Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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SGI公認通訳会議 「人間の信頼」を世界で地域で

1999.10.2 スピーチ(1998.11〜)(池田大作全集第90巻)

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1  「陰の労苦」の人が勝つ
 きょうは、世界広宣流布のために活躍してくださっているSGI(創価学会インターナショナル)公認通訳の代表の皆さまに、お集まりいただきました。つね日ごろの尊き労苦に、心からの敬意と感謝を込めて、記念のスピーチを贈らせていただきたい。
 まず、この席をお借りして、今回の台湾中部の大地震に対し、台湾の理事長はじめ同志の皆さま方に重ねてお見舞い申し上げます。
 御聖訓には、「大悪をこれば大善きたる」、また「災来るとも変じて幸と為らん」と仰せであります。全世界の同志とともに、一日も早い台湾の復興を、強く深くお祈り申し上げます。
 さて、現在、学会創立七十周年を記念して、各国各地で、御書の翻訳・発刊をはじめ、広宣流布の出版が進められている。その陰の労に黙々と徹しておられる方々を、私は心からねぎらい、賛嘆申し上げたい。
2  私たちが広宣流布を進めゆく、この末法とは、いかなる時代か。
 有名な「顕仏未来記」には仰せである。
 「諸天善神其の国を捨離し但邪天・邪鬼等有つて王臣・比丘・比丘尼等の身心に入住し法華経の行者を罵詈・毀辱せしむべき時なり
 ――(正法誹謗の者が国に充満する結果)諸天善神は、その国を捨てて離れ、ただ邪天・邪鬼等だけがいて、権力者と臣下、男女の僧侶等の身心の中に入り住んで、法華経の行者に対して悪口を言わせたり、そしらせたり、はずかしめさせたりする時なのである――。
 この御書の通りに、今日、権力と結託した邪僧らの迫害を受けてきたのは、だれか。創価学会である。
 魔の一味は「この地球上から、創価学会を絶滅させてみせる」と豪語して、学会の破壊を企てた。
 しかし、創立以来の七十年、そしてSGI発足以来の四半世紀、学会は、すべてを厳然と勝ち越えてきた。この勝利の姿こそ、学会が真正なる仏意仏勅の教団である証である。
 「顕仏未来記」には、こうも仰せである。
 「諸天善神並びに地涌千界等の菩薩・法華の行者を守護せん此の人は守護の力を得て本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮提えんぶだいに広宣流布せしめんか
 ――(迫害はあっても)諸天善神ならびに莫大な数の地涌の菩薩等の菩薩が、法華経の行者を守護するであろう。この人は、この守護の力を得て、本門の本尊である妙法蓮華経の五字を、全世界に広宣流布させていくであろう――と。
 これは日蓮大聖人の御ことである。そして今、大聖人直結の学会の前進を世界の梵天帝釈が動いて守っている。また、あの国にも、この国にも、不思議な使命の「地涌の菩薩」が陸続と躍り出ている。この地球上で、唯大聖人の仰せ通りの広宣流布を進めているのが、わが創価学会なのである。
3  世界の同志が、この十月二日の「世界平和の日」を、お祝いしてくれている。
 ここで、世界の芸術界やスポーツ界、学術界などで活躍され、私のよく知っている方々の代表を、紹介させていただきたい(氏名は省略)
4  牧口先生は七十二年前から海外と教育交流
 ともあれ、創価の人間連帯は、いよいよ、にぎやかであり、いよいよ明るい。この学会とともに、世界の同志とともに、仏縁を結び、仏縁を広げゆく皆さま方の功徳が、どれほど大きいか。
 日蓮大聖人は、門下のある夫妻を深く尊ばれていた。ご主人に「上人」と呼びかけられながら、こうたたえておられる。
 「国中の諸人・一人・二人・乃至千万億の人・題目を唱うるならば存外に功徳身にあつまらせ給うべし、其の功徳は大海の露をあつめ須弥山の微塵をつむが如し
 ――国中の人々が、一人、二人、やがて千万億の人と題目を唱えるようになるならば、知らず知らずのうちに、その功徳が、(先駆者である)あなたの身に集まることでしょう。その功徳は、大海が露を集め、須弥山が微塵を積んで大きくなるようなものです――と。
 皆さまは「現代の羅什三蔵」として、黄金の歴史を綴っておられる。その開道の功徳は、三世の果てまで不滅である。
 皆さま方を支えてくださっているご家族もまた、永遠に福徳無量の長者となっていかれることは、御書に照らし、法華経に照らして、絶対に間違いない。
5  ところで、ご存じのように、私は、世界への第一歩を、アメリカのハワイから踏み出した。
 じつは、今回、牧口先生とハワイの縁を示す貴重な資料が見つかった(創価大学職員の方の報告による)。それは、一九二七年(昭和二年)の七月二日(土曜日)、牧口先生が白金小学校の校長として、ハワイからの学生訪問団の一行三十人を迎え、教育交流を進めておられたという史実である。
 当時、牧口先生は五十六歳。昭和三年に入信される一年前である。
 ハワイからの訪問団は、マウイ島の「カフルイ日本語学校」の主催によるもので、ハワイ生まれの日系人の学生たちが母国を見学しようとしたものである。(五人が引率、二十五人が高校生や大学生など)
 東京で、どの小学校を視察するか。その全東京の代表校として選ばれたのが、牧口校長の指導する名門の白金小学校だったのである。
 今日の創価大学・創価学園の「世界との教育交流」の源を、すでに牧口先生が残してくださっていたわけである。第三代の私は、牧口先生のハワイとの教育交流の三十三年後に、ハワイへ飛び立ったのである。
 なお、白金小学校の学校日誌等の記録によると、牧口先生は、少なくとも四回は、(高尾山への)遠足の引率で、八王子に足を運ばれている。
 八王子は、古来、関東・甲信・東海道の十二州を遠望する天地であり、この武蔵野の自然のなかで、牧口先生は、若き魂とともに浩然の気を養っておられた。その八王子に、私は創価大学を創立したのである。
6  東京純心女子大学の創立者・江角先生の人生哲学
 もとより、私どもの舞台は世界である。しかし、それは、身近な近隣や周囲の人々を大切にするところから始まることを忘れてはならない。
 創価大学の近くには、有名な東京純心女子大学があるが、その首脳の先生方とも、私たちは親交を結ばせていただいている。八月の本部棟の見学会にも、同大学の高野澄子理事長、また山田雅子学長はじめ諸先生方がご多忙のなか、お越しくださった。
 先日、高野理事長から、一冊の貴重な書籍をいただいた。それは、『江角ヤス学園長先生 追慕の記』という本である。
 江角ヤス先生は、東京純心女子大学の創立者であられる。さらに、長崎の純心女子短期大学・学園、そして(鹿児島県の)鹿児島市ならびに川内市の純心女子学園も創立され、女子教育に貢献された大教育者である。また、ブラジル・パラナ州の「子どもの家」をはじめ十六の幼稚園・保育所を設立された。長崎の原爆で身寄りをなくした方々のために、「原爆ホーム」「老人ホーム」を作られたことも有名である。
 苦しんでいる人のため、そして若き乙女の教育のために、尊い献身を貫かれた江角先生は、「日本のマザー・テレサ」とたたえられている。
 (日顕宗は、アルゼンチンで、このノーベル平和賞受賞者を″人々を地獄に堕とす悪魔である″と誹謗した。そのほかにも反社会的で違法な宗教活動を断罪され、同国の宗教局から一切の宗教活動を禁止された)
 本年(一九九九年)は、この江角先生の生誕百周年に当たっている。(一八九九年生まれ。一九八〇年、八十一歳で逝去)
 戸田先生と一歳違いであられる。また、戸田先生は数学に傑出しておられたが、江角先生も数学の大家であられた。東北帝国大学の数学教室に学ばれ、日本で女性として二番目の理学士となられた方である。
 いただいた本には、江角先生を追悼して寄せられた百人以上もの多くの方々の声が収められている。さっそく感銘深く拝読させていただいた。
 どの方も、江角先生を心から慕い、深い感謝を捧げておられる。どれだけの人に尽くし、どれだけの人を励まして、どれだけの人の心の中に、自分の存在が刻まれたのか。ここにこそ、人間の真価が光る。
 一人の教え子の方は、江角先生の忘れ得ぬ言葉として、こう紹介している。
 「あなたがた一人一人は、個性を持って咲く花である。庭に咲くバラやゆりかもしれないし、野に咲く一輪の花かもしれない。そしてもし野の花がバラの花のようになりたいと思って、ひねくれた花を咲かせるより、自分自身の花を咲かせることに努めて野の花は野の花らしい花を咲かせた方が、どれ程価値があり美しいことか」――と。
 日蓮仏法の「桜梅桃李」に通ずる、素晴らしい人生哲学である。
7  「他人様に尽くした人こそ幸福」
 また江角先生は、若き乙女たちに、「人生で、まことの勝利者はどんな人か」についてスピーチをされた。
 今の多くの人々は、″人生の目的をお金と名誉と快楽とにおいている″
 しかし、「そこにほんとうの人生の勝利が得られるかどうか」「お金をたくさんもって、豪華な家を建ててる人、人臣をきわめた、総理とか大臣とか、社長とかの位についている人、その人達の晩年がほんとに喜びにみたされた生活であるかどうか」――と。
 江角先生が作られた老人ホームには、立派な大学を卒業した人や、著名な芸術家や、お金には何不自由ない資産家なども、たくさんおられた。そのなかで最も幸福に暮らしていた人は、だれか?
 それは、小学校しか出ておらず、若いころは女中をしておられた一人の平凡なおばあさんであると、江角先生は言われている。
 おばあさんは、「どうしたら他人様をよろこばせることが出来るか」を常に考えている方で、大病を患い自由に動くことができなくなっても、その人がいるだけで、雰囲気が温かくなったという。
 江角先生は、つくづくと語っておられる。「他人様のために、自分を忘れ働き他人様のためにつくした人のこの晩年の美しさ、幸福さを私はしみじみ思ってみているのです」と。
 「生涯の終りの時に問われることは、どれだけ自分のまわりの者を愛したかということだけです」――これが江角先生の哲学であった。
 皆さま方も、悩んでいる友のため、自他ともの幸福のために、わが使命の場所で、勇気ある慈悲の行動を生き生きと展開しておられる。
 その途中に、いかなる苦難があろうと、それはすべて、人生の最後を無量の幸福で飾っていくための「劇」なのである。
 長い人生には、だれしも様々な起伏がある。しかし、何も悩みがないことが幸福なのではない。何があっても耐え抜いて、勝ち越えていけることが幸福なのである。
 御書にも、「仏をば能忍と名けたてまつる」と仰せである。
 いちばん苦労に耐え抜いた人が、いちばん幸福を勝ち取っていく。これが「煩悩即菩提」「変毒為薬」の妙法である。いちばん誠実に生き抜いた人が、いちばん栄光に輝いていく。それが広宣流布の世界である。
8  別の教え子の方は、江角先生と一緒に汗を流して、柿や梅を植樹した思い出をしるしておられる。そのとき、江角先生は、「植えておけば少しでも花が咲くし、実がなるのよ。でもね、何もせず、植えなければ何もみのらないし、ゼロなのよ」と教えられたという。
 何事であれ、「植える」「種を蒔く」という作業こそ、最も地味でありながら、最も尊い偉大な姿である。
 かつて、私は、グアムでのSGIの発足にあたり、「どうか、自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に平和という妙法の種をまいて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」と訴えた。
 明年(二〇〇〇年)は、SGI発足二十五周年となる。二十一世紀に大輪の花と咲きゆく「妙法の種」を、私どもは、いやまして世界に蒔き続けてまいりたい。
9  ところで、この東京純心女子大学は、カトリックの学校である。しかし、平和を願っての誠実な教育交流、人間交流は、宗教の違いも大きく超えていく。
 光栄にも、ペルー共和国のマリア・インマクラーダ・キリスト教大学から私に、「最高栄誉賞」の決定通知をいただいていることを、ここで謹んで、ご紹介させていただく。
 世界平和のためには、「人間的な信頼を広げていく」ことが不可欠である。
 「法」といっても、目には見えない。見えるのは「人間」としてどうかである。ゆえに「善き人間の友情」を大切にし、拡大していくことが、創価の平和・文化・教育の運動である。
10  信教の自由のため――女性は戦った
 きょう十月二日は、あのインド独立の大英雄、マハトマ・ガンジーの誕生日である。(百三十年前。ガンジーは牧口先生より二歳、年長)
 先日の「アメリカ青年大文化祭」には、マハトマの令孫にあたるアルン・ガンジー所長ご夫妻も出席してくださった。その席上、名誉なことに、アルン所長より私に、「ガンジー非暴力研究所の国際評議員」の証書を授与していただいた。証書の日付は、十月二日。わざわざ、ガンジーの生誕の日としてくださった。
 マハトマ・ガンジーが南アフリカで「非暴力運動」を開始したときのことである。一九一三年、「人種差別」や「信教の自由の侵害」に対して立ち上がった非暴力闘争に、女性も参加した。
 多くの女性が弾圧され、牢にとらわれた。そのなかの一人の若き女性が、熱病のため釈放された。ガンジーは、見るも無惨にやせ衰えた彼女を見舞い、こう言った。
 「あなたは、牢獄に行ったことを後悔しているだろうね?」
 すると、彼女は答えた。
 「後悔ですって! もし逮捕されたら、今でも私は牢獄に行く覚悟でいます」
 さらに、ガンジーは尋ねた。
 「しかし、死ぬようなことがあれば、どうするのだ?」
 彼女は、きっぱり言い切った。
 「私は、そんなことは心にも、とめていません! 祖国のために死ぬことを愛さない者があるでしょうか!」(山下幸雄『アフリカのガンジー』雄渾社)
 彼女は、その数日後に亡くなった。そして各地で追悼の集会が開かれ、彼女の気高き生き方は、人々の心を揺さぶり、奮い立たせていったのである。
 ガンジーは言った。″彼女の名は、インドのある限り、南アフリカの闘争の歴史の中に生き続けるだろう″と。
 草創の学会女性の魂の炎にも通ずると、私は思う。御聖訓には、「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也」と。
 明年、西暦二〇〇〇年の夏には、待望の「創価世界女性会館」も誕生する(=二〇〇〇年九月八日に開館式が行われれた)。明年は「世界平和の日」四十周年にも当たる。新しい挑戦と開拓の一歩を、きょうから踏み出してまいりたい。
 結びに、「さきざきよりも百千万億倍・御用心あるべし」の御聖訓を拝したい。
 そして、全世界百二十八カ国・地域の全同志の健康長寿、無事安穏、また、それぞれの国家・社会の限りないご繁栄を心から祈って、記念のスピーチとさせていただく。
 (東京・新宿区内)

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