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日蓮大聖人・池田大作

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第十回本部幹部会、第二回関東総会 生命尊厳を二十一世紀の世界精神に!

2001.10.11 スピーチ(2001.8〜)(池田大作全集第93巻)

前後
2  大聖人は、伝教大師の次の言葉を引いておられる。
 「賛嘆する者は福徳を須弥山のごとく積み、誹謗する者は無間地獄に堕ちる罪を犯す」(御書1039㌻、通解)
 須弥山とは、エベレストのような、世界の中心の高山である。
 法華経を弘める人を讃える功徳は、計り知れない。
 広宣流布へ戦う人を賛嘆すれば大福運を積み、誹謗する者は無間地獄に堕ちる。これが厳然たる仏法の法理である。
 日々、遊び暮らす人もいる。安逸に流され、無軌道の人生もある。それでは、どこまでいっても、真の充実はない。幸福もつかめない。本当に人間は愚かなものである。
 皆さまは広宣流布のために行動している。
 平和のため、幸福のため、安穏のため、和楽のために前進している。その根幹である仏法を弘めておられる。これほど尊い人生はない。私は心から讃嘆申し上げたい。
3  勇猛精進! 「進まざるは退転」と
 幸福とは何か? これは、ギリシャの哲学者や、『幸福論』のアランをはじめ、何千年来の哲学のテーマであった。
 フランスの文豪ロマン・ロランはつづつた。
 「幸福」とは、自分の道を見いだすこと。そして「何も澱まないこと! 前進する生命……前進です!」(『魅せられたる魂』宮本正清訳、岩波文庫)と。
 「勇猛精進」――仏法の魂は「間断なき前進」である。
 前進をやめれば、人生は即、敗北である。「進まざるは退転」である。
 また、青年とは、だれか? それは、年齢では決まらない。
 「一日一日、進歩する人が青年である」。これが牧口先生の信念であった。
 「前進する人間」こそ「青年」である。「前進する魂」がなくなれば、年は若くても、もはや心は″老年″だ。いわんや妙法は「不老不死」の泉である。三世の旅路を、無限の生命力で前進していける。
 創価学会は、日本列島の津々浦々まで「前進また前進!」の覇気に満ちている。何があっても朗らかに、意気揚々と、不屈の「巌窟王」のごとく胸を張っている。
 きょうは前進する「青年」の集いである。第十回本部幹部会、そして、すべてに「完勝」した大関東の総会、本当におめでとう! 「常勝」と言えば関西である。それに対して、関東は「完勝」を合言葉に進んでは、どうだろうか。(拍手)
4  牧口先生が獄死の直前まで学び続けておられた大哲学者カントは、こう述べている。
 「快活なこころだけが善に対する喜びを感じ取ることができる。人間を陰惨にするような宗教は誤っている」(「教育学」加藤泰史訳、『カント全集』17所収、岩波書店)
 創価学会は正義なるがゆえに、限りなく快活である。どんな苦難も、痛快に笑い飛ばして前進する、民衆の強さがある。
 「さあ、戦おう!」「広宣流布しよう!」「拡大しよう!」。この「快活な心」に喜びはある。
 広布のため、友のために喜んで戦う。その人が、幸福を感じられる。
 反対に、人を批判したり、陥れようとしたり――そんな毒蛇のような人間には、本当の喜びが感じられるわけがない。
 人に喜びをあたえず、人を陰鬱にさせる宗教は間違っている。それこそ、日顕宗である。
 まもなく、あの滑稽きわまる″破門″宣告から十年を迎える。
 今どき″破門″など、世界のどこにあろう。とんでもない時代錯誤である。それまで学会が、どれだけ宗門に尽くしてきたか、想像を絶する。その学会を宗門は切った。日顕一派は「これで学会は滅びるだろう」と、たかをくくっていた。しかし、極悪坊主たちの予想は完全に、はずれた。
 今や創価学会は、世界宗教として大発展を遂げた。悪に勝ってこそ、真の「正義」である。広布の敵がいたからこそ、われわれの正義が燦然と輝いたのである。(拍手)
5  見よ! 正義の勝利の十年
 きょうは、韓国、インドネシア、イタリアをはじめ、世界十五カ国・地域の友が出席してくださっている。本当に、ようこそ!(拍手)
 十年前(一九九一年)、SGIは百十五カ国・地域であった。それが今や、宗門の鉄鎖を断ち切って、百七十七の国と地域へ、空前の拡大を成し遂げた。
 また、これまで私は、皆さま方の代表として、世界の大学・学術機関から「名誉博士」「名誉教授」という知性の栄誉を拝受してきた。
 この秋、宗門と決別してからの十年間で、ちょうど百の栄誉となる。(拍手)
 (=一九九一年の秋は、十二であった。モスクワ大学〈一九七五年〉が第一号。欧州のグラスゴー大学〈イギリス〉、ポローニャ大学〈イタリア〉、アフリカのガーナ大学、ナイロビ大学〈ケニア〉、アジアの北京大学、香港大学〈中国〉、フィリピン大学、デリー大学〈インド〉、済州大学〈韓国〉、アメリカのデンパー大学、南米のサンマルコス大学〈ベルー〉、オーストラリアのシドニー大学など、五大陸から百六十五の名誉博士・教授等が授与されている。全一〇〇四年十月時点》
 牧口先生も、戸田先生も、教育者であった。
 「教育なき宗教は独善になる」と見ぬいておられた。教育の栄誉は、理想の道を進んでいる一つの証左と信ずる。
 この栄冠を、私は、苦難をともに耐えぬき、勝ち越えてくださった皆さまと分かちあわせていただきたい。(拍手)
 私は毎日、全同志の福運と無事故と長寿を、そして健康で、最高の幸福な人生を生きぬいていかれるよう、祈りに祈っている。
6  大聖人は仰せである。有名な御書である。
 「日蓮の一門は『異体同心』であるゆえに、人数のうえでは少なくても『大事(広宣流布)』を成し遂げ、必ず妙法が弘まると確信する。悪は多くとも、『一善(一つの正義)』に勝つことはない」(1463㌻、通解)
 この御聖訓のとおり、皆さまの団結の力で、わが創価学会は、大聖人に違背した極悪の宗門と一切の邪悪な人間に、あらゆる面で「断固として勝った!」と宣言したい。(拍手)
 フランスの有名な思想家モンテーニュの『エセー(随想録)』に、こういう一節がある。
 「邪悪は自らの毒の大部分を吸い込んで、それで自分を毒する」(原二郎訳、岩波文庫)
 自分でつくった(謗法の)毒を、自分で吸い込んで苦しむ連中――まさに、日顕宗の無残な末路そのものである。仏法は正しいゆえに、因果の裁きは、あまりにも厳しい。
7  牧口先生″女性は理想社会の建設者″
 牧口先生は、「女性教育」の先駆者でもあられた。′
 女性こそが、平和の価値を創造する「未来における理想社会の建設者」である――これが牧口先生の確信であった。
 母たちこそが、かけがえのない生命を守り育む「教育者」である。
 (牧国会長は、すでに九十年以上前、すべての女性に教育の機会をと、学資のない女性のための無料教室を計画。また女性のための通信講座を開設。一流の講師陣で、教材を充実させ、市民に協力を訴える映写会を催すなど、女性教育の向上に尽力した)
 牧口先生は、新渡戸稲造博士(国際連盟事務次長)とも親交があった。博士は世界的な活躍で有名であった。
 牧口先生は、軍部と戦い、投獄された。当時、世間的には、あまり知られていなかった。しかし、その先見は、時を経るごとに輝きを増している。じつに偉大な先生であった。
 今、世界の情勢を見ても、時代は激しく揺れ動いている。そのなかにあって、関東をはじめ、わが学会の婦人部・女子部が、世界第一の「平和と生命尊厳の大連帯」を広げている。
 この連帯をさらに拡大し、強めていく以外に、「真の世界平和」は築けない。そう私は強く訴えておきたい。(拍手)
8  今ふたたび、私たちは思い起こしたい。かつて私たちは、二〇〇一年から始まる「第二の七つの鐘」を打ち鳴らす二十一世紀前半の五十年で、「アジアをはじめ世界の平和の基盤をつくっていこう」と約しあった。
 (一九九七年五月の関西代表者会議、二〇〇〇年十二月の第五十二回本部幹部会など)
 そして、「第三の七つの鐘」に当たる二十一世紀の後半では、「『生命の尊厳』の哲学を時代精神にし、世界精神へと定着させたい」と語りあった。
 人類の未来は、まだまだ懲うい。混迷を打ち破る根本の道は、人間自身の変革しかない。この遠大なる展望に立ち、広宣流布という「永遠の平和の鐘」を、一つまた一つ、確実に、そして厳然と打ち鳴らしていきましょう!(拍手)
9  「一対一の対話」を大切に
 世界の平和、そして、人類の共生は、二十一世紀に託された夢であり、希望である。その実現ヘのもっとも確かな第一歩は、あらゆる差異を超えた「人間と人間の対話」である。
 「しばしば談話だんわを致さん」――これは日蓮大聖人の「立正安国論」の大事な一節である。主人が客に対して、″ともに語りあおうではないか″と呼びかける。
 大聖人は、どこまでも「一対一の対話」を大切にされた。「立正安国論」自体が、主人と客の対話で成り立っている。平和の原点の書である。
 大聖人の仏法は、「立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」と言われる。その根幹をなすのが、対話なのである。
 武力ではない。力による政治でもない。「一対一の対話」によって、人間と人間が、本当の信頼を結んでいくことである。
 国家や民族の差異を超え、一切の差別なく世界の人々が集いあう。きょうも大勢、海外の代表が来ておられるが、SGIは、その″理想の縮図″である。それを拡大していけばよいのである。
 私たちは、「平和への対話」を世界中に広げている。文明間に広げている。
 私自身、トインビー博士をはじめ世界の五大陸の知性と千五百回を超える対話を重ねてきた。文明を結ぶ、世界の識者との「対談集」も、現在、進めているものを含めると約四十冊になる。
 「対話」で、生命尊厳の哲学を「二十一世紀の時代精神」へと高めているのが、創価学会の平和運動なのである。
 皆さまの日々の語らいが、どれほど尊く、偉大であるか。最高の自負と誇りを持って、進んでいただきたい。(拍手)
10  思えば、戸田先生が戦後、「対話の拡大」を開始されたのは、わが関東の天地であった。
 (昭和二十一年九月、戸田第二代会長〈当時、理事長〉は、数人の幹部とともに栃木、群馬へ。戦後初の地方折伏の歴史を刻んだ)
 きょうの関東総会から明年(二〇〇二年)の「対話拡大の年」へ、ほ朗がらかに、にぎやかに出発できることは、本当にうれしい。
11  伝統の教学試験を全力で
 今月(十月)二十八日、「青年部教学試験一級」が行われる。
 さらに来月、十一月二十五日には、「任用試験」が予定されている。
 受験される方は、いますか?(「ハイー」と会場から返事が)
 多忙のなか、真剣な研鑽を続けておられる皆さまは本当に偉い。また受験者に講義し、激励して、偉大なる仏法哲理を教え、一生懸命、応援する先輩も尊い。その両方を、私は心から讃え、ねぎらいたい。
 「自分は、もう合格したから関係ない」という無慈悲な先輩はいないと思うが(笑い)、どうか全力で応援をよろしくお願いしたい。全国各県で大いに競いあい、広布の大人材を、陸続と育てていただきたい。(拍手)
 教学は″年季″という面もある。今の努力が、生涯、いな、永遠にわたる自身の「生命の光」と輝いていくことは間違いない。
 私も青年部時代、埼玉へ御書の講義に通い続けた。″戸田先生の名代″との使命感に燃え、全身全霊で戦ったことが、全部、今、花開いている。
 (名誉会長は、一九五一年〈昭和二十六年〉九月から足かけ三年、埼玉・川越の「地区講義」を担当。当時二十三歳。教学部助師で男子部班長であった)
 ″御書を心肝に染めよ″とは、日興上人の御遺誠である。(御書1618㌻)
 日顕宗は、御書を軽視し、広宣流布の信心を踏みにじった。
 学会は、御書を心肝に染め、広宣流布の信心に徹しぬいた。ゆえに一切に勝利したのである。
 ユゴーは言う。「われわれには確信があるのだから、なにを恐れることがあろう?/河が逆流しないように、思想も逆流などしない」(『レ・ミゼラブル』辻昶訳、潮出版社)
 正しい思想が、民衆を強くする。幸福にする。未来に光をあたえる。これが、ユゴーの確信であった。
 わが青年部は、今こそ教学を深め、「思想界の王者」「哲学界の帝王」と自身を鍛え上げていただきたい。
 「法華初心成仏抄」には仰せである。
 「(思想が乱れ、争いが絶えない末法の)闘諍堅固の時は、余経は効験を失う。法華経の大良薬をもって、この大難を克服すべきであると(経釈には)説かれている。
 法華経をもって国土の安穏を祈るならば、上一人から下万民にいたるまで、ことごとく喜び栄える」(御書550㌻、通解)
 生命と社会の大良薬たる仏法の「人間主義」「平和主義」の哲理を、今こそ、大いに学びぬいていただきたい。教学試験を受験する皆さまのご健闘を、重ねて心から祈りたい。
12  師の志を継いでの弟子″よ立て!
 牧口先生が牢獄で精読された哲学者カントは言う。
 「ソクラテスのような人をまで誹謗して、何人か徳を信じようとするものを妨害したりするということは、人間性に対して仕向けられる大反逆である」(『人間学・教育学』清水清訳、玉川大学出版部)
 牧口先生を国粋主義の日本が弾圧したのは、まさに、「人間性に対する大反逆」であった。
 正義の創価学会を迫害する日顕宗も、「人間性への大反逆」にほかならない。
 人類の師ソクラテスは、嫉妬の謀略によって、毒杯をあおって死んでいく。その時、弟子プラトンが立ち上がる!
 牧口先生は牢獄で殉教する。その時、弟子・戸田先生が立ち上がる!
 戸田先生が、あらゆる迫害と戦い、死んでいく。その時、弟子の私が立ち上がった!
 偉大なる師の心を継いで、必ず″不二の弟子″が立ち上がるものだ。この方程式が仏法である。真実の「師弟」の道である。
13  きょう、十月十一日は、どういう日か。それは五十八年前(一九四三年〈昭和十八年〉)、戦時中のことである。稀代の悪法である治安維持法違反と不敬罪によって、不当にも逮捕された戸田先生が、警視庁から巣鴨の東京拘置所に移されたのが、この日だったのである。
 その半月ほど前の九月二十五日、牧口先生が、先に東京拘置所に移された。真の弟子である戸田先生は、勇んで師匠の後に続かれたのである。
 「どこまでも師匠とともに!」「どこまでも師匠のために!」
 これが弟子である。私も、同じ決心で、戸田先生にお仕えしてきた。
 創価学会の三代の「師弟の道」――これを、若い皆さんは、よく覚えておいていただきたい。
 この最高の人間の道を忘れない限り、踏みはずさない限り、創価学会は永遠に繁栄していく。自分自身も、永遠の勝利王となり、人間王者となることは、絶対に間違いない。
 大聖人は仰せである。「よき弟子をもつときには、師弟はともに仏果(成仏の境涯)にいたり、悪い弟子をたくわえてしまえば、師弟はともに地獄に堕ちるといわれている。師弟が相違すれば(師匠と弟子の心が違えば)何ごとも成し遂げることはできない」(御書900㌻、通解)
 この師弟の大道を、まっすぐに走りながら、私は、牧口先生、戸田先生のお名前を全世界に宣揚してきた。
 それまで、世界はおろか、日本でも知る人は少なかった。中国に行っても、韓国を訪れても、私は、師匠の偉業を語りに語りぬいてきた。今や、両先生のお名前は、世界中で讃えられている。これが私の人生の誉れである。
14  ブラジルに「戸田城聖橋」、デンマークに「池田池」
 このたび、ブラジルから、うれしい連絡があった。サンパウロ近郊の教育都市イタペビ市に完成したばかりの橋が、″戸田城聖橋″(「戸田城聖先生橋」)と命名されたというのである。(拍手)
 これは、州議会が全会一致で可決し、十月三日、州知事が法令に署名して決定したものである。高速道路の上に架かり、長さは約百メートル、幅は約十一メートル。堂々たる陸橋である。
 ブラジルSGIの理事長もたいへんに喜んでおられた。「SGIの自然文化センターから『牧口先生通り』を通って、『戸田先生橋』を渡り、池田先生ご夫妻が名誉市民であるイタペビ市内に入っていく――三代の会長を結ぶすばらしいコースができました」と。そのまま伝えさせていただく。
 デンマークからも光栄な連絡をいただいた。有名な学園都市アスコーの中心に、蓮華の花が咲き香る、美しい名所の池がある。その池が「池田池(イケダ。ダム)」と命名されたとの知らせであった(拍手)。住民評議会による決定通知もいただいた。
 私のことで恐縮であるが、皆さまを代表しての栄誉として、つつしんでご報告させていただく。
 この池は由緒ある池で、氷河期から存在するという。十九世紀には、池のほとりに、名高いアスコー国民高等学校が開校した。
 同校の教育に注目した牧口先生も、この池の写真をご覧になっていたと推察される。(当時、出版された本に掲載されていた)
 縁も深き「池田池」のほとりの学舎とは、現在、創価大学生・学園生との教育交流が進められている。水辺に広がる、新しき友情。みずみずしい青春の語らい――じつに詩的な、美しい光景である。
 どうか皆さまも、わが愛する地域で″友情の詩″をつづっていただきたい。いろいろな状況があるかもしれないが、勇気と智慧と誠実さえあれば、″人間性の芸術″で、全部、味方に変えていけるものだ。
 わが地域に、″信頼と平和の橋″を必ずつくり上げてみせる――そういう気概あふれる″大芸術家″になっていただきたい。
15  何があっても前ヘ! 前ヘ!
 最後に、とくに青年部のために語っておきたい。
 先日(十月二日)、私は南アフリカ共和国のムベキ大統領とお会いした。語らいは二度目である。(初の出会いは一九九八年。副大統領時代)
 大統領は、偉大な「人権の闘士」であり、「人道の勇士」である。大統領の父君も、マンデラ前大統領とともに、じつに二十三年間もの獄中生活を戦いぬかれた英雄である。
 二十三年間の投獄――それを思えば、「忙しい」とか、「自分と合わない人間がいる」とか、「なかなか弘教が進まない」とか、文句ばかり言うのは、青年として、だらしがない。そう言われても、しかたないであろう。
 マンデラ大統領が、牢獄をも″大学″にして、若き同志とともに学びあったのも、有名な話である。
 ムベキ大統領の父君は、民主化の夜明けを開くためには、いかなる苦難の連続にあっても耐えぬこうと決心していた。父君が心に刻んでいた、次のような言葉がある。
 「ひとたび戦いとなったら、たとえ自分の前を行く同志が馬から落ちようとも、立ち止まって泣き悲しんではいけない。その同志をも乗り越えて戦いのなかを進んでいくのだ。決して泣き悲しまないことを学びなさい」
 広布の途上には、いろいろなことがある。使命を全うして、亡くなる人もいる。人間として悲しいのは当然のことだ。しかし、感傷に流され、自分が弱くなってしまってはいけない。
 「何があっても、自分は進むんだ! 戦うんだ! そして勝つんだ!」――決然と、前へ、前ヘと進んでいくことだ。それでこそ、本当の英雄である。それが、慈悲ある人間であり、亡き人の志にこたえることになる。
 仏法は勝負である。ゆえに、断じて勝つことが正義である。
 断じて勝ちぬき、痛快に「ああ面白かった!」と言える、大満足の一生を飾っていきましょう!(拍手)
16  仏法の眼から見ると、われわれは三世永遠の家族である。
 大聖人は仰せである。「つねに語りあって、迷いの流転を離れ、同心に霊山浄土において、うなずきあって話しなさい」(御書900㌻、通解)
 今世も、ともに戦い、語りあいなさい。死んでも、霊山で語りあいなさい、と。
 三世永遠に語りあい、励ましあって、ともに幸福へと歩んでいく。これが広布の同志である。
 このうるわしい創価の世界に、学会利用の悪人や、仏子をいじめる意地悪な人間、そして忘恩の反逆者など、絶対に入れてはいけない。
 「日蓮大聖人の仏法のために」そして「仏意仏勅の創価学会のために」「戦争なき平和のために」戦う同志の連帯が、わが学会の前進である。(拍手)
 三世を見通して、価値ある、そして偉大なる平和と幸福と勝利の大道を、朗らかに前進していくのが、仏法の方程式である。
 小さなことを嘆いてはいけない。少々の苦難で、へこたれてはいけない。
 絶対に退転してはいけない。それは卑怯者である。裏切り者である。
 三世永遠の勝利の人生を、断固たる信念の不滅の人生を生きぬいていくことだ。これが人間最極の意義ある生き方なのである。
 仏法に勝る大法はない。仏法とわが身が一体となる人生こそ、究極の価値ある人生なのである。
 いかなる風雪も、怒濤も、苦難の道も、苦労の実生活も、敢然と戦い、乗り越えて、「われ、勝てり!」「これが創価の証明なリ!」と歴史を残しゆく、尊い人生であられることを祈って、きょうのスピーチを終わりたい。
 長時間、本当に、ご苦労さま! 妙法を聞き、広宣流布の哲学を聞くことは、最高学府で最高峰の学問を学んだ以上に意義がある。永遠不滅の幸福の学問を学んだことを知っていただきたい。
 皆さん、ありがとう! お元気で!
 (東京牧口記念会館)

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