Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第十四回本部幹部会、第二回神奈川県総会… 青年よ「正義の言論」の炎を

2002.2.1 スピーチ(2001.8〜)(池田大作全集第93巻)

前後
1  ユゴー生誕二百年に記念展
 この二月は、フランスの大文豪、ヴィクトル・ユゴーの生誕二百周年である。(一八〇二年二月二十六日生まれ)
 有名な『レ・ミゼラブル』――『ああ無情』の物語は、今も私の脳裏に焼きついている。
 主人公のジャン・バルジャンと養女のコゼットが織りなす人間愛の深さに、心を揺さぶられた方も多いだろう。
 また七月には、同じくフランスの大文豪、アレクサンドル・デュマも生誕二百周年を迎える。(七月二十四日生まれ)
 『三銃士』『モンテ・クリスト伯』で知られるデュマは、ユゴーと同い年なのである。
 二人の文豪の生誕二百周年を記念して、フランスの「ヴィクトル・ユゴー文学記念館」で、来月から「ユゴーとデュマ展」が開かれることになっている。(同文学記念館は、池田名誉会長が創立)
 この展覧会は、フランス文化省が公認する「ユゴー生誕二百周年記念行事」の一つとなった。フランス国立図書館等の協力もいただき、国宝の直筆の原稿や書簡、写真など、約二百四十点におよぶ貴重な品々が公開される予定である。
 一つ一つが「フランスの宝」であり、「世界の宝」である。文化の遺産の保護に、私は、人知れず、手を打ち、心を砕いてきたつもりである。
 きょうは、ユゴー文学記念館のモワンヌ館長も出席してくださっている。(拍手)
2  ユゴーは″言論の闘士″であった。
 民衆を見くだす理不尽を許さず、「正義の怒り」を忘れなかった。
 悪に怒らない。悪と戦わない――そんな正義は「ニセの正義」である。臆病である。
 御書には「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」と厳然と経文をお示しである。
 この仏法のいき方が正しいのである。
 ユゴーは「人民を王位につかせ、人間を聖なるものとする」(「小ナポレオン」庄司和子・佐藤夏生訳、『ヴィクトル・ユゴー文学館』8所収、潮出版社)ことを願ってやまなかった。
 近代中国の父・孫文の信念も、「人民こそ皇帝なり」であった。
 日蓮大聖人は、妙法を持つ庶民の門下に、「皆さん方が仏なのですよ」と明快に仰せになられている。(たとえば「阿仏房あぶつぼうさながら宝塔・宝塔さながら阿仏房」と)
 「有名人だから偉い」とか「肩書があるから偉い」などと思うのは、錯覚にすぎない。
 人間は平等である。まして現代は、主権在民である。民衆がいちばん偉い。尊いのである。そのプライド(誇り)をもつべきだ。勇気をもつべきだ。
 だいたい、いくら「権力」があっても、死んだら、もってはいけない。
 御聖訓に、「死後の地獄等という苦悩の世界に行ったならば、王の位も、将軍の位も、何の役にも立たない。獄卒(地獄の鬼)の責めにあう姿は、猿回しに回される猿と変わらない」(御書1439㌻、通解)と仰せのとおりである。
3  ユゴーは、人間の権利を踏みにじる権力悪には、壮絶なる言論闘争を貫いた。
 その魂を継ぎ、断固たる言論戦に立ち上がった「勇気の人」がいた。ユゴーの息子と友人たちである。
4  ユゴーから若き同志へ″勇敢な言論で人々を覚醒せよ!″
 彼らは、新しい時代をつくるために、新しい新聞を創刊した。(独裁的権力をもつナポレオン二世を批判する新聞「ラペル」を一八六九年五月に創刊)
 ――言論が大事だ。新聞をつくろう! 言論が、私たちの弾丸だ。鉄砲だ。それで権力の魔性と戦おう。さあ、書こうじゃないか!
 そういう心意気だったのであろう。
 新しい言論の力が台頭し始めた。
 ユゴーは、息子をはじめ新聞をつくった若き同志たちに手紙を送った。
 「諸君は、今こんなに光明に満ち満ちて立ちあがり」「若い詩人の輝ける団体を力づけてやられることであろう」
 「義務とか、名誉とか、理性とか、進歩とか、或いは祖国、人道、自由等の言葉を以ってこの若者の中にある反響の森を目覚ましめるであろう」
 「諸君等よ、ゆけ! そうして諸君の勇敢なる戦をつづけてゆけ」
 「余が諸君の傍に居ると思って戦え」(「追放」神津道一訳、『ユーゴー全集』9所収、ユーゴー全集出版会)
 新聞は創刊直後、一挙に五万部にまで伸びた。内容はたいへんにおもしろかった。悪と痛快に戦う正義の論調があった。皆から支持され、愛読されたという。
5  権力は、この新聞を弾圧した。魔性は、いつの時代も同じである。(編集者は重い税金を科せられ、家宅捜索をされ、投獄されたりした)
 しかしそれは、新聞が正論である何よりの証拠だった。
 若き勇者たちは、ユゴーの「強靭なる魂」「正義の魂」を受け継いで戦いぬいた。
 魂を継承し、青年が立ち上がる。これが自然の流れである。
 創価学会も「青年の時代」に入った。青年部が新しい出発をきった。その活躍はすばらしい。
 いよいよ青年が決然と立った。頼もしい青年部ができあがってきた。(拍手)
 ユゴーは叫んだ。
 「正義に目を据えて生きている人びとが言っており、また言いつづけるだろう。犯罪は犯罪である、背任は背任である」「汚泥は汚泥、悪党は悪党である、と」(前掲「小ナポレオン」)
 学会は「正義の団体」である。広宣流布は「正義の言論闘争」である。ゆえに「悪は悪」と明快に言いきり、破折していくことである。
 若き言論王たる青年部の諸君に、ユゴーの言葉を贈りたい。
 「語り、書き、論じ、救え、照らせ。己を照し他人を照せ。今日御身の手には真理がある」(前掲「追放」)。そして「思想で旋風」をまき起こすのだ」。(『レ・ミゼラブル』3、齋藤正直訳、潮出版社)
 青年部の諸君、頼むよ!
6  世界中の女性が幸福に輝く世紀に
 いよいよ「女性の世紀」である。われわれは、「世界中の女性が、幸福に輝く世紀」を築きたい。
 そうした願いをこめて、ここで、日蓮大聖人が神奈川と静岡の女性の弟子に贈られた御聖訓を、いくつか拝したい。
 そうした人々のなかには、夫を亡くした女性がいた。子どもを亡くした女性や、重い病の幼子を抱えた女性もいた。そしてまた、夫の仕事の問題に直面する女性もいた。さまざまな現実の苦悩のなかで、懸命に生きている女性たちに、大聖人は、あたたかな、また、こまやかな励ましを力強く贈り続けられた。これこそ、真の指導者の姿であられる。
 ″みんな、今は苦しいかもしれない。でも私は、一生涯、あなた方の味方ですよ。励ましと力を、一生涯、贈っていきますよ″――大聖人の御書の一節一節から、こうした深い御心が拝せられるのである。
 御書にいわく。
 「わざはひも転じて幸となるべし」(鎌倉の四条金吾と、その妻・日眼女への御手紙)
 ″たとえ、どんなことがあっても、すべて、必ず変毒為薬していけますよ″との、心強い仰せである。
 また、「さいわいを万里の外よりあつむべし」(静岡の重須殿女房への御手紙)
 この御言葉のごとく、御本尊を信じ、題目を唱え、広宣流布のために戦う人には、幸福が万里の外から集まってくるのである。
 さらに「年は・わかうなり福はかさなり候べし」。(日眼女への御手紙)
 この信心に励む人は、生命が生き生きとし、若々しくなり、福運に満ち満ちていく。大聖人の御言葉に、断じて、うそはない。
 また、幾多の悲しみ、苦しみを耐えぬき、乗り越えて、新たなる年を迎えた、一人のお母さんには、「春の初めのお喜びは花のように開け、月のように満ちておられると、うけたまわりました」(1575㌻、通解)と、つづられている。(静岡の南条時光の母、上野尼御前に)
 「冬は必ず春となる」――この有名な一節も、神奈川のお母さんに贈られた御言葉である。(鎌倉の妙一尼御前に)
7  妙法は「絶対的幸福」の軌道
 今、社会全体が暗い。トイ不ルに入ったような時代である。だからこそ、「希望の哲学」を、「励ましの声」を、「指導の力」を、あの人にも、この人にも、生き生きと贈っていきたい。
 それを続けていく人が、本当の指導者である。その存在は、人々を救いゆく仏の徳にも通じていくことだろう。
 今、「女性の世紀」開幕の″春″である。皆さまのお力で、この社会に、「幸福」と「友情」の花を、爛漫と咲かせていただきたい。
 婦人部そして女子部の皆さまは、本当に尊い方々である。
 多くの人が、「自分だけの幸せ」しか考えないような世の中である。そのなかで、自分自身が、さまざまな苦労を担いながらも、悩める友の声に耳をかたむけ、励ましておられる。懸命に、広宣流布のために行動し、折伏をしておられる。それが、どれほどすごいことか。
 自分より社会的に偉そうな人や、幸福そうに見える人が、いるかもしれない。しかし、妙法を信じ、弘める人は、すでに世界第一の幸福者であり、指導者なのである。
 それは、なぜか。妙法は「絶対的幸福」の軌道であるからだ。妙法は、一切衆生が皆、仏である」という真理に目覚めさせる教えであるからだ。
 妙法に勝るものはない――これは御聖訓に示された実像だ。
 「私は幸福だ。最高の妙法を持っているから」
 この大確信で、仏法を語ればよいのである。
 現在の境遇がどうあれ、妙法を唱え、弘めゆく人は、すべて仏の使いである。計り知れないほどの大福徳を積み、永遠の幸福への直道を歩んでいることを誇りにしていただきたい。
 とくに、男性は、女性を尊敬し、大切にしていかねばならない。
 たとえば、かりに、自分の奥さんが、他の男性から叱られたら、どう思うか。それ一つとっても、男性の幹部は、女性の方々に対し、傲慢な態度を取ることが絶対にあってはならないのは当然である。女性に威張る男性は、「愚のなかの愚」である。
8  団結すれば百倍の力が
 本日は、来日されたイタリアSGIのメンバーも参加しておられるが、代表の方々から、イタリア独立運動の思想家マッツィーニの肖像の版画を届けていただいた。深く感謝したい。
 ここで、マッツィーニの言葉を紹介したい。
 彼は言った。
 「団結は諸君の力を百倍にする」(ボルトン・キング『マッツィーニの生涯』力富阡蔵訳、黎明書房)
 まったく、そのとおりである。「団結は勝利」「不和は敗北」である。
 学会が強かったのは、何があろうと「団結」に徹しぬいてきたからである。
 マッツィーニは、こうも語っている。
 「汝の同胞との連合がますます広く、親密に、包括的になるに従って、汝の改善の途もいよいよ進められるであろう」(『人間義務論』大類伸訳、岩波文庫)
 「汝の改善の途」とは、私どもで言えば、「人間革命」の道であろう。
 同志との団結があってこそ、自分自身の人間革命ができる。団結がなくなれば、人間革命のドラマはつくれない。
9  現在、中部では、「偉大な指導者 周恩来」展が各界に反響を広げている。
 周総理は″この世界で一番、大きな力とは、民衆の団結した力である″と語っていたという。
 周総理は、まことに聡明な指導者であった。その眼差しは、つねに「民衆」に向けられていた。
 民衆こそ基盤である。「民衆」という言葉には、お年寄りから赤ん坊まで、そしてまた世界中の、すべての人々が含まれている。
 私たちもまた、どこまでも民衆の中で生きる。民衆とともに進む。この一点に、私どもの境涯と、一部の権力者たちの狭小な心との違いがある。
 だからこそ、周総理は、創価学会が民衆の団結の力によって生まれ、活躍していることに着目し、絶大なる信頼を寄せてくださったのである。
 われわれは「創価家族」である。この世界一のうるわしい団結を、さらに強めて、永遠に、仲良く、朗らかに勝ち進んでまいりましょう!(拍手)
10  正義の勝利へ、青年らしく師子奮迅の戦いを
 大聖人が、十九歳(数え年)の青年門下、南条時光に贈られた御聖訓を拝したい。
 学会青年部の大先輩ともいうべき時光は、現在の富士宮市の一部を治める若き地頭であった。リーダーであった。
 富士宮といえば、堂々たる「正義の勝利」の大前進、本当におめでとう!(拍手)
 南条時光は、権力と結託した邪悪な坊主、また卑劣な反逆者、退転者らの策謀のなかで、青年らしく、丈夫らしく、師子奮迅の戦いをした。
 大聖人は仰せである。
 「大身の人(身分や地位などの高い人)から、(圧迫を加えようとして)言い出してきたことに対しては、『ああ、法華経のよい敵よ! (三千年に一度咲く)優曇華の花や、一眼の亀が奇跡的にめぐりあえる浮木(のように、あいがたい敵)である』と、お考えになって、したたかに(強く)ご返事をなされるがよい」(御書1540㌻、通解)
 理不尽な迫害に対しても、「よく来た! さあ、戦おうじゃないか!」と、青年らしく、断じて反撃せよ―――こう大聖人は教えてくださっている。
 大聖人は、こうも述べておられる。
 「さも、味方のように見せかけて退転させ、自分もあざ笑い、人にも笑わせようとする奇怪な者たちには、十分に言わせておいたうえで、『多くの人が聞いているところで人を教訓するよりも、まず自分の身を教訓しなさい』と言って、勢いよく、その場を立たれるがよい」(同㌻、通解)
 味方のようなふりをして、同志をだまし、退転させようとする大悪人は、これまでもいた。また、これからも出るかもしれない。
 青年は、それを鋭く見破らねばならない。痛烈に、まっこうから破折し、ただちに打ち破っていかねばならない。これが大聖人の厳たる御命令なのである。
 ゆえに「青年よ聡明であれ」「賢明であれ」と私は申し上げたい。
 「正義に強い」青年であれ! 「誠実に強い」青年であれ!
 邪悪を見すごすような青年は、青年ではない。、臆病者である。意気地なしである。
 学会は、世界第一の崇高なる世界である。それを攪乱しようとする悪人は、青年の「正義の言論」で、断固として打ち破っていただきたい。
 君たちの時代に、史上最強の″正義と拡大の青年部″を、堂々と築き上げていただきたい。
11  海外のSGIの同志の皆さま方、本日は遠方から、崇高なる「広宣流布の研修」に、ようこそ、お越しくださった。
 ブラジル、イタリア、アメリカ、カナダ、ニュージーランド、インド、タイ、シンガポール、韓国など各国の代表の皆さま方、本当に、ありがとう! 本当に、ご苦労さま!(拍手)
 皆さま方の尊き「信心の志」を、御本仏日蓮大聖人が、なによりも喜ばれ、讃えておられることは、絶対に、間違いない。
12  立宗七百五十年、世界百八十力国に拡大
 今年は、大聖人の「立宗宣言」から七百五十年という大佳節である。なかんずく、今月は、大聖人の御聖誕の月でもある。(大聖人の御聖誕は、一二二二年〈貞応元年〉二月十六日)
 その慶祝の意義をこめて、今月、日本全国ならびに世界各国の会館で、記念の勤行会が行われる。末法万年の広宣流布の歴史から見るならば、まさに私たちは、千載一遇の「妙なるリズム」の中にいるのである。
 「立宗宣言」の日である建長五年(一二五三年)の四月二十八日、日蓮大聖人が、ただ御一人、唱え始められた「南無妙法蓮華経」の題目は、わが創価学会によって、今や世界百八十力国・地域にまで広がった。
 すべては、全世界の同志の皆さま方の師子奮迅の闘争の賜である。私は衷心より感謝申し上げたい。この尊き広宣流布の行動こそ、宗祖日蓮大聖人への最大の「報恩謝徳」となることを確信していただきたい。(拍手)
13  大聖人は、末法万年の全人類の幸福と全世界の平和を願っておられた。一閻浮提の広宣流布を展望しておられた。
 この仏法は、一宗一派の狭い次元を超えて、あらゆる人々、あらゆる国々に開かれている。いうなれば「人間宗」であり、「世界宗」なのである。
 御書には、こう記されている。
 「この一閻浮提(全世界)は、タテもヨコも七千由旬(由旬は古代インドの距離の単位。一由旬は帝王の一日の行軍距離とされた)の広さがあり、その中に八万の国がある。この国々に、正法と像法の二千年の間、いまだ法華経は広宣流布されなかった。それなのに、末法今の時に流布させなければ、釈尊は大うそつきの仏となり、その法華経の説法を真実であると証明した多宝如来の言葉も水の泡となり、十方分身の仏が証明のために出した長い舌も芭蕉の葉のようになってしまおう」(335㌻、通解)
 大聖人の広宣流布の誓願をば、厳然と実現しているのが創価学会である。
 もし、創価学会が出現しなければ、(末法の広宣流布を予言した)経文も「うそ」。御書も「うそ」。あらゆることが、ことごとく「うそ」となってしまったことであろう。
 わが創価学会員の皆さま方が、どれほど大事な、どれほど尊貴な方々であることか。御書に照らして見れば、明らかなのである。
14  学会員は「如来の使い」「大聖人の分身」
 戸田先生は、学会員の崇高な使命を教えてくださった。
 すなわち、「われら学会員こそ、如来につかわされた尊い身であると確信すべきであります。自分を卑しんではなりませぬ。大聖人の分身なのであります」と断言されたのである。
 妙法を弘めゆく、われら学会員は、「如来の使い」であり、「大聖人の分身」である。
 したがって、いかなる時代の荒波の中にあろうと、仏に等しい皆さまが絶対に不幸になるわけがない。困難に負けるわけがない。
 ゆえに皆さまは、何があっても、朗らかに、前へ前へ進んでいただきたい。
 「因果の理法」に照らして、誠実に、正直に、愚直なまでに、広宣流布に戦う人は、最後は必ず勝つ。反対に、うそと策謀をめぐらせ、仏勅の学会を破壊しようとする者の末路は、地獄である。
 これが大聖人の厳しき仰せである。
 今、私は、全国そして全世界の同志に「断じて負けるな! 断じて勝ちゆけ!」と、毎朝毎晩、真剣に題目を送らせていただいている。全同志が、一人も残らず大勝利者になっていただきたい。
 これが、私の、いつわらざる心である。
15  創価学会の「照準」は世界である。「大謗法の山寺」など眼中にない。
 じつは、末法の乱れた時代に、「山寺」を乗っ取ろうとする謗法の坊主が現れることも、御書に厳然と記されている。
 「わずかな小乗のみの小法を知って、大法を行じる人を、間違いであると我慢の心を起こし、自分の小法を弘めるために、大法秘法を弘める山寺を押さえ取る者もあり」(525㌻、通解)と。(とくに極楽寺良観のことをさすと拝される)
 全世界へ大法弘通する創価学会に嫉妬し、破和合僧の陰謀をめぐらせたのが日顕一派であった。この恩知らずの一味は、学会の真心からの供養で荘厳した「山寺」に、今なお、居座り続けている。そこには、広宣流布の清らかな信心は跡形もない。もはや、天魔の巣窟である。
 ともあれ、仏法史上初めて、大聖人の仰せのとおりに世界に広宣流布したのは、いったい、だれであったか。
 それは、わが創価学会だけであったことを、私は強く申し上げておきたい。(拍手)
16  トインビー博士「創価学会は世界的出来事」
 創価学会が仏法を流布した画期的意義を、偉大な歴史家であるトインビー博士も、大きく宣揚してくださった。
 私が、博士と最初にお会いしたのは、今から三十年前。博士との対談集は、現在、世界の二十四の言語で発刊されている。(一九七二年と七三年の二度、ロンドンで、のべ十日間にわたり、トインビー博士と対談。後に対談集『二十一世紀への対話』〈本全集第3巻収録〉を発刊した)
 トインビー博士は、私が執筆した小説『人間革命』の英語版にすばらしい序文を寄せてくださった。その一節に、こう記しておられる。
 「戦後の創価学会の興隆は、たんに創価学会が創立された国(日本)だけの関心事ではない。池田氏のこの著作が、フランス語や英語に翻訳されている事実が示すように、創価学会は、すでに世界的出来事である。
 創価学会は仏教団体であり、仏教はみずからのメッセージを全人類に伝えようとした最初の伝道的宗教であった」
 「日蓮の地平(視野)と関心は、日本の海岸線に限定されるものではなかった。日蓮は、自分の思い描く仏教は、すべての場所の人間仲間を救済する手段であると考えた。創価学会は、人間革命の活動を通し、その日蓮の遺命を実行しているのである」
 トインビー博士は、世界宗教である日蓮大聖人の仏法の本質を、鋭く見ぬいておられた。
 そして、私どもが世界に対話を拡大することを期待された。「人間と人間」を結び、「文明と文明」の懸け橋となる「対話」に、人類の未来の希望を託されたのである。
17  さらに博士は、序文の中で、「創価学会の戦後の見事な成功の原因は何であったか」について洞察し、こう結論しておられる。
 「根本の原因は、創始者・日蓮を源とする創価学会の信心、創価学会の指導者たちの信心にある。日蓮の精神は、没後七百年を経た今もなお、大きな影響力がある。
 この信心は、創価学会の指導者たちに、迫害を耐えぬく勇気と不屈の心をあたえた。その忍耐のなかで、創価学会の指導者たちが示した誠実な振る舞いは、この教えに対して民衆の心を開かせた。その結果、創価学会の会員数はめざましい増加を遂げたのである」
 創価学会には、大聖人の御精神を受け継ぐ「正統中の正統の信心」がある。「勇気」と「忍耐」と「誠実」がある。日顕宗には「広宣流布の信心」がない。あるのは「金儲け」と「嫉妬」の心だけである。
 学会は、「二十世紀最大の歴史家」が明確に証言したように、「奇跡」ともいうべき世界的な発展を遂げることができた。すべて、ともに広布に戦う皆さま方のおかげである。(拍手)
18  思えば、五十年前の「二月闘争」は、「立宗七百年」の二月に打ち立てた金字塔であった。
 (一九五二年〈昭和二十七年〉、名誉会長は蒲田支部の支部幹事として、二月の一カ月間で、当時の限界を打ち破る「二百一世帯」の弘教を達成。戸田第二代会長の願業である「七十五万世帯の折伏」への突破口を開いた。この年は日蓮大聖人の「立宗宣言」から七百年の佳節であった)
 そして今、「立宗七百五十年」の二月を迎えた。創価学会は、今や「日本一」、いな「世界一」の仏法と平和のスクラムとなった。いよいよ、これからが本舞台である。
 宇宙第一の妙法を朗々と唱え、弘めながら、ともどもに、「日の出の勢い」で前進したい。
 五十年後、私たちは「立宗八百年」を迎える。この時までに、どこまで広布を拡大できるか。
 若き青年部、未来部の皆さま方に、すべてを託したい。よろしく頼みます!
19  ガンジー″内面の変革こそ真の変革″
 きょうはフランスの代表も来ておられる。
 ロマン・ロランの小説で、主人公の女性が、こう決心する場面がある。
 「第一の義務は『意気地なしにならないこと!』」(『魅せられたる魂』宮本正清訳、岩波文庫)
 戸田先生は、「人生は強気でいけ!」「学会は強気でいけ!」と指導されていた。
 ロランと親交のあったインド独立の父ガンジーは言っている。
 「改革者たるものが関心をもたなければならないのは、外面的形式よりも内的精神における根本的な変革である」(「私のヒンドゥー教」竹内啓二訳、『私にとっての宗教』所収、新評論)
 肩書や地位などの「外面」ではない。真の革命家、時代をつくる偉大な人は、人間の「内面」に目を向けている。人間革命である。
 日夜、自他ともの幸福へ行動し、「内的精神」を充実させる人――皆さまこそ、真の「改革者」なのである。
 尊き皆さま方が、ますます健康で、ご長寿で、大活躍されることを心から願い、スピーチを結びたい。
 きょうは海外の皆さまをはじめ、遠いところ、ありがとう! どうか、お幸せに!
 (創価国際友好会館)

1
1