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日蓮大聖人・池田大作

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第一回本部幹部会、第一回全国婦人部幹部… 小さな集いから大いなる平和の文化が絢爛と

2001.1.7 スピーチ(2000.11〜)(池田大作全集第92巻)

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1  二十一世紀の開幕に千客万来
 新年、明けまして、おめでとうございます!
 また二十一世紀の夜明けを告げる第一回本部幹部会、第一回全国婦人部幹部会、第一回東北総会、おめでとう!(拍手)
 東北も、新しい時代が始まった。すばらしい時代になった。
 一切は、人によって決まる。仏法も、人によって弘まっていく。人類の歴史も、人によってつくられる。全部、人である。それが根本なのである。
 わが創価学会の二十一世紀の開幕は、まさに「千客万来」の日々であった。わが創価の陣営は、いよいよ、にぎやかである。
 ゴルバチョフ元ソ連大統領をはじめ、早くも、十数人の世界の指導者から″ぜひ、会いたい″″すぐにでも語りあいたい″という連絡が入ってきている。
 ここ八王子の舞台も、また二〇〇一年も、ますます多くの世界の識者や指導者が、続々と訪れることであろう。
2  ところで、十九世紀には、有名なドイツの考古学者ハインリヒ・シュリーマン(一八二二年〜九〇年)も、ここ八王子を訪れている。
 シュリーマンと言えば、トルコの「トロイの遺跡」の発見をはじめ、さまざまな新発見で知られている。ご存じの方も多いであろう。
 彼は、「少年時代の夢を絶対に実現しよう!」という決心の人であった。「絶対に、俺が成し遂げてみせる!」と。
 彼は「夢を掘り当てた人」として、世界的に有名である。彼の数々の偉業は、歴史を大きく塗り替えたと言われている。
 シュリーマンが「トロイ戦争」の物語にあこがれ、遺跡の発掘を誓ったのは八歳のときとされる。その後、母の病死や貧困に苦しみ、高校にも行けず、若くして働きながら、独学で英語、フランス語、オランダ語、スペイン語など十数力国語をマスター。四十歳を過ぎてから発掘作業を始め、「トロイ文明」や「ミケーネ文明」が実在したことを証明した。
 シュリーマンが八王子を訪問したのは、一八六五年(慶応元年)六月十九日。江戸時代から明治時代への転換期であった。
 彼は、八王子訪問を「とくに興味深かった」と振り返っている。そして、当時の八王子の印象を、こう記している。
 「田園はいたるところさわやかな風景が広がっていた。高い丘の頂からの眺めはよりいっそう素晴らしいものだった」(『シュリーマン旅行記 清国・日本』石井和子訳、講談社学術文庫)と。
 彼が「トロイの遺跡」の発掘を始めたのは、八王子訪問の六年後の一八七一年(明治四年)のことであった。ちょうど、この年、牧口先生が誕生されている。
3  心に「揺るがぬ哲学」を持て
 彼の生涯の「夢」の達成を、世界は賞讃した。しかし、国内の学者からは、嫉妬による中傷、批判が嵐のように巻き起こった。多くの学者から「しろうと学者」「一介の門外漢」といった批判が絶えなかった。
 これが「人間の世界」である。最高の発見をしながら、批判をあびたのである。これが「世の常」である。
 圧迫は、彼の夫人にも及んだ。あまりの心労に、気丈な夫人も、とうとう倒れてしまった。
 しかし、その夫人を、彼は、厳として励ました。
 閉鎖的な″狭い世界″に閉じこもった学者に、何が分かるものか! 敵もいない所で、威張っているだけじゃないか! そんな連中の批判など眼中に置くものか! 世界は賛嘆しているではないか! そう夫人の心を鼓舞したのであった。
4  どういう覚悟で人生を生きたかである。どういう決心で人生を生きたかである。決意のない人間は弱い。覚悟のない人間は哀れである。
 シュリーマンは「生きているあいだは休もうとしなかった」(『古代への情熱』村田数之亮訳、岩波文庫)
 と言われている。それが彼の信条であったのだろう。
 私は、たゆみなき人生を生きる! 人がどうあろうとも。
 私は、立ち止まらぬ人生を歩む! 休みたい人は休めばいい。
 私は、最後まで、前に進み続ける! 文句がある人は勝手にするがいい。
 私は、どこまでも、私の決めた道を進むのだ!
 この揺るがぬ「自分の哲学」を持った人こそ、日蓮大聖人の本当の信仰者なのである。
 ただ、お経を読んでいれば信仰なのではない。口がうまいとか、指導ができるとか、それが信仰なのでもない。
 本当の信仰者とは、どんなことがあっても、大聖人の仰せのとおりの「信行学」の実践を最後の最後まで貫いていく人である。広宣流布へ戦いぬく人である。これが、大聖人の仏法の真髄の行動である。
 人生は最終章で決まる。ゆえに、美しい夕日のごとくに、最終章を悔いなく飾っていくことができるかどうかである。それは、ちょうど、夕日がきれいであれば、翌日は晴れるのと同じである。人生の最終章がどうかで、来世が決まってしまうのである。
 八王子の夕日は美しい。夕焼け小焼けで日が暮れて……(作詞・中村雨紅)。童謡「夕焼け小焼け」は、八王子の夕日を歌ったものといわれる。私も、八王子にある、この歌にゆかりの場所を訪れたことがある。
 (八王子市の恩方。童謡の作詞者が、この地の出身であることから、「夕焼け小焼けの里」と呼ばれる。歌碑や鐘などがある)
 以前、香港中文大学の李国章学長夫妻と語りあったさい、こう尋ねられた。(一九九九年十二月二十日)
 「今まで見た夕日で、いちばん美しかったのは、どこの夕日ですか?」
 フイリピンのマニラ湾の夕日も有名である。しかし、日本にもすばらしい夕日がある。
 私はそくざに答えた。「いろいろな意見があるでしょうが、創価大学のある八王子がいちばん美しい夕日です」と。
5  法華経に八王子8人の王子が世界をリードと
 八王子――いい名前である。地名の由来は別として、かつてお話ししたことがあるが、法華経にも「八王子」が登場する。(「中部・北陸池田学校総会」でのスピーチ〈本全集第86巻収録〉)
 法華経序品に説かれる「日月灯明仏」。日光のように、月光のように、また灯明のように、一切衆生を照らす智慧を具えた仏である。その仏のもとに「八人の王子」――すなわち「八王子」がいたのである。
 (「日月灯明仏」という名の仏は二万も続いて出現した。その最後の仏は出家前、王であり、八人の王子がいたと説かれている)
 この「八人の王子」は、それぞれが意義深き名前を持っていた。
 (1) 「有意」。すなわち智慧。(2) 「善意」。善き智慧。(3) 「無量意」。無限の智慧。(4) 「宝意」。宝の智慧。(5) 「増意」。優れた智慧。(6) 「除義意」。疑念を打ち破る智慧。(7) 「響意」。雄弁の智慧。(8) 「法意」。法の智慧。
 私たちも、この「八王子」の優れた徳を発揮しながら、新世紀の舞台に躍り出てまいりたい。
 法華経には、こう説かれている。「是の八王子は威徳自在にして、各おの四天下を領す」(法華経九二㌻)――この八人の王子は、威厳のある徳を自在に発揮して、おのおのが四天下(世界)を領土としていた――いわば、八人の王子が世界をリードしていた。
 この王子たちは、父とともに、父子一体で、王位を捨て、社会的栄誉をかなぐり捨てて、真剣に、また謙虚に、仏道修行に励んでいった。そして、千万という多くの仏のもとにあって、多くの善根を植えていったのである。(「千万の仏のみもとに於いて、諸の善本を殖えたり」〈法華経九三ページ〉)
6  現代において、真の仏道修行は創価学会にしかない。学会の組織の中で、同志とともに、切磋琢磨しながら、成長の軌道、幸福の軌道を進んでいくことである。
 一人でいるのは、自由でいいようだが、結局、独善になり、生命の法則の軌道から、はずれてしまう。
 仏法では、「八」とは「開く義」と説く。
 今、申し上げた「王子」の智慧は、自分自身の中にある。その力用を、勇気ある信心で、ぞんぶんに開いていただきたい。「智慧」を開き、「福徳」を開き、「境涯」を開いていっていただきたい。陸続と「人材」を育て、「広宣流布の道」を開いていただきたい。これが「八王子革命」である。
 東京・八王子の「新世紀区」「常勝区」「本陣区」「池田区」「栄光区」の友も意気軒昂に出発した。本当におめでとう!(拍手)
 御聖説に「名は必ず体にいたる徳あり」と仰せである。
 リーダーが、新しい決意で立ち上がり、その名にふさわしく、「八王子、ここにあり!」との見事な実証を示していただきたい。(拍手)
7  ここ八王子市は現在、創価大学をはじめ、二十一の大学を擁するようになった。
 三十年前――創価大学を創立した時、まだ八王子に大学は少なかった。「あんな田舎に大学をつくるのか」と笑う人もいた。しかし、今や二十一世紀の世界を担う「学園都市」となった。
 この創価教育の天地から、新世界の英知の逸材が、いよいよ世界へ陸続と羽ばたいていくと信ずる。
 「八王子」という地名は、東京の八王子市以外にも、全国に見られる。埼玉、愛知にもある。
 ちなみに、同じ読みで、福岡・北九州市の八幡東区には、八王子の「子」を「寺」と書く「八王寺町」がある。北九州の方、いらっしゃいますか?(会場から「はい!」と元気な声)
 北九州をはじめ、全国の「八王子」ゆかりの同志の皆さまのご健闘を、心から祈りたい。(拍手)
 (このほか「八王子」の地名は、たとえば、新潟、三重、京都、山口、長野、岐阜に、「八王寺」は新潟、大阪、岡山、熊本にもある)
8  平和のために「対話の道」「文化の道」
 私は、これまで世界に向けて、多くの「提言」を発表してきた。
 そのうち、「平和提言」等が英文書籍としてまとめられ、l・26「SGIの日」を記念して、アメリカのミドルウェイ出版から、このたび発刊される。後世のために広く伝えられることになった。(拍手)
 本のタイトルは『平和のために――地球的調和への七つの道 仏法的視点から』。
 この「七つの道」とは、次のようになる。
 「自己統御の道」。自分に打ち勝つ道である。
 「対話と寛容の道」
 「共同体の道」。人間の連帯の道である。
 「文化の道」
 「国家の道」。平和国家を創る道である。
 「地球的意識を開く道」
 「軍縮の道」。戦争のない世紀を勝ち取るための道である。
 私の平和思想には、これら全部が含まれているとされている。
9  今回の出版にあたっては、光栄なことに、ハワイ大学の名誉教授であり、高名な平和学者であるグレン・ペイジ博士が、まことに友情あふれる序文を書いてくださった。
 そのなかで博士は、″自分が、池田会長の平和思想と出あったのは、創価大学の草創期の学生が英語で出版した講演集の小冊子を通してであった″と。(創大創立者の講演集『二十一世の潮流』の英語版)
 青春の英知と情熱が結晶した、薄い一冊の本――その労作業が、人の心を打ち、人の心を変える大きな原動力となった。私は、当時、たずさわった皆さまに、あらためて、深く感謝したい。
 何が歴史を動かすか、何が偉大な力になるか、わからない。だからこそ、魂を打ちこんだ仕事が大事なのである。
 博士は、″この手作りの小冊子から、創価大学の平和理念とモットーを知り、大きな啓発を受けた″と述べておられる。
 博士は、ハーバード大学やプリンストン大学など、宗教に基盤をもつ世界一流の私学に学んできた学者である。そうした経験のうえから、宗教のドグマ(教条)にとらわれていない、創価大学の「独立性」と「知的な自由」に深い感銘を受けておられたようである。
10  また、ベイジ博士は述べておられる。
 「平和の建設のために立ち上がった歴史上の偉人がそうであったように、池田氏は、人々から支持を受けるとともに迫害にもあつてきた。平和への道は、平坦ではなかつたし、また、これからも平坦ではないであろう。それでも池田氏が励まし続けているとおり、『決して負けてはならない!』のである」
 『軍縮の道を進め!』との呼びかけに表れる池田氏の勇気、明快さ、見識の深さは、今日の主要な軍事大国の政治指導者たちの沈黙、あるいは正反対の主張と鮮やかな対照をなすものである。この点だけを見ても、心ある読者は、池田氏に″二十一世紀の民衆平和賞″を贈りたいと思うのではないだろうか」
 まことに過分な評価であり、恐縮である。
 平和の殉教者である牧口先生、戸田先生の偉大さを証明するのだ――その思いで、私は、平和のために戦いぬいてきた。この厳粛な師弟の心に、博士は深い共感を寄せてくださっている。
 これからも私は、「平和の世紀」「教育の世紀」を開く提言を残していく決心である。
11  ″多様な人種が明るく集うSGIこそ宗教の模範″
 本年初頭、日本をはじめ世界中で、SGIの新年勤行会が晴ればれと開催された。アメリカ・ルネサンスの発祥の地、「世界の知性の首都」であるボストンでも、わが同志が元日から元気いっぱいに結集した。
 この新年の集いには、世界の「平和研究の母」として名高い、エリーゼ・ボールディング博士も勇んで出席してくださった。
 博士は現在、八十歳。一九九〇年には、ノーベル平和賞の候補にも挙げられた平和研究の先駆者である。九五年には、SGIの平和研究機関であるボストン二十一世紀センターから、第一回「世界市民人道賞」を受賞しておられる。
 博士は、新年勤行会に喜び集ったSGIメンバーの姿を、じっと見ながら、うれしそうに、こう語っておられたという。
 「このように多様な人種の人々が、喜々として集まり、明るく新年を祝っている様子は、ほかでは見ることのできない光景ですね。これはまた、SGIが平和の団体であるという証拠です」
 博士は、いち早く創価学会・婦人部の平和運動にも注目し、連帯してこられた。(すでに八四年にはみずから学会本部を訪問し、婦人部の代表と交流している)
12  最近のインタビューでも、こう語っておられたという。
 「これまでの歴史は、『戦争の文化』の側面をあまりにも強く映し出してきました。これからは、これまで陰にかくれ、忘れられてきた『平和の文化』の側面にあらたな光を与えていかねばなりません。
 宗教についてもまったく同じことがいえます。その意味で、創価学会は、宗教の教えが、どのように解釈され、伝えられていくべきかについて、良き模範をしめしております。
 そのうえで池田SGI会長が、その教えを教育機関、平和研究機関などの設立をとおして、具体的に世界に開き、貢献されていることに深い敬意を覚えております。
 とくに、宗教者として音楽、芸術の運動を推進されてきたことは、時代を先見したものといえるでしょう」(月刊誌「パンプキン」二〇〇一年二月号)
 SGIは、宗教を基盤に、教育・平和・文化の運動を世界に広げてきた。そのことを、世界最高峰の知性は、「良き模範である」と正視眼で評価してくださっている。
13  さらに博士は、創価学会の座談会のような小グループでの語らいこそが、「平和の文化」構築に向けての確かな運動であると明言しておられる。
 ここが大事である。カギになるのは、大きな会合ではない。大勢の前の演説ではない。座談会である。小さな集いである。おたがいの顔が見える、心通う語らいである。
 牧口先生は、七十歳を超えてなお、率先して座談会に出席しておられた。もしも、座談会を軽く見て、座談会に行かない幹部がいるならば、牧口先生から厳しいお叱りを受けるであろう。
 ともあれ、「女性の世紀」「婦人の世紀」の開幕を飾り、小グループを中心にした婦人部総会が全国の津々浦々で、にぎやかに行われる。
 わが婦人部の活躍は、二十一世紀の創価学会が、どれほどにぎやかに発展するかという象徴であると私は信ずる。
 御書には「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」と経文を引いておられる。未来の一切は、現在の、この瞬間の決意と行動が決めるのである。これで広宣流布が決まる。一切の勝利が決まる。
 婦人部総会の大成功を、心からお祈り申し上げたい。(拍手)
14  「女性の政治参加が平和に不可欠」
 アメリカの女性で初めて、ノーベル平和賞を受賞したのは、だれか。
 それは、社会活動家のジェーン・アダムズ女史(一八六〇年〜一九三五年)。今から七十年前の一九三一年、創価学会の創立の翌年のことである。
 彼女は、地域に根ざしつつ、母と子の福祉を充実させようと立ち上がった。「平和教育」を推進し、「女性の参政権の確立」のために戦った先駆者である。皆が模範とすべき偉大な女性である。
 女史は、アメリカ・シカゴの外国人移住者のスラム街に福祉施設を創設。地域の貧しい人々の社会的・文化的交流のセンターとなった。他の都市にも同様の施設が誕生するきっかけにもなった。やがて女史は、腐敗した市政の改革運動に参加。米西戦争(一八九八年)が勃発するや、「平和主義」に徹する信念を表明。世界規模で平和活動を行い、国際的な女性の連帯を訴えた。
 彼女の有名な言葉がある。
 「女性が参政権を得ることは平和的社会の実現に不可欠の要件である」
 「女性が男性とともに責任を果たす社会においては、戦争は起こりえない」(杉森長子『アメリカの女性平和運動史』ドメス出版)
 女性が立ち上がってこそ、戦争はなくなる。真の平和が生まれる――七十年前の叫びは、今も重い。
 いちだんと、女性を大切にすべきである。男性は、女性を尊敬し、協力し、ともに立ち上がってまいりたいと思うが、どうだろうか。(拍手)
 婦人部、女子部の皆さまは、どうか、二十一世紀の平和のために、民主主義のために、そして広宣流布のために、楽しく、愉快に、忍耐強く、わが地域に、友情の対話を広げていっていただきたい。
15  小さいところが大事である。人数が多いところは、華やかであるし、幹部も行きやすい。
 しかし、そうではなく、同志の少ないところ、いないところ、そこにどう信頼の根を張り、友情の絆を結んでいくか。その地道な努力の積み重ねで、「人間主義の世紀」を開いていくことができるのだ。
 新天地に、また目立たないところに手を打ち、平和への拠点を築き、広げていくのが、名将や名指導者の知恵であり、戦いなのである。リーダーは、新しい歴史の開拓者であっていただきたい。
16  「友情の花」「幸福の花」が咲き薫る地域に
 ここ東京牧口記念会館の庭園の一帯は、古来、「梅坪」と呼ばれ、梅の名所として親しまれてきた。満しい冬を乗り越え、真っ先に咲く「梅の花」は、ひときわ美しい。
 きょうの記念に、婦人部の皆さまに句を贈りたい。
  厳冬に
    早くも勝利の
      梅の花
  
  厳冬を
    乗り越え勝ちたる
      梅の花
  
  厳冬に
    幸の春呼ぶ
      梅の花
 どうか皆さまも、心を結ぶ対話で、わが地域に「希望の花」「友情の花」「幸福の花」を、美しく咲き薫らせていただきたい。(拍手)
17  創価教育の人材は大河に!
 本年五月三日、いよいよ「アメリカ創価大学オレンジ郡キャンパス」が開学する(拍手)。ここか、最優秀の、世界に通用する人材を育てたい。新世紀のリーダーを育てたい。
 民衆の平和への願いが結実した、尊い学府である。私も全力を注いでいる。どうか、応援をよろしくお願いします。(拍手)
18  創価学園は明年(二〇〇二年)、創立三十五周年を迎える。また創価大学も、本年、創立三十周年の歴史を刻む。ひとえに、皆さまのおかげである。心から感謝申し上げたい。
 創価学園の第一期生は、五百人であった。それが、今や、大学と学園の全卒業生は、五万人を超える陣容となった。(拍手)
 卒業後の進路としては、教員となって活躍している人が、約四千人。学位を取得した創価教育出身の「博士」も、百三十人を数える。さらに、学会について言えば、副会長になった人が二十三人である。
 このように、日本全国、そして世界中、社会と広布のあらゆる分野で、わが創価同窓の友の活躍は、じつに目覚ましい。今後、ますます戦野は広がっていくであろう。(拍手)
 創価学園の草創期からの「大いなる目標の日」となってきた「二〇〇一年七月十七日」が目前となった。一切を完全勝利で飾り、秋に記念の「創価学園二十一世紀大会」を開催することも決定している。(拍手)
 (一九六九年七月十七日、創価学園の第二回栄光祭で、創立者は、二〇〇一年のこの日を目標として、ふたたび集い合うことを提案した)
 この創価教育の二十一世紀の希望の「人材の大河」に、さらにアメリカ創価大学の″英才″の流れが合流し、いちだんと豊かに、水かさを増していくことになろう。
 きょうは、この会場にアメリカ創価大学に、いち早く合格が決まった、誉れの第一期生の代表も出席されている。最優秀の中の最優秀の方々である。創立者として心から感謝申し上げたい。ありがとう!(拍手)。この一期生のなかには、わが愛する東北出身の方も選ばれている。(拍手)
 ともあれ、東北の皆さま、遠いところ、本当によくおいでくださった。東北はよく戦われた。頑張りぬかれた。
 私は、皆さまの活躍ぶりを、後世に残してさしあげたい気持ちでいっぱいである。「世界の東北、万歳!」と称えたい。(拍手)
 本年の新年勤行会は、かつてない参加者で荘厳することができた。
19  ″心の庭に忍耐を植えよ。その根は苦いが、その実は甘い″
 ここで、人生と社会を照らす、不朽の言葉を贈りたい。
 イギリスの作家オースティン。代表作に『高慢と偏見』がある。
 「あなたの心の庭に忍耐を植えよ。その根は苦くとも、その実は甘い」
 そのとおりである。仏法では「煩悩即菩提」と説く。
 フランスの作家フェヌロン。『テレマックの冒険』で有名である。
 「汝が民衆の上に君臨することになろうとも、かつては民衆と同様に、弱く、貧しく、苦しんだことを思い出すがよい」
 あらゆる政治家が心に刻むべき言葉であろう。
 そして、有名なフランスの哲学者デカルト。
 「正しい精神をもつというだけでは十分ではない。たいせつなことは、精神を正しく用いることができるということだ」(田辺保編『人生を決める言葉』創元社)
 私たちにとっては、「信行学」の実践こそが肝心である。
 ロシアの文豪トルストイ。
 「もっとも驚異的な錯覚の一つは、人間の幸福は″何もしないことにあるのだ″という錯覚だ」
 何もしない――これが幸福だと思っている。安逸をむさぼることが幸福だと思っている。それは最大の錯覚であり、いちばんの不幸であると、文豪は訴える。
 学会活動に励む私たちは、「幸福の大道」を、まっすぐに歩んでいるのである。
20  また、私も会見した中国の江沢民国家主席は、共産党幹部の腐敗や官僚主義に対して、昨年(二〇〇〇年)十月の党の総会で、こう語っておられる。(党第十五期中央委員会第五回総会)
 「歴史と現実がはっきり示すところによれば、一つの政権であれ、一つの政党であれ、その前途と運命は最終的に人心が従うか背くかによって決まる。最も広範な大衆の支持を獲得できなければ、必然的に崩壊する」(「読売新聞」二〇〇〇年一二月三一日付)
 あらゆるリーダーが心すべき、重要な言葉である。民衆こそ歴史の主役である。
 さらにスイスの哲人思想家ヒルティは言う。
 「あらゆる友情の基礎は、誠実ということです。これがなければ、友情も一文の値打もありません」(『愛と希望』秋山英夫訳、『ヒルティ著作集』6、白水社)
 人ではなく自分が、まず大誠実を尽くすことである。策や号令では、人の心はつかめない。
 そして、フランスの思想家シモーヌ・ヴェイュの言葉。
 「快楽、娯楽、気晴らし、感覚や虚栄心の満足は、歓喜ではない。歓喜は、人間や集団に、その外側からもたらされるものではない。歓喜はその内側から現われるべきものである」(『ロンドン論集とさいごの手紙』田辺保・杉山毅訳、勁草書房)
 歓喜は、心の中からわいてくる。勤行も、そうである。「人を救おう」「折伏しよう」――そういう信念の発露のなかに、本当の歓喜が生まれる。
21  勝利こそ最高の楽しみ
 またイギリスの女性作家シャーロット・プロンテ。
 「困難でない仕事というものは、たいてい価値がないものです。さまざまな障害を見事に乗り越えるからこそ面白いといえましょう」(青山誠子『プロンテ姉妹』朝日選書)
 今年は、これでいきましょう!
 仏法は勝負である。人生も勝負である。負ければ悲しい。勝てば喜びがわく。福運がつく。時代も、いい方向に向かっていく。
 勝利は自信を生む。その自信が、さらなる勝利を呼び寄せる。
 困難も、障害も、すべて乗り越え、痛快なる前進をしてまいりたい。
 最後にもう一度、ヒルティの言葉。
 「勝利こそは、すでにここ地上においても、生の最高のたのしみです」(前掲『愛と希望』)
 勝つことは最高の楽しみ――それを味わえる戦いをしようではないか。(拍手)
 以上をもって、二〇〇一年、百年間の最初の、そして世界最高の「平和・文化の団体」「広宣流布の団体」「日蓮大聖人直結の大教団」の幹部会を終了したい。
 本当にご苦労さま! ありがとう!
 (東京牧口記念会館)

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