Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第48回本部幹部会 「励ましの対話」こそ「勝利への対話」

2000.7.18 スピーチ(1999.10〜)(池田大作全集第91巻)

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1  誇り高き「民衆サミット」の心意気で
 きょうは、あまり堅苦しくなく、懇談的にお話ししたい。
 先日、ある識者が語っていた。
 「創価学会の幹部会は、世界最高の『生命と生命のサミット』『人間と人間のサミット』ですね」と。見る人は、きちんと見ている。
 地道にして誇り高き「民衆のサミット」――その心意気で進みたい。(拍手)
 政治には「権力の魔性」がある。宗教には「善」「悪」の両面がある。
 政治の悪は、人間を押しつぶす。宗教の悪は、生命に少しずつ″毒薬″を入れていくようなものだ。どちらの悪も、人間を金もうけの「手段」にする。とんでもないことだ。
 一番正しいのは「人間主義」である。ゆえに学会の前進が大事なのである。
2  学会は「心と心のうるわしき絆」
 きょうは、世界の女性教育者の先生方も出席してくださっている。
 アメリカSGIの婦人部でラモナ高校の校長先生。
 フランスからは、全国婦人部長で、中学校の英語教師の先生。幼稚園の園長先生。小学校の校長先生。ご苦労さま! 本当にありがとう!(拍手)
 七十年前、小学校の校長として、『創価教育学体系』を発表された牧口先生も、どんなに喜んでおられることか。牧口先生に代わって、御礼申し上げたい。
 そして、海外から来られた皆さま、遠いところ、本当にご苦労さま!(拍手)
 法華経に「当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし」(普賢品、開結六七二㌻)とある。
 広宣流布に励む求道の同志を、どうか大切にしていただきたい。温かく、最大に歓迎していただきたい。
3  創価学会の目的は広宣流布である。
 「一切法は皆是仏法なり」であるゆえに、あらゆる行動が広宣流布につながる。すべて「信心の拡大」のための闘争であり、修行である。
 明年、二十一世紀の初頭の法戦を、見事なる勝利で飾りましょう!(拍手)
 全部、自分自身の功徳になる――その大確信を皆がもって、楽しんで戦えるようにするのが名指導者である。皆を苦しめる「叱咤」ではなく、未来に向かう「希望」を贈る。
 皆が喜んで、広布のために働いていけるようにするのが、指導者の使命であり、偉さである。
 仲良きことは美しきことである。仏法は「人間共和」の教えである。「調和」の世界である。「仲がいい」ということが「異体同心」であり、学会の一番の宝なのである。
 陰で文句を言ったり、不平不満をこぼし、陰湿な策をめぐらすのは、利己主義であり、自分中心主義である。偏見であり、独善である。「破和合僧」の大罪になってしまう。
 何かあれば、直接、話し合い、すっきりと納得し合っていくべきである。聡明に、どこまでも信心根本に、ともに前進する――ここに理想的な「和合僧」の道がある。
 壮年部・男子部は、婦人部・女子部に対して、言葉づかいを丁寧に。決して怒鳴ったり、横柄な口をきいたりしてはならない。そんな資格もない。
 男女同権である。大聖人は「男女はきらふべからず」と仰せである。
 女性を尊敬し、大切にしていく「紳士」であっていただきたい。これが学会の伝統である。
 またリーダーは、温かい、ねぎらいの言葉をかけていくことである。
 「ありがとう」「ご苦労さま」「事故に気をつけてください」「風邪をひかないように」――そのひとことで、心が温まる。さわやかな人間性の薫りが広がる。人間と人間の麗しい絆こそ学会の世界なのである。
4  リーダーが先頭に、リーダーが真剣勝負で
 勝つ組織は、どこが違うか。
 リーダーが真剣に動く。死にもの狂いで戦う。幹部が先頭に立って、皆の家を一軒一軒歩き、励ましを贈っていく。その組織が勝つ。関西が模範である。
 先頭を行く――それは上行菩薩の徳にも通じよう。
 自分が動かないで、人にやらせるのは卑怯である。傲慢である。組織利用である。
 二十一世紀を迎えようとする今、激動の渦が巻いている。勝つか負けるか――どこも必死である。真剣勝負である。
 いわんや、「仏法は勝負」である。勝負ならば、戦う以外ない。勝つ以外ない。
 私も何十年間と勝ち抜いてきた。戦わなければ敗北である。勝ってこそ成仏もある。
 ゆえに、自分自身のために、わが地域のために戦っていただきたい。勝っていただきたい。
5  報告や手紙には、善悪がともにある。何でも言いつけようとする人間もいるし、口がうまい人間もいる。
 ゆえに、幹部は判断を誤ったり、左右されたりしてはいけない。必ず確認をし、きちっと公正に見ていくべきである。ウソを横行させるのは仏法破壊である。その最たる例が日顕宗である。
 温かい心。
 信心の心。
 同志愛の心。
 団結の心。
 広宣流布の心。
 そして「信心」の魂の結合の組織――これが創価学会である。これで進みたい。
 二十一世紀に向かって、広宣流布へ、新たな戦いの陣列を組み、出発してまいりたい。(拍手)
6  イタリア独立闘争の偉大な先駆者マッツィーニは、こう言い残した。
 「団結は諸君の力を百倍にする」
 「青年は運動によって生き、熱情と信仰によって成長するものだ」(ボルトン・キング『マッツィーニの生涯』力富阡蔵訳、黎明書房)
 これこそ学会のいき方である。また、トルストイの愛した言葉に、こうある。
 「なんじの隣人の安寧幸福のために、真実を語る勇猛心もて身をかためよ」(『人生の道』原久一郎訳、岩波文庫)
 「真実を語る人」が「信心ある人」である。平和のために「勇猛心で身をかためよ」。これが創価学会である。だから学会は強くなったのである。
7  どこよりも平和に、幸福に――沖縄の使命
 今月(七月)の二十一日から、世界が注目する「沖縄サミット」が開幕する。
 歴史的なサミットの大成功を、まず、お祈り申し上げたい。(拍手)
 私が沖縄を初めて訪問したのは、四十年前――一九六〇年の七月十六日。いちばん暑い季節であった。その日は、日蓮大聖人が時の最高権力者に「立正安国論」を上呈し、国主諌暁をされてより、ちょうど七百年後の、その日であった。
 この日を、永遠に残る歴史の日に選び、私は行動したのである。
 当時、沖縄は大変な苦難の時期であった。(アメリカの施政権下にあった)
 私は、皆を励ました。
 「沖縄は、必ずや将来、『東洋のハワイ』になります。世界中の人々が憧れ、集い合う天地に必ずなります」
 どこよりも、戦争の犠牲になって、苦しみ抜いてこられた沖縄である。
 (国内で唯一の地上戦を展開した沖縄戦では、住民の四人に一人が犠牲となり、日本の本土防衛の「防波堤」にされた)
 だからこそ、どこよりも「平和」と「幸福」を勝ち取っていかねばならない!
 これが沖縄の使命である。沖縄の戦いである。
 また、これが私の祈りであり、決意であり、確信であった。
 今、その願いが現実になってきたと私は信ずる。(拍手)
 初訪問の際、私は「ひめゆりの塔」にも行った。沖縄戦のすべての犠牲者の冥福を祈り、題目を唱えた。
 その時、私は思った。「大事なのは、これからだ。これから、どうしていくかだ」と。
 焦点は「未来」である。大聖人は「末法万年尽未来際」と仰せである。沖縄の未来のために、私は人知れず、手を打ってきた。
 小説『人間革命』の執筆を、愛する沖縄の地で開始したのも、こうした意味からである。(拍手)
8  「広布のモデル」推進する離島
 わが沖縄の尊き同志は、私も大好きな「沖縄健児の歌」にあるごとく、「命をかけて ひと筋に」、大聖人の御仏意のままに戦い抜いてきた。
 今や「一番早い広宣流布の天地」と前進している。
 ハブのいる草むらを踏み分け、波浪を乗り越えて、広宣流布の道なき道を切り開いてこられたのが沖縄の同志である。それに比べれば、東京は、あまりにも恵まれている。
 「沖縄」や、お隣の「奄美」に築かれた、創価学会の発展の足跡。それは、世界の宗教史上に燦然と輝きわたる「偉大な金字塔」であった。
 そのことを日本の宗教社会学の第一人者であられた安斎伸先生(上智大学名誉教授)が高く評価してくださっている。
 (安斎名誉教授は、″キリスト教の宣教師と同じように、否、それ以上の苦労に耐えての布教であった″と述べている。沖縄最高会議でのスピーチで紹介。〈本全集第88巻収録〉)
 安斎先生は亡くなられたが、忘れ得ぬ交友を結ばせていただいた方である。
 沖縄と奄美の同志の偉大な歴史を、私は心から賛嘆申し上げたい。(拍手)
 うれしいことに、正法流布の進展とともに、沖縄は素晴らしい「繁栄の道」を歩んでこられた。
 二十一世紀へ、いやまして「立正安国」という偉大な平和の光を、赫々と放ち始めた。(拍手)
9  また、この沖縄、奄美をはじめ、日本中の離島の同志が元気に活躍しておられる。
 離島が大事である。離島は隣近所、お互いが、よくわかっている。だれが学会員か、皆、知っている。そのなかで、一歩一歩、信用を得て、人生に勝つ姿を示していく。それが大事である。
 ゆえに「広宣流布のモデル」として、私は離島に力を入れてきた。幹部が一人も行かないところへも激励を送ってきた。
 懐かしい新潟の佐渡島の友も、意気軒高の様子を報告してくださった。
 七月二十日は「佐渡の日」。四十二年前、私が初訪問させていただいた日である。
 きょうは、新潟の代表が見えられている。佐渡の皆さまに、どうか、よろしくお伝えください。(拍手)
10  生命こそ「最高の宝」、その宝を信仰で磨け
 さて、沖縄で尊敬されている偉人の一人に、十八世紀、琉球王国の黄金時代を築いた蔡温さいおんという有名な哲人指導者がいる。(一六八二年〜一七六一年)
 蔡温については、以前もスピーチさせていただいた。(一九九八年一月の各部代表協議会でのスピーチ。本全集第88巻収録)
 ″人間学の達人″であった蔡温は、次のようなエピソードを書き残している。
 それは、一人の少年に対する、おじいさんの「励ましの対話」である。
 なお、少年への激励といえば、きょうは、未来部の担当者である「二十一世紀使命会」の代表の方々が集まっておられる。本当にご苦労さま! いつもありがとう!(拍手)
 この沖縄の少年は、誇りをもって、おじいさんに言った。
 「私は、先祖代々に伝わる大切な剣を持っています。それを毎日、一日も怠らず、磨いております」
 すると、おじいさんが尋ねた。
 「その剣以外に、おまえは何か宝を持っているか」
 少年は答える。「何も持っておりません」
 おじいさんは静かに言った。
 「その剣など、小さな宝にすぎないのだよ。君は、最高の宝を持っている。それは、君自身だ」
 君自身の生命の宝を、なぜ磨こうとしないのか?
 この教えに、少年は深く感じ入って、おじいさんに感謝したという話である。(崎浜秀明編著『蔡温全集』本邦書籍。参照)
 仏法にも通ずる話である。私が申し上げたいのは、常に立ち返るべき原点は「自分自身」であり、「生命それ自体」であるということである。
11  人間が人間らしく生き、人間らしく生命を輝かせていく。これ以上のことはない。そこにはじめて、人間らしく「幸福」と「平和」と「自然との共生」を実現していける。一切の科学や技術の進歩も、そのためにある。
 二十一世紀を前に、人類は、もう一度、この基本を確認していかねばならない。今こそ、「人間」という原点に帰るべきではないだろうか。
 その点、沖縄には、「命こそ宝」という哲学が光っている。
 人間教育の根本も、「生命を大切にすること」である。
 だから「絶対に人を殺してはならない」。
 だから「絶対に戦争を起こしてはならない」。簡潔にして根本の原則である。
 この点だけは、二十一世紀の世代に、峻厳に教え伝えていかなければならない。
 それ以外のことは、でき得る限り、自由に、伸び伸びと、大らかに、未来部を育て、応援していけばよいと私は思う。
12  「忍耐の心」で「一対一」の対話を推進
 ところで、今回の「沖縄サミット」では「IT革命」――「情報技術革命」が大きな議題の柱になるとされている。
 この点について、私は世界的な経済学者のサロー博士と論じ合った。(『二十一世紀と人生を語る』〈聖教新聞社刊〉で紹介)
 つい先日、日本を代表する財界人とも語り合った。
 インターネットに象徴されるダイナミックな情報革命は、本来、知識や情報が一部の人間や集団に独占されるのを防ぎ、多くの人々に共有される道を大きく開くものである。ゆえに、これからの時代は、あらゆる知識や情報を、人類の幸福と世界の平和のために生かし、使いこなしていく「智慧」が、ますます追求されなければならない。
13  情報革命をめぐって、私は、イラン出身の著名な平和学者であられるテヘラニアン博士(ハワイ大学教授)と語り合った。(=『二十一紀への選択』〈潮出版社〉と題して二〇〇〇年十月刊行)
 テヘラニアン博士は「国際コミュニケーション論」の権威者としても有名である。その博士が、いみじくも語っておられた。
 「私たちが迎えた新しい世界とは、コミュニケーションの回路は拡大しているにもかかわらず、対話そのものは切実に不足している世界のことである」と。
 世界は、つながってはいる。しかし、本当の対話がなされていない、と。まったく、その通りである。
 人間と人間の「物理的な距離」は、どんどん近づいてきた。にもかかわらず、「心と心の距離」は、遠ざかったままである。孤独地獄は、ますます深刻である。
 だからこそ、これからの情報社会をリードするには「人間根本の哲学」を持って、「人格と生命の対話」を率先して実践していく指導者が必要である。
 この点、テヘラニアン博士も私も、一致した意見であった。
 さらに、テヘラニアン博士は、そうした「生命触発のモデル」として、創価学会の座談会運動、対話運動を挙げておられる。
 「私は、SGIにみられる座談会などの自主的な小規模のミーティング(会合)のもつ役割を高く評価し、着目しています。
 現代の国家や企業といった、マス(大きな集まり)の次元だけでは、どうしても非個性化、非人格化、貪欲性、攻撃性が優勢になりがちだからです」と。
 「情報技術革命」が進めば進むほど、健全な人間と社会の発展のために、人格と人格がふれあう「一対一の対話」が必要不可欠になるのは当然である。
 その時代の最先端の行動をし、新たな地球文明の創造へ貢献しているのが、わが創価学会であると、世界の識者が注目し始めたのである。(拍手)
14  思えば、釈尊も、インドの大地を歩きに歩いて「一対一の対話」を続けていった。
 大聖人の「立正安国論」も、「対話形式」でしたためられている。
 「対話」こそ、仏法の永遠の精神である。
 上からの命令では「対話」とはいえない。心を通わせ、ともに歩き、ともに行動する。そこに対話は生まれる。
 牧口先生も戦時中、権力の魔手が迫るなかで、最後の最後まで折伏の歩みを進められ、「対話」を続けられた。
 逮捕されたのも、「一対一の対話」のために、はるばる伊豆の下田まで、足を運ばれた時である。
 「声仏事を為す」――声が仏の仕事をなすのである。
 しゃべることである。対話である。
 「柔和忍辱(正法を素直に受持し、難を耐え忍ぶ)の衣」「忍耐の心」を持ちながら日々、生き生きと声を発していく。
 「希望の対話」「哲学の対話」「幸福の対話」「和やかな対話」「励ましの対話」――。
 それが人間らしい世界をつくる。それが「勝利への対話」につながるよう戦ってまいりたい。(拍手)
15  「SGIには啓発と信頼と向上が」
 昨年の秋、ボストン二十一世紀センターから、『仏教者の平和事業――平和の文化の創造を目指して』と題する論文集が発刊され、アメリカ全土で大反響を呼んでいる。
 私も「SGIの目指す平和運動」という一文を寄稿させていただいた。
 現在、この論文集は、ハワイ大学はじめアメリカの四つの大学で教材として使用され、学生の間でも、大変、好評を得ているという。(拍手)
 アメリカには、「悪いものは悪い」「正しいものは正しい」と明快に認める気風がある。日本であれば、良いものほど妬まれるかもしれない。島国根性のゆえに。
16  四つの大学のうち、サホーク大学の宗教学科長、ジアンコーラ博士に、ボストン二十一世紀センターのヨコタ代表がインタビューした。
 博士は、次のように語っておられる。
 「世界の宗教には、今、真の意味の実践がない。しかし、実践こそが、宗教の根本の要素であるはずです。宗教の真実は、実践の中にこそあるのです」
 だからこそ、博士はSGIの行動に大きく注目されている。
 たとえば、SGIの活動の一環である座談会運動について、こう評価している。
 「人々は、座談会への参加を通して、人生に悩んでいるのは、自分一人ではないことを知る。また、ほかにも悩みを乗り越えている人がいることを知る。座談会は、人々の集まる場を提供するだけではなく、啓発しあい、信頼しあう機会となるものです。お互いが、唱題し、また、人間として向上を目指している人々の集まりだからこそ、それが可能となっているのです。実際、私が出会ったSGIのメンバーは、本当に信頼できる、良き人々です。こうした人々に出会うことは、まれなことです。
 また、多くの宗教が、こうした実践を目指していますが、成功することは、まれであります。こうしたSGIの独特の実践が、世界で試みられ、成功していることは、驚くべき事実と言わざるを得ません」
 学会の実践にこそ、人間の蘇生があり、真実の希望がある。
 これが世界の称賛の言葉である。
 さらに、後世の人々から「創価学会は偉大なる宗教革命であった」「人類に触発を与え、新しい黎明をつくった」と証明されることは間違いないと信ずる。(拍手)
17  前進の力――世界の賢者の言葉から
 前進への力に、世界の賢者の言葉を贈りたい。
 アメリカ独立革命を導いたトマス・ペイン。有名な『コモン・センス』に、こうある。
 「われわれの偉大な力は数にあるのではなく、団結にある」(小松春雄訳、岩波文庫)
 団結こそ力である。団結しない人間は「破和合僧」である。最大の悪である。ゆえに、功徳はない。
 ドイツの文豪ゲーテ。
 「小さいのが相手では、小事をなすしかない、大きいのを相手にしてこそ、小さいのも大きくなるのだ」(『悲劇』山下肇訳『ゲーテ全集』3所収、潮出版社)
 大きいものを相手にすることだ。だから私たちも、ちっぽけな功徳でなく大功徳を願い、狭い日本でなく一番大きな「世界」へ向かいたい。(拍手)
 マハトマ・ガンジー。
 「そこにある真実を認めていながらそれをやらないのは、臆病者と呼ばれるにふさわしい人々です」(『ガンジー・自立の思想』片山佳代子訳、地湧社)
 正しいと認めていながら実践しない。座談会にせよ、勤行や広布の闘争にせよ、正しいとわかっていてやらないのは臆病者である。ガンジーは「臆病ほど重い罪はない」とも言っている。
18  再び、トマス・ペインの言葉。
 「わたしの故郷は世界であり、わたしの宗教は善をなすことである」(前掲『コモン・センス』)
 今や、世界が活動の場である。広布の舞台も全世界に広がっている。
 そしてリンカーン(アメリカ大統領)の言葉。
 「自分が正しいと思うことを曲げなければ、われわれは成功を収めることができるでしょう」(マリオ・M・クオモ、ハロルド・ホルザー『リンカン民主主義論集』高橋早苗訳、角川書店)
 「私は歩くのは遅いが、決して後戻りはしない」(鈴木有郷訳『アブラハム・リンカンの生涯と信仰』教文社)
 最後まで信念を貫くことである。
 たとえば、友人がなかなか仏法を理解してくれない。座談会に出てくれたが、信心しない――それでもいい。前にさえ進んでいればいい。
19  誠実・確信ある言葉、それが勝利
 さらにエマソン(アメリカ・ルネサンスの思想家)。
 私の机のそばにも、エマソン全集がずっとある。牧口先生も戸田先生も、エマソンが、お好きであった。
 「誠実な言葉が完全に無駄になってしまったためしはない」(『エマソン論文集』上、酒本雅之訳、岩波文庫)
 誠実な言葉。確信ある言葉。それが勝利につながる。いいかげんな言葉や、策略など必要ない。
 最後に、リンカーン。
 「われわれは、弱い者が強くなり、無知な者が賢くなり、すべての人間がともに向上してもっと幸せになることを期待したのである」(前掲『リンカン民主主義論集』)
 一緒に幸福になろう!――私たちも、この心で進みたい。
20  また来月、勝利した姿でお会いしましょう!
 ご健康とご長寿を祈りたい。すべての成功と勝利を祈りたい。
 皆さまに、お題目を送ります。皆も祈っていただきたい。
 「悪鬼入其身」の反対で、自身の生命に「梵天、帝釈、日天、月天よ、入りたまえ!」「全学会員に、わが地域のすべての同志の方々の生命に、梵天、帝釈、日天、月天よ、入りたまえ!」――こう祈れば、千倍、万倍の力が出る。これが生命変革の「祈り」である。「信仰」である。人間革命への″秘伝″である。
21  日寛上人は、文段で「わが身に、日蓮大聖人の御生命が顕れる」と仰せである。
 (当体義抄文段に「我等、妙法の力用に依って即蓮祖大聖人と顕るるなり」〈文段集六七六ページ〉と)
 これが妙法の信仰の究極である。おのおのの生命に、日蓮大聖人の御生命があると仰せである。ゆえに、断じて負けることはない。
 この大確信で進みましょう! きょうは、ありがとう!
 (東京牧口記念会館)

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