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日蓮大聖人・池田大作

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第2回東京婦人部最高協議会 女性こそ二十一世紀のスーパーパワー

2000.7.26 スピーチ(1999.10〜)(池田大作全集第91巻)

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1  リーダーは希望と確信を友に
 全国各地、「新しい人材」の登場で、「新しい勝利」への出発、おめでとう!
 仏法は、間断なき仏と魔の戦である。勝つことが広宣流布である。
 幹部は深き責任感に立ち、急所をとらえた「行動者」でなければならない。
 リーダーが徹して民衆の中に入り、民衆と語り、民衆の心をつかんでいく。そこに希望がわく。正義の戦闘力がみなぎる。そこから勝利のエネルギーを引き出していく以外にない。
 組織の上下を超克して、人々の心をつかむことが、リーダーの根本条件である。
 希望と確信を与えることである。命令や指示では、人々は本当の力を出せない。むしろ感情的に反発してしまうことを忘れてはならない。
2  今、アメリカ創価大学の建設の槌音が、いよいよ高鳴っている。
 アメリカ・ルネサンスの思想家、エマソンの言葉に、「わたしたちの内部には、わたしたちがまだ利用していない資源があるのです」と(『エマソン論文集』上、酒本雅之訳、岩波文庫)と。
 私たち自身の生命の財宝を、自他ともに限りなく輝かせていくのが、創価の生き方である。
 同じく、エマソンの箴言に、こうある。
 「君自身の世界を築きたまえ。君が君の生活を精神のなかに宿る純粋な理念に従わせたら、とたんに君の生活にそなわる壮大な可能性が開けるだろう」(同前)
 さらに、ホイットマンの詩に、こういう一節がある。
 「私は至高の力によって元気を取り戻し、大衆の果てしない行進に加わって、進撃する、奥地へも、海岸へも、私達はゆく、そしてあらゆる境界線を越えてゆく」(長沼重隆訳)
 広宣流布の進撃もまた同じである。
 わが東京は、東京戸田記念講堂で、一昨日は東京支部長・婦人部長会、昨日は東京男子部大会、そして、きょうは東京女子部部長会が行われ、意気軒高の前進を開始した。
 ご存じのように、東京戸田記念講堂は、既存の建物を改修して、一九七九年(昭和五十四年)六月に落成した。当時、私は名誉会長になった直後であった。開館式の前日(六月二日)に足を運び、友へのせめてもの励ましにと、ピアノの演奏を贈った。(「月の沙漠」と「大楠公」の二曲)
 以来、私も五十回、訪問して歴史を刻んだ。その後、九〇年(平成二年)十一月には全面的に新築され、今年で満十年を迎える。
3  「師弟の城」から勝利の波動を
 このほど、うれしい報告があった。戸田講堂は、この十年間で、来館者が五百万人に至ったのである。初代牧口会長、二代戸田会長が、ともに死身弘法の闘争をされた、縁も深き豊島の天地に立つ殿堂である。
 宗教史上、空前の日顕宗による信徒弾圧が始まったのは、ちょうど戸田講堂が新築された年であった。それから十年――。五百万の堂々たる地涌の菩薩の結集を、講堂に掲げられた牧口先生、戸田先生の肖像も、どれほど喜ばれ、見つめてこられたことか。
 この七月は、戸田先生の出獄から五十五周年でもある。
 戸田講堂は、幸い、近隣の皆さま方にもさまざまに活用していただき、地域友好の広場として親しまれている。会合参加者の整然とした誘導にも心して取り組んできた。また、地元の町会、商店街の方々、さらに消防署、警察署、最寄りの駅の方々とも連携を取り合い、種々、協力させていただきながら、地域の安全と繁栄に尽力している。
 「守る会」の皆さま方が、巣鴨駅から講堂までの道の清掃などを地道に続けてくださったことも大きな信頼を広げてきた。全国の「守る会」の皆さま方に、この場をお借りして、あらためて深く感謝申し上げたい。
 ともあれ、私は創価学会の最重要の拠点に、「戸田講堂」そして「牧口会館」(東京牧口記念会館)と、師匠の名前をつけさせていただいた。
 この「師弟の城」から、二十一世紀への新たな勝利の波動が、さらに大きく広がりゆくことを祈ってやまない。
4  人材を集めよ、師を求めよ
 かつて、「戸田大学」の漢文の講義で学んだ、中国の戦国時代の物語がある。
 舞台は、中国北部にあった「えん」という国である。(以下、「戦国策」常石茂訳、『中国古典文学大系』7、平凡社を参照。「燕」は紀元前、現在の遼寧リャオニン〈りょうねい〉省、河北ホーペイ〈かほく〉省などを含む地にあった)
 「燕」の国は、熾烈な攻防戦のなかで、ひとたびは他国に大敗した。その苦難のなかで、新しい王(昭王)が即位し、再び立ち上がった。
 これまでの屈辱を晴らし、負けない、強い繁栄の地盤を築き上げるためには、どうしたらいいか?
 王は真剣に悩み、苦しみ、考え抜いたのであろう。一人の賢人のもとを訪ね、リーダーのあり方を問うた。
 すると、その賢人は、四種類の指導者について語ったのである。
 まず、「組織を滅ぼす指導者」がいる。
 人に対して、ふんぞりかえって、にらみつける。暴力をふるい、ふみにじる。大声で叱りとばし、手足のように酷使する。その人間の周りには、「奴隷のような人間」しかいない――というのである。
 上に立つ人間が、そういう傍若無人ぶりでは、最後は必ず、その組織を滅ぼしてしまうことは必然である。
 次に、「覇者たる指導者」がいる。
 力で人を抑えつけようとする存在といえる。その人のもとには、自分より力の劣る「家来」しかいない。
 賢人は、こんな話をする。自分は楽をして動かない。命令ばかりして、人を動かす。そういう人のもとには、自分の言いなりになる小者しか集まらない、と。
 それでは、当然、組織は活力を失い、衰退してしまうであろう。
 これに対して、「王者たる指導者」がいる。
 その周りには、その人にふさわしい「友人」が集まる。つまり、相手の人格を尊び、礼儀正しく、誠実に接し、苦楽を共にしていく。
 中心者がそういう姿勢であれば、その組織には自分と同じレベルの力量の人材が集まってくる。
 しかし、それだけでは、まだ十分とはいえない。
 さらに、「王者の中の王者たる指導者」がいる。その条件とは、いったい何か?
 それは、「師」を持つことだというのである。師とは、ここでは、自分より優れた人物のことを指す。自分の驕りの心を捨て去り、礼節を尽くして、各方面の優れた人物から、謙虚に、また真摯に学んでいく。
 トップみずからが、そうした姿勢を貫けば、周りには、自分より十倍、百倍、優秀な、力ある人材が、自然のうちに結集してくるというのである。
 事実、この賢人の助言どおりに行動した新しい王のもとには、傑出した天下の逸材が続々と集まり、国土は大発展を遂げた。やがて、宿敵にも厳然と打ち勝ったのである。
 ここには、あらゆる団体、企業、組織に通ずる示唆が込められているといえよう。
5  師から真剣に学び続ける人生に停滞はなし
 ともあれ、栄えゆく組織、勝ちゆく組織となるか。それとも、滅びゆく組織、敗れる組織となってしまうか。
 その根本的な要因は、結論すれば、指導者自身に、「師弟」という生命の求心力がみなぎっているかどうかである。
 指導者の立場につく人は、正しい師匠を持ち、たえず向上しゆく努力なくして、真に輝かない。伸びない。本当の力は出ない。結局、自分中心に迷走したり、油断したり、傲慢になって、大勢の人を迷わせてしまう。
 真の師匠から真剣に学び続ける人生は、停滞しない。行き詰まらない。
 そこには、人格の真価が光る。限りない前進の息吹がある。成長の鼓動が満ち満ちていく。だからこそ、大勢の人々を牽引していける。
 そしてまた、指導者に、核融合のごとく、「師弟不二」という生命の無限のエネルギーが燃え上がっているかどうかである。
 御聖訓には、「師弟相違せばなに事も成べからず」――師弟の心が相違するならば、何事も成し遂げることはできない――と仰せである。
 創価学会は、どこまでも「師弟の心」を合致させて、永遠に「広宣流布の勝利」を成し遂げていくのだ!――これが、戸田先生の叱咤であり、激励であった。この原点を、「戸田講堂の来館者五百万人」の達成に際し、再び確認しておきたい。
6  先日、インドの若き高名な教育者であり詩人であるセトゥ・クマナン博士から、まことに心躍るお便りをいただいた。
 それは、待望の「創価池田女子大学」が、このほど地元のタミル・ナードゥ州から正式に承認され、この八月十三日に開学式を迎えることになったとの知らせであり、ご招待であった。(=SGI会長は、名誉創立者として当日メッセージを贈った)
 私の名前を冠していただき、恐縮の極みであるが、女性教育に心を砕いておられた牧口先生が『創価教育学体系』を発刊されてより七十周年。私たち夫婦は、謹んで、牧口先生に、ご報告させていただきたい。
 クマナン博士は手紙のなかで、過分にも、「世界のスーパーパワー(一大勢力)である『女性』のために、池田先生が力を尽くされていることが、創価池田女子大学を構想する源泉となったのです」とつづってくださった。
 私自身のことはともかく、二十一世紀を決するスーパーパワーとは、まさしく「女性」である。女性の世紀へ、誕生の声をあげた、この女子大学の限りない発展を、私たち夫婦は生涯、祈り続けていく決心である。
7  ガンジーの弟子となった英国女性
 ところで、インドといえば、ガンジー記念館のラダクリシュナン館長が、先ごろ新著を発刊された(『池田大作――師弟の精神の勝利』栗原淑江訳、鳳書院刊)。
 その中で、マハトマ・ガンジーの一番の愛弟子で、ガンジーが最も信頼する補佐役であったミラ・ベーン(ガンジーが贈ったインド名)と呼ばれる女性が紹介されている。(イギリス名は「マドレーヌ・スレイド」)
 彼女は、イギリス海軍の提督の娘として、裕福な家庭に育ちながら、インドの独立闘争に人生を捧げた。勇気ある信念の女性であった。
 恵まれた環境を捨て、ガンジーの弟子となったのは、彼女が三十二歳の時。(一九二五年)
 以来、ガンジーが暗殺されるまでの約二十三年間、ミラ・ベーンは、ある時は、ガンジーの身の回りの世話役として、ある時は、有能な秘書兼通訳として、また、ある時は、各国の指導者と堂々と渡り合うガンジーの代理として、師匠であるガンジーのために、身を粉にして仕え切っていくのである。
 ガンジーは、良家の令嬢である彼女を慈しみ、こまごまと配慮しながら、薫陶していた。
 戸田先生も、女子部や婦人部に対しては、一人ひとりの家庭状況を踏まえながら、それぞれに、こまやかな指導をしておられた。
8  一九三一年、ガンジーが、イギリスでの会議に参加した際には、彼女も同行し、ガンジーを支えて不眠不休で働いている。
 その会議を終えて、ガンジーがインドに戻ったときのことである。当局は、不当にも、民衆への残虐な弾圧を強めていた。帰国したガンジーも、理由なしに逮捕されてしまう。各地では、多くの同志が独立闘争に立ち上がっていた。
 ミラ・ベーンも、″今、インドで何が行われているか。今こそ、当局の横暴と、インドの民衆の勇敢な闘争を、世界に伝えていかなければならない!″と決意する。
 師匠が逮捕され、民衆が苦しむのを見て、黙っている彼女ではなかった。しかし、当時のインドのマス・メディアには、真実を世界に伝えることは期待できなかった。
 そこでミラ・ベーンは、勇敢なる同志とともに、みずから作戦本部を設置。全インドから寄せられる情報を収集・分析してリポートにまとめると、それを秘密裏に、イギリス、フランス、アメリカなど世界の友人のもとに発信していったのである。
 それは、当局の厳しい監視をくぐり抜けての死にもの狂いの戦いであった。
9  「民衆の勇気」を世界に発信
 一人の女性の強き一念が発信するニュースは、世界を巡った。多くの人々が、真の実態を知るようになり、植民地支配に大きな動揺を与えていった。
 ミラ・ベーンたちの外交戦・広報戦は、砲弾のごとく、敵の本陣を揺り動かしていったのである。
 ミラ・ベーンは、こうした、激しい闘争のために、何度も投獄されている。しかし彼女は、それを、恐れるどころか、むしろ誇りとした。
 彼女は、当局から逮捕されることを知ったとき、友人であるフランスの文豪ロマン・ロランに、こう書き送っている。
 「私にもとうとう名誉が与えられることになりました。通知が送られてきて、明朝の逮捕を待つ身になりました」
 「心から愛する国(インド)は恐ろしい抑圧の締めつけの下で闘っています。しかし決意の精神は強くかつ深いのです」(『ロマン・ロラン全集』42、蛯原徳夫訳、みすず書房)と。
 どんなに苦しくとも、彼女は、師匠とともに戦えることを無上の喜びとしたのである。
 ミラ・ベーンは、ある時、牢獄のなかから、師・ガンジーに書き送っている。
 「そうです。あなたの娘であることは、容易なことではありません。しかし、価値のあることは、決して、容易ではないのです。遠く遠く離れた、この牢獄に一人でいることは、大変な戦いです。心配なニュースを聞くと、燃えさかるかまどに投げ入れられたような気持ちになります。しかし、もし、その信念が本物であるならば、それは、燃えさかる炎のなかをくぐり抜けることができなければならないのです」と。
 こうした女性の戦いがあってこそ、インドの勝利はもたらされた。
 ネルー初代首相も、インドの独立に果たした、女性の闘争の歴史的意義について、こう語っている。
 「無慮無数の婦人たちが、かれらのヴェールをかなぐりすて、かれらの閉ざされた家庭のしきいを踏み越えて、闘争するかれらの兄弟たちと手をたずさえて、街頭や広場に進出し、ときには男たちを瞠若どうじゃく(=目を見張る)たらしめたふるまいは、それをまのあたりに見たことのない人には信ぜられないほどであった」(『父が子に語る世界歴史』5、大山聰訳、みすず書房)と。
 今、創価世界女性会館も、その華麗な装いを、いよいよ現している。
 二十一世紀の世界の「スーパーパワー」である女性の連帯の先頭に立って、わが創価学会婦人部が、ますます、はつらつと活躍されゆくことをお祈りしたい。
10  「強き信心」の人生は無敵
 ここで日蓮大聖人が女性門下に贈られた御聖訓を拝したい。
 「乙御前御消息」には、こう仰せである。
 「妙楽大師は『必ず心の固きによりて神の守り、すなわち強し』等と言われています。心の堅固な者には、神の守りが必ず強いというのです。このように申し上げるのは、あなたのためです。あなたの前々からの(信心の)お志の素晴らしさについては言い尽くせませんが、それよりも、なお、いっそう強盛な信心に立っていきなさい。その時は、いよいよ十羅刹女の守りも強くなることと思いなさい。その例は、他から引くには及びません。この日蓮を日本国の上一人より下万民に至るまで、一人の例外もなく害しようとしましたが、今までこうして無事に生きてくることができました。これは、日蓮は一人であっても、法華経を信ずる心の強いゆえに諸天善神が守護されたのであると思いなさい」(御書1220㌻、通解)
 そして、四条金吾の夫人には、こう述べておられる。
 「この法華経だけには、『この経を受持する女性は、他の一切の女性に優れるだけでなく、一切の男子にも超えている』と説かれています」(御書1134㌻、通解)
 「一切の人が憎むならば、憎めばよい。釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏をはじめとして、梵天・帝釈・日天・月天等にさえ、いとおしく思っていただけるならば、何が苦しいことがあるでしょうか。法華経(御本尊)にさえ、ほめていただけるならば、何が苦しいことがあるでしょうか」(御書1135㌻、通解)
 「ただし、信心の弱い人は、法華経を受持する女性であっても、諸天は捨てると説かれています。たとえば、大将軍の心が弱ければ、従う者も、ふがいない。弓が弱ければ、絃もゆるい。風が弱ければ、波も小さい。これは、自然の道理です」(同㌻、通解)
 広布の闘争において、女性の力が、どれほど大きいか。
 一切は、女性リーダーの強き信心で決まる。どうか、「強き信心」という無敵の力で「強き正義の矢」を放っていただきたい。新しい希望の波、大いなる勝利の波を起こしていっていただきたい。
11  ″友への奉仕がわが喜び!″
 マハトマ・ガンジーの言葉を贈りたい。
 「この人格は何のためでしょうか。この世での暮らしを楽しむためではありません。仲間に尽くすことを喜びとするためです。このような奉仕に、身体も心も頭脳も捧げるのです。人間の体は奉仕をするためだけにあります」(『ガンジー・自立の思想』片山佳代子訳、地湧社)
 わが人生を民衆のために!――これが学会精神である。
 「数千年という年月も、広大な時のめぐりの中ではほんの一点にすぎないのだ。誰かが、不屈の信念をもって、皮切りをしなければならない。大衆が(ヨーロッパの大衆でさえ)それに応えてくれるだろうことをわたしは信じて疑わない」(ガンディー『わたしの非暴力』1、森本達雄訳、みすず書房)
 まず、自分自身が動くことである。すべてはそこから始まる。
 「精神の力というものは常に前進し、限りがありません。この力を最大限に発揮することができれば、この世でそれを打ち負かせる力など他にありません」(前掲『ガンジー・自立の思想』)
 いよいよ二十一世紀である。新しい人材で、新しい東京を築いていただきたい。
 暑い日が続きますが、どうか、お元気で!
 敬愛する全同志のますますのご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げ、私のスピーチといたします。
 (東京・新宿区内)

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