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日蓮大聖人・池田大作

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第44回本部幹部会、第25回九州総会、… 創価の人間主義を世界が待望

2000.3.24 スピーチ(1999.10〜)(池田大作全集第91巻)

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1  勝利、勝利の行進
 婦人部の祈りほど強く深いものはない。祈り抜く。祈りきる――この心が婦人部にはある。この信心に「勝利の栄冠」は輝く。
 「祈り抜く」「祈りきる」――この心が「勝利の秘伝」である。
 九州! 折伏、日本一おめでとう! 九州は先駆をきりました! 本当によくやった。おめでとう!(拍手)
 静岡、富士宮の大勝利、万歳!(拍手)「静岡の勝利」が「学会の勝利」です。(拍手)
 第二総東京は、新出発おめでとう!(拍手)
 SGI(創価学会インタナショナル)の皆さま! 遠くからご苦労さま!(拍手)
 さらに、青年僧侶(改革同盟)の皆さま! ご苦労さまです。ありがとう!(拍手)
 また、無冠の友(「聖教新聞」の配達員グループ)の皆さま! 白樺会(婦人部の看護者グループ)の皆さま! いつもいつも本当に、ご苦労さまです。(拍手)
 それから今回、海外に赴任される教育部の先生方! おめでとうございます。(拍手)お元気で! お題目を送ります。
2  本年の二月、世界の名門、アメリカのハーバード大学の「仏教入門」講座で論文試験があった。
 そこで私の著作『私の釈尊観』をテーマにし、次のような出題があった。
 第一問「池田SGI会長は、この著作(『私の釈尊観』)の(英語版)タイトルに、なぜ『ザ・リビング・ブッダ(生きている仏)』とつけたと考えるか?」。
 第二問「では『ザ・リビング・ブッダ』とは、だれのことか?」。
 こういう出題であった。
 今回、ハーバード大学のハリシー博士は「仏教入門」講座の教材として、私の著作『私の釈尊観』を使って、講義をされた。そして、論文試験のテーマにも取り上げられたのである。
 「ボストン二十一世紀センター」の代表が詳細を報告してくださったので、そのままを紹介させていただきたい。
3  「SGIに二十一世紀の人類が求める宗教の姿が」
 なぜ、ハリシー博士は教材として、『私の釈尊観』を選んでくださったのか。
 博士いわく――。
 「SGI会長は、釈尊のしたことに、『人間的な視点』から、自身の釈尊観を踏まえながら迫っております」
 「人間とは何かを追究していくこと――それこそが二十一世紀の課題なのです。
 釈尊は人間主義者であった――そうした視点から、仏教の思想をとらえていく。
 そこから得た智慧を通して、未来に生きるべき人間の価値を探っていく。
 SGI会長の著作は、そのための教材となるものです」
 (博士はまた、「SGI会長は、自身の生き方と釈尊の生き方を対照するなかで、釈尊の深い側面を明らかにされようとしておられる。その対照を通し、釈尊の生き方を学ぶことによって、『人間とは何か』を深く探究しておられます。こうした人間主義に根ざした仏教の研究は、大変に貴重です」とも述べている)
 ハリシー博士によれば、論文を通して、学生たちが「仏」について、次のような示唆に富む理解を示していたという。
 「仏とは特別な存在ではない。自分自身を変革し、開発しゆく作業の中に仏は存在する。それは、じつに啓発される視点である」などである。
 信心していない学者、学生までも、見る人は見ている。創価学会の主張する「人間主義」を追求している。こういう時代に入った。
 「創価の時代」は、どんどん二十一世紀に広がっているのである。(拍手)
 (池田SGI会長は、ハーバード大学の招聘を受け、一九九一年は「ソフト・パワーの時代と哲学」、九三年は「二十一世紀文明と大乗仏教」と題して二度講演している。同大学のクイーン博士は「全米宗教学会」で九三年の講演を紹介。大きな反響を呼んだ。
 さらに同博士が担当する講座「仏教と社会変革」では、ボストン二十一世紀センターが出版した『仏教者から見た地球憲章』を教材としている)
4  光栄にもハリシー博士は、私への評価を、次のようにも述べてくださったという。
 「SGI会長は、仏教が、『今』『ここに』生きる教えであることを示されました。
 SGI会長は、人間個人の変革を通した社会の変革にこそ、人々が幸福に生きるためのカギがある、ということを教えておられる。
 SGI会長の思想の中に、人類が二十一世紀に求める宗教の姿が示されていると思います」(拍手)
 海外の人は、「正しいことは正しい」と見る。学会のことも、よく理解されている。毀誉褒貶など考えない。これが「世界の一流」の姿勢である。
 ともすると日本人は、正視眼で見られない。見栄っぱりで、臆病で、「こう言うと、どう思われるか。どう言われるか」――そんなことばかり気にしている。正義に生きられない。
5  日蓮仏法の正統は創価学会
 博士はまた、SGIの民衆運動を、こう評価している。
 「個人の変革に力点を置くSGIの思想は、個人主義の思想を基盤とするアメリカ人が深く共感できる思想であり、哲学である。
 さらにSGIが個人の変革と開発を、(一人で孤立して行うのではなく)励まし合いを通して行っていることは、大変注目すべきことである。
 師匠に啓発された弟子が、個性を大きく開発している姿は、その好例である」と。
6  ハーバード大学といえば、世界最高峰である。
 同大学では、ハリシー博士の講座以外にも、現代仏教を研究する学科が、「創価学会をさらに研究したい」と、研究テーマに挙げているという。来月(四月)、その学科の教授と学生たちが、同大学近郊のSGIの会館に、研究のために来訪する予定とも、うかがっている。
 世界は創価学会に注目している。私も世界が舞台である。
 かつて妻に、もらしたことがある。言論問題のあとだったと思うが、「これからは世界だ。世界が相手だ」と。妻は、「あなたの視点は、すべて世界にありますね」と微笑んでいた。
 だから私は、一番苦労している海外の友を大切にしてあげたい。最大に励ましてあげたい。夜が明けるまで、未来を、人生を語り合いたい。それが、私の偽らざる心情である。
7  ともかく、「暗い二十世紀」に終わりを告げ、二十一世紀まで、あとわずか! 今度は、「世界の若き英才」が、創価学会の伝統を受け継いで、「創価の人間主義」を広げ、歩みゆく番である。そういう素晴らしい時代に入った。
 日蓮大聖人も「創価学会こそが日蓮仏法の本流である!」「正義の団体である!」と、さぞかし、お喜びのことであろう。
 「日蓮仏法の真髄」が生きている「正統」は、創価学会だけであると断言しておきたい。(拍手)
8  「万年の未来」へ前進!
 かのトインビー博士が、私との対話の結びに、こういう言葉を贈ってくださった。
 「人間は、自分の死後に何が起ころうとしているかに、思いをいたすことが大事である」
 大哲学者ラッセルの八十四歳の時の言葉である。
 これを通して、トインビー博士は、しみじみと言われた。
 「つまり、我々は、できるかぎり遠い先のことを考えて、人生を構想していくべきだということです」と。
 忘れ得ぬ、博士の″遺言″である。
 また博士は私に「それを、あなたは追求している。若くして実践している。だからあなたに会いたかったのです」と。
 博士とは、いろいろなことを語り合った。部屋には、博士の夫人と私の妻、そして通訳がいた。
 朝から晩まで対話の連続。そのなかで妻は「ティータイムのお茶とお菓子が、おいしかった」と。対話の中身については、難しくて、全然ふれようとしない(笑い)。
 本当に、懐かしい博士である。
9  さて、釈尊の法華経も、大聖人の御書も、仏の「未来記」といえる。
 遠大な未来を予見して説かれている。末法の今を生きゆく我々のために残してあげたいという仏の深き心が込められている。
 未来――焦点は「今」ではなく「未来」である。
 未来を生きる。未来を指さす。そして、未来を開く――この人が、本当の人間の指導者である。本当の青年である。青年は、あまりにも「未来」に富んでいる。
 仏法も、正法から像法へ、末法へ。あらゆる事象は「未来へ」「未来へ」と進んでいく。
 二十一世紀へ、創価学会も「万年の未来」を開いていきたい。これが私の今の心境である。
 次の世代、さらに次の世代、万年先の人々のために、「未来記」の心を受け継ぎながら、人類を平和の方向へ導いていきたい。千億年先の全宇宙をも平和の方向へ向けていきたい――それが広大無辺の仏の境涯であり、誓願である。
 今がよくても、次の世代が衰えてしまっては、悲劇である。次の世代のほうが、今よりももっと盤石な平和と幸福を味わえてこそ正しい軌道である。ここに仏法の視点がある。仏の大慈悲がある。
 学会も、二十世紀より二十一世紀のほうが、もっと発展し、皆を幸福にしていけるよう、土台をつくっていきたい。
10  「人類の平和の大道」を開きゆけ
 「自分だけよければいい」「自分だけ偉くなればいい」「自分だけお金持ちになればいい」「自分だけ功徳を受ければいい」そういう小さな狭い心は、本当の信心ではない。大乗仏教の精神ではない。
 ともあれ、永遠に輝きわたる大哲学を根本に、「人類の幸福の大道」「人類の繁栄の大道」「人類の平和への大道」を開いていく。これが広宣流布である。すごいことである。
 いかなる大学者も、いかなる大哲人も、いかなる大政治家も、なしえない。創価学会にしかできない。やりましょう!(ハイ! と挙手)
 こうして手を挙げる――小さなことかもしれないが、仏法から見れば、全部、意味がある。
 今、手を挙げた人たちは皆、自分が生々世々、指導者になる。その時に、民衆が皆、賛同して手を挙げてくれる、その因となっているのだ――そうとらえるのが仏法である。
 真剣に、妙法に帰命し、生き抜く時、小さなことのようでも、将来、信じられないほどの大功徳となる。また御本尊に最敬礼した分だけ、自分が生々世々、人から尊敬される。守られる。
 おとぎ話のように思えるかもしれないが、生命の因果は厳然としている。あまりにもすごいことなので、かえって信じることができないのである。
11  ここで大聖人の「顕仏未来記」――「仏の未来記を顕す」書――の一節を拝したい。
 文永十年(一二七三年)の閏五月、流罪の地・佐渡で執筆された御書である。
 「(国土に謗法の者が充満している末法の)この時に当たって、諸天善神は、その国を捨てて離れ、ただ邪天・邪鬼等がいて、王臣(権力者)・比丘・比丘尼等の身と心の中に入り住んで、これらの人々に法華経の行者に対して悪口を言わせ、誹謗させ、辱めるようにさせる。そういう時である」(御書507㌻、通解)
 現代において、この御書のとおりに、大聖人正統の仏法の実践者として、権力者と邪僧から悪口罵詈されてきたのは、いったいだれか。それは、仏意仏勅の創価学会しかない。
 とくに、この二十年来の狂気のごとき弾圧の連続は、未来永劫に語り継がれていくであろう。
 御聖訓には、さらに続けて仰せである。
 「しかしながら、仏の入滅後において、四味・三教等(の権教=かりの教え)への邪な執着を捨てて、真実の大乗教である法華経に帰依するならば、諸天善神ならびに地涌千界等の菩薩が、必ず、法華経の行者を守護するであろう。
 この行者は、(諸天善神や地涌の菩薩などの)守護の力を得て、本門の本尊・南無妙法蓮華経を一閻浮提(全世界)に広宣流布させていくにちがいない」(同㌻、通解)
 法華経の行者とは、当然、日蓮大聖人であられる。その上で、現代において、総じては、今、広宣流布へ、全世界で創価の同志が立ち上がっている。地涌の菩薩が立ち上がっている。その姿を、大聖人が励ましてくださっていると拝したい。
 また、今、創価学会が、世界の(諸天善神の代表である)梵天・帝釈――すなわち各界の指導者層から信頼され、喝采されている姿。これこそ諸天の護りの姿と信ずる。
12  一人の弘教が全世界に通じる
 ともあれ、大聖人が、また三世十方の仏菩薩、そして諸天善神が、厳然として、わが学会を守護してくださった。学会が、御聖訓通りの行動であるゆえに。
 今、創価学会には、二十一世紀の拡大の道が、晴れ晴れと、無限に開かれた。
 目指すは、一閻浮提の広宣流布である。大きな大きな心で進みたい。
 一閻浮提と言っても、遠いところにあるのではない。一人の人を折伏することが、一閻浮提に通ずる。広布のために一軒の家を訪ねることが、一閻浮提に通じる。「千里の道も一歩から」である。
 この尊き「広宣流布の道」で、永遠不滅の功徳を積みながら、勇んで戦いましょう!(拍手)
13  きょうは「黄金の国」マレーシアから、代表の方が研修で来られている。ご苦労さま。(拍手)
 マレーシアの大発展を象徴する、新しい「総合文化センター」が、いよいよ本年十二月に完成する予定である。十四階(地上十二階・地下二階)からなり、創価大学の本部棟と同じくらいの高さである。本当におめでとう!(拍手)
 またきょうは、「ルネサンスの天地」イタリアからも、研修の方々がお見えになっている。ご苦労さまです。(拍手)
 イタリアでも、この「3・16」を祝賀して、記念の青年部総会が、にぎやかに開催された。全国十三会場で一万三千人を超える素晴らしい連帯を成し遂げたと、うかがっている。おめでとう!(拍手)
 フィレンツェの青年部総会では、市長が来賓として出席され、私に対する「平和の印章」の授章決定を公式に発表されたとの報告を受けた。(拍手)
 イタリアでは、この三月、「3・16」記念の座談会が全国二千五百の会場で開かれ、二万七千人を超える方々が集われた。素晴らしい模範の大前進を、皆で心から賛嘆したい。(拍手)
14  ダ・ヴィンチ「太陽の下に隠るるものなし」
 イタリアと言えば、レオナルド・ダ・ヴィンチである。昨日(三月二十三日)、お見えになったフィリピンのラモス前大統領も、創大本部棟のダ・ヴィンチ像を見学していかれた。
 ダ・ヴィンチは言った。
 「太陽の下に隠るるものなし」(『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』上、杉浦明平訳、岩波文庫)
 すなわち「真実の太陽」は、必ずや正義を明らかにしていく。嘘や偽りなどが栄え続けることは絶対にありえない――これが、生涯、中傷や讒言と戦い続けたダ・ヴィンチの確信であった。
 ダ・ヴィンチは、「嘘」を「もぐら」に譬えて、こう言っている。
 「土龍もぐらはとても小さい眼をもち、常に地下に住まっている。暗闇にいるかぎり生きているが、光の当るところに出るとたちまち死んでしまう、嘘もこのとおり」(同前)
 嘘は、はかない。「真実の太陽」には絶対にかなわない。「太陽」の下で生きられない。そういう人間になってはならない。
 ダ・ヴィンチは「傲慢」を笑い飛ばす寓話を残している。
 あるところに、一本の杉の木が立っていた。杉の木は自分が一番美しいと傲り高ぶって、まわりの木々や草たちをバカにし、すべてを追いやっていった。その結果、強い風が吹くや、さえぎるものが何もなく、根こそぎにされて、地べたにたたきつけられた。(同前。参照)
 宗門も、供養を取るだけ取って、大功労者の学会を追いやった。ところが、今度は自分が破滅へと追いやられようとしている。
 さらにダ・ヴィンチは、「自分の生きる道」を踏み外す愚かさを、寓話を通して戒めている。
 ある小高い場所に、大きな石があった。美しい草木や色とりどりの花々に囲まれた、素晴らしい環境であった。しかし、その石は、下のほうの道に、自分と同じような石がたくさん集まっているのを見ると、そこに行きたくなった。
 「こんな所に草や木と一緒にいても始まらぬことだ、自分の姉妹達と共に暮らしたいものだ」(『ダ・ヴィンチ随想録』黒田正利訳、養徳社)
 そして、その石は、下の道まで自分から転がり落ちていった。
 しかし、しばらくすると、道を通る人間や荷車、馬などに、たえず踏まれ、け飛ばされるようになった。泥や動物の糞にまみれることもあった。
 「こんなはずではなかった!」
 その石は、元の場所に戻りたいと後悔した。しかし、どんなに悔やんでも、もはや、どうしようもなかった。
15  ともあれ、創価学会という仏意仏勅の幸福の組織から離れれば、どれほどわびしく惨めな人生となるか。退転者の人生を見れば明らかである。
 今、イタリアで、マレーシアで、さらに世界のあの地この地で、「人間革命」という二十一世紀のルネサンスが花開こうとしている。
 私どもは、これからも「太陽の仏法」とともに、「幸福の大道」を、朗らかに朗らかに進んでいきましょう!(拍手)
16  魯迅の信念「やるからには、すぐやろう!」
 最後に魯迅の言葉を紹介したい。
 (=名誉会長は中国国家文物局の認定により二〇〇〇年四月、北京魯迅博物館の名誉顧問に、さらに二〇〇二年四月には、上海魯迅記念館の名誉顧問に就任した)
 「やるからには、すぐやろう! 新しい路を切り拓くんだ!」(「傷逝」、『世界の文学 セレクション36』33〈高橋和巳訳〉所収、中央公論社)
 これが魯迅の信念であった。
 私どもも、同じ信念で前進しましょう! 創価の世紀へ向かって!
 (東京牧口記念会館)

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