Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

中国・青島大学「名誉教授」授与式、九州… 平和の黄金のバトンを君に

2002.4.21 スピーチ(2001.8〜)(池田大作全集第93巻)

前後
1  努力と忍耐で青春を飾れ
 中国の名門・青島大学の諸先生方、本日は、ようこそ、お越しくださいました。(拍手)
 また、先駆・九州の青年部の皆さん、そして、東京・葛飾の同志の皆さん、本当に、ご苦労さまです。(拍手)
 人生の目的とは、何か。
 それは、勝利することです。勝ってこそ、そこに、誇り高き幸福があります。
 人生は、戦い勝つことです。勝ってこそ、そこに、満足と自分自身の偉大な歴史が創り上げられるのです。
 ゆえに、絶対に負けてはならない。負ければ、不幸であり、破滅が待っているだけです。
 私たちは、勝つために信仰を持っています。勝利するための仏法であり、勝利するための信心です。それを忘れてはなりません。
 また、勝利するためには、努力と忍耐が必要です。
 現実社会の中で、努力し、耐え忍んでいく強さがなければ、人生は勝てない。
 それは、スポーツでも、仕事でも、勉学でも同じことです。仏法は道理なのです。
 そのうえで、私たちの生命の根本には、宇宙の大法則があります。妙法を唱えゆく人生には、「常楽我浄」の大満足の勝利が待っているのです。そのために必要なのが勇気です! 忍耐です! 努力です! 団結の前進です! これが、人生を勝ちゆくための鉄則です。
 ともあれ、私は、遠方から来てくださった九州の皆さんに、まず、「九州に勝利あれ! 大九州、万歳!」と心から讃嘆申し上げたいのです。(拍手)
 「九州男児よ! よろしく頼む」とは、戸田先生の遺言でありました。あの偉大な、みずからも大難にあわれた、恩師の最後の願いでありました。
 きょうは、さぞかし、戸田先生も、お喜びであられることでしょう。「遠方から、ようこそ、ご苦労さま」との戸田先生の声が聞こえてくるようです。
 九州は勝ちました! 断じて、勝ちました!(拍手)
2  青春の「王者の大道」を歩みゆけ
 「青年の文化は、奮闘の文化である。青年は、境遇と戦い、時代と戦い、経験と戦う。
 ゆえに、青年こそ、人生の王者であり、人生の春であり、そして人生の理である」(李大釗選集、人民出版社)
 これは、今日の大中国の礎を築いた思想家の一人、李大釗りたいしょう先生の言葉であります。
 青春の「王者の大道」をゆく、九州青年部の皆さん、おめでとう!
 この上半期、全国の同志は、皆、五月の三日へ、見事な前進をしております。
 そのなかでも、堂々と、晴ればれと、大躍進を成し遂げた方面は、わが大九州でありました!(拍手)
 九州は、本当に、よくぞ頑張った。
 すべては、広宣流布の歴史に厳然と刻まれました。
 私は、万感をこめて、次の一句を皆さん方にお贈りしたいのであります。
  大九州
    勝利 勝利の
      この一生
3  なお、東京で、とくに活躍がめざましい区は、どこか。
 それはまず、私の故郷でもある「大田」であります。そしてまた、私が青春時代から、苦楽をともにし、つくり上げてきた、「葛飾」なのであります。
 この式典の模様は、創価大学の講堂に集われた四千人の葛飾の同志に、そのまま同時中継されております。「憾かしい、大好きな葛飾家族、万歳! 万歳!」と、私は大喝采をもって、祝福申し上げたいのであります。(拍手)
4  山東の地は文化と人材の都
 深く尊敬申し上げる徐建培じょけんばい学長ならびに諸先生方。ただ今、私は、「永遠の青春の活力」にみなぎる貴・青島チンタオ大学より、最高に栄えある「名誉教授」の称号を賜りました。まことに、まことに、ありがとうございます。(拍手)
 貴大学がそびゆる青島市、そして山東さんとう(シャントン)省は、六千年の歴史を誇る「文化の都」であります。そしてまた、人類の教師とされる孔子や孟子らの大哲人を生み、あの三国志の諸葛孔明などの大英雄を育んできた「人材の都」でもあります。かつて、九州から船出した遣隋使や初期の遣唐使は、中国大陸のいずこに上陸したのか。それは、じつにこの山東半島でありました。
 そうした文化の大恩ある天地に、恩知らずにも襲いかかったのが、軍国主義の日本であります。
 そして、その日本の権力の魔性と戦いぬき、獄死したのが、私たちの牧口初代会長であります。
 牧口先生は、『人生地理学』の中で、儒教を生んだ山東半島に光を当てておりました。さらに牧口先生は、弘文学院で教鞭をとり、そこには、多くの山東省出身の留学生も学んでおられました。
 当時、すでに、牧口先生の『人生地理学』は、中国語に翻訳されていました。日本の学術界が、ほとんど顧みなかった牧口先生の書物を、中国の人々は、大事にされ、そこから学ぼうとされたのです。
 この『人生地理学』の翻訳を進めた、青年学術者たちの研究の拠点が置かれたのも、山東省の青島であったのです。そのゆかりの天地からの「知性の栄誉」を、私は、牧口先生が愛した九州の青年とともに、平和への決意も深く、拝受させていただきました。(拍手)
5  貴・青島大学は、若き徐学長の指揮のもと、「新しき創造的な人材」を育成されております。
 学長は「新世紀の大学精神」と題する論文の中で、「われわれは、ただ先人の知識を受け継ぐだけであってはならない。さらに前に進み、そして、新たな創造をしていかねばならない」と強調されました。まったく、そのとおりであります。
 要するに、「要領」だけの″小才″であるか。それとも、「真剣」な前進と創造の魂であるか。
 それは、微妙でありながら、天地雲泥の差なのであります。
 徹して「真剣」に、全生命を凝結させて、惰性を打ち破り、新たな行動を起こしていく。そこにこそ、青春の栄冠が輝くことを忘れてはなりません。
 また学長は、大学の建設のあり方について、こう述べておられます。
 「発展の勢いを、断じて止めてはならない。発展をめざすなかでは、問題や矛盾も出てくるだろう。しかし結局は、発展によって、発展のなかでこそ、課題は解決していくのである」
 さらに、こうも訴えておられます。
 「信念をもって、正義を樹立することだ。そうすれば、かりに陰で正義を汚す人間が出たとしても、何も恐れることはない」
 すべて正しい論調であると思います。全面的に賛同します。
 じょ学長は、貴大学の「第三代」の学長であられます。このすばらしい、若き真剣な第三代の学長とともに、貴大学が、これからも世界的な大発展を続けていかれることは、絶対に、間違いないと、私は強く確信する一人であります。(拍手)
 ともあれ、自分の時代に、どれだけの前進を成し遂げていくか。そこに、青年の挑戦がある。
 私も「第三代」であります。初代牧口会長、二代戸田会長の精神を全生命で受け継ぎ、発展させ、その上に、「新たな創造」を続けてきたつもりであります。
 (あるアメリカの人権活動家は、次のように語っていた。
 「普通、三代目というと、初代の創立者がつくり上げたものを維持する人であると、皆、思いがちである。しかし、池田先生は、まさに白紙の状態から、創価学園、創価大学をつくり上げた。そして、今日の世界の創価学会を、ここまでつくり上げたのである。この第三代がいなかったら、初代、二代の夢も、構想も、現実には一切、実らなかったでしょう」)
6  一人立て! 必死の一人から千波万波が
 一昨日(四月十九日)、学長ご一行に出席していただいて、東京でも、″周恩来展″が開幕いたしました。(=巣鴨の東京戸田記念講堂で五月十二日まで開催された)
 思えば、一九一九年の春、若き周恩来総理は、桜の咲くころ、留学中の日本を発って、祖国へ舞い戻っていかれました。それは、あの中国革命の淵源である「五・四運動」に身を投ずるためでありました。
 この「五・四運動」のスローガンの一つが、「青島を日本から取り戻そう!」という叫びであったことは、まことに有名であります。
 (第一次世界大戦で敗戦国となったドイツに代わり、当時、日本が青島を支配下に置いていた)
 その大闘争に、十八歳の若さで立ち上がった、山東地域の若き指導者のことを、私は思い起こすのであります。その名は、鄧恩銘とうおんめい青年。
 彼は、一九〇一年生まれ。戸田第二代会長やポーリング博士と同じ年代であります。
 鄧青年は、労苦をいとわず、日夜、各地を駆け回り、民衆の中へ飛びこんでいきました。
 民衆の中ヘ!――私たちの戦いも同じであります。
 鄧青年は、行く所、向かう所、正義と勇気の炎をともし、人々を決起させていったのであります。
 私も、青春時代、九州でも、また葛飾でも、そういう戦いの歴史を残してきました。大事なのは「一人」です。必死の一人から、二人、三人、そして千人、万人へと、波動が広がっていく。
 ゆえに「一人で決まる!」「一人立て!」――これが広宣流布の根本の原理です。
7  鄧青年は、名聞名利など、かなぐり捨てて、肺結核も乗り越えながら、祖国のため、人民のために戦いました。女性の解放にも尽力した先見の人であります。
 彼は、同志を励まし続けました。
 「何事も、先駆を為すことはむずかしい。しかし決心を貫き、勇気を奮い立たせていけば、必ずや古い鉄鎖を断ち切り、自由と解放を勝ち取ることができる」と叫び、戦ったのであります。
 敵は、この正義の若き指導者を、いっせいに狙い打ちにしました。
 投獄は、三度。そして、一九三一年の四月五日、同志の卑劣な裏切りにあい、処刑されたのであります。三十歳の若さでありました。
 その殉難の直前、青島の革命児・鄧青年は、母に宛てて一詩を詠みました。
 「たとえ、わが身は死のうとも、惜しくはありません。なぜなら、後継の友が立ち上がり、必ずや、私を喜ばせてくれるからです」
 こうした壮烈な魂が、脈々と継承されて、現在の″栄光の大中国″が、築き上げられていったのであります。偉大な歴史の建設は、「一人の青年」から始まるのです。(拍手)
8  正義のわれらには難こそ誉れ
 きょうは、ルネサンスの天地イタリアからも、わが異体同心の同志が馳せ参じてくれました。ありがとう!(拍手)
 イタリアの歴史に輝く古代ローマの信念の哲学者ボエティウスは、こういう言葉を残しています。
 「我々が人生の海に於て、四方八方から吹いてくる嵐にひどくあたられるのを少しも不思議に思ってはならない。我々は、最悪な人たちに気に入られないように特に定められているのであるから(『哲学の慰め』畠中尚志訳、岩波書店)
 正義のわれらは、難にあうのは当たり前だ! 愚人から憎まれることは、むしろ誉れなのだ!―――と。
 仏法では「悪口罵詈」「猶多怨嫉の難」「三障四魔」「三類の強敵」「そねみ・ねたまれ」「議言を蒙り流罪に」「少少の難は・かずしらず」と、説かれています。
 そして、これらの難に対して、日蓮大聖人は「よからんは不思議わるからんは一定とをもへ」「難来るを以て安楽と心得可きなり」「賢者はよろこび愚者は退く」「臆病にては叶うべからず」「仏法と申すは勝負をさきとし」「にくまばにくめ」「いまだこりず候」と仰せられています。
 どこまでも″戦うのだ″と教えられているのです。
 牧口先生は、軍国主義の日本と戦い、牢獄に入り、獄死されました。このわれらの「創価の父」は、大聖人が受けられた大難からみれば、われわれの難は「九牛の一毛」――まったく、とるに足らないものだと仰せになられた。偉大な先生でありました。
9  大聖人の高弟に「三位房」がおりました。才知に恵まれていたが、当時の京都に遊学し、貴族社会に出入りして、虚栄の虜となってしまった。その慢心を、大聖人から厳しく叱られたが、熱原の法難のころに退転し、不慮の死を遂げる。まさに堕地獄の姿でありました。
 大聖人は「都に上って、虚栄に流されると、最後は天魔がついて狂ってしまう」と喝破されました。
 ともかく、仏法の世界は、「学歴」主義ではない。「社会的地位」主義でもない。あくまでも、「人間」主義であり、「人格」主義であると思いますけれども、いかがでしょうか!(拍手)
10  次の五十年へ「青年よ、よろしく頼む!」
 私たち夫婦も、戸田先生の弟子として、大聖人の御聖訓のままに、この五十年間、広宣流布のために、あらゆる難を受けながら、戦いきってきました。
 次の五十年、すなわち、九州広布百周年への黄金の使命のバトンを、私は皆さん方に、厳然と託したいのであります。どうか、よろしく頼みます!(拍手)
 九州青年部の皆さん! 皆さんがいれば、本当に安心だ。朗らかに未来が輝いていく。
 時代は変わりました。新しい青年たちが立ち上がって、広宣流布の指揮をとる時代に入ったのです!
 そして、葛飾の同志の皆さん! 尊敬する若き青島大学の先生方とともに、平和と正義の大航海へ、さっそうと船出をしてまいろうではありませんか!(拍手)
 きょうは、本当におめでとう! ありがとう!
 皆、お元気で! お体を大事に!
 お会いできなかった同志に、くれぐれもよろしくお伝えください。
 そして、しっかり励ましあって、お父さまに親孝行を、お母さまに親孝行を。お父さまか、お母さまがおられない方は、その分、二倍の親孝行を、とお願いして、私の話を終わります。
 謝謝シェシェ(ありがとうございました)!
 (東京牧口記念会館)

1
1