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日蓮大聖人・池田大作

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第37回本部幹部会、中国・湖南師範大学… 正義を讃える社会へ 一騎当千の人材に

1999.9.10 スピーチ(1998.11〜)(池田大作全集第90巻)

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2  偉大な指導者は「後世」を考える
 私が周恩来総理にお会いしたのは、忘れ得ぬ二十五年前(一九七四年)の十二月五日です。大変に寒い北京の夜でありました。総理は七十六歳。私は四十六歳。
 「丞相病篤かりき」――。「二十世紀の諸葛孔明」と言われた周総理は、病んでおられた。
 私は、総理のご健康を案じて、会見のお話を、ご辞退申し上げました。しかし、会見は、総理ご自身の強い意思であられた。
 奥さまの鄧穎超とうえいちょう先生が証言されているように、周総理は「池田会長には、どんなことがあっても会わねばならない」と言われて、入院先の病室に、私を迎えてくださったのであります。
 会見の十八日後――十二月二十三日のことです。周総理は、病身を押して、飛行機で北京から飛び立たれた。
 総理が、この″最後の旅″で向かわれたのは、いずこであったか? その地こそ、貴大学のそびえる長沙市でありました。あの悪辣な「四人組」の謀略を断じて阻止するために、周総理は、当時、長沙に滞在中の毛沢東主席と直接、話し合って先手を打とうとされたのであります。
 総理の医師団は、当然、この長旅(約千三百キロ)に猛反対しました。
 だが総理は、きっぱりと言い切られた。
 「私は行きます。ひとたび歴史の舞台に立ったからには、歴史の任務を完成しなければならない!」と。
 周総理は、厳然と敵を封じ込める重大な楔を打ち込まれ、また北京に戻ってこられた。そして、翌一月、全国人民代表大会で″最後の大演説″を行い、目を見張るような「四つの近代化」の根本路線を打ち出された。今日の大発展のレールを堂々と敷かれたのであります。
 (「四つの近代化(現代化)」とは「今世紀中に、農業、工業、国防、科学技術の近代化を達成し、中国経済を世界の前列に立たせる」というもの。中国の基本政策となった)
 まことに、偉大な指導者は「後世」のことを考えるものであります。
 愚かな人間は、口はうまくても、結局、「自分」のことしか考えない。「目先」のことしか考えない。そういう指導者が今、多すぎるのではないだろうか。(拍手)
3  魂魄をとどめよ! わが使命の道に
 きょうは、周総理が命を削って「不滅の魂魄」をとどめられた「長沙の都」から、偉大な教育者の先生方をお迎えし、荘厳なる儀式となりました。心から感謝申し上げます。
 心より尊敬申し上げる副学長はじめ諸先生方、まことにありがとうございました。(拍手)
 周総理は、未来を託すかのように私に語られました。
 「二十世紀の最後の二十五年間は、世界にとって最も大事な時期です。すべての国が、平等な立場で助け合わなければなりません」と。
 この信念を深く強く共有しつつ、私たちSGIは、周総理との会見の翌月、すなわち一九七五年一月二十六日に発足したのであります。
 以来、四半世紀――。きょうは、世界五十五カ国・地域から、私の後継である二十一世紀の「若き平和の指導者」が集まってくださった。本当に、よくいらっしゃいました。(拍手)
4  湖南師範大学は、中国を代表する「教育者育成の名門中の名門」であられます。
 東に湘江の滔々たる流れを望み、西に岳麓山の壮麗な山並みを仰ぐキャンパス。教育の理想郷として、十万を超える社会貢献の人材を育成してこられました。
 青年を尊重し、青年を信じ、「人間教育の王道」を開拓してこられた貴大学の六十星霜の厳かな伝統に、私は満腔の敬意を表したい。
 なによりも尊い、この教育の栄誉(名誉教授)を、貴国の「旭日の若人」と連帯しゆく決意を込めて、「世界の青年リーダーとともに」拝受させていただきたいのであります。(拍手)
 (会合の席上、中国の湖南師範大学から池田SGI会長に対する顕彰が行われた。羅維治副学長が出席、「名誉教授」称号が授与された。これは、不撓不屈の世界平和の守護者、中日友好への輝かしい実績をたたえたものである)
5  中国留学生と牧口会長の縁
 創価の殉教の父である牧口初代会長は、「湖は、青年に世界雄飛の気宇壮大な心を育む」と洞察しておりました。
 李白や杜甫も詩情を広げた「雄大なる洞庭湖」を擁する湖南省は、古来、スケールの大きな幾多の人材を送り出してこられた。近代中国の人名辞典に記載された偉人のじつに一割以上が、湖南省の出身であるともうかがいました。
 (「中国歴代名人辞典」では、阿片戦争から「五・四運動」にいたる時期の著名人のうち、湖南省出身者が八十三人で、全体の一一%に相当する)
 まさに綺羅星のごとき壮観であります。
 副学長が紹介された通り、孫文先生と一緒に「中国革命同盟会」を結成した革命家・黄興こうこう先生(一八七四年〜一九一六年)も、その一人であります。
 じつは、黄興先生は、日本に留学した折、若き日の牧口先生も教鞭をとった「弘文学院」に学ばれました。
 現在の新宿の地に創設された弘文学院は、湖南省からも多くの留学生を迎えていました。
 中国を深く敬愛する牧口先生と、真摯な湖南の青年たちの間に、どれほど有意義な交流が刻まれていったことでありましょうか。
 牧口先生も、青春時代、苦学の末に、「北海道尋常師範学校」を卒業されました。
 深き縁の「師範大学」から賜ったこのたびの栄誉を、私は、創価の永遠の「大師範」であられる牧口先生に、つつしんで捧げさせていただきたいのであります。(拍手)
6  きょうは、中国社会科学院の何勁松かけいしょう博士も出席してくださっています。
 同科学院では、私も、七年前に講演させていただきました。(『二十一世紀と東アジア文明』。「名誉研究教授」就任の記念講演。本全集第2巻収録)
 博士は、北京大学での私の講演を聴かれて以来、創価の研究に誠実に取り組んでくださり、『日蓮論』や『創価学会の理念と実践』等を発刊しておられる。
 また中国で「今世紀の世界の文化人五十人」を紹介する全集が出版された折、その一人として、光栄にも私を取り上げていただきました。その編集の労をとられたのも、何博士です。
 (『二十世紀外国文化名人書庫』シリーズ。五十人には、ガンジー、サルトル、フロイト、アインシュタイン、マックス・ウェーバーなど錚々たる東西の人物が。日本からは、池田会長と川端康成氏の二人が選ばれた)
 先般、中国宗教学会に「創価学会研究センター」が設立されましたが、三十七歳の前途洋々たる何博士が主任研究員に就任されたのであります。(拍手)
 なお、まもなく、「北海の真珠」と謳われる中国の大連市で、市の百周年を慶祝して、わが「波濤会」(海外航海に従事する壮年・男子部の人材グループ)の友情の写真展――「働く海の男の写真展」が開催されます。きょうも、代表が参加されていますが、大成功を心から祈ります!(拍手)
 (開催会場となる「大連芸術展覧館」から池田SGI会長に、「名誉館長」の称号が贈られることになっている)
7  「一念三千」論に世界の心理学者も注目
 さて、世界史上、最高峰の頭脳であり、「人類の教師」である天台大師もまた貴・湖南省に生まれました。悠遠な歴史と自然を大いに呼吸しながら、研鑚を深めていかれたのであります。
 ご存じのように、法華経の精髄である「一念三千」の法理は、この天台大師によって打ち立てられたものです。
 すなわち、わが「一念」の変革が、「三千」という個人の次元、社会の次元、国土の次元にまで連動し、大きく広がっていくという「生命の実相」が、余すところなく解明されています。
 中国の地で開花した、この仏法の英知に光を当てながら、「新しい世紀」の「新しい探究」が、今、世界で生き生きと始まっております。
 先月(九九年八月)、ボストンでは、アメリカ心理学会の総会が開催され、わがSGIの代表も出席しました。そこでは、「人間に、どう力を与えるか」をテーマに、心理学と仏法の関係性が論じ合われました。
 たとえば、これまで西欧の心理学は、″力のない人間″に「外から」力を与えようと考えてきた面がある。これに対して、仏法では、人間が、自分自身の「内在する力」を開発することに主眼を置いている。そうした点に注目が集まった、と。
 また、「心理学では『疑い』をもとに人間を考え、弱い面や悪い面に目を向けがちであった。
 しかし、仏法では『信ずる』ことを根本として、人間を見つめている。心理学は、仏法に学ぶことによって、さらに発展できる」(アメリカ心理学会のマーチン・セリグマン前会長)――こうした声が、世界の知性から寄せられております。
 ともあれ、人間の生命に秘められた宇宙大の「智慧」と「勇気」と「慈悲」の力を、いかに引き出し、いかに現実社会に生かしていくか。そのための壮大なる教育と哲学と文化の大運動を、私たちは、日々、実践しているのであります。二十一世紀、二十二世紀への「先駆の実践」であることを確信してください。(拍手)
8  「法華折伏・破権門理」は学会の原点
 ところで、天台大師が六世紀に法華経の大哲学を説いたとき、怒りに狂った、もろもろの坊主どもが、カラスのように群れをなして、悪口を言い、罵り、騒いだと言われております。
 襲いかかる論難の嵐に対して、天台大師は、どれほど勇猛に立ち向かったか。
 日蓮大聖人の「報恩抄」には、「天台大師は、一つ一つ責め返し、押し返して、さらに重ねて責めていった」(御書二九九ページ、趣意)等と記されています。
 精神闘争において大事なのは、この「反撃力」であります。言われたら、言い返す。何倍にもして「反撃」する。これが「破折」です。これが「仏法の精神」です。
 「今の学会は、破折精神が弱まっているのではないか!」「まちがった非難を打ち返す闘争心がなくなってきたのではないか!」――そういう強い声がある。
 幹部が、自分の保身ばかり考え、指導する格好だけで、悪と死にもの狂いで戦わなくなったならば、信仰の堕落である。「戦わない人間」が、いくら大勢いても、何の意味もない。「広宣流布」はできない。
 「法華折伏・破権門理」(法華は折伏にして、権門の理を破す)こそ、日蓮仏法の根幹であり、創価学会の原点である。
 戸田先生の時代、私は一人で、ありとあらゆる攻撃と戦い、戸田先生を守ってきた。
 「正義」が迫害されているときに、戦わないのは卑怯である。まず幹部が、率先して戦うことである。(拍手)
 天台は、原点である経文の上から、また道理の上から、明快にすべての邪義を破折していきました。
 烈々たる気迫は「師子王が吼えるごとく」「鷹や鷲が攻撃するごとく」であったと御書には書かれております。(御書300㌻)
 そもそも「法華折伏・破権門理」というのも、天台大師の言葉であります。そして、これが法華経の修行の根幹なのであります。
9  思えば、貴大学が創立された一九三八年十月二十七日は、日本軍が、「仏教伝来の大恩人」である貴国の武漢(湖北省)の地を蹂躙し、占領した日でもあります。
 これに対して、臆病な宗門は、卑劣にも軍部権力に迎合し、この占領を祝賀する特別の御開扉まで行ったという。
 しかも宗門は、今にいたるまで、何の反省もない。この歴史の汚点は永遠に消えません。
 反対に、あの狂気の時代に、「法華折伏・破権門理」の精神のままに、不惜身命で平和と正義の闘争を貫き、大難を受けたのは、わが創価学会の牧口初代会長であり、戸田第二代会長であります。(拍手)
 軍部に反対して、投獄され、獄死なされた。この殉難の歴史を、決して忘れないでいただきたい。学会と宗門の、どちらが正しいか。この事実一つ見ても明白であります。(拍手)
 ちなみに、中国の日本研究の第一人者であられる駱為龍らくいりゅう先生(「北京日報」の元東京支局長。中華日本学会副会長)は、こう鋭く喝破しておられる。
 ″創価学会を攻撃する勢力と、日本の侵略の歴史を歪曲する勢力は一致している″と。
 (九九年六月の「聖教新聞」のインタビューに答えて、「日本の国家主義の台頭、右傾化は心配です。興味深かったのは、池田先生のことを名指しで嫌いといってはばからない人間が、南京大虐殺はなかった、とか、侵略戦争ではなかったと言い出す。これなどは、池田先生が、日本の平和を守る旗頭である、との逆説的な証明です」と)
10  舞台は「世界」 焦点は「青年」
 中国の古典に「カタツムリの角の上の争い」という寓話があります。(「蝸牛角上の争い」)カタツムリの左右の角の上で争うような、ちっぽけな、つまらない争いを笑い飛ばした話であります。
 牧口先生も、この話を引かれて、心の狭い「島国根性」を厳しく批判された。(『人生地理学』第三章「島嶼」の「島国の特質」)
 牧口先生がそうであったならば、弟子である我々も、日本の卑劣な島国根性を破折しなければならない。
 もうけさえすれば、人権も人道も真実も、すべて踏みにじる――こんな日本であるならば、世界から相手にされなくなって当然であります。
 これに対し、わが創価学会の貢献の舞台は、世界であり、地球であり、全人類のためだと思いますが、どうでしょうか!(拍手)
11  まもなく二十一世紀。一切の焦点は「青年」である。
 ゲーテの言葉を紹介したい。
 「青年たちが世界各地から集まって、善のために固い盟約を結ぶ以上にすばらしいことがありうるでしょうか」(アルベルト・ビルショフスキ『ゲーテ――その生涯と作品』高橋義孝・佐藤正樹約、岩波書店)
 きょう、ここに集った皆さまの姿そのものであります。
 またゲーテいわく。
 「青年は青年にたいしてもっとも強く働きかける。そしてここにこそもっとも純粋な作用が生ずる。これが世界を活気づけ、精神的にも肉体的にも死滅せしめない力なのである」(『詩と真実』山崎章甫約、岩波文庫)
 ″上から″青年を引きつけようとするよりも、″青年は青年同士″で引き合う。まさしく、これこそが、創価の青年の団結の威力であります。
 私たちが、大きな目標として目指してきた「二〇〇一年五月三日」まで、明日で、ちょうど六百日となりました。
 二十一世紀へ、「一騎当千の力ある人材」の流れを、きょう集った世界の青年とともに、そしてまた尊敬する貴大学の諸先生方とともに、ますます明るく、意気軒高に拡大してまいりたいと申し上げ、私の御礼のスピーチといたします。
 謝謝シェシェ
 (東京牧口記念会館)

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