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日蓮大聖人・池田大作

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東京会研修会 青年が「広宣流布の新章節」を

2001.8.19 スピーチ(2001.8〜)(池田大作全集第93巻)

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2  東京会の皆さまに、イギリスの首相チャーチルの言葉を贈りたい。第二次大戦で、フアシズムと戦っている渦中の言葉である。
 「周囲のすべてのものが流されゆくなかにあって、われわれはここで厳として立ち続けたのである。(中略)一人もひるむものはいなかった。見渡す限り深い闇の中で、われわれは正義の松明を掲げぬいたのである」(The Collectede Words of Sir Winston Churchill, vol.20, published by the Library of Imperial History, London)
 さらに、チャーテルは言う。ナテスとの戦いの勝利によって、「この悪党も、破滅の運命の黒い影がゆっくりと、しかし容赦なく近づいていることを、まざまざと見たにちがいない」。(同前)
 そして「大激戦で勝利を収めたにもかかわらず、追撃の遅れや追撃の気力を失ったために、その結果を台無しにしてしまったことが、どれほど多くあったことか!」「全力で追撃することだ」(同全集21)と。
3  真剣に戦えば大長者の境涯に
 ″広布の本陣″東京の痛快なる大勝利を、私は心から讃えたい。大東京は勇敢に戦い、堂々と勝った。指導者が真剣だったからである。団結したからである。
 洋々たる広布の未来が開かれた。今がチャンスである。時を逃さず、完璧なる常勝の布陣を整え、二十一世紀の勝利の流れをつくってまいりたい。
 われらの前進を、日蓮大聖人が、どれほど讃嘆しておられることか。
 「なによりも承りて・すずしく候」――何よりも、お聞きして爽快である――。
 これは、数年間、信心のゆえに迫害されていた四条金吾が、主君から信頼を勝ち得た報告を喜ばれての仰せである。
 勝利は爽快である。勝つことが広宣流布である。
 広布の大闘争を戦いきった人は、一人も残らず、大功徳を受ける。広宣流布のための労苦は、すべて、わが生命、わが一家・眷属の威光勢力と輝きわたる。
 戸田先生と語りあった思い出深いルソーの言葉には、「私は自分でやったのだ、ということが一番好きだ。私の敵どもがなんと言おうと無駄である」(ジャン・ゲーノ『ジャン=ジャック・ルソー伝』宮ヶ谷徳三訳、『ルソー全集』別巻1、白水社)とある。
 いずこの地にあっても、広布の闘争をやりきった人は皆、誇り高く胸を張り、生き生きと光っている。「諸法実相」である。真実は、現実の姿に、おのずと現れてくる。
4  大聖人は「いよいよ・はげまして法華経の功徳を得給うべし」と仰せである。
 戦わなければ、功徳を得られない。損である。
 「御義口伝」には「無上とは南無妙法蓮華経・無上の中の極無上なり、此の妙法を指して無上宝聚と説き給うなり」と説かれている。
 「信心」にかなうものはない。
 仏道修行とは、一面から見れば、いちばん地味で、いちばん面倒で、いちばん人から悪口を言われ、いちばん大変なものであるかもしれない。
 しかし、だからこそ、最後には必ず、いちばん幸せになり、いちばん勝ち誇り、いちばん栄光につつまれた所願満足の人生となることは間違いない。そうでなければ、御本仏の仰せは虚妄になってしまう。
 真剣に戦った人は、皆、大長者の境涯となっていく。おとぎの世界のように聞こえるかもしれないが、それが妙法の偉大な力である。これは、私が入信以来、この五十四年間、数えきれないほど多くの同志を見てきた結論である。
 戸田先生は言われた。
 「われわれの出世の因縁は、広宣流布の大旗を掲げんがためである」「われわれがひとたび御本尊をたもつや、過去遠々劫の当初に仏勅をこうむったことを思い出さねばならない。『末法に生まれて広宣流布すべし』と仏勅をこうむっているのである」(「信念とはなんぞや」、『戸田城聖全集』3所収)、「折伏の行をなす者は、仏の使いとして御本仏からつかわされた者であり、御本仏の行を、その代理として行ずる者であるから、その人の日常は御本仏に感応して偉大な生命力を涌出して、いかなる困難にも打ち勝ち、その顔は生き生きとし、からだは元気に満ちる」(「折伏論」同全集)
 そして一生懸命、信心を貫いた人は、子孫末代まで福徳が伝わる。一族は、ますます栄える。創価の世界は、御聖訓どおりの、いちばん正しい世界なのである。
5  学会の組織は「永遠の幸福への軌道」
 東京の男女青年部の新出発、おめでとう。
 戸田先生は言われた。
 「青年の確信と情熱が、信仰によって清められ、しこうして、いやましに高められたときに、組織は、グングンと活動するのである」(「折伏小論」、『戸田城聖全集』1所収)と。
 創価学会の組織は、「自分の信仰と幸福と勝利を守る塀」である。「絶対の幸福への軌道」である。
 それを離れるのは、「魂の家出」である。「流浪の民」になる。信心がわからなくなり、自分自身が、わからなくなる。功徳も出ない。
 広宣流布の組織で戦うことが、いちばん得なのである。広宣流布は、日蓮大聖人の御遺命である。人類の永遠の平和の道である。これほど尊い行動はない。
6  青年が万代の韓日友好を
 私が、韓国の名門、国立済州チェジュ大学の趙文富チョウー・ムンブ・前総長と進めている対談が、教育専門誌「灯台」に連載される運びとなった。(=二〇〇一年十月号から〇二年九月号まで掲載。同年十一月、『希望の世紀へ 宝の架け橋――韓日の万代友好を求めて』として徳間書店から発刊された。池田名誉会長は、済州大学の「名誉文学博士」)
 今、日本の国家主義の台頭が深く憂慮されている。だからこそ、後世に真実の歴史を伝え、二十一世紀の韓日の新時代を開かねばならない。
 私は、韓国を代表する大教育者であり、信念の知性であられる趙博士とともに、平和と教育と文化の「真の友好の道」を照らし出していきたいと願っている。
 対談の冒頭、私は申し上げた。「『真摯に過去を見つめること』は、『真摯に未来に向きあうこと』と同義だと思います」「誤った歴史認識が、いまだに根深く、くすぶっているからこそ、質量ともに、それらをはるかに凌駕する、正しい真実の史観に立った平和教育を、断固として推進していかねばなりません」(『希望の世紀へ 宝の架け橋』徳間書店)
 虚偽や邪悪の暴論に対しては、それを圧倒する「真実の言論」「正義の言論」をもって、厳然と打ち勝ち、打ち破っていくことだ。
 アメリカの思想家エマーソンは言った。
 「人間は懐疑と虚偽の暗夜のなかで手さぐりしている。『真理』の光は消え、あるいはかすかに燃えているにすぎないからだ。さあ、炎をふたたび燃えたたせ、燃料を補給しようではないか――遠くまであかあかと照らす標識の光となって燃えあがり、世界をあかるくするまで」(『エマソン選集』7、小泉一郎訳、日本教文社)
 「善の言論」こそ「世界の光」である。
7  対談では、一九四五年の八月十五日を、どのように迎えたかということも話題になった。
 日本にとっては、「終戦の日」「敗戦の日」であるが、日本に蹂躙されぬいた韓国にとっては、この日は「光復節」――悪逆な支配からの「解放の日」であり、主権を回復した「勝利の日」である。
 だからこそ、来る年、来る年、この八月十五日を、日本は、過去の軍国主義の過ちを心から反省し、アジアの方々から賞讃されるように、迎えていかねばならない。
 この「光復の日」、趙博士は小学校四年生であった。この時、心に抱いていた疑問が、″人類社会に対する問題提起″となり、学問の道の始まりとなったと博士は振り返っておられる。博士は言われた。
 「私は、文明における『勝利』の概念そのものを改める必要があるとの結論にたどりつきました。
 二十世紀までの軍事中心の時代における『勝利』と、これからの二十一世紀における『勝利』の概念を、明確に区別しなければならないということです。つまり、科学技術の発達がもたらした兵器や武器による脅迫で相手を屈服させるのではなく、慈愛をもって相手の心情に深く訴えて共感を湧き起こし、ともに人類としての正しい道を選び歩むようにすることが、これからの時代に求められるのです」(前掲『希望の世紀へ 宝の架け橋』)
 牧口先生の「人道的競争」の理念とも響きあう卓見である。
 「韓日友好」の心をたずさえ、済州大学で研修を受けている創価大学・女子短大の学生たちから、八月十三日に喜びと感謝の報告が届いた。
 この日、前総長である趙博士が、ご多忙のなか、約三時間にもわたり、昼食と懇談の機会を持ってくださったというのである。学生たちにとって、生涯、忘れ得ぬ″金の思い出″となった。
 私は、創立者として、博士に心から御礼を申し上げるとともに、国を超えて、青年を愛し、青年を育んでくださる、偉大な人間教育者の慈愛に感動を禁じ得ない。
 (趙博士は語っていた。
 「創大生の皆さんは、池田先生の『心』を、日本に広めていただきたい。それは、日本人のためでもあります。世界の模範となる生き方をしている池田先生が、日本人であるということが、日本を宣揚することにもなるからです」
 「創大生の皆さんは、池田先生のおかげで、世界の行くところすべての人々に感動をあたえることができる『心』を学んでいます。これからは、創大生が、また、創大の卒業生が、時代を動かす時が来ています。私は、済州大学生に、創大生と交流するなかで、その『心』を韓国に取り入れてほしいと念願しています。
 その『心』とは何か。それは『人間愛と励まし』です。『武器』で人を動かす時代は、二十世紀半ばで終わりました。これからは、人間愛を相手にあたえることによって人が動く『人間主義の時代』になったと思います。『慈愛』で人を動かすことです」)
8  同志を思う慈愛が通じる
 これからは、ますます「心の時代」である。
 広布の前進にあっても、リーダーは、徹して、皆を励ましていくことだ。皆が喜んで取り組んでいけるよう、自信をもって戦いを進めていけるよう、具体的に、また迅速に、手を打っていかねばならない。
 そのためにも、まずリーダーが真剣に祈っていくことである。一回一回の会合も、「きょうの会合が大成功するように」「自分の祈りが、皆の中に入るように」「全員の生命に、梵天・帝釈の働きが顕れるように」等と、真剣に祈っていくことだ。その真剣な「祈り」が、同志を思う「慈愛」が、誠実な「振る舞い」が、皆に喜びの波動を広げていく。
 「偉大であれ、/高慢であってはならない――高慢であることを蔑むほど偉大であれ」(前掲『エマソン選集』)とは、エマーソンの言葉である。
9  大聖人は、同志の大切さを繰り返し教えておられる。
 「末法のような濁った世にあっては、たがいにつねに語りあって、いつも後生を願っていきなさい」(御書965㌻、通解)
 「信心の志のある人たちは、一つの場所に集まって、この手紙を読むのをお聞きなさい」(御書951㌻、通解)
 「すべての人々が、この書を見聞きし、信心の志ある人々は、おたがいに語りあっていきなさい」(御書967㌻、通解)と。
 同志とともに、仲良く前進していくことだ。同志とは、「同」じ「志」と書く。自分の「一念」が皆の生命に入り、また皆の「一念」が全部、わが生命に入って、大生命力となっていくのである。
 戸田先生は言われた。
 「行動の奥に深い深い慈悲の心を蔵するならば、その行動は、説明もなく、証明する者がなくとも、相手にいっさいがかならず通ずるものである」(「慈悲論」、『戸田城聖全集』3所収)
 さらに「慈悲のうえに立つ折伏は、いかにことばがやわらかでも、いかに態度がやさしくても、そのなかに強い強い仏の力がこもる」(同前)と。
 チョー博士は、創大生の代表に呼びかけられた。
 「あの軍国主義の時代にあって、牧口先生が、どれだけ気高い行動と思想を貫かれたか。戸田先生が、どれほど深い倫理観と先見性を持っておられたか。その事実を、もっと多くの日本人に知ってもらいたい。それを広め、語り継いでいくことこそ、創大生の皆さんの大切な使命です。過去の歴史は、現在と未来のためにあるのです」
 こう言って、わが創大生に大きな期待を寄せてくださったのである。
 創大生の使命は大きい。二十一世紀は「創大生の時代」「学園生の時代」である。創価大学・学園への受験啓蒙に取り組んでくださっている「二十一世紀使命会」の尊き皆さま方にも、心から感謝を申し上げたい。
10  リーダーは信念を「行動」に移せ
 リーダーの要件とは何か? 創大生の質問に答えて、趙博士は次のような資質を挙げられた。
 「すべての構成員の意見を、十分に、かつ広く受け入れる姿勢」
 「物事を冷静に判断する知性と正しい決断力」
 「正しいことを確実に実行する行動力とリーダーシップ」
 「自分の考えをわかりやすく皆に伝えて説得する力」
 「対外的な情報を得る力」「明確な将来の展望」である。
 (さらに博士は「これらのリーダーの要件は、池田先生のご指導のもと、活動を進めていけば、自然に身につくものと思います」と)
 また趙博士は、「リーダーは、(就任して)一カ月のうちに、その信念を行動に移さなければ、構成員から信頼されなくなる」とも喝破されている。そのとおりである。いわんや、仏法は「月月・日日につより給へ」である。
 どうか、広宣流布の組織のリーダーとして戦える誇りと責任をもって、日々、月々、決意新たに前進していただきたい。学会活動は一切、無駄がない。「人間革命」と「指導者育成」の直道なのである。
 ともかく、戦いの根本は、「人をつくること」である。後輩を自分以上の人材に育てていくことだ。それが、最重要の課題である。そして、広布を阻む″一凶″とは徹底して戦っていくことだ。決して放置しておいてはならない。最大の敵は、自分自身の中にいる。極悪と戦ってこそ、「自分の中の敵」に打ち勝っていけるのである。
 「人材育成」と「悪との闘争」――これが、広宣流布の組織をさらに伸ばし、拡大させていくポイントである。
 広宣流布は最高の正義である。正義ゆえに勝たねばならない。負けるような正義は、正義ではない。
 東京は、まだまだ、持てる力が十分にある。その潜在力をさらに発揮するためには、リーダーが「先頭に立って」動くことである。「率先して」戦うことである。「団結して」ダイナミックに行動していくことである。
11  仏法は大宇宙を貫く法則
 最近、宇宙に関する興味深い話題が報じられた。アメリカのカリフォルニア大学バークレー校の研究者たちが、太陽系に非常によく似た恒星系を発見したというニュースである。(八月十六日=現地時間)
 バークレー校は、私も二度、訪問している。
 (一九九三年に訪問したさい、「教育・平和貢献賞」がチェン総長〈当時〉から贈られた)
 今回、発見された恒星系は、北斗七星の近く、地球から四十五光年の距離にある。(一光年は、一秒間で地球を七周半する光のスピードで一年間進んだ距離)
 その中心にある恒星は、化学的な構成要素が太陽と似ている。さらに、今回は、その″太陽″の周囲を回る惑星が二つ発見されたが、太陽系と同じように、ほぼ円軌道を描いているという。ゆえに、もし地球のような惑星があれば、水があったり、生命が存在している可能性もあるというのである。
 仏法の壮大なる宇宙観、生命観から見れば、この大宇宙には、無数の仏国土がある。
 大聖人は、千日尼へのお手紙で、「法華経は十方三世の諸仏の御師なり」、「法華経を供養する人は十方の仏菩薩を供養する功徳と同じきなり」と仰せである。
 「十方」とは大宇宙とも拝せよう。広宣流布の広がりが、世界の平和を建設していく。その妙法の波動は、地球のみならず、全宇宙へと広がっていく。広宣流布は、全宇宙の平和と幸福へと連動している。
 この大宇宙をもつつみゆく広宣流布の誉れの本陣こそ、わが大東京なのである。ゆえに東京は、断じて負けるわけにはいかない。永遠に「連戦連勝」が使命であり、宿命である。
12  この八月二十四日、わが創価大学工学部の英才たちが、アメリカのネバダ州から、模擬衛星を打ち上げる予定と、うかがった。この衛星は、日米大学宇宙システム会議の一環として打ち上げられる。学生がすべてを計画・設計・実験するという画期的なものである。
 報告には、″創立者の五十四回目の「八・二四」の師弟の記念日を、そしてアメリカ創価大学の開学を、宇宙から祝賀させていただきます″と書かれていた。
 (=″Can Sat″と呼ばれるこの模擬衛星は、三五〇ミリリットルジュース缶サイズに実験機器を詰めこんだ超小型弾道軌道衛星モデルで、八月二十四日、ネバダ州のブラック・ロック砂漠で地上三七〇〇メートルまで打ち上げられた)
 さらに今後、計画している衛星は、創価大学の学生歌を、はるかな天空から送信し、ブラジルやエジプトなど、世界中のアマチュア無線家に受信してもらう考えという。その心が、うれしい。皆で大成功を祈りたい。
13  仏法の実践は「勇猛精進」であらねばならない。
 「勇」とは、「敢で為す」こと。勇気、勇敢である。「猛」とは、「智、すなわち信力を励みつくす」こと。「精」とは、「無雑」――純粋で、真剣で、妙法の信心に一点の混じりけもないこと。「進」とは、「無間」――間断なく広布に進むことである。
 大聖人は仰せである。「異体同心なれば万事を成し同体異心なれば諸事叶う事なし」。「団結」こそ力である。
 どうか、東京各地の大切な同志の皆さま方に、くれぐれも、よろしくお伝えいただきたい。結びに「一緒に、歴史をつくろう!」「一緒に、思う存分、戦おう!」「一緒に、二十一世紀の盤石な創価学会を構築しよう!」と申し上げ、記念のスピーチとさせていただく。
 (長野研修道場)

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