Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

九州代表協議会 創価の世界は生きる喜びのチャンス

2000.11.21 スピーチ(1999.10〜)(池田大作全集第91巻)

前後
2  中国の古典に、こんな言葉がある。
 「根深くして枝葉茂り、行久しくして名誉遠し」
 根が深く張ってこそ、枝や葉は盛んになる。同じように、善行を長く続けてこそ、名声は遠くまで伝わる――という意味である。後漢の学者・徐幹じょかんの言葉である。
 地域に信頼の根を張る。大誠実の行動を積み重ねる。そこに永遠の栄冠が輝くことを心に刻んでいただきたい。
 ルソーも述べている。
 「わたしは民衆の幸福がなければ幸福になれなかった」(桑原武夫『ルソー』岩波書店)と。
3  子どもは何があっても信じてあげる
 現在、私は、フランスのモリ婦人部長など三人の女性教育者の方々と「教育の語らい」を進めている。(=月刊誌『灯台』に「世界の友と教育を語る」を連載後、『母と子の世紀』〈全3巻〉と題して第三文明社から刊行)
 そのなかで、フランスでも、「不登校」が増加する傾向が見られると、うかがった。
 日本の文部省の「学校基本調査」によれば、小・中学校での(年三十日以上の)不登校は昨年(一九九九年)、十三万人を超え、過去最高となった。子どもも苦しんでいる。親の悩みも深い。
 これまで私は、さまざまな機会に、不登校の問題について、多くの教育者の方々、また、お母さん方と語り合ってきた。アメリカSGIの婦人部長も、同じ「教育の語らい」のなかで、お嬢さんが不登校を乗り越えた貴重な体験を率直に語ってくださった。
 そのなかで、親が、「何があっても子どもを信じてあげること」、そして、「ともかく、祈ってあげること」が大きなポイントだと思うと語っておられた。こうした親の愛情が、子どもの心を開く。
 「お父さん、お母さんが、自分のことを、心底、信じてくれている! 祈ってくれている!」この信頼の関係が、新しい一歩を踏み出す「勇気」となり、大きな「支え」となっていくのである。
 長い人生から見れば、こうした経験も、将来、必ず、生かしていくことができる。子どもの、より大きな成長の糧となっていく。ゆえに、決して、あせってはならない。世間体などを気にして、苦しんだりする必要もない。
 わが教育部の先生方が積み重ねてこられた尊い一万もの「教育実践記録」も、さまざまな示唆を与えてくれる。
 長年、この問題に取り組んでこられた教育部の先生は強調しておられる。周囲の心ある大人が、「子どもの言葉や振る舞いの奥にあるものを見て、悩んでいる子どもの不安や痛みを、わが痛みとして、分かち合っていくことが大切である」と。
 また「子どもの話を、しっかり聞いてあげ、受け止めてあげる。そして、太く、強い、信頼の絆を結んでいくことである」と指摘している。
4  大河のごとく、満々たる生命力を社会へ
 牧口先生は、若き青年教育者の時代、子どもたちを、毎朝、喜々として学校に登校させる力として、教師の「慈顔(慈しみにあふれた笑顔)」をあげておられた。教師に笑顔がなく、慈愛もなければ、子どもたちがかわいそうではないかと、訴えておられたのである。
 また牧口先生は、知識の詰め込みばかりに偏って、子どもを学校に閉じこめていくようなあり方が、子どもの精神と身体のバランスを崩し、生命力の衰弱をもたらすことを真剣に憂慮しておられた。
 牧口先生の有名な「半日学校制度」の構想は、どうすれば、心身の調和を図りながら、衰弱した子どもたちの生命力を蘇生させることができるかという思索の結晶でもあったのである。
 現在の不登校の背景にも、社会現象としての生命力の低下が指摘されている。
 その意味で、未来部の会合や、座談会など、学会の生命力あふれる世界の意義は大きい。
 牧口先生は校長時代、学校に来られない生徒をはじめ、全校児童の家庭を、自ら一軒また一軒と訪問していかれた。
 また、弁当を持ってこられない児童のために、ポケットマネーを割いて、昼食を用意された。日本の学校給食の先駆けとして有名である。この牧口校長の陣頭指揮によって、先生の学校では、児童が喜んで登校してくるようになった。
 一人の真剣な一念が、すべてを変える。御書には、一人の信心の力によって、世間の事で自分を支えてくれている、信心していない人々をも栄えさせていくことができると教えられている。
 すなわち、「大木の下の小木・大河の辺の草は正しく其の雨にあたらず其の水をえずといへども露をつたへ・いきをえて・さかうる事に候」――大樹の下の小さな木、また、大河のほとりの草は、直接、雨にあたることがなく、直接、水を得ることができなくても、自然に露を受け、水気を得て、栄えていくことができる――と仰せである。
 大仏法を持ち、広宣流布に生きる人は、生命力の「大樹」であり、「大河」の存在である。
 現代社会は、さまざまなストレスが渦巻き、皆が疲れ、元気を失っている。無量無辺の生命力に満ちあふれた学会の世界は、まさに希望と幸福のオアシスである。
 生き生きとした息吹、爛々たる目の輝き、さわやかな顔の色つやや表情、力強い声の響き、そして智慧と慈愛の励まし――。どうか、日々、満々たる生命力をたたえ、自分が出会う人々に蘇生の活力を送っていただきたい。
 「妙法を唱え、行じゆく私に縁する眷属が、不幸になるわけがない! 必ず幸福にしてみせる!」この強い確信と祈りで、筑後川の流れのような、豊かで、広々として、生きる喜びに満ちた友情の行進をお願いしたい。
5  小さな勝利の連続が永遠の勝利に
 戸田先生は言われた。「歴史を学ぶことは、史観を養うことだ」と。
 すなわち、過去の歴史を分析し、そこから、未来を勝ち抜く「智慧」と「教訓」を見いだしていくことを教えられたのである。
 私が若き日に学んだ一書に、有名な『プルターク英雄伝』がある。その中に、紀元前三世紀の一人の勇者が描かれている。その名は、マルケルス。「ローマの剣」と謳われた。
 強大な敵にもひるまず、「永遠の都」ローマを守った死闘は、よく知られている。
 当時、ローマは、敵国カルタゴの名将ハンニバルの猛攻の前に、敗戦が続いていた。(第二次ポエニ戦争)
 ローマの人々は、ハンニバルが、すぐにも都に攻め込んでくるであろうと、戦々恐々としていた。その上、都を守るべき指導者たちも、ハンニバルとの戦闘の矢面に立つことを恐れた。その時、奮然と立ち上がったのが、マルケルスである。すでに五十歳を超えた、歴戦の司令官であった。
 彼は、強大なハンニバル軍に対し、決して無謀な突撃はしなかった。敵のスキをつき、巧みに油断を誘いながら、各地で″小さな勝利″を収めていった。この″小さな勝利″の連続こそが、ローマの民衆を勇気づけ、勝利への限りない希望と確信を与えていったのである。
 マルケルスは、常に、困難な地域に、勇んで乗り込んでいった。敵に占領された領地を奪い返し、味方が窮地に陥ったと聞けば、すぐさま駆けつけた。
 リーダーの率先の勇気こそが、情勢を一変させ、攻勢に転ずる模範を皆に示し、最後まで戦わんとの勇気を沸騰させていったのである。
 英雄伝は記している。「彼(マルケルス)は、彼と交渉をもつ人々にたいしてきわめて寛容であり、多くの都市や個人にむかってもはなはだ仁慈(=深い愛情と恵み)に富んでいた」(『プルターク英雄伝』3、鶴見祐輔訳、潮出版社)と。
 この人間外交の力によって、マルケルスは、数々の敵をも、強力な味方へと変えていった。
6  執念こそ広布の闘争の真髄
 マルケルスが、宿敵ハンニバルに対し攻勢へと転じた決戦が、紀元前二一〇年、南イタリアでの戦闘である。戦いは、連日、熾烈を極めた。一進一退の攻防が続いた。
 しかし、いかに戦況が厳しくとも、マルケルスの陣営には、常に、夜明けとともに、「即時交戦」を合図する真紅の旗が、高らかに翻っていた。
7  ある時、マルケルスの軍は、壊滅的な打撃を受けた。しかし、やはり、その翌朝にも、この不屈の魂の旗は、勢いよく風に翻っていたのである。″勝負はこれからだ。さあ、かかって来い!″と。
 これを聞いたハンニバルは、思わず唸る。「幸運にも悪運にも心を動かさないこんな敵手を、どう処置したらいいのだろうか。彼(マルケルス)が勝てば、われわれを休ませない、彼が負ければ、彼自身が休まない。こんな敵手は彼一人だ。てば、必勝の確信に勢いを増し、負ければ雪辱の意気に燃えて、さらに戦闘を励んでくる。これでは、永久に彼と戦わねばならぬのであろうか」(同前)と。以前にも紹介した言葉である。
 敵が音をあげるほどの執念!――広宣流布の闘争の真髄も、ここにある。
8  広宣流布は、永遠に仏と魔の大闘争である。
 「如説修行抄」には、こう仰せである。
 「法王の宣旨背きがたければ経文に任せて権実二教のいくさを起し忍辱の鎧を著て妙教の剣を提げ一部八巻の肝心・妙法五字の旗を指上て未顕真実の弓をはり正直捨権の箭をはげて大白牛車に打乗つて権門をかつぱと破りかしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ念仏・真言・禅・律等の八宗・十宗の敵人をせむるに或はにげ或はひきしりぞき或は生取られし者は我が弟子となる、或はせめ返し・せめをとしすれども・かたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし
 ――(このような悪世末法の時に、日蓮は仏意仏勅を受けて日本国に生まれてきたのであるから、たいへんな時に生まれてきたのである。だが)法王(釈尊)の命令に背くわけに廃家内ので、一身に経文に任せて権教と実教との戦いを起こし、どんな難にも耐えて、一切衆生を救うという忍辱の鎧を着て、南無妙法蓮華経の利剣を提げ、法華経一部八巻の肝心たる妙法蓮華経の旗をかかげ、未顕真実の弓を張り、正直捨権の矢をつがえて、大白牛車に打ち乗って、権門をかっぱと破り、あちらへ押しかけこちらに押し寄せ、念仏・真言・禅・律等の八宗・十宗の謗法の敵人をせめ立てたところ、ある者は逃げ、ある者は引き退き、あるいは日蓮に生け取られた者は、わが弟子となった。このように何度もせめ返したり、せめ落としたりはしたが、権教の敵は多勢である。法王の一人は無勢であるから、今にいたるまで戦いはやむことがない――。
 「獅子王の心」を燃え上がらせ、「法華経の兵法」の力を引き出し、「忍辱の鎧」を着て、「破邪顕正の剣」を振りかざしながら、何ものにも崩されぬ、「広宣流布の永遠の都」を、大九州に断固、勝ち築いていただきたい。
9  今いる場所で勝て!
 御聖訓には「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」と仰せである。
 信心の戦いとは、どこか遠くにあるものではない。今、自分のいる境遇で勝つ。与えられた使命の場所で断じて勝つ――ということに尽きる。その足もとの勝利こそが、即永遠の勝利へと通じていく。また一家一族の大功徳となって輝いていくのである。
 中国の賢人・孔子は語っている。
 「寛なれば則ち衆を得、信なれば則ち民任ず」――寛大であれば、自然に多くの人々が集まってくる。信義を重んじれば、民衆は信頼する――と。
 「心こそ大切」である。リーダーの大誠実の振る舞いで、広布の勢いは倍加する。牧口先生は、九州の同志に、「自行化他の題目を唱えることが、いちばん大事です。自行化他の信心をすれば、悩みは必ず解決します」と語っておられた。
 自行化他の信心、すなわち「広宣流布の信心」を、どうか勇敢に、朗らかに、貫いていただきたい。
 私は一生涯、わが同志の皆さまのご健康とご活躍とご長寿、そして大福運の人生を歩まれんことを祈っております。本当にありがとう! ご苦労さま!
 (九州文化会館)

1
2