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日蓮大聖人・池田大作

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第十八回本部幹部会、第二回東北総会、第… 新世紀の青年よ、広宣と正義の雄叫びを

2002.7.3 スピーチ(2001.8〜)(池田大作全集第93巻)

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2  ドイツの文豪ゲーテは叫んだ。
 「悪はかならず損害を無実なものの身におよぼす」(『ゲーテ格言集』大山定一訳、『ゲーテ全集』11所収、人文書院)
 だからこそ、悪を放置してはならない。これは歴史の鉄則である。
 フランスの哲学者パスカルは、つづった。
 「大いなる人々のよろこびは幸福な人々をつくりうることにある」(『パンセ』津田穰訳、世界文学社)
 幸福な人々を、たくさんつくる。それが創価学会である。それがわれらの戦いであり、われらの喜びである。
3  迫害こそ仏法者の誉れ、英雄の証明
 ここで、日蓮大聖人の御書を拝したい。
 「釈尊の在世でさえ、なお法華経には怨嫉が多かった。まして像法・末法において、また(日本のような)遠く離れた国においては、なおさらのことである。山に山を重ね、波に波をたたむように、難に難を加え、非に非を増すであろう」(202㌻、通解)
 有名な「開目抄」の一節である。
 釈尊も、仏法のゆえに妬まれ、数々の難にあわれた。
 中国の南京で法華経を講説した天台大師も、南三北七の諸宗――つまり、中国の仏教界から批判され、迫害された。
 そして、大聖人の御一生も、「山に山をかさね波に波をたたみ難に難を加へ非に非をます」という、大難の連続であられたのである。広宣流布の道程においては、難があって当たり前である。難がなければ、日蓮大聖人の仰せのとおりの仏法ではなくなってしまう。
 広宣流布のために戦っているからこそ、難を受ける。これが日蓮仏法の法則といっていい。
 牧口初代会長も、戸田第二代会長も、そのことを徹して弟子たちに教えられた。ここに、日蓮仏法の″急所″があることを知っておられたのである。
4  ″創価の父″である牧口先生も、平和と正義の行動ゆえに、幾多の難を受けられた。
 (戦時中、牧口先生は戸田先生とともに、軍部権力に反対して神札を受けることを拒否し、治安維持法違反および不敬罪で逮捕。投獄された。牧口先生は、一年四カ月に及ぶ獄中闘争の末に獄死。戸田先生は、逮捕から約二年後、敗戦間近の一九四五年〈昭和二十年〉七月二日に出獄した)
 牧口先生は、あの過酷な牢獄にあっても、悠然と「災難と云ふても、大聖人様の九牛の一毛(=比較できないほどわずかであること)です」(「獄中書簡」、『牧口常三郎全集』10所収、第三文明社)と言われた。本当にぽでな先生であられた。
 古今東西の英雄も皆、難を受けてきた。権力から難を受けていない英雄など一人もいない。
 大聖人は「賢人、聖人は、罵詈して試みるものである」(御書958㌻、通解)と仰せである。
 難を受けたときこそ、その人物の真実の偉大さがわかる。
 世間から、悪口を言われ、非難されて、それでも耐えぬいて、勝ってこそ英雄である。
 要領よく難を避け、戦っている格好をしているだけでは、英雄とはいえない。指導者とはいえない。ただ上手に泳いでいるにすぎない。
 ひとたび、大聖人の仏法を持ったならば、要領の小才子にだけは、絶対になってはいけない。
 また、虚栄の権力者などに、崇高な使命に生きゆく人生の真髄が、わかるはずがないのである。
 「嘘つき」は「敗北者」の異名である。
 「真実」は「勝利」の実体である。
 民衆のため、青年のため、正義のために、一身に難を受け、悪口を言われ、迫害されながら、勇敢に戦いぬいている人こそが、正真正銘の仏法者であり、賢者であり、勇者である――私は、声を大にして、こう宣言したい。
5  世界へ「道」は開いた! あとは青年に託す
 いよいよ、新しい青年の世紀が到来した。
 二十世紀は、私たちが青年部として、創価学会を大発展させた。広宣流布を大きく拡大して、学会を世界的にした。
 しかし、当時の青年部の多くは七十代になった。だからこそ、現在の青年部に託したい。
 青年部が今、戦うのは当然として、さらに「五十年先」をめざし、いちだんと見事な世界広布の拡大を勇んで進めていっていただきたいのである。
 「道」は開いてきた。あとは、諸君が進むかどうかだ。世界を大舞台として、大いなる歴史をつくってもらいたい。
 世界の青年部も、「聖教新聞」に連日、報道されているとおり、大きく成長し、各国、各大陸で中核の人材と育っている。もう何十年も前から私は、世界広布を展望し、見えないところで、一つ一つ、手を打ってきた。すべては、理想どおりに進んでいる。
 今や、一切の学会の責任を、実質的に青年部の諸君に託していく段階に入ったことは、間違いない。
 青年部の諸君、頼むよ!
6  当然、壮年部、婦人部の先輩方に、人生の上でも、信心の上でも、経験の上でも、いろいろとお世話になってきた恩を忘れてはならない。いい気になって、威張ってはならない。
 その上で、青年部は、各方面の最高協議会などにも主体的に参加し、広宣流布の中核になっていってもらいたい。
 時代は大きく動いている。新世紀は若い人の声が大事だ。どんどん現場の若い人たちの声を反映していくことが、もっとも価値のあるいき方である。そこに連続勝利の歴史ができあがる。
 とくに清き繊細な神経と清純な正義の心の強い女子部の意見を大事にしていくべきであると強く申し上げておきたい。ここにこそ、学会の永遠性が構築されていくからである。
7  後世のために、信心の基本を確認
 ともあれ、大事な本部幹部会でもあり、後世のためにも、信心の基本について何点か語り残しておきたい。
 どこまでも、学会の組織について信心していくべきである。
 現実に、広宣流布に向かって団結し、異体同心で進んでいる団体は、創価学会しかないからだ。
 一人でやるほうが、気楽でいいと思う人もいるかもしれない。しかし、一人では、わがままな信心になる。勝手気ままな行動になる。こわいことだ。
 人間は、人間の大海のなかでこそ磨かれる。先輩がいて、同僚がいて、後輩がいて、そういうなかで揉まれてこそ、自分をつくることができる。
 信心の世界も同じである。組織につかない、わがままな信心は、結局、自分の幸福の道を閉ざしてしまう。だから、和合僧の組織が大事なのである。
8  信心の世界においては、絶対に、学歴とか肩書とか社会的地位などで差があってはいけない。
 日蓮仏法の目的は、広宣流布である。どこまでも、大聖人の御遺命のとおりに進んでいくべきだ。
 ゆえに、学歴がある人が偉いのでもない。社会的地位が高い人が偉いのでもない。信心のある人が、いちばん偉いのである。
 学歴も、肩書も、地位も、幸福になるための手段にすぎない。大事なのは信心である。
 大聖人の門下の三位房は、秀才と謳われた人物であった。しかし、京都に遊学して、貴族社会に出入りするようになると、すっかり慢心を起こした。大聖人から厳しく叱責を受けたが、結局は、退転していった。
 この事実は、門下への厳しい戒めとして、大聖人が、御書で強く訴えられていることである。
 現代にあっても、政治家になったとか、有名校を出たからといって、有頂天になり、信心を忘れ、最後は退転し、反逆していった不知恩の者がいた。
 要するに、社会的地位が高いとか、学歴があるからといって、その人やその家族を特別視する必要はまったくない。一生涯、信心を貫き通した人が、人間として、勝者であり、王者なのである。
 今日の創価学会を築いてきたのは、無冠の庶民である。無名無冠の庶民が折伏して、ここまでの創価学会をつくってきた。学会は「庶民の王国」である。
 ゆえに学会は、どこまでも庶民を中心にし、庶民を大切にし、庶民に尽くしていけ―――それが牧口先生、戸田先生のお心であった。
 また、戸田先生は「同志を裏切り、組織を利用し、反逆した者は、絶対に学会の中に入れてはいけない。追放しろ」と厳しく遺言された。
 この戸田先生の「指導学」を、青年に明快に語っておきたい。
 増上慢の者、傲慢の者、恩知らずの者は、学会には必要ない。また、「威張ってばかりいて、会員に迷惑をかける幹部」「青年を大事にしない幹部」「人間性を欠いた礼儀を知らない幹部」は、青年部が厳しく監視し、糾弾していってもらいたい。
9  大聖人は「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」と
 現代は「言論の自由」を「言論の勝手」と、はきちがえた時代である。だからこそ、青年は、粘り強く反論していく力と勇気を持たねばならない。
 野蛮な心を持った低俗な連中に、よく思われる必要などまったくない。
 大聖人は「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」と仰せだ。
 また戸田先生も「愚人にほむらるるは、智者の恥辱なり。大聖にほむらるるは、一生の名誉なり」(「青年訓」、『戸田城聖全集』1所収)と言われたとおりだ。
 正義を叫びきってこそ青年である。どんな権力も、青年の力には、かなわない。民衆の声には、かなわないのだ。
10  学会内での金銭貸借は、いかなる幹部であっても絶対にしてはならない。
 金銭の問題は、自分も、相手も、そして学会の組織も、めちゃくちゃにしてしまうからだ。
 重ねて申し上げるが、いちばん大切なのは、お金でもなければ、名声でも、肩書でもない。心である。「心こそ大切なれ」である。
 大聖人は、信心こそ「最高の財産」であると教えておられる。ここに、人生の究極の生き方がある。
 きょうは、シンガポール、マレーシア、台湾、韓国をはじめ海外のSGIの皆さんも、遠くから、本当にようこそ、お越しくださいました!拍手)
 リオデジャネイロは、ブラジルのかつての首都である。この文化の都リオデジャネイロ市から、光栄にも私は、「名誉市民」の称号をお受けすることになった(拍手)。その式典が、きょう「七月三日」に現地で行われる。
 リオデジャネイロは、深き歴史と伝統を誇る都市であり、その名誉市民は、格別に厳正な審議を経て決定されると、うかがっている。
 私は、愛するブラジルをはじめ、世界の誉れの全同志を代表して、謹んで拝受させていただきたい。(拍手)
11  SGIは良き市民、良き国民として模範の社会貢献を
 リオの同志は、″ブラジルの関西″の気概で前進してこられた。そのリオデジャネイロからの栄誉を「大阪事件」の記念日に授与していただく意義は、まことに深く、大きい。
 (「大阪事件」とは、池田名誉会長が一九五七年〈昭和三十二年〉七月二日、無実の選挙違反容疑で逮捕・勾留された冤罪事件。四年六カ月後の一九六二年〈昭和三十七年〉一月二十五日、無罪判決)
 世界各都市からの栄誉はすべて、わが友が、良き市民、良き国民として、模範の社会貢献をされ、誠実なる行動を積み重ねてくださったお陰であると感謝している。
 こうした顕彰は、SGIが世界で、大きな信頼と友情を勝ち得ている象徴ともいえよう。
 「信心即生活」であり、「仏法即社会」である。日ごろの地道な振る舞いと行動が重要である。ただ祈ってさえいればよいというのは、真の信仰者の姿勢ではない。
 仏法は「因果の理法」である。「最高の勉強」と「最高の努力」と「最高の戦い」の上に、題目の功徳が輝きわたる。また、真剣な祈りが、その原動力となるのである。
12  正義を叫べ、大砲より強く
 さて、このリオを中心として、不滅の歴史を刻んだ若き知性の一人に、十九世紀、奴隷解放を叫んだ勇気の大詩人アルベスがいる(カストロ。アルベス〈一八四七年〜七一年〉)
 アルベスは、″ブラジルのユゴー″と呼ばれる、有名な詩人である。青春の生命を完全燃焼させて、虐げられた人々のために戦いぬいた。
 私も、リオデジャネイロにある「ブラジル文学アカデミー」の在外会員就任の記念講演を、この青年詩人の詩で結んだことが懐かしい。
 (一九九三年二月、名誉会長はアジア人として初めて、南米最高の知性の殿堂と言われる同アカデミーの在外会員に就任。主な在外会員は、口シアの文豪トルストイ、フランスのゾラ、マルローなど)
 アルベスは牧口先生が生誕された一八七一年の七月六日、二十四歳の若さで、結核のため逝去した。その年、遺言のごとく彼は、自由と正義を訴える詩を謳い残した。
 私は、この詩の一節を、青年部の諸君に贈りたい。
 「新しき世界の青年たちよ 雄叫びをあげよう!/恐ろしき大砲の爆音をも圧倒する雄叫びを/大海に向かって、そして永遠に向かって/前進のために、未来のために」(CANTO DA ESPERANCA 邦題「希望の詩」)
 学会青年部の精神に通ずる一節である。
 青年は、正義を叫ばねばならない。力の限り、叫びに叫ばねばならない。強く。激しく。大砲の爆音をも、圧倒する勢いで。それでこそ、青年である。創価の青年である。
 ひとたび獅子が吼えれば、百獣を圧することができる。
 リーダーは、勇気の言論で、あらゆる障害をはね返していっていただきたい。猛然たる正義の言論で戦ってこそ、前進があり、未来を開いていくことができるからだ。
13  私も青年時代、戸田先生のもと、悪質な言論に対しては、ただ一人、勇敢に戦い、正義を証明してきた。私は、戸田先生の弟子であるからだ。
 その戸田先生は、師の牧口先生とともに、軍部権力と戦い、投獄された。獄中で戸田先生は、″自分はまだ若い。牧口先生は高齢である。罪は自分一身に集まり、先生は一日も早く出られるように″と、必死に祈っておられた。これが、本物の弟子の姿である。これが、真実の創価学会の精神である。
 青年部の諸君は、この根本精神を、断じて永遠に忘れてはならない。
 日蓮大聖人は、御書にこう仰せである。
 「これからのちも、いかなることがあろうとも、少しも信心が、たゆんではならない。いよいよ強く、(仏の敵を)責めていきなさい」(1090㌻、通解)
 青年が、邪悪を圧倒する雄叫びをあげてこそ、人類の希望の前進があり、世界の平和の未来があるのだ。
14  創価の人間主義に理解と共鳴――中国から
 先日、関西の著名な大学教授の方から手紙をいただいた。中国の高校生向けの国語教材を届けてくださった。
 (日本の高校にあたる「全日制普通高級中学」のための『語文読本』。鑑賞能力を伸ばすための必修の教材。中国の多くの高校生が使っている)
 この教材は、中国教育界最大手の出版社である「人民教育出版社」から発刊されている。
 著名な学者や教育者たちが、世界の名文の中から選りすぐって編集したもので、李白、杜甫、白楽天、王維、魯迅など、中国の、そうそうたる詩人や文豪の文章が掲載されている。
 私がお会いした現代中国を代表する作家の巴金先生や、今、対談を進めているインド学・仏教学の大学者、季羨林きせんりん先生のお名前もある。
 外国の作家としては、ユゴーやホイットマン。ドイツの詩人リルケ。ロシアの詩人レールモントフ。イギリスの詩人シェリー。さらに、チャーチルやヘレン・ケラーの文章も載っている。
 その中に、光栄にも、私の文章が五ページにわたって掲載されている。タイトルは「青年」。日本人では、私と川端康成氏の二人である。(拍手)
 (これまで名誉会長が青年に贈った言葉から、二十四編が選ばれている)
 冒頭の解説文には、次のように記されている。そのまま伝えさせていただく。
 「この(名誉会長の二十四編の)文章は、すべてが二十四粒の真珠のように、思想の火花で輝いている。作者の青年に対する熱き思いに貫かれており、読めば読むほど、深い意味を学ぶことができる」
 ともあれ、大中国の未来を担う高校生たちに、私の拙い文章が、何らかの励ましとなれば、こんなうれしいことはない。
 さらに、もう一つ、光栄にも、「このたび、池田先生の思想の研究で、博士の学位を取得することができました」というご報告をいただいた。これも、中国からである。
 論文を書かれたのは、冉毅ぜんき先生。湖南師範大学の教授で日本語学科の主任。同大学の「池田大作研究所」の副所長をされている。北京大学出身の気鋭の学者である。
 博士論文のタイトルは「『人間革命』――池田大作の人間学思想の構築」。次のような視点から光を当てて論じておられる。
 「池田の信仰の道と人間学思想の発展の軌跡」「色心不二の生命哲学」「生死不二の人生観」「善悪不二の人間論」「価値創造の幸福論」「新人道主義論」「中道政治論」「人と自然――依正不二」。そして「立正と安国――池田の人間学の倫理の特徴」である。
 冉毅先生は、論文の一つの結論として、こう述べておられる。
 わが師である戸田先生、牧口先生の思想への評価として、ありのままに、ご紹介させていただく。
 「仏教思想家である池田大作は、信仰に対する変わりつつある現代人の精神的危機感を癒すために、現代社会の発展にしたがい、また文化交流と教育実践の方法を通じて、伝統宗教の実験的な改革を成功裏に実現した」
 「池田思想は、二十世紀晩期の世界史の発展の流れのなかで、他の思想家たちと結びあい、世界の発展にプラスの影響をあたえた」
 この論文は、博士号を審査する学者からも、「中国、おそらく世界でも初めての、池田大作の人間学思想を研究する論文として、非常に学術的かつ開拓的な意義がある論文である」と、たいへんに高い評価を受けたようである。
 また、″池田思想は、中国の精神文明の建設を考える上でも、深く知る価値がある″という声もあったという。
 これらの論評は、私自身というよりも、仏法の人間主義への理解と共鳴として、たいへんに意義深いものである。
15  青年よ、広布の一切を担い立て
 きょうは東北総会である。「完全勝利の前進」の東北、おめでとう!(拍手)
 東北は戦った。忍耐強く戦い、勝った。勇敢に、三類の強敵を打ち倒した。堂々たる栄光の歴史を飾った。私は本当にうれしい。私は東北の友を信頼する。
 宮城、秋田、山形、福島、岩手、そして青森の皆さん! いよいよ、新たな大東北の「黄金の新世紀」「黄金の新時代」が絢爛と開かれたと宣言したい!
 さらに、「史上最高の拡大」の千葉総会、おめでとう! 千葉も、よくぞ未曾有の本尊流布を成し遂げた。すばらしい!(拍手)
 目を見張る「聖教新聞」の拡大。輝く金字塔をつくった。
 大聖人御聖誕の天地に、新しい広宣流布の「躍進の太陽」が昇り始めた。大聖人も、きっと喜んでくださっているにちがいない。(拍手)
 千葉も、そして東北も、青年部が戦った。
 青年部の時代である。青年部が一切を担って立つ時である。
 若武者の男子部! 花の女子部! そして英才の学生部! 本当にご苦労さま!
 全国の同志の偉大なるご健闘を心から念願して、スピーチを終わりたい。ありがとう!
 (東京牧口記念会館)

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