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日蓮大聖人・池田大作

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ロシア・サンクトペテルブルク大学「名誉… 今こそ夜明けを! 「光の民衆」の大攻勢で

2000.1.6 スピーチ(1999.10〜)(池田大作全集第91巻)

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2  百年前、サンクトペテルブルク大学の卒業生の一人である大思想家ベルナツキーは、深い暗闇の時代にあって、人々を凛然と激励していった。
 「われわれは歴史上、いまだかつてない時を迎えている。新たな人生の夜明けを迎えているのだ。今は、いかに苦しかろうとも、後世の人々は、われわれを羨ましく思うにちがいない」と。大変、有名な言葉であります。
 いま、まさに闇を打ち破って、千年先の人類までも照らしゆく「希望の哲学」を、旭日のごとく輝かせゆく時代に入った――私は、こう思っております。
 この新しき地球の夜明けを、私たちは世界最高峰の英知の先生方とご一緒に、晴れやかに迎えることができました。(拍手)
 貴大学が、世界の五本の指に数えられる「名門中の名門」であることは、よく知られています。
 (アメリカ・カリフォルニア州立大学ノースリッジ校のグアマン教授が発表した「〈アメリカを除いた〉世界の大学のランキング」によると、サンクトペテルブルク大学は第四位。日本の東京大学は六十七位)
 ベルビツカヤ総長は、その二百七十六年の荘厳なる伝統を受け継がれた。「初の女性総長」であられる。そして、″ロシア史上、最も苦難に満ちた時代″の一つといわれる、この六年間、厳然と大学の大発展を成し遂げてこられた偉大な方であります。
 「女性の新世紀」の開幕を飾るにふさわしい最高の賓客をお迎えでき、これほどの喜びはありません。(拍手)
3  大学から、とうとうたる人材の大河
 心より尊敬申し上げるベルビツカヤ総長。また、お懐かしいペトロシャン副総裁。そして、カメンスキー東洋学部長。
 「学問が高く掲げられるところ、人間もまた高貴である」
 この精神のままに、貴大学は悠遠なるネヴァ川の流れのごとく、滔々たる″人材の大河″を形成してこられました。
 ただ今、総長より世界的に著名な卒業生が紹介されました。世界の人々が知らない人はいない名前ばかりであります。(総長は「授章の辞」で、七人のノーベル賞受賞者ほか、歴史に輝く卒業生を紹介した)
 私は、貴大学の名誉博士として、それ以外の方々の名前を若干、挙げさせていただきたい。
 最初に「ロシアの良心」と尊敬される思想家リハチョフ氏(一九〇六年〜九九年)。大学で教鞭も執り、『中世ロシアの民族的自覚』『善いこと、美しいことについての書簡』などの作品も有名であります。
 科学者ガモフ(一九〇四年〜六八年)。彼の教科書を、私は若き日、恩師・戸田先生のもとで学びました。当時、最先端の教科書でした。
 物理学者ポポフ(一八五九年〜一九〇五年)――世界初の無線電信の実験に成功。ラジオの発明家ともされています。
 また、教鞭を執ったなかには、著名な文芸学者エイヘンバウム(一八八六年〜一九五九年)、大哲学者ソロビヨフ(一八五三年〜一九〇〇年)らもいます。
 さらに、文豪ゴーゴリ(一八〇九年〜五二年)は二十代半ば、貴大学で世界史を講義している。
 彼の『隊長ブーリバ』は思い出深い。恩師・戸田先生が青年に真剣に読ませ、真剣に講義された、大事な本であります。
 ゴーゴリの講義には、のちに作家として活躍するツルゲーネフ(一八一八年〜八三年)が、学生として出席していました。
 さらに、ゴーゴリの友人であった大詩人プーシキン(一七九九年〜一八三七年)も聴講していたといわれております。プーシキンは、逝去の直前にも、貴大学を訪問し、文学の講義を聴講していました。
 また、現在のプチン大統領代行も、貴大学の出身者であります。
 そして、もちろん、本日お見えになられた三人の先生方も、貴大学の最優秀の卒業生であられる。
 なお、私が親交を結んでいる法華経研究の大家ヴォロビヨヴァ博士(東洋学研究所)、クチャーノフ博士(同研究所所長)も、貴大学の出身です。
 私は二十六年前、創立二百五十周年の大佳節の貴大学を訪問し、教授や学生の方々と「教育論」「人生論」「生命論」など、さまざまに語り合い、未来を展望しました。(第一次訪ソ中の七四年九月十四日)
 最高に誉れある本日の栄誉を、私は二十一世紀を担いゆく「創価学会の青年」の先頭に立って、ここに謹んで拝受させていただくものであります。(拍手)
 (会合の席上、サンクトペテルブルク大学から池田SGI会長に対する顕彰が行われた。同大学のベルビツカヤ総長ら一行が出席、長年にわたる人間主義の行動と、学問・教育への貢献をたたえてSGI会長に「名誉博士号」が授与された)
4  「人生は戦い。安らぎは夢の中のみ」
 貴大学の創立は、一七二四年一月二十八日。日本でいえば、江戸時代半ばの享保年間となります。
 以来、幾多の風雪を乗り越え、勝ち越えてこられた貴大学の歩みは、「真実の賢者とは、正義の闘争の人なり」という不滅の哲学を示しておられる。
 「人生とは、すべてが戦い。安らぎは、夢に現れるのみ」
 これは、貴大学が生んだ大詩人ブロークの有名な言葉であります。
 いかなる試練にも、たくましく応戦し、心をくだき、頭を使い、戦い続けていくところにこそ「新しい創造の道」が開かれていくということであります。
 仏法では「難来るを以て安楽」と教えております。
 さらに「必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退く」――(凡夫が仏になる時には)必ず三障四魔という障害が出てくるので、賢者は喜びが、愚者はひるんで退くのです――とも説かれております。
 貴大学を擁するサンクトペテルブルク市は「ロシアの頭脳の天地」(プーシキン)とたたえられる「学問と芸術と文化の都」であります。
 「この地球上で一番美しい街並み」(ブロツキー)と絶賛される、麗しき「水と宮殿と緑の都」でもあります。
 思えば、創価教育の源流である牧口初代会長も、若き日の大著『人生地理学』において、世界の文化の要衝であるサンクトペテルブルク市の建設に論究しながら、都市の発達の要因を考察しております。(第二十九章「都会及村落地論」等)
 このかけがえのない「宝の古都」に襲いかかったのが、あの暴虐なるナチス・ドイツでありました。第二次世界大戦中、狂気のヒトラーは「この都を地上から抹殺せよ!」との指令を出しました。サンクトペテルブルク市は、じつに九百日にもわたって封鎖され、爆撃を浴びせられたのです。(以下、引用および参照は、H・E・ソールズベリー『攻防900日――包囲されたレニングラード』大沢正訳、早川書房)
 私も貴市訪問の折、墓地に献花をし、百万にも及ぶ犠牲者の方々のご冥福、そして貴国の永遠の平和を、仏法者として深く祈念させていただきました。
 また、けさの勤行の折にも改めて、ねんごろに追善させていただきました。
5  傍観者になるな、先頭に立て
 「光の民」と呼ばれる誇り高き貴市の市民は、苛烈きわまるナチス軍の包囲にも、最後の最後まで耐え抜き、粘り抜きました。そして奮然と「反撃」に転じ、「大攻勢」に出て、ついには侵略者を全部、「撃退」していったのであります。(拍手)
 創価学会も、立ち上がりましょう!(拍手)
 ナチス撃退の「大いなる砦」となったのが、サンクトペテルブルク大学でありました。攻防の最前線へ、勇んで飛び込んでいった学生たち。その数は二千五百人を超えました。そして、危険な歩兵部隊に志願した、たくさんの女子学生たち。
 世界最高峰の大学の学生が、ペンを捨て、本を捨て、一兵卒となって、最前線へ行った。祖国のため、同胞のため、平和のために、立つべき時に立ってこそ青年であります。
 創価学会の青年部の諸君も、この「命をかける精神」を学んでいただきたい。時代は違っても「悪との闘争」の方程式は同じです。侵略者とは、断じて戦わなければならない。断じて「撃退」しなければならない。
 私の青年時代は、全闘争を一人で担って立ちました。仏敵がいれば、日本中どこへでも行きました。
 大事なのは人数でない。真剣の一人です。
 戦うべき時に戦えないような、だらしのない青年であってはならない。今、立たなければ、日本はまた人権抑圧の強権の社会になってしまう。
6  サンクトペテルブルク大学では、教授陣も戦いました。文学部のある著名な教授は、自ら望んで艦隊に乗り込んでいきました。その教授は言いました。
 「この決定的な日々に私が傍観者でないことが幸せなのだ」と(同前)と。
 自分は傍観者でなく、行動している。それが幸せだと。
 彼は、死をもいとわぬ勇猛の心で、最前線で戦死していった。
 間断なき「敵の蹂躪」――。それにも怯まず、貴大学は「学術の炎」を燦然と灯し続けました。筆舌に尽くせぬ厳しい「餓え」と「寒さ」にあっても、暗い教室で、また防空壕や地下室で、講義や研究は休みなく断行されました。
 いかなる困難な条件下にあっても、学問を断じて発展させ続ける! この執念を燃え上がらせ、野蛮な「暴力の破壊」に立ち向かって、断固たる「精神の創造」を貫き通したのが、サンクトペテルブルク大学なのであります。(拍手)
7  偉大な師匠をもった幸福
 空襲と砲撃の打ち続く一九四一年の冬。酷寒のなか、ある高名な大詩人の「生誕五百年を祝う式典」が厳粛に挙行されていました。(ウズベクの詩人アリシェル・ナヴォイ)
 式典の中心者となったのは、ロシア科学アカデミー会員であり、エルミタージュ美術館の館長として、戦火から「美の至宝」を守り抜いた闘士でありました。
 その人の名は、オルベリ先生。先生は凍える寒さにも、眼を生き生きと輝かせながら、何ものにも屈しないロシアの学術のヒューマニズムを堂々と語っていったのであります。
 すると、その時、すぐ近くに砲弾が雨あられのごとく落ちて、激しい爆発音がドーン、ドーンと轟いてきました。しかし彼は、微動だにしない。いささかも声の調子を変えず、皆を落ち着かせながら、「精神の帝王」のごとく悠然と、また平然と、意義深き集会を続けていったのであります。
 この「文化の大英雄」のオルベリ先生こそ、ここにおられるペトロシャン副総裁が誇りとされる師匠なのであります。(拍手)
 四年前にお会いした折、ペトロシャン副総裁は胸を張って言い切っておられた。
 「私にとって人生最大の幸福は、この偉大な師匠をもったことであります」と。
 あの崇高なお姿を、私は今もって忘れることができません。
 人間の世界にあって、師弟ほど美しく、強いものはないのであります。これを忘れないでいただきたい。
8  五十五年前の一月、創価学会の戸田第二代会長は、日本の軍国主義と戦い、獄中で、二度目の新年を迎えておりました。
 厳寒の牢獄にあって、戸田先生は「若い自分が、あらゆる難を一身に受けて、高齢の牧口先生は一日も早く、無事に釈放され、ご帰宅されますように」と、ただ、ひたすらに祈りに祈っておられた。有名な事実であります。
 しかし、一月八日に、突然、判事から、師匠の獄死を告げられたのであります。
 戸田先生は叫ばれた。
 「だれが牧口先生をいじめ、苦しめ、殺したのか! 永遠に忘れない! 牧口先生の仇を返す!」
 仏の敵を一人も残すな! これが先生の口ぐせであった。
 断じて仏敵を倒す!――これが、牧口先生の精神であり、戸田先生の精神であり、私の精神です。これがわからない人間は、真の「師弟」とはならない。
 この日この時から、戸田先生の生涯にわたる「正義の巌窟王」の戦闘が、開始された。
 「師匠・牧口先生の『価値創造』の大哲学を、世界の各大学に伝え、宣揚してみせる」――これが、戸田先生の熱願でありました。
 その意味で、世界の頂点に位置される貴大学からの、きょうの「知性の宝冠」を、私は、ここ牧口記念会館で、恩師・戸田先生の生誕百周年の何よりの祝賀として捧げさせていただきたいのであります。(拍手)
9  「正義の声」の大砲を撃て!
 ところで、ベルビツカヤ総長は、言語学、音声学、音韻学、ロシア語教授法の大学者であられます。
 じつは、私の妻も、ロシア語の美しい響きに魅了されている一人であります。
 声の力は、まことに大きい。声で、わかるのです。
 きょうの総長の声の美しさは、ドナウ川のさざ波のようです。
 ナチスとの戦いにあっても、市民の生きゆく大きな糧となり、原動力となったのは、ラジオ放送から流れる「詩の朗読」や「声の励まし」であったといわれています。名高い女性詩人アフマートワも、当時、ラジオで語りました。
 「私の全生命はレニングラード(現サンクトペテルブルク)に結びついています」
 「みなさまのすべてと同じように、私はひとつの、決して揺らぐことのない確信をもって生きております。それはレニングラードが決してファシストのものにならない、ということでございます」(同前)
 権威主義の悪人どもには絶対に屈服しない! そう決意した女性の「声」が、ロシアの市民を救ったのです。
 敵の飛行機が、空から、どれほど爆弾を落とし、どれほど恫喝のビラをばらまこうが、貴国の草の根の民衆は「勇気の声」「信念の声」を朗らかに上げながら、堂々と迎え撃っていったという。だから、敗北しなかった。だから勝った。
 声です。声が大事です。最近の青年は、おしゃべりは長いが、「正しいことを言い切る」強さがない――とも言われる。堂々と正義を、「いい声で」「人の胸の中に」入れなくてはいけない。
 仏法では、「声仏事を為す」と説く。また、「ことばと云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」と説いています。
 わが「生命」それ自体が、妙なる音声を、朗々と、また凛々と発しゆく尊貴な「楽器」であり、敵を打ち破る「大砲」なのであります。
 誠実にして真剣なる「声の響き」が、人間の魂を、どれだけ揺り動かしていくか。ゆえに、「いい声で」明快に語ることである。
 何を言っているのか、さっぱりわからない――そういう幹部であってはならない。
 とくに末法は、一番乱れた時代であり、経文には「闘諍言訟」と説かれている。争いや論争が絶えない時代である。ゆえに強く、恐れなく、正義を叫び、真実を訴えきっていったほうが勝つ。おとなしく黙っていては敗北であります。
 語りに語ることである。悪を打ち破ることである。人権弾圧の悪書を追放することである。
 断じて軍国主義にさせない、平和主義へもっていく戦いである。正義の声を出しきって、戦いましょう!(拍手)
10  総長の最愛のご両親は、独裁者スターリンの粛清の犠牲になられたと、うかがっております。
 祖国のために命をかけて戦ってきた大功労者や、最優秀の人々が、何の罪もなく、「うその讒言」等によって陥れられていったのであります。
 権力の嫉妬ほど恐ろしいものはない。ゆえに、民主主義のためには、権力を抑える民衆の力を強める以外にない。
 総長は、あの冷酷な迫害にも臆さず、神々しき探究の努力を重ねてこられました。そして、ご自身の尊き苦学の経験を、学生への深い慈愛に変えながら、人間教育の大いなる陽光で、次の世代の英才を包み、新世紀の逸材を育て上げておられるのであります。
 一昨日(一月四日)、お会いした、オーストラリアのオリンピック都市(オーバン市)の英邁なる女性のラム市長もまた、難民として苦労した体験をバネに、「自分と同じように苦しんでいる人を救おう!」と、民衆への気高き奉仕を貫いておられます。
 人生、何があっても、自分が「強く」なり、「賢く」なれば、絶対に負けない。強く、賢くなることが「幸福の条件」です。
 そして、一人の強く賢き女性の力は、社会を変え、歴史を動かしていけるのであります。一人の人間革命で、一切は決まります。
11  「平和と人道の世紀」へ
 貴大学の出身であられる十九世紀の民衆愛の大詩人ネクラーソフは歌いました。
  「世紀の壮大なる目的に奉仕せん
   人間という同胞を守る闘争に
   みずからの全生命を捧げゆかん
   まさに、その人のみが名を残すなり」
 私たちも、貴大学と、さらに深く連帯しながら、「戦争と抑圧の世紀」から、「平和と人道の世紀」へ、人間主義の大闘争を一段と展開しゆくことを、ここにお誓い申し上げます。
 人類史に輝く「栄光の創立三百周年」――西暦二〇二四年へ進みゆくサンクトペテルブルク大学の、いやましてのご繁栄を、私たちは心から、お祈り申し上げようではありませんか。(拍手)
 結びに、尊敬する総長、副総裁、東洋学部長、そして、すべての皆さま方が、この一年も、「健康」と「勝利」の前進であられることを祈りに祈って、私の御礼のスピーチとさせていただきます。
 全国の代表の皆さま、地元に帰られましたら、同志の皆さまに、くれぐれもよろしくお伝えください。
 断固、「戦闘開始」して、勝ちましょう!
 私も先頭をきって戦います。一人、戦います。本当の弟子はついてきていただきたい。
 スパシーバ!(ロシア語で「ありがとうございました」)
 (東京牧口記念会館)

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