Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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全国方面長会議 今が「天の時」! 広宣の道を開け

2001.4.11 スピーチ(2000.11〜)(池田大作全集第92巻)

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1  使命の天地で栄光の歴史を
 方面長会議、ご苦労さまです。各方面とも、いまだかつてない広宣流布の前進また前進である。勝利また勝利の上げ潮である。待ちに待った二〇〇一年五月三日を、最高に晴ればれと迎えることができる。これほどの喜びはない。
 私は、全同志の皆さまに深く感謝し、心から御礼申し上げたい。
 アジアにも、アフリカにも、世界中に、創価の人間主義は広がっている。新世紀を迎え、今こそ″広宣流布のチャンスである。天の時である。好機到来である。
 戦うべき時に戦わない人間は、仏に成れない。心のギアをがっちりと合わせ、見えや格好を捨てて、崇高なる信心の大道を歩みぬいてまいりたい。
 大聖人は、一人の在家の弟子に仰せである。有名な御聖訓である。
 「その国の仏法流布は、あなたにお任せする。仏に成る種は、縁によって起こる。このゆえに、一乗の法(法華経)を説くのである」(御書1467㌻、通解)
 各方面の二十一世紀の広宣流布を、御本仏日蓮大聖人から厳然と託されているのは、だれか。皆さま方である。わが使命の天地で、見事なる栄光の歴史を残していただきたい。
 リーダーは先頭に立つことだ。人まかせではいけない。皆が、楽しく、自信をもち、希望に燃えて前進できるよう、心を砕くのが、指導者の責務である。
 日々、仏縁を結び、広げゆくことだ。″妙法の種″″勝利の種″を蒔いていくことだ。それは必ず「平和と幸福の花」と咲き、爛漫と薫り、新しい世紀を包んでいくであろう。
2  ボリビアから励ましと信頼の証
 仏法即社会である。世界の同志も、それぞれの国で、見事な信頼を勝ち得ておられる。先日も南米ボリビアからファクスが入った。理事長、副理事長のお二人の字は喜びに躍っていた。
 ――今月(四月)の七日、自然豊かな平和の都サンロレンソ市で「特別市議会」が招集された。アンテロ市長をはじめ、市議会議長、議員全員が正装で出席。議会書記長のアドリアソラ女史が「決議文」を朗々と読み上げた――と。
 それは、光栄にも、ボリビアはじめ世界百六十三カ国・地域の全同志を代表し、平和への行動を顕彰して、私と妻に、市の「最高賓客章」を授与してくださるという決議文であった。副理事長が、代理として拝受した。
 市長は、心あたたまる祝辞を寄せてくださった。「世は、いまだに乱れ、物質主義とエゴイズムが渦巻くなか、池田博士のすばらしい平和のリーダーシップのもと、その後継者である皆さま方は、ボリビア全土に、そして世界に、″慈愛と平和の種″を蒔いておられます」と。
 授章式に続き、市庁舎の隣の公園に、ボリビアSGI(創価学会インタナショナル)の真心で、三十本の桜の苗木が植樹された。
 公園には、同市の出身である独立の英雄、ホセ・エウスタキオ・メンデスの像があった。虐げられた民衆のために立ち上がった、高潔にして勇敢なる指導者である。その像への献花のさい、ボリビアSCIの鼓笛隊が、英雄メンデスをたたえた曲を美しく奏でた。英雄の直系の子孫も参加しておられたという。
 そして市長は、授章式のあった「四月七日」を市の「平和の日」と定め、永久に歴史にとどめたいと宣言されたのである。
 ボリビアでは先日、タリハ市からも「名誉市民証」、タリハ州からは「教育貢献賞」をいただいた。私どもの平和運動への、絶大なる励ましと信頼の証として、ありのままに、ご報告させていただく。
3  ボリビアの友の「社会貢献」はすばらしい。
 昨年八月、サンタクルス市で開かれた「核兵器――人類への脅威」展は、十一万人もの市民が訪れた。サンタクルス市の人口は百十三万人。じつに、市の人口の一割の方々である。
 開幕の式典には、バンセル大統領、オスデビラ教育・文化・スポーツ大臣から祝福のメッセージが届き、多くの来賓が出席された。
 十一万人に平和の波動を広げた、この市のSGIメンバーは約五百世帯。皆が力を合わせ、展示会の前に、大学、教育機関、市内の千三十校の学校を、くまなくまわられたという。地道で真剣な対話の積み重ねが、大成功を呼んだのである。
 首都ラパスでも″核の脅威展″は大反響であった。二十七人のメンバーが中核となって開催し、五万二千人以上の市民が来場した。
 開幕式には、ヒメナ・サンチェス前大統領夫人が見えられた。またオスデビラ教育・文化・スポーツ大臣も会場に来て、熱心に見てまわられた。
 オスデビラ大臣は、今年二月、ボリビア文化会館を訪問されたさい、メンバーに、「ボリビア国民に平和への関心を高めてくださったことを高く評価しております」「皆さまの活動の場である、この文化会館の訪問を念願しておりました」と語っておられたとも、うかがった。
 (二〇〇〇年十二月、教育・文化・スポーツ省から、池田名誉会長に、同省の最高位の勲章である「教育大功労章」が贈られている)
4  ボリビアの国名の由来となった南米解放の大指導者、ボリバルは言う。
 「人間がなしうるもっとも高貴な行いは、同じ人間を啓発することである」と。
 今、高貴なる啓発の対話を、仲良く、生き生きと続けているのが、ボリビアSGIの同志である。とくに、婦人部長、女性平和会議議長をはじめとする、聡明な女性のスクラムが光る。
 女性平和会議は、婦人部と女子部の方々からなる。毎年一回、各都市で平和の集いを開く。都市の歴史や偉人に光を当てて学びあい、新鮮な感動を広げている。地域の文化人とも対話を重ねながら、人間主義のネットワークを楽しく有意義に築いてこられた。
 妙法は「活の法門」である。その地ならではの特色や文化を生かし、開花させていける。誠実に地域に貢献しながら、「平和と正義の連帯」を縦横無尽につくり、広げていけるのである。
5  苦労してこそ偉大な指導者に
 ボリビアの行動する詩人、フランツ・タマーヨは呼びかける。
 「人にも、自分自身にも真実を語らねばいけない。悪が存在するとき、究極の悪とは、悪それ自体ではない。それは、悪の存在を知りながら、隠すことである。悪を見ていながら、口に出して言わないことである」
 ボリビアの国民的作家、ディエス・デ・メディナも言う。
 「『真実』と『美しさ』のために戦う。それは容易なことではない。しかし、その難事の最中で、嫉妬や忘恩、否定的な者や隠し事をする者に責め立てられながら戦うのは、さらに至難なことである」
 だからこそ、この至難の言論闘争に挑む人間が、偉大なのである。
 タマーヨは断言する。
 「大いに苦労をしたということは、何の証明にもならない。何かを証明するとしたら、苦しみに勝ったということである」
6  そして英雄ボリバルは、「正義に導かれた勝利が、つねに我らの指標であった」と叫んだ。
 勝ってこそ、正義は証明される。小に喜びを皆に贈るのが、リーダーの使命であり、栄光である。そのために、リーダーは、人の何倍も動き、手を打ち、道を開くことだ。
 どんな世界でも、生きるか死ぬかの苦しみを越えなければ、一流の人間にはなれない。いわんや、仏法の師弟の道は厳しい。
 とくに青年は、苦労を喜びとすべきである。どこまでも謙虚に、また謙虚に、「人の幾百倍も、苦労しよう!」――そう決めることだ。それで初めて、偉大な指導者になれる。
7  女性こそ「平和の闘士」
 ボリビアをはじめ、世界中で、女性の活躍が光っている。
 このほど、アメリカの人権の砦、モアハウス大学で、名誉なことに、「ガンジー・キング・イケダ 社会貢献賞」の授賞式が行われた。
 マハトマ・ガンジーが深く期待し、信頼したのも、「平和の闘士」である女性たちであった。
 ガンジーは、「私は、奉仕と犠牲的精神の生きた手本として、女性を深く尊敬してきた」と語っている。
 一九三〇年(昭和五年)、創価学会創立の年。
 この年、ガンジーは、インドの完全独立という新たな目標を掲げ、巨大な権力との決戦へ、全国的な一大運動を開始した。
 三月、歴史的な「塩の行進」が始まった。四月、五月と闘争は広がった。そのなかで、投獄された男性に代わって勇敢に立ち上がり、民衆運動の最前線に、雪崩を打って躍り出たのは女性たちであった。
 その中心者の一人が、「インドのナイチンゲール(ひばり)」と呼ばれた詩人、ナーイドゥー女史である。
 「塩の行進」をやり遂げたガンジーが牢獄に囚われたとき、女史は凛然と同志に呼びかけた。
 「ガンデイーの肉体は刑務所につながれていますが、彼の魂はあなたがたとともにあります」(K・クリパラーニ『ガンデイーの生涯』森本達雄訳、第三文明社)
 つねに師とともに! つねに正義とともに! この信念で、何ものをも恐れず戦いぬいた。
 「塩の行進」と、それに続く当局の過酷な弾圧――この非暴力の闘争の姿は、報道を通して全世界に伝えられ、国際世論にも訴えかけていったのである。
 女性たちの勇敢なる闘争を思うとき、私には、大阪事件、また折伏の不滅の金字塔と、幾多の苦楽をともに乗り越え、戦いぬいてきた関西婦人部の方々の勇姿が、二重写しに感じられてならない。
8  リーダーが先頭に! 新しい人材を!
 このガンジーの闘争をさらに勢いづけたのは何であったか。
 それは、「新しい地域」から「新しいリーダー」「新しい階層」「新しい人々」が立ち上がり、やむにやまれぬ「情熱」に燃えて、波動を広げていったことである。
 今、各方面で、新しい地涌の人材が、続々と躍り出ている。これこそが、勝ち戦のリズムである。指導者が大きく境涯を開き、命がけで情熱を注いだ分、「人材のスクラム」は大きく広がっていく。
 牧口先生は、時代と社会の行き詰まりの根底は「人材の欠乏」にあると喝破された。牧口先生が提唱された「人道的競争」は、「人材育成の競争」でもある。とくに青年は、ほめて伸ばすことだ。
 どうか壮年・婦人部のリーダーの皆さまは、「人間教育の達人」として、後輩を大いに励まし、鍛え、育てていっていただきたい。
9  アメリカのモアハウス大学で授与された「ガンジー・キング・イケダ 社会貢献賞」。
 その第一回の受賞者は、これまで中東和平の推進に大きく貢献してこられた、ヨルダンのハッサン王子である。人類の頭脳ローマ・クラブの会長にも就任され、世界的に活躍しておられる。(池田名誉会長はローマ・クラブの名誉会員)
 ハツサン王子は、SGIの平和行動を高く評価してくださっている。
 「SGIは、教育を大事にされている。生命の尊厳と、人間の価値に基盤を置いておられます。これは、世界にとって、きわめて重要なことです。私は、その理念に心から共鳴します」
 ハッサン王子はこう言われて、SGIの人間主義、調和の哲学に、鋭く注目しておられたようである。
 モアハウス大学は、マーチン・ルーサー・キング博士の母校として名高い。キャンパスでは、特別展示会も開いていただいた。今、非暴力運動の継承者として、世界がSGIに期待しているのである。
 (特別展示会「ガンジー・キング・イケダ――平和建設の遺産」の会場となったキング国際チャベルのカーター所長は語っている。「マハトマ・ガンジー、キング博士から見ると、池田博士は『青年』の輝きをもった方です。博士は今、七十三歳ですが、ガンジーやキング博士が生きていれば、未来に生きる青年と見るでありましょう。そして池田博士に、『さあ、ともに戦っていきましょう!』と語りかけ、手をたずさえて進んでいくにちがいありません」)
10  日本の精神風土を根底から変える戦い
 われらの前進は、皆が幸福になり、生きる喜びにあふれた世界をつくるためである。それには、「正義が勝ち」「道理が勝つ」社会を築くことだ。
 日蓮大聖人は、佐渡流罪から戻られた翌年(一二七五年)の四月、四条金吾に仰せである。
 「(日蓮は、法華経を見てからは)鎌倉幕府の実権者の御勘気を二度もこうむり(伊豆流罪と佐渡流罪)、すでに頸の座にすえられたけれども、少しも恐れることなく法華経を弘め続けたので、今は日本国の人々も、『道理かもしれない』と言うこともあるであろう」「これから後も、ご覧いただきたい。日蓮を謗る法師たちが日本国の安泰を祈るならば、いよいよ国は亡ぶであろう」「法華経の敵を諸天は罰する等と言えば、国主らは『この法師(日蓮)がおどした』と思うであろうか。私は、あえて憎んで言うのではない。大慈大悲の力で、未来に受ける無限地獄の大苦を、今世に消させてあげようとするからである。章安大師いわく、『相手のために、その悪い点を取り除き、改めさせる人は、彼の親のようなものである』等と。このように、国主ならびに一切衆生の悪を責める日蓮は、国主の父母であり、一切衆生の師匠である」(御書1138㌻、通解)
 命に及ぶ迫害に勝利された、大確信の宣言である。輝く正義の魂を仰ぎ見る思いがする。
 日蓮大聖人直系の創価学会は、御書に仰せのとおり、讒言による弾圧も、断じて恐れず、打ち破り、前進してきた。われらの正義の叫びは、日本の精神風土を根底から変え、真の幸福と繁栄を打ち立てる戦いなのである。
11  大聖人は、けなげな女性門下に仰せである。
 「今、日本国の人々は、法華経の敵となって、身を亡ぼし、国を亡ばしてしまうのである。こう言うと、『日蓮の自讃だ』と、よく分かっていない人は言う。決してそうではない。これを言わなければ、法華経の行者ではない。また、言ったことが後になって符合すればこそ、人も信じる。このように、そのまま書き残しておけばこそ、未来の人は『日蓮は智慧があった』と知るであろう。また(涅槃経疏に)『身は軽く法は重し、身を死して法を弘む』と述べている。日蓮の身は軽く賤しいから、人は打ちたたき、憎むけれども、法は重いから必ず弘まるであろう」(御書1221㌻、通解)
 「そもそも一人の盲目を開ける功徳でさえ言葉に表せないほどである。まして日本国の一切の人々の眼を開ける功徳にいたっては言うまでもない。さらにそれ以上に、全世界の人々の見えない眼を開ける功徳は、とうてい、言い尽くせない。法華経の第四の巻(宝塔品)には、『仏の滅後に、よく法華経の義を解する者は、諸の天人世間の眼である』等とある。法華経(御本尊)を持つ人は一切世間の天界と人界の衆生の『眼』であると説かれている。日本国の人々が日蓮をあだむのは、一切世間の天と人の眼をえぐりとる人なのである」(同㌻、通解)
 大聖人正統の創価学会は、二十一世紀の「日本の眼目」であり、「世界の民衆の眼目」の存在である。創価学会の勝利に、「新世紀の希望」がある。
 あらゆる非道な誹謗など断固、打ち破りながら、創価の正義の大いなる光を、地域に、世界に輝かせてまいりたい。
12  「聖教新聞」創刊五十周年
 来る四月二十日、うれしいことに、わが「聖教新聞」は創刊五十周年を迎える。
 戸田先生は昭和三十一年、創刊五周年にあたって、こう述べておられる。
 「われら、生を人の世にうけ、あいがたき正法に帰依し、しかも広宣流布のときにめぐりあったのである」「この広布の大業には、上行菩薩も無辺行菩薩も、はたまた浄行、安行菩薩も心勇んでご出現のことと思うと、いかばかりか気強いことである。この菩薩方を旗頭として、その使命完遂のために聖教新聞は働くのである。じつに名誉ある新聞とほめたたえてさしつかえない。願わくは、一日も早く、日本じゅうの人に、この新聞を読ませたいものである」(『戸田城聖全集』第三巻)
 「聖教新聞」には、広宣流布を成し遂げんとする決意がある。使命がある。希望と励ましに満ちている。詩心の宇宙があり、体験の花園があり、哲学の新しい地平線が見える。人間性を踏みにじる邪悪とは、断固として戦う「正義」の叫びがある。そして、紙面を通して、世界の知性と対話を交わせる。世界の友と平和へ連帯していける。
 いよいよ創刊半世紀。この「聖教新聞」を、日本中に広げてこられた同志の皆さま、そして尊き″無冠の友″に、私は、心からの感謝を捧げたい。
13  将の将たる皆さまに英知の言葉を贈りたい。
 近代中国の父・孫文。「信念ができると力が生まれる」(「三民主義」島田虔次訳、『世界の名著』64所収、中央公論社)
 人ではない。自分に不屈の信念が燃えているかどうかである。
 アテネの哲人イソクラテス。「悪人は恩人にだろうと仇敵に対するのと変わることなく不正をなす」(『イソクラテス弁論集』1、小池澄夫訳、京都大学学術出版会)
 ゆえに、悪は断じて放置してはならない。
 そして、名将・諸葛孔明。
 「時の勢いに乗じて悪を討てば、聖天子の黄帝も及ばぬほどの威力を発揮することができる。
 味方の力を結集して勝ちを得れば、名君といわれた殷の湯王や周の武王も及ばぬほどの功を立てることができる。おのれの力の由って来たる源泉を把握し、それを十二分に発揮して相手に臨むなら、万人に将たる雄将でも、天下の豪傑でも、屈服させることができる」(守屋洋編訳『諸葛孔明の兵法』徳間書店)
 大切なのは、「時」である。「勢い」である。あらゆる力を結集することだ。広宣流布へ戦えば、健康になる。喜びがわく。価値ある人生の向上がある。
 全員が「広宣流布の諸葛孔明」となって、断じて勝利の名指揮を! つねに若々しく! 生き生きと! 生命力に満ち満ちて! そう心から念願したい。
 どうか、各方面の全同志に、くれぐれも、よろしくお伝えください。
 (創価文化会館)

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