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日蓮大聖人・池田大作

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第46回本部幹部会 未来のために「民衆の連帯」を強めよう

2000.5.24 スピーチ(1999.10〜)(池田大作全集第91巻)

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2  「善を行う者」には一切が味方に
 戦う大文豪であったヴィクトル・ユゴー。彼は叫んだ。
 「善を行う者には一切のものが助けになる」「季候も我れ等にみし、北風も我れ等に与みし、降雨も我等に与みするであろう」(「追放」神津道一訳、『ユーゴー全集』10〈ユーゴー全集刊行会〉所収。表記は現代かなづかいに改めた)
 善を行う者には、一切のものが味方になる。私どもも、自分の周りの、ありとあらゆる存在が諸天善神となるのである。
 不正、邪悪に対しては、断固として反撃せよ! これがユゴーの叫びである。戸田先生の叫びである。牧口先生の遺言である。正義に生き抜く人間の信念であり、仏法者の信念なのである。
 正義の人間を弾圧し、滅ぼそうとする邪悪な勢力とは、断じて戦い抜く。これが学会精神である。
 悪を見ながら何もしないのは、いくじのない、ずるい人間である。そういう惰弱な幹部になってはいけない。善と悪を厳しく見分けなければならない。
 青年部が立ち上がっていただきたい。幹部が先頭に立っていただきたい。
3  韓国の箴言に、こうある。
 「団結することは力だ」「団結すれば生きられ、裂かれれば死ぬ」さらに「大勢で行く仲に入れば痛む足も引きずられて行く」。
 たとえ足が痛くても、一緒であれば、力強く前に進んでいける。これが「仏教伝来の大恩の国」韓国の教えである。
 「和楽第一の韓国SGI」の新出発を、皆で期待し、皆でお祝い申し上げたい。(拍手)韓国と日本は、一体で進みたい。世界で一番仲良く、前進してまいりたい。(拍手)
4  歴史は変わる! 「正義を求め」「理想を貫く」民衆がいれば
 きょうは、波涛会の代表も参加されている。インドでの歴史的な写真展の大成功、おめでとう!(拍手)(波涛会は、外国航路に従事する壮年・男子部の人材グループ。メンバーが主催する「働く海の男の写真展」が五月十二日から、インドのムンバイ〈旧ボンベイ〉で開催された〈=このあとの開催では、同展の名称は写真展「波涛を越えて」に変更〉)
 私たちは、世界中が舞台である。小さな日本だけではない。私は、いつも世界を見つめている。世界のために行動している。
 六十年ほど前の歴史である(一九三九年二月)。邪悪なヒトラーと戦うアインシュタイン博士のもとに、一人のアメリカの「海の男」から手紙が届いた。
 船乗りが、嵐の海に揺られながら書きあげた手紙であった。この船員は、アインシュタイン博士の人間性あふれる論文を読んで、深く感銘した。そして博士の「人道主義」と「人権闘争」への強い連帯の決意を、ありのままにつづって送った。
 すると、思いもかけず、船員のもとに、″世界のアインシュタイン博士″から、丁重な返事が届いたのである。ここが大事である。
 一人の庶民を、どこまでも大事にする。絶対に下に見ない。心から尊敬していく。それが本当の指導者である。
 博士の手紙には、率直な喜びがしるされていた。――自分はもっといい時代が来るという希望をもっているが、それは、政治家ではなく、船員のあなたのように正義を求め、理想を曲げない、高潔な人びとの存在に期待しているからだ――と。
 これが、二十世紀を代表する大学者、アインシュタイン博士の心であった。(デニス・ブライアン『アインシュタイン』鈴木主税訳、三田出版会。参照)
5  信頼できるのは「善の民衆」である。創価学会、SGIほど、「正義を求め、理想を曲げない、高潔な」民衆の連帯は、世界にない。
 この学会を守り、学会を強くしていく。それが、人類の「未来の希望」となる。民衆が立ち上がれば、歴史は変わる。
 皆さんの日々の地道な活動も、そのためである。重大な広宣流布の一歩であり、人類の未来につながる「大いなる道」である。「大いなる航路」である。
 ともあれ今、アインシュタイン博士が波涛会の皆さまとお会いしたならば、どれほど喜び、感嘆し、賞讃するであろうか。私は、「広宣流布のキャプテン(船長)、万歳!」とエールを送りたい。(拍手)
6  尾崎咢堂「時代を救え! 言論活動で」
 二〇〇一年五月三日へ、私どもは全国、全世界で「壮大なる前進」を開始した。五月三日は、ご存じのように「憲法記念日」でもある。
 今年(二〇〇〇年)の五月三日付の「聖教新聞」で紹介されたように、このほど私は、「憲政(立憲政治)の父」尾崎行雄先生(尾崎咢堂)の直筆の書を寄贈していただいた。「尾崎行雄記念財団」の常務理事で、尾崎行雄先生の甥にあたる尾崎行義先生から、お受けした貴重な″宝″である。
 尾崎行雄先生といえば、一八九〇年、国会が開設されて以来、二十五回連続当選し、六十三年間にわたって衆議院議員として活躍した大政治家である。世界の議会史上、最長の在任記録という。
 牧口先生も論文(「善悪観と大小観との混迷」)のなかで、横暴な悪徳政治家と戦う尾崎先生について言及されている。また戸田先生が、ある政治家に対して、「憲政の闘士・尾崎咢堂を模範とせよ!」と厳しく叱咤しておられた姿も、私は忘れることができない。
 (=尾崎行雄について名誉会長は、これまで九八年四月、一橋大学会総会でスピーチ。本全集89巻収録)
 さて、いただいた尾崎先生の直筆の書は、太平洋戦争のころ、書かれたものである。(一九四〇年に詠み、四五年に加筆)
 そこには、格調高い漢文で、次のような意味のことが記されている。
 「(自分の住まいである)風雲閣から風雲の世の中を見つめると、裏切りや背信が入り乱れている。
 『王道』は地に堕ち、憲政は乱れている。
 世を挙げて、捏造で人を陥れることに汲々としている。私は直ちに筆をふるって、時代を救う言論を後世に残していくのだ」
 原文を読み下すと「風雲閣上、風雲を望む。渝盟ゆめい、背信、何れも紛々たり」「王道地にち、憲政乱る」「世を挙げて、滔々誣妄ふもうを事となす。直ちに筆をもて救時の文を遺さんと欲す」となる。
 尾崎先生の言論戦は、裏切りや捏造に対する猛烈な反撃でもあった。
 青年に対して、「反発心を持て!」と叫ばれた。非難や攻撃は、青年には、かえって、何よりの「激励」となるのだ、と。
 「反撃の精神」こそ青年の特権である。いわれなき中傷や非難には、逡巡することなく、その場その場で、断固として応戦していく――そこに青年の成長がある。その闘争以外に、本当の鍛えはない。最高の「チャンス」なのである。
 学会は、正義なればこそ、悪には徹底して反撃する。草創の友には、この精神が燃えたぎっていた。いかなる圧迫をもはね返す、猛然たる闘争がなければ、もはや青年ではない。人生の敗北者である。
 私は、御本尊に、ひたすら祈ってきた。「難は、私一人に受けさせてください。あとは全同志を守ってください」と。これからも私は戦う。今までの千倍、万倍、戦う決心である。
 力は、いくらでも、わいてくる。しかし、今、後継の青年たちに、「難を受け、難と戦い、難を乗り越える信心」を教えなければ、学会の未来はどうなるか。今、教えなければ、チャンスはない。
 令法久住のため、広宣流布のため、学会の永遠の発展のために、青年を本格的に育てたい。青年部の諸君は、実戦のなかで自身を鍛え抜いていただきたい。
7  「権力の政治」から「人道の政治」へ
 時代の先駆者は攻撃される。これが歴史の常である。
 尾崎先生自身、「国賊」と罵られようが、「非国民」となじられようが、断固として軍国主義と戦い抜いた「獅子」であった。
 獅子は強い。獅子は一人、毅然と戦う。
 創価学会を弾圧した悪法「治安維持法」についても、尾崎先生は「全廃せよ」と、堂々と国会で訴えている。(一九三一年〈昭和六年〉)
 また二一年(大正十年)には、「軍縮」の決議案を国会に提出し、大演説を行った。(そのため所属政党を除名された)
 その時、歌人の与謝野晶子が、尾崎先生は「権力としての政治」を離れ、「人道としての政治」「芸術としての政治」に立った先駆者であると賞讃したことは、有名な歴史のドラマである。
 「人道としての政治」。その実現を、私どもも強く望みたい。(上田博『尾崎行雄――〈議会の父〉と与謝野晶子』三一書房。参照)
8  正義の行動ゆえに、尾崎先生は、たびたび命を狙われた。
 ある時、暴漢に自宅を襲われた。すると、後日、暴漢の父親が謝罪に来た。しかし、尾崎先生は、自分を襲った彼の息子について、″国のためを思い、生命を惜しまず行動したのだから、あっぱれではないか″という意味の歌を詠み、かえって励ましたのである。
 もちろん、いかなる理由があれ、生命を傷つけることは、絶対に許されることではない。その心意気を、たたえたかったのであろう。
 ともあれ、私は、広布のため、わが同志のためならば、命を捨てる覚悟で戦ってきた。命がけでなければ偉大な闘争はできない。れで今日の学会が築かれたのである。(拍手)
9  尾崎先生は、若き日から「東洋のユゴー」になるのだと、世界に大きく志を広げた。諸君は、どうだろうか。
 (会場の青年部が「私は、世界の先駆者になります」「日本のシェークスピアです」「ナポレオンです」「日本のガンジーです」「周恩来です」等と、志を披歴)
 ありがとう。皆の目標と名前は、一生、覚えておきます。頑張れ!(拍手)
 ともあれ、青年ならば、尾崎先生のように、大きな志を持っていただきたい。
10  「日本人よ憲法を正しく使え」
 尾崎先生が東京市長(今の都知事)を務めていた時代、アメリカのワシントンに三千本の桜の苗木を贈ったことも、有名な話である。
 桜といえば、北海道・厚田墓園(戸田記念墓地公園)の桜が、今年は、戸田先生の「生誕百周年」を祝うかのように、例年以上に美しく咲いた。素晴らしい桜景色であったという。地元の方が写真を届けてくださり、私も拝見した。それはそれは見事で本当に感激した。
 仏法では、「法に依って人に依らざれ」と説く(涅槃経)。牧口先生は『創価教育学体系』で、この哲学は「立憲政体の本義」にも通じると論じておられる。
 専制政治の時代には、「法」よりも「人」によって治められる。正邪や善悪よりも、権力者の勝手放題の感情や意志が、まかり通ってしまう。社会が進歩するにしたがって、憲法という「法」による政治が確立していく。
 同じように宗教でも、永遠に変わらない宇宙根本の「大法」が生きる規範となっていく。これが牧口先生の歴史観であった。
 縁に触れて変化する、人の「心」を基準にするのは危ない。仏法も社会も、あくまで「法」を根本として進むべきである。
 フィリピンのラモス前大統領と、ここ東京牧口記念会館で語り合った(二〇〇〇年三月)。その折も「憲法」が話題になった。
 私は質問した。
 「青年に薦める本は何ですか?」
 普通であれば、どこかの文学や哲学書をあげるであろう。しかし前大統領は、即座に答えられた。
 「自分の国の憲法を学んでいくべきです!」「どの憲法の冒頭にも、民衆が実践していくべき理念が謳われているからです」
 印象深い言葉であった。たしかに今、自国の憲法を、きちんと読んでいる人は、少ないかもしれない。
 現在の日本の憲法には「国民主権」「戦争放棄」「人権尊重」などが謳われている。
 尾崎先生は、「大切なことは、このかがやくばかりに立派な憲法を、正しく使いこなす力が、日本国民にあるかないかである」と述べておられる。(「民主政治読本」、『尾崎咢堂全集』10〈尾崎咢堂全集刊行会〉所収。一部、現在の表記に改めた。以下、同じ)
 この憲法を正しく使いこなしていきさえすれば、日本の未来は希望があると確信しておられた。
11  「人権行進国」から脱皮を
 憲法には、「人権尊重」の規定として、たとえば、第一一条に「基本的人権の享有」、第一四条に「法の下の平等」、第一九条に「思想及び良心の自由」、第二〇条に「信教の自由」、第二一条に「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」等々が明確に保障されている。
 この理想が今、どこまで実現されているか。まだまだ「人権後進国」であるとの厳しい評価も多い。理想を現実のものとするため、徹底した努力が必要であろう。
 尾崎先生は、「人間平等の思想こそが民主主義の基本精神」として、なかんずく第一四条の「法の下の平等」に注目しておられた。
 第一四条には「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とある。
 この条文に関して、尾崎先生は論じておられる。
 「わが新憲法は、その十四条に、すべて国民は法の下に平等であることを保証している。すなわち総理大臣だろうが、資本家だろうが、地主だろうが、我より上のものでもなく、下のものでもない。法の目から見た、人間としてのねうちは、全く平等である。この精神がしっかりつかめさえすれば、誰でも、自分で自分を卑しんだり、自分で自分を軽んじたりはしない」
 「自尊心がある人は権力に屈服しない。自尊心のある人は金銭に迷わされない」
 「権威を外に求めずして、我の内にある権威にめざめよ」
 仏法の精神とも深く響き合う。日本人は、地位や家柄や学歴など「外の権威」にあまりにこだわりすぎるといわれる。そうしたなかにあって、「人間の平等」「人間の尊厳」に目覚めた、偉大な民衆の連帯――それが、わが創価学会である。時代の最先端をいく運動なのである。
 ゆえに、我らの前進を、未来の人類が喝采する。我らの勝利を、日蓮大聖人が喜び、たたえてくださる。
 戸田先生は師子吼された。
 「仏法のうえから論じ、国法のうえから論じ、世法のうえから論じて、堂々たる行動を行うのだから、創価学会は、なにびとたりとも恐れない」(『戸田城聖全集』第四巻)と。
 この誇り、この使命、この理念をもって、私たちは戦いましょう!(拍手)
12  また尾崎先生は「人生は徹頭徹尾平和的戦争だ」(「人生を語る」、『尾崎咢堂全集』9所収)と洞察しておられる。鋭く真理を突いた言葉である。
 私たち創価学会も、この「平和的戦争」を行っている。戦わなければ平和は築けない。繁栄はない。幸福もない。人生も、社会も、すべて闘争である。それが真理である。
 尾崎先生は、こうも言われる。
 「人間一生の成敗(勝ち負け)は、凡て最後の五分間で決する」(同前)
 そう言って、九十歳を超えても一歩も引かずに戦い続けた。悪を攻めて攻めて攻め抜いた。
 皆さまも断じて戦い抜いていただきたい。
 「私はやり抜いた! 私は勝った! 何の憂いも、後悔もない」――人生の最後に、こう言えるかどうかである。
 「最後まで戦い続ける人」は美しい。その人にこそ「人生の勝利」は輝く。なかんずく、指導者が本気になれば、波動は全体に広がる。
 どうか、皆さま方もまた、「わが人生の本舞台は、いよいよこれからだ!」と、みずみずしい前進の勢いで、「かつてない自分自身の歴史」を築いていっていただきたい。(拍手)
13  アメリカ創価大学に高まる期待
 ここに、英語の新聞がある。アメリカ創価大学「オレンジ郡キャンパス」の特集記事である。今、大きく注目され、期待を寄せられている。
 ここで、アメリカ創価大学の新たな「指針」について述べておきたい。
  (1)「文化主義」の地域の指導者育成
  (2)「人間主義」の社会の指導者育成
  (3)「平和主義」の世界の指導者育成
 創立者として、こう提案させていただきたいが、どうだろうか。(拍手)
 なおアメリカ創価大学のモットーは、「生命ルネサンスの哲学者たれ!」「平和連帯の世界市民たれ!」「地球文明のパイオニアたれ!」を掲げている。
 先ほどの新聞は「オレンジ郡レジスター紙」。地元オレンジ郡の最大の部数を誇る新聞である。その紙面で「人間教育の大学」「丘の上の学舎」と題して大々的に紹介された。(五月十七日付)
 特集記事は、一面に概況が入り、さらに六面は全面にわたる。牧口先生の写真もあり、建学の精神や、創価教育の意義など、詳細に取り上げている。
 大学を設計した建築家、ファイファー氏のコメントも載せている。
 「現在のアメリカにおいて、まったく新しい大学が、まったく新しい土地に建設されることは、極めて異例なことである」と。
 キャンパスについては、″建物はヨーロッパ風でありながら、自然を重んじる仏法の思想が生かされている″と紹介。さらに「平和」や「生命の尊厳」を探究する講座が用意され、「世界市民の育成」を目指す大学であると、大きく宣揚してくださっている。
 新聞に報道されて以来、オレンジ郡では大変な反響で、連日、大学に問い合わせが相次いでいると、うかがっている。このように地域社会の方々が、アメリカ創価大学の建設を心から喜んでくださっている。
 創立者として、こんなにうれしいことはない。工事も、明年の開学に向けて着々と進んでいる。
 アメリカは、二十一世紀の焦点の国である。地域に貢献しながら、さらに力を入れてまいりたい。アメリカをはじめ北米、南米、ヨーロッパ等の友が連帯していく。そういう世界平和への「第二章」の建設に入った。
 二十一世紀へ、教育の新風を送りゆくアメリカ創価大学の誕生の意義は、かぎりなく大きい。どうか、学生の募集をはじめ、ご支援を、よろしくお願い申し上げたい。(拍手)
14  「大いなる目的」が「大いなる人間」をつくる
 最後に、英知の言葉を紹介したい。
 ドイツの詩人シラー。
 「時代は勇敢な者、決断する者に味方します」(『ヴァレンシュタイン』海老澤君夫訳、渓水社)
 皆さまも「勇敢」と「決断」の指導者になっていただきたい。諸葛孔明のごとき名指揮で! その人を諸天が守る。臆病者は守られない。
 シラーは、こうも言う。
 「人間は、一層大きな目的があってこそ、大きくなるものです」(『シラー選集』4,新関良三訳、冨山房)
 我らの目的も大きい。世界の広宣流布。全人類の救済。その正しき大目的に生き抜く時、自分自身も大きくなれる。
 イギリスの劇作家シェークスピア。こんな名セリフがある。
 「これからはどんな苦しみも耐え抜こう、苦しみのほうで『もうまいった』と悲鳴をあげて息絶えるまで」(「リア王」、『シェイクスピア全集』2〈小田島雄志訳〉所収、白水社)
 耐えて戦う! 戦い抜く! そうすれば″苦しみ″のほうが音をあげる。
 全世界の全同志の皆さま方の、ますますのご健康とご活躍と勝利を祈って、私のスピーチを終わりたい。
 どうか、お元気で! ありがとう!
 (東京牧口記念会館)

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