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日蓮大聖人・池田大作

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シンガポール・オーストラリア合同最高会… 「一人立つ勇気」が「師子王の心」

2000.11.26 スピーチ(2000.11〜)(池田大作全集第92巻)

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2  師から弟子へ魂の継承
 シンガポールとは「獅子の都」を意味することは、よく知られている。
 新しき出発にあたって、「獅子」の意義について、仏法の上から確認させていただきたい。
 このたび、中国語版の『御書全集』が完成した。創立七十周年を荘厳する歴史的な偉業である。
 SGIは、どこまでも「御書根本」に、日蓮大聖人の仰せのままに進む。
 仏法では、仏を「獅子(師子)」と呼び、仏の説法を「師子吼」という。
 大聖人は、「獅子(師子)」には「師弟」の意義があると説かれている。仏という師匠と共に生きぬくならば、弟子(衆生)もまた、師匠と同じ偉大な境涯になれることを教えたのが、法華経なのである。
 (「御義口伝」に「師子吼とは仏の説なり(中略)師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり」と。また法華経に「我が如く等しくして異なること無からしめん」〈法華経一三〇ページ〉と)
3  「師弟」といえば、一昨日、私が皆さま方を代表して「名誉文学博士号」の栄誉にあずかった、オーストラリア最古の名門シドニー大学の卒業式は、まことにすばらしかった。
 クレーマー総長が、卒業生に証書を授与されるたびに、慈母のごとく、一人一人に優しく声をかけられ、しばし対話されるのである。ともに未来を見つめての、そのうるわしい師弟の姿は、一幅の名画であった。ともあれ、師弟の関係は、高き精神性をもつ、人間だけがつくりえる特権である。芸術の世界にも、教育の世界にも、職人の技の世界にも、みずからを高めゆかんとするところには、師弟がある。
 「人生の師」をもつことは、生き方の規範をもつことである。そのなかでも、師弟がともに、人類の幸福と平和の大理想に生きぬく姿ほど、すばらしい世界はない。また、大偉業は一代で成し遂げることはできない。師匠から弟子へ、そして、そのまた弟子へと続く精神の継承があってこそ、成就される。
4  今日の、世界に広がるSGIの人間主義の流れも、初代会長牧口先生、わが師匠戸田先生、そして、私と、三代にわたる精神の継承によって、つくられたものである。
 この師弟の不二の共戦こそ、広宣流布を永遠ならしめる生命線である。
 この流れを、二十一世紀、そして第三の千年、さらに末法万年を潤す大河にするのは、いよいよこれからである。すべては、後継の弟子によって決まる。
 戸田先生は、よく言われていた。「大作がいれば、心配ない!」「君がいれば、安心だ!」と。
 私も今、「師子の道」を歩むシンガポールの皆さま方がいれば、世界の広宣流布は盤石である、安心であると確信している。
5  また、御書には、「師子王は前三後一と申して・ありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時も・いきをひを出す事は・ただをなじき事なり」と仰せである。
 「前三後一」とは、四本の足のうち三本を前に出し、一本を後ろに引く構えであり、師子王は、こうして、いかなる獲物に対しても、全力で立ち向かっていくとされている。つまり、つねに、どんな課題に対しても、全力で取り組み、一つ一つに勝利していくのが「師子王の生き方」である。
 大発展、大勝利といっても、日々の挑戦の積み重ねである。今を勝ち、きょうを勝つなかにしか、将来の栄光も、人生の勝利もない。
 さらに、蓮祖は仰せである。
 「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし
 「師子王の心」とは何か。それは、一言で言えば、「勇気」である。この勇気は、自分の外にあるのではない。自分の胸中にある。
 勇気は、特別な人だけがもっているのではない。だれでも平等にもっている。
 しかし、どれほど多くの人々が、この無尽蔵の宝を封印して、臆病、弱気、迷いの波間に漂流していることか。これほど、もったいない人生はない。勇気を「取り出して」、胸中の臆病を打ち破ることだ。
6  「強くあれ、誇りを持て」
 以前にも宣揚させていただいたが、貴国の国民的英雄リム・ボーセン(林謀盛)青年も、真正の獅子であった。第二次大戦中、日本の悪逆な侵略と戦いぬいた勇者である。
 彼は獄中にあって、日本軍の残虐な拷問に耐えぬきながら、同志に「強くあれ!」と語り、励まし続けていた。死を覚悟した彼は、牢獄から、最愛の妻に別れの手紙を書き送っている。
 「貴女は、私のために嘆いてはいけません。むしろ、貴女には、私の犠牲に誇りを持ち、子どもたちを立派に育ててほしいのです。そして、子どもたちに私の身に何が起こったのかを語り、私の志を継げるように導いてあげてください」(``THE PRICE OF PEACE'' 〈平和の代価〉シンガポール中華総商会、参照)と。
 さらに、リム青年は、子どもたちに、中国語と英語を、それぞれ時間を割いて勉強させること、できるならば、大学教育を受けさせてほしいことなどを、ことこまかに託している。
 リム青年は、三十五歳で、壮絶な獄死を遂げた。しかし、夫人は、夫の遺言どおり、彼の志を継ぎ、七人の子どもたちを女手一つで、立派に育て上げた。
7  二人の愛娘は、全員、学校の教師となり、教育に貢献した。四人の子息も、みな大学を卒業し、社会の使命の舞台で、活躍していった。
 母もまた、まことの獅子であった。シンガポール婦人部も、また女子部も、勇気の模範を、世界に堂々と示されている。
 「羊千匹よりも獅子一匹」とは、殉教の師牧口先生の口ぐせであった。獅子とは、二人立つ勇者」の異名である。この一人立つ勇気のなかに、信心の極意があり、人生の勝利の要諦がある。
 「願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ」。これが、大聖人の念願であられた。
 創価学会は、この「勇気」の王冠を戴いた獅子と獅子のスクラムであることを、深く心に刻んでいきたい。
8  「青年の心」でつねに挑戦、つねに開拓!
 さて、シンガポールは三十五年前の一九六五年八月九日、独立した。
 この日、私は、日本での夏季講習会に出席し、次代を担う青年たちの育成のために、汗を流していた。そして、ついにシンガポールが分離、独立となったことを知った。それは、厳しい試練の船出であった。
 私は、この新しき国家が、荒波を乗り越えて、繁栄の大海原を悠々と進みゆくことを祈った。
 シンガポールの独立後の歩みは、激闘につぐ激闘の連続であったにちがいない。しかし、民衆は心を一つにして果敢に前進し、国家の建設に取り組んでいった。勇敢に困難の波浪に立ち向かう、その挑戦の心こそ、小さくとも偉大なる「獅子の国」を支えてきた「精神の柱」であろう。
9  わがシンガポール創価学会も、今や大きく発展した。会館もすでに七会館となり、北部地域にも、八番目の会館が建設されることになった。
 「創業は易く、守成は難し」という言葉がある。人間の傾向として、いったん基盤ができあがると、たくましい挑戦心を失い、どうしても守りに入ってしまいがちである。だが、それからが本当の戦いであり、本当の挑戦が始まるのである。
 いかに環境が整おうが、建設期のみずみずしい情熱を、開拓の心を、決して忘れてはならない。
 人生はつねに攻勢に出ていくことである。徹して攻めることである。
 牧口先生は、七十代に入ってからも、青年門下を励まされながら、よく「われわれ青年は」と口にされていたという。生命の次元では、先生はつねに青年であられた。青年とは、決して年齢ではない。心の持ち方、生き方で決まる。
 若き日の誓いを忘れぬ人は青年である。生涯、師とともに、広宣流布の理想に生きぬく人は、青年である。現状を破り、一歩でも二歩でも前進しようという挑戦の人は青年である。傍観者にならず、つねに主体者となりゆく人は、青年である。
 この青年の心が、生き生きと脈打っている限り、無限の向上があり、発展がある。
 シンガポール創価学会の皆さんは、永遠に青年として、はつらつと、生きぬいていっていただきたい。
10  シンガポールの発展は「世界の未来図」を象徴
 イギリスの作家サマセット・モームは、半ば驚嘆の念をもって、「シンガポールは、何百という人種の交流点だ」(「手紙」中野好夫訳、『世界文学全集』20所収、河出書房)と書いた。
 ナザン大統領も、会見の折、「シンガポールは小さい国ですが、多民族、多宗教、多言語の国です」と言われていた。
 シンガポールは「東西の十字路」であり、「世界の縮図」である。そして、「世界の未来図」である。「シンガポール人」とは、「世界市民」の異名といってよい。
 私は、シンガポールに期待する。このシンガポールに、人類の明日を見る。シンガポール創価学会の発展が、世界広宣流布の発展である。シンガポール創価学会の勝利が、世界百六十三カ国・地域のSGIの勝利である。
 結びに、「世界融合の灯台・シンガポール万歳!」コ一十一世紀の旗手・シンガポール万歳!」と申し上げ、私のスピーチとさせていただきたい。
 オーストラリアの代表の皆さまも、遠いところ、本当にありがとう。
 両国の二十一世紀の発展を、私は深く念願している。皆さまのご健康と幸福を心から祈っている。
 どうか、お会いできなかった方にくれぐれもよろしくお伝えください。
 (シンガポール)

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