Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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SGI特別講習会 全人類の生命よ輝け!

2002.5.4 スピーチ(2001.8〜)(池田大作全集第93巻)

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1  広布の同志を仏のごとく敬え
 敬愛するSGIのリーダーの皆さま方、海外から、はるばると来日してくださり、本当に、ご苦労さまです。きょうは、皆さまとともに、SGIの「特別講習会」を開催することができ、私は本当に、うれしい。
 有名な漢詩に「朋友には篤く信誠にす」(唐の詩人・陳子昂ちんすごう)とある。
 友人には、どこまでも誠実でありたいという意味である。
 私は、広宣流布の良き友人であり、同志である皆さま方の尊き「求道の心」を、心から讃嘆申し上げたい。また、皆さま方のご健康、ご長寿、そして各国の繁栄を、いつもいつも祈念させていただいている。(拍手)
2  日蓮大聖人が、「御義口伝」の中で、「最上第一の相伝」と明言されたことは何であったか。それは、「当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし」(「普賢品第二十八」法華経六七七㌻)との言葉であった。
 有名な法華経における釈尊の結びの一節である。法華経を受持する者を見たならば、必ず、立ち上がって、遠くまで出迎えるべきであり、まさに仏を心から敬うようにすべきである――これが大切な根本精神であると、大聖人は仰せなのである。
 広宣流布に戦っている人を仏のごとく尊敬していく。また、陰で戦っている人、苦労している人を見つけ出して、ほめ讃えていく。皆さんは、そういう名リーダーであっていただきたい。
 こうした幹部がいるところは、会員も幸福である。また、その組織はいくらでも発展していく。
3  アフリカの各国の皆さんも、遠いところ本当に、ようこそ、お越しくださった。
 「二十一世紀は『アフリカの世紀』である」――もう四十年も前から、私はこう申し上げてきた。その信念は、今もまったく変わらない。
 私は、アフリカには人類の原点があると思っている。
 人類の起源は、アフリカとされる。アフリカは、文化や芸術の一つの誕生の地でもある。
 そして、人類史において、アフリカほど困難な歴史を乗り越えてきたところはない。
 今こそ、全人類がアフリカを尊敬し、アフリカの豊かな精神性に学んでいくべきであると、私は訴えたい。
 今、この「二十一世紀の大陸」にも、太陽の仏法は燦然と輝き始めた。尊き地涌の菩薩の同志が陸続と誕生している。
 アフリカ広布のリーダーである皆さまは、その先駆の方々である。皆さまの使命は、あまりに大きい。
 大聖人は仰せである。
 「白馬がいななくのは、われらが唱える南無妙法蓮華経の声である。この唱題の声を聞かれた梵天、帝釈、日月、四天等が、どうして、色つやを増し、輝きを強くされないはずがあろうか。どうして、われらを守護されないはずがあろうかと、強く強く思われるがよい」(御書1065㌻、通解)
 皆さまのお題目が、諸天善神を動かし、皆さま方を、そして、皆さまの国±・社会を守り、栄えさせていくことは間違いない。
 「アフリカに、勝利あれ! 栄光あれ! 団結あれ!」――それが私の変わらぬ祈りである。
4  ガンジー「魂の力こそいちばん大切」
 人間の魂の力ほど偉大なものはない。
 ガンジーは言う。
 「人びとの魂の力こそ、いついかなる時でもいちばん大切なものである」(『わたしの非暴力』1、森本達雄訳、みすず書房)
 また、生命ほど尊い宝はない。
 アメリカの詩人ホイットマンは謳う。
 「ぼくらは誰もかけがえのない者ばかり、/ぼくらは誰も限りない者ばかり、――誰もが地上で生きる彼や彼女の権利を持ち、/ぼくらは誰も地球がめざす永遠の意図を生きることを許され、/ぼくらは誰も地上のどんなものにも劣らず神聖なものとして地上にあり」(『草の葉』酒本雅之訳、岩波文庫)
 万人が「偉大なる魂」をもっている。かけがえのない「生命」をもっている。
 この最高に尊い自分自身を開花させるのが、仏法なのである。
5  人権の闘士キング博士は訴える。
 「われわれは自分の人間的価値を断固として主張する大胆さを持たなければならない」(ジェイムス・H・コーン『夢か悪夢か・キング牧師とマルコムX』梶原寿訳、日本基督教団出版局)
 タイの思想家ワーターカーン氏は言う。
 「確信すべき原則の一つは、われわれが先に音を上げてしまわない限り、不運は、われわれを打ち負かすことはできないということである。
 強い人間は、不運に対しても『束になって襲いかかって来い』と立ち向かい、精神の力で、これを撃退する。このような強さを持つ人間にとって、不運は存在しない」
 そして、ギリシャの哲人プラトンいわく。
 「真の安楽は苦労を通じて得られる」(池田美恵訳、『法律』所収、岩波文庫)
 またゲーテは教える。
 「実践と我慢で改善出来ない境遇など、どこにもない」(『眠れぬ日々のために』長谷川つとむ訳、PHPエディターズ・グループ)
 こうした英知の言葉に共通するものは何か。それは、「断じて強くあれ!」との叫びである。
 風が吹こうが、嵐が襲おうが、自分が強くなることだ。心が強いことが幸福である。
 大聖人は「大難来りなば強盛の信心弥弥いよいよ悦びをなすべし」と仰せである。
 苦難こそ偉大なる人間革命のチャンスなのである。
 そして、忍耐こそ勝利の母である。
 イギリスの思想家カーライルの言葉を、トルストイは書きとめている。
 「死すら、全力をあげて正義のために闘う人の勝利を阻むことはできない。さらば闘え、不屈の正しき心よ。幸不幸に右顧左晒することなく前進せよ。そして汝がそのために闘う正義の勝利を信ずるがよい」(『文読む月日』北御門二郎訳、地の塩書房)
 正義に生きよ。そこに人生の勝利がある。
6  「生も歓喜」「死も歓喜」の生命の軌道を進め
 きょうは、ヨーロッパの方々も来てくださっている。
 亡くなられたイギリスのコーストンさん(理事長)をはじめ、ヨーロッパにも懐かしい方々が数多くいらっしゃる。
 妙法の同志の絆は、三世永遠である。
 大聖人は、夫に先立たれながらも、子どもたちを立派に育て上げた婦人(南条時光の母)に、次のような励ましの言葉を贈られている。
 「(亡くなられたご主人は)生きておられたときは生の仏、今は死の仏、生死ともに仏です。即身成仏という大事な法門は、これなのです」(御書1504、通解)
 大聖人の仏法は、「一生成仏の法」であり、「永遠の幸せの法」である。この一生のうちに、広布に戦いぬいて、絶対の幸福境涯を築き、固めていくのである。
 その人は生々世々、永遠に「生も歓喜」「死も歓喜」のすばらしい生命の軌道を進んでいくことができる――これが大聖人の御約束である。
 大聖人はまた、こうも仰せである。
 「たとえ、どのようなわずらわしい、苦しいことがあっても、夢のなかのこととして、ただ法華経のことだけを思い求めていきなさい。なかでも日蓮の法門は、以前こそ信じ難かったが、今は前々から予言しておいたことが、すでに的中したので、理由もなく、誹謗してきた人々も悔いる心が起きているでしょう」(御書1088㌻、通解)
 「ただ法華経のことだけ」――私たちの根本はどこまでも「信心」である。「南無妙法蓮華経と唱える」ことである。
 どうか、「信心」の一点だけは忘れないでいただきたい。その人が「最後に必ず勝つ」のである。
7  青年よ、大目的に向かって、まず始めよ
 青年こそ、人類の希望である。創価学会も一切を青年が担っていく時代に完全に入った。
 万感の期待をこめて、青年に英知の言葉を贈りたい。
 スイスの思想家ヒルティは呼びかける。
 「ためしにやってみたまえ! 最も大きな仕事は、当たってみること、始めることによってのみ成就するのだ」(『幸福と希望――ヒルティの言葉』秋山英夫訳編、社会思想社)
 青年は「当たって砕けろ」の心意気で、まず、ぶつかってみることだ。
 戸田先生は、よく言われていた。
 「大事業は、二十代、三十代でやる決意が大切だ」「青年は、望みが大きすぎるくらいで、ちょうどよいのだ」
 目的のない人は、目的をもつ人にかなわない。
 夢のない人は、夢をもつ人にかなわない。
 アメリカ・ル、ルネサンスの哲人ソローは言う。
 「結局人間は、自分が目的とするもののみを獲得するものである。それゆえ、最も高いものだけを目的としなければならない」(トルストイの記述から。前掲『文読む月日』)
 私どもには「世界広宣流布」という大目的がある。全人類を幸福にし、世界平和を築くという大いなる夢がある。
 広宣流布は「全人類の境涯を高める」革命である。
 われらの″武器″は、力ではない。権威でもない。
 大誠実と大確信の「一対一の対話」である。
 「魂の奥底から沸き上がったものを、力強く語るのでなければ、聴衆のの心は掴めんね」(前掲『眠れぬ日々のために』)とは、ゲーテの「ファウスト」の名文句である。
 相手の心をつかむ「対話の達人」に成長していただきたい。
 ともあれ、これほどあたたかく、これほどうるわしい善の連帯は、創価学会以外には絶対にない。
 「ともに働き、善良な仲間と善をなし、善を分かちあう以上に、美しく優れたことが、この世に存在するだろうか?」――ウクライナの国民詩人シェフチェンコの言葉のとおり、創価学会こそ、人類の希望の太陽なのである。
 文豪トルストイは言う。
 「われわれは他人のために生きたとき、はじめて真に自分のために生きるのである」(前掲『文読む月日』)
 そこに喜びがある。友情が広がる。
 永遠の心の宝が輝いていく。
 「もてる力を働かせることは楽しいことであり、それなくしては楽しみはない」(『ナイチンゲール言葉集――看護への遺産』薄井坦子編、現代社)と言ったのは、近代看護の母、ナイチンゲールである。
8  母と子の笑顔輝く世紀に
 アメリカの第三代大統領ジェファソンは記している。
 「人民を大切にすることがわれわれの方針である」(W・リップマン『世論』掛川トミ子訳、岩波文庫)
 ゆえに、彼は「教育」に光を当てた。
 「教育よりほかに、国民の繁栄・能力・幸福を前進させるものは何もない」(「ヴァージニア大学に関する報告書」真野宮雄訳、『アメリカ独立期教育論』所収、明治図書出版)と。
 また「中国の良心」と呼ばれた、孫文夫人の宋慶齢そうけいれい女史は言う。
 「もし、母親や子供の権利を守る面で進歩がなければ、人類や国家の進歩は不可能であります。平和を守ることもできません」(イスラエル・エプシュタイン『宋慶齢』下、久保田弘子訳、サイマル出版会)
 母と子の笑顔輝く世界を――これが彼女の願いだった。今、「女性の世紀」そして「母と子の笑顔輝く世紀」の先頭に立っているのが、婦人部の皆さまである。
9  民衆を不幸にするものとは、断じて戦わねばならない。それがリーダーの使命である。
 インドの初代首相ネルーの指摘は鋭い。
 「権力というものは、人びとを堕落させることにかけては、たぐいまれな力をもっているものだ」(『父が子に語る世界歴史』4、大山聰訳、みすず書房)
 ジェファソンは、「腐敗と虐政とへの警戒は、事前にやらなければいけない」(「ヴァジニア覚書」松本重治・日高明三訳、『世界の名著』33所収、中央公論社)と警告する。
 社会福祉に尽くした、アメリカのヘレン・ケラー女史は断言する。
 「私は、人が悪と暴君に対して戦うのは正しいと思います」(アン・サリバン『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』槇恭子訳、明治図書出版)
 イタリア独立運動の思想家マッツィーニは厳しく言い放つ。
 「自分だけわきに離れて純潔を保つことができたとしても、堕落を一歩かなたにみて戦おうとしないなら、諸君はなお義務に背いている」(力富阡蔵『マッツィーニの生涯と思想』黎明書房)
 悪を目にしながら、戦わないで、放っておくのは、卑怯である。それでは、善の世界を守ることはできない。牧口初代会長が「悪の排斥と善の包容とは同一の両面」(『牧口常三郎全集』9、第三文明社)と喝破しているとおりである。
 御聖訓には、こう仰せである。
 「法華経の敵を見て、世をはばかり、世を恐れて黙っていたら、釈尊の敵となってしまう。どんな智人・善人でも必ず無間地獄に堕ちる」(御書1412㌻、通解)
 悪に対して沈黙するならば、悪と同じになってしまい、結局は、悪とともに地獄に堕ちてしまうのである。
 だからこそ、「悪を責めよ」「悪と戦え」と仰せなのである。
10  心一つに祈る、それが異体同心
 さらに、御書を拝したい。
 「総じて日蓮の弟子檀那等が、『自分と他人』『あちらとこちら』と隔てる心なく、水と魚のような一体の思いになって、異体同心で南無妙法蓮華経と唱えたてまつるところを、生死一大事の血脈と言うのである。しかも今、日蓮が弘めていることの肝要は、これなのである。もし、そうであるならば(弟子檀那等がこれを実行するならば)、広宣流布の大願も実現するであろう」(御書1337㌻、通解)
 大事なのは「心を一つにして祈る」ことである。それが「異体同心」ということだ。
 妙法は、一切を「勝利」の方向へ向けていく力である。生きること自体が楽しい、すべてが喜びである――こういう大境涯に必ずなっていく。
 私は、皆さんに、健康で、裕福で、幸福な人生を送っていただきたい。
 そして、世界百八十一カ国・地域の偉大なる同志の皆さま方とともに、この一生を朗らかに生きぬいてまいりたい。
 すばらしき歴史を! すばらしき人生を! また、いつか、お会いしましょう!
 きょうは、本当にご苦労さま!
 (信濃文化センター)

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