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日蓮大聖人・池田大作

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第十七回本部幹部会、第七回常勝関西青年… 「私は勝った」と偉大な歴史を

2002.5.31 スピーチ(2001.8〜)(池田大作全集第93巻)

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1  世界的発展の姿こそ偉大な団体の証明
 きょうは、アメリカの著名な実業家・社会活動家であるブラスナー博士ご夫妻も出席されている。博士は、詩人ホイットマンの像などを寄贈してくださっている。世界の識者との交友も幅広い。サン・リー夫人は、韓国のご出身。李王朝時代の名門の家系である。
 ブラスナー博士は、創価学会について、「世界的に発展している姿そのものが、いかに偉大な団体であるかを物語っていると思います」と評価してくださっている。
 深いご理解に感謝申し上げたい。
 (博士は、「私に真の感動をあたえてくれたのは池田先生です。先生は、本当に平和のために行動されている。先生の対話は、他の指導者と次元が違う」と述べている。また夫人は「池田先生の人間主義の哲学を実行していけば、人類の夢であり希望である『平和』は必ず訪れると確信します」と語っている)
 韓国SGIの友人の皆さま、ようこそ!(拍手)
 ″韓国のガンジー″と讃えられる独立運動の父・安昌浩アン・チャンホ先生は語った。
 「力を求めようとするならば、その力は、どこで求めることができるでしょうか。力は健全な人格と、固い団結から出てくることを私は確信しています」
 一人一人が、人間として輝いていくことだ。団結することだ。そこに大いなる前進の力は生まれる。
2  ホイットマン「臆する人は役に立たない」
 さて、一八一九年のきょう、五月二十一日に生まれた世界的な人物は、だれであったか?
 (会場の関西青年部の友が「ホイットマンです!」と)
 そのホイットマンの詩集『草の葉』に「臆する人は役に立たない」(初版の序、夜久正雄訳、『ウォルト・ホイットマン』所収、研究社出版)とあった。
 臆病では人生の勝利者になれない。人からも信用されない。仏法は「臆病であってはならない」と教えている。
 またホイットマンは、別のところで、「やると決めたら一刻も猶予はならぬ」(『ホイットマン自選日記』杉本喬訳、岩波文庫)と記している。
 やると決めたら、すぐにやれ!――「決断」即「行動」のスピードが、偉大な仕事を成し遂げるカギである。
 さらに、ロシアの文豪トルストイは書き残している。
 「善なるものは、すべて、努力によってのみ獲得される」(『一日一章人生読本』原久一郎訳、社会思想社)
 悪事はたやすい。善は、努力して、はじめて勝ち取れる。
 創価学会は、人々を救い、広宣流布を進めゆく「善の団体」である。その発展は、皆さまの真剣なる努力の賜である。
3  これまで、幹部でありながら、退転していった人間の共通点は何か。
 大阪の方が、重要な示唆に富んだ報告をしてくださった。後世のために紹介させていただく。
 まず、「学会の組織で戦わない」。
 学会は、ただ一つの広宣流布の団体である。学会を離れて、真実の仏道修行はない。学会の組織の中で、自身を磨き、鍛えていくことである。
 次に「見栄や虚栄に流される」。
 社会的地位や学歴を鼻にかけて傲慢になり、同志を見くだす。指導を素直に聞かない。また、同志の活躍を妬んで、誹謗する――こういう人間は皆、最後は必ず、惨めな人生となっている。
 広宣流布の人生こそ、無上の人生なのである。
 さらに、「幹部でありながら、自分の子どもに信心を教えない」。
 信心は、人生を幸福に生きるための最極の宝である。最高の贈り物である。それを子どもに教えないのは無慈悲である。
 わが子を、立派な広布の人材に育てることだ。学会のため、広布のために尽くす生き方を教えることだ。そこに真の一家の和楽と繁栄がある。
4  折伏に励む人の功徳は無量無辺
 今、社会全体が停滞気味である。そのなかにあって、創価学会は、意気軒高に躍動し、前進している。
 私も、お会いした多くの方々から、「学会がしっかりしていれば安心である」「学会の皆さんは明るくて、生き生きとしている」との期待と賞讃の言葉を頂戴している。また、全国各地から、私のもとに「折伏の喜びの報告」が数多く寄せられている。これほど、うれしく、尊い知らせはない。
 本当にすばらしいことである。皆さん、ありがとう!(拍手)
 折伏こそ、日蓮大聖人の仏法における「根本の実践」である。
 法華経の真髄も、折伏である。それは、天台大師が、「法華折伏・破権門理」――法華は折伏にして、権門の理を破す――と述べているとおりである。
 相手を思う慈愛の心で、また「法の正邪」の上から、堂々と正義を語る。それが折伏である。
 正義ゆえに強い。また、強くなければ、正義とは言えない。悪を見ておいて、戦えないような臆病者は、絶対に正義ではない。善ではないのである。
 折伏をしている人の功徳は、無量無辺である。法華経に明快に説かれている。
 それについて、大聖人は、次のように仰せである。
 「(三類の強敵という大難に)耐えて、妙法を弘める人を釈迦仏は必ずや(慈悲の)衣で覆い守ってくださるであろう。諸天は必ず、その人に供養するであろう。また肩にかけ、背中に負って守るであろう。その人こそ、大善根の人である。一切衆生のためには大導師なのである」(御書1359㌻、通解)
 大聖人と「同じ心」で折伏をする人は、一国の指導者よりも、はるかに偉大である。人々を正しく導く真実の指導者であるとの仰せである。
 また、折伏をする人は、真の意味で現世は安穏となり、未来には、生々世々、最高の善き場所に生まれてくると、大聖人は御約束である。
 (「法華経を弘むるを以て現世安穏・後生善処と申すなり」」)
5  学会の同志を悪く言う者には仏罰が
 反対に、妙法を弘めゆく、もっとも尊き皆さま方を、いじめたり、侮辱すれば、どうなるか。
 大聖人は、経文に即して、こう認めておられる。
 「教主釈尊が記して言うには、『末法の悪世に法華経を弘通する人を悪口罵詈等する者は、仏を一劫という長い間、あだむ者の罪よりも百千万億倍以上の罪を得る』と、説いておられるのである」(御書265㌻、通解)
 「末法の悪世に法華経を弘通する人」――それは、別しては、日蓮大聖人であられる。総じては、大聖人直結の学会員である。皆さま方は、自信を持つべきである。
 そしてまた、この仏意仏勅の学会の同志を悪く言う者たちが、どれほど大きな仏罰を受けることか。それは、法華経に照らし、御聖訓に照らして、明らかなのである。
6  御書には、(妙法を)たとえ一言でも人に語っていく人は、仏の使いである」(御書1448㌻、通解)とある。
 戸田先生も、「折伏する人は大聖人のお使いである」と最大に敬っておられた。
 折伏に励む人を「大聖人のお使い」として、最大に尊敬し、讃えていく――それが学会である。
 また戸田先生は、「折伏の功徳」について、こう語っておられた。
 「その生命には大聖人の生命が脈々とうってきて、いいしれない偉大な生命力が涌出するとともに、いうことのできない歓喜が身内にみなぎり、生きる喜びにうちふるえるのである」(「折伏論」、『戸田城聖全集』3所収)
 思えば、折伏の闘士であられた戸田先生ご自身が、いつも、この「いうことのできない歓喜」を体中にみなぎらせておられた。
 戦時中、正義の信仰を貫いて逮捕された戸田先生は、獄中で唱題を重ねながら、法華経を繰り返し、繰り返し、読み、法華経の説かんとするところを思索されていた。
 その果てに、豁然と「仏とは生命なり」と覚知された。そして「我、地涌の菩薩なり」と悟られ、喜びにうちふるえながら、滂沱の涙を流されたのであった。
 戸田先生は、私に、「あれが、仏法に命を捧げた功徳である。人生の究極の喜びであった」と厳粛に語ってくださった。
7  戸田先生は、「折伏したときに、相手が聞く聞かないは、別問題だ」とも言われていた。そして、会合に誘ったり、仏法の話をすること自体が、すでに莫大な功徳を積んでいることになるのだと、教えてくださった。
 だれ人たりとも、妙法に縁していく以外に、永遠の幸福の道を開くことはできない。だからこそ、何よりもまず、「語る」ことが大事なのである。
 戦後まもない一九四六年(昭和二十一年)、戸田先生は、こう叫ばれた。
 「私どもは、相手の、きらい、すきにかかわらず、この妙法を受持させて、無限に湧きくる幸福
 を、世界万民におくろうではありませんか」(「折伏の功徳」、戸田城聖全集』1所収)――戸田先生の有名な言葉である。
 このあふれんばかりの折伏精神こそが、創価学会の魂である。
 また、折伏は「勇気」である。
 当然、「慈悲」は大切だが、凡夫であるから、なかなか、慈悲は出ないものである。ゆえに勇気である。勇気が慈悲に通じる。唱題で勇気を奮い起こしていくのである。
 勇気を引き出す源泉こそ、信心の力であり、仏法の力である。
 勇気は勝利! 臆病は敗北! 結局、人生とは、そのどちらかでしかない。
8  どこまでも勇猛精進の前進を
 ともあれ、折伏が止まれば、学会の前進はない。広宣流布は、後退してしまう。「進まざるは退転」であるからだ。
 「勇猛精進」の信心こそ、創価学会の伝統精神である。
 日寛上人は、「勇猛精進」について、「依義判文抄」の中で、釈を引いて、大要、次のように述べておられる。
 「勇」とは、「勇んで行動すること」。
 すなわち、状況がどうであろうが、「さあ頑張ろう!」「さあ前進しよう!」と勇んで立ち向かっていくことだ。
 「猛」とは、「智慧の限りを尽くすこと」。
 「どうすれば、あの人を納得させられるのか」「どうすれば、あの人を救っていけるのか」――そう祈りに祈り、最高の智慧を発揮していくのが「猛」である。
 「精」とは、「一点の混じり気もないこと」。
 「精米」(米から皮や胚などを取り除くこと)の「精」である。私たちの実践にあてはめれば、心に一点の曇りもなく、「よし、題目を唱えよう!」「よし、仏法対話をしよう!」と、まっすぐに幸福の大道を進んでいる姿ともいえるであろうか。
 最後に「進」とは、「間断なく前進すること」。
 「たえまなく」――簡単なようで、これがいちばんむずかしい。ここに大聖人の仏法の実践がある。
 牧口先生は、ある青年に言われた。
 「勇猛精進し給え! 仏法は実行だよ。精進だよ。老齢にはなったが、私も実践しています」
 どこまでも、偉大な先生であられた。強い先生であられた。
 第一にも「勇猛精進」である。
 第二にも「勇猛精進」である。
 この六月、私たちは、ともに生き生きと、若々しく、そして、はつらつと、大きく打って出てまいりたい。
 希望をもって、また、徹して強気で、ある場合には、「あの支部に負けてなるものか!」「あの県に負けてなるものか!」――そういう心の「張り」も大事であろう。おたがいに切磋琢磨しながら、楽しく、にぎやかに、進んでいただきたい。
 ともあれ、「大きく祈って」「大きく努力して」、全員が、「私は勝った!」と心から叫べるような「偉大な歴史」を築いてまいりましょう!(拍手)
9  世界の教育界に「希望の新風」
 きょうは、韓国からも、三十人の代表の方々が研修のために来日されている。
 韓国SGIは、今も、すばらしい大発展を続けている。社会からも、最大に感謝され、賞讃されている。仏法を基調にした平和・文化・教育の運動を立派に進めておられる。
 このほど、韓国SGIでは、幼稚園を設立することが決定し、設立推進委員会が発足した。その名も、「幸福幼稚園」である。おめでとう!(拍手)
 教育は未来を育む聖業である。成功を心から祈りたい。
 また、おかげさまで、アメリカ創価大学も世界の教育界に「希望の新風」を送っている。
 現在、私が対談を進めている未来学者のヘンダーソン博士も、アメリカ創価大学のロサンゼルス・キャンパスを訪問し、深い共感の声を寄せてくださった。
 (ヘンダーソン博士は二〇〇〇年十二月、アメリカ創価大学大学院の第六回卒業式に出席し、記念講演を行っている)
 博士は、こう語っている。
 「私が深く感動したのは、教員が、学生に対して、最大の尊敬をもって接していたことです。これこそ、私が、教育において、いちばん欲していたものなのです。
 アメリカ創価大学がめざす″世界市民″の教育、″平和主義者″を育成する教育ほど、今の世界に要請されるものはないでしょう」
 アメリカの鋭き知性の女性の言葉である。
 教員が学生を尊敬し、最大に励ましていく――これを実行する大学が伸びていく。
 「教育革命」は「教員革命」から始まる。
 ″教師が良くならなければ、学生は良くならない。学生が良くならなければ、未来の指導者は育たない。ゆえに立派な教師へと革命せよ″――これが、よりよき世界を築く大道である。
10  この世界市民を育む殿堂――アメリカ創価大学のオレンジ郡キャンパスに、創価の同志を讃える記念植樹をすることが決まったことをお伝えしたい。(拍手)
 「木を植える」ことは「命を植える」ことである。大学に植樹をすることは、皆さま方の人生が、そしてご一家や眷属が、「最高の知性」と「栄光の実り」につつまれゆく象徴である。
 きょうの本部幹部会を記念して、全国四十七の「都道府県の木」を、よき日を選んで植樹させていただきたい。(拍手)
 戸田先生は、よく語っておられた。
 「学校に行けなかった方々を、最大に幸福にしていくのが、創価学会である」
 学歴がどうとか、どこの学校を出たとか、そんなことは、信仰の世界とは関係ない。大事なのは、正しき信仰に生きぬくことだ。学会活動を貫くことだ。大学に行くのも、目的は幸福である。社会でいい立場になるのも、幸福の手段にすぎない。それに対して、信心は幸福の直道である。幸福に直結している。人間を幸福にするのが、創価学会の使命なのである。
 宇宙大の仏法から見れば、どの学校に行ったとか、行かないとかは、あまりにも小さな問題である。妙法という最高の因果の法則を知り、自由自在に生きゆく「永遠不滅の大学校」に学んでいることを誇りにしていただきたい。
11  庶民の都・関西よ、強くあれ
 関西青年部、大勝利の総会、おめでとう!(拍手)
 関西男子部は、全面的に戦った。すべてに勝った。立派である!
 関西女子部も、すがすがしい勝利の拡大、おめでとう!
 関西学生部も対話の大波を起こした。大勝利、ご苦労さま!
 日本一、いな、世界一の若き五十万の常勝の陣列――関西青年部を、私は心から賞讃申し上げたい。
 関西は強い! 正義だから強い。関西は、これからも強く、どこまでも強くあらねばならない。私とともに!
 「関西が強い」ということが、全日本、そして全世界の「広宣流布の牽引力」である証明なのである。
 私は、世界的な経済学者のレスター・サロー博士と、愛する関西の未来を展望して語りあった。(一九九九年十月)
 二十一世紀の関西――それは、日本でもっとも魅力的な「人材の結集地」となるにちがいない。
 関西には、「人間味あふれる知恵」と「新鮮な活力」がある。新しい時代の大発展の突破口を、断じて開こうという「熱情」がある。創造力とチヤンスに満ちた、永遠の「庶民の都」なのである。
12  新しき広布の歴史は、関西から始まる。いよいよ、「大関西の世紀」が始まった! そう私は宣言したい。
 関西青年部の皆さんが「常勝の大関西」を築いていただきたい! 私と心ひとつに!
 関西と聞けば、懐かしい草創の友の顔が、たくさん浮かんでくる。先日も、そうした関西の同志のことを、妻と語りあった。追善もさせていただいている。広布功労の同志のお名前を永遠に顕彰し、燦然と歴史に残したい――それが私の真情である。
 皆、「共戦の道」を、ともに歩んだ、かけがえのない友人である。忘れることはできない。
 私の心には、いつも関西の同志がいる。私と関西の皆さんは、つねに御書を拝しながら、「法華経の兵法」で、すべてに勝ち、あらゆる難を越えてきたのである。
13  迫害の構図は御書に明快
 日蓮大聖人は四条金吾に、こう仰せである。
 「釈尊が言われるには、『わが滅後、末法に入って、尊げな市型をして五法という戒律を行ずる提婆達多のような者が国土に充満して、悪王を味方にして、正法を弘めるただ一人の智者を、あるいはののしり、あるいは打ち、あるいは流罪にし、あるいは死にいたらせようとする。この時、昔にも増してより以上の、天変、地夭、大風、飢饉、疫病が年々に起こり、他国からその国を攻めるであろう』と説かれている」「この経文の示すところは、今の世と少しも違わない。そして日蓮は『ただ一人の智者』の一分に当たっている」(御書1149㌻、通解)
 有名な御文である。謀略者と権力者という悪の結託――大聖人に対する迫害の構図が、明快に説き明かされている。
 そして、この大聖人に直結して、御聖訓どおりの難を一身に受けきりながら、同志を守り、学会を守りぬいて、広宣流布の道を開いてきたのが、学会の初代会長、第二代会長であり、第三代の私である。そのことを、後世のために、あえて明確に語り残しておきたい。
14  勇気の心で師弟共戦の歴史を
 大聖人は続けて、こう仰せである。
 「この日蓮を助けようと志す人々は少々いるけれども、あるいは志が薄い。あるいは志が厚くても、身がそれに伴わない。さまざまな人がおられるなかに、あなた(四条金吾)は、その一分に当たっている。日蓮を助けようという志が人よりすぐれておられるうえ、日蓮がわずかの身命をここまで支えることができたのも、あなたのおかげである。このことは、天も必ず知っておられるし、地もご存じであろう」(御書1149㌻、通解)
 この御文を拝し、私は、日夜、身命を惜しまず広布に邁進されている皆さまを、大聖人が讃えておられることは間違いないと信ずる。皆さまの活躍は、天も知り、地も知っている。この確信と誇りを忘れないでいただきたい。
 大聖人が仰せの「志」とは、「勇気」とも言えよう。
 いざというときに、どのような「勇気」で、どのような「心」で、どのように師弟の「共戦」の歴史を刻むか。これが、人生の究極の勝敗を決していく。ここに、大聖人の仏法の根幹がある。
 そして、関西創価学会は、永遠に、その模範のなかの模範であっていただきたい!
 関西は、創価学会の心臓部である。関西は、私が鍛え、築いた組織であるからだ。
15  大聖人は、こうも仰せである。
 「いかなる大善をつくり、法華経を千万部も読み、書写し、一念三千の観念観法の悟りを得た人であっても、法華経の敵を責めなければ、それだけで成仏はないのである。
 たとえば、朝廷に仕える人が、十年、二十年と奉公しても、主君の敵を知りながら、主君に報告もせず、個人としても敵として怒ることがなければ、長年の奉公の功績も、みな消えてしまい、かえって罪に問われるようなものである」(御書1194㌻、通解)
 まことに峻厳な御言葉である。広布を阻む敵を見ながら、それと戦えない。戦わない――こういう人間は、いくら仏法を知っていても、成仏はできない。どんな高い立場があっても、砂上の楼閣である。
 私は、この御聖訓を胸に刻み、ただ一人、迫害の矢面に立って、正義を叫びぬいてきた。悪と戦ってきた。
 悪は、放っておけば、いつしかはびこり、多くの人を不幸にする。それで苦しむのは、未来の世代である。
 どうか皆さんは、悪を放置せず、勇気をもって、徹して戦っていただきたい。
16  アフリカにも人間主義の大哲学
 きょうは、「二十一世紀の大陸」アフリカのコートジボワール共和国からも、理事長はじめ十人のそうそうたる広宣流布のリーダーが参加されている。はるばる、お越しくださり、ありがとう!(拍手)
 貴国は、西アフリカの湾岸に位置する、美しき「寛容の国」として世界的に知られている。一九六〇年(昭和三十五年)の独立後、めざましい発展を成し遂げられた。SGIメンバーも、アフリカでもっとも多い。
 ″アフリカの賢者″と尊敬された建国の父ウフェ・ボワニ初代大統領は、こう宣言している。
 「平和、それはことばではなく実践である」(「世界週報」一九八四年四月十日号、時事通信社)
 仏法も実践である。
 わがSGIの偉大な友は、仏法の人間主義の大哲学を掲げながら、アフリカの平和と発展のために、大いなる社会貢献の実践を貫いてこられた。大いなる広宣流一仰の道を開いてこられた。私は心から讃嘆申し上げたい。
 二十一世紀は「アフリカの世紀」――かねてから私は、そう申し上げてきた。すばらしい前進である。
 六月十日の「婦人部の日」、おめでとう!(拍手)
 広宣流布の拡大は、正義の女性の戦いによって決まる――これが、牧口先生、戸田先生の期待であられた。日蓮大聖人も女性の信徒を最大に大切にしておられた。
 世界一の婦人部の皆さん、幸福と勝利の前進を、よろしくお願いします!
17  最後に、人生の知恵の言葉を紹介したい。
 トルストイはつづる。
 「真の幸福は常に諸君の手中にある。それは物の影のごとく、善なる生活に附随する」(前掲『一日一章人生読本』)
 幸福は、どこかにあるものではない。自分の心の中にあるものだ。どこからか、やって来るものでもない。自分で築くものである。この言葉を、よくよくかみしめて、思索していただきたい。
 次はキング博士。
 「信仰の浄化力を伴わない理性は決して、歪曲と理屈づけから逃れることはできないのだ」(『汝の敵を愛せよ』蓮見博昭訳、新教出版社)
 理性だけでは行き詰まる。信仰がなければ、本当の幸福はつかめない。
 さらに″中国人民の母″鄧穎超とうえいちょう女史――周恩来総理の夫人である。困難を極めた長征のさい、女史は決意する。
 「今最も大事なのは、精神的に負けないことだ、勇気を奮い起こすことだ、みんなを励まして、団結を固めることだ」(西園寺一晃『鄧穎超 妻として同志として』潮出版社)
 戦いの要諦は、心が負けないことだ。われわれで言えば、信心である。信心が負けなければ、何でもできる。そして勇気と団結――これがあるところは強い。無敵である。
18  青年よ、力をつけよ
 先ほども紹介した韓国の安昌浩先生は、青年にこう呼びかける。
 「世の中、すべては力の産物です。力が小さければ小さいことを成就し、力が大きければ大きいことを成就し、力がまったくなければ何も成し遂げることはできない」
 青年よ、人間としての主税をつけよ!――私も、そう声を大にして訴えたい
 また韓国の有名な詩人であり、民族独立運動の闘士である韓龍雲先生はつづっている。
 「世間には誹謗も多いし 嫉みも少なくありません。/あなたに誹謗と嫉みの牙が向けられようと お気になさらぬように。/誹謗好きの連中は 太陽に黒点があることさえもっけの幸いと思うものです。/あなたには 誹謗することがないその点を誹謗するかもしれません」(『ニムの沈黙』安宇植訳、講談社)
 はじめに批判ありき――これが誹謗好きな人間である。つねに「何かないか」と狙っている。その本質はヤキモチである。揚げ句の果てには「何一つ批判すべき点がない」ことを理由に批判する――ここまでくると″嫉妬病″である。
 そんな愚人の言葉に紛動されてはならない。何と言われようが、悠然と前に進むことである。
19  韓国のメンバー、きようは、ありがとう!
 お帰りになったら、皆さんに、くれぐれもよろしくお伝えください。
 きょう(五月三十一日)は韓国で、日本と共同開催のサッカー・ワールドカップが開幕する。いよいよ韓国の時代である。歴史上、文化の大恩ある韓国を心から尊敬し、ともに力を合わせて進んでこそ、日本の正しい未来が輝く。
 きょうは懇談的に、また家族的に話をさせていただいた。長時間、ありがとう!
 関西の同志の皆さま、これからも模範の前進を、よろしく頼みます。
 全国の皆さまも、わが使命の天地の広宣流布を、しっかりとお願いします。
 皆さまの健康と幸福と勝利をお祈りして、スピーチを終わりたい。お元気で!
 (東京牧口記念会館)

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