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日蓮大聖人・池田大作

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全国方面長会議 二十一世紀は青年の勝利の世紀

2000.12.23 スピーチ(2000.11〜)(池田大作全集第92巻)

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1  全同志の尊き労苦に福運と功徳!
 この一年(二〇〇〇年)の広宣流布の闘争、本当に、ご苦労さま!
 二十世紀の創価学会の大勝利、おめでとう!
 来年(二〇〇一年)も、そして二十一世紀も、ともに大勝利の金字塔を打ち立ててまいりたい。
 激動の二十世紀に誕生し、これほどの難を受けながら、これほどの大発展を成し遂げ、これほどの勝利の歴史を勝ち取って、堂々と、誇り高く、晴ればれと、世紀の悼尾を飾りゆく団体が、いったい、いずこにあろうか。
 これも、すべて全d同志の尊い労苦の結晶である。その誉れと栄光と福徳は、あまりにも大きい。
 先日、ある中国研究の高名な学者が、法華経の一節を刻んだ、巨大な見事なる印鑑を届けてくださった。それは、中国の著名な書家が篆刻されたもので、「常不軽菩薩品第二十」の一文が刻印されている。
 すなわち、「説是経故 得無量福 漸具功徳 疾成仏道」(法華経五六五㌻)――是の経を説くが故に 無量の福を得 漸く功徳を具して 疾く仏道を成ず――と。
 贈ってくださったその先生も、まさに学会はこの経文のように、皆が福運を得、皆が功徳を備え、皆が一生成仏の道を成就されていますね、と感嘆しておられた。
2  日蓮大聖人は、「撰時抄」で仰せである。
 「(日本に仏教が伝来してから大聖人の時代にいたる)七百余年の間に、南無妙法蓮華経と唱えよと他人にすすめ、自らも唱えた智者は、いまだ聞いたことも見たこともない」(御書284㌻、通解)
 「日蓮が、日本第一の法華経の行者であることは、あえて疑いのないところである。これをもって、推察すべきである。中国・インドにも、世界にも、(日蓮と二月を並べる者はいないのである)」(同㌻、通解)
 この蓮祖の法戦から七百年後、創価学会は、御聖訓のままに、世界広宣流布を成し遂げてきた。大聖人のお喜びは、いかばかりであろうか。
3  「人間主義の哲学」を世界が期待
 創価学会の「人間主義の哲学」は、人類の希望と期待され、注目されている。全世界が味方であり、全世界が友人である。
 ご存じのとおり、つい先日(十二月十一日)も、ブラジル連邦共和国の上院議会で、アフーダ上院議員(与党幹事長)が、SGIを宣揚する演説を行ってくださった。
 演説には、こうある。「文化、福祉、学術、教育への重要な投資をされているブラジルSGIのメンバーに、心から祝福を申し上げます。こうした活動は、ブラジルの青少年の暴力を減少させるものと確信します。池田大作博士の『社会貢献』と、人間の尊厳およびより良い生活をもたらす仏法思想の先取性を、議会として賞讃したい。また、NGO(非政府組織)であるSGIが、文化・教育、人間と環境の尊厳という″武器″をもって、世界平和のために、七十年間にわたり貢献されてきた事実を称えたいのであります」等と。この演説は永遠に議事録にとどめられる。
 今日の世界的な創価学会を築いてくださったのは、名声の人でもなければ、権威の人でもない。まことの信心で立ち上がった民衆の力である。なかんずく、最前線で戦う無名の婦人部の皆さま方のおかげである。このことを、リーダーは、ゆめゆめ忘れてはならない。
 先ほどのブラジルのアフーダ上院議員が、SGIへの認識を深められた、一つのきっかけは何であったか。それは、堂々たるブラジリア文化会館に集う人々が皆、生き生きとした社会貢献の市民であり、SGIがうるわしい庶民の連帯であることに感銘されたからであると、うかがっている。
4  大聖人は「臆病な弟子たちが、だいたい、ある者は退転し、ある者は退転する心があるなかにあって、一人の女性が微動だにせず、信心を貫き通してきたことを、言葉に尽くせないほど立派である」(御書一二二四ページ、趣意)と、ほめ称えておられる。
 皆さまも、智慧と愛情をもって、何よりも同志を尊敬し、賛嘆し、あたたかな励ましに徹していく指導者であっていただきたい。傲慢な人間は去ってもらいたい。
 本来、信心指導とは、皆に「勇気」と「希望」と「喜び」と「自信」をあたえることだ。勝利また勝利の人生を送らせることだ。そして一人も残らず、幸福にさせゆくことだ。それが指導者の責務である。
 「法華経の功徳はほむればいよいよ功徳まさる」と仰せのとおり、広宣流布に戦う人をほめた分だけ、さらに勢いが増し、さらに功徳が広がるのである。
 今、世界中の友人から、二十一世紀開幕の祝福のメッセージが続々と届き始めている。
5  この十八日(十二月)にも、モスクフで、ゴルバチョフ元ソ連大統領と会見した副会長が、種々、伝言を託されてきた。二十世紀を変えた大功労者のゴルバチョフ氏もたいへんにお元気な様子で、私たち夫婦は心から喜んでいる。
 そのなかでゴルバチョフ氏は「イタリアを訪問した折にも、SGIのメンバー(氏が言うには〈池田先生の弟子たち〉が一生懸命、頑張っている姿がいたるところで見られました」と語っておられた。また、氏と私との対談集『二十世紀の精神の教訓』が、日本語、ドイツ語、ロシア語、そしてイタリア語で出版され、大きな反響を広げていること、さらにフランス語版、英語版も、発刊の準備が進んでいることが話題になると、ゴルバチョフ氏は、こう言われていたという。
 「池田先生との対談集が、これまでに私が出した本のなかで、いちばん好きな本です。この本をいちばん、気に入っています。多くの人に読んでいただきたい」と。
6  十四年前、ゴルバチョフ氏は、″核兵器のない二十一世紀″に向けて画期的な声明を発表した。(一九八六年一月)
 私は、いち早く諸手をあげて賛同を表明した一人である。そのことにふれながら、ゴルバチョフ氏は語っておられた。
 「あの時、この発言について、世界中、首をかしげる者が大半でした。『ユートピアにすぎない』とか、『デマだろう』とか。この声明のことを今、言うと、皆、『あの当時は信じられなかった』と、顔を赤くして恥じいるのです。そうした意味でも、池田先生と私は、昔から、どこか似たもの同士だったのかもしれません。二人とも、『人間がいちばん大事』なのです。『人間が、安心して、文化的で、平和を実感できる幸福な社会をつくるべきだ』という考え方に立っているのですから」と。
 まことに、友情こそ人生の宝である。ゴルバチョフ氏は、私の撮影した富士山の写真額を、友情の証として大切にしてくださっている。新しい財団の建物でも、外国からの賓客を迎える特別の部屋に飾って、皆に見せたいと言われていたようである。「これからも、池田先生を親友として、二十一世紀を一緒に開いていきたい」と、真心あふれるメッセージもいただいている。
 私どもSGIへの期待の声として、ありのままにご報告させていただく。
7  師弟の道を悔いなく歩み通せ
 人生も、社会も、間断なき戦いである。戦い続けていけば、必ず勝つことができる。忍耐強く戦
 い続けていること自体が、勝利なのである。
 仏法の師弟は峻厳である。日興上人が、弟子の日目上人を賞讃された一文がある。
 「日目は、十五の歳に日興に会い、法華を信じてより以来、七十三歳の老体にいたるまで、決して違背したことがない」(「日興跡条条の事」富要五巻、通解)
 師の教えを寸分も違えない――五老僧らが、ことごとく、師弟の道を踏みはずし、増上慢となって堕落し、裏切り、反逆していったなかにあって、師弟の真髄の道が、ここに示されている。この道を生涯、最後の最後まで歩み通せるかいなか。これが信仰の究極の勝負である。
 明年、私も七十三歳。戸田先生との師弟の道を、一点の悔いもなく歩み通してきた。これからも、いささかたりとも、変わることはない。
 御聖訓には、「(釈尊の弟子の)須梨すり槃特はんどくは、三年かけて十四文字を暗んじることさえできなかったけれども、仏になった。提婆達多は、六万蔵という膨大な経典を暗記したけれども、無間地獄に堕ちた。このことは、ひとえに、末法の今の世のことを表しているのである。決して、他人のことと思ってはならない」(御書1472㌻、通解)と仰せである。
8  新世紀の出発にあたり、皆、信心の原点に立ち返り、広宣流布の初心を思い起こして、「地区」の第一線に、喜び勇んで飛び込んでまいりたい。そこにこそ、真実の仏道修行の道場があるからだ。広宣流布の戦にあっては、皆が一兵卒の覚悟で戦うべきである。
 「勇敢であれば、勇者は前線でいるのがあたりまえ」(K・クリバラーニ『ガンディーの生涯』森本達雄訳、第三文明社)
 「すべてを上からの指導にまち、命令してやらせるならば、結局、何も達成せられないだろう」(山下幸雄『若き日のガンジー』雄渾社)
 これは、マハトマ・ガンジーの有名な言葉である。
9  さて、牧口先生が、『創価教育学体系』で光を当てておられた、スウェーデンの女性教育者エレン・ケイは、ちょうど百年前、「新しい世紀に新しい人間を創ろう」と呼びかけた。
 名著『児童の世紀』の巻頭には、十九世紀から二十世紀への「世紀の交替は時計が十二時を打つとともに、無数の漠然とした予感を世界じゅうに送った。わたしたちはみな、新しい世紀が必ず、わたしたちに唯一の尊いものである安らぎを与えるだろうと感じた」「二十一世紀に特徴を与えるのは次の新しい世代であろうと感じた。この確信は、多くの人びとに、新しい世代が現在生きている世代を超えて向上するための条件について、真剣に考えさせずにはおかなかった」(小野寺信・小野寺百合子訳、冨山房百科文庫)と。
 私たちは、いち早く、二十一世紀を「青年の世紀」「青年の勝利の世紀」と掲げて、流れをつくってきた。
 今、時代は一変しようとしている。「新しい生命力」を涌き出し、「新しい人材」を伸ばし、「新しい友情」を結び、「新しい味方」をつくり、「新しい広宣流布の勢力」を広げていく以外にないと私は思う。そして、百年先までの手を打ちながら、皆が総立ちして、「常勝不敗」「難攻不落」の土台を盤石に固めてまいりたい。それが、今、この時に、広宣流布の指揮をとる私たちの誉れの使命であり、責務であることを夢寐にも忘れてはならない。
10  大聖人が女性の弟子に送られた「法華初心成仏抄」の一節を拝したい。
 「ひとたび、南無妙法蓮華経と唱えれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵天・帝釈・閻魔法王・日天・月天・衆星・天神・地神ないし地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天界の一切衆生の心中の仏性を、ただ一声に呼びあらわしたてまつるのであって、その功徳は無量無辺である」(御書557㌻、通解)
 「口に妙法を呼びたてまつれば、わが身の仏性も呼ばれて、必ず、あらわれられる。梵天や帝釈の仏性は、呼ばれてわれらを守ってくださる。仏・菩薩の仏性は、呼ばれてお喜びになる」(同㌻、通解)と。妙法を唱えゆくわれらの音声が、どれほどの力を秘めているか。「声仏事を為す」である。
 明年は、国連の「文明間の対話年」である。私たちの対話運動、また友好活動は、いまだかつてない生命と社会の「希望の大覚醒運動」となる。私たちが仏縁を結んだ分だけ、人々の生命に備わる仏の生命が呼び起こされていくのである。
 「生命の世紀」の開幕にふさわしい、創価の新たなルネサンスの大潮流を築きあげたい。
11  「正義の心」が「創価精神」
 十年前(一九九〇年)の年末、宗門の卑劣な陰謀は、学会員から正月の喜びまで奪い取ろうとした。しかし、今や勝敗は厳然として明らかである。われわれは断固として勝ったのだ。われわれの歴史は、永遠の栄光として、消えることなく輝きわたる。卑劣な宗門は没落である。仏法に厳しく裁かれ、地獄の生命の道を行くだけである。
 どうか、晴ればれと胸を張り、勝利の人生の、最高の歓喜に満ちた、新世紀の第一年の新年を迎えていただきたい。
 私も、全同志のますますのご健康とご多幸と無事安穏を、祈りに祈っていく決意である。「無事即勝利」である。火事や交通事故は絶対にないように気をつけていきたい。
12  人生も勝負、仏法も勝負、すべてが勝負である。戦いがあるから、人生はおもしろい。
 何があっても「広宣流布のために」――その強き一念で進むことだ。「正義の心」が「創価精神」である。
 なかんずく青年部のリーダーは、見栄や気取りをかなぐり捨てて、死にもの狂いで戦うことである。真剣勝負の鍛えがなければ、一騎当千の人材にはなれない。
 戦いは、先手を打ったほうが勝つ。戦いは、攻めぬいたほうが勝つ。戦いは、団結し、呼吸を合わせたほうが勝つ。そして「法華経に勝る兵法なし」である。
 世界の歴史に残る、断固たる完勝の誓願をもって、世界第一の新年勤行会で、朗らかに、また朗らかに、さつそうと所願満足のスタートを切ってまいりたい。
 お帰りになられましたら、各方面・各県の大切な尊き同志に、くれぐれも、一年間の御礼を申し上げてください。本当にありがとう! どうか、よいお年を!
 (創価文化会館)

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