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日蓮大聖人・池田大作

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第六回本部幹部会、第二回全国婦人部幹部… 胸を張れ! 民衆よ立ち上がれ!

2001.5.21 スピーチ(2000.11〜)(池田大作全集第92巻)

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2  明二〇〇二年は、文豪ヴィクトル・ユゴーの生誕二百周年である。ユゴーは呼びかけた。
 「ああ! 民衆よ!」「思いもおよばぬ巨大な姿を見せてやりなさい。あなたが目覚めるという、あっと驚く奇跡を見せてやりなさい」「立ちあがりなさい! 立ちあがりなさい!」(「言行録」稲垣直樹訳、『ヴィクトル・ユゴー文学館』9所収、潮出版社)
 偉大な力があるのは、権力者でもなければ、有名人でもない。「民衆」である。
 民衆よ、小さくなるな。民衆が動く、巨大な姿。それを敵に見せつけるのだ!――と。
 日蓮大聖人の仏法は、「民衆のための仏法」である。
 民衆よ立ち上がれ!
 これがユゴーの叫びであり、戸田先生の叫びであり、創価学会の叫びである。
 近代中国の父・孫文博士の有名な言葉がある。
 「政治の力は大きな善もできるし、大きな悪もできる」
 「国を救い人を救おうと思えば、悪い政治を除かなければだめである」(横山英・中山義弘『孫文』清水書院)
 政治は良いこともできるが、悪いこともできる。悪い政治は、たたき壊せ!――こうして孫文博士は、大中国の革命の火蓋を切ったのである。
3  今は民主主義の世の中だから、上も下もない。人間は全部、平等のはずである。
 「そうは言っても、テレビをつけると、いわゆる有名人ばかりが脚光を浴びて、なぜか偉そうにしていますね」と、ある人が言っていた。
 では、人間、だれが本当に偉いのか。
 御書に「法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し」――法が妙であるゆえに、その法を受持する人が貴い。人が貴いゆえに、その人がいる所も尊い――と。
 「最高の法」を持った人間が「最高に尊貴」なのである。これが本当の人間主義である。妙法を弘めている皆さまが、どれほど尊いか。
 戸田先生は、よく言われていた。「自分がどれだけ偉いか。それを、皆、忘れているのだ。たしかに、うちに帰っても、たいした食事もない。家も、宮殿みたいに大きくはない。だから貧乏人根性で卑下するけれども、とんでもない。人間それ自体が偉大なんだ。建物なんて、将来、買えばいいし、それに、いつかは壊れてしまうものだ」と。
 また戸田先生は、「四信五品抄」を引いて指導された。こういう御文である。
 「南無妙法蓮華経と唱えるわが弟子の位は、諸宗の元祖よりも勝れること、百千万億倍なり。国中の諸人よ、わが末弟等を軽んじてはならない」(御書三四二ページ、趣意)
 皆さまは、妙法を唱えるのみならず、全国へ、全世界へ弘めている。広宣流布しておられる。すごい立場である。
 ″日本中の人よ、全人類よ、わが弟子たちを軽んじてはならない″――そう大聖人が仰せである。これに背く人間には、仏罰は厳然である。
 無認識の壁にぶつかったとしても、「あんな人間がなんだ!」「こんな迫害がなんだ!」と笑いとばしながら、誇り高く、胸を張って生きぬいていただきたい。
4  人間をつくれ! そこに勝利が
 きたる六月三十日は、わが学生部の結成記念日である。おめでとう!(拍手)
 学生部は「先駆」が魂である。ここに未来がある。ここから将来の学会の会長、理事長、また優秀なる各界のリーダーが出ることは間違いないと私は信ずる。
 昭和三十二年(一九五七年)の六月三十日、戸田先生のもと、学生部の結成大会が東京の麻布公会堂で行われた。この大会に、私は北海道の夕張から祝電を贈った。当時、夕張の地で、「信教の自由」を踏みにじる炭労と、学会は戦っていた。
 「大作、すぐに行ってこい」――戸田先生の命を受け、私は電光石火で単身、現地に飛んだ。その戦いの渦中にあったのである。
 「天下の炭労」と言われた労働組合の不当な人権弾圧と私は決然と戦った。そして堂々たる勝利を収めた。
 いずこの地にあっても、私は連戦連勝の金字塔を打ち立ててきた。これが私の誇りである。黄金の思い出である。
 結成大会から三日後の七月三日、関西の大阪の地にあって、私は無実の罪で逮捕された。戸田先生と学会と同志を守る以外ない。ならば、牢獄に入っても、青年らしく戦おう――そういう心情であった。
5  あの学生部結成の日、戸田先生は集まった五百人の秀才たちに指導された。
 「この中から半分は重役に、半分は博士になってもらいたい」と。有名な話である。
 力ある人間をつくるしかない。とくに、権力の魔性から民衆を守るには、力ある指導者をつくるしかない――これが戸田先生の結論であり、悲願であった。
 権力の世界には、傲慢と策略が渦巻いている。いつ覇されるか、いつ倒されるか、わからない。恐ろしい世界である。そのなかで、正義の信念を貫くには、何が必要か。人数でも、形式でも勝てない。強くなければいけない。力のない人間が、いくらいても、いざという時には雲散霧消してしまうからである。
 ゆえに、私に対する先生の薫陶は厳しかった。夜中でも呼ばれることがあった。午前三時に、電話で「今すぐこい」と呼ばれ、ただちに駆けつけた。それほど激しい広布の戦いの日々であった。
 小説『人間革命』や随筆にもしるしたが、戸田先生のことを語るとき、思い出は尽きない。
 皆さまも、ご存じのように、現在、わがドクター部、ならびに学術部の「博士」の方々が、全国各地で、さっそうと活躍されている。すごい時代である。昔は博士なんて、どこか別世界の話と思われていた。それが今では、堂々たる″知性の陣営″ができあがった。
 もちろん博士だからといって、信心の世界とは関係ない。名聞名利にとらわれてしまえば、こんな愚かな人生はない。「博士」であれ何であれ、広宣流布のために一生懸命尽くす人生こそ、もっとも尊く、もっとも偉大なのである。
6  世界から百三十の知性の栄冠(名誉博士・名誉教授)が決定
 先日、創価学園から、うれしい報告があった。「創立者・池田先生が世界の大学から、百を超す名誉博士号を受けられたのと時をあわせて、東京の創価学園でも博士号の取得者が百人を突破して、百八人となりました」というのである。
 とともに、「創立が東京より新しい関西校でも二十四人の博士が誕生しております。これで東西あわせて百三十二人となりました。今後も続々と予定されています」という報告であった。(拍手)
 私自身のことでたいへんに恐縮であるが、私への「名誉博士」「名誉教授」等の称号は、次に予定されている中国・福建師範大学名誉教授で百五を数える。すべて皆さまのおかげであり、皆さまを代表しての栄誉である。つつしんで、ご報告させていただく。同大学からは、婦人部を代表して私の妻も「名誉教授」をお受けすることになっている。
 さらに中国では、天台山のある浙江省の名門・浙江大学などから「名誉教授」の決定をいただいている。
 また私が最初に「名誉博士号」をいただいたモスクワ大学からは「名誉教授」の通知も寄せられている。(モスクワ大学から両方の栄誉を受けるのは、世界で初)
 さらに、人権の闘士キング博士の母校として名高い、アメリカのモアハウス大学からも「名誉人文学博士号」の授与が決定している。これ以外にも多くの大学から通知をいただいている。
 これら世界の大学・学術機関からの栄誉は、決定を含めると百三十に及ぶ。
 すべてを″英知の栄冠″の血脈として、皆さまの生命に、そして子孫・後継につなげていきたい――そういう思いで私は拝受してきた。
 ちょうど、今年の「六月六日」は、創価教育の父・牧口初代会長の生誕百三十周年である。調べれば調べるほど、本当に偉大な先生であられる。
 この百三十周年の佳節を、不思議にも、第三代の私の「百三十の名誉博士号の決定」、さらに学園生の「百三十の博士の誕生」をもって、祝賀し、荘厳することができた。(拍手)
7  創価大学出身の博士も、三十九人に至った。また早いもので、札幌創価幼稚園の卒園生からも、博士が生まれた。
 どこまでも「学生のために」「子どもたちのために」――教育者がここに徹すれば、人材はさらに出るであろう。反対に、「自分はすごいんだ」「自分さえよければ」という自己中心の心では、だれもついてこない。人も伸びない。
 「英知を磨くは何のため」「信心するのは何のため」。勝つためである。人生に勝つ。社会で勝つ。人間として勝つ。断じて勝って、幸福をつかみ、平和を築くためである。
 この根本の目的観、使命感を持つ人は強い。目的を忘れた人生は弱い。
 学園・創大出身者が取得した博士号の分野は、じつに多彩である。医学、薬学、歯学、工学、農学、理学、物理学、バイオサイエンス(生命科学)。法学、経済学、文学、教育学、言語学、人類学、宗教学、国際関係論、人間環境学、それに平和学博士も誕生した。
8  創価教育は二十一世紀の光
 さらに、うれしいことに、南米・ブラジルにも待望の「創価幼稚園」が開園することになった(拍手)。きょうは、その準備にあたっているブラジル教育部の先生方も、はるばる参加してくださった。遠いところ、ご苦労さま。オブリガード(ありがとう)!
 ブラジル創価幼稚園からも、二十一世紀の博士や世界の指導者が必ず出現することを、私は確信している。
 ドイツの大哲学者フィヒテは言う。「我々を圧迫する一切の不幸から我々を救うものは教育以外にない」(『ドイツ国民に告ぐ』石原達二訳、玉川大学出版部)。不滅の言葉である。
 牧口先生も、戸田先生も、教育者であった。私も、「教育こそ最後の事業」と定め、全魂を注いできた。
 教育によって、人間は真の「人間」となる。また、宗教だけでは独善におちいる場合がある。
 これまでの歴史を見ても、人々の心を開ざし、無用の紛争を引き起こす宗教もある。傲慢な聖職者が、信徒を奴隷のごとく見くだし、金もうけの道具にする宗教もある。とんでもない間違いである。人を救わない宗教、平和に尽くさない宗教は、正しい宗教とはいえない。
 本来、宗教とは信念である。「人を救おう」という信念である。人々の心に、その信念を植えていくのである。そして教育は、開かれた普遍的知性をもって、人を育てていく。
 宗教と教育の両方があってこそ、人間の正しき路線が完成する。
 またフイヒテは、こうも述べる。「あなた方の次の世代がどうなるかによって歴史上のあなた方の評価が定まります」(同前)と。
 個人も、団体も、国家も、どれだけ人材を見つけ、どれだけ人材を育てたか――それで歴史の真価が決まる。
 民衆のため、社会のため、人間のために貢献する指導者を育てゆくことだ。これが世界平和の波動を広げる。これが創価学会の実践である。
 「教育の世紀」が幕を開けた今、「人材育成の競争」の先頭を行くのが、創価の使命であることを、どうか忘れないでいただきたい。
9  私が昔、伝記を書いたことがある、スイスの大教育者ペスタロッチは言う。「私の政治の始めと終りは教育である」(村井実『ペスタロッチーとその時代』玉川大学出版部)
 政治家も、心して教育を支え、教育を守り、教育に尽くしていくべきである。
 経済や環境問題など、社会のさまざまな課題に政治が取り組んでいくのは当然である。しかし、いちばん大事なことは、立派な人間を育てることである。
 人間が立派になり、価値観が高まれば、環境問題をはじめ、あらゆる問題も、必ず、賢明な解決の道を見いだしていけるであろう。
 「人間をつくる」ことが一切の根本である。私が「教育のための社会」への転換をめざして提言を行ってきたのも、そのためである。(五月二十三日付「朝日新聞」にも教育に関する提言を寄稿)
10  朗らかに広布のエベレストを登攀!
 前回の本部幹部会(四月二十五日)では、「二〇三〇年の創価学会創立百周年をめざそう」と申し上げた。確認しておきたいが、これは、とくに青年部、未来部を焦点とした目標である。
 じつは、その後、多くの多宝会の方々から、「長生きしていく決心です」とか、「題目をさらにあげます」とか、「百周年までは、どんなことがあっても生きてみせます」など、さまざまな決意の声をいただいた。
 そこで、まずは、西暦二〇〇五年を目標に前進していきたいと思うが、どうだろう。これで、多宝会の皆さまも、ほっとしたのではないだろうか。(爆笑)
 二〇〇五年は学会創立七十五周年。「七十五」は、妙法の五字七字の数とも不思議に符合している。この年は、SGIが発足して三十周年の佳節でもある。(拍手)
 そして、さらに五年後の二〇一〇年は、創立八十周年。「八」には「開く」義がある。この年は、私が第三代会長に就任して、五十周年にもあたる。
 ここに向かっていきたいと思うが、どうだろう。
 まずは二〇〇五年五月三日を、各人、各地域、各県区・方面の皆さまの大いなる目標として、広宣流布の拡大へ、断固、前進しようではないか!
11  広宣流布の峰は、高い。学会も、ようやく「広宣流布のエベレスト山」の中腹まで登った。私も、皆さまと一緒にたどりついた。そういう心情である。
 これから、ともに長生きして、朗らかに、楽しく、信念を強く、広宣流布の総仕上げに向かって、山を登攀してまいりたい。
 たとえ、その途中で倒れた人も、皆、成仏して、すぐに生まれてくる。「生死は不二」であるゆえに、永遠に同志として戦っていける。
 ともあれ、日本の運命を決する「二十一世紀最初の坂」は目前である。この坂を上りきった人、勝利しきった人は、二十一世紀全体を勝利することができる。
 私は今、学会に、その勝利の流れをつくりたいと真剣である。
 これからの数年は非常に大事である。堂々たる歴史を残したい。
 なかんずく「青年部結成五十周年」のこの夏は、青年の熱と力によって、見事なる正義の勝利で飾っていただきたい。
 大闘争のなかで戦えるのは、いちばん幸せである。宿命転換も早い。大闘争のなかに大功徳がある。
 戸田先生は、「もっと大きな難はこないか」「もっと大きな闘争はないか」とつねづね、言われていた。牧口先生も、同じ心意気であられた。私も、そう思う。
 仏法は不可思議な法であり、大きな広布の闘争であれば、それだけ大きな力がわく。満開の功徳につつまれる。そのなかではじめて、日本はもとより全人類をリードしていける、盤石なる永遠の基盤が築かれるのである。
12  親から子へ信心の継承を
 ところで、英雄ナポレオンの言葉に、こうある。
 「どんな生涯においても、栄光はその最後にしかない」(オクターヴ・オブリ編『ナポレオ二一口行録』大塚幸男訳、岩波文庫)
 人生、最後が大事である。世間の栄華に溺れ、信心を忘れた人間の末路は、みじめである。その反対に、最後を立派に飾られた、庶民の英雄がたくさんいる。
 その模範のお一人が、東京・狛江の大功労者であられた小町利治さんである。先月二十九日、九十二歳で天寿を全うされた。きょうは、ご長男と、その奥様が、ご出席くださっている。(拍手)
 私も、昭和五十四年(一九七九年)の九月十五日に家庭訪問し、さまざま懇談させていただいた。
 小町さんは、西郷南洲(隆盛)のような豪傑の風格。もとは自民党系の村会議員、町会議員として、地域の発展のために、懸命に貢献してこられた。地元では知らない人はいない、有名な方である。
 昭和三十年、創価学会に決然と入会された。四十六歳の時である。それは、大変なことであった。一族は猛反対。周囲からも、さんざんに悪口雑言をあびせられた。だが、そのなかを、悠然と、微動だにもせず、「私は創価学会と生きぬく!」「広宣流布のために働く!」と立ち上がった。
 地域の牙城である多摩川平和会館の土地を提供してくださったのも、この小町さんである。僧俗和合を願い、会館の隣につくった仏寿寺に対しても、一生懸命に尽くされた。しかし、宗門は供養を取るだけ取って豹変し、大恩ある学会を平然と裏切った。
 このとき、真っ先に立ち上がり、破邪顕正の声をあげ、厳然と戦ったのが、ご一家の皆さま方であった。
13  御聖訓には、「法華経の敵を見ながら、そのままにしておいて責めなければ、師も檀那も、ともに無間地獄に堕ちることは疑いない」(御書1056㌻、通解)と仰せである。
 戸田先生は、この御文を何度も拝し、″悪とは完膚なきまで戦うのだ″と教えてくださった。
 また五十年前、戸田先生が会長に就任された昭和二十六年の八月、先生は、草創の幹部のお宅に手紙を送られた。
 「永遠の生命をみつめる時、今世の小難なぞなんですか。永遠の生命の幸福境に住むのが成仏です」「今、学会人は各支部、火の様な働きです。皆、信心が基準です。坊さんにほめられたがる者は絶対に捨てなさい」
 これが戸田先生の指導であった。つねに先の先を見ぬいておられた。
 さらに御書には、経文を挙げて「悪い坊主と戦う精神」を教えておられる。そして、「正法をよく護持したゆえに、(釈尊は)金剛身を成就した」ことを示されている。(御書28㌻、68㌻)
 金剛身とは、何ものにも壊されない仏の生命のことである。だからこそ、「悪い坊主と戦え!」と言うのである。
 小町さんは、大聖人の仰せのままに、勇敢に戦ってこられた。公明党の市会議員としても、地域に貢献され、たいへんに慕われていた。議員を引退されたあとも、後輩のため、同志のため、学会のために、一生懸命、大誠実の行動を貫き通してこられた。ここが偉いと思う。引退した後に、人間の真価がわかる。
 葬儀には、千数百人もの方々が集われたと、うかがった。地域の有力者の方々も弔問に訪れ、人柄を偲んだという。最期まで、対話、対話、対話の日々。それが、これほどの宝の友情を広げた。
 生命の財宝は、信心しかないのである。
14  四十六年前、一族のなかでただ一人信心を始められた。今、三男二女のお子さん、十三人のお孫さん、十一人の曾孫の皆さん、その全員が信心に励み、学会の幹部として、学会員として、広布の庭で、堂々と戦っておられる。(拍手)
 また、そのなかには創価教育に学ばれた方も多く、一族だけで「創価同窓の集い」が開けるほどであるという。
 「信心の継承」の厳然たる模範である。それを見事に示し遺された。「親から子へ」信心を伝えてこそ、真の信仰者の姿であると私は思う。
 私は、小町さんの訃報を聞いて、すぐさま和歌を詠んだ。
  偉大なる
    王者の如き
      あなたをば
    我らは慕い
      帰るを待つらむ
    狛江の大勝利の指導者たる大兄に捧ぐ
 小町さんは、永遠に忘れ得ぬ同志である。
15  終わりに、先哲の英知の言葉を贈りたい。文豪ゲーテ。
 「派手に光るものは、ひと時かぎりのもので、本ものは、後世までも滅びることがないのです」(『ファウスト』相良守峯訳、岩波文庫)
 アメリカの思想家エマーソン。
 「忍耐また忍耐を重ねることによって、私たちはついには勝利を得ることができるであろう」(『エマソン選集』3、小泉一郎訳、日本教文社)
 これが創価学会の勝利の歴史である。
 フランスの文豪ユゴーは、不正の為政者を糾弾した書につづった。
 議員の義務とは何か。それは「一人残らず立ち上がって、体をはり、敵の人数も力もものともせず、議員は国民の主権を守るということだ」(「小ナポレオン」庄司和子・佐藤夏生訳、『ヴィクトル・ユゴー文学館』8所収、潮出版社)と。
 そして、キューバ独立の父ホセ・マルティの言葉――「決定的なときに優柔不断であることは罪だ」(「私は祖国を与えにやってきた!」後藤政子訳、『ホセ・マルティ選集』3所収、日本経済評論社)と申し上げ、記念のスピーチとさせていただく。
 長時間、ありがとう!
 (東京戸田記念講堂)

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