Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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東京総区長会 わが子を広布の後継者に

2001.1.30 スピーチ(2000.11〜)(池田大作全集第92巻)

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2  広宣流布の大願に生きよ
 御聖訓にいわく。「末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり
 正法時代の千年を代表する竜樹菩薩等も、像法時代の千年を代表する天台大師等も、南無妙法蓮華経の題目を唱えていた。しかし、それは、自分が法の利益を受けるために修行したもので、″自行にとどまる題目″であった。広く他の人々のために題目を説くことはなかった。″化他に及ぶ題目″ではなかった。
 これに対して、自行化他にわたって題目を唱え、末法万年尽未来際まで、人類を「平和」と「幸福」ヘリードしていくのが、日蓮大聖人の仏法の真髄である。すなわち、「人々を幸せにしていこう」とする題目であり、「現実の社会に広宣流布していこう」とする信心である。
 広布へ勇猛精進する人の題目は、たとえ一遍であっても、何の目的もなく、何の行動もない千遍、万遍の題目よりも、はるかに功徳があり、はるかに力がある。大事なのは「広宣流布の信心」である。
 大聖人は、「願くは我が弟子等・大願ををこせ」、そして「大願とは法華弘通なり」と仰せである。
 この仰せのとおりに、幾多の難を乗り越えて、「広宣流布の大願」に戦い続けているのは、この地球上に、仏意仏勅の創価学会しか絶対にない。
3  それは半世紀前の昭和二十七年(一九五二年)、一月二十九日のことである。たいへんに寒い夜であった。私は、蒲田支部の緊急の会合(組長会)に出席した。会場は町内の集会所。当時、私は二十四歳の支部幹事であった。
 その会合で、私は、百三十人ほどの尊き同志に申し上げた。
 「二月は、日蓮大聖人の御聖誕の月です。また、二月十一日は、戸田先生の誕生の日です。私たちが、この信心に巡りあえたのは、いうまでもなく、大聖人が御出現されたからです。そして、戸田先生が広宣流布に一人立たれたおかげです。
 戸田先生の指導で私たちは功徳を受け、幸せになりました。そのご恩に、私たちは、どう報いていくのか。それは、折伏です。広宣流布の拡大をしていくことです。さあ、見事な勝利の結果をもって戸田先生の誕生の月をお祝いしようではありませんか」と。
 皆の心が、一つに燃え上がった。会合終了後、その場から、勢いよく、仏法対話に飛び出していく友もいた。ここから、のちに学会の伝統になる「二月闘争」の人ぶたが切られたのである。
 私は、青年らしく、戸田先生の弟子らしく、ぞんぶんに戦った。青年部をはじめ、婦人部も、壮年部も、皆が一体となって、動きに動いた。拠点の白木宅には、皆が毎日、生き生きと集い合った。
 電話も普及していない時代である。支部婦人部長の白木静子さんは、東京だけでなく、蒲田支部の地方拠点があった雪深い秋田をはじめ、名古屋、浜松、大宮、船橋、山梨にも足を運んだ。
 皆、行った先で水や塩をまかれようと、それさえも、「御書のとおりだ」と明るく笑い話にしながら、喜び勇んで戦っていった。
 何があろうと紛動されずに、楽しく、愉快に乗り越え、断固として勝ち進んでいく。これが、信心の世界である。この歓喜の大前進で、それまでの限界だった月百世帯前後という壁を破り、どの支部も成しえなかった「月二百一世帯の折伏」を堂々と達成した。
 戸田先生が生涯の願業として、会長就任式で宣言された、七十五万世帯の成就への本格的な驀進が始まったのも、この「二月闘争」からである。
 この戦いに始まり、私は、男子部の第一部隊でも、文京でも、夏季地方折伏の札幌でも、そして関西でも、山口でも、さらに東京の荒川でも、葛飾でも、つねに「日本一の戦い」を成し遂げた。
 広宣流布の戦いこそが、信心であるからだ。戦いを忘れたら、もはや信心ではない。
4  学会は平和と文化の「世界の柱」
 ところで、先日、私の長男が、「小説『人間革命』には、戸田先生が一千万の拡大を託されたことが書かれてありますね」と語っていた。
 それは、『人間革命』の第十二巻「後継」の章に記した、昭和三十三年(一九五八年)の二月十日(月曜日)の出来事である。この時、戸田先生は、大きな病魔を乗り越えて、五十八歳の誕生日を迎えようとされていた。しかし、全身の哀弱は深く残っており、これが先生の最後の誕生日となった。
 三日間の関西指導を終えた私は、夜行列車で、朝、東京にもどり、その足で、戸田先生のご自宅に馳せ参じた。
 わが関西の意気軒昂の前進をご報告すると、先生はたいへんに喜ばれた。「関西は完壁に仕上がったな。これで日本の広布の基盤は整った」と。
 そして、先生は、こう語られたのである。「大作、あと七年で、三百万世帯までやれるか? 大作の手で、どこまで、できるかな。一千万の人が信心する時代がきたら、すごいことになるぞ。楽しみだな、ほんとうに楽しみだ」
 「一千万の拡大」――それは、まさしく戸田先生の遺言であったのである。
5  かつて、あの大阪での「まさかが実現」の大勝利の直後、戸田先生と私は、二十一世紀を展望して語りあった。(一九五六年)
 その時、先生は、「大作の後半生の時代には、創価学会は、人類の平和と文化の不可欠な中核体となるだろう」と、未来を予見されるように語られた。さらに先生は言われた。
 「創価学会は、間違いなく、宗教界の王者になるにちがいない。そのことによって、社会のあらゆる分野に、政治や経済や教育や文化の世界に、真に優れた人物を送り出すことができる。それが使命なのだ。それらの人たち、一人一人の偉大な人間革命が、新しい世紀における人類社会に偉大な貢献をすることになる」
 これが、戸田先生が思い描いた、二十一世紀の創価学会像であった。そのとおりの「創価の世紀」が、ついに、今、始まったのである。
 中国の妙楽大師いわく、「一身一念法界に遍し」(「止観輔行伝弘決」大正四十六巻)と。広宣流布への強き決意は、一念三千の法理によって、社会に、国土に、そして大宇宙にまで波動を広げていく。
 「創価の正義」によって立つ、われらの信力、行力ほど、強い力は、どこにもない。
 いよいよ、二十一世紀の最初の二月を迎える。今年(二〇〇一年)は、戸田先生の生誕百一周年である。
 われらは、平和と文化の「世界の柱」として、戸田先生の夢である「広宣流布の拡大」に向かって、「新たな二月闘争」の歴史を、さっそうと創り残してまいりたい。
6  一月二十六日の夜、新大久保駅で、一人の男性がホームから転落した。その男性を助けようとしたカメラマンの関根史郎さん(四十七歳)と、韓国人の留学生の李秀賢イースヒヨンさん(二十六歳)が、亡くなるという事故があった。
 李さんは、名門の高麗大学に学び、韓日の懸け橋になろうとの思いで来日し、アルバイトをしながら、日本語学校に通っていた、すばらしい青年である。
 二人とも、それぞれに、困っている人を見ると、見過ごせない優しい人であったと、皆がその尊き死を悼んでいる。私も追善をさせていただいた。
 また、二年前の七月、全日空のジャンポ機(羽田発。新千歳行き)が、刃物を持った男にハイジャックされた。操縦室に乱入した犯人に勇敢に立ち向かい、殉じたのが、長島直之機長である。(享年二十一歳)
 長島機長は、乗客の安全を第一に考え、凶器を持つ犯人の男に冷静に対応した。残念ながら、機中で殉職された。しかし、みずからの命を犠牲にした行動により、幼児四人を含む計五百三人の乗客は全員、無事に救出されたのである。
 こうした方々にこそ、国家は最高の勲章を贈るべきであると、私たちは思う。
7  親子一体が仏法の道
 親から子へ、先輩から後輩へ、そして、師匠から弟子へ、正しい信念を、正しい哲学を、正しい信仰を脈々と継承していく――そこにこそ、人間のもっとも崇高な永遠性の劇がある。
 大聖人は、御書で、「子どもは、親を苦しめ、親の命を奪う敵にもなる。反対に、子どもは、親を救う宝ともなる」(御書一三二〇ページ、一五七五ページ、趣意)と仰せである。
 子どもたちに、信心を受け継がせていくことが、どれほど重要であるか。子どもが信心をすればこそ、親は追善してもらうこともできる。また、親と子どもが、ともに正しい信心をしてこそ、生々世々、同じ所に生まれ合わせて、一緒に、最高の境涯で、生きていくことができる。そう大聖人は教えてくださっている。(御書一五〇八ページなど)
 子どもが信心を受け継いで、はじめて、親子一体の理想的な仏法の道となる。そうでなければ令法久住にならないからである。
8  アメリカのリンカーン大統領の盟友に、ジョン・アダムズ(一八二二〜八三年)という指導者がいた。彼は、高潔にして、公明正大な人格で知られた。悪人たちも、彼を恐れて、近づこうとさえしなかったという。
 アダムズは、燃え上がる「アメリカ民主主義」の魂の真髄を、わが娘に語り、教え、伝えていった。ある時は、敬愛するリンカーン大統領のもとへ、娘を連れていったこともある。
 ある地域の「草創の開拓者の集会」にも、娘と一維に出席した。その会合で、彼は、みずから立って、かつて開拓の草創期に、自分たちが鉄道事業を進めた時の思い出を語り始めた。
 ――若き日のアダムズ青年は、新しい鉄道事業への支持を、一生懸命、人々に訴えたが、だれも耳をかたむけようとしなかった。さすがの彼も、がっくりして、希望を失いかけていた。
 しかし、その時、農村のある元気な女性が、明るく、力強く、協力を申し出てくれた。″大事な事業です。私は応援しますよ!″と。
9  一人の女性の真心からの協力が、行き詰まった事業に、どれほど大きな力となったことか――。
 民主主義の真正の闘士アダムズは、その後、どんなに自分が偉くなっても、このとき庶民の女性から受けた恩を、決して忘れなかった。
 立派な指導者となった今、アダムズは、その昔、自分たちを支援してくれた、無名の女性への変わらぬ感謝の思いを、聴衆に語っていったのである。
 すると、思いがけないことが起こった。その聴衆のなかから、女性のよく響く声が聞こえてきた。「アダムズさん、それは私ですよ。もしお望みなら、もう一度ご協力しましょう」と。
 なんと、あの時の恩人の女性は、まだ健在であった。そして、その会合に来ていたのである。
 彼はそくぎに壇上に招いた。年老いて、今ではすっかり腰が曲がった女性に最高の礼を尽くして。そして、劇的に、誇り高く、恩人の女性を、皆に紹介し、宣揚した。
 「彼女こそ公共精神に富んだ開拓者であり、この国の発展は、彼女のような英雄的行為に負うところが大きい」と。
 会場を深い感動が包んだ。この時、十五歳であったアダムズの娘も、その光景に心を揺さぶられた。民衆こそが、真実の英雄であり、国を動かしていく原動力であることを、乙女は鋭く学びとった。まさに創価学会の精神である。
 「気高き民衆を尊敬する心」「民衆とともに生きぬく誇り」、そして「民衆のために戦いぬく勇気」を、娘は父から、厳として託されたのである。
 この娘こそ、のちに、もっとも貧しい庶民のために戦い、教育と福祉のルネサンスをもたらし、女性の幸福へ、世界の平和へと奔走した、ジェーン・アダムズその人であった。
 (一九三一年、アメリカ女性として初めてノーベル平和賞を受賞。新しい世紀の「女性のモデル」として世界的に敬愛された。アダムズ父娘のドラマは、ジェーン・アダムズ『ハル・ハウスの20年』〈市川房枝記念会・縫田ゼミナール訳、市川房枝記念会出版部〉等を参照した)
10  恩師は、とくに婦人部に、「子どもを立派に育てて、広宣流布のために、送り出すんだよ。仏意仏勅の学会とともに、親子で戦いぬいていくんだよ」と言われていた。
 子どもが学会から離れてしまえば、せっかく積んできた一家の福運の流れも、子どもが自分でせきとめてしまうことになる。わが子を、広布の庭で活躍させることも、学会の大きな前進であり、広宣流布の確実な拡大である。
 二十一世紀に、創価学会が、もう一歩、大きく、もう一歩、強く、発展していけるかどうか。その重大な急所が、ここにある。
 未来のために、このことを、きょうは、あえて確認しておきたい。
11  恐れるな―強気でいけ!
 「聖人御難事」にいわく。「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし、彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり」と。
 この一節を拝しながら、戸田先生は語られた。
 「われら創価学会の折伏は、師子が吼えるのである。邪悪な輩が驚き、恐れおののくのは、当然である。この確信なくして、日蓮大聖人の門下とは、絶対に言えないのである。この確信こそ、いかにも荘厳にして、勇壮なものではないか!」と。
 さらに、戸田先生は宣言された。
 「いかに学会を憎もうと、いかに学会をおとしいれようと、だれ人が騒ごうとも恐れるな! 彼らは犬、野干のごとき畜生である。われわれは師子王である!」と。
 「師子王の心」こそが、永遠の学会精神である。「強気でいけ!」――これが戸田先生の遺言なのである。
12  最後に、哲人たちの声に耳をかたむけたい。
 ドイツの哲学者フィヒテの言葉。「勇気を出せ。勇気さえ失わないならば、他のいかなるものを失っても構わない」(「人間の使命」量義治訳、『世界の名著』続9所収、中央公論社)
 民主主義の父、アメリカのトマス・ジェファソン第三代大統領は、権力に対する「監視の目を一時たりとも閉じてはならない」(明石紀雄『トマス・ジェファソンと「自由の帝国」の理念』ミネルヴァ書房)と戒めている。
 さらに、イギリスの女性作家シャーロット・ブロンテは、うたう。「自分たちの心のなかに聞こえるあの内なる声を、王といえども、皇帝といえども、沈黙させる権威はないのだ」(中岡洋編著『ブロンテ姉妹の留学時代』開文社出版)
 心からの叫びは、だれにも、とめられない。真実を語る。正義を語りぬく。そこにこそ、「民衆が勝利する」歴史の幕は晴れやかに開くであろう。
 広宣流布の本陣・東京の完全勝利を全国、全世界が見つめている。各区の大切な尊き同志に、どうか、くれぐれも、よろしくお伝えください。風邪をひかれませんように。お元気で!
 (創価文化会館)

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