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日蓮大聖人・池田大作

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第1回関東会協議会 「勇気のエンジン」で前へ

2000.10.8 スピーチ(1999.10〜)(池田大作全集第91巻)

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2  女性の時代である。イギリスの作家エミリ・ブロンテの詩を贈りたい。
 「正義が弱ければ 悪は強い」(『エミリ・ジェイン・ブロンテ全詩集』中岡洋訳、国文社)
 ゆえに、正義は断じて強くあらねばならない。
 「現世の運命が 不当と思われれば 思われるほど/それだけわたしの魂は 意気揚々と躍り/おまえの力によって 強くなり/報いのある運命を 期待するのだ」(同前)
 「難来るを以て安楽と意得可きなり」の御聖訓にも通じよう。
3  仏意仏勅の学会を弾圧、迫害する魔の正体
 七十周年の「創立記念日」を迎えるに当たって、今再び、創価学会の魂というべき広宣流布の大闘争、すなわち「三障四魔」「三類の強敵」との戦いについて確認しておきたい。
 まず、有名な「三沢抄」の一節を拝したい。
 「たとえ智慧明らかな師匠に出会い、真実の教えである法華経に巡りあって、正法を得た人であっても、迷いと苦悩の流転を出でて仏になろうとする時には、必ず影が身に添うごとく、雨に雲が伴うごとく、三障四魔といって七つの大きな障害が現れてくるのである。
 たとえ、かろうじて六つは乗り切っても、第七の障魔に破られたならば、仏になることは難しい。その六つは、しばらくおくとして、第七の大難は天子魔というものである。
 末法の凡夫が、釈尊一代の教えの真意を悟り、天台大師の摩訶止観という重大な書の心を体得して(一念三千の法理を悟り)、まさに仏になろうとすると、第六天の魔王は、それを見て驚いて、こう言う。
 『ああ、とんでもないことだ。この者(法華経の行者)が、この国で活躍するならば、彼自身が生死の迷いを離れるだけでなく――それだけならまだしも――人々をも導いていくであろう。そして、この国土を押さえ取って、私(魔王)の領土を浄土(仏国土)に変えてしまうであろう。どうすればよいか』
 魔王は、こう言って、欲界・色界・無色界の三界(六道輪廻の世界)の一切の手下を招集して、次のように命令をくだす。
 『各々の能力にしたがって、あの法華経の行者を悩ましてみよ! それでだめなら、彼の弟子・信仰者、その国の人々の心の中に入り代わり、諫めたり、脅したりしてみよ!』と。
 『それでも(法華経の行者を)倒すことができなければ、われ(魔王)みずから降りていって、国主(権力者)の身心に入り代わって、脅してみよう。そうすれば、どうして(広宣流布を)止められないことがあろう』と評議するのである」(御書1487㌻、通解)
 (三障とは、煩悩障、業障、報障。四魔とは煩悩魔、陰魔、死魔、天子魔)
4  まことに重大な御聖訓である。
 戸田先生が私に直々に講義してくださった御書である。三代にわたる会長が、心に刻みつけてきた御金言である。
 日蓮大聖人の仰せのままに、広布に戦い、仏意仏勅の創価学会を守り抜くために、歴代会長が一身に受けてきた迫害の構図が、ここに明確にしるされている。
5  ″三類の強敵と敢然と戦い、打ち破れ!″
 牧口先生は、戦時中の一九四二年の十一月、創価教育学会の第五回総会で、「魔競はずは正法と知るべからず」――(この法門を説けば必ず魔が現れる)魔が競わないならば、正法と思ってはならない――等の御文を引きながら、こう語られた。
 「従来の日蓮正宗の信者の中に『誰か三障四魔競へる人あるや』と問わねばなるまい」
 「魔が起こらないで、人を指導しているのは『悪道に人をつかはす獄卒』でないか。しからば、魔が起こるか起こらないかで、信者と行者の区別がわかるではないか。自分の一個のために信仰している小善生活の人には決して魔は起こらない。これに反して、菩薩行という大善生活をやれば、必ず魔が起こる」
 「我々は、蓮華が泥中よりぬけ出でて清浄の身をたもつがごとく、小善中善の謗法者の中に敵前上陸をなし、敢然と大悪を敵として戦っているようなものであれば、三障四魔が紛然として起こるのが当たり前であり、起こるがゆえに行者といわれるのである」(『牧口常三郎全集』第十巻、第三文明社。一部、現代表記に改めた)
 創立の父である牧口先生は、「必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび」――(凡夫が仏となる時には)三障四魔という障害が出てくるので、賢者は喜んで(向かっていく)――という偉大なる広宣流布の指導者の姿を弟子に示された。
 三障四魔、なかんずく天子魔に打ち勝ってこそ、「一生成仏」の達成があり、「広宣流布の大願」が成就するからである。
6  きょうは、関東会の首脳が集っておられる。
 一九五四年(昭和二十九年)の十月十八日、戸田先生は埼玉の志木支部の総会に出席され、こう言われた。
 「わたくしが初代会長のあとをついで、広宣流布の途上に立ちながら、いつも悲しく思ったことは、三類の強敵がない。三類の強敵どころか、第二類もない。すなわち(第一の)俗衆増上慢だけで、二類(道門増上慢)も三類(僣聖増上慢)もなかったので、ひじょうに悲しいと思っていた」
 「しかし、これからますます学会活動が本腰になるにつれて、日本中の邪宗の坊主が結束してかかってくる。それでも責めようがなくなると、次に現れるのが、第三類の強敵であり、これはこわい。これが出ると、わたくしもうれしいと思うが、みなさんもうれしいと思ってもらいたい。そのときこそ、敢然と戦おうではないか」
 ――三類の強敵を、あえて招き寄せて、敢然と戦い、そして打ち破ろうではないか! これが、戸田先生の関東への師子吼であった。
7  勝ってこそ諸天の威光勢力が増大
 御書には仰せである。
 「妙法を聞き、持ち申し上げるゆえに、三類の強敵が来る。三類の強敵が来ることをもって、『現世安穏』の経文は現れるのである。その人が法華経の行者であることは疑いないのである。法華経の行者は、このような大難にあうと経文に書かれている。大難にあうことをもって、『後生善処』の成仏が決まるのである。これはまさに現世にして安穏の経文通りではないか」(御書825㌻、通解)
 創価学会に対して、法華経の通りに、御聖訓の通りに、三類の強敵が襲いかかってきた。
 歴代の会長とともに、師子王の心を取りいだして戦い抜いてきた尊き同志は、一人も残らず、永遠の成仏の大境涯を勝ち得ていくことを、大聖人は厳然とお約束してくださっている。
8  妙法の功力の実証は眼前にある。
 きょう、お集まりのブラジル、アメリカ、ニュージーランド、イタリアをはじめ百六十三カ国・地域という「一閻浮提」にわたる広宣流布の広がりである。そして、世界中からの信頼と友情と賞讃である。
 「諸法実相抄」には、こう仰せである。
 「末法に生れて法華経を弘めん行者は、三類の敵人有つて流罪死罪に及ばん、然れどもたえて弘めん者をば衣を以て釈迦仏をほひ給うべきぞ、諸天は供養をいたすべきぞ・かたにかけせなかふべきぞ・大善根の者にてあるぞ・一切衆生のためには大導師にてあるべしと・釈迦仏多宝仏・十方の諸仏・菩薩・天神・七代・地神五代の神神・鬼子母神・十羅刹女・四大天王・梵天・帝釈・閻魔法王・水神・風神・山神・海神・大日如来・普賢・文殊・日月等の諸尊たちにほめられ奉る間、無量の大難をも堪忍して候なり
 ――「末法に生れて法華経を弘める行者には三類の強敵が起きて、死罪、流罪にまで及ぶであろう。しかれども、この難に耐えて法華経を広める者を、釈迦仏は衣をもって覆ってくださり、諸天は供養を市、あるいは肩に担い、背に負うて守るであろう。その行者は大善根の者であり、一切衆生のためには大導師である」と、釈迦仏、多宝仏、十方の諸仏、菩薩、天神七代、地神五代の神神、鬼子母神、十羅刹女、四大天王、梵天、帝釈、閻魔法王、水神、風神、山神、海神、大日如来、普賢菩薩、文殊師利菩薩、日月天などの諸尊たちにほめられているので、日蓮は、無量の大難をも堪え忍んであるのである――。
9  今、世界各国から私どもに寄せていただく幾多の顕彰も、すべて、この御金言の証明といえよう。
 とくにこの十年、私は真実の同志とともに、日蓮大聖人の仰せ通り、死力を尽くして、三障四魔、三類の強敵に勝ち抜いてきた。
 だからこそ、世界の梵天・帝釈等も、いよいよ威光勢力を増して、創価の前進を守り、たたえてくれているのである。
10  民衆の力をどこまでも強く
 かつて戸田先生は、青年訓で叫ばれた。
 「三類の強敵は、まさに現われんとし、三障四魔は勢いを増し、外には邪宗、邪義に憎まれ、内には誹謗の声ようやく高し。驚くことなかれ、この世相を。こは、これ、聖師の金言なり。
 されば諸君よ、心を一にして難を乗り越え、同信退転の徒の屍を踏み越えて、末法濁世の法戦に、若き花の若武者として、大聖人の御おぼえにめでたからんと願うべきである。愚人にほむらるるは、智者の恥辱なり。大聖にほむらるるは、一生の名誉なり」(『戸田城聖全集』第一巻)
11  大聖人は、御在世当時、あまりにも「民衆の力」が弱すぎることを嘆いておられた。
 その「民衆の力」を、どこまでも強め、広げて、三障四魔、三類の強敵を打ち倒していく。そして妙法を根底に、平和と幸福の世界を築き上げていく――これが大聖人が待ち望まれた、広宣流布の一つの実像である。
 わが創価学会の七十年の大闘争の結実として、明二〇〇一年を、「民衆の力」の連帯で勝ち飾って、大聖人に、また牧口、戸田両先生に、ともどもにご報告申し上げたい。
 どうか、皆さまが、健康第一で、勇敢なる「広宣流布の闘士」として、誉れ高き「創価の開拓者」として、朗らかに、堂々と、賢明に、勝利の道を切り開いていかれることを心から祈りたい。
12  きょうも勝て! そこに大福運が光る
 アメリカの人権闘争のリーダー、マーチン・ルーサー・キング博士は言っている。
 「どんな社会革命の場合でも、勝利と実現という追い風が好都合に吹くときもあれば、失望と逆転という強い向かい風が、冷酷にわれわれを打つときもある」「どんなに風が強くても、勇気というエンジンでわれわれは耐えなければならないのだ。このとどまることへの拒絶、この『何ごとにも耐えうる勇気』、『どんな条件があろうと』続けていこうというこの決意、こうしたものは、たとえどんなに大きな運動に対しても太鼓判となるものなのである」(『黒人の進む道』猿谷要訳、サイマル出版会)と。
 また、ゲーテは「ファウスト」で謳っている。
 「今日出来ないようなら明日もだめ、/一日だってむだに過ごしちゃなりません。/できそうなことは、思いきって、むんずと/その前髪をつかむことです。/つかんだ以上はいっかな放さぬ。/そして目的に邁進する、それがわれわれの決意だからだ」(手塚富雄訳、中央公論社)
 きょうも負けるな! きょうも勝て! そこに大福運が光る! と申し上げ、私の記念のスピーチとさせていただく。
 どうか、お帰りになられましたら、同志の皆さまに、くれぐれもよろしくお伝えください。
 (東京・信濃文化センター)

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