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日蓮大聖人・池田大作

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「チンギス・アイトマートフ記念黄金賞」… 二〇〇〇年を「黄金の勝利」で飾れ

1999.12.9 スピーチ(1999.10〜)(池田大作全集第91巻)

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2  さて、「家に書物なきは、人に魂なきがごとし」とは、古代ローマの哲人・キケロの至言であります。
 この言葉が、私は青年時代から好きで、いつも引いたものです。家にテレビがあり、パソコンがあることよりも、もっと大事なのは「必ず良書が置いてある」ということではないでしょうか。
 きょう、お見えのラフマナリエフ会長(「チンギス・アイトマートフ記念黄金賞」世界委員会)は、「書物」に関して世界的な大家であります。
 今、活字文化の衰退は重大です。日本も、世界も。そうしたなか、ご夫妻は二十二万点を超える良書の出版に携わってこられた。偉大なる活字文化の「護り人」であり「創造の王者」なのであります。(拍手)
3  憧れのキルギスの首都(ビシュケク)には、アイトマートフ先生の名前を冠した立派な図書館があります。
 多くの若人が、かなたに白雪の天山山脈を仰ぎながら、図書館に集い、生き生きと学んでいる。
 会長も創価大学に来られて、何よりも「図書館が見たい」と言われた。さすがに着眼点が鋭い。
4  青年よ、人間の英雄たれ
 さて、首都の図書館に面した、静かな、詩情あふれる並木道には、一人の殉難の青春詩人の名前がつけられております。チニスタノフという青年です。
 (一九〇一年〜三八年。キルギスの十ソム紙幣にも肖像が印刷されている)
 独裁者スターリンの支配下にあって、恐れなく正義を叫び、戦い、殉じていった「文化の英雄」であります。
 皆さんも「英雄」になっていただきたい! 「人間の英雄」に! 「広宣流布の英雄」に!
 青年が、ただ平々凡々と生きるだけで、何も偉業を残さずに死んでいくならば、何のための人生か。何のための信心か。「可もなく不可もなく」は「不可」であります。
 青年詩人は、会長の故郷(ウズベキスタン)で学びました。やがて、まったくの冤罪で捕らえられてしまう。そして「後世の民衆が、必ず真実をわかってくれる」と言い切りながら、一九三八年、三十七歳の若さで銃殺されたのであります。
 世界中で、偉大な指導者、また革命家は皆、「死を覚悟して」戦っている。
 私も、その決心で戦ってきた。これが創価学会の根本精神であり、牧口先生、戸田先生の精神である。私の真実の精神である。この峻厳なる「殉教の精神」が次第に薄れ、濁ってしまうことを私は恐れる。
5  彼が残した魂の詩があります。
  「立ち上がれ、青年たちよ!
   思索せよ、青年たちよ!
   時を空しく過ごすなかれ!
   目を開け!
   大地を踏みしめ、未来へ進め!
   歯を食いしばり、前進せよ!
   まだ手を差し伸べられていない苦悩の民衆のために
   道を示し
   その智慧を引き出せ!
   明るい微笑みで、心をはずませ
   歓喜に魂を燃やしゆけ!」(詩「青年たちよ」)
 青春時代から、私も多くの「詩」を胸に秘め、うたってきました。夜学の学校で友人たちに聞かせることもありました。
 ともあれ、「青年の心を揺さぶるものは、青年の叫びである」、「青年を呼ぶのは青年である」――これが戸田先生の教えであります。
 きょうは、全国の青年部の代表が晴れ晴れと集って、「二十一世紀開幕 青年の年」への出発、おめでとう!(拍手)
 断固として戦いなさい! 勝ちなさい! それでこそ、本当の「青年」である。
6  「同志の黄金の栄光の象徴」と受賞
 心より尊敬申し上げるラフマナリエフ会長ならびに令夫人、またアマンクロフ事務局長。ただ今、私は、幾重にも意義深き「アイトマートフ記念黄金賞」を、最大の誇りと喜びをもって拝受いたしました。心から厚く御礼を申し上げます。(拍手)
 (会合の席上、「チンギス・アイトマートフ記念黄金賞」世界委員会から池田SGI会長に対する顕彰が行われた。作家のラフマナリエフ会長夫妻ら一行が出席。世界の文学・芸術等への貢献を讃え、池田SGI会長に「黄金賞」が贈られた。アジア人では初の受賞)
 仏法上も、「黄金」には深い意義があります。すなわち、「黄金」は大火にあっても焼けない。大水に流されて朽ちることもない。
 それと同じように、真の哲学をもつ人は、どんな困難にあっても、何ものにも侵されない「黄金の人生」を生き抜いていく人である。仏法では、こう説いております。
 「黄金の人生」を生きよ! これが仏法の結論であり、人生の究極であります。
7  きょうは、偉大なる埼玉の勝利の総会、おめでとう!(拍手)
 また、懐かしい山梨の皆さん、和歌山の皆さん、けなげな富士宮の皆さんも、きょうはご苦労さま! おめでとう!(拍手)。そして、タイ王国からの研修の方々、十二カ国からの海外の同志の方々! 心より歓迎申し上げます。(拍手)
 同志を迎える幹部は、最大に心を配り、励まし、握手を交わし、温かい言葉、魅力ある言葉で包んであげていただきたい。
 さらに″無冠の友″――聖教新聞の配達員の代表の方々。いつもありがとう! 本当にありがとう!(拍手)
 新聞配達は一番地味で、大変です。一番いやな仕事かもしれない。しかし、それを担ってくださる皆さまがおられるから、新聞を読むことができる。だれよりも尊い、一番大切な方々であります。
 どうか無事故で、お体を大事になさってください。朝はすがすがしい。空気もきれいである。町を駆けるのは、素晴らしい「健康法」であると確信し、朗らかに、胸を張って使命の道を進んでいただきたい。
 そして、夢の「大リーグ野球殿堂入り」を晴れやかに果たされたセペダさんご夫妻、ならびに親友のドーシー地区部長も、本当に、ようこそいらっしゃいました。(拍手)
 セペダさんは勝ちました! 勝たない人生は哀れです。勝ってこそ、本当の仏法者です。本当の人生です。セペダさんの勝利に、日本中、世界中が喝采を贈っています!
 ともあれ、わが同志が一人ももれなく、未来永遠に「黄金の栄光」に包まれゆく象徴として、私は、きょうの「黄金賞」を受けさせていただきました。(拍手)
8  うるわしき師弟の絆
 千年にわたって伝えられてきた、中央アジアの英知の言葉に、こうあります。
 「心のきれいな人と身近な関係をつくれ! 心の汚い人から遠ざかれ! あなたが染まらないように」(ユスフ・バラサグン『恵みの知識』C・H・イワノフ訳、ナウカ出版)
 仏法でも、「悪知識を捨て善友に親近せよ」と説かれている。人生の幸福への基本の軌道であります。
 ラフマナリエフ会長は、青春時代から、古今東西のありとあらゆる良書を読破してこられました。低次元の雑誌など、目にするいとまはありません。
 ともに会長は、各界の一流の人物に勇んで会いに行き、真摯に、謙虚に、そして誠実に学んでいかれたのであります。素晴らしい姿勢です。
 日本人は、しばしば、すぐに尊大になってしまう。
 それは、亡くなられた父君の教えであったと、うかがっております。
 父君は言われた。
 「学者になりたかったら、成功した学者に、直接、どうしたら学者になれるか聞きなさい」
 現実に実行してきた人から、自分のこの耳で聞きなさい。自分のこの目で見なさい――と教えられたのであります。これは、「認識せずして評価するな」という牧口先生の教えにも通じております。
9  なかんずく、若き会長と、ローセフ先生という大哲学者との麗しい交流は、一幅の名画のように、私の胸に思い描かれてなりません。この哲学者は、理不尽な弾圧によって、三十三年間も牢獄に囚われました。
 偉大な人は、また正義の人は、弾圧を受けるものです。受けないのは、本当に戦ってないからです。
 三十三年間も、身の自由を奪われながら、ローセフ先生は何と「自分の頭の中で、自在に本を書いていた」という。晴れて出獄後、八十一歳から九十五歳までの十五年間で、じつに二十巻の本を発刊されました。その、ほとんどが「獄中の思索を思い出して」執筆したものであるといいます。
 このローセフ先生の晩年の八年間、モスクワで、毎日のように直接、指導を受け、薫陶を受けてこられたのが、若き日の会長だったのであります。(拍手)
 当時、ローセフ先生は、当局に貧苦を強いられていました。それで、大学院生だった会長が、奨学金でクッキーや乾パンを買っていき、一緒に紅茶を飲みながら勉強を続けられたというのであります。そのお話を、私は厳粛な感動をもって、うかがいました。
 師匠である戸田先生の事業が最も厳しかった時代に、ただ一人お仕えし、「戸田大学」に学んでいった私には、会長のご心情が痛いほどわかります。
 労苦をともにする――創価学会の幹部も、創価大学の先生も、皆に、そのような慈愛で接していただきたい。
 それが本当の「人間の勝利者」の道であります。
 ローセフ先生は、今では、「二十世紀最高峰の哲学者」の一人と仰がれております。
10  「頭は使うほど良くなる」
 会長は、先ごろ逝去された「ロシアの良心」リハチョフ先生とも、親交を結んでおられます。リハチョフ先生も、「九十代になっても、二十代、三十代で書いた自分の本を明瞭にそらんじることができた」といいます。
 こうした大知性の姿を通しながら、会長は「人間の頭脳は、使えば使うほど可能性が広がる」と語っておられる。その通りであります。
 体と同じく、頭も訓練すれば強くなる。教学も、勤行も、仏法対話も、仏道修行は全部、頭の訓練になる。
 先日、アメリカの科学者の研究で、「大人の脳も成長する」というサルの脳の実験結果が発表され、大きな話題になりました。これまで、大人の脳は成長が止まり、年齢とともに脳細胞が破壊される一方であると考えられてきた。しかし、判断力や認識などをつかさどる大脳皮質には「大人になっても新しい脳細胞が付け加わる」ことが、わかったというのであります。
 年配の皆さま、おめでとうございます。(笑い、拍手)
 人権と人道に貢献されたリハチョフ先生は、こう言われています。
 「体力を培えば長生きできるのは当然のことだが、長寿のためには精神力を培うことも不可欠だということは、あまり理解されていない」「思いやりや優しさは、人間を健康にするだけでなく、肉体的にも美しくするのである」
 そして、遺言のごとく言い残されています。
 「もし自分のことだけを考え、自分の幸福のためだけに、あくせく生きるならば、人生、何も残せない」「人生の最高の価値とは善良さ、しかも賢明で目的の定まった善良さである」
 まったく、その通りであります。だからこそ真の人間教育が重要になってくる。これからは「人間教育の時代」です。
 また、皆さま方の日々の地道な活動が、どれほど正しい「健康法」であり、人生の「充実」と「長寿」の軌道であるかを確信してください。
11  御書に「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」――釈尊が世に出現された根本目的は、人の振る舞いを示すことである――とある。
 有名な御言葉です。
 この「振る舞い」とは、人間を最大に敬い、尊重し、守りゆくことであります。人を子分のように思って尊大ぶる輩がいる。権力をかざして威張りちらす魔性の人間がいる。それと戦うのが真実の仏法者であります。
 「友のため」「地域のため」「社会のため」――それを真剣に考え、悩み、努力していけば、自然のうちに、みずみずしい智慧がわき、勇気が出、人格ができていく。そういう人生は、何があっても絶対に負けません。
 そして、そういう「一人」が本気になって立ち上がれば、その地域も、組織も、必ず栄えていくものだ。これが永遠の「勝利の方程式」です。過去の歴史も、全部そうであります。
12  「精神の力」「生命の力」をいよいよ高め
 ところで、アイトマートフ先生と私は、同じ一九二八年の生まれです。一八二八年生まれの文豪トルストイと、ちょうど百年――一世紀の隔たりがあります。
 ご存じのように、トルストイは、嫉妬に狂った当時の教会権力が「破門」の暴挙に出ても、いささかも動じなかった。青年たちも、庶民も、知識人も、そして国際世論も、圧倒的に、トルストイのほうを支持したのであります。
 心ある人は、だれも教会の暴挙を支持しなかった。また、トルストイは今世紀の初め、強大な権力をもつロシア皇帝に手紙で訴えました。
 ――「悪から善へ、闇黒から光明へと向かって進む」のが「人類の運動」なのです。それを押しとどめようとするのは「空しい試み」であります、と。
 光明へと向かう人類の運動を止めることは断じてできない! 勇気ある文豪の叫びであります。
 トルストイは、人生の最後の瞬間まで、傲慢や邪悪とは、一歩も引かずに戦い続けました。戦いは「執念」であります。
13  ラフマナリエフ会長は、名著『創造の哲学』の中で、こう論じておられます。
 「ずばぬけて偉大なものがある。それは、権力の偉大さではない。精神の偉大さである」と。
 権力とか地位とか、そんなものの偉大さは偽物です。
 会長は「対話という形態こそ、精神の偉大さを表現するのに、最も適した形態である」とも言われている。
 (アイトマートフ氏と池田SGI会長の対談集『大いなる魂の詩』についての論評から)
 私たちは、この「対話」を積み重ね、また積み重ねながら、民衆の「精神の力」と「生命の力」を、いよいよ高めて、一切に打ち勝ってまいりたい。
 そこにこそ、二十一世紀の希望があり、青年部の使命がある。ゆえに、青年部は、負けてはならない。民衆のために、断じて勝たねばならない。
 御書では「仏法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり」と断言されている。
 仏法とは道理であり、道理というものは、権力者にも勝つものなのだと。
14  だれにも止められぬ「人間主義の大河」
 以前、アイトマートフ先生は、聖教新聞に、このように寄稿されました。
 「創価学会はすべてを包含するビジョン(展望)をもっており、現実を避けることなく、周囲の世界とも積極的にかかわり、現実生活に即した庶民の知恵を尊ぶとともに、基本的道徳倫理から生命の永遠性にまで至る存在の法則を認識する高みに導いている。
 創価学会――それは人間主義の河であり、私もこの河とともに、その岸辺を歩む一人である」(九四年十一月十八日付、牧口常三郎初代会長の逝去五十周年の特集号)
 世界の良心は、このように創価学会に期待し、賛嘆してくださっている。
 どうか、西暦二〇〇〇年も、愉快に、朗らかに、戦いましょう! 勝ちましょう!(拍手)
 「源遠ければ流ながし」であります。我々は、また皆さま方は、誉れ高き「第三の千年の源流」の存在なのであります。(拍手)
15  今、ラフマナリエフ会長は四十七歳。私がコスイギン首相と二度目にお会いした時、首相は七十一歳、私は四十七歳。ちょうど、今の会長と私の年齢と同じです。会長ご夫妻が、コスイギン家の方々と麗しい交流を結んでこられたことも、よく存じ上げております。
 コスイギン首相――。偉大な方でした。一民間人にすぎない私を、大きなお心で迎えてくださった。ご令嬢も大変に立派な方でした。
 (ソ連のコスイギン首相とは、一九七四年の第一次訪ソで、初会見。首相が「あなたのイデオロギーは何か」と聞いたのに対し、池田会長〈当時〉は即答した。「平和主義であり、文化主義であり、教育主義です。その根底は、人間主義です」と即答した。
 翌年の第二次訪ソで、二度目の会見。また、首相の逝去の翌年〈八一年〉、墓参に訪れたSGI会長は、令嬢のコスイギナ女史を表敬した。女史は、池田会長との初会見を終えて帰宅した首相が「きょうは、非常に興味深い日本人に会ってきた。複雑な問題に触れながらも、話がすっきりできて、うれしかった」と家族に語ったエピソードを紹介。
 女史は「家族全員で相談し、父の遺品を受け取っていただきたいと決めました」と、首相が「社会主義労働英雄」として表彰された記念のクリスタル製の花びんと、革装の二冊の本などをSGI会長に贈った)
 ともあれ、若き会長とともどもに、新世紀へ、「平和主義」「文化主義」「教育主義」の「金剛の連帯」を、さらに広げていこうではありませんか!(拍手)
16  信仰は人間の証
 終わりに、ロシアの知性の箴言を紹介したい。すべてが仏法と相通じているからである。
 まず、作家チェーホフ。「人間は、信仰するものであり、信仰を探しゆくものであらねばならない。さもなくば、それは空虚な存在である」
 人間だから信仰できる。信仰とは、確固たる「法則」を求めゆく心であり、より良き人生の探究です。人間が、人間らしく、自他ともに満ち足りた人生を悔いなく生き抜いていく――そのための信仰であります。
 また、思想家のベリンスキーいわく。「戦いは、人生の条件である。戦いが終わりゆく時、人生も終わる」
 ゆえに、戦いをやめてはならない。戦いをやめれば、それは、もはや「生きながらの死」であります。
17  さらに、会長が師事された哲学者ローセフ先生の名言――。
 「安らぎとは、果てしなきスピードを伴う運動である」
 勢いよき大闘争のなかにこそ、真の安らぎがある。そういう意味でしょう。
 学会と同じです。仏法では「難来るを以て安楽」と説かれている。
 最後に、トルストイの『戦争と平和』の一節――。
 「戦いは、勝つと心に強く決めた者が勝つ」
18  全学会の、わが敬愛する創価の同志の皆さまが、いつまでも、ご健康で、ご長寿で、そしてまた幸福であられますよう、祈りに祈っております。
 来年(二〇〇〇年)、最高のお正月をお迎えいただきたいと申し上げ、スピーチを終わります。(拍手)
 本年一年、本当にありがとう! また来年も、どうか、よろしくお願いいたします!(拍手)
 「スパシーバ!」「ラフマット!」(ロシア語、キルギス語で「ありがとうございます」)
 (東京牧口記念会館)

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