Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第十三回本部幹部会、第二回中部総会、第… 「対話拡大の年」勇気の信心で進め

2002.1.8 スピーチ(2001.8〜)(池田大作全集第93巻)

前後
2  全世界に友情と信頼のネットワーク
 本年も、全世界の平和・文化・教育の各界の指導者から、数多くの新年のお便りをいただいた。
 タイ王国の文化大王プーミボン国王からも頂戴した。インドの哲人指導者ナラヤナン大統領ご夫妻、新世紀の大中国を担う胡錦濤国家副主席、ノーベル平和賞受賞者のロートブラット博士、国連のガリ前事務総長からも、いただいた。
 ロートブラット博士は、九十三歳。にもかかわらず、昨年、イギリスから、わざわぎ、アメリカ創価大学にお越しくださり、記念講演をしてくださった。
 ほかにも各国の元首クラスの最高指導者、世界の大学の総長はじめ学術界のリーダー、さらには各国の大使などからも多数の祝福のメッセージをいただいた。
 一通一通が、全世界に友情と信頼のネットワークが広がっている証拠であり、謹んで皆さまにご報告させていただきたい。(拍手)
3  新春にあたり、芸術部の方々、スポーツ界で活躍される方々も集ってくださった。ありがとう!(拍手)
 大切な皆さま方であるゆえに、一人残らず、栄光の人生の勝利者になっていただきたい。
 人気があるとか、ないとか、テレビに出たとか、出ないとか、そんなことは、一次元から見れば、また人生の幸福という意味においては、小さいことである。
 大事なのは、どんなことがあっても、宇宙大の大法則である信心に徹しゆくことだ。「広宣流布の道」から離れないことだ。自身の偉大な使命に生きぬいていくことだ。そこにしか、真実の幸福の大道はないからである。
 その上で、わが使命のが舗で、努力に努力を重ねて、「限界の璧」を突き破っていつていただきたい。
 「勝ち負け」は時の運である。大事なのは、自分が前進したかどうかである。「自分は、これだけやったんだ!」と言える人生は満足だ。満足は勝利である。
 「一騎当千」の皆さま方である。学会も皆さま方のおかげで、大発展することができた。心から感謝申し上げたい。
 ともかくも、皆さま方には、一千万人の同志という力強い応援団がいることを忘れないでいただきたい。あとは、自由に、伸び伸びと、この一年も、わが生命の最高の力を発揮していっていただきたい。
4  仏法こそ勇気の源泉
 フランスの思想家モンテーニュの『エセー(随想録)』に、こういう一節がある。
 「強い勇気は、いかなる出来事にも背を向けずに、不幸や苦痛を滋養として求める。暴君の威嚇や拷問や獄卒からも、元気と生気を汲みとる」(原二郎訳、岩波文庫)
 勇気である。強い勇気である。仏法こそ、この勇気の源泉である。
 強い勇気があれば、いかなる不幸も苦痛も、自分自身の建設の糧とし、わが使命達成の力としていける。
 フランスの著名な作家カミユは言う。
 「貧困と不条理とが多くの人々に人間性を失わせているこの世界で、たった一人を救うことは、みずからを救済し、わたしたち皆が希望する人類の未来を救うことになるのです」(オリヴィエ・トッド『アルベール・カミユ〈ある一生〉』上、有田英也・稲田春年訳、毎日新聞社)
 一人を救うことはみずからを救うこと――この実践が、私どもの折伏である。
 折伏を通して、まず自分自身が大きく成長できる。人間革命できる。宿命転換できる。ここに仏法の偉大さがある。
 自分も他人も救っていける――この折伏行こそ「人類の希望の方程式」なのである。
5  各国また各地の未曾有の勢いの新出発、本当におめでとう!(拍手)
 わが青年部も決然と立ち上がった! この年末年始で、青年部は、全国で多数の新しき同志を誕生させた。見事な拡大である。
 戦った人が尊い。どんなに立派なことを言おうと、「口だけの人」は、もはや必要ない。実行である。やったかやらないかである。
 これからが青年部の「本門の時代」である。すべてを後継の青年部に託していく時代に入ったと、私は強く申し上げたい。
 また、親愛なる新入会の皆さまのご健康を、そして皆さま方が希望に燃えて前進できるよう、心から祈っております。
6  各国SGIの躍進をたたえて
 今回、研修で来日されたSGI(創価学会インタナショナル)の各国も、たいへんにすばらしい発展をされている。新年、おめでとう! ア・ハッピー・ニュー・イヤー!(拍手)
 まず、希望の大陸オーストラリア。私は、一九六四年(昭和三十九年)に初訪問し、妙法の種を蒔いた。以来、この美しき天地の平和と繁栄のために、私は真剣に祈り、行動してきた。
 オーストラリアSGIは、この二十年間で数倍以上に拡大。大きな陣容となった。
 また仏教発祥の国インドの躍進も、まことに力強い。私が前回、訪問してから、この五年で、メンバーは倍増。社会貢献の活動を、本当によく頑張ってこられた。
 インドの国家的指導者にも、私のたいへん近しい友人がいる。幾多の知性の方々とも、深く友情を結んできた。
 日蓮大聖人の御遺命である「仏法西還」は、創価学会によって、現実に成し遂げられつつある。
 さらに、一昨年(二〇〇〇年)、私が招聘をいただき、訪問したマレーシア。イスラム教が国教であるこの国でも、SGIは絶大な信頼を勝ち得ている。
 昨年一年間だけでも、平和と文化を広げゆく、五つの新会館が完成。とくに十二階建ての総合文化センターは、首都の中心に堂々と、そびえ立っている。本年も新たに二つの会館がオープンする予定である。
 (=四月二十日にマラッカ文化会館が、六月八日にベナン・ブーキットタンブン文化会館が開館した)
 聡明な理事長のもと、すばらしい発展を心から祝福申し上げたい。(拍手)
 辞識の皆さま方は、三年前(一九九九年)の大震災を毅然と乗り越え、社会貢献の模範を示しておられる。これまで内政部から、九回連続で「社会優良団体」として顕彰された。メンバーも確実にふえている。偉大な発展、おめでとう!(拍手)
 韓国の皆さまも、よく頑張ってこられた。私は四年前、韓国SGIの立派な本部を訪問した。この本部をはじめ韓国の会館は、全国で二百七。尊き個人会館は七十ある。
 うれしいことに「韓日友好」は大いに進み、きょうも名門・慶熙キャンヒ高校のサッカー部が、関西創価高校とうるわしい交流試合を行っている。
 さらに香港SGIは、まことに仲のよい団結で、社会に、世界に貢献する人材を送り出している。香港創価幼稚園も、今や香港屈指と名高い。
 皆さま方を代表して、私は香港大学、香港中文大学をはじめ、中国・広東地域の著名な十のすべての大学・学術機関から「名誉博士」「名誉教授」の栄誉を拝受した。これも香港の同志の皆さまが、社会で深く信頼されてきた賜である。
 香港の皆さま、ありがとう!(拍手)
7  本日は、ボストン二十一世紀センターの所長一行が出席されている。
 これまで同センターでは、『憎しみの克服』『仏教者の平和事業』など、最先端のテーマを取り上げ、出版を重ねてきた。いくつか、私も寄稿させていただいている。
 そうした書籍が、ハーバード大学やコーネル大学など、全米の百を超える大学で、教材として使用され、高い評価を受けている。
 世界は正視眼であるゆえに、私どもの運動への共感が、どんどん広がっている。そういう時代になっているのである。
 さらに、自身のことで恐縮であるが、″英語版・青春対話″(青少年向け英文指針集『青春の道』)が、アメリカの大手出版組合の「二〇〇一年度ベストセラー」の一冊となった。
 アメリカの青少年に、少しでも希望と勇気を贈りたい――これが私の心からの願いである。
 (名誉会長とゴルバチョフ元ソ連大統領の対談集『二十世紀の精神の教訓』のフランス語版も、パリの最大手書店をはじめフランス各地でベストセラーになっている)
 きょう、この会場(東京牧口記念会館)には、本年秋に晴れてアメリカ創価大学の第二期生となる、ニュージーランドの女子学生の方も駆けつけてくださった。おめでとう!(拍手)
 アメリカ創価大学の開学には、ニュージーランドの女性首相、クラーク首相からも、最大に真心あふれるメッセージを頂戴している。
 ともあれ、本日は、海外から、全部で二十二カ国・地域の同志が参加してくださった。遠路はるばる本当にご苦労さま! 尊き求道の功徳は大きい。
8  「大河の国」「友愛の国」にも妙法の同志
 さて、昨年末の本部幹部会で、私は、「SGIが百七十八カ国・地域となった」ことを、皆さま方にご報告した。それに引き続き、年頭に当たって、すばらしい慶事を伝えさせていただきたい。
 このほど、新たに二つの国で、私たちの同志が誕生したのである。(拍手)
 その一つは、アフリカ大陸の西にある「ガンビア共和国」。
 「ガンビア」とは「川」という意味であり、悠久の大河が国土を活々と流れ、大西洋に注いでいる。この、アフリカ大陸でいちばん小さな共和国にも、末法万年尽未来際への広宣流布の源流が、今、勢いよくほとばしり出たのである。
 さらにもう一つの国は、東ヨーロッパの風光明媚な「アルバニア共和国」である。
 「友愛」と「礼儀」の国として知られる、この国にも、″妙法の平和の音声″が高らかに響きわたり始めた。そして、その一粒種は、若き聡明な女子学生なのである。女子部の時代である。女性の時代である。
 これで、わがSGIは世界百八十力国・地域の堂々たる大連帯になったのである。(拍手)
9  戸田先生は決意「広宣流布の巌窟王」に!
 きょう一月八日は、五十七年前、牧口初代会長の獄死の事実を、同じく獄中にあった戸田第二代会長が、判事から初めて告げられた、厳粛な「師弟の日」である。
 師の獄死を初めて知った。あまりの悔しさに泣きあかした。師弟というのは、そういうものである。
 (治安維持法違反と不敬罪で投獄された牧国会長は、一九四四年〈昭和十九年〉十一月十八日に亡くなった。厳しい独房生活による栄養失調と老衰のためであった。
 翌四五年〈昭和二十年〉の一月八日、戸田会長は、取り調べの判事から「牧口は死んだよ」と告げられた。
 後年、戸田会長は語っている。「わたくしは若い、老人の先生を、一日も早くお帰ししたい』と思っていた一月八日に、十一月の先生の死をお聞きしたとき、だれが先生を殺したんだと叫び、絶対に折伏して、南無妙法蓮華経のために命を捨てようと、決心したのであります」(『戸田城聖全集』3)
 この日から、戸田先生は「広宣流布の巌窟王」となった。自分が偉くなるのではない。殉教の牧口先生の″分身″となって、先生の精神を実現していくのだ――こう決意された。
 第三代の私も、寸分たがわぬ「師弟不二の心」で、御聖訓どおりの難を一身に受けながら、戦って戦って戦いぬいてきた。難こそ「正義の証」である。
 不惜身命・死身弘法の大闘争。これが、牧口先生、戸田先生、そして私という、創価学会を貫く師弟の魂なのである。
 「不惜身命」と、口で言うのは、たやすい。しかし、本当に実行している人は少ない。
 それをしているのは、上の幹部よりも、最前線の本当に純真な同志のほうが多いように思える。
 幹部になって、偉くなろう、要領よく人にやらせよう――これでは信仰ではない。虚栄である。
10  巡り来た「一月八日」のこの日、百八十力国の世界広宣流布の大実証を、私は皆さま方とともに、牧口、戸田両先生にご報告することができた。それが何よりもうれしい。(拍手)
 「華果成就御書」には、「弟子が妙法を弘める功徳は、必ず師匠の身に帰する」(御書900㌻、趣旨)という原理が御教示されている。
11  拡大は師匠への最大の報恩
 弟子が戦うことが、師匠への恩返しである。これが仏法である。人間の道である。
 ゆえに、広宣流布の拡大の闘争こそが、師匠への最大最上の報恩となるのである。
 大聖人は、「撰時抄」に、こう仰せである。
 「多くの流れが集まって大海となる。微小な塵が積もって須弥山(最高の山)となったのである。日蓮が法華経を信じて題目を唱え始めたことは、日本の国にとっては、一つのしずく、一つの微塵のようなものである。やがて二人、三人、十人、百千万億人と、法華経の題目を唱え伝えていくほどならば、妙覚(最高の悟り)の須弥山ともなり、大涅槃という悟りの大海ともなるであろう。仏になる道は、これよりほかに、また求めてはならない」(御書288㌻、通解)
 有名人になる道。名声を得る道。社会的に高い地位に上る道。それは、いろいろあるだろう。しかし「仏になる道」は、どこにあるのか。それは「広宣流布の拡大」にしかない。
 大聖人の仏法は「広宣流布の信心」である。
 信心即生活である。ゆえに、今がどれだけ厳しくとも、この広宣流布の信心さえ貫けば、すべての努力が生かされ、いくらでも生活の面で、また社会の面で、勝利し、成功していけるのである。
12  今、世界の同志の連帯は、かけ算のように何倍もの力を発揮し、功徳も増し、人材も増し、威光勢力も増し始めた。
 日顕一派と決別して十年。広宣流布は、大聖人正統の創価学会によって、この地球上に、いやまして速度を加え、進展してきた。
 これもすべて、世界広宣流布を自由自在に進められるようにとの御仏意であり、御仏智であったというほかない。いよいよ、″太陽の大仏法″が、平和へ、幸福へ、繁栄へ、全人類を本格的に照らす時代に入ったと思えてならない。
 大聖人は在家の弟子に、「その国の仏法流布は、あなたにおまかせいたします」(御書1467㌻、通解)と仰せになっている。
 大聖人から託された、それぞれの深き使命の天地にあって、世界最高峰の須弥山のごとき大福運を積んで積んで積みきっていただきたい。
 生命は永遠である。できる時に、福運を積んでおかないと、損である。広布に戦って積んだ福運は、永遠の幸福の土台となる。生々世々、仏となり、生命の「王者」となることは間違いない。
 だからこそ、今、頑張ろうではないか。(拍手)
13  まもなく、中部で″周恩来展″が開催される。準備に当たってくださっている、中部青年部の活躍と努力に対して、「本当にありがとう」と感謝申し上げたい。
 (=「偉大な指導者 周恩来」展は、中部青年部が企画・制作。二〇〇二年一月十九日から三月二十四日まで中部池田記念講堂で公開された)
 近年、青年部は頼もしくなってきた。
 学会は、どこまでも「青年創価学会」である。青年部が広宣流布の一切を担い、決然と立ち上がっていくのが、学会の伝統である。青年の魂を失い、心が老年になってしまえば、もはや学会ではない。
 私は、今年から、もう一回、青年の育成に全力を挙げていく決心である。
 周恩来総理は青年を大切にした名指導者であった。
 人材を、どう育てるか。青年を、どう伸ばしていくか。そのポイントとして、総理は三つの点を強調された。
 一つは、「青年を尊重する」こと。
 二つ目は、「青年を重んじ、抜擢する」こと。
 そして三つ目は、「青年から学ぼうとする」ことである。
 周総理ご自身が、その模範を示された。三十歳も若い私を、本当に大事にしてくださった。
 (一九七四年十二月五日の会見の時、総理は七十六歳、名誉会長は四十六歳)
 学会も、どんどん青年を抜櫂してきた。青年から学んできた。だから大発展したのである。
 私は徹底して青年を育成してきた。青年を大事にしない団体は、必ず衰亡するからである。学会は、絶対に、そうあってはならない。
 将来のために、あえて言い残しておきたい。
14  周総理――大闘争のなかで自己を鍛えよ
 青年は闘争のなかで自己を鍛えよ! 戦いを避けていては、自己を発展させることはできない――これが周総理の心であった。
 戸田先生も言われた。
 「闘争せよ! そのなかで自分自身を鍛えよ!」
 ゆえに私は、戦って戦って戦いぬいた。青年部時代、活動が終わって家に帰ると、くたくたに疲れて靴も脱げない。そういうこともあった。しかも、肺病の体であった。
 その私が、入信以来、今日まで、広宣流布へ戦い続けることができた。すべて、戸田先生の厳しき薫陶のおかげである。
 周総理は言われた。
 「鍛錬を受け、さまざまなきびしい錬磨を経てはじめて鋼になる」(『周恩来選集』外文出版社)
 人生は闘争である。鋼の精神がなければ、大きな仕事はできない。歴史上の人物も、現代の社会にあっても、鋼のごとく精神を鍛え上げた人間だけが勝っている。成功している。
 楽をして勝った人間などいない。そこには最後の勝利はないのである。
15  鄧女史「強くなって遺志を継ぎましょう」
 周総理の言葉を引かせていただいたのは、きょうが周総理の命日だからである。
 亡くなられて二十六年。一九七六年一月八日、午前九時五十七分の逝去であった。
 私は、けさ、妻とともに、懇ろに追善させていただいた。
 「人民の総理」を失った時、多くの人々が嘆き悲しんだ。しかし、夫人の鄧穎超とうえいちょう女史は、毅然と皆を励ました。
 「強くなりましょう。泣くのはよしましょう。泣いても人は生き返りません。私は三回だけ泣きました」「私たちがやらねばならないことは、涙をぬぐい、恩来の遺志を継ぐことです。そして中国をさらに立派にすることです。そうすることが恩来に対する最大の供養なのです」(西園寺一晃『鄧穎超 妻として同志として』潮出版社
 この強さ。この信念。まさに学会精神である。
 鄧穎超さんは先頭に立って戦った。総理を苦しめた「四人組」と断固として戦いぬいた。
 いざという時、男性は臆病になる場合がある。その点、心を決めた女性は強い。ついには、「四人組」が打倒される日を迎えるのである。
 鄧穎超さんは、最後まで周総理と同じ信念で生きた。平和のために世界を駆けめぐった。
 七十歳を超え、健康とはいえない体を、周りは心配した。その時、鄧穎超さんは言われた。
 「これが私の仕事です。今どうしてもしなければなりません。中国人民が私に与えた任務だからです。恩来もそうでした」(同前)
 使命の道を一歩も引かない。戦いをやめない。これが鄧穎超さんの生き方であった。
 私どもも、「ただ友のため」「広宣流布のために」最後の最後まで戦いぬく人生でありたい。
16  周総理いわく。「力の源は人民であり、結局、すべての勝利は人民の力に依拠して獲得される」(前掲『周恩来選集』)
 創価の勝利の源泉も、すべて民衆の力である。最前線の同志の力である。現実の上で、友を励まし、妙法を弘めてこられた皆さまの力である。
 創価学会は、庶民から庶民へ広がり、心一つに勝ちぬいてきた、崇高にして偉大な「世界一の民衆の団体」である。
 権力者は魔性であり、幻のようなものだ。民衆ほど尊いものはない。強いものはない。
 民衆の団体であるからこそ、周総理も創価学会を大事にし、信頼してくださったのである。
17  きょうは、遠くブラジルからも、偉大な「広宣流布のお母さん」が見えておられる。リオデジャネイロで支部指導員をされている方である。本当にありがとう!(拍手)
 彼女は、二十六年前に入信してより、じつに四百八十五世帯の個人折伏を成し遂げた方である。
 ただただ「苦しんでいる人に妙法を教えてあげたい」と祈りに祈り、誠実に、勇敢に、仏法対話を続けてこられた。
 三年前に亡くなられたご主人、また三人のお子さま方と合わせると、折伏の数は、ご一家で、七百三十世帯を超えるという。尊い個人会場も提供してくださっている。
 本日は、方面長を務める、後継のご子息も出席されている。
 崇高なるブラジル広布のお母さんに、そしてご一家に、私どもは、心からの喝采を送りたい。
 オブリガード!(ポルトガル語で「ありがとう」)(拍手)
 日本中、世界中、あの地にも、この地にも、こうした″広布の宝″の方々がおられる。それを決して忘れてはならない。人間としてもっとも尊貴な広宣流布のために戦ってこられた。大功労者である。いかなる世間の功績よりも尊い。
 どうか、青年部の諸君は、この崇高な母たち、父たちの「折伏精神」を敢然と受け継いでいただきたい。創価学会の次の世代を一切、青年部に頼みたい!
18  トルストイ″自己の胸に「信仰」を持て″
 この新年、日本中、世界中の友人、同志の方々から、多くのお便りをいただいた。この席をお借りして御礼申し上げたい。
 世界的な平和学者で、「地球的非暴カセンター」の会長であるグレン・ペイジ博士が、文豪トルストイがまとめた箴言集の英語版『知恵の暦』を贈ってくださった。
 (『知恵の暦』には、世界の偉人の箴言などが、トルストイ自身の言葉を交え、一年の日付ごとに収められている)
 感謝をこめて、その中からトルストイの言葉を、いくつか紹介させていただきたい。
 まず、「真の賢者は常に喜々たり」。(『一日一章人生読本』原久一郎訳、社会思想社、以下同じ)
 「真に賢い人」は、何があろうと喜々としている、と。
 御聖訓には、「賢者はよろこび愚者は退く」と仰せである。
 では、「喜びの人生」を生きるために、何が大切か――。トルストイが繰り返し強調したのは、「正しい信仰」の重要性であった。
 彼は言う。
 「平安にして強き人でありたいと思ったら、自己の胸に信仰を確立するがよい」
 真実の信仰は、一切の苦悩を打ち破る「信念の剣」である。混迷の闇を照らす「希望の光明」である。正義の信仰に生きる皆さまほど、安穏にして強き人生はないのである。
 トルストイは、こうも言っている。
 「人は生きている限り信ずる。その信仰が真理に近ければ近いほど、その生活は幸福である。またその信仰が真理から遠ければ遠いほど、人は不幸である」と。
 トルストイが、傲慢な宗教権力から迫害され、破門されたことは、有名である。
 (″聖書に従っていない″などと教会を批判したトルストイは、一九〇一年、ロシア正教会から破門された)
 またトルストイは、「自己の生命を認識することが深ければ深いほど、死によっての滅亡を信ずることが少なくなる」と述べている。
 仏法は「生死不二」と説く。生命の哲理を深く学び、実践していく人は、「死」を恐れない。永遠性の「充実」と「幸福」をつかんでいくことができるからである。
 さらに彼は言う。
 「人々の間の融合がもたらすものは、すべて善であり美である。が、これに反して、人々を離反せしむるものは、すべて悪であり、醜である」
 広宣流布の団結を分断しようとした日顕宗は、まさに醜き仏法破壊の大悪であった。
 私たちは、人間と人間を結び、心と心を結ぶ「対話」と「交流」を、今年も、大いに広げてまいりたい。(拍手)
19  仏法は変毒為薬の法――何があっても前ヘ!
 ここで、日蓮大聖人が四条金吾にあてられた、有名な御書の一節を拝したい。
 同僚からの議言によって、主君から領地替えを命じられるなど、苦境に立たされていた金吾への励ましのお手紙である。
 「一生は夢の上の出来事のようにはかないもので、明日のことさえわからないものである。たとえ、どんな乞食になったとしても、法華経にきずをつけてはならない。
 それゆえ、同じくは、(あなたの決意はすでに定まっているのであるから)嘆いた様子を見せないで、このあなたの誓状に書かれたように、少しもへつらわずに振る舞い、語っていきなさい。
 なまじ、へつらうようなことがあれば、かえって(状況は)悪くなるであろう。たとえ、所領を没収され、(土地を)追い出されようとも、それは十羅刹女(諸天善神)の御計いであるのだろう、と深く信をとり、十羅刹女にまかせておきなさい。
 もし日蓮が(佐渡に)流罪されないで鎌倉にでもいたならば、あの戦い(文永九年二月の北条一族の内乱=二月騒動)に巻きこまれて、きっと打ち殺されていたにちがいない。今、あなたが江間家を追い出されることも、このまま江間家にとどまっていてはよくないだろう、という釈迦仏の御計いなのであろう」(御書1163㌻、通解)と。
 大聖人は佐渡流罪という大難にあわれた。しかし、そうであったからこそ、戦乱をまぬかれることができ、かえって良かったのだと仰せである。
 長引く不況のなか、リストラや失業に直面している方もおられるかもしれない。しかし、仏法の眼で見るならば、すべてに深い意味がある。嘆いてはいけない。「強き信心」「勇気ある信心」さえあれば、あらゆる困難を、必ず「変毒為薬」していける。
 どうか、この大聖人の御聖訓を心に刻み、何があっても前へ、また前へ、前進していただきたい。
 仏法は勝負である。断じて勝たねばならない。自身に勝ち、人生に勝利していく。そのための信心である。雄々しく苦難と闘う皆さま、そして誠実な心で戦う皆さまの姿は、すべて大聖人が御覧になっている。安心して、使命深き、わが人生を生きぬいていただきたい。
 この一生、毅然と、勇敢に、胸を張り、一日一日を、自分らしく進んでいっていただきたい。
20  民衆が歴史の主役に
 世界の賢者の思想には、学ぶべき「普遍の価値」が含まれている。
 ドイツの哲学者カントの言葉を紹介したい。
 「欲張りなケチは昔からとてもたくさんのばかばかしい出来事を引き起こすきっかけとなったが、しかもその出来事というのは実際に起きるとは考えられないほど滑稽なものである」(「脳病試論」加藤泰史訳、『カント全集』2所収、岩波書店)
 大恩ある学会と同志を裏切った卑劣な人間、そして日顕宗の姿は、まさに、このとおりである。
 また、近代中国の大指導者・孫文は言う。
 「共和国が成立したのち、だれを皇帝にするのか。人民を皇帝とし、四億の民を皇帝にするのだ。そうすれば、みんながたがいに争うこともなくなり、国内の戦禍をすくなくすることもできるのであります」(『三民主義』山口一郎訳、伊地知善継・山口一郎監修『孫文選集』1、社会思想社)
 人民こそ皇帝なり――これが孫文の信念であった。
 人間は平等に尊い。ずっと抑圧されてきた民衆が、歴史の主役に踊り出る――この大逆転こそ、多くの哲人たちの願いであった。これを実現してこそ、真の民主主義である。
21  心豊かに、心通わせ、価値的な毎日を
 最後に、皆さま方が、健康で、朗らかで、長生きして、和楽の人生を築かれんことを心よりお祈り申し上げたい。
 人生は、そして生活は、ちょっとした心づかいが大事である。
 たとえば奥さまは、夫が出かける時は、「いってらっしゃい」と笑顔で送り出す。疲れて帰ってきたら、「ご苦労さま」とやさしく迎えてあげる。それが、帰って来るなり、「勤行は? 早くしなさい!」――これでは、かわいそうである。(笑い)
 また、男性は絶対に女性を叱ってはいけない。奥さまを大事にしなくてはいけない。
 「僕は一生懸命、お前の幸せを祈っているよ」「今は月給も安いけど、必ず、もっと楽させてあげるから」。そう誠実に言えば、心は通じる。しかし、口先だけで言っても、かえって見破られる。(笑い)
 どうか聡明に、価値的に、心豊かな毎日であっていただきたい。
 どうせ戦うのなら、勇気をもって戦うことだ。すべてに勝利して、自分自身も満足し、そしてまた、広宣流布の地盤を固めることだ。
 寒いなか、奮闘してくださっている尊き同志に喜びをあたえゆく、名指導のできるリーダーであっていただきたい。
 どうか、この一年、お幸せに! きょうは長時間、本当にご苦労さま! ありがとう!
 (東京牧口記念会館)

1
2