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日蓮大聖人・池田大作

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第三回本部幹部会、第一回全国青年部幹部… すばらしき歴史を、すばらしき同志と

2001.2.27 スピーチ(2000.11〜)(池田大作全集第92巻)

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1  「断じて勝つ!」それが青年
 遠いところ、寒いところ、本当にご苦労さま! 海外の方々も、ようこそ! 各地とも、広宣流布の見事な前進、おめでとう!(拍手)
 イギリスのチャーチル首相といえば、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの猛爆撃にもひるむことなく、「断じて勝つ!」と悠然と、勝利のVサインをしながら、指揮をとった名指導者である。
 彼は言う。大戦中の有名な演説である。
 「諸君は問う。『われわれの目的は何か』と。私はただ一語をもって答えることができる。『勝利!』と。いかなる代価を払っても勝利を、あらゆる恐怖にもめげず勝利を、道がいかに長く険しくとも勝利を、なぜなら勝利なくして生存はないからである」(コーリン・R・クート編『チャーチル名言集』天野亮一訳、原書房)
 断じて勝利を―――これが創価の精神である。仏法は勝負である。勝ってこそ広宣流布があるからだ。臆病者や要領のいい人間、ずる賢い連中には、栄光の勝利の道は開けない。
2  いよいよ青年部の晴れ舞台である。一切をバトンタッチしていく時代に入った。
 日蓮大聖人は、青年門下の南条時光に、こう仰せである。
 「一切衆生の恩を報じなさいというのは、三世の生命からみれば、過去世には、今日の一切の男性は父であり、一切の女性は母であったからである。そこで、このように、生々世々に、皆、恩ある衆生であるのだから、『皆が仏になってほしい』と願うべきである」(御書1527㌻、通解)
 仏法から見れば、皆、縁があり、恩があるのだから、大切にしていくことだ。なかんずく、最高の恩返しは、仏法という最高の哲学を教えていくことである。折伏こそ、最高の友情である。また、同志を大切にすることである。
 とくに青年部の皆さんは、自分がどのような立場であろうと、自分よりも年上の人は父であり、母であると思って接していただきたい。両親をはじめ、自分の縁する人々を大事にすることだ。心広々と「友情と信頼の連帯」を広げていただきたい。そうやって行動した分、大功徳がわく。広宣流布が進む。わが生命が、拡大していく。
 また同時に、大聖人は、南条時光に対して、邪悪な権威の人間からの攻撃には、青年らしく、勇敢に反撃せよと、強く仰せである。
 「大身の人(身分や地位などの高い人)から、(圧迫を加えようとして)言いだしてきたことに対しては、『ああ、法華経のよい敵よ! (三千年に一度咲く)優曇華の花や、一眼の亀が奇跡的に巡り合える浮木(のように、あいがたい敵)である』とお考えになって、したたかに(強く)ご返事をなされるがよい」(御書1540㌻、通解)
 すなわち、大聖人は時光に、「皆を父や母のように大切にしなさい」と仰せになる一方で、悪に対しては「猛然と反撃せよ! それが青年だ」と教えてくださっているのである。
3  フランスの作家、カミュは、レジスタンスの闘士であった。占領下のフランスで雑誌を発行し、文筆でナテスと戦った。
 「正義の言論」こそ「武器」である。真実を語りぬいてこそ、人生の価値は光る。
 カミュは、こんな言葉を残している。
 「人間は永遠の不正に対して闘うために正義を肯定すべきであり、世界の不幸に対して抗議するために幸福を創造すべきである」(ジャン・ポーラン編『祖国は日夜つくられる』2、安東次男・渡辺淳・小場瀬卓三共訳、月曜豊房)
 永遠の不正と闘え! 世界の不幸に抗議せよ! 哲人カミュの熱き叫びが胸に響いてくる。
 (カミュは一九一三年生まれ。五七年にはノーベル文学賞を受賞。小説『異邦人』『ペスト』、評論『反抗的人間』などの作品がある)
 カミュは六〇年一月、自動車事故で亡くなった。残念なことである。
 事故は、本人も不幸であるし、家族や同志にも深い悲しみをあたえる。ゆえに絶対に起こさないよう、皆で注意しあって、防いでいくべきである。また、一度、事故を起こした人は、ふたたび起こす生命の傾向をもっている場合がある。二度と起こさないように、決意し、祈っていっていただきたい。妙法を持つ私たちは、「宿命を打開しよう! 絶対に事故を起こすまい! 広宣流布のために働こう!」と祈りながら、絶対無事故の日々を勝ち取ってまいりたい。
4  信仰者こそ最高の幸福者
 きょうは、芸術部の総会、本当におめでとう!(拍手)
 一千万人の同志が味方である。ファンである。私も大フアンである。日本中、世界中にファンがいると思っていただきたい。
 「有名だから幸福」とはいえない。「有名イコール実力」でもない。信心という最極の幸福の軌道を歩む人は、偉大なる人生の芸術家である。
 それに比べて、有名とか人気は、小さな幻にすぎない。テレビを消せば、すべてが消えてしまうようなものである。人気のあるなしで一喜一憂する必要など、まったくない。人気がなくて、しかももっとも尊いのが庶民である。
 たとえば、主婦は、有名ではないが、いちばん偉大である。農家の方々、工員さんなども同じであろう。地味ではあるが、なくてはならない大事な存在である。
 いわんや、宗教は人気と関係ない。無理解と迫害に耐えて、人を救っていく。仏道修行に励んでいく。宗教の真髄は、殉教である。全然、次元が違う。日蓮大聖人の御生涯を拝すれば、明快であろう。
 学会が強いのは、悪意の中傷を受けながらも、黙々と、着々と、活動を進めてきたからである。
 皆さま方は、仏の使いである。どんな立場でも、どんな境遇にあろうと、使命がある。必ず幸福になる。何があっても、すべてを悠々と楽しみながら進んでいただきたい。(拍手)
5  日蓮仏法は「広宣流布の仏法」である。広宣流布こそ、日蓮仏法の真髄なのである。
 そのことを深く悟り、生涯、広宣流布に徹しぬいていかれたのが牧口先生であり、戸田先生であられた。本当に偉大な両先生であられた。
 自分が幸福になるのはもちろん、人をも幸福にしていこう。地域を仲良くさせていこう。そして、国をも繁栄させ、さらには、世界をも平和にしていこう。その祈りと行動を続ける生命の中に「広宣流布の信心」が脈動するのである。
 この「広宣流布の信心」を、日本中、世界中に広げてきた仏意仏勅の団体が創価学会なのである。
 反対に、日顕宗のごとく、広宣流布を忘れてしまえば、いくら御本尊に祈っても、日蓮仏法とは言えない。大聖人の御書の仰せのとおりでなければ、絶対に日蓮仏法ではない。そのことを明確に申し上げておきたい。(拍手)
 さらに仏法は「生死」という人間の根本問題を解き明かした法である。絶対性の法則の仏法である。ゆえに、この仏法を持った私たちは、「生命」という永遠性の次元から、人生の真髄を歩んでいけるのである。これ以上に崇高な使命の団体はないのである。
 戸田先生は、厳しく言われた。
 「敵は外部にあるように見えるが、もっとも悪質な敵は、内部に出る。議員や社会的な地位をもっている者が、信心がなくなり、その立場にふんぞり返って、そのなかに悪鬼入其身して、魔となるのである。そして、清浄な学会を利用し、攪乱、破壊するのである。
 学会の支えのおかげで、それなりの社会的地位を持てるようになりながら、同志を見くだす。
 また、学会でお世話になった恩を忘れて、同志を守ろうとせず、反対に利用するだけ利用する。こういった人間は、本当の異体同心ではない。学会の同志ではない。内部に注意せよ!」と。
 戸田先生は、本当に厳しくおっしゃった。今、その意味が、よくわかる。
 たしかに、病気も自分の身体の中にある。外からの敵は、こわくない。こわいのは内部の敵である。実際、戸田先生が見ぬいておられたとおり、″いちばんの内部″ともいうべき宗門が″いちばんの敵″となった。また、これまで学会に反逆していつた人間の多くが弁護士や議員など、社会的地位の高い人間であった。この厳然たる事実を、断じて忘れてはならない。
6  アメリカ創価大学へ期待の声
 話は変わるが、このたび、アメリカ・カリフォルニア州のグレイ・デイビス州知事から、うれしいニュースが届いた。カリフォルニア州が本年の五月三日を、「アメリカ創価大学の日」と決定したのである。(拍手)
 届けられた宣言書には、次のように記されている。
 「アメリカ創価大学は、カリフォルニア州で二十五年ぶりに、総合的なキャンパスを擁して開学する新設の四年制教養大学であるゆえに」
 「創立者である池田大作博士、ならびに、すべての教職員が、学生の、より高い挑戦と学問的な期待に応えられるよう、一身を捧げているゆえに」
 「アメリカ創価大学は、わが州における世界レベルの教育機関の一員に加わり、学生のために、より明るい未来を構築するゆえに」
 「私、カリフォルニア州知事のグレイ・デイビスは、ここに、二〇〇一年五月三日を、『アメリカ創価大学の日』と宣言するものである」と。(拍手)
 カリフォルニア州といえば、世界トップクラスの大学が数多くあることで知られている。また、同州を国家として考えると、その経済規模は、世界第七位になるという。さらに、全米トップの女子大学であるウェルズリー大学のカザンジン学部長は、次のような声を寄せてくださった。
 「私は、アメリカ創価大学の開学に、心からの期待を寄せております。それは、価値の創造、人生の意味の創造を、哲学的な基盤とした大学であるからです。
 アメリカ創価大学は、『人間の自由と精神性の啓発の源』という、教育本来の使命の光を、アメリカ社会に送りゆく灯台となるでしょう」
 「もちろん、それは、大事業であり、多大な労作業をともなうものです。しかし私は今、やがて社会全体を変革に導く重要な一石が、アメリカ創価大学によって投じられたと確信します」と。(拍手)
 現在、五月の開学に向けて、大学の準備も急ピッチで進んでいる。第一回の理事会が先日、行われたのをはじめ、図書館もすでに完成した。準備は最終段階に入ったことを、皆さまにお伝えしておきたい。(拍手)
7  ソクラテスは弟子に託した「いっそう激しく悪を叩け!」
 人類の歴史において希望は、どこに見いだせるのか。それは、いつの時代にも、正義の青年が断固として立ち上がり、邪悪と戦ってきたという事実のなかにある。そして今、二十一世紀の希望を、いったい、どこに見いだすのか。わが創価学会の青年部の諸君しかない。(拍手)
 「人類の教師」と仰がれる大哲学者ソクラテス。今から二千四百年前(紀元前三九九年)、彼は、嫉妬と憎悪にかられた一派から、不当な告発をされる。「青年を腐敗させた」「神を信じない」など事実とは正反対の理由で。
 悪意でねじ曲げられた作り話で中傷され、侮辱され、悪人に仕立て上げられた。そして、正義に生きぬいたために殺されていった。
 嫉妬ゆえの讒言――迫害の構図は、現代も同じである。
 勝ち誇った傲慢な人間たちを前に、ソクラテスは、悠然と、また厳然と、言い放った。
 「諸君よ、諸君はわたしの死を決定したが、そのわたしの死後、まもなく諸君に懲罰が下されるだろう。それは諸君がわたしに下した死刑のそれよりも、ゼウスに誓って、もっとずっとつらい刑罰となるだろう」
 「諸君を吟味にかける人間は、もっと多くなるだろう。かれらを今までわたしが引きとめていたので、諸君は気づかないでいたわけなのです。そしてかれらは、若いから、それだけまた手ごわく、諸君もまたそれだけ、つらい思いをすることになるだろう」(「ソクラテスの弁明」田中美知太郎訳、『プラトン全集』1所収、岩波書店)
 弟子プラトンが「ソクラテスの弁明」に描いた有名な場面である。
 たくさんの青年たちが、私の心を継いで、不正の人間を、いっそう激しく叩くだろう。彼らは、私よりももっと手ごわいぞ! 手厳しいぞ! 彼らに責められたらどうなるか、覚悟していろ!――死刑を宣告されてなお、こう堂々と語ったのである。
8  このころ、若き弟子、プラトンは二十八歳。このソクラテスの言葉のとおり、彼は、師の仇を討つべく、不正に対する断固たる精神闘争を開始した。師を「人類の教師」として宣揚していった。
 これは、厳然たる歴史的事実である。この正義を求めぬく師弟の戦いに、「哲人政治」の原点がある。二千四百年という歳月を超えて輝く、不滅の光源がある。
 師が掲げた理想を実現するのは、若き弟子である。
 かつて軍国主義は、日本を戦争に引きずり込み、牧口先生を獄死させ、アジアの民衆を苦しめた。この暴虐な国家悪に戦いを挑んできたのが戸田先生である。その「不二の心」を継いだ私である。
 ともあれ、信用できるのは、青年である。期待できるのは、青年しかない。牧口先生、戸田先生は、そう遺言のように語っておられた。私も、まったく同じ思いである。
 青年が、極悪への怒りを魂に燃え上がらせ、勇敢に行動していく限り、人類史には、ふたたび新しい「希望の旭日」が昇っていく。この不変の方程式を忘れないでいただきたい。
9  チリ民主革命は二十世紀の偉業
 ここで、私と対談集『太平洋の旭日』(河出書房新社)を発刊した南米・チリ共和国の哲人政治家エイルウィン元大統領について、語っておきたい。
 エイルウィン元大統領とは、これまで、何度もお会いしている。壮麗な大統領府(モネダ宮殿)にも、おうかがいした。背が高く、堂々たる指導者であられる。また偉大なる革命家であり、歴史に残る大統領である。
 (初の出会いは、一九九二年十一月、エイルウィン大統領がチリの国家元首として初来日したさいに実現。二回目は翌九二年二月、チリの大統領府で。さらに九四年七月には、聖教新聞社、創価大学、駐日チリ大使館などで語らいを重ねた。元大統領には、創価大学から名誉教授の称号が授与されている)
 チリにおいては、一九七三年から十六年間、クーデターによる軍事政権が続いていた。
 独裁政治。残虐な人権蹂躙。二千人以上が銃殺。千人以上が行方不明。殺害されたのかどうかも、わからない。愛する両親、祖父母まで弾圧、拷問、退歩、追放。そうやつて苦しめられた子どもたちの数は、じつに九十万人。
 長い間、権力とマスコミが結託して、ウソがはびこり、暴力の温床となって、正義の人への迫害がまかり通っていた。理不尽きわまる、めちゃくちゃなことが、現実に行われた時代であった。
 チリSGIの理事長の自宅も、クーデターのさい、戦車の機銃掃射を受けた。
 そういう困難のなかで、世界のSGIの友は頑張っている。地区をつくり、支部をつくり、同志の連帯を広げておられるのである。
10  このチリ社会の「悪魔のような恐怖政治」を転換するために、先頭に立った青年たちがいた。全国に放映されている青年の大集会でのことであった。(一九八七年四月)
 代表して、一人の青年があいさつに立った。彼は、当局によって検閲された原稿を使わず、突然、「僕はチリの真実を語りたい」と劇的に切り出した。そして、「現在のチリには様々な問題があり、若者たちは苦しみ恐れている。国民は虐待されている」(伊藤千尋『燃え中南米』岩波新書)と叫んだのであった。
 続いて登場した乙女も、恐れなく、こう言いきった。
 「不正でなく正義を。抑圧のかわりに自由を。虚偽でなく真実を!」(同前)と。
 これが、あるべき真実の世界だ! われわれの国の姿だ!
 この乙女の訴えに、皆、心中、万雷の拍手を送ったことであろう。
 青年が、真実を、叫んで、叫んで、叫びぬいた。まっこうから戦った。この命がけの青年たちの熱と力によって、歴史は大きく動いた。
 エイルウィン氏も、革命後の演説で、「諸国民にとって、青年は『可能性』と『希望』の象徴である。青年の力なくしては、社会は停滞の危機にさらされる」と、無名の青年たちを、称えたのであった。(一九九一年六月、教育制定法発布の式典で)
11  もはや青年しかない。青年しか信じられない。エイルウィン氏は、青年たちに万感の期待を寄せておられた。
 創価大学に来て、講演もしてくださったが、学生たちの躍動の姿を、とても喜んでくださった。また、すばらしい青年がいることが創価学会の正義の証明であると見てくださっていた。
 戸田先生も、どれほど私たち青年部を大事にしてくださったことか。また厳しく訓練してくださったことか。時代を創るのは、青年である。これは万国共通の真理である。ゆえに、諸君は、断じて、裏切らないでいただきたい。(会場の青年部から「ハイ」という返事が)
 ともあれ、青年は戦うことである。戦わないと自分が損をする。思い出がなくなってしまう。
12  銃と暴力の恐怖政治に「ノー!」と
 チリの人々は、草の根の独創的な抗議運動を行った。お母さんたちは、夕暮れ時に、そろって、にぎやかに鍋や釜をカンカンと叩いて、抵抗の大音を轟かせていつた。
 民衆の知恵である。
 大音は町中に広がっていった。軍事政権は恐れた。銃弾よりも、民衆の連帯に恐怖したのであった。この目覚めた民衆が「紙と鉛筆」、つまり「選挙の投票」によって、「銃と暴力」の独裁権力を倒し、時代を変えていったのが、チリの「民主革命」であった。
 大いなる変革のときが訪れた。一九八八年の十月、軍事政権は、政府を信任するかどうかをはかる「国民投票」を自信満々に予定していた。巨大な権力とマスコミを独占した軍事政権は、国民に自分たちの正当性を信任させることができると思い込んでいた。
 キリスト教民主党の指導者であったエイルウィン氏は、徹して強気で、この選挙を受けて立った。「独裁者を相手の土俵で打ち破ろうではないか!」と。
 エイルウィン氏たちは、総力を挙げて、民衆の正義の勝利のために、地域を超え、グループを超えて、全国の市民の連帯を築き、広げていった。とくに長年の抑圧によって、恐怖心や無関心にとらわれた国民を、いかに奮い立たせていくかが大きな焦点であった。
13  軍事政権に「ノー」を―――この呼びかけに、チリの民衆は、一つになった。
 戦う市民の結合は、意気軒昂であった。いわれなき悪口など、痛烈に反撃し、打ち返した。
 「寄せ集めの集団ではないか!」と批判されると、それを、むしろ逆手にとって、運動のシンボルマークに七色が輝き、調和しゆく「虹」を選んだ。「寄せ集め」の多様性を誇りとし、強みとしていったのである。「勢い」があれば、すべてを味方に変え、生かしていくことができる。
 一方、軍事政権側は、非常事態との名目で、「報道や集会の自由」を制限し、国民の懐疑心や不安感を煽ろうとした。これに対して、市民たちは、「チリよ、喜びはもうすぐやって来る」という歌を大合唱し、明るいスローガンを掲げ、皆に、希望と自信を贈っていった。
 さらに、さまざまな歌をつくり、朗らかに歌いあいながら、勢いをグングンと増していった。この革命が「歌(音楽と詩)と握手(民衆の連帯)」の勝利と言われるゆえんが、ここにある。
 エイルウィン氏は、いつも力強い笑みを浮かべながら、人々のところへ直接、足を運び、何度も何度も粘り強く、語らいを積み重ねていった。
 無党派層へも、さらに世界の良識へも、幅広く「対話の波」を広げながら、皆の監視のなかで、選挙が公明正大に行われるように用意周到に手を打った。
14  紙と鉛筆による投票が勝った!
 さらにエイルウィン氏は、ラジオ番組などを通し、気迫みなぎる確信の声を響かせていった。その声の力で、人々の心を大きくつかみ、揺り動かしていった。
 言葉は″正義の弾丸″である。声は″勝利の暁鐘″である。
 エイルウィン氏は叫んだ。
 「われわれは勝利します! なぜなら、チリは平和を望み、もう争いを望んでいないからです。なぜなら、チリは正義を望み、もう犯罪や特権を望まないからです。
 われわれは勝利します! なぜなら、チリの国民は、恐れという屈辱を払いのけ、自由な国民としての尊厳を取り戻したいからです。
 われわれは勝利します! なぜならば、われわれこそが希望の象徴であるからです!」と。
 そして、一九八八年十月五日。国民投票の結果、ついに軍事政権に断固たる「ノー!」が突きつけられた。無血で、平和裏に、民主主義の扉が開いたのである。
 青年が勝った! 民衆が勝った!
 アンデス山脈がそびえるチリの空高く、正義の勝利の大歓声がこだました。
 チリの民衆の大同団結は、中南米諸国の民主化とあいまって、「ベルリンの壁」の崩壊や「ビロード革命」などの東欧の民主化とも連動しながら、二十世紀の有終の美を飾った。
 エイルウィン氏は語っている。「歴史というものは、より良き世界を築くために、すべてを賭けて戦う人々によって創られる」と。
 いよいよ、世界が見つめる二十一世紀の最初の晴れ舞台が開幕した。わが創価の青年たちも、正義と人道の連帯を広げながら、大勝利の歴史を、断じて残していっていただきたい。(拍手)
15  日寛上人は述べられている。以前にも申し上げたが、「当体義抄文段」の重要な一節である。
 「我等、妙法の力用に依って即蓮祖大聖人と顕るるなり」(文段集六七六㌻)
 広宣流布のために祈り、戦いぬく時、「悪鬼入其身」と反対に、わが生命に、諸天善神を「入其身」させていける。
 梵天、帝釈、日天、月天よ、わが身に入って力を発揮せよ! この強き祈りである。
 そして、妙法の信心の究極は、わが生命に、日蓮大聖人の御生命が顕れる。日蓮大聖人と等しい力で戦うことができるのである。そうすれば、いかなる苦難があろうと、断じて負けるわけがない。不幸になるわけがない。勝利しないわけがない。幸福になれないわけがない。これが信心の極意である。この大確信で、朗らかに生きぬきたい。
 仲良く、どこまでも仲良く前進したい。仲良き前進から「幸福」が始まる。「建設」が始まる。「価値創造」が始まっていく。
 一年一年、皆が成長しながら、皆が福運を積みながら、健康な人生、愉快な人生、すばらしき人生の歴史を、ともどもに築いてまいりたい。
 長時間、本当にありがとう。寒いので風邪をひかれませんように。また来月、お会いしましょう!
 (東京牧口記念会館)

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