Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

群馬最高協議会 組織は「信心の向上」の軌道

2001.8.28 スピーチ(2001.8〜)(池田大作全集第93巻)

前後
2  日蓮大聖人の仏法を実践する、わが創価学会の組織は、初代牧国会長以来、尊き「信心の向上」のためにある。
 かりに、信仰の世界が、一人だけで、勝手気ままにできる世界であれば、一見、いいように思えるかもしれない。しかし、それでは結局、わがままになり、悪縁に紛動されて、迷走してしまうものだ。
 それでは、「自由」のように見えても、真の「生命の自由」の境涯には、決して到達できない。
 御聖訓には、こう仰せである。
 「木を植える場合には、大風が吹いたとしても、強い支えがあれば倒れない。もともと生えていた木であっても、根が弱いものは倒れてしまう。たとえ、ふがいない者であっても、助ける者が強ければ、倒れない。少々強い者であっても、独りであれば、悪い道では倒れてしまう」(御書1468㌻、通解)と。
3  恩師は「戸田の命よりも大切な学会の組織」と
 ここに、組織が生まれる必要性がある。
 組織は、邪悪を防ぐ壁となる。
 また組織とは、確かな目標に向かって、まっすぐに走り、たがいに切磋琢磨しながら向上していくための「正しい軌道」を意味する。これが、組織が重要となるゆえんである。どの社会であれ、どの分野であれ、組織が存在する理由も、ここにある。
 なかんずく、恩師が「戸田の命よりも大切」と言われた創価学会の組織である。決して、派閥や信心利用、権威主義などの根本的な過ちがないよう、よくよく、心していかねばならない。
 将来のために、あえて申し上げておきたい。
 まことしやかな噂をささやかれ、事実無根の噂で苦しめられる――そういうことが起きたとしても、少しも動揺してはならない。それでは、自分が損をする。不動の精神で、毅然と広布に戦っていけばよいのである。
 大聖人は、弟子の四条金吾が、悪意の議言で苦しめられたとき、「妬む人間の作りごとでありましょう」(御書1157㌻、通解)と記述され、「少しも、へつらわずに振る舞い、語っていきなさい」(御書1164㌻、通解)と励ましておられる。
 いつの時代であれ、事実無根の噂をまいた本人は、いずれ、厳しい仏罰を受ける。
 皆さまご存じのとおり、ここ群馬には、作り話で同志をだました人間がいた。(逮捕され、懲役刑に服している)
 もし、事実無根の噂で苦しむ方がいれば、学会本部に遠慮なく言ってきていただきたい。
 また、仏意仏勅の組織にあって、「異体同心の団結」を崩す人間は、厳格に対処していくのは当然である。これが、牧口先生、戸田先生の時代からの伝統精神であるからだ。
4  戸田先生は、清浄無比の広布の組織を守るために、徹して厳格であられた。
 折にふれ、先生は、次のように言われた。
 (1)清浄な創価学会の組織を攪乱する者を追放せよ。
 (二)自分は立派な信心を全うせず、あちらこちらで愚劣な批判ばかりしている邪魔者は追放せよ。
 (三)御書を拝さず、学会の信心指導を受けず、学会に迷惑をかける者は、断固、追放せよ。
 (四)金銭問題、男女問題で皆に迷惑をかけ、非難を受けるような者は、幹部を解任し、追放せよ。
 (五)模範的な信行に励んできた方々は、「仏の使い」として、最大に尊敬し、大事にすること。
 (六)派手な存在ではなく、地味な存在で、水の流れるごとき信心の方々を最大に大事にすること。
 (七)作り話の報告、自分を守るための邪険な報告をする者に、十分、気をつけよ。場合によっては、幹部を解任すべきだ。
 (八)勤行を怠け、おろそかにしている幹部は、絶対に信用するな。
 (九)傲慢になって人を叱り、慈愛のない幹部は、組織悪であり、皆で忠告し、皆の協議で、幹部を辞めさせるべきだ。
 仏法は、「現当二世」と説く。過去を振り返るのではなく、つねに「現在から未来へ」生きゆく人生であるべきだ。
 いかに、過去に功労があったとしても、現在と未来に、愚痴や批判を繰り返し、人生の正しき軌道をはずれ、組織や学会に迷惑をかけるような人間になってはならない。それは、もはや敗北者であるからだ。
 ともあれ、尊き広布の同志に迷惑をかける悪い人間がいれば、真実をそのまま幹部に報告し、相談していただきたい。さらに、方面長、理事長、会長にも、遠慮なく相談していただきたい。場合によっては、解任や除名が必要になることもあろう。ただし、「言いつけ主義」は、絶対に禁物である。作り話は、仏罰を受けることはいうまでもない。
5  広宣流布へ「異体同心」で
 このたび、群馬でも、長野に続いて、五人の「渉外部長」が誕生した。渉外部長は、会長の任命である。その信心、学会精神においては、副会長同格の自覚であらねばならない。
 わが群馬は、折伏においても、機関紙の拡大においても、謗法の日顕宗との戦いにおいても、地域友好においても、関東第一の「模範の群馬」を厳然と築いていただきたい。
 なかんずく、群馬青年部の健闘を祈りたい。
 群馬は、隣接する埼玉、栃木、長野、新潟の各県とも、大いに交流を進めていただきたい。
 小さい所で孤立して、独りよがりになって、広宣流布の回転が止まってしまってはいけない。
 同志はたがいに生き生きと交流し、何でも言いあいながら、「新しい息吹」「新しい智慧」「新しい友情」を広げていくことである。それが真実の「和合僧」であり、「異体同心」であるからだ。
6  何ものも恐れず、堂々たる勇気で指揮を
 ともあれ、悪い社会であるがゆえに、卑劣な人間も多くいる。これが、世間の日常であり、あらゆる世界が、嫉妬と反感の、醜悪な現実であることは、皆さまもご存じのとおりである。
 人の口に、戸は立てられない。たとえ、愚劣な中傷批判をされても、毅然たる態度で動ぜず、堂々と生き、戦いぬいていくことだ。それが、信仰の証であり、人格者の姿勢である。
 とともに、仏敵は必ず倒してみせるという勇敢なる祈りがなければならない。
 きょう八月二十八日は、ゲーテの誕生日である。(一七四九年生まれ)
 ゲーテは言う。「私が愚かだと、それには誰も異議を唱えぬ。私が正しいと、彼らは非難しようとする」(「真実に生きる――ゲーテの言葉2」関泰祐訳、社会思想社)
 正しいからこそ、悪口罵詈される。これが、人間社会の実相である。
7  大難のなか、大聖人は悠然と、こう仰せである。
 「心は法華経を信ずる故に梵天帝釈をも猶恐しと思はず
 「師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし
 この強さが、学会精神である。リーダーは、何ものも恐れず、堂々たる勇気で、厳然と指揮を執ることだ。その人、その組織を、仏天は必ず守る。
 強く、また強く、賢く、また賢く、敵をも味方に変える戦いをしていくことだ。
8  「副役職の人を、どう生かすべきか」と質問があった。
 大事な点である。まず、何をするのか、担当・責任を明確にすることだ。
 また、後輩が「長」になった場合、先輩も、その人を中心に戦うのは、当然である。これは、大事な原理である。
 副役職の人が元気になり、活躍すれば、その組織は伸びていく。
 しかし、なかには、副役職になって、腰が重くなる人もいる。励ましが必要な場合もある。厳愛の指導で、目が覚める場合もあろう。心を砕き、あらゆる手を打つことだ。
 根本は、その人が広布のために戦えるよう、中心者が祈ることだ。徹して祈り、励ますことだ。
 戦いを忘れた人が行き詰まって、気づく場合もある。時間はかかっても、必ず通じる。立ち上がる時が必ず来る。これが、信心の極意である。
 どうか、今こそ、盤石なる群馬広宣流布の地盤を広げていただきたい。
 (はるな平和墓苑)

1
2