Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

ヨーロッパ青年文化協会「特別感謝状」授… 青年こそ平和の皇帝!

2001.9.23 スピーチ(2001.8〜)(池田大作全集第93巻)

前後
2  千葉青年部の皆さん、新出発の総会、本当に、おめでとう!(拍手)。遠いところ、朝早くから、ご苦労さま二十一世紀の初戦は、皆さんの大闘争によって、晴ればれと勝利することができた。皆さん方の尊き健闘を、私は心から讃えたい。
 千葉の皆さまは、東京、神奈川、埼玉の同志と一体となって、それは、それは、懸命に奔走してくださった。見えないところで、皆さまが、一九となって、支えてくださった。私は、全部、わかっております。
 皆さまの広宣流布への大献身は、すべて、自分自身の大福運に変わっていく。自身の人間革命の力になっていく。それが仏法の絶対の法則なのである。
 また昨年、見事な折伏を成し遂げた浦安の友をはじめ、今や、千葉青年部の大前進は全国の先陣であり、模範である。平和の機関紙「聖教新聞」の拡大も、男子部・女子部ともに、日本第一の勢いである。
 誉れ高き千葉青年部の皆さん、本当に、ありがとう! きょう集った方々のお名前を、アメリカ創価大学に永久保管させていただきたい。(拍手)
3  日蓮大聖人は、御自身が安房の国・千葉県に聖誕されたことを、「第一の果報なるなり」と仰せである。
 中央の華やかな都の貴族の生まれではなく、地方の千葉の庶民の大地から誕生されたのである。
 大聖人の仏法は、民衆のための仏法である。ゆえに、大聖人は、民衆の中で生まれ、民衆とともに生きることを、何よりの誇りとしておられた。
 どんなに身分が高かろうが、財産があろうが、そんなものは、生命の次元から見れば、幻である。どれも、来世まで、持っていけるものではない。
 いちばん大事なのは、わが生命の中に、三世永遠に崩れぬ″幸福の城″を築くことである。そのための仏法であり、仏道修行なのである。
 この蓮祖の故郷を大舞台として、二十一世紀の広宣流布へ舞いに舞いゆく、わが千葉青年部の栄光と福徳は、あまりにも大きく、あまりにも深い。
 だれが、ほめなくとも、大聖人が、そして、三世十方の仏菩薩が、皆さま方を、ほめ、讃え、つつみ、護っていかれることを確信していただきたい。(拍手)
4  鍛えの青春を生きよ!
 サイフェルト先生が活躍しておられる、憧れの文化と芸術の大国オーストリア――。
 そのオーストリアが生んだ作家ツヴアイクは、こう喝破した。
 「四六時中富んでおれば惰弱になり、四六時中喝朱を受けておれば愚鈍となる」(『ジョセフ・フーシェ』高橋禎二・秋山英夫訳、岩波文庫)と。
 たしかに、人間は、苦労してこそ鍛えられる。人間が磨かれる。青年時代から恵まれすぎて、何の苦労もないのは、かえって不幸である。
 作家の吉川英治氏が、裕福な青年に語った言葉が、忘れられない。
 「君は不幸だ。早くから美しいものを見過ぎ、美味しいものを食べ過ぎていると云う事はこんな不幸はない。喜びを喜びとして感じる感受性が薄れて行くと云う事は青年として気の毒な事だ」(復刻版・吉川英治全集月報『吉川英治とわたし』〈講談社〉の中で岡副昭吾氏が紹介している)と。
 苦労があるから、真の喜びもある。努力があるから、真の成長もある。
 青春の労苦を知る人こそ、勝利者になる資格を持つ人なのである。
 いつも、サイフェルト先生が華麗に歌い上げられる「歌曲の王」シューベルトは言った。
 「苦しみは頭の働きを鋭くし、心を強める」(O・E・ドイッチュ原編『ドキュメント・シューベルトの生涯』より、實吉晴夫編訳『シューベルトの手紙』メタモル出版)と。
 これは、仏法の「煩悩即菩提」の法理にも通じる。
5  さらに、私が対談したオーストリア出身の「ヨーロッパ統合の父」クーデンホーフ=カレルギー伯は、こう語っておられた。
 「青年のみが熱意と、意志と、希望と、信念と、力を持っている」「青年は炎を持っており、その炎がなかったら、いかなる理念も光を発しないし、また勝利を占めることが出来ない」(「世界的勢力としてのヨーロッパ」、『クーデンホーフ・カレルギー全集』〈鹿島守之助訳〉所収、鹿島研究所出版会)と。
 創価学会も、青年で勝ってきた。青年が炎となって戦ったから、勝ってきたのである。
 クーデンホーフ伯と初めてお会いしたとき、私も、まだ三十代の青年であった。
 一方、クーデンホーフ伯は七十歳を超えて、いよいよ、お元気で、いい顔をされていた。お母さまが日本人(クーデンホーフ光子)であったことも、よく知られている。何度もお会いし、本当に親しくしていただいた。伯は今、ア化フスの麓の平和な村に静かに眠っておられる。
 私は、縁した方々が亡くなられた後も、信義を貫き、三世永遠の幸福を祈ってきた。また本日は、彼岸の中日にあたり、広布の途上で亡くなられた全国・全世界の同志に、懇ろに追善のお題目を送らせていただいた。
6  世界平和のために千五百回の知性との対話
 さて、クーデンホーフ伯との語らい以来、真剣に、誠実に、積み重ねてきた「世界の知性」との対話は、今では、千五百回を超える。そして、私の著作の海外での出版も、このたびのドイツ語の『青春対話』の発刊で、じつに三百点を数えるにいたった。
 言葉は、瞬時に消えるが、活字にすれば永遠に残る。そう考えて、数十年前から、真剣に手を打ってきた結果である。
 この世界の心と心を結ぶ本の出版は、永遠の平和を静かに深くめざしゆく、大河の流れのごとき精神闘争であると、私は自負している。(拍手)
 クーデンホーフ伯は、すでに三十年も前から、第三次世界大戦を阻止しゆく平和勢力として、創価学会に希望を託してくださっていた。
 クーデンホーフ伯いわく。
 「新しい宗教波動だけが、この(=第三次世界大戦の)趨勢を止め、人類を救うことができる。創価学会は、それ故に、偉大なる希望である。この地上におけるもっとも古い、もっとも崇高な宗教のひとつであり、平和と友愛の宗教に、基いているからである」「池田大作の指導の下にある創価学会は、物質主義に対する宗教の、そして戦争に対する平和の、勝利をもたらす大いなる希望である」(「知性と実践力」、齋藤康一『写真 池田大作を追う』所収、講談社)と。
 (そのさい、クーデンホーフ伯は、こう述べている。
 「創価学会が、実践力と知性を併せ持つ指導者を見出し得たということは偉大な幸運である。その指導者とは、池田大作である。この知性と実践力とを兼ね備える幸せは、日本のみならず、全人類にとっての幸運である」〈同前〉と)
7  また、若き世代は「平和の英雄たれ」との期待をこめて、クーデンホーフ伯は、こうも語っておられる。
 青年のなかには「自分の信念を友人に打ち明けるだけの勇気のない者が多い。このような精神的な臆病こそ、一切の一扇動政治の温床であり、軍国主義扇動の温床である」(『実践的理論主義』鹿島守之助訳、鹿島研究所出版会)と。
 勇気がなければ、悪と戦えない。それでは結局、悪を温存し、はびこらせてしまう。だからこそ、千葉青年部は、地域で、社会で、青年らしく、勇気の声を凛々と響かせていただきたい。
 青年が勇気をなくしたら、もはや、青年ではない。
 青年は「勇気の皇帝」である。「平和の皇帝」である。若いというだけで、すでに、無限の財産と希望を持つ皇帝なのである。
 ゆえに若き皆さんは、「あの青年は気持ちいいな!」「あの青年は素敵だな!」――周囲の人々にこう思わせる、凛々とした勇気の声を響かせていっていただきたい。
 また、堂々と、そして伸び伸びと、仏法の「正義」と「人道」の大哲学を語りぬいていただきたい。そこに青年の最高の価値創造があることを知っていただきたいのである。(拍手)
8  四大宗教の対話に仏教が橋渡しを
 この九月十五日、オーストリアの首都ウィーンで、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、そして仏教の対話を促進するための、画期的な「四大宗教間対話シンポジウム」が開催された。
 このシンポジウムは、ヨーロッパ科学芸術アカデミーが主催し、SGIが協力して行われたものである。(SGI会長は同アカデミーの日本人初の「名誉評議員」)
 会議では、今回のアメリカのテロ事件(=二〇〇一年九月十一日、国際アロ組織アルカイダのメンバーがアメリカの旅客機四機を乗っ取り、ニューヨークの世界貿易センタービルやワシントン郊外の国防総省などに相次いで激突したもの。犠牲者は約三千人に達した史上最悪のテロ事件)が緊急のテーマとなった。
 SGIからは代表が出席し、仏法の説く「生命の三毒(貪・瞋・癡=むさばり・いかり・おろか)の克服」「縁起の思想に基づく菩薩道の生き方」などが語られた。
 さらに、私と、イラン出身のマジッド・テヘラニアン教授(米ハワイ大学)による「仏教とイスラムの対話」の進展が紹介され、大きな関心と共鳴の声が寄せられたと、うかがった。
 (=SGI会長と同教授は対談集『二十一世紀への選択』〈本全集第108巻収録〉を発刊)
 キリスト教の神学者であり、ジャーナリストでもあるノルベルト・ゲッター博士は、こう述べておられたという。
 「これまでキリスト教とイスラム教の関係は、困難を極めてきました。しかし今、仏教こそが、キリスト教とイスラム教の橋渡しをできる宗教ではないかと思い始めております」と。
 世界を混乱から救い、安定させるために、重要な着眼点である。
 そのほかにも会議では、「あくまでも″人を殺してはいけない″″暴力には反対″という仏教的な考え方が、基本であるべきだ」等々、「生命の絶対的尊厳と平等」を説く仏教の精神、その平和ヘのリーダーシップに、宗教の違いを超えて絶大なる期待が寄せられたのである。
 そして、四大宗教の代表者の一つの合意点として、″暴力が暴力を呼ぶ連鎖は、避けるべきである″″各宗教の違いを認めた上で、対話を進め、手を取りあっていく以外に、戦争をなくす道はない″と、総括されたという。「非暴力」そして「対話」のために、SGIは地球大のスケールで、また文明論的な次元で、平和の連帯を広げている。時代の底流を平和へと動かしている。
9  千葉から生命尊厳の旭日を!
 今、″花の銀座″では、「おとぎの夢」と「平和のロマン」を奏でゆく、世界百二十力国・地域の絵本展(「世界の絵本展」)が開催されている。(=東京・銀座松坂屋で二〇〇一年九月二十日から二十六日まで。日本ユネスコ協会連盟が後援。その後、全国各地を巡回している)
 きのうも、一万人を超える方々が観賞された。
 この絵本展も、私が発想し、提唱したものである。地味のようだが、大事な活動である。青少年の「平和の心」を育む教育こそ、平和の根本であるからだ。
 ともあれ、いかに破壊の嵐が吹き荒れようとも、平和と幸福を創造し、建設しゆく妙法の智慧と慈悲は、決して行き詰まることはない。
 明後年(二〇〇三年)は、千葉の地で、日蓮大聖人が「立宗宣言」されてから、七百五十年という大佳節である。(一二五三年〈建長五年〉)
 御聖訓には、「大悪は大善が来る前兆である。全世界がひどく乱れたならば、世界広宣流布は、もはや疑いないであろう」(御書1467㌻、通解)と仰せである。
 「変毒為薬」の妙法である。お金のない人が、裕福になる。病気の人が、健康になる。どんな人も、自分らしく光っていける。そういう方向に、人間革命していける。社会をも、安穏の方向へ転換していける。
 妙法は、たんなる言葉でも、文字でもない。人間が、勝手につくったものでもない。大宇宙を貫く、平和への根本の「法則」である。
 どうか、創価の旭日の青年は、この、人類の進むべき「生命尊厳」の正しき永遠の軌道を、聡明に探求し、勇敢に主張しぬいていただきたい。
 千葉青年部が、その先頭に立っていただきたい。(拍手)
10  十二年前の十月、私は、オーストリアの哲人指導者フラニツキ首相と語りあった。(一九八九年十月七日、東京で)
 そのさい、首相は言われた。「ラテン語の格言には『平和を願うならば、戦争の準備をせよ』とあります。しかし、私はこの言葉を『平和を願うならば、平和の準備をせよ』と置き換えて、活動しているのです」と。
 この言葉は、私たちの一致した結論であった。
 そして今、私は申し上げたい。「平和を願うならば、平和の準備をせよ! すなわち、断固として広宣流布せよ!」と。
 宇宙の根本法則である妙法を持つ私たちこそ、根本の平和主義者であり、広宣流布こそ、具体的な平和への行動となるからだ。
 広宣流布――それは、人類の希望である。
 その「希望」を、使命も深き千葉青年部、そして全国・全世界の、わが愛する創価の若き友に託して、私のスピーチを終わりたい。
 ダンケ!(ドイツ語で「ありがとう」)
 (東京牧口記念会館)

1
2