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日蓮大聖人・池田大作

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総神奈川最高協議会 行動なくして「栄光の叙事詩」もなし

2001.5.26 スピーチ(2000.11〜)(池田大作全集第92巻)

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2  先日(五月十四日)、神奈川婦人部の記念大会でも語りあったとおり、二十一世紀は「神奈川の世紀」である。(拍手)
 二〇〇〇年の国勢調査において、神奈川の人口は、東京、大阪に続いて第三位。(八四八万九九三二人)しかも、人口増加率でも、滋賀、沖縄に次いで第三位。(拍手)
 ちなみに、ここ神奈川、静岡をはじめ、東京、山梨、また埼玉、千葉、茨城、群馬、栃木の関東各県、さらに信越の長野と新潟を含めた、首都圏とその周辺の人口は、四九七七万四二八三人。全国の、じつに三九・三二%を占める。そのなかでも、神奈川の存在は、ますます重要である。神奈川に、揺るぎない広宣流布の地盤を固めることが、二十一世紀の創価学会の趨勢を決定づける。愛する神奈川の勝利と栄光のために、私も総力を挙げていく決心である。(拍手)
 焦点は青年である。神奈川県下で、もっとも人口の多い年齢層は二十代。
 今、全国の青年部の起爆力となっているヤング男子部も、じつは、神奈川が発祥の地である。その誇り高き原点「若獅子会」(神奈川ヤング男子部)の敢闘は、じつに頼もしい。
 また女子部も、「ブリリアント・リーダーズ」、座談会推進委員として健闘する「希望リーダー」をはじめ、きら星のごとく「女性の世紀」の人材群が光っている。
 さらにヤング・ミセスの方々が中心になって、子どもたちのための良書の「読み聞かせ会」などを開催し、有意義に、新しいネットワークを広げているとうかがった。青少年の暗い事件が渦巻くなかにあって、まことに、さわやかな教育運動であり、希望に満ちた文化運動である。
3  子どもへの「読み聞かせ」といえば、ドイツの文豪ゲーテと、そのお母さんのほほ笑ましいエピソードが思い出される。(菊池栄一『ゲーテ物語』講談社学術文庫、参昭)
 快活なお母さんは、幼いゲーテに、さまざまな物語を、それは生き生きと語り聞かせた。ゲーテが「続きは、こうなってほしいな」と願う、その心を、巧みに、くみ取りながら――。
 ゲーテは、小さな心臓を、喜びでドキドキさせながら、お母さんの話に耳を澄ませた。
 ここに、ゲーテの生涯を彩る創造性が、大きく豊かに育まれていったのである。
 その意味で、聡明な神奈川のお母さま方の「読み聞かせ運動」のうねりのなかから、″二十一世紀のゲーテ″が生まれ出ることを、私は心から楽しみにしている。
 ゲーテといえば、ちょうど二十年前(一九八一年)の五月、ドイツの友人たちとともに、フランクフルトにあるゲーテの生家を訪問したことが懐かしい。
 ドイツSGIの総合文化センターも、ゲーテゆかりの地に立つ。かつて、ゲーテが「ここから見るライン川がいちばん美しい」と絶賛した、ビンゲン市の景勝地にあって、地域の友好の広場となっている。
 きょうは、ドイツの初代女子部長であった、神奈川ドクター部の方も出席されている。
4  最後に勝つのは人道主義――ゲーテ
 ところで、「はじめに行動ありき」とは、ゲーテの、あまりにも有名な傑作『ファウスト』の一節である。ゲーテ自身、行動の人であった。
 ドイツのワイマール公国で、若き日から政治に身を投じ、不滅の実績を次々に挙げていったことも名高い。その足跡は、政治に「人道主義の精神を導入した」と、歴史に高く評価されている。
 いつの世も、望まれるのは、人間の心の通った政治である。私たちの強い願いも、ここにある。
 ゲーテは、青年リーダーとして、″物事は上から見おろしていては、真実はつかめない。下のほうから見ていかねばならない″との信条に立っていた。
 彼は、庶民の目線に立ち、庶民のための政治をめざして、当時としては進歩的な福祉を整備していった。庶民の生活のため、雇用の創出をはかった。国民の生命の安全確保に心を砕いた。災害ヘの迅速な対応に全力を注いだことでも知られる。
 ひとたび、火災や洪水が起これば、彼は即刻、現場へ駆けつけて、救援にあたった。ある災害では、彼の奔走のおかげで、一人の犠牲者も出さずにすんだという感謝の声も残されている。
 ゲーテは、民衆と苦楽をともにすることを喜びとし、誇りとした。
5  当時、国の財政は完全に疲弊し、多くの庶民があえぎ、苦しんでいた。その実態に深く胸を痛めた彼は、大臣として、また宰相として、断固たる「改革」に取り組む。
 彼は、何よりもまず改革すべきは政治家自身であるとした。虚栄の為政者の贅沢や、見栄っ張りな過度の接待を戒め、有力者の「特権」の廃止に挑んだ。さらに行政の無駄を整理し、乱脈財政を正し、軍縮を進めながら捻出した経費を、貧しい人々への援助にあてた。
 また彼が、できうるかぎり尽力したのが「教育」であり、「芸術」であり、「文化」であった。
 ゲーテの情熱と献身は、ワイマール公国の都市を、古代ギリシャのアテネにも比せられる、世界への教育と文化の一大発信地に築き上げた。戦乱による荒廃のなかでも、大学、劇場などを厳として復興させていった。国家も、時代によって変化はまぬかれない。しかし、何があろうとも、人間をつくる「教育」を守り、人間を豊かにする「文化」を守れば、必ず希望の未来が開ける。そうゲーテは展望していたのである。
 こうした彼の戦いは、既存の勢力の根強い抵抗にあい、妬みの声、悪意の中傷をあびせられた。世の常である。
 しかし、「高貴なものが悪いものに打ち勝つ」(エッカーマン『ゲーテとの対話』山下肇訳、岩波文庫)。これがゲーテの信念であった。彼は「人道主義が最後の勝利を占めるというのは真実であろうと思う」(『イタリア紀行』相良守峯訳、岩波文庫)とも書き残している。
6  友人のなかには、ゲーテのことを思いやり、政治権力の世界から離れるよう忠告する者もいた。
 しかし、彼はひかなかった。いな、ひけなかった。もしも、当時、彼が離れたなら、時の君主は歯止めを失って軍事化を指し進め、国を破綻させてしまう危険があつたからである。
 だから、ゲーテはあえて政治の世界にとどまった。軍事化への、いわば抑止力となって貢献し、外交による平和の保持に尽くした。そして、国民の生活を守ることを第一義として改革の推進力となり、次々に仕事を進めていったのである。
 ゲーテは言う。
 「悪はその結果において個人の幸福も全体の幸福も破壊するものであり、それに対して、気高いもの、正しいものは個人の幸福と全体の幸福をもたらし、これを確実なものにする」(山下肇訳、前掲書)
 日本も、あらゆる次元で、人間主義へと改革すべきだという機運が、大きく高まっている。
 今こそ、民衆が連帯して、気高く正しい力を、断固として強める時である。反動的な、歴史の逆行は厳然と防いでいかねばならない。そして、二十一世紀の日本の進路を、「人道」へ、「平和」の方向へと向けていきたい。「幸福」の軌道を確実につくり、広げ、固めてまいりたい。
 皆さま方の、たゆみない日々の行動こそ、その根本の力である。民衆の叫びほど、強いものはないのである。
7  ゲーテが、じつに六十年の歳月をかけて完成させた、世界文学の最高峰の一つが『ファウスト』である。このライフワークの書に、彼が死を前にして手を入れた一行がある。それは何か。
 「自由な土地に自由な民とともに生きたい」(『フアウスト』手塚富雄訳、中公文庫)という一節であった。
 「自由な土地」「自由な民」――ここに彼の深い理想があった。
 いかなる権力の魔性にも屈しない。民衆とともに、民衆のなかで、民衆のために生きぬいていく。精神の自由と幸福な生活を、皆が日々、雄々しく勝ち取りながら、理想の国土を築き上げていく。
 ここに、ゲーテが心に描いた人生の至高の活動があるといえよう。
 どうか、皆さまも、神奈川という世界が見つめる晴れ舞台で、壮大なる「人間勝利の叙事詩」を、生き生きとつづり残していっていただきたい。
8  世界第一の法華経の味方に諸天の加護
 神奈川といえば、私には、いずこも思い出が深い。現在の神奈川の十七分県はすべて、私自身、足を運び、皆さまと一緒に歴史を残した天地である。
 私は、尊き神奈川の同志と、一人また一人、一軒また一軒と、ひざづめで語りあい、心と心を通いあわせながら、広宣流布の波動を広げてきた。また、神奈川文化会館を拠点として、世界の知性と「平和と文化と教育の対話」を、一回また一回と積み重ねてきた。
 大聖人は、四条金吾への御手紙で、こう仰せである。
 「(あなたは)兄弟にも捨てられ、同僚にも敵視され、江間家の子弟からもいじめられ、日本国の人々にも憎まれてきた。けれども、去る文永八年の九月十二日の子丑の時刻に日蓮が御勘気(竜の口での斬罪)を蒙ったさいに、馬の口にとりついて鎌倉を出て、相模の依智まで供をしてこられたことは、世界第一の法華経の味方をしたのであるから、梵天、帝釈も捨てられなかったのであろう。仏におなりになることも、これと同じである」(御書1184㌻、通解)
 この御聖訓のとおり、仏意仏勅の創価学会も、近年の大難のなか、世界第一の法華経の味方として、日蓮大聖人の直系として戦いぬいたゆえに、梵天、帝釈の絶大なる加護を受けた。世界が学会を支持し、賞讃する時代となった。
 この学会とともに、勇敢に広布に生きぬく皆さまが、一人も残らず、一生成仏という「永遠の幸福の軌道」を上昇していかれることは絶対に疑いない。その世界の模範の実証が、わが神奈川家族なのである。(拍手)
 思えば、昭和五十四年の五月、第一の「七つの鐘」の鳴り終える時を、私は神奈川の友と迎えた。そして今、新しい第二の「七つの鐘」を、縁深き神奈川の宝の同志とともに、私は高らかに、また、にぎやかに打ち鳴らしてまいりたい。
 明年は、大聖人が立宗宣言(一二五三年)をなされた後、ここ神奈川で末法万年尽未来際への法戦を開始されてから、七百五十年目の大いなる佳節となる。大聖人が厳として皆さま方を守っておられる。それを確信し、神奈川の大勝利の道を今こそ開いていただきたい。
9  虚栄なき「無冠の民衆」こそ最強
 大聖人は、神奈川の門下である四条金吾に、法華経の行者は、万年の齢をたもつ「松」のごとき「久遠長寿の如来」であると示されている。
 松の木は、枝を曲げられても微動だにせず、常緑の光彩を増していく。いかなる難が競い起ころうとも、あの松の本のように、強き信念で、明るく、決然と、いやまして前進していくことだ。
 そこにこそ、久遠の妙法とともに、自分自身の生命が、いよいよ赫々と光り輝き、永遠の大福運が積まれていく。
 虚栄をかなぐり捨てた人間は強い。それが信仰者の生き方である。
 つくろわず、はたらかさず、ありのままに、広宣流布のために生きぬく人生こそ、もっとも尊く、もっとも偉大である。いざという時にも腹がすわり、朗らかなのは、無冠の民衆なのである。
 今回は、急遽の訪問のため、代表の方々のみとの懇談になったが、各県の同志の皆さま方に、くれぐれも、よろしく、お伝えいただきたい。
10  皆さまは、新しき世紀を創るリーダーである。
 中国の『史記』には、「人の心をつかむものは栄え、人の心を失うものは滅びる」(司馬遷『史記列伝』I、貝塚茂樹・川勝義雄訳、中央公論新社)とある。
 古代ギリシャの哲学者プラトンは言った。
 「ただの一人をでも十分に説得したならば、すべての善きことを私は仕遂げたことになるだろう」(『プラトン書簡集』山本光雄訳、角川文庫)
 ガンジーは言う。
 「勇気こそ、人格の基礎の確固としたものの一つである。勇気がなければ、道義はなく、宗教もなく、愛もない」(「ガンジー自叙伝」蟻山芳郎訳、『世界の名著』63所収、中央公論社)と。
 断固として戦い、歴史を残し、すばらしき人生を飾っていただきたい。
 大聖人は流罪の佐渡の地から、鎌倉の弟子一同に仰せである。
 「何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり
 私も、神奈川の全同志のご健康、そして幸福と勝利を祈り、強盛にお題目を送り続けていく決心である。
 終わりに、あす(五月二十七日)の「神奈川婦人部の日」を記念し、
  神奈川の
    広布の母に
      長寿あれ
  
  神奈川の
    偉大な母に
      幸光れ
 と、つつしんでお贈りし、私の記念のスピーチとさせていただく。
 (神奈川文化会館)

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