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日蓮大聖人・池田大作

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第51回本部幹部会、第26回SGI総会… 「正しい哲学」こそ「幸福の土台」

2000.11.9 スピーチ(1999.10〜)(池田大作全集第91巻)

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1  ルソー「大胆に、勇敢に、真実を語れ」
 創価学会は、大勝利の創立七十周年を迎えることができた。本当にありがとう!(拍手)
 永遠の同志であり、末法万年の広宣流布の同志である皆さま方を、私は心から尊敬し、感謝申し上げたい。
 いやまして大勝利の人生を、堂々と、断固として勝ちとっていただきたい。
 どうせ生きるなら、敗北は、みじめである。戦わない人間は、何の張り合いも生まれない。
 「よいことをするときには大胆に、そして、勇敢に真実を語る、というふうでなければならない」(今野一雄訳、岩波書店)ルソーの教育小説『エミール』の言葉である。
 『エミール』もそうだが、読書について、私は戸田先生から徹底して鍛えられた。
 「この本はどうだ」「何が書いてあったか」と。それはそれは厳しかった。暗記するくらい読んだものである。
 『エミール』には、こうもあった。「ほんとうの楽しみは民衆と分けあう楽しみだ」(同前)
 これが創価の世界である。仏法の精神である。友人と、また民衆と分かち合うのが本当の幸福である。
 さらにルソーは歴史の不条理を考察して、「有名になるのは悪人だけだ。善良な人間は、忘れられているか、笑いものにされている」(同前)と。大哲学者の洞察は鋭い。
 今の日本にも、そうした転倒がある。世界のために最高の善の行動をしている人間が迫害される。創価学会もそうである。
 世界五十五カ国・地域のSGIの大切な「地涌の菩薩」の皆さま! 本当にようこそおいでくださいました。心から感謝し、歓迎申し上げたい。(拍手)
 それぞれの国で、二十一世紀の広宣流布の「原点」となり「模範」となりゆく、大事な使命の方々である。私は、仏を敬い、立って迎えるのと同じ心で、皆さまをお迎えする。皆さまの幸福を、ご活躍を、祈りに祈っている。守りに守っていく。
 また「勝利の一番星」の大中部、晴れやかな総会、おめでとう!(拍手)
2  指導者は世界の動向を知れ
 日蓮大聖人は、常に激動の世界を鋭く見つめておられた。どう時代が動いていくか。どう人々を救うか。社会を安定させていくか。すべてに目を向け、心を砕いておられた。
 御書を拝すると、当時の中国やアジアの情勢にも厳しく目を光らせておられる。経済や政治など多次元から、さまざまなデータも、集めておられた。
 たとえば、「郡」や「郷」の数はいくつか。田んぼの総面積はどのくらいか。寺や神社はいくつあるか。人口は何人か――等々、すべて細かい数字で認識しようとしておられた。賢明なる真実の人間指導者であられた。
 人口に関しては、日本全国で四百九十八万九千六百五十八人で、そのうち男性は百九十九万四千八百二十八人、女性は二百九十九万四千八百三十人であると、御書に記されている。(「郡は五百八十六・郷は三千七百二十九・田の代は上田一万一千一百二十町・乃至八十八万五千五百六十七町・人数は四十九億八万九千六百五十八人なり、神社は三千一百三十二社・寺は一万一千三十七所・男は十九億九万四千八百二十八人・女は二十九億九万四千八百三十人なり」。「億」は現在の「十万」にあたる。日本の総人口について、御書には、これ以外に約四百六十万人とする記述もある)
 これらの数は、他の歴史的文献とも、ほぼ一致しており、当時の国勢を知るうえで第一級の資料である。人口は、女性のほうが男性よりも百万人も多く、男性の約1.5倍とされている。その背景の一つには、戦乱などの影響もあったと推察される。
 なお、大聖人の時代に、女性が多かったことが、日本史上、まれに見る仏教の時代を開いた要因ではないかという見方もある。
3  当時も乱世であり、女性の苦しみ、悩みは尽きなかった。「三従」という言葉が示すように、女性は親に従い、夫に従い、子に従い、常に何かに従いながら生きねばならないとされた古い時代であった。そのなかにあって、大聖人は、一切の女性を救おうという願いを立てられた。(「日本国の一切の女人を扶けんと願せる志は・すてがたかるべし」)
 また釈を引かれ、その要点を「一代聖教の中には法華経第一・法華経の中には女人成仏第一なり」と示しておられる。すなわち、女性を幸福にするのが、大乗仏教の真髄なのである。
 大聖人の門下には、女性が多かった。あろうことか、大聖人を「犯僧」と、ののしる者さえいた。正義の偉人に対する嫉妬のゆえである。
 さて、大聖人が女性の弟子に書き送られたお手紙は非常に多い。歴史学の研究でも、その点、大きく注目されている。大聖人ほど門下に手紙を書き送られた宗祖はいないといわれる。その数は群を抜いており、「世界的記録」と評価する学者がいるほどである。
4  妙法受持の女性は最高に尊貴
 大聖人門下の女性には、若くして夫に先立たれた女性もいた。最愛のわが子を亡くした女性もいた。自分の病気、また子どもの病気で悩む女性もいた。女性の悩みは今も変わっていない。子どもがいないことに悩む女性もいた。姑の介護に直面する女性もいた。日本は今、高齢社会。こうした悩みは今後、ますます増えてくるだろう。
 そうした、あらゆる苦悩と戦う女性たちを、大聖人は一人ひとり、具体的に、また明快に、徹して励まし続けていかれた。
 学会の目的は広宣流布である。ゆえに広宣流布する人がいちばん大事である。その人に、最敬礼して感謝し、真心から励ましていく――それでこそ広宣流布のリーダーである。本当の「信心のリーダー」である。
 反対に、大切な仏子を見くだして、威張ったり、叱ったりするのは、広布破壊の「黒き権威のリーダー」にほかならない。
 大聖人は女性門下に繰り返し訴えられた。正しい仏法に目ざめなさい。正しい哲学、正しい人生観、正しい世界観をもちなさい。そうすれば、何があろうと断じて負けない。勝利者となり、幸福の女王となっていける――と。
 大聖人は仰せである。「(他の経典などと違って)この法華経だけには、『この経を受持する女性は、他の一切の女性にすぐれるだけでなく、一切の男性にも超えている』と説かれています」(御書1134㌻、通解=以下同じ)
 仏法に男女の差別はない。広宣流布に生き抜く女性は、皆、最高に尊き使命の人である。また二十一世紀は「女性の時代」である。ゆえに男性は女性を尊敬し、大切にしていかねばならない。
 大聖人は、こうも仰せである。「(法華経を信ずる女性である日眼女は)日本の二百九十九万四千八百三十人の女性の中の第一の人である」(御書1188㌻)
 「法華経という師子王を持つ女性は、一切の地獄・餓鬼・畜生等の百獣を恐れることはない」(御書1316㌻)
 妙法を持った女性が、どれほど尊貴で、大事であるか――。男性のリーダーは、よくよく心に刻んでいただきたい。
5  幸福の都はわが胸中に
 また大聖人は、女性に対して、何ものにも頼ってはいけない、わが尊厳なる生命を輝かせて生き抜いていきなさいと指導しておられる。
 見栄や虚栄に生きる女性もいる。「虚栄は、最も多くの場合、消費と結びついている」と指摘している哲学者もいるが、ともあれ幸福は、外見では決まらない。華やかな姿では決まらない。
 人気や名声は、それだけでは幻であり、やがては消え去っていく場合が多い。
 大切なのは、人格であり、福運であり、哲学である。哲学の究極は、信仰である。それこそが真の「幸福の土台」となる。
 大聖人は仰せである。「一切の人が憎むならば憎めばよい。釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏をはじめとして、梵天・帝釈・日天・月天等にさえ、いとおしく思っていただけるならば、何が苦しいことがあるでしょうか。法華経(御本尊)にさえ、ほめていただけるならば、何が苦しいことがあるでしょうか」(御書1135㌻)
 「この御本尊は、まったく、よそに求めてはなりません。ただ、我ら衆生が法華経を受持し、南無妙法蓮華経と唱える胸中の肉団にいらっしゃるのです。これを『九識心王真如の都』というのです」(御書1244㌻)
 信行に励む自分自身の胸中に、御本尊がある。永遠の「仏」の生命がある。その胸中の御本尊を呼び顕すために、大聖人は御自身の生命を一幅の御本尊として顕してくださったのである。
6  妙法を信ずる女性は「災いも転じて幸いとなる」(御書1124㌻)、「年は(ますます)若くなり、福運は(ますます)重なっていく」(御書1135㌻)と大聖人は励ましておられる。
 その妙法の偉大な力は、多くの同志の輝く実証を見れば、一目瞭然である。
 信心とは、幸福に生き抜く法則である。生き生きと生きるための源泉である。あらゆる苦難をバネにし、変毒為薬しながら、福運に満ちて、悠々たる力強い人生を生き抜いていくことができる。
 何が起ころうが、どんなカベがあろうが、宇宙大の妙法から見れば、皆、小さな小さなことである。大切なのは、偉大な境涯に立つことだ。世間の喧騒を悠然と見おろしながら、楽しく、堂々と前進してまいりたい。(拍手)
 大聖人の御心づかいは本当にこまやかである。女性の弟子たちが、同志として仲良く、ともどもに成長していけるよう配慮しておられた。
 たとえば、一人の女性に宛てたお手紙でも、それを他の婦人の同志と一緒に拝していきなさいと、仰せになっておられる。「同心なれば二人して」「常に寄り合って」――と。
 ここに、組織の大切さもある。今、学会の婦人部、女子部は、皆、ともに手を携え、友情のスクラムを組んで前進している。まさに大聖人の仰せ通りの実践なのである。
7  きょうは、世界の同志が見えておられる。敬意を込めて、各国の英知を紹介したい。
 アメリカ独立革命の先駆者トマス・ペインは語っている。『評伝トマス・ペイン』(小松春雄、中央大学出版部)の中で、彼の叫びが紹介されている。
 「勇気と決断とがあれば、なにかを、いなすべてを成し遂げることができるのだ」
 勇気と決断――これが学会精神である。
 スイスの哲学者ヒルティはつづった。「ひとたび仕事にとりかかった以上はうしろを振り返ってはならない」(『ヒルティ全集』2、斎藤栄治訳、白水社)ただ未来の成功を見つめて、突き進むことだ。
 「進まざるは退転」である。断固、前へ進め! そして勝ち抜くことである。
 またイギリスでは、チャーチル首相を思い出す。かつてロンドンを訪問した際、彼の人形を求めたことも懐かしい。
 第二次大戦中、イギリスがナチス・ドイツの猛爆にあったときのことである。
 チャーチルは、瓦礫のロンドンで、悠然とボールを手で放り上げながら、国民を鼓舞した。「皆、心配するな。大丈夫、私がいる!」「絶対に勝ってみせる!」それを無言のうちに語りかける、堂々たる名宰相の姿である。
 リーダーは、どんな苦境にあっても、皆に希望と確信を与えることだ。皆の心を軽くしてあげることだ。リーダーの不屈の心と行動が、皆を勇気づけ、勝利をもたらす原動力となる。
8  青年よ、「獅子の力」を鍛えよ
 このほど私は、ウクライナから栄えある顕彰をいただいた。(二〇〇〇年十一月七日、世界の文化交流の発展に対する多大な貢献をたたえ、「内閣栄誉賞」が贈られた)
 謝辞のなかで、私は小説『隊長ブーリバ』に触れた。作者のゴーゴリ(一八〇九年〜五二年)は、ロシア文学を代表する有名な作家であり、ウクライナの出身である。
 彼は、若き日に、国民詩人プーシキンと出会った。ゴーゴリはプーシキンを最大の友人とし、生涯の師匠と仰いだ。(ゴーゴリ二十二歳、プーシキン三十二歳)
 偉大な人生には、必ず、偉大な人間、偉大な師匠との出会いがあるものだ。
 人間にだけ、「師弟」がある。師のない人生は、本当の人間の世界ではなく、動物の世界である。師弟こそ、崇高なる人間の向上の道である。昔も今も、そして未来も、永久に変わらない。
 師弟が人生の根幹であることは、大聖人が明確に仰せである。西洋の哲人も、そう教えている。
 反対に、師弟を忘れた人間は増上慢になる。無軌道になる。成長はない。
 『隊長ブーリバ』は、戸田先生から薦められた思い出の一書である。
 昭和三十年(一九五五年)二月十六日、私は日記に、こう記している。「『隊長ブーリバ』を読み始む。脳裏に去来するものあり」この一書は、私が戸田先生に申し上げ、「水滸会」の題材にもなった。
9  物語の舞台は、十六世紀前後のウクライナ。他国の支配に反旗を翻したコサック集団が繰り広げる不撓不屈の戦闘が描かれている。
 コサックは「自由の人」という意味がある。
 隊長ブーリバは、頑固一徹、明朗実直、勇猛剛毅、そして、あふれんばかりの情熱と意志を兼ね備えた、典型的なコサックの指導者である。
 彼には、二人の息子がいた。ともに学校を卒業して帰ってきたばかりの自慢の息子だった。二人を、どう育てるか。百戦錬磨の父は考えた。男として、甘やかせたくなかった。そして、芯から徹底的に鍛えようと、戦場へ一緒に連れて行くのである。
 父は、現実の厳しい勝負という「真実の学校」で「生きた学問」を教えたかった。その鍛錬のなかで、息子たちに「獅子の内部にあるような強い力」を獲得させたいと考えたのである。
 青年は実戦のなかで鍛えよ!――戸田先生も、そうであった。先生は、コサックの激烈な戦いの姿を通して、青年部に教えてくださった。三類の強敵、三障四魔、いかなる大難が競い起こっても断じて乗り越えよ! と。
 そのために鍛錬し、鋼鉄のごとき信念をたたき込んでおこうとされた。その厳しき訓練のおかげで、今日の私がある。
10  「文化の力」「人間性の力」で「戦争の世紀」に終止符を
 ブーリバは、息子を叱咤した。
 「いかなる事をも堪え忍び、そしてさらに、いかなる迫害をこうむってもがんとして自己の立場を死守する者」となれ――と(原久一郎訳、潮出版社)。
 コサックたちは叫んだ。「この信仰のためになら、われわれはいつでも首を差し出すことを辞さぬ者だ!」(同前)
 自分の信念だけは死んでも守れ! 信仰のためなら、自分の命を引きかえにしてもかまわない! この覚悟。この決心。
 信仰とは、そういうものである。
 私も十九歳で戸田先生と巡り会い、信仰の道に入った。
 早朝から夜中まで、先生に仕えきった。先生亡き後は、その遺志を継ぎ、走りに走り抜いてきた。今日まで一日たりとも、心休まる日はなかった。
 ただ、愛する同志のために、涙も枯れ果てるほどの、厳しき闘争の連続であった。信仰のためなら、命をも辞さない! これが創価学会の魂だ!――そう示しきって、わが「人間革命」の大叙事詩を飾りたい。
11  物語では、老いた母親が、戦場に連れて行かれる息子たちの行く末を心配して、泣きくずれる場面もつづられている。
 夫は戦場へ行く。二人の息子たちまでも。ああ人間とは、こんなにつらいものなのか――。
 第二次大戦中も、そういう光景がいたるところにあった。
 戸田先生がこの書を青年に読ませた意味のひとつも、ここにあった。
 先生は言われた。「この小説で、ゴーゴリは、文化の開けない時代の生活を描いたのだ。そして、そこに母親の愛情、父親の愛情を描き、人間性を呼びさまそうとしたのだ」と。
 「戦争の世紀」を終わらせなければいけない。
 「文化の力」「人間性の力」で!
 「創価学会のスクラム」で!――それが戸田先生の願いであった。
 先生は、こうも言われた。「この小説は、子どもに対する父の厳しい愛を書いているのだ。母親は、ガミガミ、年中叱ってもいい。愛情があるから。父親は、黙っていてもこわいものであるから、友だちのようにつき合っていきなさい。けっして母親と一緒になって叱ってはいけない。そして、国家・社会に貢献させることを目標にして、わが子を愛していきなさい」
 世界のために、広宣流布のために――それを目標にして、青年を愛し、育てていけ! こう戸田先生は託された。私も同じ心である。この一点を、未来のために語り残しておきたい。
12  「裏切り」は人間のなしうる最大の犯罪
 物語の舞台は、激しき戦場へと移る。息子たちは、父の期待通り、大いに活躍する。コサック軍団は、このまま連戦連勝の勢いであるかに見えた。そこに、思いがけぬ「裏切り」が起こった。こともあろうに、ブーリバの二男(アンドリイ)が敵方に走ったのだ。敵将の娘が、初恋の相手だったのである。
 コサックにとって、「裏切り」は、最も忌むべき行為とされた。ブーリバは、敵の軍服をまとった二男を銃殺する。それほど「裏切り」に対しては峻厳であった。
 息子の卑劣な行いを知ったブーリバは、声を限りに叫んだ。「戦友を不幸のどん底に捨て、犬猫をほうり捨てるように、彼らの多数を仇敵の手に捨てて顧みぬやつが、なんでコサックじゃ?」(前掲『隊長ブーリバ』)
 父ブーリバには燃え上がるがごとき自負があった。″我らの団結こそ、魂によって結ばれた神聖な団結である。いまだ、どこにもなかった団結である″――。
 「魂によって結ばれた神聖な団結」。我らも、これで進みたい。(拍手)
 ブーリバは、息子の「卑しい野良犬のように、不名誉きわまる死にかた」(同前)を嘆いてやまなかった。
 「裏切り」は、人間のなしうる最大の犯罪である。
 戸田先生は、常に青年を叱咤(しった)された。
 「いつの時代にも、裏切り者は必ず出るものだ。そんな敗北者の屍を、君たちは――本当の創価学会の同志は、堂々と乗り越えて、前へ前へ進め!」と。
13  コサックの軍団に、危機が訪れた。追いつめられた敵が、奸計を弄した。ウソの講和を申し出て、騙し、隙を突こうとしてきたのである。
 総大将と各連隊長は、まんまと目をくらまされ、その講和に応じようとした。しかし、ただ一人の連隊長――ブーリバだけは、敵の黒い心を鋭く見抜いた。これは策略だ! やつらを信じてはいけない。戦いをやめて、安易に敵と妥協すれば、無残に滅亡させられるに決まっている――と。
 この魂の叫びに、ブーリバの連隊員のみならず、他の連隊の心ある隊員も、馳せ参じた。「隊長と行動をともにします! 連隊長殿! あなたについてどこまでも行きます!」(同前)
 ブーリバには、″私は戦う! 私こそ正義なり!″との闘志が満々と脈打っていた。ゆえに、勇敢なる戦士が続いた。
 戸田先生の雄姿を思い出す。学会の同志の絆も、同じである。
14  「人生の名優」として自身の最高の歴史を
 一方、敵と妥協した者たちは、どうなったか。
 ブーリバの予言通り、敵軍に騙され、壊滅させられた。そのなかで、最後まで敵と戦い殉じていった隊長ブーリバの生きざまは、コサックの誇りとして、長く語り継がれた――こう小説は結ばれている。
 最後に『隊長ブーリバ』の一節を皆さまに贈りたい。
 「信仰より強い力はないのである。それは荒れ狂う変化きわまりない大海の巨岩のように、打ちかちがたくすさまじいのである」(同前)
 何ものも絶対に打ち壊すことができない、すさまじいもの――これが信仰である。日蓮大聖人の仏法の信仰であり、創価学会の信仰である。
 こう申し上げ、私のスピーチを結びたい。(拍手)
 来年(二〇〇一年)は、いよいよ二十一世紀の最初の年。皆、「人生の名優」として、楽しく、悠然と、自身の最高の歴史をつづりましょう! 晴れ晴れと「平和と人道の大連帯」を構築していきましょう!(拍手)
 寒くなるので、風邪を引かれませんように。
 大切な皆さま方のご健康と幸福を、私は一生懸命、祈ってまいります。
 長時間、本当にありがとう! ご苦労さま!
 (創価国際友好会館)

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