Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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関西代表者会議 「無上道の人生」を生き生きと

2000.2.24 スピーチ(1999.10〜)(池田大作全集第91巻)

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1  「関西の新時代」万歳!
 いよいよ、「世界広布の二十一世紀」が始まる。関西こそ、その一切の「広宣の電源地」であると自負していただきたい。
 創立七十周年の希望の春を告げゆく、仏法史上に輝く「三千支部」の達成、本当におめでとう!
 「関西は立ち上がった。新しい時代が来た」と全国の同志も喝采している。
 きょうは、縁も深いわが大関西の功労者の代表の方々がお集まりくださった。遠いところ、まことにご苦労さまです。いつも、いつも、尊いご貢献に、心より御礼申し上げます。また、役員の皆さま方も、大変にお世話になります。
2  日蓮大聖人は、弟子の先陣を切って戦う壮年・四条金吾をほめたたえて、「日蓮の道を助けようとして、上行菩薩が、あなたの御身に入り代わられたのであろうか」(御書1163㌻、通解)と仰せである。いつの時代にあっても、妙法流布の法戦は、常に、先頭に躍り出て、全体を牽引していく存在が不可欠である。それが「地涌の菩薩」なかんずく「上行菩薩」の働きとも言えよう。
 「だれか」が、また「どこか」が、その牽引力となっていかねばならない。そして、大聖人の正統の創価学会にあって、この最も尊貴な使命を、威風も堂々と果たし続けてきたのが、わが常勝・関西である。それゆえの苦労も、どこよりも大きいかもしれないが、功徳もまた、どこよりも大きい。妙法のために戦った功徳は永遠に消えない。
 どうか、今再び、断固たる関西の底力を発揮して、全国を揺るがし、全世界を引っ張っていっていただきたい。平和のために、もう一回、新しい波をつくっていただきたい。永遠に関西創価学会を発展させていただきたい。ここにしか、真実の平和も、幸福もないからである。
3  関西は、忘れ得ぬ同志が、あまりにも多い。皆、私と一緒に、今日の三千支部の土台を作り、道を開いてくださった″偉大な同志″であり、″久遠の家族″である。
 いちばん地味でありながら、人間が、人間として、人間らしく、いちばん生き生きと輝き、いちばん目的と充実があり、いちばん皆が幸せを勝ち取ることができる――。
 永遠に、黄金の、これ以上ないという「無上道の幸福の人生」を歩んでいけるのが、創価の世界である。これこそが、関西の「人間の都」である。
 逝去なされた功労者の方々のことを、私たち夫婦は、いつも、しみじみと語り合い、お題目を送っている。
 仏意仏勅の学会のために尽くしてくださった方々のことを、私は絶対に忘れない。
 広宣流布の途上に亡くなられた、すべての功労の方々に、朝な夕な、真剣に私は追善をさせていただいている。
4  「生も歓喜」「死も歓喜」と幸福の軌道を
 夫の阿仏房に先立たれた千日尼に、大聖人は、こう語りかけておられる。
 「亡くなられた阿仏房の聖霊は、今、どこにおられるであろうかと人は疑っても、法華経の明鏡をもって、その影を浮かべてみるならば、霊鷲山の山の中、多宝仏の宝塔の内に、東向きに座っておられると、日蓮は見ております」(1319㌻、通解)
 妙法を唱え、広宣流布に生き抜いた尊き生命は、荘厳なる御本尊の宝塔の中に、そのまま入っていくとの仰せと拝される。
 法華経には、「方便現涅槃(方便して涅槃を現ず)」(開結五〇六㌻)、また「無有生死。若退若出(生死の、若しは退、若しは出有ること無く)」(開結四九九㌻)と説かれている。詳しくは略させていただくが、「生」といい、「死」といっても、生命のひとつの変化にすぎないというのである。生命は、「生」と「死」を繰り返しながら、永遠に連続していく。
 ハーバード大学の講演(一九九三年九月、テーマは「二十一世紀文明と大乗仏教」。本全集第2巻収録)でも論及したように、よく生きた人の「死」は、明日への活力を蓄える睡眠のように、次の「生」への充電期間となる。
 そして、「生」も歓喜、「死」もまた歓喜という大境涯を悠々と、また厳然と開いていくのが、透徹した信仰なのである。
 「御義口伝」に「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時本有の生死本有の退出と開覚するなり」――今、日蓮らの一類は御本尊を信じ妙法を唱え行じていく時、本有の生死という正しい生命の本源を悟り、しぜんのうちに″永遠の生命″を覚知し、わが身に開いていけるのである――と説かれる通りである。
 ともあれ、金剛不壊の妙法とともに生き、常楽我浄の学会とともに歩む限り、何も嘆くことはない。何もわびしいことはない。
5  先日、幼くして父を失った、けなげな関西の未来部員に、私は、こういう手紙を綴った。
 彼は、三人兄弟の長男である。
 「大好きなお父さんは、君の心の中に生きている。
 大切な大切な、お父さんは、お母さんの心の中に生きている。
 断じて負けるな! 絶対に負けるな!
 お父さんは、御本尊様の中から、君を毎日、見ている。弟たちのことも、君がお父さんに代わって、お母さんと弟たちを守ってあげなさい」
6  悪知識は「身も心も」破壊する
 さて、大聖人は、御書のなかで、涅槃経の文を引かれて、「悪象のために殺されても三悪道に堕ちない」ことを、繰り返し教えてくださっている。
 悪象に殺されるとは、現代的にいえば、不慮の交通事故にあうことなどに当たる。
 仏法を行じゆく生命の絶対的な「幸福の軌道」は、そうした災難によっては、決して破壊されないのである。
 正法を受持した人は、何があろうと必ず、「転重軽受(重きを転じて軽く受く)」の法理にのっとり、また、断じて「変毒為薬(毒を変じて薬と為す)」していくことができる。
7  ところで、御書に引かれた「涅槃経」では、「悪象」と「悪知識」の違いを六点にわたって分析し、なぜ「悪知識」が恐ろしいかが示されている。これは、入滅を前にされた釈尊の厳粛なる遺言である。
 すなわち、第一に、「悪象」等は、ただ″身″を破壊するだけで、″心″まで破壊することはできない。
 しかし、「悪知識」は、″身″も″心″も、二つとも、破壊する。
 第二に、「悪象」等は、ただ″一人″の身を破壊するが、「悪知識」は、″無量の善身″″無量の善心″を破壊する。
 第三に、「悪象」等は、ただ″不浄の身(汚れた身)″を破壊するが、「悪知識」は、″仏道修行によって浄化された″身および心を、ともに破壊する。
 第四に、「悪象」等は、″肉身″を破壊するが、「悪知識」は、″人々の法身(本来そなわっている仏の生命)″を破壊する。
 第五に、先ほども触れたように、「悪象」等のために殺されても、″三悪道には堕ちない″が、「悪知識」のために殺されては、必ず″三悪道に堕ちる″。
 最後に、「悪象」等は、ただ″身の怨(敵)″となるが、「悪知識」は、″善法の怨″となる――。以上の六点である。
 だからこそ、心して「悪知識」を捨て去り、徹底して「悪知識」と戦い抜いていかねばならないと、釈尊も、また大聖人も、強く、強く戒めておられるのである。
 まもなく、「3・16」を迎える。戸田先生の青年部への遺訓も、創価学会という広宣流布の和合僧を破壊しようとする悪知識に対して、断じて「追撃の手をゆるめるな!」であった。
 わが関西青年部よ、決然と立ち上がれ! と申し上げたい。
8  ケニアの建国――女性こそ「無名の勇者」
 昨年(一九九九年)の十二月十日、東アフリカの「ケニア作家協会」から、私は、協会として初めての「名誉会員証」と「名誉日本代表の証」を拝受した。
 (同作家協会は、池田会長の著作をテーマに年次研究会議も行った)
 その式典の折、駆けつけてこられた有名な女性作家のムトニ・リキマニ先生が、私にと、自著『ケニアの女の物語』(丹埜靖子訳、明石書店)を託してくださった。扉には、「池田大作博士へ 私たち婦人は、無名の勇者でした」と記されている。
 その中に、こういうエピソードが綴られていた。
 ――ケニア独立運動の戦いの中で、中心の指導者が弾圧され、逮捕された時のことである。釈放を求めて、民衆がナイロビの当局の前に集まった。その時、一人の女性リーダーが、弱腰の男性たちを、こう叱り飛ばした。
 「このドレスをあんたに貸すから、そのズボンを私に貸してよ!
 だいたいあんたがた男は臆病だよ。あんたがた、いったい何を待っているの。
 われわれにはもう指導者がいるんだ。彼をとり返そうじゃないか」(同前)
 われらの指導者を断じて守れ! われらの指導者とともに、断じて戦え! との訴えであった。集まった女性たちは、みな、彼女の叫びに、歓声をあげ、前進した。銃剣やライフルを突きつけられてもひるまず、命を懸けて、さらに前へ進み出たというのである。
 この史実を通しながら、ムトニ・リキマニ先生は誇り高く記しておられる。
 「ケニア独立のための苛酷な闘いが始まった時、私たちの女性同胞は、男と肩を並べて闘った。また独立後のケニアでも、国家建設という大きな仕事で、女たちは決定的な役割を果たして来た。そして今も、その役割を担い続けている」
 私は、この一書を、わが偉大なる関西婦人部の姿と重ね合わせながら、感動をもって拝見した。
9  今、いる場所で勝ってこそ「常勝」
 結びに、若き日より愛読してきたヘミングウェイの一節を贈りたい。
 「もしここで勝利を獲得するなら、われわれは、いたるところで勝利を得るだろう」(『誰がために鐘は鳴る』大久保康雄訳、『ヘミングウェイ全集』6所収、三笠書房)
 自分が、今、いる場所がいずこであっても、そこが、「本有常住」の場所であり、「人生の使命の場」であり、「仏国土」とすべき場所である。ゆえに、自分に与えられたその場で、断固として戦い、断固として勝っていくことである。
 それが、「常勝の道」である。なかんずく「関西の勝利」が「二十一世紀の勝利」を決定づける。
 関西の友の健闘を祈りたい。そして大切な、尊敬する皆さま方のご健康とご長寿、無事安穏と大福運を祈って、記念のスピーチとします。
 一緒に、元気で、偉大な人生を生きましょう! お会いできなかった同志の皆さま方に、どうか、くれぐれも、よろしくお伝えください。
 関西ありがとう! おおきに!
 (大阪・天王寺区内)

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