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日蓮大聖人・池田大作

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婦人部の神奈川・埼玉・千葉代表との協議… 世界の文学を語る(4)デュマ『モンテ・クリスト伯』

2001.3.5 スピーチ(2000.11〜)(池田大作全集第92巻)

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2  強盛なる信心は人生のエンジン
 神奈川、埼玉、千葉の婦人部の代表の皆さま、きょうは、遠いところ、ご苦労さまです。
 三県が手を取りあい、肩を組み、力を合わせて進む姿は、なんとすがすがしく、なんと頼もしいことか。三県の婦人部には、学会伝統の「広宣流布の精神」「破邪顕正の精神」が明々と燃えている。
 二十一世紀の「勝利」と「希望」と「拡大」を開く新しい息吹は、ここにある。
 「関八州」――関東は日本の″急所″である。これから、いちだんと力を入れたい。「全国の模範」と光る、さっそうたる前進を、私は心からたたえたい。
 「強盛なる信心」で進むことである。「臆病な信心」「体裁の信心」「見栄の信心」「弱い信心」――それでは本当の幸福はつかめない。
 信心が強い人は、強いエンジンを持っているようなものだ。それだけ自分が強くなる。生きる力が強くなる。福運を送れる″距離″も大きくなる。先祖も、子孫も、皆、救っていける。
 「強盛なる信心」の人が「永遠の勝利者」なのである。
3  ″嫉妬社会″には悪人が栄える
 歴史をひもとくとき、尊貴なる「正義の人」「善の人」「誠実の人」が、嫉妬や讒言や謀略によって、どれほど多くおとしいれられ、投獄され、弾圧され、抹殺されてきたことか。
 日蓮大聖人は、遠く離れた地で、けなげに戦う女性の門下に、迫害の構図を、わかりやすく、明快に示しておられる。
 「中国の玄宗皇帝の後官には、上陽人という美人がいた。この人は、天下第一の美人であったので、楊貴妃という后がその美しさをご覧になって、『この人が王の側近くに仕えたならば、自分ヘの寵愛を奪われてしまうにちがいない』と考えた。そこで揚貴妃は、皇帝の宣旨であると偽って、その女性の父母、兄弟を流罪にしたり、殺害し、女性本人は牢に閉じこめて、四十年の長きにわたって苦しめたのである。日蓮に対する迫害も、それに似ている」(御書1334㌻、通解)
 大聖人に対する流罪、死罪も、卑劣きわまりない嫉妬の讒言のせいであった。
 事実無根のウソに人々が振りまわされ、冤罪によって善なる賢者が消え去り、邪智の悪人がのさばる社会や国家は、あまりにも愚かである。盲目である。その根本の狂いによって、乱れに乱れ、やがて滅亡していかざるをえない。
 大聖人は、その道理と歴史的な事実とを縦横に示されながら、″だからこそ、悪を見破り、責めぬいていかねばならない″と、何度も何度も教えておられる。
4  戸田先生は言われた。
 「人間の妬みほど、恐ろしいものはない。人間の魔性ほど、怖いものはない。ゆえに、汝自身が力をつけよ! 汝自身が悔いなき信念を持て!」と。
 その意義から、先生が、青年部に徹底して読ませ、学ばせて、遺言のごとく語り、打ち込まれたのが『モンテ・クリスト伯』――「巌窟王」の物語であった。
 それは、昭和二十九年(一九五四年)の三月九日。火曜日で、快晴の日であった。戸田先生を囲んで、学会本部で男子青年部の「水滸会」の集いが行われた。教材は『モンテ・クリスト伯』。
 ご存じのとおり、十九世紀のフランスの文豪、デュマの傑作である。世界中で熱烈に読みつがれてきた。日本では「巌窟王」の名で有名である。
 「東洋のデュマ」金庸氏と、この作品の尽きせぬ魅力をめぐって、語りあったことも懐かしい。
5  時は、一八一五年。前途洋々たる青年航海士エドモン・ダンテスは、突然、「ナポレオン派のスパイ」という重罪人に仕立てられてしまう。
 ダンテスを嫉妬した仲間の陰謀と裏切り、保身をはかる権力の底知れない悪意のしわざであった。まったく身に覚えのない罪――それなのに、孤島の巌窟の牢獄に、十四年間も囚われの身となるのである。
 舞台になったイフ島は、マルセイユの沖にある。かつて私は、マルセイユの小高い丘から、青年たちとともに、感慨深く、島を見つめた。(一九八一年)
 ダンテスは、結婚を目前にした許嫁とも引き裂かれた。ひとり取り残された老いたる父は、息子を失った絶望のうちに飢え死にしてしまう。
 不幸の奈落のような地下牢で、ダンテスは、苦しみ、のたうちまわる。どこを見まわしても闇、闇、また闇……。そんなとき、ひとすじの光が彼を訪れる。思想犯として囚われていた老神父と巡り会ったのである。人生の師との出会いであった。
 万般の学問を究めた師は、牢獄で個人教授をして、青年を一流の教養人に、そして鋼鉄のごとき知性の闘士にと薫陶してくれた。地中海のモンテ・クリスト島に埋蔵された莫大な財宝のありかを教えてくれたのも、この師である。
 師亡きあと、奇跡的に脱獄したダンテスは、鍛えぬいた知力と意志力と忍耐力のすべてを凝結させて、悪人への仇討ちを開始する。
6  悪を徹底して追撃!
 かつて、善良そのものの青年ダンテスを、残虐非道にも牢獄に追いやった張本人たちは、どうしていたか。一人は狡知にたけた銀行家の男爵に、一人は高慢な貴族院議員の伯爵に、一人は冷酷無残な検事総長にと、のし上がっていた。
 しかし、巌窟王たるダンテスは、「モンテ・クリスト伯」などいくつもの″顔″をもち、智略のかぎりを尽くして、一人また一人、悪の正体を暴く。悪人たちが、巧妙に世を欺き、善人ぶって立ちまわる、その「仮面」を剥ぎ取っていく。
 かの貴族院議員を断罪したのは、勇敢にして聡明な女性であった。
 その議員は、じつは、裏切りに裏切りを重ねてきた人生であった。フランスの将校として、ギリシャのジャニナという地方の総督に仕えていた時も、そうだった。総督の全幅の信頼を踏みにじり、敵に寝返って総督を殺し、総督の一族を敵に売った。それで巨万の富を得た。
 その過去の悪行が、ついに議会で告発される。しかし、貴族院議員は言葉巧みに弁解し、まんまと逃げきれるかに見えた。
 まさにその時、一人の女性が議会に来た。王女のような気高さ。正義に燃える眼差し。厳粛に、毅然と、動かぬ証拠を突きつける彼女。それでもなお、白を切ろうとする議員に、彼女は、すさまじい声で怒鳴りつける。
 「お前は、ジャニナの城を敵に売り渡した男なのだ!」「わたしと母上とを、奴隷商人のエル・コビールに売り渡したのもお前だ!」(山内義雄訳、岩波文庫)
 彼女こそ、この貴族院議員の陰謀によって父を殺され、四歳の時に売り飛ばされた総督の令嬢その人であった。
 烈々たる正義の声が、忘恩の極悪人への、最後の鉄槌となった。議会は、満場一覚で、この議員の「叛逆」「売国」「破廉恥な所業」を弾劾するのである。
 広宣流布の戦いも、正義を叫びきることである。女性の「強盛なる祈り」と、「凛冽なる声の響き」こそが、正義の勝利を決するのである。
 『モンテ・クリスト伯』の中に、「罪ある者は、とかくみずからの罪あることを認めないものだ」(同前)という一節がある。
 悪は、徹底して責め、叩かなければ、増長するだけである。
7  ただし、この大河小説は、たんなる復讐の物語ではない。その根底には、権力者の不正に対する民衆の怒りがある。社会的正義を蘇らせる、みずみずしい息吹がある。その理想の炎が、皆を魅了するのであろう。
 仏法には、残酷な復讐はない。いかなる悪人でも、その命を奪うことは絶対に認めない。生命は最高に尊貴であるからだ。また、仏法の峻厳なる因果律から見れば、悪は「法罰」によって必ず裁かれる。
 ともあれ、仏法は、仏と魔の闘争である。極悪と戦う生命は、極善となる。それこそが「人間革命の戦い」なのである。
8  戸田先生は私たち青年に語られた。
 「戸田は、宗教界、思想界の巌窟王である。この大河小説は、生命力で読みきることが大切だ」と。
 「聖教新聞」の創刊号から連載が始まった戸田先生の小説『人間革命』では、先生の分身である主人公は、その名も、「巌九十翁」であった。先生が、どれほど、この物語を大事にしておられたか。
 戸田先生は、牧口先生の獄死を牢獄で聞かされた時の心境を、こう述懐しておられた。
 「あれほど悲しいことは、私の一生涯になかった。そのとき、私は『よし、いまにみよ! 先生が正しいか、正しくないか、証明してやる。
 もし自分が別名を使ったなら、巌窟王の名を使って、なにか大仕事をして、先生にお返ししよう』と決心した。いまはまだ先生のためになすべきことはなされていないが、かならずや一生を通して、先生の行動が正しいか正しくないか、その証明をする覚悟です」と。(昭和二十九年、牧口初代会長十一回忌法要で〈『戸田城聖全集』第四巻〉)
 正義の師匠を侮辱し、善良な同志を苦しめ、尊貴な和合を破壊しようとする悪逆は、断じて許さない! 仏法は勝負だ。最後の決着がつくまで、断固として責めぬき、打ち破ってみせる!
 ここに、戸田先生が青年に刻みつけようとした学会精神の精髄がある。
9  釈尊が入滅を前に、「善哉善哉」と喜ばれたのは、何であったか。それは「法華経の敵を必ず打ち倒してみせます」という、弟子たちの烈々たる闘争の誓願であったと、大聖人は仰せである。(御書1351㌻)
 その後継の固い決心があれば、世界広宣流布の流れは、決して断絶することはない。
 日興上人は、竜の口の法難、熱原の法難を起した張本人・平左衛門尉と戦いぬかれた。
 そして、「其の後(=熱原の法難の後)十四年を経て平の入道判官父子、謀反を発して誅せられ畢ぬ、父子コレタダ事ニアラズ、法華の現罰を蒙れり」(日興上人の「弟子分本尊目録」)と、厳然と書きとどめておられる。
 これが、まことの弟子の戦いである。
10  『モンテ・クリスト伯』は、「仇討ち」の物語であるとともに「恩返し」の物語でもある。
 目もくらむような財宝を手にし、社会に舞い戻ったダンテスが、真っ先にしたことは何か。
 それは、受難のダンテスを唯一、かばい、救い出そうと奔走し、さらにダンテスの父親にまで手を差し伸べてくれた大恩ある船主一家への「恩返し」であった。
 ダンテスは、自分の名はひた隠しにして、破産寸前の絶望の淵に立たされていた船主を助ける。沈んでしまった彼の船と寸分たがわぬ船をつくらせ、満載した貨物とともに入港させた。
 奇跡だ!――港は歓呼にわく。船主は、自分を救ってくれたのが、あのダンテスだと確信しながら、感動のうちに息を引き取った。
 ダンテスはその後もずっと、この気高い心の船主一家が、子どもたちまで、皆、幸福に暮らせるよう、人知れず、命がけで尽くし続ける。
 まじめで善良な一家が、幸福に、勝ち栄えていく晴れ姿を、忘恩と背信の悪人たちに見せつけていく――報恩の行動それ自体が「正義の仇討ち」であった。
 戸田先生は、″学会員の福運あふれる姿こそ自身の勝利″と決めておられた。先生は宣言された。
 「(=わが学会同志に)功徳をうけきった生活をさせてみたい。全世界にむかって、どうだ、この姿は、といわせてもらいたい」(『戸田城聖全集』第四巻)
 「一人として、功徳をうけない者はない、みな功徳をうけているという、私は、御本尊様との(=信心の)闘争をいたします」(同前)
 私も、まったく同じ決意である。わが同志の晴れやかな顔こそ、学会の勝利と栄光の証である。毎日の「聖教新聞」にも、その勝利のお姿が輝いている。
11  人は苦しんでこそ強くなる
 私は二十一歳のころ、戸田先生のもとで、少年向けの雑誌「少年日本」の編集長として働いた。私は、誌面の中に「お薦めしたい世界名作物語」という小さなコラムを作った。ある号(昭和二十四年十二月号)では、『モンテ・クリスト伯』を紹介した。
 「主人公ダンテス(後のモンテ・クリスト伯)の純情、理性、『不可能を可能にする』意気には、心からの熱意を感じ、読む人の胸をえぐらずにはおきません。是非、一読をすすめたい良書であります」と。
 不可能を可能にする――この書には、試練と戦う人々への励ましの人間学が、ちりばめられている。たとえば、苦難について。
 「きわめて大きな不幸を経験したもののみ、きわめて大きな幸福を感じることができる」(山内義雄訳、岩波文庫。以下、引用は同じ)
 「人智のなかにかくれているふしぎな鉱脈を掘るためには、不幸というものが必要なのだ」
 そして「いままでなに一つ望んで得られなかったもののないといったような人たちには(中略)生きるという幸福がどんなものかわからない」
 「荒れ狂う海に漂う小舟に命を託したことのない者には、あの澄みわたった空のありがたさがわからない」
 だからこそ、心に晴れわたる青空をいだいて、いかなる嵐にも、たじろがず、立ち向かうことである。生きぬくことである。作者デュマは、ダンテスに、こうも語らせている。
 「雄々しく不幸に立向かわれたことによって、りっぱな、強いお方におなりなのです、こうして、不幸は転じて幸運となります」と。
 不屈の人生哲学を、戸田先生は深く読みとられた。先生は言われた。
 「デュマは、若々しい生命に対して、ひとつの人生の嵐を吹きかけて、生きるか死ぬかの思いをさせた」
 「肉体的にも、精神的にも、人生の苦しみを受けたものが強くなる。ゆえに、青年は、安逸を求めてはいけない」
12  「幸福」を得るには「戦い」が不可欠
 今、うれしいことに、神奈川、埼玉、千葉の青年部も、たくましく成長し、健闘してくれている。
 デュマといえば、もう一つの傑作『三銃士』も有名である。全編を貫く、青年の覇気は快い。どうか三県の青年部は、「創価の三銃士」と躍り出て、二十一世紀の初陣の勝利を、大胆に、痛快に飾っていただきたい。
 『モンテ・クリスト伯』にあった、人生の英知を青年部に贈りたい。
 「信ずること、望むこと、これが青年の特権だ」
 「幸福を得ようと思ったら戦わなくてはなりません」
 「戦う意志をもった人であったら、一大事の時を一刻たりともむだにせずに、運命から打撃を受けると、たちまち投げかえしてやるものです」
 そして「仕事をするのだ。働くのだ。懸命に勇気を出してたたかうのだ」と。
13  この『モンテ・クリスト伯』の物語を支えに、立ち上がった人物は多い。その一人がフィリピン独立の英雄、ホセ・リサール博士である。リサール博士は、少年時代に、最愛の母を、無実の罪で二年半も投獄された。
 『モンテ・クリスト伯』を深く胸に刻んだ博士は、母のために、そして理不尽な権力の犠牲となった民衆の仇を討つために、戦い、殉じていったのである。
 さらに私は、「二十世紀の巌窟王」――南アフリカのマンデラ前大統領を思い出す。人間の平等と尊厳のために、二十七年間、一万日もの獄中闘争を貫いたマンデラ氏。出獄後に来日され、わざわざ聖教新聞社を訪問してくださった。(一九九〇年十月三十一日)
 創価の青年の真心の歓迎を、何よりも喜んでくださった。
 (マンデラ氏は語った。「日本での滞在中、もっともうれしかったことは、池田SGI会長にお会いしたことです。そのさい、若い学生の人たちがあたたかく出迎えてくださり、私たちが愛唱している歌まで歌ってくれた。二十七年間、とらわれの身で戦ってきた努力がこれで報われた」
 「こんなにも、はつらつとした心の豊かな若者を何十万と育ててこられたSGI会長の大きな人格を、学ばせていただいた」と)
 マンデラ氏の信頼に、私は行動でお応えしたかった。その一つの結晶が、これまで、世界八カ国三十七都市で開催してきた「現代世界の人権」展である。
 戸田先生が開始した「巌窟王」の正義の闘争は、今や世界の良識が連帯して、「人権の世紀」を創造しゆく、うねりとなっている。
 新世紀の平和の民衆勢力の「柱」となり、「眼目」となり、「大船」となるのはSGIであると確信する。今こそ、福徳の地盤、繁栄の地盤、広宣流布の地盤を悠々と築きながら、「創価の世紀」を開いてまいりたい。
14  信心は宝を出す「打ち出の小槌」
 女性門下に贈られた御書を拝したい。
 「この御本尊は、まったくよそに求めてはなりません。ただ、我ら衆生が法華経を受持し、南無妙法蓮華経と唱える胸中の肉団にいらっしゃるのです。これを『九識心王真如の都』というのです」(御書1244㌻、通解)
 広宣流布に戦う皆さま方の胸中にこそ、宇宙最高の「生命の都」がある。無限の宝は、わが胸中にある。生命それ自体が、宝の集まりである。その宝を、「打ち出の小槌」のように、自由自在に引き出すのが「信心」なのである。
15  『モンテ・クリスト伯』の結びに、掲げられた言葉は何か。
 それは、「待て、しかして希望せよ!」である。
 大切なのは、「時」を待ち、「時」をつくりながら、すべてを勝ち越えていく「忍耐」と「希望」の力である。
 この言葉こそ、人間の英知の結晶といえよう。
 二〇〇一年の三・一六「広宣流布記念の日」を晴ればれと飾り、忍耐強く、そして希望に燃えて、朗らかに、にぎやかに、勝ち進んでいくことを約しあって、記念のスピーチとさせていただ
 (東京・信濃文化センター)

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