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日蓮大聖人・池田大作

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第十五回本部幹部会、第四回九州総会、第… 広宣流布は最高の平和運動

2002.3.3 スピーチ(2001.8〜)(池田大作全集第93巻)

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1  キング博士の人権闘争も宗教的信念に
 きょうは、まず、アメリカのマーチン・ルーサー・キング博士のことを語りたい。
 本当に偉大な人物である。公民権運動の大指導者であり、牧師である。キング博士は、人間の権利のための闘争のさなか、三十九歳で暗殺された。(一九六八年四月四日)
 「非暴力による抵抗」を貫き通した。本当の「英雄」であった。彼の名演説には、何万、何十万という民衆が、心を揺さぶられた。今なおアメリカでたいへんに尊敬されている。
 (一九五〇年代から六〇年代にかけて、アフリカ系アメリカ人が不当な人種差別に抗議し、憲法が保障する諸権利を求めたのが公民権運動である。六四年に公民権法が成立し、この運動を非暴力主義で指導したキング博士は「ノーベル平和賞」を受賞した)
 真の宗教者が、いちばん勇気がある。虚栄の指導者は、威張る目的で、人々に勇気を見せる。
 キング博士の人権闘争は、宗教的信念に基づいた運動であった。
 宗教は、人間の生きる根幹である。経済も、哲学も、教育も、政治も、宗教という人間の内面性の″土台″が確固たるものとなってこそ、花開くことができる。ゆえに、人間主義の宗教運動は、同時に社会運動となり、人類の平和のための運動となる。
 私どもが、仏法に根ざした「平和」「文化」「教育」の運動を展開してきたのも、こうした信念からである。
2  「問われるのは『人のために何をしたか』」
 現在、SGIは、他の団体とともに、キング博士が貫いた「非暴力の平和行動」の軌跡を紹介する展示を、世界各地で開催している。
 (アメリカでは、キング博士の母校モアハウス大学のキング国際チャベルなどと共催し、「ガンジー・キング・イケダ――平和建設の遺産」展を各地で開催。インドのガンジー、キング博士、池田SGI会長の非暴力の平和闘争を伝えるもので、世界各地で同趣旨の展示が開催され、大きな反響を広げている)
 キング博士は信じていた。
 「夜明けは必ず来るものである。真夜中には幻滅と悲しみと絶望が生まれるが、次には朝が来るのだ」(『汝の敵を愛せよ』蓮見博昭訳、新教出版社)
 断じて苦難に負けてはならない。今、どんなに苦しくとも、希望の朝は必ず来る。
 「朝の来ない夜はない」(『新・平家物語』講談社)とは、吉川英治氏の名言である。
 キング博士は言う。「正しいと知りながらしないこと。世界中にこれほど悲劇的なことはない」(ナンシー・シュッカー『MARTIN LUTHER KING――我らの勝利するまで』瀬戸毅義訳、燦葉出版社)
 正しいことは、実行せよ! それをしないのは「悲劇」だ!――これが博士の叫びであった。
 迫害の嵐の中、キング博士は力強く語った。
 「人間の究極的な尺度は、その人が愉快で好都合な瞬間にはなく、挑戦と論争の時にこそあるのだ」(前掲『汝の敵を愛せよ』)
 挑戦と論争――私どもで言えば、「折伏」である。「正義の対話」である。
 「人間の本当の目覚め」を訴える。「真理とは何か」「人間は、どう生きるべきか」を明らかにする。それが最重要の論争である。その時にこそ、人間の真価は輝きわたる。
 真実の仏法を持ち、広宣流布に尽くしゆく皆さまが、どれほど尊いか。
 キング博士は、こうも述べている。
 「人は、どれほどたくさんの学位をえたか、どれほどの金儲けをしたかを問われはしないだろう、問われるのは、どれだけ多くのことをほかの人々のためにしたかである」(同前)
 いちばん大切なのは、「どれだけ人々のために尽くしたか」である。
 学会活動である。折伏である。
 これこそが、人間として最高の行動なのである。
3  あらゆる哲人が、指導者が、「人間」という一点を見つめている。「人間革命」の哲学を持つ皆さんは、人類史の最先端を進んでいるのである。
 ロシアの文豪トルストイは、こうつづっている。
 「人類は絶えず進歩する。この前進運動は信仰の分野にもあらねばならない」(『一日一章人生読本』原久一郎訳、社会思想社)
 政治の進歩、経済の進歩、あらゆる進歩は、その主体者である人間自身の進歩にかかっている。
 人間の根本となる信仰が前進しなければ、人類の進歩もないであろう。
 創価学会は、つねに前進してきた。連戦連勝してきた。大発展しているゆえに、焼きもちを焼かれるのは当然である。
4  ″創価学会大学″に学ぶ誇リ!
 フランスの哲学者アランは言う。
 「臆病は大きな障害であり、しばしば唯一の障害である」(『幸福論』串田孫一・中村雄二郎訳、白水社)
 「臆病」は、幸福への最大の障害である。
 日蓮大聖人は、「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」と仰せである。
 幸福への最大の原動力は「勇気」である。
 またトルストイは、古代ローマの哲人皇帝マルクス・アウレリウスの言葉を記している。
 「善行のために非難されて嘆き悲しまず、かえってこれを喜ぶことは、何よりも最も崇高である」(前掲『一日一章人生読本』)
 良いことをして、非難されたとしても嘆く必要はない。最高の善行である折伏のゆえなら、なおさらである。
 大聖人は、″難が来たなら、かえって喜びなさい″と仰せである。
 (たとえば「大難来りなば強盛の信心弥弥いよいよ悦びをなすべし」)
 これが学会精神である。
 さらに、ドイツの大哲学者カントは言う。
 「まぬけさはすべてもともと高慢と貪欲という二つの激情からつくられているように思う」(「脳病試論」加藤泰史訳、『カント全集』2所収、岩波書店)
 「自分は偉いんだ」という高慢。私利私欲に溺れる貪欲。そして学歴を鼻にかけ、尊い同志を見くだして、信心の軌道を外れていった愚かな人間も、これまでにいた。
 学会は信仰の世界である。どこまでも「信心」がどうか、「人格」がどうかである。
 何より私たちは、学会という、「民衆の総合大学」で学んでいる。この、いわば″創価学会大学″こそ、人間の生き方を学べる″最高の大学″なのである。
 フランスの文豪ロマン・ロランは、呼びかける。
 「最大の悪は、自己を更新することに対する怠惰である」(「先駆者たち」山口三夫訳、『ロマン・ロラン全集』18所収、みすず書房)
 自己を「更新」しない。「人間革命」しない。それこそが、人類にとっての最大の悪だというのである。
 リーダーは、まず自分が「人間革命」すべきである。
5  きょうは芸術部の皆さま、ようこそ! ご苦労さま!(拍手)
 皆さまのことは、いつも陰ながら、一生懸命、応援させていただいている。いっそうのご活躍を、私は心から祈っている。
 また、きょうは、はるばると海外からも、尊きSGIの同志が、広宣流布の研修に、お越しくださった。アメリカ、イタリア、韓国、台湾、マレーシア、インドなど、十五カ国・地域の皆さま方、本当にご苦労さま! 私は、うれしい!(拍手)
6  釈尊は遺言「行動の人を仏のごとく敬え」
 法華経の有名な一節に、「若し是の経典を受持せん者を見ば、当に立って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし」とある。(「普賢菩薩勧発品第二十八」法華経六七七㌻)
 法華経を受持する人を見たら、必ず、立ち上がって、遠くまで出迎えるべきであり、まさに仏を心から敬うようにすべきである――これは、釈尊が法華経を結ぶにあたって、最後に説いた教えである。
 「是の経典を受持せん者」すなわち「法華経の行者」とは、別しては、日蓮大聖人であられる。
 経じては、大聖人に直結して広宣流布に戦う門下である。折伏する人である。
 「法華経の行者を尊敬する」という一点こそ、広宣流布の根本の行動であることを知っていただきたい。
 日蓮大聖人は、御義口伝の中で、この一文こそ、釈尊の根本の思想であるとされ、「最上第一の相伝」と明言されている。
 広宣流布に戦っている人を、仏のごとく尊敬せよ!――これが釈尊の「遺言」だったのである。
 ゆえに日顕一派が、広宣流布に戦う学会員を迫害してきたことは、法華経の「根本中の根本」に対する違背と言っていい。
 さらに日顕一派は、大聖人の魂である「御書」に違背し、「先師の教え」にも違背した。まさに、極悪のなかの極悪の所業であり、日顕に、大聖人の「相伝」がないことは、明らかなのである。(拍手)
7  同志の信頼と和合で学会は世界一の発展を
 大聖人は、この法華経の一節を引かれ、こうも仰せになっている。
 「法華経を一偈一句でも説く人に対しては、『当に起ちて遠く迎えて、当に仏を敬うが如くすべし』の道理であるから、(法華経を持った者は)仏を敬うがごとく、たがいに尊敬しあうべきである。たとえば、法華経の宝塔品の儀式のとき、多宝如来が半座を分けて釈迦仏を迎え、二仏が並座(並び座る)したように、たがいに尊敬しあわなければならない」(御書1383㌻、通解)
 「法華経を一偈一句でも説く人」――学会の同志の皆さんである。
 「必ず成仏できる信心ですから、やってごらんなさい」「どうせやるなら、釈尊の言われたとおりの正しい信仰にすべきです」「まちがった宗教はいけません」等々――わが同志は、友の幸福を願い、自由自在の語らいを繰り広げている。
 また、「多宝如来が半座を分けて釈迦仏を迎え」とは、法華経の宝塔品に説かれた有名な「二仏並座」のことである。
 つまり、釈尊が、宝塔の扉を開くと、中に座っていた多宝如来が、″さあ、どうぞ、こちらへいらしてください″と「座」を半分あけて、釈尊と並んで座った――この二人の仏のように、妙法を持つ人は、たがいに尊敬しあい、大事にしあっていきなさい。この二人の仏を模範としていきなさいとの仰せなのである。
 仏法には、上も下もない。全員が最高に尊い仏の生命を具えている。最高に輝いている存在である。
 この法華経の真髄のとおりに創り上げてきたのが、創価学会の「人間共和の世界」である。牧口初代会長も、戸田第二代会長も、その達成のために、一身をなげうって戦われた。
 同志の信頼と和合――これがあったから、創価学会は、今日の世界一の発展を築くことができたのである。(拍手)
8  仏法の人間観こそ「人類平和の根本の大法則」
 仏法では、「本来、すべての人が仏である」と説く。私は、この仏法の人間観こそ、「人類平和の根本の大法則」であると信じている。
 あなたも仏であり、私も仏である。だから争ってはいけない。おたがいに尊敬しあうべきだ――このことを、本当に世界の指導者が理解すれば、戦争はなくなる。
 この信念に立ち、全世界の大統領が、首相が、リーダーが、たがいに最敬礼し、たがいに讃えあい、譲りあっていけば、必ずや、戦争に終止符を打ち、人類を平和のほうへ、幸福のほうへと持っていくことができるにちがいない。
 これが仏法の人間主義である。釈尊そして日蓮大聖人の深き教えである。ここに、「戦争と暴力の流転」を転換しゆく希望の光明がある。
 今、皆さまが、仏法を弘めている意義は、あまりにも大きいのである。
9  九州総会、おめでとう!(拍手)遠いところ、本当に、ご苦労さま!
 九州は、よく戦った。すばらしい歴史を築かれた。広宣流布の拡大は、見事である。とくに、この二月の折伏で、先駆の九州は「史上最高の拡大」を達成されたとうかがった。
 今や、皆が最高に尊敬する九州となった。これもリーダーの名指揮と九州の全同志の団結の賜である。婦人部の力である。
 伝統の大事な節目である本部幹部会で、九州の偉大な発展を、ともにお祝いすることができた。
 私は心から感謝申し上げたい。九州に何度も足を運ばれた牧口先生も、どれほど喜んでおられるであろうか。(拍手)
 きょうの九州総会を前に、″牧口先生が九州出身の青年に送ったはがき″が、新たに確認された。
 貴重なはがきである。牧口先生の達筆な文字が、びっしりと書きこまれている。
 創価大学の「創価教育研究センター」の方々が綿密な調査をしてくださった。
 牧口先生が、鹿児島県出水市出身の一教育者に、このはがきを書かれたのは、一九四〇年(昭和十五年)の三月三日――六十二年前のきょうであった。
 牧口先生と九州は縁が深い。その九州のなかでも、鹿児島の友の健闘が今、光っている。
10  はがきを受け取った方は、小学校の校長であった牧口先生のもとで、教員として、約六年間、薫陶を受けた。
 「私の人生において、もっとも幸福な時代であった」と、回想しておられる。
 2Zθ広宣流布は最高の平和運動
 ただし、尊敬する牧口先生の指導であっても、信心の話だけは、なかなか素直に聞けなかったようだ。牧口先生のはがきでも「(あなたは)話がいつものように信仰のことになるのを好まれないようですが……」と、わざわざ前置きをされている。
 (原文は「話はいつも信仰の事にとか……」)
 なぜ、あえて折伏をするのか――牧口先生は「価値論」を通しながら、理路整然と説明されていく。原文は古い文体なので、わかりやすくすれば、次のようになる。
 ″私の信仰は、目先の小さな利益よりも大きな利益、小さな法よりも大いなる法、さらに枝葉よりも根本、部分的なものよりも全体的なもの、というように、次第に高い次元の法則を追求した結果、到達したものなのです″
 ″ひとたび、この最大最善の人生の法則に到達できた以上、それを人々に教え、弘めていくのは当然のことです。そうでなければ、慳貪(ケチで無慈悲なこと)の罪になってしまうでしょう″
 そして、牧口先生は、この青年教育者に、創価教育学会への入会を勧める。
 ″(あなたも)その教えをもって、少しでも早く安全地帯にたどりつけるように、(正法を信ずる者として)ともに人生を送りゆくことを希望しております″
 ――あなたは今、安全地帯にいないのですよ。「信心の世界」こそ「生命の安全地帯」なのです。そこで、ともどもに「すばらしい人生」を生きていこうではありませんか!
 こういうお気持ちであられたのであろう。
 (この方は、このはがきから十八年後の一九五八年〈昭和三十三年〉に入会。七六年〈昭和五十一年〉には『略解 創価教育学入門』を出版している)
 私は、ある青年を励まされた戸田先生の言葉が忘れられない。
 罪を犯して牢獄に行く青年に対して、「絶対に信心を忘れるな。わが創価学会から、いかなることがあっても離れるな」と戸田先生は言われた。
 この言葉を抱きしめ、青年は苦境を乗りきった。人間として成長していった。
 創価学会こそ「幸福と希望の安全地帯」なのである。(拍手)
11  世界へ! 世界へ! 「幸福の大法」を
 牧口先生は、全学会の先陣を切って折伏を続けられた。
 リーダーが「先頭に立つ」ことだ。自分は後ろのほうにいて、皆にやらせるのは卑怯である。
 私は先頭を走っている。だから迫害も多い。
 法華経に「猶多怨嫉」とある。
 (法師品の文。「如来の現に在すすら猶お怨嫉多し。況んや滅度の後をや」〈法華経三六二ページ〉)
 批判・中傷されないのは、法華経の文に反する。広宣流布の途上に「三類の強敵」「三障四魔」が競い起こるのは必定なのである。
 これこそ、仏になる大道なのだ。
 障害物を乗り越えるから、偉大な人格ができる。何もなければ、ただの拝み屋である。形式的な宗教だ。
 牧口先生は、全国に足を運び、たくさんの人に、妙法を″下種″していかれた。軍部に逮捕されたのも、折伏に行った伊豆の下田である。
 下田は、吉田松陰が「世界へ」雄飛しようとした場所である。(一八五四年、アメリカ船に乗り込もうとした)
 また、日蓮大聖人が、最後の旅でめざされたのは「常陸」であった。
 「世界へ」開かれた太平洋を臨む天地とされている。
 「世界へ」「世界へ」――ここに大聖人の仏法の魂がある。
 火の国・九州は「アジアの窓」であり、「世界の窓」である。「世界に開かれた」九州から、日本一の広宣流布の大行進が今、始まった!(拍手)
 仏法は道理である。信心即生活である。大事なのは、まず、よく寝ることである。疲れを残さないことだ。
 信心は、「健康」と「幸福」のための軌道なのである。
12  「青春こそ希望」里目春こそ勝利」
 とくに女子部のために語っておきたい。
 二百年ほど前の春・四月、ドイツの大詩人シラーは、ジャンヌ・ダルクの戯曲を完成させた。(一八〇一年。「オルレアンの乙女」)
 この戯曲の冒頭、父が、娘のジャンヌ・グルクに、こう語りかける。
 「お前は若さで輝くようだな。お前は青春はるを迎えたのだ。青春は希望のときだ」(「オルレアンの処女」野島正城訳、『世界文学全集』18所収、筑摩書房。以下同じ
 この言葉は、まさに、わが女子部の青春の輝きを表現しているようにも思える。
 「女子部の輝き」――それは「信仰の輝き」である。若くして広宣流布に乱舞しゆく、女子部の生命それ自体が、美の真髄である。
 かつて、ある著名な女性の作家が女子部の総会を見て、「学会の女子部はすばらしい! これほどの信念と、哲学と、信仰をもった若き女性たちが、何万もいるとは。日本の夜明けを見た思いです!」と感嘆しておられた。
 「青春こそ希望」「青春こそ勝利」である。
13  ジャンヌ・ダルクのごとく――さっそうと使命に舞いゆけ
 戯曲の舞台は、十五世紀のフランス。田園の農家の娘であるジャンヌ・ダルクは、心は気高く、勇気ある女性であった。これもまた、学会の女子部の姿を思わせる。
 ジャンヌは、たいへんな仕事であっても、不平を言わずに進んでやり、周囲に幸せをもたらしていくような存在だった。
 その彼女のもとに、愛する祖国が、敵軍にさんざんに蹂躙され、もはや敗北は避けられないという悲惨な情勢が伝わってきた。時代は、イギリスとの百年戦争の末期である。
 多くの人は、祖国の危機に、なす術もなかった。しかしジャンヌは、一人決然と立ち上がった。
 いざというとき、男性よりも、女性のほうが強い場合が多いものである。
 シラーの戯曲は、その劇的な登場の様子を次のように描いている。
 フランス王の軍勢が、万策尽きて、もはや降伏するしかないという、まさにその時。森の茂みから、突如として一人の乙女が現れ、高らかに叫んだ。
 「勇敢なフランスの者よ、なにをためらうのです」
 そして、いきなり旗手から旗を奪い取り、先頭に立って、大胆に前進を始めた。
 兵士たちは、いったい何が起こったのかと驚き、声も出なかった。しかし、高らかに旗を掲げた乙女の後に従って、まるで引っ張られるかのように、まっしぐらに敵陣に突進していった。
 さらに驚いたのは、敵軍のほうだった。それまで降伏寸前だった相手が、突然、一人の乙女を先頭に、ものすごい勢いで向かってきたのである。だれしも、降ってわいたかのような奇跡に目を疑った。
 浮足立った敵の兵士たちは、恐れのあまり、武器を捨てて逃げ始めた。その結果、形勢は一挙に逆転し、ジャンヌ・ダルクが率いた一隊は、大勝利を収めたのである。
 広宣流布の精神闘争においても、わが女子部が、さっそうと使命に舞いゆく尊貴な姿は、皆を勇気づけ、鼓舞していく。女子部は、正義の前進を、いちだんと加速させていく力を持っているのである。女子部の皆さんは、その使命を自覚していただきたい。
 女子部、よろしく頼みます!
 女子部がはつらつと活躍するところは、明るく、希望に満ちている。女子部が発展すれば、創価学会が発展するのである。
 どうか、「女子部の大発展の新時代」を開いていただきたい。(拍手)
14  さて、華々しい登場の後も、ジャンヌ・ダルクは、次々と戦いに出陣し、連戦連勝を続ける。
 ジャンヌは言う。
 「だれがわたしにとまれと命令できるのです」
 ″天が、私に命令したのだ。私は、戦いの使命を永遠に持ち続けているのだ!″との決然たる意志である。
 次々とやって来る試練にも、彼女は屈しない。自分の心を、自分で励まして、前へ、前へと進む。
 「さあ、戦いです! 決戦です!」
 「わたしはかならずやり抜いて、立てた誓いを果してみせる」
 「やりはじめたことは立派に仕遂げてみせる。たとえ悪魔がむかってきても、どうして、勇気を落してなるものか、ひるんでなるものか」
 ジャンヌは、旭日のような生命の魅力を発光させ、放ちながら、大勢の人々を勝利の方向へと引っ張っていった。
 一人の乙女の、断固として戦いぬく「根性」の強さが、人々を危機から救い出したのである。
 今日の創価学会も、女子部の時代から、「妙法のジャンヌ・ダルク」の決意で、悩める友のため、広布のために走りぬいてこられた婦人部の方々がつくりあげてくださったのである。
 婦人部、ありがとう!(拍手)
 今度は、女子部の皆さまの番である。
15  婦人部と女子部が合金の連帯で
 もはや完全に、世界中が「女性の世紀」となった。どうか、婦人部と女子部が、ともに力をあわせ、良い刺激をあたえあって、「合金」のような強さを発揮していただきたい。
 今や、激流の時代である。単独では弱い。合金のように、力をあわせたところが勝つ。
 女性が団結し、時には男性たちを圧倒しながら、永遠に残る自分自身の歴史をつくり、福徳を積み、崩れざる幸福境涯を築きゆくことを心から念願して、私のスピーチとさせていただく。
 長時間、本当にありがとう! ご苦労さま!(拍手)
 お帰りになったら、同志の皆さんに、くれぐれもよろしくお伝えいただきたい。
 いい人生を送ってください! 楽しい人生をつくってください! また、お会いしましょう! お元気で!
 (東京牧口記念会館)

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