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日蓮大聖人・池田大作

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第五十二回本部幹部会、関西代表幹部会、… 「第三の千年」へ人間主義の鐘を鳴らせ!

2000.12.14 スピーチ(2000.11〜)(池田大作全集第92巻)

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2  リーダーは、こまやかな心配りができる人であっていただきたい。たとえば、会合ひとつ行うにしても、具合の悪い人はいないか、お腹はすいてないか、トイレは大丈夫か――そういう小さな点に最大に配慮していただきたい。遠くから駆けつけた人がいれば、最大に称え、宣揚してあげることも大事である。
 形式ではない。心こそ大切なのである。すべては、指導者の知恵で決まる。愛情で決まる。そういうリーダーがいる組織は栄えていく。
 先ほどは、すばらしい「歓喜の歌」の大合唱であった。
 (幹部会の席上、「関西吹奏楽団」の演奏で、「関西男声合唱団」と「あけぼの合唱団」が、会場の参加者とともに、ベートーヴェンの交響曲「第九」のメロディーに乗せて、「創価歓喜の凱歌」を歌い上げた)
 日蓮大聖人も「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」と仰せである。
 皆さま方の大合唱は、この十年間の、そして二十世紀のすべての戦いに勝利の決着をつけた創価学会の「大歓喜の凱歌」であったと、私は宣言したい。(拍手)
 創価学会は勝った! 嫉妬による幾多の中傷・批判をはねのけ、皆さまの力で、すべてに勝った!(拍手)
3  苦悩を通して歓喜を手に入れる――ベートーヴェン
 楽聖ベートーヴェンは、一七七〇年の十二月十六日生まれ。本年(二〇〇〇年)は、生誕三百三十周年である。彼は言った。
 「有限な存在でありながら無限の精神をもつ私たちは、ひたすら苦悩し、そして歓喜するために生まれてきました。それで、ほとんど次のように言えると思います。最も優れた人たちは苦悩を通して歓喜を手に入れるのです」(「ベートーヴェンの言葉」國安洋訳、『ベートーヴェン全集』7所収、講談社)
 苦しんだり、悩んだりするから、喜びも大きいのである。仏法で説く「煩悩即菩提」、また「生死即涅槃」、そして「衆生所遊楽」の法理にも通じる、深い洞察である。
 私たちも、あらゆる苦難と戦い、勝ちぬいてきた。
 もはや、だれ人も絶対に、私たちの「大歓喜の歌声」を邪魔することはできない。「歓喜の歌」とともに、いやまして、威風堂々たる前進を開始してまいりたい(拍手)
4  ベートーヴェンは、こうも言った。
 「憎しみは、憎んだ入自身のうえにふりかかってくる」(『音楽ノート』小松雄一郎訳編、岩波文庫)
 まったく、そのとおりである。仏法でも、「還著於本人だ」(法華経普門品)と説く。
 (「還って本人に著きなん」と読む。法華経の行者を迫害しようとする者は、還ってみずからの身に、それを受けるようになること)
 十年前(一九九〇年)、「歓喜の歌」を歌うわれわれを妬み、憎み、苦しめた輩が、今、どのような報いを受けているか。あまりにも峻厳な仏法の因果の現証は、皆さまの眼前に明白である。
 (十年前の十二月、池田名誉会長の総講頭罷免という暴挙に始まった日顕宗の学会破壊の策謀は、ことごとく失敗に終わり、仏法の正邪は厳然と明らかになった。さらに、シアトル裁判では、訴えた側の日顕自身が、法廷で「春買法主」に認定されるなど、まさに自業自得、還著於本人の姿をさらしている)
5  女性こそ二十一世紀の光
 今回訪れた、シンガポールでも、マレーシアでも、香港でも、わがSGIの友は、立派に活躍していた。生き生きと、はつらつと社会に貢献しながら、見事に発展していた。
 なかでも、女子部、婦人部の活躍が、まばゆいほどに光っていた。まさに「女性の世紀」の希望の開幕を強く実感する日々であった。社会全体においても、女性の存在が、みずみずしい活力の源泉となっている。
 シンガポールの地では、皆さま方を代表して、オーストラリアの名門シドニー大学の「名誉文学博士」の学位記を拝受した。同大学のクレーマー総長も著名な女性教育者であられた。(クレーマー総長は、オーストラリアにおいて、教育界では二人目となる「人間国宝」に選ばれている)
 私への「推挙の辞」を述べてくださったキンニヤ副総長補も女性であられた。
 マレーシア国立プトラ大学の名誉学位特別授与式でも、女性のカマリヤ教育学部長が「推挙の辞」を朗々と読み上げてくださった。
 そして香港で、ご招待をいただき、語りあった陳方安生ちんほうあんせい(アンソン・チャン)政務長官も、さっそうたる女性指導者であられた。香港では、行政長官に次ぐ、ナンバー・ツーの重要な立場にある方である。会談の席上、長官は「人間関係が重視される部門では、女性のほうが優れています」と明快に語っておられた。
 今、時代は、音をたてて変わっている。社会でも、団体でも、これからは、女性を尊重し、女性を大切にしたところが栄えていく。今の日本の社会も、また創価学会も、女性の力が、もっと伸び伸びと発揮できるようになれば、もっと全体が勢いを増し、もっと良い方向へ進んでいくことは間違いない。
6  ドイツの大詩人シラーは謳った。
 「男性はあくことのない意欲をもって敵をつくり/あらがうものを踏みしだいて/とどまることなく/人生の野を突進する。/つくっては こわし/欲望はひしめき合ってやすまない」(「女性の気高さ」手塚富雄訳、『シラー』〈『世界文学大系』18〉所収、筑摩書房)
 しかし、「女性たちは道義の王笏おうしゃくをもちつづける。/燃えたつ不和の炎を消しとめ/憎みあう力と力に/手をとりあうすべを教え/避けあうものを 結びあわせる」。(同前)
 男性に比べて、女性は、たとえ意見が対立し、けんかしかかっても、なんとか話しあって、仲良く進んでいく知恵をもっている――そう詩人は称えているのである。
 聡明な女性の周囲には「平和」と「和楽」の勢力が、だんだんと、できあがっていく。
 大聖人は、「女子おなごは門をひら」と仰せである。
 広宣流布の永遠の前進にあって、「福徳の門」を開き、「希望の門」を開き、「常勝の門」を開くのは、女性である。なかんずく女子部である。一家においても、女子部の存在は、お父さんも、お母さんも、そして、きょうだいも、自然のうちに引っ張っていく不思議な力を持っている。
 外部の識者のなかにも、女子部の姿を通して、学会の理解を深めたという方々が数多くいらっしゃる。もう亡くなられたが、かつて、作家の有吉佐和子さんと語りあった。彼女は、キリスト教徒ではあるが、学会の女子部のすがすがしい姿に共感を寄せ、学会への理解を深めておられたようだ。
7  女子部を最大に大切に
 戸田先生も、ユーモアをこめて、″来世、自分は世界的美人に生まれて、一閻浮提の広宣流布のために大いに働きたい″と、一つの例えとして語っておられた。
 (一九五四年十二月十九日の女子部第二回総会での講演「女子部に与う」で。
 「法華経の法師品第十のなかに、『生まれんと欲する国に生まれる』とあるから、来世は女に生まれようと思う。しかし同じ女でも、希望とするところは、まず美人であることであります」「頭がよい女で、スマートで、きりょうがよくて、世界的美人です。それで、もちろん、写真が売れると思う。そして、サインを求めるであろうが、信仰しないものには、けっしてサインをしてやらぬ」「広宣流布のために、おおいに働こうと思います」)
 ともあれ、女子部こそ、広宣流布の花であり、宝である。ゆえに女子部を、最大に支え、もり立て、応援してまいりたい。女子部が輝けば輝くほど、創価学会も光り輝いていくのである。
8  ジョルジュ・サンド(一八〇四年〜七六年)といえば、フランスの有名な女性の作家である。彼女は「友情の共和国」をめざし、勇敢に行動した。
 その理想を、こう語る。「最も尊敬される人間は最も学問のある人間では決してない。最も聡明で、最も誠実な人間なのだ」(ミシェル・ベロー編『サンド――政治と論争』持田明子訳、藤原書店)
 大賛成である。聡明さと誠実さ――私も昔から、これを大切にしてきた。
 さらに、サンドは言う。「おお、民衆よ、あなた方はかくも善良であるゆえに、何と力強いことか! あなた方は最良の友だ」(同前)
 「中傷したければするがいい。かくも聡明で、かくも好感の持てる民衆は、真の友人を見分けることができるし、今後も、できるだろう」(同前)
 善良な民衆が織りなす、うるわしき友情の世界――これが創価学会である。有名人でも、権力者でもない。聡明な民衆を友とし、味方にしていけばよいのである。
9  学会は草創以来、生き生きと輝く女子部が、広宣流布の原動力であった。どうか、わが関西女子部は、先輩たちのごとく、全国の模範となり、先頭に立って進んでいただきたい。(拍手)
 それはむずかしいことではない。皆が仲良く、連携しあい、スクラムを組んで進んでいけばよいのである。家庭では良き娘となり、職場では、皆に慕われ、信頼される存在となっていくことだ。
 今の女子部の世代こそ、「第二の『七つの鐘』」を打ち鳴らしゆく方々である。母子ともに、歴史を飾りゆく使命の方々である。
 今の女子部によって、二十一世紀の百年の動向が決まる。学会が発展するか、衰亡するか、それは女子部で決まるといっても過言ではない。
 ゆえに、壮年部も、男子部も皆、女子部を大事にしていただきたい。応援してもらいたい。女子部の友が楽しく、朗らかに、安心して前進できるよう、真心の協力をお願いしたい。(拍手)
10  目標を持った人々が時代を変える――ネルー首相
 一九三〇年(昭和五年)の十月、創価学会創立の一カ月前のことである。獄中で戦っていた、後のインド首相、ネルーはつづった。ネルー首相も、ここ関西に足跡をしるした一人である。
 「いったん時が熟して、ひとびとが大きな目標をつかみ、それに確信をもつようになると、たとえ単純な、平凡な人たちでも、英雄になり、歴史は動きはじめ、大きな転換がやってくる。そして偉大な指導者たちがかれらの間にあらわれて、全人民に生気をふきこみ、そしてかれらに大きな事業をなしとげさせる役目を果す」(『父が子に語る世界歴史』1、大山聴訳、みすず書房)
 民衆が動けば、歴史が動く――これが古今東西の世界史を俯瞰したネルーの歴史観である。恩師戸田先生の確信も同じであった。
 わが創価学会は、まさしく、牧口、戸田両先生という偉大な指導者とともに、名もなき庶民が立ち上がり、英雄となって、歴史を動かしてきた。
 そして、いよいよ二十一世紀――今また、「時」は熟した。既成の勢力が崩れ、新しい力が台頭する「地殻変動の時代」に入った。新旧の実力が伯仲する「チャンスの時代」といえる。同時に、それだけ危険をはらんだ時代でもある。
 私たちは、今こそ「平和と人道の世紀」を開く絶好のチャンスととらえたい。目覚めた民衆の連帯で、栄光の金字塔を打ち立てたい。
 きょう、関西戸田記念講堂に着いた時、曇天を突き破って、まばゆい光が差した。あの太陽のごとく、混沌とした世界に希望の光を送りたい。それが創価学会の使命である。
 今こそ、関西をはじめ全国、全世界の同志が、一人ももれることなく、「広宣流布の英雄」として不滅の大偉業を残していただきたい。大福運に輝く自信を建設するチャンスである。ただ平々凡々と時を過ごし、遊び暮らすだけの人間には、真の歓喜も、充実もない。人生の最終章はわびしい。
11  アインシュタイン博士は語っている。
 「わたしたちの生きる現代は、科学上の発見と、それにもとづく技術的な応用という分野で、すばらしい発展をとげつつあります。このことを喜ばない人は、いないでしょう。
 しかし、わたしたち人類を幸せにするのは、知識や技術だけではないのだということを、忘れないでください。人類社会においては、もっと高いモラルをもとうと主張したり、人間の精神的価値の高さをうったえる人たちのほうが、客観的な事実を発見する者よりも上におかれるものなのです」(フィオナ・マクドナルド『アインシュタイン』日暮雅通訳、偕成社)
 人間の精神的価値の高さを訴える――まさに学会活動である。ゆえに、皆さまこそ、人類最高の尊い人々である。人生最高の道を歩んでいる。
 妙法を持った人間以上に尊貴な存在はない。そう日蓮大聖人は繰り返し仰せである。どうか、この大確信をもって、誇り高く進んでいただきたい。(拍手)
12  きょうは、「世界の関西」での意義深き本部幹部会に、ヨーロッパの議長、イタリアの理事長、ユゴー文学記念館の館長、フランスの書記長、スウェーデンの副本部長、さらにイギリス、オランダの代表が出席してくださっている。
 またイタリアのオペラ歌手であるSGI副芸術部長ご夫妻、そしてはるばるブラジルのマナウスから、アマゾン自然環境研究センターで研究に励む創価大学出身の方も参加してくださった。
 さらに、アメリカ、ブラジル、アルゼンチンをはじめ各国の理事長、婦人部長、青年部長等から、数多くの祝福のメッセージが寄せられている。
 さらに、今回訪問したシンガポール、マレーシア、香港の理事長、そしてシドニー大学の式典に駆けつけてくださったオーストラリアの理事長等から、「世界の模範である常勝関西の同志に、また、日本の全同志に、くれぐれもよろしくお伝えください」と、真心からの伝言があったことを、つつしんで、ご報告させていただく。(拍手)
13  二〇〇一年から新しき「七つの鐘」が
 ドイツの詩人シラーは、「鐘の歌」という有名な詩を詠んだ。
 その中に、こういう一節がある。「鐘は愛すべき人達を集めて 和合させ、親密に団結させるのだ。そしてこれが鐘の今後の使命だ」「平和こそこの鐘の第一の響にてあれ」(木村謹治訳、『シラー選集』1所収、冨山房)
 世界は今、新しい世紀、新しい千年の夜明けを告げゆく、高らかな「平和の暁鐘」を待ち望んでいる。弱々しく、もの悲しい哀音では、人々を覚醒させることはできない。汝自身の中に眠る、尊極なる生命に皆を目覚めさせていく、鮮烈な「哲学の鐘」が必要なのである。
 あらゆる人々を、平和の方向へ、希望の方向へ、幸福の方向へ、繁栄の方向へと和合させ、団結させていく鐘は、どこにあるのか。力強く、勢いのある、妙なる歓喜の響きは、どこにあるのか。
 心ある世界の知性は、それを創価学会の「人間主義の鐘」に求め始めた。
14  ご存じのとおり、これまで創価学会は、「七つの鐘」を七年ごとに打ち鳴らしながら前進してきた。「七」は「南無妙法蓮華経」の七字にも通ずる。
 第一の「七つの鐘」は、学会創立の昭和五年(一九三〇年)から、昭和五十四年(七九年)までの五十年間であった。そして創立七十周年の佳節を飾り、明年の二〇〇一年から二〇五〇年へ、いよいよ第二の「七つの鐘」がスタートする。
 かつて私は、ここ関西の地で、二十一世紀、二十二世紀、そして、はるか二十三世紀までの壮大なビジョンを語りあった。(九七年五月十七日、関西代表者会議)
 まず、第二の「七つの鐘」を打ち鳴らす、二十一世紀の前半の五十年では、アジアをはじめ世界の平和の基盤をつくってまいりたいと、私は申し上げた。そのとおりに私は祈り、一つまた一つと、手を打ち続けてきた。今回、私がアジアの各地を訪問したのも、この二十一世紀の構想の上からの新たな第一歩である。
 続く第三の「七つの鐘」を鳴らす二十一世紀の後半では、「生命の尊厳」の哲学を時代精神にし、世界精神へと定着させたい。さらに、第四の「七つの鐘」に当たる二十二世紀の前半には、世界の「恒久の平和」の崩れざる基盤をつくりたい。その基盤の上に、第五の「七つの鐘」が高鳴る二十二世紀の後半には、絢爛たる人間文化の花が開いていくであろう。
 それが実現すれば、第六の「七つの鐘」、第七の「七つの鐘」と進みゆく。日蓮大聖人の立宗千年(二二五三年)を迎える二十三世紀の半ばごろから、新たな展開が始まるであろう。
 このように私は、未来の遠大な展望を、深い決意と願望と確信をこめて、関西の同志と語りあった。
15  はるかな未来のためにも、二〇〇一年からの最初の七年間が大事である。なかんずく、明二〇〇一年が、一切の勝負を決する年となろう。
 明年は、「牧口先生の生誕百三十周年」であり、待望のアメリカ創価大学オレンジ郡キャンパスが開学する。また、「戸田先生の会長就任五十周年」、そして「聖教新聞の創刊五十周年」でもある。さらに、世界一の婦人部も、また後継の男子部、女子部も、「結成五十周年」の佳節を迎える。
 二〇〇二年は関西広布五十周年。この年に向かって、関西は「一万五千地区への拡大」を進めることを発表した。すばらしいことである。
 そして二〇〇五年には、SGIの発足三十周年を迎える。発足時、SGIは五十一カ国・地域。十年前の宗門事件の時には、百十五カ国・地域であった。それが、今では百六十三カ国・地域へと大発展することができた。これもすべて、皆さまのおかげである。(拍手)
 今後もさらに、平和と文化と教育のネットワークを着実に広げてまいりたい。
16  御聖訓には、「一切のことは、国により、時によることである。仏法は、この道理を必ずわきまえていくべきである」(御書1579㌻、通解。以下、同じ)と仰せである。
 この御文のとおりに、学会は実践してきた。
 どのような国であっても、どのような時代であっても、仏法の「随縁真如の智」には、絶対に行き詰まりがない。異なる文化、異なる社会の中にあっても、見事に調和しながら、人々の幸福のため、国家の繁栄のため、世界の平和のために、最大に貢献していくことができる。これが、大聖人の仏法を持った私たちの信仰の力なのである。
 そして二〇〇六年は、「戦う壮年部」の結成四十周年。二〇〇七年には、「英知の学生部」が結成五十周年を迎える。学生部の皆さん、きょうは大学会の結成、本当におめでとう!(拍手)
17  尊いのは「精神的価値」を訴える人――アインシュタイン
 アインシュタイン博士は、同時代の人々に、こう語った。(一九三一年)
 「この世代を、人類の歴史上最大の一歩を進める、世代たらしめましょう。この世代をして、戦争の野蛮さを永久に追放した世界という、量りがたい遺産を未来の世代に残さしめましょう。われわれが決意すればできるのです」(O・ネーサン、H・ノーデン編『アインシュタイン平和書簡』1、金子敏男訳、みすず書房)
 博士は、関西でも議魔している。(一九二二年十二月。十日に京都、十一日に大阪、十三日は神戸、十四日には京都で)
 大阪の講演会場は、中之島の大阪市中央公会堂であった。
 ともあれ、関西の皆さまは、明年(二〇〇一年)、第二の「七つの鐘」を乱打しながら、勇気と希望の声を、はつらつとあげていっていただきたい。慈悲といっても、勇気と希望をあたえることである。そして「永遠に常勝の関西、断固、ここにあり!」と、「平和と人道の連帯」へ先頭を切って前進していただきたい。私は関西に期待する! 関西を信ずる!(拍手)
18  人類にもっとも貢献した人とは、どういう人か。
 アインシュタイン博士は言う。大事なのは、価値ある課題を示して、人々を向上させていくことだと。
 「人間を向上させその資質を豊かにするのは、研究の結果ではなく、相互理解への努力、生産的であると同時に包容力に富む精神活動であることは間違いない」(『アインシュタイン選集』3、井上健・中村誠太郎訳、共立出版)
 世界的な物理学者の洞察である。生産的で包容力に富んだ精神活動――そのとおりの正しき軌道を学会は進んでいる。
 広宣流布という「最高の精神活動」の第一線に立つ皆さま方である。大聖人がほめ称え、三世十方の仏菩薩が厳然と守りゆくことは間違いない。私たちの学会活動、友好活動、精神活動は、すべて二十一世紀を先取りしている。ここに世界の指導者が求めてやまない理想があることを知っていただきたい。
19  新しき前進の力に、哲人の言葉を贈りたい。
 インドの詩人タゴールは叫んだ。「人々の間に結合をもたらし、平和と調和を築くことこそが、文明の使命である」(「文明の危機」森本達雄訳、『タゴール著作集』8所収、第三文明社)
 平和そして調和――これが文明の使命である。それを実現するのは第三文明である。唯心主義でもなく、唯物主義でもない。色心不二の哲学を根本とした第三の道を、世界が志向する時代に入った。
 フランスの文豪ユゴーは、つづった。「謀叛人は常に自分の罠で亡びる」(「ふたご」宮原晃一郎訳、『ユーゴー全集』7所収、ユーゴー全集刊行会)
 これれが反逆者の末路である。
 同じくフランスの作家アンドレ・マルロー氏。氏とは三度、語りあった。ご自宅にもうかがった。(七四年に東京で、七五年にはパリ郊外のマルロー氏の自宅で対談)
 たいへんに頭脳明晰な方であられた。アメリカのケネディ大統領とも親交があった。
 氏は記している。「革命にあって最大の力をもつものは希望だ」
 信仰は「永遠の希望」である。どうか、大いなる希望をもっていただきたい。
 さらに、ベートーヴェンが日記に記した言葉がある。「なすべきことは、この世に多い。それを直ちに行え」(津守健二『ベートーヴェンの言葉』朝日新聞社)
 これが彼の信条であった。決意即行動である。スピードが勝負である。
20  異体同心の団結で勝利のスクラム
 ここで、御書を拝したい。大聖人は、四条金吾に代わって筆をとられた「頼基陳状」で、こう仰せである。
 「(祈雨の勝負に敗れた良観が大聖人に対して)尽きることのない譲言を構え、(大聖人を)死罪にさせようと企てた」(御書1158㌻)
 正義の人間を妬み、悪者にしたてようと、陰謀をめぐらせ、いわれなき中傷を加える――迫害の構図は今も同じである。
 また大聖人は、門下に対して、こう戒めておられる。
 「総じて日蓮の弟子は京都に上ると、初めは(初志を)忘れないようであるが、後になると、天魔がついて正気を失ってしまう」(御書1268㌻)
 当時、京都は貴族文化の中心地であり、一部の弟子は、そこに行っただけで、自分が偉くなったかのように錯覚してしまった。要するに、見栄であり、気取りである。
 現代においても、「いい大学を出たから」「社会的立場が高いから」、自分は偉いのだと錯覚する人間がいる。慢心に狂って、信心を失い、最後は地獄の人生に墜ちていく――そういう虚栄の人生であってはならない。
 大聖人は、こうも仰せである。
 「日蓮の弟子のなかに、異体異心の者がいるならば、それは、例えば、城を守るべき人間が城を破るようなものである」(御書1337㌻)
 二十一世紀の百年間、創価学会は、さらに「異体同心の団結」で、勝利のスクラムを組みながら、すばらしき前進の歴史をつくってまいりたい。
 皆、百年間は生きていられないかもしれないが(笑い)、戦いぬいた魂は永遠である。また、後継の青年がいる。お子さんや、お孫さんがいる。日蓮大聖人の仏法の「永遠の証明者」として、また「永遠の勝利者」として、誉れ高き大福運を積んでいっていただきたい。
21  創立七十周年の記念として、関西の同志の皆さまに和歌を贈りたい。
  大関西
    断固と築けり
      常勝の
    大城 輝き
      三世に不滅と
  
  日本一
    否や
      世界第一と
    広宣流布の
      大関西かな
  
  共々に
    元初に誓いし
      同志なば
    恐るるものなし
      勝利 勝利と
22  皆さま方が、いつまでもご健康で、頑健なる身体と信心をもって、「人間王者」の、また「人間横綱」の大力を発揮しながら、悠然たる勝ち戦の一生を、一日一日、忍耐強く、つくりゆかれんことを切望して、私のスピーチを終わりたい。
 きょう、お会いできなかった方々にも、くれぐれも、よろしくお伝えください。
 この一年間、本当にありがとう。どうか、最高のお正月をお慇えください。
 (関西戸田記念講堂)

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