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日蓮大聖人・池田大作

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世界広布四十周年記念マレーシア創価学会… 二十一世紀へ「黄金の扉」は開いた!

2000.12.1 スピーチ(2000.11〜)(池田大作全集第92巻)

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2  今回の訪問では、国立プトラ大学において、光栄にも、私は「名誉文学博士号」を頂戴した。この栄誉を、何よりもまず、わがマレーシアの同志の皆さまとともに分かちあわせていただきたい。
 まことに荘厳な儀式であった。式典のすみずみまで、関係者の皆さま方の真心がこもった温かな歓迎に感謝は尽きない。
 プトラ大学の先生方も、マレーシア創価学会の皆さま方の社会貢献を、心から賛嘆されていたことを、私は、つつしんで、お伝えさせていただきたい。(拍手)
 また昨日(十一月三十日)は、新しい首相府で、マハティール首相と再会し、「二十一世紀のマレーシアと世界」を見つめて、有意義に語りあった。二年前の九月、「第十六回共和連邦競技大会」で皆さま方が披露された、あの見事な「五千人の人文字」も話題になった。首相もあらためて感嘆しておられた。
 滞在中の一日一日、皆さま方とともに、「黄金の歴史」を刻むことができた。すべて、皆さまのおかげである。心から御礼申し上げたい。(拍手)
3  「心の財」こそ三世永遠の宝
 それは、三百年ほど前の貴国マレーシアの物語である。ある少年が、来る日も来る日も、お父さんから、語学の勉強を仕込まれていた。
 遊び盛りの年齢である。ある日、少年は、とうとう「もう勉強はいやだ!」と訴えた。
 皆さま方にも、経験があるかもしれない。だが、その時、お母さんは、少年を頭ごなしに叱らなかった。ここが一つのポイントである。
 お母さんは、優しく諭すように、なぜ学ぶことが大事なのかを語って聞かせたのである。
 「もし、私たちがあなたにある程度の財産を残したとしても、あなたの運が悪ければ、それは一瞬のうちに目の前から消え失せてしまうでしょう。しかし立派な知識と学問は、そのようなものではありません。命があなたの体から離れて行く時に始めて、それは離れて行くのですよ」(『アブドゥッラー物語』中原道子訳、平凡社)と。
 これは″マレー文学の古典″と言われる『アブドゥッラー物語』の一コマである。この少年アブドゥッラーは、やがて、母の期待に応えて、″言語の教師″として歴史に名を残していった。
 このお母さんの教訓は、まことに含蓄が深い。わがマレーシア婦人部のように、聡明にして、懐の深い智慧と哲学の言葉である。
 どんなに、お金があっても、気まぐれな運命の嵐の前では、はかないものである。それに対して、深く身につけた教養や技術は、たしかに、一生の財産となる。だからこそ、教育が大事なのである。
4  日蓮大聖人は、「蔵の財よりも身の財すぐれたり」と仰せである。しかし、この優れた「身の財」も、決して永遠のものではない。生老病死など人生の根源的な苦悩は、身の財だけでは打開できない。
 では、不滅なる人生の宝はあるのか。いかなる残酷な運命にも壊されず、三世永遠に輝く黄金の価値は、いったい何なのか。
 大聖人は、明確に「身の財より心の財第一なり」と結論されている。
 「心の財」とは、一言でいえば、生命の内に築いた豊かさであり、究極的には「信心の福徳」である。「永遠の大法」とともに生きぬけば、その人生も三世永遠に輝く。「広宣流布の使命」に徹すれば、その境涯も宇宙大に広がっていく。
 わが生命に積んだ福運だけは、不滅である。だれも奪えない。だれも壊せない。だからこそ、「心こそ大切」なのである。
 日々、無上の善根を積みゆく皆さま方こそが、無量無辺の「心の財」に解まれた、最極の″生命の長者″である。
5  「苦労」が青年を強くする
 また、このお母さんの話は、若い時代の努力がいかに大事であるかを物語っている。努力した分だけ、力がつく。苦労した分だけ、自身を磨き、成長できる。それが、因果の理法である。
 いわんや、広宣流布のための労苦には、一切、無駄がない。
 「陰徳あれば陽報あり」である。また、「皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり」と仰せである。
 人生の真実の勝利者とは、みずから苦労して、自己の生命を金剛不壊なる生命にと鍛え上げた人である。どうか、わがマレーシア青年部の皆さまも、法のため、人々のため、社会のために流す労苦の汗は、すべてが「人格」と「福徳」の黄金の輝きとなることを確信していただきたい。
 長い人生には、思うようにいかないことも、多々ある。現実の社会は、矛盾に満ちている。
 「娑婆世界」の「娑婆」とは「堪忍」、すなわち、堪え忍ばねばならない世界という意味である。ゆえに、仏の別名を「能忍(よく忍ぶ)」という。
 すべてが順調であれば、人間は、増上慢になってしまい、最後の人生が敗北になってしまう。さまざまな悲しいことや苦しいことを耐えぬき、勝ち越えてこそ、真に鍛えられる。その人生こそが、最後に光り、勝利する。
6  仏法は自分自身の建設のために
 勤行について、若干、申し上げておきたい。
 どうしても疲れていたり、病気や、やむをえない状況でい「五座三座」の勤行ができない場合もあるかもしれない。そういうときは、たとえば
 方便品と自我偈と題目、あるいは題目三唱だけでもいいと私は思う。
 たとえ一遍の題目でも、無量の功徳がある。大事なのは、持続することである。前進することである。水の流れるように、信心を持ち続けることである。また、大変な状況にある同志のことを、温かく励まし、支え、大きな心で見守りながら、ともに前進していっていただきたい。
 何があっても、妙法だけは手放してはいけない。学会から離れないことである。そこに絶対の「幸福の線路」があるからだ。列車から降りてしまえば目的地には行けない。それと同じように、人生の根本の軌道から外れないことである。
7  仏法は、「人間は一個の小宇宙である」と教える。これは、現代科学の最先端とも一致する。
 仏典では、両目は「太陽」と「月」になぞらえる。頭が丸いのは「天」。髪は「星」。すると、抜けた髪の毛は「流れ星」か(笑い)。眉は「北斗七星」。息は「風」。体の節――曲がるところは全部で約三百六十節あるといわれる。これは一年を意味する。お腹のほうは温かいので春・夏を表す。背中のほうは冷たく硬いので秋・冬を表す――というように、体が一個の「小天地」であることを詳しく説いている。(御書には「頭のまどかなるは天にかたど」云々と)
 小宇宙である自分自身と大宇宙が交流していく儀式が勤行なのである。私たちは毎日、法華経寿量品の「自我偈」を読誦している。
 自我偈は「自我得仏来(我、仏を得てよりこのかた)」の「自」で始まり、「速成就仏身(すみやかに仏身を成就せん)」の「身」で終わる。最初の「自」と最後の「身」で「自身」となる。すなわち、自我偈は、総じて言えば、「自分自身」の最高に尊貴な永遠の大生命力を謳い上げているのである。
 ある学者が語っていた。「今はインターネット時代である。情報はたしかに大事だが、それで人類が幸福になるとは限らない。科学でも、経済だけでも、幸福にはなれない。どうしても人間自身の探求に向かわざるをえない。そこに、今、哲学や精神性、なかんずく仏法の人間主義が求められるゆえんがある」と。
 妙法を信じ唱えれば、宇宙の法則に合致しながら、強い自分、豊かな自分、健康な自分、英知輝く自分、そして永遠に幸福の自分自身をつくっていける。「仏の十号」といわれる十の尊称が示すように、自身が福徳に包まれていく。
 ″幸福の官殿″を「自分自身」の中に築き上げていくための信仰なのである。
8  友情を結べ、大誠実で語れ!
 インドのネルー首相は、歴史を振り返って、こう語っている。
 「アショーカ大王は、熱心な仏教者となり、法を弘めるために全力を尽くした。しかし、それは、力や強制によったのではない。アショーカ大王は、ただ人々の心を勝ち取ることによって、仏法に帰依させたのである」
 ここに、仏法の大誠実の人間主義がある。広宣流布とは、「友情の拡大」であり、「信頼の拡大」であり、「幸福の拡大」である。
 貴国のことわぎに、「友情は、指と爪のように切り離せない」とある。
 SGMの友情と団結は、すばらしい。その誠意の光る振る舞い、そして団結と調和の美は、マレーシア社会の中で絶賛されている。また、各州のメンバーも、「団結と常勝」「和睦と団結」「永遠勝利」など、それぞれがテーマを掲げて、にぎやかに、楽しく、堂々と進んでおられる。
 釈尊は、同志の結合を「不敗の集い」と呼び、「善き友」と歩むなかに仏道修行のすべてが納まっていると教えた。
 うるわしき信心の団結の姿のなかにこそ、仏道修行があり、人生の勝利がある。
 反対に自己中心になり、同志を怨嫉したり、団結を乱したり、学会活動を侮辱したりして、広宣流布の妨害をすれば、自分が苦しみ、自分の生命を破壊してしまうことになる。
 それが、だれ人も逃れることのできない、仏法の厳たる法理なのである。
 どうか、皆さま方は、これからも、私が信頼する理事長を中心に、どこまでも仲良く明るく、前進していただきたい。そして、ペトロナス・ツインタワーが世界一であるように、「世界一の団結の人間城」を築き上げていっていただきたい。
9  御本尊に題目を唱えていけば、宇宙の一番の高みから、すべてを見おろしていくような大境涯になる。ゆえに、何も恐れるものはない。
 御聖訓には、こう仰せである。「法華経の行者は信心に退転無く身に詐親無く・一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥に後生は申すに及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得・広宣流布大願をも成就す可きなり
 十二年前、私は、二十世紀の広宣流布の総仕上げの前進を、マレーシアの皆さま方と開始した。そして、二十一世紀の広宣流布の黄金の扉もまた、私は、きょう、ここに、マレーシアの皆さま方とともに、晴ればれと開いてまいりたい。(拍手)
 貴国の限りなき繁栄を祈りたい。わがマレーシアの全同志のご健康とご長寿、そして一人一人が最高に幸福な人生を歩んでいかれることを、心から祈っている。一生涯、祈り続けていく。
 きょう、お会いできなかったすべての同志に、どうか、くれぐれもよろしくお伝えください。マレーシア創価学会、万歳!
 (マレーシア文化会館)

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