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日蓮大聖人・池田大作

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日本と「イタリア」代表者会議 歩け! 語れ! 民衆の中へ

2000.8.11 スピーチ(1999.10〜)(池田大作全集第91巻)

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1  イタリアSGIの大発展を祝福
 イタリアの同志の皆さま! 遠いところ、また暑いなか、本当に、ようこそ、お越しくださいました。
  晴ればれと
    イタリア同志の
       笑顔かな
 この句を記念に贈りたい。
 明年(二〇〇一年)は、「イタリア広布四十周年」。ヨーロッパの模範・イタリアSGI(創価学会インターナショナル)の大発展は、まことに素晴らしい。まさに、ヨーロッパの夜明けである。
 「ミラノ総合文化センター」(仮称)の設置も、心から祝福申し上げたい。
 センターには、市民に開かれた図書館、多目的ホール、視聴覚施設なども併設される計画であると、うかがっている。
 私も、ぜひ、いつの日か、訪問させていただきたい。
2  イタリアの前進は力強い。
 二十一世紀へ、「三万人の大座談会運動」。素晴らしいことである。
 今年の秋は、全土で、一万八千人による壮年部・婦人部合同の記念総会。
 明二〇〇一年三月十六日には、一万六千人の若人を結集しての青年部の大会も盛大に行われる予定である。
 記念出版も、さまざまに進められている。(イタリア語版の『新・人間革命』『法華経の智慧』『大学講演集』『旭日の創価学会七十年』など)
 平和・教育・人権をテーマに、国や地方自治体、またユネスコ等の諸機関と連携して、さまざまな講演会や展示なども開催しておられる。
 光栄にも、イタリアの各地から私は顕彰していただいている。これも、すべて皆さま方のご貢献の証であり、皆さまが受けられたものであると、私たち夫婦は、いつも語り合っている。
 御聖訓には、「一切の仏法も又人によりて弘まるべし」――(一切の草木は大地から生え出てくるように)一切の法(仏法)も又、人によって弘まるのである――と仰せである。
 広宣流布の先駆を切っておられる、皆さまの尊きお名前は、ヨーロッパの、そして世界の広宣流布の歴史に厳然と残るであろう。
 また、誉れの大功労者として、末法万年へ輝きわたっていくに違いない。功徳と栄光は、あまりにも大きい。
3  願ってこの地へ、そして仲良く
 天文学によれば、太陽系はヘルクレス座の方向へ、秒速二十キロの猛スピードで驀進している。
 広大無辺の宇宙。そこには、厳然たる秩序がある。その宇宙と生命を貫く法則が妙法なのである。
 宇宙には、地球のような星が、数十億以上もあるとされる。そのなかで、私たちは、この地球に「願って」生まれた。そして妙法を弘めている。
 「皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」――皆、地涌の菩薩として出現した人々でなければ唱えることのできない題目なのである――と仰せの通り、偉大な使命の人なのである。どこまでも仲良く進んでいただきたい。
 必ず広宣流布をしていかねばならない。そうすれば「我此土安穏」「衆生所遊楽」の世界となる。そして今度は、他の国土へ行って、広宣流布していく。そういう壮大な使命なのである。
4  有名な古代ローマの哲学者セネカは言う。
 「心に喜びを与えてくれるのは、真実な楽しい友情に較ぶべきはないであろう」(『人生の短さについて』茂手木元蔵訳、岩波文庫)と。
 人間の世界にあって、友情ほど、喜びはない。美しいものはない。「永遠の友情の都」を築き上げていくのが、仏法である。
 どうかイタリアは、これからも、世界の模範の「友情」と「信頼」の連帯を、どこよりも仲良く、そして明るく、社会に広げていってください。
 近代日本を代表する思想家・内村鑑三も、「イタリア人の明朗さ」を高く評価していた一人である。
 ――本来、日本人も、イタリア人と同様に、「人生の明るい面を見る」という特性がある。その美質を、イタリアのように発揮して、大いに世界に貢献していくべきではないか――彼は、そう促していたのである。
5  独立の闘士マッツィーニ″自分が歴史を!″
 十九世紀、イタリアの「独立」と「統一」に先駆した思想家に、マッツィーニ(一八〇五年〜七二年)がいる。
 当時、イタリアは、外国の勢力下にあった。国内では、悪政がはびこり、「集会・結社の自由」なども圧迫された。また民衆は、堕落した聖職者の腐敗や横暴にも苦しめられていた。(ボルトン・キング『マッツィーニの生涯』力富阡蔵訳、黎明書房。以下、参照)
 そうしたなかにあって、マッツィーニは、若き日から″独立の闘士″となり、投獄にも怯むことなく、戦い続けていた。
 しかし、独立闘争は、全体として失敗し、行きづまってしまった。
 いったいどこを改善していくべきか? 若きマッツィーニは、次の勝利のために、鋭く分析した。
 その一つは、指導層が老いて、改革への勢いを失ったこと。
 また、他国の援軍ばかりを期待し、「自分たちの力で歴史を変える」との信念が弱まったこと。
 そして何よりも、闘争自体が、民衆から遊離してしまったこと。
 マッツィーニは、それらが敗因であったと総括したのである。
 要するに、当時の指導者たちは、傲慢になり、民衆の中に入って接触をもとうとしなかった。しかし、民衆が目覚め、民衆自身が決起しないかぎり、祖国の独立はありえない。
6  ゆえに、青年の正義感と情熱で、民衆への波動を起こしていこうと、彼は立ち上がったのである。
 一八三一年、二十六歳のとき、マッツィーニは、結社「青年イタリア」を結成した。
 彼は叫んだ。
 ″青年を、立ち上がる民衆の先頭に置け。あの若き連帯に、どんな力が秘められているか、青年の声が民衆に、どれほど想像を超えた影響力を発揮するか、あなたがたは知らないのだ″
 これが、古今東西を問わず、歴史変革の方程式である。
 今、イタリアの青年部の成長も、じつに目覚ましい。青年部出身者も、見事に活躍しておられる。
7  「青年が先頭に」「リーダーが模範を」
 マッツィーニは、「民衆の中で対話を」と呼びかけた。
 「青年を使命感に目覚めさせよ」
 「丘に登って行け、農民のテーブルに坐れ、手工業者の仕事場を訪れよ、それらは君がこれまで無視してきた人びとだ。かれらの正当な自由について、かれらの古い伝統と栄光とについて、また、今はないいにしえの商業的偉大さについて語れ。誰もが指摘しないままに、かれらが気づかずにいる数多くの抑圧の形態についてかれらに話してやれ」(森田鉄郎『マッツィーニ』清水書院)と。
 このマッツィーニの訴えに、多くの青年は、行動をもって応えた。愛する祖国の未来を開こうと、勇んで活動に身を捧げた。
 青年たちは、一軒また一軒、一人また一人と、民衆の中へ飛び込み、真剣な語らいを繰り広げていった。そして、町から町へ、村から村へ、独立への思いを書きつづった文書を全国、津々浦々へ、送り届けていったのである。
 私どもでいえば、「聖教新聞」である。青年たちの行動によって、支援者や同志の連帯は、あらゆる階層の人々を巻き込み、幾千幾万へと大きく広がっていった。
 青年の一人は語っている。
 我々は「家にいたいと思うときに、外へ出なければならない!」
 「黙っていたいと思うときに、しゃべらねばならない!」(前掲『マッツィーニの生涯』)と。
 勝利のために歩け! 語れ! と。
 仏法もまた、「行躰即信心」である。「声仏事を為す」である。
 当然、当局に見つかれば、投獄や追放、死罪の危険さえあった。事実、激しい弾圧を受け、殉じていった青年もいた。
 だが、若き彼らは、崇高なる理想のために、苦難をむしろ誇りとし、喜びとしながら、さらなる闘志を燃え上がらせていったのである。
8  マッツィーニ自身、その生涯において、冤罪のため、罪人扱いされたり、死刑の宣告を受けたり、迫害の連続であった。しかし、彼は達観していた。
 民衆を真に目覚めさせていく道は、どこにあるか。それは、指導者が、いかなる逆境にも負けず、いかなる無反応にも失望せず、同胞のため、理想のために労苦を惜しまない生涯の模範を、みずから示すことだ、と。
 マッツィーニとともに闘争を貫いた青年たちの行動こそが、偉大なる「民衆への教育力」となった。イタリアの統一へ、最大の影響力をもたらしていったとたたえられている。
 のちのイタリアを担う新しい指導者群も、この戦う青年たちの中から、陸続と羽ばたいていったのである。
9  「必死の一人」は千万軍に勝る
 私は、五十三年前(一九四七年)の八月、戸田先生の弟子となった。
 入信して間もなく、「如説修行抄」を拝した。その一節に、こう仰せである。
 「真実の法華経の如説修行の行者の師弟檀那とならんには三類の敵人決定せり、されば此の経を聴聞し始めん日より思い定むべし況滅度後の大難の三類甚しかるべしと」――真実の法華経を、仏の説の如く修行していく行者の師弟檀那となる以上は、三類の敵人が出現するのは決定的である。それゆえ「この大法を聞いた日から、覚悟を定めなさい。末法には在世以上に三類の敵人がはなはだしく現れるものである」(と、かねがね言っていた)――。
 戸田先生の不二の弟子として、私は誓願した。
 「難は、私一人に受けさせてください。そして、師匠・戸田先生を守り、全学会員を守らせてください」と。
 そして、この五十三年間、その通りに、祈りきり、戦い抜いてきた。
 御聖訓どおりの「三類の強敵」と、これだけの激しい戦闘を続けながら、だれ一人として犠牲にすることなく、百六十三カ国・地域(=二〇〇二年七月現在、百八十三カ国・地域)にわたる「世界広宣流布の道」を開いてきたことは、私の最高の誉れである。
 大聖人は、竜の口の頸の座において、「これほどの悦びをば・わらへかし」――これほどの悦びはないと、笑っていきなさい――と言い放たれ、佐渡流罪の渦中にあって、「流人なれども喜悦はかりなし」――流人の境遇にありながら、生命の奥底から、喜悦が限りなくあふれてくる――と仰せである。
 人生は、広宣流布の闘争は、「煩悩即菩提」である。苦労が大きければ大きいほど、喜びも大きい。功徳も大きい。そして、境涯も大きくなる。
 ゆえに、指導者は「自分が、いちばん苦労してみせる!」と決めることである。同時に、「自分が、いちばん楽しんでみせる!」と朗らかに、悠々と生き抜き、戦い抜いていくことである。その人は、無敵である。その人には、だれ人たりとも、かなわない。
 「必死の一人」は千万軍に勝る。戦いは、リーダーの執念で決まる。責任感で決まる。
 「断じて勝ってみせる!」
 「必ず、わが地域の広宣流布は成しとげてみせる!」
 草創の同志は皆、この心で立ち上がった。その決心があれば、人材は出てくる。仏菩薩に厳然と感応していくのである。
 要するに、決定した「祈り」である。そして、春になると、野の花が一斉に咲き薫るように、時が来れば、必ず、すべてが開花していく。
10  「我々は人類のために働いている」
 マッツィーニは語っている。
 「正しい原理に従って祖国のために働くことによって、我々は人類のために働いているのである」(力富阡蔵『マッツィーニの生涯と思想』黎明書房)
 仏法は、最高の道理である。その原理にのっとって、良き国民として、良き世界市民として、祖国に、そして人類に貢献していくのが、SGIである。
 マッツィーニは、こうも主張している。
 「汝自身と他人とを改善すること、これこそあらゆる改革、あらゆる社会的変革の第一の意図であり、最高の希望である」(『人類義務論』大類伸訳、岩波書店)
 世界の最高峰の知性は、皆、「人間革命」の思想と運動を志向している。イタリアのペッチェイ博士も、そうであられた。さらに、マッツィーニは言う。
 「将来の信仰の合言葉は団結であり、共通の目的にたいする同胞的な協力」(前掲『マッツィーニの生涯と思想』)と。
 二十世紀、残念ながら、日本とイタリアの「ファシズムの同盟」は戦争の悲劇を深め、民衆を苦しめた。二十一世紀へ、日本とイタリアの「人間主義の同盟」で、民衆の幸福と平和と栄光を、断固として飾ってまいりたい。
11  十四世紀のイタリアの桂冠詩人ペトラルカは、うたった。
  「諸侯よ 見るがいい
   いかに時間が早く飛び去ってゆくかを、
   いかに人生が早く逃げ去ってゆくかを、
   そして 背後におい迫ってくる死神を」
  「隣人を苦しめるために無駄に費す時間を
   力仕事でもいい 智力の仕事でもいい
   一段と有為なことに 立派に賞め讃えられることに真摯な努力のうちに 傾けてほしいのだ
   そのとき この世にも溢れる喜びがきっとこよう
   天に至る道も 自から 人の前に開かれよう」
    (「カンツォニエーレ」池田廉訳、『世界名詩集大成』1所収、平凡社)
 何に時間を費やすか。
 根本の課題は「生と死」である。それを解決しゆく生命の哲学を学び、実行していく。隣人をはじめ世界中の友と仲良く、人類の平和への道を生き抜いていく。それが学会活動である。
 広宣流布につながる行動は、一念三千の法理で、自身も、社会も、国土をも、幸福の方向へ変えていける。
 個人指導。折伏。機関紙の拡大――一番地道で、一番大変かもしれないが、その分、確かなる功徳は大きい。いざという時に、必ず諸天に守られる。大歓喜の生死となる。最高に有為な、これ以上ないという「無上道」の人生となるのである。
 再び、古代ローマの哲人セネカの箴言を贈りたい。
 「賢者は常に行動中であり、運命が彼の前に立ち塞がったとき、その活動は最高に達します」(『道徳書簡集』茂手木元蔵訳、東海大学出版会)と。
 どうか、ともどもに人生の賢者となって、賢く、健康で、生き生きと、目を見張るような新たな前進を、と申し上げ、私のスピーチとさせていただく。
 グラッツェ!(イタリア語で「ありがとうございました」)
 (群馬多宝研修道場)

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