Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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群馬代表研修会 われらは広布の「希望王」

2001.8.13 スピーチ(2001.8〜)(池田大作全集第93巻)

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2  宝塔はわが生命
 七年前、私は、「群馬の草津」と、関西の「滋賀の草津」の交流を提案させていただいた。(東西・草津交流座談会が実現。これまで相互に約百二十人の友が往来した)
 その後、行政のレベルでの草津町(群馬)と草津市(滋賀)との交流も始まり、大きな成果を上げている。近年、関西方面から草津への旅行客もふえているとのニュースもうかがい、本当にうれしく思う。群馬の草津は、一九〇〇年(明治三十三年)に町制がスタート。恩師戸田先生と″同じ年齢″の町である。
 私が小学生のとき、担任の檜山先生が日本地図の中央部を指しながら、「ここは草津という場所だよ」と教えてくださった。そのことが、今もって心に焼きついている。
 愛する「文化」と「自然」と「健康」の都・草津の二十一世紀の大発展を、私たちは心から祈り、そのために尽力してまいりたい。
 この研修道場が名前に冠している「多宝」――法華経に説かれる多宝如来の宝塔について、日蓮大聖人は仰せである。
 「末法に入って法華経(御本尊)を受持する男女の姿よりほかには宝塔はない。もし、そうであれば、(立場が)貴いとか賤しいとか、上とか下とかは無関係に、すべて、南無妙法蓮華経と唱える者は、わが身が宝塔であり、また、わが身が多宝如来である。妙法蓮華経よりほかに、宝塔はない」(御書1304㌻、通解)
 「多宝如来の宝塔を供養されるかと思えば、そうではない。あなた(阿仏房)は、わが身を供養しておられる。わが身がまた三身即一身の本覚の仏なのである。このように信じて、南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。その場所が、そのまま、宝塔の場所なのである」(同㌻、通解)
 法華経に説かれる壮大なスケールの荘厳なる多宝の宝塔とは何か。それは、御本尊を信受し、妙法を唱え、妙法を弘めゆく人の生命それ自体であるとの仰せである。広布へ戦う皆さま自身が、妙法の当体であり、宝塔なのである。
 ゆえに、尊貴なる皆さまをいじめたり、迫害すれば、峻厳なる仏罰を受けないわけがない。そして、わが尊き同志が活躍し、広宣流布の連帯を広げゆく天地は、生命の宝塔が林立する寂光土として、必ず栄え、輝いていく。これが、大聖人の絶対の御約束なのである。
3  キューバ独立の父マルティ″わが人生はすべて師のおかげ″
 ここ群馬での研修中、一冊の真新しい本が届いた。″キューバ独立の英雄″ホセ・マルティ(一八五三年〜九五年)についての対談集『カリブの太陽 正義の詩』(本全集第110巻収録)である。
 これは私が、マルティ研究の権威である「ホセ・マルティ研究所」所長のヴィティエール博士とともに、マセティの魅力あふれる人間像と、崇高なる″殉難″の生涯をめぐって語りあったものである。
 これまでもスピーチしてきたが、ホセ・マルティは、詩人、ジャーナリスト、教育者等として、多彩な能力を発揮してきた。世界史に輝く偉人であり、文化の巨人である。
 (マルティをはじめ、ポーランドの天文学者コペルニクス、フランスの作家ラブレー、中国の詩人・屈原を、歴史上の「四大文化人」として、たたえた集いもあった)
 五年前(一九九六年〈平成八年〉)、私は、キューバを代表する国立ハバナ大学から「名誉文学博士号」を拝受したが、その記念講演でも、マルティについて論及した。
 群馬も雷が有名だが、その厳粛な式典が始まるやいなや、壮麗な壁画に彩られた講堂は、沛然たる雨に包まれた。講演の前には、雷鳴が轟きわたった。
 私は、講演の冒頭、申し上げた。「雷鳴――何とすばらしき天の音楽でありましょう。『平和の勝利』への人類の大行進を、天が祝福してくれている『ドラムの響き』です。『大交響楽』です」と。
4  マルティは「師弟の道」に生きぬいた。
 百三十年前(一八七一年〈明治四年〉)、牧口先生が生誕された年のこと。マルティは、師と仰ぐメンディーベ先生に手紙を送った。そこには、こう、つづられていた。
 「多くの苦しみがありました。しかし、私には、それらの苦しみを毅然と耐え抜いたという確信があります。これだけの力が発揮できたのは、そして『真の人間になるだけの力が自分にはある』と実感できるのは、すべて先生のおかげです。また、これまでの私の人生に喜びや愛情があったのは、すべて先生の力によるものです」の。(C・ヴィティエール、池田大作『カリブの太陽 正義の詩』潮出版社。本全集110巻収録)
 私の戸田先生に対する心情も同じである。
 あす(八月十四日)は、私が十九歳の夏、先生と初めてお会いした日から、五十四周年の記念日である。
 戸田先生が提唱された「地球民族主義」の構想どおりに、私は、孤立化のなかにあったキューバにも平和と文化と教育の橋を懸けた。その一つの結晶である″対談集″を、私は、つつしんで、恩師に捧げたい。
5  広布拡大こそ師匠への報恩
 仏法では、師匠へのまことの報恩とは、「広宣流布の拡大」であり、妙法で、あらゆる人々を幸福にすることであると説かれている。
 群馬出身の日寛上人の「報恩抄文段」には、「一切の師の弟子を養育する、その志は大法をして弘宣することを得せしめんが為なり」「若し法を伝えて衆生を利せば、畢竟、恩を報ずるなり」(文段集四三九㌻)と記されている。
 現在の広宣流布の広がりを、戸田先生が、どれほど喜んでおられることか。
 戸田先生の故郷、厚田村でも、わが同志は、抜群の拡大を成し遂げてこられた。石狩本部の厚田支部の厚田地区、望来もうらい地区、聚富しっぷ地区、そして浜益はまます地区の誉れの皆さまを、私は大きく宣揚し、後世に顕彰したい。
6  若きホセ・マルティは、正義なるがゆえに追放された師匠の仇を討つために、さらにまた、なんの罪もないのに虐げられてきた民衆の仇を討つために、立ち上がった。
 そして四十二歳で、独立への戦闘の渦中、凶弾に倒れるまで、叫んで叫んで叫びきった。書いて書いて書きまくった。動いて動いて動き続けた。
 わが身をなげうって、未来の人類のために、戦って戦って戦いぬいたのである。真正の革命児である。偉大なる丈夫である。
 マルティは保身の権力者を弾劾してやまなかった。「国に奉仕する者が、公共の利益より私的な感情や猜疑心を優先するのはまことに恥ずべきことです」(「キューバ革命党キーウェスト評議会加盟協会会長へ」後藤雄介訳、『ホセ・マルティ選集』3所収、日本経済評論社)
7  新聞の使命は教育と創造に
 マルティは、みずから「新聞」を創刊した。疲労もいとわず、正義の言論戦を展開し続けた。
 それは、自分の生まれたその国土で、民衆が、晴ればれと幸福を勝ち取っていくための戦いであった。
 「新聞の使命は教育と創造にある」(エルミノオ・アルミンドロス『椰子より高く正義を掲げよ』神尾朱実訳・神代修監修、海風書房)とは、マなアィの有名な言葉である。
 二十一世紀の人間教育と平和創造への大光を放ち、世界を結びゆく「聖教新聞」もまた、その使命はいちだんと大きい。「日本中、世界中の人に読ませたい」との戸田先生の悲願を胸に、さらに拡大してまいりたい。
 私が対談したヴィテイエール博士は言われた。
 マルティの最大の栄誉は何か。それは、「貧しい人々と子どもたちに語りかけた」こと。「貧しい人々と子どもたちのために生きて、死んでいった」こと。そして「国民と、その魂にとって光であり続けている」ことにあると。
 永遠に朽ちない宝とは、民衆へのあたたかい「気配り」であり、「愛情」であり、「慈愛」なのである。
8  マルティには、敵をも味方に変え、皆を大きくつつみ、抱きかかえ、皆を生かしていく心の大きさがあった。
 私が皆さま方を代表して、キューバの首都ハバナ市の「最高賓客」称号(名誉市民に当たる)を拝受した折、式典の会場のハバナ市博物館には、マルティと、年長のゴメス将軍、マセオ将軍の大きな肖像画が掲げられていた。
 じつはマルティと、この両将軍は、もともと、意見も、立場も、大きく異なっていた。しかも、年代も、将軍たちのほうが上であり、はるかに先輩格であった。しかし、革命組織の結集のためには、この実力ある二人の将軍の心をつかむことが、どうしても必要だった。マルティは電光石火で行動した。誠実な対話に徹した。
 ゴメス将軍に対しては、ドミニカの家にまで訪ね、三日間の粘り強い対話を重ね、完全に味方に変えた。また、コスタリカに追放されていたマセオ将軍に対しては、まず、ジャマイカに住む夫人と母親のところに行って、心から激励した。さらにマルティは、コスタリカにいるマセオ将軍のもとへ説得に向かい、心をがっちりつかんだのである。
 戸田先生は、よく、「人間は感情の動物である。一人一人の心を、どうとらえていくかが大事だ」と言われていた。
 苦境にあればあるほど、指導者が友にさしのべる「癒しの手」「癒しの心」が力となり、希望となる。聡明な指導者の気配りと振る舞いによって、皆の調和が図られ、皆が立ち上がっていくものだ。
9  「真の勝利」は「精神の勝利」
 とともに、マルティは、民衆の先頭に立って、命懸けで、勇敢に精神闘争を貫いていった。
 マルティは叫んだ。「正義に無頓着な大衆より、たった一人の正義の人の存在が強いのです。真の勝利を得るには、まず精神の上で勝利することです。なぜならば、みずからの不正義を相手に認めさせること、それがすでに勝利だからです」(前掲『カリブの太陽 正義の詩』)
 仏法の真髄は「法華折伏・破権門理」である。邪悪への破折こそ、学会精神である。民衆の正義の怒りほど強いものはない。
 「何世紀もかかって強欲さや特権が積み上げたものを、慈悲深い魂の怒りはたったひと揺れで倒す」(「キューバ革命党三年目」後藤政子訳、前掲選集3所収)とは、マルティの烈々たる大確信であつた。
 二十一世紀を開く青年部の諸君もまた、強き正義の怒りを、絶対に忘れてはならない。
10  大聖人は、佐渡流罪の大難のなかで、悠然と仰せである。
 「仏になる道は、必ず、命を捨てるほどのことがあってこそ、仏になるであろうと思われる」(御書891㌻、通解)と。これが、大聖人の道、仏になる道である。
 わが学会の草創の同志は、「不惜身命」「死身弘法」の精神をわが生命に燃えたぎらせながら、大聖人に直結して、広宣流布の拡大に戦いぬいてこられた。たとえ村八分にされようと、いかに悪口されようと、どんなに苦しくとも、絶対に負けずに、御書を拝しながら、わが地域に厳然と広宣流布の城を築き上げてこられた。
 そして、最後の最後に晴ればれと勝って、「創価学会、万歳!」「創価の師弟、万歳! 同志、万歳!」と叫んで、「勝利王」「希望王」の人生を飾っていかれた。
 われらの広布の最前線には、あまりにも尊く、あまりにも美しいロマンの歴史が光っている。
 草津にも、群馬にも、こうした無名の″信心の英雄″が、たくさんおられることを、私はよく存じ上げている。
11  お盆に当たり、私は、群馬をはじめ全国、全世界の功労者、また、全同志の先祖代々の追善を懇ろに行わせていただいた。また、この多宝研修道場で、私は、尊い多宝会の方々の、ますますのご健康、ご長寿を深くご祈念させていただいた。
 群馬は「運転免許の保有率」で日本一の県と、うかがった。交通事故が絶対にないよう、私は祈りに祈っている。車を運転される方は、毎朝の勤行で、一日の絶対無事故を、しっかりと具体的に祈念していっていただきたい。
12  新しい歴史の開拓者マルテイは呼びかけた。「さあ今こそ、新たな人生を始めるために戦おう、新しい祖国のために働こうではないか」(『祖国と自由』大楠栄三訳、前掲選集1所収)と。
 私も、わが同志に、「新しい『人間革命』の勝利のために戦おうではないか!」「新しい『広宣流布』の拡大のために働こうではないか!」と申し上げたい。
 そして、愛する群馬の同志に、
  高らかに
    群馬の鐘は
      鳴りにけり
    第二の広布の
      黎明 来たりと
 と一首を贈り、記念のスピーチとさせていただく。お元気で!
 (群馬多宝研修道場)

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