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日蓮大聖人・池田大作

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全国最高協議会 「新しい出発」「新しい建設」を

2001.8.7 スピーチ(2000.11〜)(池田大作全集第92巻)

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2  リーダーの使命は「皆の心を軽くしてあげる」ことだ。それには、慈愛あふれる言葉と振る舞いが大事である。逆に、「人は何でも言うことを聞く」と思い上がり、まるで「機械のように」人を動かそうとするのは権威主義である。
 学会は、あくまで「人間主義」である。あらゆる広宣流布の戦いも、そしてまた、一つの例をとってみれば、「聖教新聞」の拡大も、″命令的にやらせる″のではなく、つねにあたたかい心で進めていただきたい。「一緒にやりましょう」という気配りにあふれた呼びかけでなければ、皆の心の奥に強くあたたかく響かない。
 ともあれ、皆が健康で、楽しく、その使命が達成できるように、最高幹部が真剣な祈りを送ることだ。
 そしてまた、自分自身の行動も、つねに模範を示していく実像でなければならない。それを横着な態度をとったり、権威主義の傲慢な姿であっては、懈怠(仏道修行を怠ること)に通ずる。
 いかなる会合にしても、皆が喜び、納得し、みずからがやる気になるようにしていかなければ、真実の指導ではない。せっかく集まってくれたのに、中心者が無愛想な態度では、まことに失礼千万だ。「皆さん、ありがとうございます」「どうか、よろしくお願いします」等、さわやかに、心をこめて語ることだ。
 そして一回一回、魅力ある、有意義なものになるよう工夫し、「会合革命」をお願いしたい。
3  孫文″大事業は大志から!″
 皆さまの「新しい出発」にあたり、世界の箴言を贈りたい。
 近代中国の大指導者・孫文の夫人である宋慶齢そうけいれい女史は、「中国の良心」とたたえられた女性である。宋女史は言った。
 「私たちは、人民と密接な関係を保持しなければなりません」(イスラエル・エプシュタイン『宋慶齢』久保田博子訳、サイマル出版会)
 創価学会も永遠に「民衆とともに」進む。異体同心で進む。
 さらに女史は言う。
 「もし私たちが、まちがった噂や警告が私たちを攪乱するのに任せておけば、革命は失敗するでしよう。しかし、私たちは断固としておりますから、革命は失敗するようなことはありません」(同前)
 悪意のデマが広がるのを放っておいてはいけない。リーダーは、断じて戦わねばならない。そうでなくては会員を守れない。
 一方、孫文は、こう語っている。
 「大きな事業をやりとげるには、なによりも大きな志をいだき、大きな度胸をもち、大きな決心をしなければならない」(林要三訳、『孫文選集』2、伊地智善継・山口一郎監修、社会思想社)
 私たちのめざす広宣流布ほど、壮大なロマンはない。これほどの正義の理想はない。皆さまは、この偉大なる広宣流布の″将の将″である。
 戸田先生は厳しくおっしゃった。
 「指導者は、どんなに辛かろうが、人前では、生き生きとしていなければならない。その姿に同志は安心し、ついてくる。
 皆に希望をあたえ、確信をあたえるのが幹部である」と。
 ゆえに皆さまは、どこまでも「信心即生活」「信心即健康」の模範のリーダーであっていただきたい。私も毎朝毎晩、皆さまの健康と長寿を、強く深く祈念している。
4  「民衆を苦しめるな問題はただそれだけだ」
 次にフランスの文豪ヴイクトル・ユゴー。議会で政治家たちに向けて放った、炎の叫びである。
 「民衆が苦しんではいけません! 民衆が飢えてはいけません! そこにこそ深刻な問題があり、そこにこそ危険があるのです。そこにだけ、みなさん、そこにだけです、ほかには危険はないのです!」(「言行録」稲垣直樹訳、『ヴィクトル・ユゴー文学館』9所収、潮出版社)
 彼は「民衆の幸福」を見つめていた。そこだけであった。
 さらにユゴーは語る。
 「理想の国民たることは、正義の国民たることであり、美の人民たることは真の人民たることであります」(「追放」神津道一訳、『ユーゴー全集』l0所収、ユーゴー全集刊行会)
 真実に美しいのは、信心の世界である。お金がどうとか、学歴がどうとか、信心の世界は一切関係ない。
 美しい心の人がいちばん尊いのである。美しい心の人を、皆が憧れ、諸天も諸仏も、たたえ、守っていくのである。
5  続いて、ドイツの劇作家エルンスト・トラー。″ナチスと最初に戦った″ユダヤ人作家として世界的に有名である。
 「野蛮のくびきが締めつけるならば、戦わねばならず、沈黙してはならない。このような時代に沈黙する者は彼の人間的使命を裏切ることになる」(島谷謙『ナチスと最初に闘った劇作家』ミネルヴァ書房)
 この言葉を、とくに青年部に贈りたい。
 野蛮な人間を相手に沈黙してはいけない。沈黙は消極的な賛成である。
 一言われたら、十も二十も言い返していく。そういう燃え上がる闘争心こそ青年の証である。
 フランスの哲学者ベルクソンいわく。
 「まっすぐ進んでいると、自分を目標に近づけることになり、そのうえ障害と見られていたものが、たいてい幻影から来るものだったことに気づくようになります」(「精神のエネルギー」渡辺秀訳、『ベルグソン全集』5、白水社)
 目的に向かって、まっすぐに前へ、前へと進んでいくことである。「進まざるは退転」である。
 「大変だな」と思うことも、強き一念で挑戦すれば、実際は何でもないことだったりするものだ。心は不思議である。心ひとつで大きく変わる。それが、「一念三千」の妙法の力用なのである。
 中国の詩人・蘇軾そしょくの言葉に、こうある。
 「居ること高きも志ひくければ 真に何の益かある」(近藤光男『中国名詩鑑賞』7、小沢書店)
 いかに位が高くても、心がいやしければ何の役に立つというのか――政治家でもあった蘇軾の言葉は、まことに鋭い。
 学会の幹部も同じである。「広宣流布の心」を失った幹部は、学会には必要ない。
 皆さまは、わが胸中に「広宣流布の心」を満々とたたえた指導者であっていただきたい。
 また、心から「広宣流布の同志」を尊敬できる信心の指導者であっていただきたい。同志を尊敬していけば、同志から尊敬される。それが仏法の因果である。
6  「青年の時代」である。青年を本格的に育成したい。後輩を伸ばしていきたい。かといって、大事にしすぎる必要はない。どんどん訓練し、鍛えることだ。
 「新しい人材」を登用すれば、「新しい戦野」が広がっていく。同時に、今までの土台を築いてくれた功労者を大事にして、ともに心を合わせていけば、何倍もの力が出る。
 青年は、強い敵には、強く反撃すべきである。しかし、青年が威張って、婦人部と不調和になってはいけない。
 二十一世紀開幕の勝利は、「婦人部の勝利」であった。婦人部を尊敬し、婦人部に感謝し、婦人部が思うぞんぶん、活躍できるよう、皆が支え、応援するのは当然である。
7  立場や肩書、学歴があるから、信心があるのではない。学歴だけで威張る、人格なき人間は最低である。
 虚栄家の人、そして質素な人、また学歴のある人、学歴のない人、裕福な人、貧しい人等々、結論して言えば、だれが真実の幸福者であるかが問題だ。
 立派な人間として、勝利の実像を社会に光らせていく信念を持った人が勝利者である。すなわち、信心を持った人が究極の勝利者なのである。そのための仏法だ。
 将来のために、あえて言い残しておきたい。
8  信心とは「無限の希望」
 深刻な不景気が続いている。さまざまな面で、大変な状況の方も、いらっしゃるであろう。皆さまは、リーダーとして、そういう点にも、こまやかに配慮していける人であっていただきたい。
 その上で、申し上げたいのは、環境がどうであれ、「根本は信心の人生で生きぬいていけ」ということである。それでこそ、一切の宝を、功徳として積みきっていけるからである。
 大聖人は大切な門下に「法華経のゆへに命をすてよ」と仰せになられた。
 また「をやををもひ・めこ妻子ををもひ所領をかへりみること・なかれ」とも仰せである。
 厳しい御指南ではあるが、これが大聖人の弟子門下への深き愛情であった。まさに「厳父の愛」であった。
 信心は無限の希望である。無限の功徳と、無限の人生勝利を開いていくことができる。
 釈にいわく。「浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり」と。
 苦しい時こそ、信心で乗り越える。広布へ立ち上がっていく。それが草創期からの学会の伝統精神である。また、御聖訓どおりの信心なのである。
 この忍耐と確信のなかに、一切の困難を乗り越える力がある。
9  戸田先生が牧口先生を守り、お慕いする姿は、それはそれは、すさまじいほどであった。牧口先生の話になると、つねに峻厳そのもののお姿であられた。
 学会の魂は「師弟の精神」である。これが人間の真髄の道である。
 そして「会員本位」「会員第一」を貫くことだ。これを決して忘れてはならない。
 わが使命の天地を、自分たちの力で、栄えさせていただきたい。
 かの「三国志」の英雄にも勝る、広宣流布の英雄として!
 (長野研修道場)

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