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日蓮大聖人・池田大作

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各部代表協議会 私は輝く!

2002.8.11 スピーチ(2002.8〜)(池田大作全集第94巻)

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1  人を励ます人生は尊い
 人力のために尽くす。行動する。これほど尊い人生はない。
 なかんずく、白樺会の皆さまは、″慈愛の看護師″として、日夜、苦しむ人々に希望の光を贈っておられる。
 白樺会の方が語っておられた。
 「人に励ましを贈るのが、私たちの使命です。しかし、それぞれ、自分自身が、大きな課題や悩みをかかえている。自分が、こんなにも大変なのに、どうやって人を励ましていったらいいのだろうと、ふと、思う時もあるのです」
 本当に真剣な、また、正直なお心である。そうやって、人のことを思って悩むこと自体が、最高に尊い悩みである。
2  人を励ますといっても何か特別なことをしようと思う必要はない。平凡でいい。常識的でいい。あまり複雑に考えないほうがいい。
 仏法は、道理であり、常識である。人間は、人間らしく、常識的に生きるのが正しい。それが進むべき道である。山道や坂道に迷い込んではいけない。
 ひとつも、むずかしいことを言う必要はない。お母さんが子どもに言うように話せばいいのである。
 たとえば、経済苦に悩む友がいる。
 「どんなにお金持ちでも、心は地獄のような家もあります。幸福になるには『お金持ちにならなければいけない』ということはないんです。貧乏であっても、そのままで、幸福な一家は、たくさんあります。大事なのは、心であり、境涯なんですよ」
 普段着の気持ちで語ればいい。単純にして深き魂をもって、友を励ましていくことだ。できるだけ、相手が気が楽になるように。
 楽しく、愉快に人生を生きていこうという方向へもっていけるように。仏法用語を使わなくてもいい。わかりやすい言葉で、仏法の法理を語ることである。
3  悩みがあるから「人の心がわかる」自分になれる
 悩みを乗り越える根本は、題目をあげることだ。祈って祈って祈りぬくことだ。
 日蓮大聖人は、御本尊を信じ、唱題する人は、釈尊の修行の因も、功徳の果も、全部、与えられると仰せである。
 (「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」)
 一通の題目にも、無量無辺の大功徳がある。ゆえに、日寛上人は、″ただ御本尊を強盛に信ずる力″と″ただ南無妙法蓮華経と唱える行力″の大切さを教えられているのである。
 どんな悩みも、そのまま御本尊に祈っていけばいい。すぐに結果が出ない場合もあるが、必ずいい方向へ向かっていくことは間違いない。
 人生、思いどおりにいかないことも、たくさんあるだろう。インチキな人間や、わがままな人間に「何でこの人は……」と腹を立てたくなるときもあるかもしれない。
 しかし、うまくいかないから、人の心がわかる自分になれる。悩みがあるから、人間らしい賢明な自分になれる。こう思って悠然と進んでいくことだ。
 愉快に、生き生きと、自分らしく生きるのだ。輝くのだ。私らしく!
 一人、信念をもって、わが道を進んでいけば、必ず、友はついてくる。
 そして同志のことを祈っていくことだ。そうすれば、百万の軍師に勝る智慧がわく。偉大なる生命力がわいてくる。
 仏法には、いわゆる悲愴感はない。悩んで、自分で自分を傷つけるのは、損である。どこまでも楽観主義で、生きて生きて生きぬいていただきたい。
4  わが人生を、よりよく生きぬくためには、何が必要か。それは目的である。
 何のために生きるのか。自分の人生は、どこに向かっていくのか。いちばん大事なことを、教育で教えていない。それがわからないから、大人も、子どもたちに教えられない。
 牧口先生は喝破した。
 「目的なき生活は夢遊病者の盲動で、自他共に危険である」(『牧口常三郎全集』8)
 現代への鋭い警鐘と言えよう。
 「何のために生きるのか」――その正しい答えは仏法にしかない。
 この偉大なる仏法を実践しているのが、創価学会である。
 戸田先生は「折伏は、あなた方のため、悩めるもののためである。折伏活動のさかんな地区、支部では功徳が充満する」と語っておられた。
 折伏こそ、悩める友を根本から救っていく、最も尊い行動である。その功徳は計り知れない。
 自身も、わが地域も繁栄と幸福の光が包んでいくことは、御書に照らして絶対に間違いない。
5  信仰者だけが「自分の使命」を知る
 ロシアの文豪トルストイは言う。
 「自分の使命を認識する人は、そうした認識その物によって、自分の価値尊厳をも認識する。が、自己の使命を認識するのは、宗教的な人間だけである」(『求道読本 一日一善』下、原久一郎訳、岩波書店)
 ただ正しい信仰を持つ人間だけが、真の使命を知ることができる。
 使命を自覚した者は強い。何も恐れない。自分にしかない価値を、自分の尊さを知っているからである。
 学会は、広宣流布という偉大なる使命に生きるがゆえに、恐れるものは何もない。
 トルストイは、こんな言葉も残している。
 「もしも不幸な生活をしている者がいるならば、そういう場合、原因は常にただ一つ、信仰の欠如のみである。人間の社会全体についても同様である」(『一日一善 人生読本』原久一郎訳、社会思想社)
 本当の幸福とは、崩れざる自分自身を築くことである。その源泉が妙法の信仰である。そのために学会の組織がある。
 学会は「指導主義」である。一人だけでは、道をはずれる場合がある。絶対的幸福をめざして、たがいに励ましあい、支えあい、正しい軌道を進んでいく。学会は、いわば「幸福と平和の学校」なのである。
6  権威・号令でなく、ただ「誠実」に!
 「生命の世紀」「女性の世紀」を照らすナイチンゲールの言葉を贈りたい。
 「他人を統率するには、まず自分自身を統率すること、これが第一の条件であることはいうまでもありません。自分の面倒もみきれないで、他人の世話のできるはずがありません。第二の条件は、自分を何かに『見せかけよう』とあがいたりはしないで、《ありたい姿》に《ある》ように努めることでしょう」(「看護婦と見習生への書簡」湯槇ます・小玉香津子・薄井坦子・鳥海美恵子・小南吉彦訳、『ナイチンゲール著作集』3所収、現代社)
 ナイチンゲールは自分自身に生きた。権威で身を飾ろうとせず、背伸びせず、つくろわず、「私は、こうありたい」と努力し続けた。そこに彼女の偉大さがある。
 リーダーは、第一にも、第二にも「誠実」でいくことだ。横暴は野蛮である。権威や号令で、人の心はつかめない。いわんや、尊き同志に対しては、ひざまずいて仕える思いで尽くしていくことである。
 「いつも、すみませんね」
 「本当にご苦労さまです」
 そういう謙虚な言葉から、本当の信頼は生まれていくものである。
7  最後に、もう一度、トルストイの言葉を紹介したい。
 「火が火を消さないのと同じく、悪は悪を消しえない。ただ善のみが、悪に出会ってもこれに感染せずに、征服するのである」(『宗教論』下、中村融訳、河出書房新社)
 今は「言論の暴力」が横行している時代である。善人は、黙っていてはならない。臆病であってはならない。
 一の暴言には十の正論で反撃することだ。反撃した分だけ「防波堤」になる。
 「声」は「進軍ラッパ」である。ラッパが響かなければ、正義の軍は進まない。走る列車は、音をたてる。音がないなら、それは止まっている。
 声をあげることだ。何も叫ばないのは、前へ進んでいない証拠である。断じて正義を師子吼することだ。
8  信越は、知性と信念の伝統が光っている。信越には、偉大なる「人間」がいる。偉大なる「民衆」がいる。誇りも高く、「世界の模範」の広宣流布の前進をお願いしたい。
 (長野研修道場)

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