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日蓮大聖人・池田大作

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全国最高協議会 人材育成ヘリーダー自身が会って語れ!

2002.8.2 スピーチ(2001.8〜)(池田大作全集第93巻)

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1  「会うこと」が「育てること」
 この上半期、創価学会は同志の皆さまのお力で、史上最大の広宣流布の拡大を成し遂げた(拍手)。全同志の皆さまに心から御礼を申し上げたい。
 とともに今、この時に完璧に土台を仕上げておけば、学会は永遠に盤石である。日蓮大聖人の御遺命である広宣流布は、世界へ、世界へと進んでいく。
 その意味で、きょうは、広布の指導者である皆さま方と、永遠の発展のために、学会の根本精神を何点か確認しておきたい。
2  仏法のリーダーは、ともかく「人に会うこと」である。とくに、新しく入会された方々に、どんどん会っていただきたい。人間と人間の出会いのなかにこそ、仏法は脈動するからである。
 御書にも、「直接、会うこと」の大切さが種々、示されている。
 「人間対人間」のつながりを、どうつくるか。ここに発展のカギがある。あらゆる国家も、企業も、団体も、この一点に注目して、今、しのぎを削っている。
 それには「会う」以外にない。会ってこそ、人はつながる。心は結ばれる。人材も育っていく。
 学会は、一対一の膝づめで対話してきたからこそ、今日の世界的な発展がある。これが鉄則である。
 観念論や空想論ではない。戸田先生ご自身が、徹して会員と会われた。一人の人と会い、心から励まし、ともに広宣流布に進んでいく。その行動のなかにしか、創価の魂はないのである。
 わざわざ会いに来てくれれば、人は「自分を認めてくれた」と思う。「会えてうれしい」「あの人と一緒にがんばろう」となるものである。
 また、会合が終わっても、「一人で、さっさと帰る」のではなく(笑い)、帰る道々、後輩の話を聞いてあげることだ。会合で話せないことでも、一対一になれば話せることもあるだろう。
 一緒に語り、一緒に動くのが学会の根本精神である。策でも、方法でもない。
 いわんや青年部は、決して偉ぶってはいけない。真心こめて、後輩を大切にしていくことである。友に尽くしていくことである。
 仕事や家事で忙しい時もある。それでもなお、やりくりして、時間をつくって会っていく。それが慈悲である。仏の振る舞いに通ずる。これしか道はない。
 「人間対人間」のつながりが仏法の組織であり、広宣流布の組織なのである。それを失ったなら、組織は″お役所仕事″になってしまう。もはや仏法ではなくなってしまう。
3  御書根本が学会の魂
 「新会員の皆さんが、教学をしっかり学んでいくには、どうしたらいいか」と質問があった。
 いちばん大切なことは、まず幹部が、もう一回、真剣に御書を学んでいくことだ。幹部みずからが、御書を拝し、感激し、納得して、それを語っていくことである。
 焦点は幹部である。幹部が向上しなければ、後輩も魅力を感じるわけがない。「慣れ」に流され、教学を軽視するのは、増上慢である。
 「最近は、昔ほど教学を勉強していないのではないか」と憂える声もあった。
 御書根本が学会の魂である。この誉れの伝統を忘れてはならない。
 中国の古典に、「まことに日に新たに、日日に新たに、又日に新たなれ」(『大学・中庸』金谷治訳注、岩波文庫)
 この言葉は、牧口先生が座右の銘にされていた一つである。
 社会も日々、向上している。戦いである。惰性は、敗北の道である。組織に巣くう「官僚主義」こそ諸悪の根源である。
 形式ではない。リーダーは責任職である。たとえば、列車の運転士は、たくさんの乗客の命を預かっている。いざ出発したら最後まで、命がけで乗客を守る責任がある。それなのに、運転士が何もせず、景色ばかり見ていたら、いったい、どうなるか。
 運転士がリーダーである。組織は列車である。運転士が神経を張りめぐらせてこそ、列車は順調に目的地へ進んでいく。まずリーダーが立ち上がることである。
 きょう、この会議に集った皆さまから、行動を開始していただきたい。
 座談会に出る場合も、幹部は、責任をもって、広宣流布のため、令法久住のために、目の前にいる一人一人を育てていくことだ。将来、大成長して、何百人、何千人にも通じる使命の「一人」と信じて、全魂の励ましを送っていくことだ。
4  学会の目的は、広宣流布である。また、一人一人が、真実の幸福を勝ち取っていくことである。
 戸田先生は、よく、おっしゃった。
 「あらゆる苦しんでいる人々を救わんがため、この仏様の事業をするわれわれ学会に、功徳がないわけはない。だから、組織を厳守させるのである」(『戸田城聖全集』4)
 苦しんでいる人を救うのはもちろんのこと、幸せそうに見える人、楽しく生きているような人をも救っていくのが学会である。自分では、どんなに幸福だと思っていても、大聖人の仏法を信仰する以上の幸福はない。
 「南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり」と仰せのとおりである。
 この「絶対的な幸福境涯」を築いていく、唯一の正しい仏道修行の場が学会の組織である。
 ゆえに、「組織を厳守せよ!」と戸田先生は言われた。
 組織とは、人間の背骨のようなものだ。骨格がしっかりしていなければ、肉体も育たない。同じように、組織が団結して、盤石であってこそ、そこにいる人も守られ、広宣流布も進むのである。
5  青年よ、高き理想に生きよ
 また戸田先生は言われた。
 「日蓮大聖人様の大仏法を信じ、実践する、おおぜいの青年の仲間ができたときに、広宣流布は絶対にできる(『戸田城聖全集』4)
 青年が結集すれば広宣流布は絶対にできる――青年部は、この先生の遺言を、断じて、忘れてはならない。
 青年ならば、今の十倍、真剣に戦うことだ。信心は、格好ではない。口先でもない。行動である。「1人立つ」かどうかである。
 私は、戸田先生のもと、広宣流布のために命がけで戦った。学会の一切の責任を担って、かけずり回って働いた。
 戸田先生のためならば、殉教も覚悟のうえであった。だからこそ、すべてに勝った。歴史をつくった。
 戸田先生は、「学会の強みは、なんといっても青年によってささえられている」(同前)とも、おっしゃった。
 青年こそ、学会の力である。生命である。希望である。学会は永遠に″青年創価学会″であらねばならない。二十一世紀のわが青年部は、高き理想に生きていただきたい。
 私は、若き皆さんに、戸田先生の次の言葉を贈りたい。
 「理想は天下国家を救うにあり、身近なものは足もとを固めていくと、こういう生活をするりっばな青年であってほしい」(同前)
6  大聖人は「声も惜しまず折伏せよ」と
 現代における、正しい修行とは何か――それは「折伏」である。
 大聖人は、「折伏」こそ末法の時に適った修行であることを、繰り返し強調しておられる。
 「如説修行抄」では、こう仰せである。
 「末法である現在、法華経の折伏の修行を、いったい、だれが経文どおりに実践しているだろうか。だれでもいい、『諸経は仏道を得られない教えであり、堕地獄の根本原因である。ただ法華経だけが成仏の教えである』と声も惜しまず主張して、諸の誤れる宗教の人々を、また、その邪義を折伏してみよ。三類の強敵が競い起こってくることは、間違いないのである」(御書504㌻、通解)
 「声も惜しまず、折伏せよ!」――これが大聖人の御命令である。
 牧口先生は、こう言われた。
 「折伏が宗教の生命です。他人を利していく生活こそ、大善といえるのです」
 また、「言わねばならないことを言えないような臆病者は、大聖人の弟子にはなれない」とも、おっしゃった。
 さらに戸田先生は、「この(=悩みに)しばられた生活はよくない。これを断ち切る利剣は、題目と折伏である。全国民を(=悩みに)しばられぬようにしてやるのが、学会の使命であり、精神である」(『戸田城聖全集』4)と断言された。
 大聖人の御言葉どおり、また、牧口先生、戸田先生のご指導どおり、師子のごとく、勇気をもって、今日まで折伏行を貫いてきたのが、創価学会である。
 宗門は、折伏などやっていない。折伏精神のないところに、御本仏の魂があるはずがない。魂のない宗教は、「死んだ宗教」である。結局は、腐敗・堕落して、邪宗の濁流と化してしまった。
7  仏勅の学会は「立正安国」の道を世界ヘ
 かつて、日興上人は謗法の山となった身延を離山された。
 日興上人は、「いづくにても聖人の御義を相継ぎ進らせて、世に立て候はん事こそ詮にて候へ」(編年体日蓮大聖人御書1733㌻)――いずこであれ、大聖人の法門を正しく継承し、世に流布することこそ肝要である、と仰せである。
 創価学会もまた、謗法の山と化した本山から離れた。決別した。そして、仏勅の学会は、広宣流布を世界に大きく広げたのである。
 すべては、大聖人の御計らいであつたと、私は深く確信している。(拍手)
 牧口先生は、こうも言われている。
 「大聖人の御意志をそのまま実行しようというのに、なんの障りがありましょう。仏法は観念の遊戯ではない。国を救い、人を救うものです。救わねばならない時に、腕をこまねいていて、救わないのは、仏意に背くものです」
 「人を救い世を救うことを除いて宗教の社会的存立の意義があろうか」
 仏法は、人間のためのもっとも正しい実践にほかならない。「正しい」ことをするのに、なんの遠慮もいらない。なにを恐れることもない。
 私たちは、大聖人の仰せどおりの「立正安国」の道を、「世界平和」の道を、明るく、朗がらかに、堂々と進んでまいりたい。(拍手)
8  「立正安国」――これが、日蓮大聖人の願いであられた。
 「安国」の国とは、日本一国だけをさすのではない。
 日寛上人は、立正安国の「国」は、「一閻浮提(全世界)」に通じ、「未来」に通ずるとご指南されている。(「意は閻浮及び未来に通ずべし」〈文段集八ページ〉)
 すなわち、永遠の世界平和を悲願とされたのである。
 今、アメリカにも、アジアにも、オセアニア、ヨーロッパ、アフリカにも、百八十三の国や地域に、尊き地涌の同志が、生き生きと活躍しておられる。
 インドでも、わが同志が見事な社会貢献をしている。広々とした「創価菩提樹園」は、すばらしい宝樹の園林である。「仏法西還」をわれらが実現しているのである。
9  われらこそ世界最高の指導者の存在
 指導者の真価は、どこにあるか。
 人気ではない。格好でもない。「民衆のために、どれだけ尽くしたか」。その信念と行動で決まる。
 指導者は、哲学をもつべきである。人類を幸福にし、平和の方向に向けていく、正しい哲学がなければならない。
 われらは妙法という人間主義の大哲学をもっている。それを実行し、広めている。世界最高の指導者の存在なのである。
 ユゴーは喝破した。
 「総ての偉人は諸君以上に侮辱されて居る」(「追放」神津道一訳、『ユーゴー全集』9所収、ユーゴー全集刊行会)
 しかし――正義なればこそ断じて勝て! われらの最後の勝利を見よ! これが巌窟王の精神である。
10  勝利は、必死の祈りから始まる。師弟不二の誓いから始まる。
 「荘厳にして偉大なる仏の軍勢である創価学会を、未来永遠に守り、発展させていこう」
 「どこまでも、広宣流布のために!」
 この心で、リーダーは前進することだ。
 一家の太陽は母親である。創価学会の太陽は婦人部である。
 友に勇気を送り、社会に希望を広げる「偉大なる光」は女性である。
 男性の幹部は、婦人部の皆さまを徹して大事にしていただきたい。
11  戸田先生は、大難の獄中で、「我、地涌の菩薩なり!」と覚知された。その体験を通し、こう語られた。
 「心の底から人生に惑わず、真の天命を知った姿こそ、人間革命の真髄である」(『戸田城聖全集』1)
 「真の天命」。それは広宣流布である。私たちの信心の究極の目的である。
 戸田先生は、「青年ならば、この天命に生きぬけ!」と叱咤された。
 すなわち、「真に国家を憂い、民衆の幸福を願うの心ある青年であるならば、まず自らが、この高邁な人間革命の真髄を求めて、いかなる三類の強敵・三障四魔とも戦い抜き、勝ち抜いて、勇猛精進すべきではなかろうか」(同前)と叫ばれたのである。
 広宣流布に進めば、三類の強敵、三障四魔が競い起こるのは当たり前である。そのときこそ、青年は、わが正義を叫ぶべきである。堂々と師子吼すべきである。
 「勇猛精進」こそ、学会青年部の魂でなければならない。
12  正義を叫ベ! 悪の傍観者になるな
 牧口先生は、正義を貶める悪を厳しく呵責された。
 「嫉妬排擠はいせい(=人をねたみ、陥れること)の様な忌まわしい現象を如何に小さくとも、根本的に駆逐せねば、百の改革も徒労に帰する」(『牧口常三郎全集』6、第三文明社)
 どんな小さな悪も放置するな! 悪の芽を根本から断ち切っていけ! それなくしては、何をやってもむだになる――これが、牧口先生の信念であった。
 また牧口先生は、「仲間の大多数に平和な生活を得しめんが為にはあくまで悪人を排除しなければならぬ」(同全集9)ともつねに言われている。
 悪を見ていながら、自分には関係ないから、関わると損だから――そういう卑しい心で、自分だけ、いい子になって、要領よく立ち回る――こうした卑劣な人間には、絶対になってはいけない。
 傍観主義は敵である。悪を見て見ぬふりをする者は、悪と同じである。
 正義を陥れる、どんな小さな嘘も、絶対に、ほうっておかない。悪意のデマや中傷は、徹底して、破邪顕正の言論で打ち破っていく。そういう青年であってこそ、「善の社会」は守られる。
13  有名なドイツの哲学者ショーペンハウアーいわく。
 「人間の嫉妬心は、彼らがいかにおのれを不幸であると感じているかを示す」(『孤独と人生』金森誠也訳、白水社)
 嫉妬の人間は、不幸であり、わびしい。
 トルストイの著名な言葉の一つに、こうある。
 「苦悩、それは肉体的ならびに精神的成長の必須の条件である」(『一日一章人生読本』原久一郎訳、社会思想社)
 悩みがあるから成長できる。自分が磨かれる。なかんずく、広宣流布のための労苦は、わが生命を宝石のごとく光り輝かせていくのである。それが仏法の法則である。
 さらに、イギリスの大詩人ミルトンは書いた。
 「最もよく忍ぶことのできる者が、最もよく為すことができる」(『復楽園』畔上賢造訳、改造社)
14  ふたたび、戸田先生の言葉を紹介したい。
 「根本の哲学は、生命哲学である。われわれは、これら(=資本主義や共産主義)より一歩上の大哲学によって、世界を指導するのである」(『戸田城聖全集』4)
 まさに今、仏法の大生命哲学が、世界をリードする時代に入った。
 世界の多くの心ある識者は、仏法の英知に鋭く着目している。学会の人間主義に熱い期待を寄せてくださっている。
 私たちは「誇り」をもって、「立正安国」ヘの連帯を拡大してまいりたい。
 牧口先生は言われた。
 「完全なるものへ、あるが上にも完全へと。これが我らの総てに対する祈りである」(『牧口常三郎全集』6)
 もっと上へ! もっと高く!――仏法とは、限りない向上の翼なのである。
15  わが師匠を守り、広宣流布の全責任を担い立つ。これが青年部の魂である。
 不当極まる夕張炭労事件、大阪事件――襲いかかる権力の迫害に対し、私は一人、矢面に立った。
 そうした最中、心を砕かれる戸田先生に、私は明快に申し上げた。
 「先生、心配ありません。全部、手は打ってあります。どうか、ご安心してください」
 先生は「大作がいるから安心だ」と、うれしそうに言われるのがつねであった。
 戸田先生は、広宣流布の大指導者である。どう先生をお守りするか。先生の構想を実現するために、どう手を打つか。先生の偉大さを、どう世界に宣揚するか。私の心には、ただ、それだけしかなかった。
 一九九六年(平成八年)、全米第一位の教育大学「コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジ(教育大学校とで、牧口先生と戸田先生の師弟が築いた「創価教育学」をめぐって私は講演した。(同大学の招きで講演。題は「『地球市民』教育への一考察」)
 そのさい、アメリカ創価大学に注目した質問も受けた。私は、この新しい大学で「平和」「人権」「生命の尊重」を柱として、二十一世紀、二十二世紀をリードする学生を育てたいとお答えした。
 恩師が夢見た「教育」と「平和」と「文化」の大道。その構想をすべて私は実現してきた。
 この師弟の魂のなかに、創価学会の一切がある。これは峻厳なる歴史である。このことを、後世のために申し上げておきたい。
16  今こそ自身を鍛えに鍛えよ
 今や創価の舞台は世界である。道は開かれた。あとは青年に一切を託す以外ない。
 今こそ青年は自身を鍛えに鍛えることである。
 振り返ってみれば、草創の青年部は仕事を終えて会合に行くにも、駅から「駆け足」だった。そういう勢いがあった。
 青年は自分を甘やかしてはならない。それは滅びの道だからである。
 人を頼る心は捨てよ。自分たちの力で、信心で立ち上がるしかない。祈って祈って祈りきって、敵も味方も、すべての人を揺り動かして、大いなる民衆の連帯を、新しい広宣流布の旋風を巻き起こしていくことだ。
 「女子部は、一人も残らず、幸福に」――それが恩師の深き心であった。
 女子部が大事である。女子部を育てたい。
 一人の毅然たる女性がいれば、どれだけ周囲に希望の光を送れるか。
 女子部が伸びれば、創価学会が輝く。広布の未来は大きく開いていく。
 女子部の大発展を、皆で祈り、皆で支え、全力で応援していきたい。
17  広布の組織には、つねに、フレッシュな「新しい力」「新しい息吹」を吹きこむことだ。
 使命深き、すべての人を、どう生かすか。
 どうしたら、皆が守られ、皆が喜び、いちばん、広宣流布が進んでいくか。
 この一点に全魂を注ぎ、人知れず苦労して、陰の陰で支えていくのが、指導者の責務である。
 力ある人材を大胆に登用し、がっちりと核をつくり、皆が心を一致させて、「異体同心」で進んでいくことだ。
 また、新しい責任を担う人は、これまで以上に動き、語り、力を出し、わが地域を民衆の理想郷の国土に変えていくことだ。
 大聖人は、「心の一法より国土世間も出来する事なり」と仰せである。
 「一念三千」の法理が示すとおり、社会をも変えゆく力が、人間の「一念」にはあるのである。
 ともあれ、人ではない。自分である。みずからの一念と行動こそが″百万言の書″に勝る波動となる。行動した自分自身が、生きがいと喜びと福運を味わっていけるのである。
18  青年部は「破折の力」を磨け
 悪と戦う「破折精神」こそ、仏法の真髄である。学会精神である。
 日蓮大聖人は、「立正安国論」の中で、国家の災難、国民の不幸の原因がどこにあるか、明快に述べておられる。
 すなわち、大聖人は、「今の世は、皆が正法に背き、人々がことごとく、悪法に帰依しているゆえである」(御書一七ページ、趣意)と喝破されたのである。
 そして、「このことは、声を大にして言わなければならない」(同ページ、趣意)と、時の最高権力者をまっこうから破折していかれた。
 青年部もまた、火を吐くような破折の力がなければならない。
 善良な民衆を陥れる、悪辣なデマの策謀は、断じて許さない!――この雷鳴のごとき怒りをもって、悪を暴き、追いつめ、打ち砕いてこそ本物である。
 牧口先生は言われている。
 ″悪人の傍若無人の振る舞いに、善人がたいへんな迫害を受けつつあるのを、羊の群れのような小さな善人が、何もしないで、ただ傍観していることは、国家の将来の恐るべき禍根である″
 言うべきときに何も言えない″羊の群れ″になるな。″小さな善人″になるな。そういう人間がいれば、国家の将来は危うい――牧口先生が警鐘を鳴らしたごとく、軍国主義に支配された当時の日本は、まっしぐらに、破滅の道をたどった。それは、厳然たる歴史の事実である。
19  平和と文化の大遠征ヘ
 アメリカ第三代大統領トマス・ジェファソンはつづった。
 「もしも悪政がなくなって、人類な全精力を、国王や貴族や僧侶の利己的な目的にではなく、本来の目的であるべき人類の幸福ということに集中するならば、人類の努力によって、どんなにか早く地球全体に楽園が生まれるだろう」(ラルフ・L・ケッチャム『アメリカ建国の思想』佳知晃子訳監修、時事通信社)
 今、全地球を舞台に進む、SGIの「平和と文化の大遠征」――その彼方には、必ずや、理想的な民衆の「幸福の楽園」が広がりゆくことを、私は強く信じている。(拍手)
 古代ギリシャの哲人プラトンの名著『国家』には、こうある。
 「人物が立派でなければ、金持ちになったからとて、安心自足することはけっしてないだろう」(藤沢令夫訳、岩波文庫)
 本当に大事なのは、財産でも、地位でも、名声でもない。人格である。人間性である。それを磨くのが信心である。
20  釈尊は、そして日蓮大聖人は、人生の最後の最後まで、広宣流布のために戦いぬかれた。
 御聖請に「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也」と仰せである。
 仏法に定年はない。人生に引退はない。人のため、法のために思う存分、働くことだ。学会活動から離れたら、結局は、わびしい。
 ひとたび決めた広布の道に徹することである。
 仏法は「生死不二」と説く。
 真っ赤な夕日が荘厳なる光を放つごとく、わが人生の総仕上げを見事に飾っていくことだ。
 自分が偉くなるのでなく、人を偉くする。幸福にする。その人が本当に偉い人である。
 また、先輩は、後輩を守ることだ。後輩に尽くしていくことだ。後輩を自分以上の大入材にしていくことである。
21  新しい同志を 新しい開拓を
 牧口先生が入信されたのは、一九二八年(昭和三年)。五十七歳の年であられた。
 入信後、牧口先生は、経文の予言のとおり、御書の仰せのとおり、さまざまな難にあわれた。冷たく去っていった友人もいた。しかし、信仰したおかげで、さらに多くの新しい出会いに恵まれたことを、こう記しておられる。
 「(=信仰した)因縁によって、意外なる人格者に親近の機会を得、不肖ながらも更生を指導した新親友は百名にも上り」(『牧口常三郎全集』8)と。
 牧口先生は、生涯、新しい同志をつくっていかれた。動き、祈り、書き、語って、わが生命の境涯を無限に広げていったのである。
 それが仏法のいき方である。創価の人生である。
 「対話拡大の年」の後半戦がスタートする。
 私たちは、「新しい同志」の連帯を、いちだんと大きく広げながら、「新しい勝利の歴史」を勇んで開拓してまいりたい。(拍手)
22  人生は、弱気ではいけない。
 強気でいけ! 学会は、どこまでも強気でいけ!
 ――これが戸田先生の遺言であった。
 「破邪顕正」の魂を忘れてはならない。同志に対して威張るのではない。それは最低の幹部である。そうではなく、悪に対し、外に対して、勇敢にして強くあることだ。
 「声仏事を為す」である。邪悪を斬る宝剣の声。こまやかな励ましの声。声が「仏の仕事」をする。口から発する声だけでなく、言論のペンも同じである。
 悪い人間がいる。悪意の虚言や暴言を放置しておいてはならない。悩んでいる友がいる。励ましの声をかけることである。眼前の課題に対して、すぐさま、必ず対応せねばならない。何も言わないのは愚かであり、無慈悲であり、敗北である。
 「遠いところ、ようこそいらっしゃいました」
 「いつも本当にご苦労さまです」
 「よき人生の思い出を一緒につくりましょう」
 声ひとつで、喜びが広がる。皆が自信をもち、安心して進んでいける。
 人生は、小さな努力の積み重ねが、大きな勝利をつくっていく。広布の戦いも同じである。一対一の対話こそが巨大な歴史の歯車を回転させていくのである。
23  師弟が創価の原点
 いかなる団体も、第三代までで決まる。創価学会も、牧口初代会長、戸田第二代会長、その心を継いで立ち上がった第三代の私が、基盤を築いたのである。
 戸田先生は私に対して「お前いか第三代会長だ。一生涯、広宣流布の指揮を執りなさい。学会の一切を頼む」と厳然と遺言された。
 私は戸田先生をお守りし、一身をなげうって、日本一、いな、世界一の学会をつくった。
 「三代会長を支えていくならば、絶対に広宣流布はできます」と戸田先生は、青年部に厳命なされた。(一九五二年二月二十七日、青年部研究発表会。『戸田城聖全集』3所収)
 この初代、二代、三代会長を貫く師弟の精神を土台とするならば、学会の未来の勝利は決まる。
 ここにしか、学会が永久に発展していく原点はないのである。このことを、将来のために明確に言い残しておきたい。
24  二十一世紀は「青年部の世紀」である。大いなる広布の峰の本格的な登攀は、目前である。
 創価学会ほど、偉大な青春の舞台はない。哲学性の上からも、世界性の上からも、これほどすばらしい活躍の舞台はない。今、歴史を残さずして、いつ残すのか。
 青年は、人が見ていようがいまいが、真剣に誠実に広宣流布のために生きぬくことである。
 青年は気取りを捨てることだ。気取るのは、へたな芝居をしているようなものだ。それでは、人は救えない。自分自身も救えない。
 「法に依って人に依らぎれ」である。妙法に生きぬくことだ。
 広宣流布への真剣な民衆の前進にあって、もしも、ふざけがあったり、自己中心の増上慢があれば、崇高な仏法の世界を壊すことになる。
 厳しい信心の修行を忘れ、安逸に流されれば、人生の末路は地獄の苦しみとなる。御書に厳然と記されている。
 青年は苦労こそ宝である。人気とりのパフォーマンスなどでなく、仏敵と戦い、同志を守り、広布の勝利を切り開く。
 その本当の苦労があってこそ、婦人部も、壮年部も厚い信頼を寄せるのである。
25  君よ一人立て、後は必ず続く
 世界の偉人の箴言を皆さまに贈りたい。偉大なる先哲の言葉は、苦難を越えて、正義に生きゆく光源となるからだ。
 インド創価学会のヒマーチャル・プラデーシュ州の同志が、この地でマハトマ・ガンジーが記した箴言を届けてくださった。
 ガンジーいわく。
 「虚偽は精神を蝕み、真理は滋養となる」
 虚偽は精神を腐らせる。人間を不幸にする。真理は精神を豊かにする。人間を幸福にする。
 ゆえに、徹して、虚偽を打ち隧いり、真理を広めなければならない。
 またガンジーは言う。
 「人が生きた信仰を持つならば、あたかも薔薇が香りを放つように、その芳香は広がっていく」
 「生きた信仰」とは、観念でも、号令でもない。行動である。実践である。その人の振る舞いが、信仰そのものなのである。
 さらに、こうも言っている。
 「私は、紙の上の団結のことを言っているのではない。紙に協定を書き出したところで、団結が生まれるわけではない。私が望む団結とは、心の団結であり、私は、いつも、それを祈っている。
 そのような団結が打ち立てられれば、勝利を勝ち取る力を得るであろう」
 どんなに立派な言葉を並べても、それだけでは団結は生まれない。勝利はつかめない。
 心が一つになってこそ団結である。異体同心が真の団結なのである。
26  ガンジーは、力強く訴えた。
 「非暴力は、地球上のいかなる権力をもってしても、消し去ることができない、世界の偉大な原理である」
 この「非暴力」の思想を広めるために、ガンジーは、一人立った。「勇気ある一人が立てば、世界は変わる」ことを証明していった。
 ガンジーは「たとえ、その集まりの中に、純粋さを持つ人が、たった一人しかいなかったとしても、その人物の純粋さは、他の全員に影響を与えるのである」と語っている。
 大事なのは、一人である。一人が立ち上がれば、二人、二人と後に必ず続いていくものだ。
 一人立つ者こそ、真実の勇者であり、本物の指導者なのである。
 スウェーデンの思想家であり、教育家であるエレン・ケイ。彼女は、牧口先生が著書『創価教育学体系』で、光を当てた女性の一人である。
 約百年前、女性の地位向上に奔走した彼女の言葉は、現代にあって、さらに輝きを増している。
 彼女は記している。
 「女性の参加なしで、真の意味の精神的社会革新が達成されたことは一度もなかったのだ」(『恋愛と結婚』小野寺信・小野寺百合子訳、新評論)
 「女性が、社会の進歩の新しい方向づけに成功するためには、女性の中から指導者が立ち上がって、男性が今までに示したものよりも高い目標に向かって、より純粋な方法を用いることが必要である」(同前)
 新世紀は、女性の知恵が輝く時代である。女性が立ち上がる世紀である。
 いかなる会社も、団体も、国家も、女性が生き生きと、自由に何でも語りあい、持てる力を発揮していけるところは、発展していく。ゆえに男性は、どこまでも、女性を大切にしていくことだ。
 また、彼女は言う。
 「新しい状態を成立させるには、何よりも新しい人と、新しい精神と、新しい感覚を必要とする」(同前)
 婦人部、女子部の皆さまは、新しい精神、新しい感覚で、新しい時代をつくっていっていただきたい。
 婦人部、女子部の皆さまに、ナイチンゲールの次の言葉を贈りたい。
 「私はこれまで一瞬たりとも後悔したこと、後ろを振り返ったことがありません」(エドワード・クック『ナイティンゲール――その生涯と思想』1、中村妙子訳、時空出版)
27  戦いは勝つと決めた者が勝つ
 アメリカ公民権運動の指導者マーチン・ルーサー・キング博士は言う。
 「宗教は、われわれが、この巨大で不確かな宇宙の中で孤独なのではないという確信を与える」(『汝の敵を愛せよ』蓮見博昭訳、新教出版社)
 この大宇宙を貫く「根本の法則」を教え、「永遠の生命」を教え、確かな「生きる目的」を教えるのが、真の宗教である。それを知ったならば、孤独に苦しむことは、断じてない。
 さらに、アメリカの第三代大統領トマス・ジェファソンの言葉。
 「政治をよくやるためには、誠実であることにつきる」(「イギリス領アメリカの諸権利についての意見の要約」松本重治・高木誠訳、『世界の名著』33所収、中央公論社)
 誠実である。誠実の人が勝利する。役職が上がれば上がるほど、誠実でなければならない。それが、本当の人間主義の組織である。
 ふたたび、エレン・ケイの言葉を紹介したい。
 「自分の運命を開くのは勇気であり、運命に耐えるのも勇気であり、運命をかけてぶち当たってみるのも勇気である」(前掲『恋愛と結婚』)
 信心とは勇気である。臆病は敗北である。「勇気に勝る王者なし」である。
 彼女は叫ぶ。
 「勝利者は、大体、心の中に勝つという答えを出している人である」(同前)
 「勝つ」と決めた者が勝つ。「勝ってみせる」という一念が強い者が勝つ。
 この強き心で、威風堂々と、「勝利また勝利」の新しい前進を開始してまいりたい!
 (創価文化会館)

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