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日蓮大聖人・池田大作

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関東最高協議会 愉快に! 楽しく! 「勝利の劇」を舞え

2002.8.17 スピーチ(2002.8〜)(池田大作全集第94巻)

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1  困難は「人間革命」の原動力
 各地の婦人部の皆さまから、下半期の戦いの決意の声やお便りをいただいている。
 その真剣さ、けなげさ、潔さ――本当に、頭の下がる思いである。この場をお借りして、深く感謝を申し上げたい。
 日蓮大聖人は、純真な女性信徒の方々を、心から励まされた。
 また「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」と仰せである。
 「男女はきらふべからず」――大聖人のお心は、そのまま学会の永遠の心である。
 これから、さらに女性が思うぞんぶん活躍できるよう、真剣に、着実に、リーダーは手を打っていくべきである。
 そのうえで、とくに婦人部の皆さまに申し上げたいのは、広宣流布の戦いは「愉快に」「楽しく」進めていただきたいということである。
 「大変だ、大変だ」と自分を追いつめないで、大変な役目は、ふだん、あまり動かない男性のほうに、やらせてあげればよい。(笑い)
 同じ戦うならば、水の上をスケートで舞うように、また″私はい人生劇場の主役を演じているのだ″と、楽しんでいくことである。
 考えてみれば、何か課題があったほうが、題目はあがるものだ。ほかの人のことで悩んでいても、唱えた題目は全部、自分の福運になる。
 何かあれば、自分が強くなれるし、「人間革」していける。何もなければ、悩みも挑戦もなく、人間は弱いままである。
 「強い」ことが幸福である。「正しい」ことが幸福である。
 ゆえに、学会活動という″自分を鍛えてくれる場所″″最高の正義の世界″があるのは幸せなことだ。全部、自分のためになるのだから、仏法にムダはないのである。
2  派閥をつくるな、「異体同心」で進め
 戸田先生は厳命された。
 「創価学会に派閥をつくるな。もしか、つくったら、解散する」
 さらに、こうも言われた。
 「派閥をつくらせてはならない。つくろうとする人間は、学会から出しなさい。
 いかなる幹部であろうと、広宣流布を忘れ、自己の名聞名利で、自己の派閥をつくろうとする人間には、断固として、幹部が団結し、自分勝手な利己主義の輩を追放せよ。
 全学会員の目的は広宣流布にある。
 ゆえに、いかなる立場の人間であろうと、大切な学会員を子分のように扱い、自己自身の慢心と威張りをもって仏子を軽んじ、大法流布を忘れた輩は断じて追放せよ。
 まったく恐れる必要はない。これが清浄な大法を永遠ならしめる道だからだ」
3  戸田先生は厳然と遺言された。
 「第三代会長を守りきっていけば、広宣流布は必ずできる」
 これは、多くの最高幹部が明確に知っている遺訓である。
 異体同心で進め! これが大聖人のご命令である。
 御書には仰せである。
 「異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮しょせん是なり
 同志の仲が悪ければ、功徳を消してしまう。謗法になる。大聖人に背くことになるからだ。
 皆が幸福になる信心である。たがいに守りあい、支えあい、励ましあいながら、世界一の理想郷を築いていただきたい。
4  民衆を幸福に! それが民主主義
 きょうは、世界の識者との語らいを振り返りながら、懇談的にお話ししたい。
 哲学なき政治。その危険性に警鐘を鳴らしたのは、インドのマハトマ・ガンジーであった。
 インドの哲人政治家ナラヤナン前大統領は、ガンジーの心を受け継ぐ、私の敬愛する友人である。大統領は言われた。
 「ガンジーはつねに語っていました。『真実の民主主義は、民衆の幸福を拡大するものである』と」(Remesh Chandra & Sangh Mittra, ''DALIT IDENTITY IN THE NEW MILLENIUM,'' Commonwealth Publishers, New Delhi, 2003)
 インドのロケッシュ・チャンドラ博士の言葉を思い出す。
 「実は、父(=インド独立の闘士で、世界的言語学者のラグヴィラ博士)はこう思っていたのです。『ガンジーのグル(師)は、日蓮大聖人だ』と」
 「ガンジーと日蓮大聖人には、直接の関係はありませんでしたが、『思想』と『行動』のうえで共通する部分が多いのです」(池田大作/ロケッシュ・チャンドラ『東洋の哲学を語る』第3文明社)
 これがインド最高峰の哲学者の言葉である。
 心ある世界の指導者は「民衆を強く!」「精神の力を強く!」と訴えている。
 キューバ共和国文化省のマルテイ第一副大臣は、「中途半端な二流の政治家は、モラル(道徳)の力を恐れるものです」(「聖教新聞」一九九六年十月十二日付)と力をこめておられた。
 台湾の名門・中国文化大学の張鏡湖理事長も懐かしい一人である。
 こう語っておられた。
 「かつてイギリスの首相ディズレイリは言いました。『正義は、行動によって真実となる』と。『行動がなければ正義とならない』のです。これは、宗教も同じではないでしょうか」(同九九年五月二十二日付)
 大教育者の深き洞察である。
5  平和への貢献は生きた宗教の証
 宗教が社会に果たすべき役割は何か?
 国際宗教社会学会の会長を務めた、ベルギーのドブラーレ博士は言われている。
 「宗教団体が、その信条に基づいて『社会は、このままでよいのか』と問題提起し、政治に影響を与えるのは当然のことです。
 このように『宗教が政治に影響力を持つ』ことは、もちろん『政教一致』とは言いません。
 ヨーロッパでは、宗教団体は国民の経済的な要求を満たしたり、教育・文化・福祉などを充実させる組織をつくる上で、リード役を果たしてきました。いわば社会を支える柱を立てる役割を担ってきたのです」(同九六年一月十三日付)
 そのとおりである。現実を離れた宗教は、「死せる宗教」である。
 平和のため、文化のため、社会のために、どう貢献していくか。そこに仏法者の魂がある。
 さらに博士は、こうも強調しておられた。
 「民主主義国家において、主権はあくまで国民にあることはいうまでもありません。(中略)したがって、政治家は、『国民に奉仕すべき存在』であることを絶対に忘れてはならない。そうした自覚を欠いた政治家が、日本に見受けられるとしたならば、大変に不幸なことです」(同前)
 重要な警告である。だからこそ、青年が政治を厳しく監視することが、不可欠なのである。
6  東西冷戦を終結させ、人類史を「暗」から「明」へ転換した旧ソ連のペレストロイカ(建て直し)。その設計者と呼ばれ、ゴルバチョフ大統領の首席顧問を務めたのが、ヤコブレフ博士である。現在、「聖教新聞」の客員論説委員として健筆を振るってくださっている。(=二〇〇五年十月に逝去)
 博士は、一九九六年四月、東京牧口記念会館を訪問された。
 軍国主義と戦い、獄死した先師牧口先生を顕彰する殿堂を見つめながら、博士は言われた。
 「人類の歴史を通してみると、多くの政治家たちは、『感謝の心』を持とうとしません。なぜか。それは、彼らの行動に『文化』がないからです」
 「この建物に来て、私は感動したのです。政治という低い次元の文化ではなく、もっと高次元の文化が存在するのだ。道徳的に最高の人間こそが、先人をたたえる、このような素晴らしい建物をつくることができるのだと」(同九六年四月二十日付)
 また、博士は、眼光鋭く語っておられた。
 世界には、一つとして民主的な国はない。それは、なぜか――。
 「『国』と『政府』が、『社会』と『人間』の上に立っているからです。そのような構造があるかぎり、真の民主主義の達成は不可能です。
 私たちは、このピラミッドを逆転しなくてはなりません。人間が、このピラミッドの頂点に立たなくてはなりません。民衆が頂点に立って、国や政府を『雇う』のが『民主』です」(同九五年九月十六日付)
 民衆こそ主人! 民衆こそ帝王! この真理を、世界の哲人は、声を大にして叫んでいる。
 (ヤコブレフ博士は、こうも語った。
 「私は、このような時代〈=戦乱の二十世紀〉を経て、『政治が破産した』のだと思います。このことを悲しむがゆえに、私は池田先生が進めておられる人間精神の覚醒運動に感銘するのです」
 「真に誠実な人間ならば、今、一番の課題は『人間の心を救う』ことだと、わかるはずです。今、池田会長が、これを進めておられる。人類の未来に待っている危機を見通された上で、人間の心を救われています。
 池田会長のような人が生きている限り、人類はこれからも前進できるという希望を持つことができます」(同前)」
7  関東に築け! 完勝の城
 関東の同志とお会いし、語りあえることは、本当にうれしい。
 関東は、勇敢に戦っている。
 関東は、生き生きと躍動している。
 関東は、若々しく燃えている。
 関東は、愉快に前進している。
 関東は、堂々と完勝している。
 関東は、史上最高の拡大を達成し、見事なる正義と幸福の大連帯となった。
 これは、関東の協さま方の偉大なる広宣流布の敢闘精神が成し遂げた偉業である。
 まことにおめでとう! 本当にご苦労さま! 男子部も、女子部も、過去最高の陣列となった。折伏の成果も目覚ましい。私は心から讃えたい。
 今、関東は、あらゆる点で、最強の広宣流布の布陣ができあがった。それぞれの県、圏、本部、支部のすばらしい拡大の様子も、つぶさにうかがっている。
 この功徳は無量無辺である。どうか、尊き同志を真心から賛嘆し、くれぐれもよろしくお伝えいただきたい。
 これから「関東は『地区』が完勝の城!」とのモットーを掲げて、地区を中心に、地域友好の拡大、同志の激励、人材の育成に取り組んでいくとうかがった。すばらしいことである。
 戦後の広宣流布の拡大が、関東の「地区」から始まったことは、誉れの歴史である。どうか、二十一世紀の全国・全世界の完勝の波動もまた、関東の「地区」から起こしていっていただきたい。
8  広布に生きる大福徳は永遠
 学会活動に励む功徳は絶大である。また、学会の役職を担い、その責任を果たしゆく奮闘ほど尊いものはない。
 広宣流布のために、一生懸命、働いた人は、生々世々、大功徳に包まれていく。安楽で、裕福で、これ以上はないという無上の人生を満喫していける。そして社会の大指導者として、自在に活躍していけるのである。
 必ず、そういう大境涯を開いていける。″そうなるに決まっている″と見るのが、妙法である。
 「妙法」について日蓮大聖人は「妙は死法は生なり」と仰せである。色心の二法に約し、″妙は心″″法は色″とも示されている。(御書747、777㌻)
 一面から言えば、妙法の世界は″目に見える次元(生、色法)″にも、″見えない次元(死、心法)″にも、わたっている。それを、目に見える次元だけで拝すれば、大聖人のお言葉は″おとぎ話″になってしまうであろう。
 たとえば、大聖人は、こう仰せである。
 「日蓮の弟子が、ただ一口に南無妙法蓮華経と唱えている、その位は、いかなるものか。この人は、過去に八十万億劫という長い間、仏に供養してきた大菩薩である。未来には、八十年にわたって膨大な供養をし続けた以上の大功徳を受けるであろう」(御書342㌻、趣意)
 すべて「真実」である。大聖人は、一言一句たりとも、ウソは言われない。
 ゆえに、私どもにとって大事なのは「信ずる」ことである。信じて行じた人が、結局、最後は勝つからだ。
9  一方、法華経は、法華経を修行する人をいじめ、憎む人間が、無間地獄に堕ち、なかなか人間に生まれてこられない姿を説いている。(譬喩品第三)
 大苦悩に″間断がない″から「無間」と言い、″不自由″で″最低″の境涯だから「地獄」と呼ぶ。
 戸田先生は、その一つの譬えとして言われた。
 来る日も来る日も列車の下敷きになっている″レール″が、逃げることもできず、踏みつけられるたびに、朝から晩まで、きしむ音をたてている――そんな苦しみではないだろうか、と。
 そういう業をもつ人間が充満する末法のこの世に、私どもは願って生まれたのである。
 この地球が気に入らなければ、来世、別の星へ行って広宣流布のために活躍するのもよい。自由自在である。
 しかし、大変な地球だからこそ、折伏の喜びも功徳も大きい。
 これが仏法の考え方である。
 法華経寿量品の自我偈に「一心欲見仏 不自惜身命(一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまず)」と(法華経四九〇㌻)とある。
 ″心の底から仏を見たいと念願し、自らの身命も惜しまない″――この求道の信心と行動あるところ、つねに、わが胸中に、仏の生命、大聖人の生命が湧現するのである。
10  幸福は「勇敢なる魂」から
 「高慢は阿呆である」(『人間学・教育学』清水清訳、玉川大学出版)とは、大哲学者カントの有名な一節である。
 辛辣な警告の言葉である。
 カントは、繰り返し、また繰り返し、傲慢を戒めた。
 「高慢な人はすべて同時に愚か者なのである」(「コリンズ道徳哲学」御子柴善之訳、『カント全集』20所収、岩波書店。以下、カントの言は同書から)
 「傲慢な人々は肩書きや地位にこだわり、そしてより上品に見られようと努める。真の功績がある人々は、高慢でも傲慢でもなく、むしろ謙虚である」
 まったく、そのとおりである。
11  御書には「増上慢の比丘は将に大坑に墜ちんとす」との法華経の文(方便品、法華経一一六㌻)が引かれているが、傲慢きわまりない者の末路は厳しい。
 さらに、カントが厳しく責めたのは、「臆病」であった。
 「人間の臆病さは人間性を汚す」
 「嘘つきは臆病な人間である」。これまた鋭い洞察である。
 御書には、退転の反逆者の本質を、「よくふかく・心をくびやうに・愚癡にして・而も智者となのりし」人間たちであると喝破されている。
 仏法の真髄は「勇気」である。「師子王の心」である。
 カントも、「勇気」をもてと強調した。
 「真に善い行為は勇敢な魂に由来する」
 「有徳であるためには、人間は勇敢でなければならない」
 カントは言う。
 「ひとは、その人が生きてきた問に多くの行為をし、多くのことを果たし、そして自分の生命を正しく用いた場合に、人生に満足して死ぬ」
 獄中でカントの哲学を研究された牧口先生も、カントの警句を、大笑いしながら、また、深くうなずきながら、読んでおられたことであろう。
 牧口先生は言われた。
 ″どこを見ても醜悪だらけの濁悪恐怖の末世において、われらのごとき者は、かえって嫉妬迫害の離となるに決まっている″(『牧口常三郎全集』6,趣意)
 一番の正義の人間が、迫害される。それが歴史の常である。社会の善悪の基準が、転倒しているからだ。
 仏法は勝負である。
 戸田先生は、「日蓮大聖人の弟子は折伏の座については、けっして臆してはならない。大法を信ずる者には大利益あり、またこれを謗ずる者には法力厳然として仏罰があるのである」(『戸田城聖全集』3)と断言されている。
 仏法の因果は、峻厳である。
 日蓮大聖人は仰せである。
 「愚人にほめられたるは第一のはぢなり
 牧口先生は、「愚人に憎まれたるは第一の光栄なり」と言われた。
 そして「愚人にほむらるるは、智者の恥辱なり。大聖にほむらるるは、一生の名誉なり」(『戸田城聖全集』1)とは、戸田先生の師子吼である。
12  恐れるな! 広布ひとすじに
 このほど、群馬の青年部の代表が、「兄弟抄」の現代語訳に取り組み、立派にまとめてくださった。尊き求道の結晶を、私は御宝前にお供えした。大聖人が、学会青年部の真剣な教学研鑽を、さぞかし、お喜びになっておられるであろう。
 ここで「兄弟抄」の一節を拝したい。
 「たとえ、どんな煩わしいことがあっても、夢だと思って、ただ法華経のことだけを考えていきなさい。
 なかでも、日蓮の法門は、昔こそ信じがたかったが、今は、前々から言っておいたこと(謗法を断たなければ、自界叛逆難と他国侵逼難が起こるという予言)がすでに的中したので、理由もなく誹謗した人々も、悔いる心が起きているでしょう。
 (それにしても)たとえ、これから後に(日蓮の法門を)信じる男女がいても、あなた方に替えて思うことはできません。初めは信じていたのに、世間の迫害が恐ろしくて、信心を捨てた人は数知れない。そのなかには、もとから誹謗していた人々よりも、かえって強く誹謗する人もまた多くいる。
 仏(釈尊)の在世にも、善星比丘などは、初めは信じていたけれども、後に信心を捨てたばかりでなく、かえって仏を誹謗したゆえに、仏の大慈悲をもってしても、いかんともしがたく、無間地獄に堕ちてしまったのです」(御書1088㌻、通解)
 「このたびの難を耐え忍びぬいて、法華経が衆生を利益する力を試してごらんなさい。日蓮もまた強く諸天に申し上げよう。いよいよ恐れる心根や姿があってはなりません」
 「あなたがたは、信心強盛に歯を食いしばって難に耐え、たゆむ心があってはならない。たとえば日蓮が(権力者の)平左衛門尉のところで堂々と振る舞い、言いきったように、少しも恐れる心があってはなりません」
 「特別のことがなくても、人は一度は死ぬことが定まっている。したがって、卑怯な態度をとって、人に笑われてはなりません」(御書1084㌻、通解)
13  ともあれ、関東は広い。交通事故だけは絶対に起こしてはならない。決して無理をせず、油断することなく、絶対無事故を祈りに祈っていくことである。
 関東は、いずこの県も深い思い出がある。懐かしい同志がいる。今ふたたび、新しき正義の光を、人材の大河を、勝利と歓喜の歌声を、関東から世界へ広げていただきたい。
 (群馬多宝研修道場)

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