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日蓮大聖人・池田大作

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中国・広州大学「名誉教授」称号授与式、… われらは「平和の王道」を歩む

2001.11.18 スピーチ(2001.8〜)(池田大作全集第93巻)

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2  さて、今日の大中国の「紅の朝」は、どこから明けていったか。それこそ、牧口先生も『人生地理学』の中で注目されていた、貴・広州こうしゅう(コワンチョウ)なのであります。
 一九一一年(明治四十四年)、「中国民主革命の魁」である孫文先生は、「革命の発祥の地」として広州を選びました。
 「人民こそ皇帝」「民衆こそ帝王」という新しき時代の大建設を、栄光輝く広州の天地から始めたい――これが、孫文先生の熱望であったのであります。
 孫文先生の精神を継承する魯迅先生も、ここ広州で、火を吐くような正義の言論を放ち、青年の育成に全魂を注ぎました。
3  広州は「改革・開放の電源地」
 さらに、若き日の周恩来総理が、勇猛なる革命闘争の陣頭指揮を執ったのも、広州であったのであります。
 近年、広州が「改革・開放の電源地」となって、世界が仰ぎ見る中国の大発展を堂々と牽引してこられたことは、よく知られているとおりであります。広州を中心とする広東省の国内総生産は、この二十年間で約四十倍に拡大し、さらに輸出額は五十倍以上にも達したといわれています。
 先日(十一月十五日)再会したゴルバチョフ元ソ連大統領も、二十一世紀の焦点の一つは中国である」と注目しておられました。
4  心から尊敬申し上げる広州大学の林維明りんいめい学長、さらに広州市人民対外友好協会の李良洲りりょうしゅう秘書長、そして広州教育界を代表される諸先生方。
 ただ今、私は、「中国の世紀」、そして「教育の世紀」の新生の太陽たる貴・広州大学から、最大に栄えある名誉教授の称号を賜りました。
 新世紀の最初の創立記念日に当たり、これほどの名誉ある式典はございません。
 牧口初代会長も、戸田第二代会長も、さぞかし喜んでいることでありましょう。
 私は、林学長はじめ貴大学の先生方に、重ねて心より感謝申し上げます。まことに、まことに、ありがとうございました。(拍手)
5  四国の丈夫に絶大の信頼
 ところで、孫文先生が、その最晩年、北京の病院から電報を送り、病床に招いて遺言を託した一人の日本人がおりました。
 孫文先生が、そのように絶大な信頼を寄せていたのは、だれであったか。
 じつは、その人こそ、皆さん方の先人にあたる、四国の丈夫であったのであります。(高知県出身の民権運動家・萱野長知氏〈一八七三年〜一九四七年〉)
 孫文先生と交友を結んだ日本人のなかには、利権に目がくらんだり、傲慢不遜になる人間も少なくなかった。しかし、この自由民権の大地・四国出身の人物は、誠実な友情と尊敬と信義を、変わることなく貫き通したといいます。
 彼は、いわれなき誹謗や悪口を浴びせられようとも、微動だにしなかった。その信念強き四国の人物を信じ、愛した孫文先生の心情が、私には、よくわかります。
6  それは、私が会長を勇退して、まだまもないころでありました。私が指揮を執っていた神奈川文化会館まで、千人の同志が、はるばると太平洋の波を乗り越えながら駆けつけてくださった。
 その方々こそ、ほかでもない、四国青年部の皆さん方のお父さん、お母さん方でありました。(拍手)
 (会長勇退の翌一九八〇年〈昭和五十五年〉の一月十四日、香川、高知、愛媛、徳島の代表千人が、高松港から船で横浜港に渡り、神奈川文化会館を訪問した。同年五月にも、四国の代表が神奈川文化会館を訪れた)
 いちばん大変なときに、真っ先に私のもとに来てくださったのが、いちばん遠い四国の方だった。これが四国の方の心なのです。
 あの日、四国の友は、わざわぎ、汽船(さんふらわあ7号)を出して、やってきてくれました。
 私は、神奈川文化会館の一室の窓辺で、船が着くのを心待ちにしていました。港に到着したときの、懐かしい皆さまの顔が、今も鮮やかに目に浮かびます。
 あのとき参加された人はいますか。(会場には四国の壮年。婦人部の代表も参加しており、多くの人が誇り高く挙手をした)
 皆さん、お元気で、私はうれしい。私は、あの光景を一生涯、忘れることはないでしょう。
 仏意仏勅の学会がもっとも大変な法難の時に、悔し涙を流しながら、必死に真剣に戦いぬいてくれた、けなげな四国のわが同志を、私は、三世永遠に護っていく決心であります。
 どうか、ご家族の皆さま、また地域の方々にも、くれぐれも、よろしくお伝えください。(拍手)
7  孫文「日本よ、覇道でなく、王道歩め」
 かつて孫文先生は、最後の日本滞在の折、神戸で「大アジア主義」と題した歴史的な講演を残されました。(一九二四年〈大正十三年〉十一月)
 その講演は、「日本よ! 覇道でなくして、断じて王道を歩みたまえ」という、命を振り絞っての叫びでありました。
 日本は、武力や侵略、また国家主義や権力主義といった「覇道」を歩んではならない。民衆を不幸にする「邪悪な道」を歩んではならない。そうではなく「正義と人道」、すなわち平和主義、人間主義の「王道」を歩んでもらいたい―――と。
 そして、その翌年、死を前にした孫文先生は、北京の病院で、四国の友に、″私の講演は日本人の心に響いたか、どうか″と尋ねながら、日本への悲願を厳然と打ちこまれたのであります。
 思えば、周総理が医師団の制上を振り切って、私を招いてくださったのも、入院中の北京の病院でありました。
 総理は、それほどまでに、平和の「王道」を歩む学会を信頼し、大事にしてくださったのであります。(拍手)
8  『周恩来と池田大作』の出版に友好往来の歴史
 二十七年前(一九七四年)の十二月の五日――寒い寒い夜でありました。
 当時、周総理は七十六歳。私は四十六歳。総理は、鋭くも、またやさしい、あの眼差しで、私の目をじっと、ご覧になりながら、言われました。
 「池田会長は、中日両国人民の友好関係の発展は、どんなことをしても必要であるということを、何度も提唱されている。そのことが私には、とてもうれしい。
 中日友好が今日まで発展できたのは、私たち双方の努力の成果であり、そして、私たちは、その努力をこれからも続けていくよう希望します」と。
 さらに総理は、遠大な未来を展望されながら、人類の平和と共生の進路を、若い私に、明快に語ってくださったのであります。
 光栄にも、こうした総理と私たちとの友好往来は、両国の輝かしい交流の歴史として尊重され、南海大学の,周恩来研究センターの先生方が、貴重な一冊の本に編纂してくださいました。
 それが、本年(二〇〇一年)三月、権威と格式を誇る貴国の中央文献出版社から発刊された『周恩来と池田大作』であります。
 中国を尊敬し、中国から信頼され、中国と友好を結んでいく以外に、日本の将来はありません。これは、私が語りあってきた、世界の知性の一致した見解でもあります。
 明年(二〇〇二年)は、意義深き両国の国交正常化三十周年の佳節であります。わが四国の青年部の皆さんは、広州をはじめ大中国の青年と、心を深く通わせながら、二十一世紀の平和の「輝く王道」を、勇敢に進んでいってください。
 四国は、あの″ジョン万次郎″を生んだ地です。(中浜万次郎〈一八二七年〜九八年〉。土佐の出身で、江戸時代末期、アメリカに渡り、日米友好に活躍した)
 今度は、四国青年部のなかから、日中友好に貢献する″中国の万次郎″も出てもらいたいと、私は期待しています。四国は、世界に人材を輩出する天地です。
9  正義の「王道」と、邪悪の「覇道」。この戦いは永遠です。
 断じて、正義は負けてはならない。正義が負ければ、民衆が「不幸」になるからです。
 この点、広州ゆかりの魯迅先生ご夫妻の信念も、烈々たるものでありました。
 夫婦一体――ここに、重要な意義があります。「夫婦一体」「親子一体」で戦ってこそ、深い喜びがあり、充実があり、未来へと続く勝利の道を歩んでいける。
 魯迅先生ご夫妻の信念は、″最後の勝利を飾るまで戦いぬいて、敵が、どんな倒れ方をするかを見届けてみせる″という執念だったのであります。
 どうか、後継の皆さん方は、「四国広宣流布」の土台を築いた偉大な父たち母たちが、心から安堵し、「息子たち、娘たちは、よくやつてくれた!」と喜び、喝采してくれるような「仏法勝負」の決着の実証を、一つ、また一つ、つくっていってください。
10  苦労に徹し「偉大なる闘争」から「偉大なる人間」が!
 青年は、苦労を恐れてはなりません。苦労を避ける人は、「青年」とはいえない。
 今、皆さんは、成長する時です。鍛えれば鍛えるほど、伸びていく時です。ゆえに、「善」のため、「正義」のため、「社会」のため、そしてまた「自分自身」のために、苦労に徹しぬいていってください。
 人の百倍、千倍、苦労しぬいた人が、真実の人材です。
 苦労も何もせずに有名人、著名人になる――そんなものは嘘であり、偽物であり、幻です。そういう生き方をしても、人生の最後に苦しむだけです。実体のともなわない名声など、厳粛な死を前にしては、メッキのように、はがれていくものです。苦労に徹しぬいた人こそが、偉大な闘争を成し遂げ、偉大な歴史を残せるのであります。学会の世界も同じです。
 広州の市の花である、美しい深紅の紅棉こうめん(カポック)の花も、「風雨の試練にあえばあうほど、より鮮やかな紅に光り輝く」と言われております。まさに、「艱難に勝る教育なし」であります。
 貴・広東省は、先月、この五年以内で「教育によって省を強化する」(「教育立省」)との方針を打ち出され、なかんずく「生涯教育」「全人教育」に力を入れていくことを発表されました。
 新世紀を勝ちぬく、すばらしい先見であると、私は賞讃申し上げたいのであります。(拍手)
 二十一世紀の教育の巨星たる貴・広州大学が、光輝燦然と大発展されゆくことを、私たちは、心からお祈り申し上げます。
11  前進しないのは退転と同じ
 きょうの創立の佳き日を、天も祝賀するごとく、今夜はロマンあふれる「獅子座流星群」が、大宇宙を舞台にしての乱舞の姿を、夜空に示してくれるようです。(拍手)
 魯迅先生も愛読していたフランスの文豪ロマン・ロランに、「獅子座の流星群」という名作があります。その結末に、獅子座から四方に広がりゆく流星群を仰ぎながら、青年が中心となって、次のように語りあう名場面があります。
 「あらゆるものは前進する。地球、事物、人と同じく空もまた進む」(片山俊彦訳、『フランス革命劇』2所収、みすず書房)――前進しないのは、退転と同じです。
 さらにまた、「それ(=若い足)は地球を歩きつくすでしょう」(同前)――われらの広布の行動にも通じます。
 「全人類が人間の祖国だ」(同前)――非常に重要な言葉です。「全人類」から見れば、「国」なんて小さい。そうした見方に立って、平和を築いていかねばなりません。
 さあ、わが四国青年部の皆さん、われらは師子となって走りましょう! 戦い、勝ちましょう!
 四国に帰ったら、お父さま、お母さまに、くれぐれもよろしくお伝えください。
 皆さんは「親孝行」の青年であっていただきたい。大切なのは、「笑顔」を見せてあげることです。親にとって、子どもの笑顔ほど、うれしいものはありません。また「笑顔」にあふれた家庭ほど幸福なものはありません。
 四国の方々は、本当に人がいい。東京などの都会に、あこがれる人がいるかもしれないが、四国は、すばらしいところです。″人間らしさ″が光っています。
 どうか諸君は、わが愛する四国の天地で、思う存分、活躍していただきたい。
 「四国を頼む!」――こう皆さんに申し上げたい。
 ともあれ、この大切な人生、青春をば、断固、勝利をもって、ともどもに飾りましょう!
 「わが青春に悔いなし!」「私は勝った!」と言える一人一人になっていただきたいと申し上げ、私の謝辞といたします。
 謝謝シェシェ(ありがとうございました)!
 (東京牧口記念会館)

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