Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

九州最高協議会 大誠実の講堂が宗教の生命

2000.11.20 スピーチ(1999.10〜)(池田大作全集第91巻)

前後
1  九州から二十一世紀の勝利の旭日を
 創立七十周年を祝賀する九州最高協議会、おめでとう!(拍手)
 一年半ぶりに九州を訪問することができ、本当にうれしい。
 九州は戦った。九州は勝った。九州の大発展を私は最大にたたえたい。
 きょうは、広宣流布の最前線で、いつも大変にお世話になっている皆さまにおいでいただき、心から御礼申し上げます。役員の皆さま方も、本当にご苦労さまです。
 はじめに、ルソーの教育小説『エミール』から、いくつか紹介させていただきたい。
 「女性がその影響力を失っている時代、女性の判定が男性になにももたらさなくなっている時代は不幸なことよ。それは堕落の最後の段階だ。よい習俗をたもっていた民族はすべて女性を尊敬していた」(今野一雄訳、岩波書店)
 九州婦人部は「世紀の太陽」である。婦人部を尊敬し、大切にしていく模範を、九州は日本中、世界中に示していただきたい。
 「正義にたいするもっとも大きな報賞は正義を行なっていると感じることなのだ」(同前)
 創価学会は「正義の中の正義」の団体である。
 「弱さは、自分でつくりだすものだ」人生は強気でいけ!――これが、九州を愛しておられた戸田先生のご指導であった。そして「信仰の根本は心にある」。心こそ大切なれ――これが仏法の究極である。
2  七十年前、「創価教育」がハワイへ
 牧口先生の十回忌法要の席上、戸田先生は言われた。
 「私は弟子として、この牧口先生の残された大哲学を、世界に認めさせる!」「利善美の価値体系を、世界的哲学として認めさせるまで、私の代にできなければ、君らがやっていただきたい。たのみます」と。(昭和二十八年〈一九五三年〉十一月十七日)
 この戸田先生の宣言の通り、今や、牧口先生を世界中の知性が賞讃し、顕彰する時代に入った。『創価教育学体系』は、現在、海外六言語に翻訳され、世界各地で出版されている。(=二〇〇二年七月現在、英語、ポルトガル語、ベトナム語、フランス語、スペイン語、ヒンディー語、イタリア語、アッサム語、グジャラート語の海外九言語で出版)
 そして明二〇〇一年五月三日には、アメリカ創価大学が開学する。
3  じつは、今日の世界的な「創価教育」の広がりに先駆けて、『創価教育学体系』は、すでに、発刊の翌年の昭和六年春、太平洋の彼方のハワイでも学ばれていた、という史実も明らかになっている。
 当時、ハワイに住んでいた一人の日本人医師が、東京・神田の三省堂書店から取り寄せ、地元の日本人学校に寄贈したのである。
 その本には、この日本人学校の校長を務めていた故・井上重吉氏が、読んで記した書き込みが、随所に残されている。
 ハワイの地で、いち早く『創価教育学体系』を学んだ井上氏は、日本のどこの出身か? 九州・福岡であった。
 井上氏は、明治三十九年(一九〇六年)四月二日、福岡県八女(やめ)郡のお生まれ。八女中学に学んでおられる。九州広布の大功労者の親戚にあたる方である。
 この八女を、牧口先生は、三度にわたり訪れている。(一九三九、四〇、四一年)
 井上氏は戦後、日本に帰国した折に、日蓮大聖人の話も聞かれた。『創価教育学体系』を通して、牧口先生についてすでによく知っていたことを、大変、誇りにされていたようである。この井上氏のご親戚のお嬢さんが現在、創価大学に学んでおられる。
 井上氏の日本語学校の教え子には、のちにアメリカの上院議員となったスパーク・マツナガ氏がいる。高名な平和の指導者である。
 (名誉会長は、一九九五年、このマツナガ氏の名前を冠する「スパーク・マツナガ平和研究所」の「アロハ国際平和賞」を受賞している)
4  ハワイは、私が世界平和の第一歩を踏み出した天地である。そのハワイで、牧口先生の思想、創価の人間主義の「種」が、九州の教育者の胸中に蒔かれていた――この史実に、私は、深い感慨を覚える。
 御聖訓には、「仏種は縁に従つて起る」――仏になる種は法華経(御本尊)に縁したことによって引き出される――と仰せである。
 一冊の本でも、一度の語らいでも、そこで縁を結んだ分だけ、広宣流布の水かさは、必ず、無限に増していくのである。
5  牧口先生=自ら食事を作って友をもてなす
 ともあれ、牧口先生と九州の縁は、幾重にも刻まれている。先生は、九州の同志を、心から大切にされた。
 ある方が、はるばる東京のご自宅まで来られた折には、自ら食事を作り、もてなされることもあった。
 そして、九州での活動の様子を、じっくりと聞かれ、いろいろ質問をされながら、一つ一つ、噛んでふくめるように、指導していかれた。
 東京の座談会にその方を連れて行かれた時には、自分の横に座らせ、皆に紹介した。「この方は、九州で大変にがんばっておられる方です」と。この温かな励ましと人間愛こそが、仏法の世界である。
 牧口先生は自らも、何度も、九州に足を運ばれた。当時、東京―久留米間は、丸一日がかりの長旅であった。
 八女に着いて早々、牧口先生は疲れた様子も見せず、青年のような若々しい声を発しながら、仏法対話を始められた。
 新しく入会した友に対して、その翌日には、「折伏こそ宗教の生命です。さあ、さっそく実践に移りましょう!」と、一緒に長崎まで向かわれたという。
 また、学会精神について、さまざま話をされた後、「私の言ったことが、心からわかれば、それが口にも出るし、筆記もできる。この身口意の三業でわかることが、大事なのです」とも指導されている。
 さらに、牧口先生は、九州で厳然と言い残されている。
 「人間、相手が強く、地位などを利用して、圧迫してきた場合には、正当の理由がなければ頭を下げてはならない。堂々と主義主張を貫きなさい。また、反対に弱い立場にある人には、協力して助けてあげなさい」と。
 全員が、一人も残らず、総立ちになって、広宣流布の陣列に身を投じていく。また、会員一人一人にリーダーが、誠実に、こまやかに心を砕いていく。これが、牧口先生以来、九州の不滅の伝統である。
 九州は、牧口先生が築いてこられた「広宣流布の砦」である。
 この九州の砦さえ盤石であれば、創価学会は永遠に難攻不落であり、永遠に完勝の道を開いていくことができると私は信ずる。
6  アインシュタイン博士が日本の軍国主義に警鐘
 二十世紀を代表する科学者のアインシュタイン博士は、大正十一年(一九二二年)に来日。神戸、東京、仙台などを経て、最後に、北九州と福岡市を訪れている。
 東京の慶応大学での講演には、牧口先生、戸田先生が参加されたことは、皆さまも、ご存じの通りである。
 北九州の門司に到着したのは、この年の年末、十二月二十三日。二十九日に、門司から帰国の途につくまで、博多で講演したり、九州大学を訪問したり、少年少女とほほえましい出会いを重ねた。博士は、時間があれば、火の国・九州の阿蘇山にも行ってみたいと希望していた。
 博士が九州の人々に残した最も印象深い姿は、何であったか。
 それは、博士の学識とともに、その人格であった。二十世紀最高の頭脳である博士は、決して偉ぶったりはしなかった。
 宿舎の従業員に対しても、自ら気さくに声をかけ、常に笑みをたたえながら、丁寧な言葉を使った。
 「あたかも自分の故郷に帰ったような気がします」と心からの感謝を述べた。
 袴の少年や、かすりの着物の少女に自分から手を差しのべ、心温まる交流を結んだ。
 当時、博士に接した人々は、その振る舞いを、「他人を魅了する人格のきらめき」と語り残している。
7  ただし博士は、日本全般の印象について、こう語る。
 「いたるところに軍人を見かけ、平和を愛し平和を祈る神社にも武器や鎧が飾られているのは、全人類が生きていくのに不必要なことと思います」(博士の九州訪問の話は、中本静暁『関門・福岡のアインシュタイン』新日本教育図書を引用、および参照)
 博士は、日本の軍国主義の傾向に警鐘を鳴らしていた。
 その日本のファシズムに対し、平和の大仏法の本義を掲げて、断固、闘争していったのが、牧口先生であり、戸田先生であられた。
 アインシュタイン博士自身、ナチスの悪と戦い続けていた。
 断じて悪と戦うことである。極悪と戦えば、極善になる。反対に、悪を許せば、自分が悪になってしまう。
 また、悪と戦わなければ功徳は出ない。
 大聖人は「功徳」について「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」と仰せである。
 悪を責めることによって自分自身の濁った生命も滅し、清らかな心が生じる。これが「功徳」である。
8  「今、自分がいるその場で目的を遂げること!」
 アインシュタイン博士は、人々が悪の本質を見抜けないことに「正義の基本というものがわかっていない」(ウィリアム・ヘルマンス『アインシュタイン、神を語る』雑賀紀彦訳、工作舎刊、以下同じ)と悔しがった。
 ゆえに敵も多かった。
 ナチスから「国民の敵ナンバーワン」と名指しされた。少なくとも七回、命を狙われた。しかし、博士は、微動だにしなかった。
 博士は、青年に期待し、青年を励ました。「君たちの世代を結集して、みなにナチのプロパガンダ(政治宣伝)の忌まわしさを示すんだ」
 「君らの世代が世界的な青年運動を組織して」いくのだ!――と。
 博士は、迫害のさなかに自らの思いを同志に語ったという。
 「若者たちと行動するんだ。人の心を変えるという目標をあきらめてはいけない」
 また「核兵器による人類の破滅を防ぐ手だてはあるのか」と問われると、「あるとも」「邪悪な心を征服さえできたらね。科学的手段に頼らず、われわれ自身が心を入れ替え、勇気をもって語れば、人の心を変えられるだろう」と答えた。
 またある時は「誉められようとけなされようと一向にかまわない」「自分の亡き後は教え子たちが継いでくれるだろう」と言い切った。
 今、私には、「火の国」の大情熱に燃える九州青年部がいる!
 アインシュタイン博士は語った。
 「自分の使命に背を向けてはいけない。世の中の変革を助けるべきだ」
 「私の永遠は、今、この瞬間なんだ。興味があるのはただ一つ、今自分がいる場所で目的を遂げること」
 博士が愛し、平和への祈りを込めた、北九州をはじめ、福岡の天地である。博士が目指した通り、二十一世紀は「平和と人道と人権の世紀」にしなければならない。
 その「勝利また勝利」の前進は、「先駆」の誉れの使命ある北九州、そして九州から開始したい。旭日が昇りゆくように!
9  「偉大な団結」で「偉大な勝利」を
 タゴールは書いた。
 「私たちは、自分の生命を偉大なものにしなければならない」(『タゴール著作集』3、我妻和男訳、第三文明社)
 九州の同志は二十世紀の掉尾を飾るこの一年、「偉大な歴史」を残された。一人一人が「偉大な生命」を築き上げてこられた。
 二十一世紀の開幕も、九州が、全日本、全世界の先陣を切って、「偉大な団結」で「偉大な闘争」をお願いしたい。
10  アメリカの人権闘争の指導者、キング博士が自著の中で紹介している言葉に、「消極的に悪をうけいれる者は、悪を行うことを助ける者と同様に、悪にまきこまれているのだ」(『自由への大いなる歩み』雪山慶正訳、岩波書店)とある。牧口先生も、まったく同じ信念であられた。
 そして、ドイツの詩人・シラーは、「正しい心は必ず勝つに相違ないのです」(『シラー選集』4、新関良三訳、冨山房)と。
 自分が今いるその場で勝つことだ。断じて勝つことだ。その人は、「永遠の勝利の宝剣」を、わが生命にもつことができる。
 九州の完全勝利を祈りたい。
11  広布に戦う人は必ず幸福の軌道に
 日蓮大聖人は仰せである。「大果報の人をば大火はやかざるなり」と。
 たとえ世界が大火に襲われようとも、広布の人を焼くことはできない。絶対に不幸にはできない。そう大聖人は断言しておられる。
 「広宣流布の信心」に大功徳がわく。真実の「幸福の都」は、妙法を信じ唱える、わが胸中にある。
 何があろうと、信心根本に、永遠の幸福の軌道を、悠然と進んでいけばよいのである。
 「楽しい信心」「強い信心」を貫いて、素晴らしい人生を生きていただきたい。広布のため、世界のため、自分自身のために。
 学会とともに生きる――これ以上の人生はない。これは、生命の究極の法則であり、仏法とともに生きるからである。広宣流布という真の平和世界を構築していく運動であるからである。
 皆さま方のご健康、ご長寿、無事故、そして福運に包まれた人生であられんことを、私は毎日、真剣に祈っている。一生涯、祈り続けていく。
 どうか、お元気で! 地元に帰られましたら、懐かしい同志の皆さまに、くれぐれもよろしくお伝えください。またお会いしましょう! 九州創価学会、万歳!
 (九州講堂)

1
1