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日蓮大聖人・池田大作

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第二回本部幹部会、第一回四国総会 創価の師弟を世界が賛嘆!

2001.1.29 スピーチ(2000.11〜)(池田大作全集第92巻)

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1  創価教育の真価を発揮
 きょうは、懇談的に話を進めたい。どうか、ゆったりとした気持ちで聞いていただきたい。
 昨年二〇〇〇年の春は、東京の創価学園の野球部が七回目の甲子園出場を果たした。
 今年二〇〇一年の春、第七十三回の「選抜高校野球大会」は、各紙の報道によれば、わが関西創価学園の初出場が大いに期待されている。おめでとう!(拍手)
 (一月三十一日、出場が正式に決定した)
 関西創価学園は、高校ラクビー部も、昨日(一月二十八日)、近畿大会の大阪予選で大勝利し、進出を決めた(拍手)。(=決勝戦は二月十二日で、準優勝)
 さらに昨日の「大阪国際女子マラソン」でも、関西創価学園出身の選手が見事、七位に入賞した(拍手)。現在、シドニー・オリンピックの金メダリスト・高橋尚子選手らとともに練習を重ねている。
 私のところには、毎日、創価学園、創価大学の出身者の皆さんから、さまざまな便りが届く。
 つい先日も、創価学園出身のパイロットから、「今回、機長になることができました」という、うれしい連絡があった。学園生として二人目の機長である。これからも、たくさんの後輩たちが続いていくにちがいない。         、
 また本年度、創価大学の教員採用試験の合格者は、約百六十人。昨年より三十人以上もふえたと、うかがった。毎年、目覚ましい成果を収めている。
 二十一世紀は「教育の世紀」である。創価教育が、いよいよ真価を発揮する時代に入ってきた。(拍手)
2  先日、ご連絡をいただいたが、イタリア中部のペルージャ県にある道路が「牧口常三郎通り」と命名された。(パッシニャーノ・スル・トラジメーノ市。「ファシズムと戦いぬいた偉業を顕彰したい」と市議会が満場一致で決議。今春、祝賀の式典が行われる)
 これで、三代の会長の名を冠する、世界各地の「通り」や「公園」「庭園」「ビーチ」は、ちょうど「二十力所」となった(拍手)。大変なことである。世界広布の瑞相ともいえよう。
 本年は、牧口先生の生誕百三十周年。二月には、戸田先生の生誕日を迎える。今や世界が、歴史上の偉人として、牧口先生、戸田先生を永遠に顕彰しようとしているのである。
 ここで、その二十の″名所″を紹介したい。
 きょうは、ブラジルの代表も見えている。ブラジルは、南米一の大都市、サンパウロ市に「戸田城聖公園」が決定。
 サンパウロ郊外の産業・教育の先進都市、サンジョゼ・ドス・カンポス市には「牧口常三郎通り」と「戸田城聖公園」がある。
 (同市の「エリオ・アウグスト・デ・ソウザ職業教育センター」には、「池田大作先生図書館」「池田香峯子公園」が設置されている)
 サンパウロ州の緑豊かなピンダモニャンガーバ市には、「牧口常三郎初代会長大通り」と「戸田城聖第二代会長通り」。
 同じくサンパウロ州で、市制百二十周年のモンテ・アウト市には、「牧口常三郎先生庭園」「戸田城聖先生庭園」「池田大作博士庭園」――私のことはたいへんに恐縮だが、三代の会長の庭園がある。
 サンパウロ州の新興都市、グアラチンゲタ市には、「牧口常三郎通り」と「戸田城聖通り」。
 さらに、サンパウロ州の教育都市、ヒベイロン・プレット市には「牧口先生公園」。
 ブラジルSGI自然文化センターのあるイタペビ市には「牧口常三郎先生通り」。
 さらにパラナ州の″文化と教育の都″クリチバ市には「牧口常三郎公園」が開園した。パラナ州の国際都市、ロンドリーナ市には「池田大作博士環境公園」。約三十七万坪という広大な公園とうかがっている。
 アメリカでは、ロッキー山脈を望む高原都市デンバーに「池田桜庭園」。
 南太平洋のトンガ王国には「ダイサク・イケダ・ビーチ」。美しい白砂の海岸という。英邁なツポウ四世国王にも、お会いした。(二〇〇〇年十一月十三日、聖教新聞社で)
 そのさい、光栄にも、ビーチの「砂」と「銘板」を贈っていただいた。
 ニュージーランドの平和都市、ロトルア市には「池田・ホール平和庭園」(池田名誉会長とホール市長の名を冠した庭園)。
 イタリア中部(アレッゾ県)にある標高一、二〇〇メートルのステア市には「牧口常三郎通り」。
 そして、アフリカのガーナでは、中南部にあるクワブレ郡の緑地帯に「池田大作博士公園」の設置を決定していただいている。
 創価の平和・文化・教育運動に対する世界的評価の一端として、つつしんで、ご報告させていただく。(拍手)
 さらに朗報を、お伝えしたい。サンパウロ市に「ブラジル創価幼稚園」の開園が決定した。(=二〇〇一年六月六日、開園)(拍手)
 人間教育の光彩を、いよいよ世界に広げてまいりたい。
3  新しい世紀に新しい力
 新しい世紀に、新しい力が、各地で、わき上がっている。
 リーダーは、皆が和気あいあいと、喜んで前進しゆく、広宣流布の名指揮をお願いしたい。
 名優のごとく、皆の心をつかむことである。そして、尊き同志を心から尊敬することである。
 気取りや慢心や虚栄などかなぐり捨てて、ともに笑い、ともに泣き、ともに怒り、ともに戦う――その姿に、同志も奮い立つ。知恵がわき、希望が生まれ、勝利の道が開かれていくのである。
4  きょうは、四国の総会、本当におめでとう!(拍手)
 すべてにおいて、四国の皆さまの健闘はすばらしい。「四国広布の基盤は盤石に築かれた」と私は確信している。
 何事も勝つことである。勝つことは喜びであり、功徳であり、幸福である。負けるような人間は、人を幸せにする力がない。
 激しき社会の中で、正義を貫き、人格を磨きながら、戦い、勝つ人間。強い人間。力ある人間。そういう人間にならねばならない。
5  戸田先生が、私に、初めて新聞発刊の構想を語ってくださったのは、昭和二十五年(一九五〇年)の八月。先生の事業は行き詰まり、苦境の最中であった。
 戸田先生は一身に非難の集中砲火を浴びていた。私は一人、師を支えた。そうしたなか、先生は、未来永遠の広宣流布の発展のために、何か手を打っておかねばならないと考えておられた。
 事業の破綻が決定した二日後の八月二十四日――不思議にも私の入信記念日に、先生は、私にこう言われた。
 「一つの新聞をもっているということは、じつに、すごい力をもつことだ。学会も、いつか、なるべく早い時期に新聞をもたなければいけない。大作、よく考えておいてくれ」と。
 ここから、「聖教新聞」は始まった。私と戸田先生の、師弟の対話から生まれたのである。
 また、その年の十二月。東京の新橋駅の近くの質素な大衆食堂で、戸田先生と二人で食事を取りながら、新聞発刊の具体的な話になった。
 先生は「これからは言論の時代だ。断じて言論戦で、広宣流布を切り拓こう!」と強く言われた。
 翌年(一九五一年)の二月には、こう言われた。
 「いよいよ新聞を出そう。私が社長で、君は副社長になれ!」
 先生は、いつも先頭であった。真の戦人であり、「広宣流布の闘士」であられた。
 ともあれ、無責任な言論が横行する世の中である。当面論の暴力″とは断固、正義の論陣で戦わねばならない。当時も、今も、そして永遠に、変わらない。
 (一九五一年の四月二十日、「聖教新聞」は創刊された。発行部数五千部、十日に一度、二ページ建てのスタートであった。名誉会長は、当時の日記に記している。「日本一、世界一の大新聞に発展せしむる事を心に期す」と。そして「『聖教新聞』を日本中の人に読ませたい」というのが、戸田会長の願いであった)
6  四国から全日本へ、二十一世紀の勝利の暁鐘を!
 四国の前進は、二十一世紀を先取りしている。
 遠いところ、大変なところで、真剣に戦っておられる四国の同志の労苦を、私は最大に賞讃申し上げたい。
 四国の皆さまは、地域友好、社会貢献を地道に実践してこられた。そうした活動への評価の表れとして、私は、皆さまを代表して、意義深き顕彰をいただいている。
 すべて皆さま方の戦いであり、皆さま方のお力である。心から感謝申し上げたい。(拍手)
 (池田SGI会長に二〇〇〇年四月、愛媛の明屋はるや書店から「活字文化貢献賞」が授与された。
 また、香川の高松市から特別感謝状、徳島の小松島市から感謝状が授与されている。
 さらに民音創立者として徳島県から感謝状、愛媛の松山市、香川の丸亀市から特別感謝状が贈られた。
 東京富士美術館の創立者としては、徳島県から感謝状、四国新聞社から特別感謝状が贈られている)
7  明年は、四国に墓地公園「四国メモリアルパーク」も開園する。すばらしいことだ。
 本年は四国で「紅の歌」が誕生してから二十周年。たくさんの同志に愛され、歌われてきた歌である。当時、会長を勇退していた私は、四国の地から、四国の同志とともに、反転攻勢の指揮を執り始めた。そして今日までの、世界広宣流布の大道を勝ち開いてきたのである。原点は四国である。
 その前年、昭和五十五年の一月には、四国の千人の同志が、横浜にいる私のもとへ、はるばる船で駆けつけてくださった。これも、広布の歴史に永遠に残りゆく光景である。
 四国は、私とともに「正義」の歴史を創り、「闘争」の歴史を残し、そして「勝利」の歴史を開いてきた。そのことを明言しておきたい。
 二十一世紀の勝利の暁鐘もまた、四国から全日本に、晴ればれと乱打していただきたい。(拍手)
8  昭和三十年(一九五五年)一月二十二日、戸田先生は高知を初訪問された。私も、ご一緒させていただいた。
 その折、質問会で、高知の友が戸田先生に尋ねた。
 「創価学会も学校を設立しては、どうでしょうか」
 戸田先生は、にっこり笑って答えられた。
 「今に学会も学校をつくるよ。幼稚園から大学まで、一貫教育の学校を必ずつくる。日本一の学校をつくるよ」
 戸田先生が、四国の優秀なる同志にされた約束を、弟子の私は、すべて実現してきた。それをきょう、皆さまの前で報告できることは喜びである。
 本年五月三日、高知の海の向こうに、アメリカ創価大学オレンジ郡キャンパスが、いよいよ開学する。将来、四国の代表も、ぜひご招待申し上げたい。(拍手)
9  信仰こそ「人生究極の力」
 フランスの文豪ロマン・ロランは、ちようど一八六六年のきょう、一月二十九日の生まれである。今年で生誕百三十五周年。牧口先生より五歳年上である。
 文豪の言葉を記念に贈りたい。
 「われわれにとっていちばん必要だったのは、安らぎではなくて、襲ってくる運命に立ち向かうための、精神的な力であった。そしてその力の第一のもの、力すべての源は、信念であった」(蛯原徳夫『ロマン・ロラン研究』第三文明社)
 精神の力の根源は、信仰である。信仰こそ、人生の究極の力である。ロランはつづつている。
 「ああ、強いことはなんといいことだろう! 強くて苦しむことは、なんといいことだろう!」(『ジャン・クリストフ』豊島与志雄訳、岩波文庫)
 信仰とは「精神の強さ」である。人間としての「生きる力」の泉である。弱い信仰は、本当の信仰ではないのである。
 強き人には、″苦悩の烈風″さえも″歓喜の春風″に感じられる。
 弱き人は、すべてが地獄の苦しみとなる。それでは敗北者の姿である。
 「友のために」「広宣流布のために」――悪と戦い、一切の苦悩をも楽しみながら、悠然と前進してまいりたい。
10  悪と戦えば自分が善に
 ロランは叫ぶ。
 「闘いよ来れ、それによってぼくはよりよく生きるだろう」(「どこから見ても美しい顔」宮本正清訳、『ロマン・ロラン全集』36所収、みすず書房)
 これが学会精神である。
 また「悪をつよく憎まないものは、善をつよく愛さないものである」(「民衆劇論」宮本正清訳、同全集9所収)と。
 牧口先生の精神と同じである。仏法にも通じる。一流の思想家の言葉は仏法の真髄を含んでいるものだ。
 断じて悪と戦うことである。悪と戦えば、自分が善になる。反対に、悪を許せば、自分が悪になってしまう。また、悪と戦わなければ大功徳は出ない。
 大聖人は「功徳」について「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」と仰せである。
 自分自身の濁った生命も滅し、清らかな心が生じる。これが「功徳」である。悪を責めることによって、この功徳が得られるのである。
 戦いましょう! 善の勝利のために!(拍手)
 今年も私は、全日本、全世界を舞台に、広宣流布の新しき道を切り開いていく決心である。
 私は毎日、皆さま方のご健康、ご長寿、そして一切の勝利を一生懸命に祈っている。どうか、お元気で!
 きょうは、遠いところ、ご苦労さま。ありがとう。 またお会いしましょう!
 (創価国際友好会館)

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