありがとうございます」と、感謝し、最大の礼儀を尽くすべきである。それでこそ偉大な学会ができる。
 以上、細かなことだが、もう一回、基本に立ち返り、正していかねばならない。それでこそ、学会はいちだんと大きく発展していけるのである。
11  戸田先生は、清浄な学会を守るために、徹して厳格であられた。「金銭問題、男女問題で皆に迷惑をかけ、非難を受けるような者は、幹部を解任し、追放せよ」と厳しく言われた。
 組織を利用する悪人は厳しく糾弾し、断じて許してはならない。そうでなければ、新しい人材も、思うぞんぶん、伸びていくことができない。
 戸田先生はつねづね、「人事が大事だ」と語っておられた。「人事を失敗したら、皆が、どんなに努力しても、生かされない。皆が不幸だ」とも言われた。
 自分の″子分″をつくろうとする心根の幹部には、戸田先生は厳しかった。
 ともあれ、いい人を見つけ、励まし、育てていくことだ。新世紀が始まった今、「新しい人材」を育て、「新しい建設」を本格的に開始してまいりたい。
12  話は変わる。アメリカの映画『風と共に去りぬ』に関して、お話ししたい。
 ときには、いつもと違った話題もいいのではないだろうか。リーダーの皆さまは、号令をかけて人にやらせるのではなく、皆がほっとし、安心して、楽しくなるような話、そして、自然のうちに、前進の力がわいてくるような話の工夫をお願いしたい。
 また、時間も考えず、長々と一方的に話すような幹部は、自分の話に酔っている姿である。自己満足であり、利己主義である。
 会員の皆さまに、どうすれば勇気と希望を贈ることができるか。どうしたら、納得と安心を与えられるか――どこまでも「会員のため」との一点を忘れてはならない。人々の心をつかみ、人情の機微のわかる指導者になっていただきたい。
13  行き詰まったら「原点」に帰れ
 さて、アメリヵ創価大学のロサンゼルス・キャンパスの敷地は、世界的な名画『風と共に去りぬ』の撮影場所になったと言われ、近隣の方々もたいへんに誇りとされていると、うかがった。
 『風と共に去りぬ』は、十九世紀の、アメリカの南北戦争を背景に描かれた、世界的に有名な小説である。作者は、アメリカの女性作家、マーガレット・ミッチエル。彼女は、戸田先生と同じ一九〇〇年の生まれである。残念なことに、四十八歳で、交通事故で亡くなっている。
 この作品は、ミッチェルが三十六歳の年に発刊され、またたく間に世界中でベストセラーになった。
 小説の舞台は、作者ミッチェルが生まれ育った、アメリカ南部のアトランタ。主人公の女性、スカーレット・オハラを中心に、戦争や運命に翻弄されながらも、懸命に生きぬく人々の人間絵巻が、鮮やかに描かれている。
 作者ミッチェルは、この作品のテーマについて、″なぜ、ある人々は生き延び、ある人々は生き延びられないか。破局を乗り切る何かを持つ人と持たぬ人を、私はこの小説に描いた″と語っている。(青木富貴子『「風と共に去りぬ」のアメリカ』岩波新書、参照)
 ご存じの方も多いと思うが、あらすじを紹介させていただきたい。
 ――主人公のスカーレットは、人を惹きつけてやまない魅力に満ちあふれた女性であった。そしてまた、負けず嫌いで、激しい炎のような気性と、何ものにも怯まない芯の強さをもっていた。
 大農園主の長女として、何不自由なく暮らしていた彼女であったが、やがて時代の波に大きく飲み込まれていく。教養豊かな紳士アシュレに失恋。衝動的な結婚。そして、南北戦争の勃発と夫の出征、つらい銃後の生活、その夫の戦死……故郷タラの農園は、敵兵に蹂躙され、見る影もなく荒廃した。両親も相次いで亡くなった。
 しかし、打ち負かされそうな苦難の連続にも、スカーレットは屈しなかった。一家一族を養う責任を一身に担い、必死に戦い続けた。農園を維持するための結婚もした。その夫が暗殺されると、今度は、彼女を陰に陽に支えてきた資産家のレット・バトラーと結ばれた。
 しかし彼女は、アシュレヘの愛が忘れられず、結婚生活は冷えていった。レットとの間にできた愛する娘が事故死すると、破局は決定的になってしまった。
 ところが、アシュレの妻メラニーが亡くなると、スカーレットは、アシュレヘの愛が幻にすぎなかったことに気づいた。そして、自分が本当に愛し、必要としているのは、レットであることを自覚する。だが、そのときすでにレットは、彼女のもとを去ろうとしていた……。
 以上が、大まかなストーリーである。
 スカーレットは、残酷な戦争の激流、生老病死、愛する人との別れなどの人生の苦悩に屈せず、懸命に戦い、懸命に生きぬいた。その波瀾万丈の歩みをつねに支えていたものは、いつも自分を受け入れてくれる、美しい豊かな故郷タラの天地であった。
 すべてを失った彼女が、昂然と顔を上げ、心に誓うラストシーンは、あまりにも有名である。
 「そうだ、明日、タラヘ帰ろう」
 「みんな、明日、タラで考えることにしよう。そしたら、なんとか耐えられるだろう」
 「明日はまた明日の陽が肝るのだ」(大久保康雄・竹内道之助訳、『世界文学全集』33、河出書房新社)
 帰るべき「原点」をもち、「ふるさと」のある人は強い。負けない。行き詰まったら、そこに帰り、そこから出発することである。
 私どもには、誓いの「原点」がある。温かき笑顔の同志が待つ、学会という「ふるさと」がある。
 『風と共に去りぬ』には、次のような言葉がある。
 「重荷というものは、それを負っていける力のある肩にかかるものなのだ」(同前)
 そのとおりである。人生に、乗り越えられない困難はない。打ち勝てない試練は、絶対にない。人間には、はかりしれない力が備わっている。大きな苦しみに耐え、勝利してこそ、偉大なる一生を生きることができるのだ。
 いわんやわれわれには、無敵の信仰がある。信心が破られないかぎり、人生に負けることは、断じてない。どうか皆さんも、「もうだめだ」というような苦難にぶつかったとき、『風と共に去りぬ』の主人公のごとく、頭を上げて、みずからの「原点」と「ふるさと」を思い起こしていただきたい。
14  真剣勝負の人が勝つ
 東北の方から報告があった。
 「新たに設置される『地区人材長』で、地区の力を十倍にしたい」
 その決意である。真剣さである。真剣でなければ、勝利はできない。
 「真剣」とは、「本物の刀」のことである。命がけの戦いが、真剣勝負だ。
 勉強も、仕事も、友情も、信心も――何事も、「真剣」の二字があるかないか。それで決まる。
 「広き戦野は風叫ぶ/捨つるは己が命のみ」――戸田先生は「同志の歌」にうたわれた。
 格好ではない。気取りでもない。偉大なる民衆の一人として、一心不乱に突き進むことだ。
 真剣の人は、誠実の人である。
 「使命を全うしよう」「勝利していこう」――その心が、仏法の真髄である。
 策や要領でなく、信心しか勝利の道はない。信心が偉大になれば、恐れるものは何もない。
15  東京も、東海道も大勝利へ、大勝利へと前進している。
 広布の勝利は、永遠の功徳を積むためである。どうせ戦うのならば、楽しく、創価学会の世界広布の地盤を広げていくことだ。
 健康で、長生きして、人生を楽しんでいくのが仏法の世界である。
 妙法は生命の大良薬である。御聖訓に「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」と仰せのとおりである。
 皆さまは、偉大なる妙法と巡り合った。功徳を受ける道を、生命の中につくった。その流れをふさいではいけない。そこに毒を入れてしまうのか。山崩れで閉ざしてしまうのか。全部、自分の一念である。
 広布へ戦えば、健康になる。病魔を打ち払うのが妙法の信仰である。
 日蓮大聖人の仰せのままに、広宣流布を成し遂げているのは、創価学会しかない。だから功徳がわく。諸天が守る。
 学会活動は、やった分だけ、自分が得をする。しかも人のためであり、社会のためである。これほどすばらしい偉業はないのである。
16  東北から日中友好の新史が
 東北での「偉大な指導者 周恩来」展が、各界から大きな注目を集めている。(二〇〇二年八月二十九日から九月十八日まで、仙台の東北文化会館で行われた)
 中国と日本の国交正常化三十周年を飾る意義深き展示であり、大成功を、心からお祈りしたい。
 今年は、仙台に学んだ中国の文豪・魯迅先生が来日されてから、百周年でもある。
 また仙台といえば、私が深く交友を結んだ、中国の復旦ふくたん大学の名誉学長であられる、蘇歩青そふせい博士も留学し、こよなく愛された天地である。蘇博士の夫人となられた松本米子さんは、東北大学の教授の令嬢である。東北出身の女性として、日中両国の架け橋となられた。(=詳細は本全集第72、122巻)
 中国では、周恩来総理と鄧穎超とうえいちょう夫人は「模範夫婦」として、蘇博士と米子夫人は「理想夫婦」として敬愛されてきたことは有名である。
17  良書は人を励まし力を与える
 中国は文化の大恩人の国である。
 現代中国の知性の最高峰が、「国学大師」の季羨林きせんりん博士(北京大学終身教授)である。弟子には中国社会科学院の蒋忠新しょうちゅうしん教授がおられる。お二人とともに私は、「東洋の哲学」「東洋の智慧」を探求する対話を重ねてきた。
 テーマは、「人間の本性と社会」「東洋文化と西洋文化」コ一十一世紀文明の展望」など多岐にわたった。人間観、社会観、自然観、宗教観を縦横無尽に語りあつた。(=『東洋の智慧を語る』と題して二〇〇二年十月、東洋哲学研究所から発刊)
 語らいでは、「読書の大切さ」にも話が及んだ。
 季博士は、古今東西の良書に精通された大学者である。すでに中学生のころから″読んでいない本はない″と言われるほどの大の読書好きであった。
 本の善し悪しを決める基準とは何か。
 季博士は、「次の七つの項目を満たしているかどうか」だと言う。
 一、人の前進を励ますことができるのか、もしくは後退させるのか。
 二、人に楽観的精神を与えるのか、悲観的にさせるのか。
 三、人の智慧を増すのか、愚かさを増すのか。
 四、人の倫理道徳のレベルを高めるのか、下げるのか。
 五、人に力を与えるのか、惰弱にするのか。
 六、人を励まし、困難に立ち向かわせるのか、屈服させるのか。
 七、人に高尚な美感を与えるのか、それとも低級で下品な感じを与えるのか。
 この基準に照らして、季博士は″二十一世紀の青年よ、大いに読書せよ。徹して良書を読め″と呼びかけておられる。
 活字文化の復興のためにも、明快で重要な指標ではないだろうか。
 「聖教新聞」も、この七つの基準を満たす「希望の哲学の機関紙」として、さらに充実させ、拡大してまいりたい。
 (季博士は、『人生抄』は七つの基準にすべて当てはまると述べ、次のように語っている。
 「人に前進する力を与え、人に楽観的精神を与え、人に智慧を与え、そして人の精神を高め、人の倫理道徳のレベルを高め、人に力を与え、人が困難に立ち向かわせるのを助け、人に高尚な美感を与えてくれるのです。この本を読み、私自身も美しくなっていくように感じました。また心の中に、青春の活力がみなぎってくるようでしたし」)
18  SGIは法華経を実践、世界の平和と文化に貢献
 法華経研究の大家である蒋忠新しょうちゅうしん教授は、てい談の中で、次のように語っておられた。
 少し長くなるが、皆さまの日々の奮闘への評価であり、そのまま紹介させていただきたい。
 「まさに、大乗仏教の大慈大悲の精神によってこそ、人々の智慧、勇気、情熱をひらかしめ、人類社会が直面しているあらゆる困難を克服させ、全人類に幸福をもたらすことができるのです」
 「『法華経』の中には、『平等の概念』『慈悲の精神』『(=平和への)統一思想』が包含され、深遠な智慧があふれています。
 これらによって、『法華経』は二千年余の長きにわたって広大な地域で多大な影響力をもってきました。そして、今日もなお、『法華経』は多数の信仰者と多数の研究者を引き付けています」
 「とりわけSGIは『法華経』の精神を、現代の特徴をふまえ、人民の願いにかなった形で明らかにしました。
 また、ゆるぎない確信と驚嘆すべき実践で全世界の人民の平和、文化および教育事業のために傑出した貢献をしています。
 この事実によって、『法華経』は二十一世紀において間違いなく全世界の人民の中に広く、深く流布していくであろう――私は、このように確信しています」
 創価学会こそが、「法華経の精神」を、現代にふさわしい形で実践している。世界に展開している。創価学会があればこそ、「法華経」は、二十一世紀に、全世界の民衆に流布していくであろう
 ――現代中国随一の仏教学者が、そのように明言しているのである。
 「此の経典東北に縁有り
 これは法華経の漢訳者・鳩摩羅什が、師から示された言葉である。
 法華経はインドから「東北」に向かって、中国へ、韓国へ、そして日本へと伝わってきた。
 その法華経の智慧を、今度は、太陽が昇りゆくように、全世界に伝えゆくことが、日蓮大聖人のご遺命であった。
 「仏法西還」という空前の偉業が、創価学会の手によって成し遂げられつつある。中国の知性も、韓国の知性も、そしてインドの知性も、それを心から賞讃してくださっている。
19  勝利のために、団結を、追撃を
 正義が勝利する新世紀。それを築くには、何が大事か。古今の英知の言葉に、耳をかたむけたい。
 ナテスと戦い、勝利したイギリスのチャーチル首相は言った。
 「こんどの作戦ほど追撃の急だった勝ちいくさは、これまでの戦史にその例をみないだろう」(加瀬英明編『チャーチル名言集』講談社)
 古代ローマの哲学者セネカは訴える。
 「戦えば戦うだけわれわれは強くなる。体の最も丈夫な部分は、絶えず使って動かした部分である」(茂手木元蔵『セネカ入門』東西大学出版)
 そして、「団結することが、ものごとを成就させる方法である」とは、大教育者ペスタロッチの確信であった。
20  御書は永遠不滅の経典である。
 大聖人が、東海道の先達・四条金吾に贈られた、有名な御聖訓を拝したい。
 「何の兵法よりも、法華経の兵法を用いていきなさい。(法華経薬王品の)『諸の余の怨敵、皆悉く摧滅す(摧け、滅する)』との金言は、決してうそではない。兵法・剣形(剣術)の大事も、この妙法から出たものである。このことを深く信じていきなさい。決して臆病であっては叶うことはないであろう」(御書1192㌻、通解)
 法華経に勝る兵法はない。信心にかなう軍勢はないのである。
 皆さまは、広宣流布の指揮を執りゆく偉大なるリーダーである。楽しく、愉快な勝利の前進を祈り、記念のスピーチとさせていただく。
 (長野研修道場)

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