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日蓮大聖人・池田大作

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「8.24」記念第36回本部幹部会、第… 戦いの先頭に立て! リーダーならば

1999.8.24 スピーチ(1998.11〜)(池田大作全集第90巻)

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2  きょうは、一九九九年の八月二十四日。二十一世紀を目前にして、私も、皆さま方も、「三障四魔」「三類の強敵」に厳然と勝ちました!(拍手)
 ありとあらゆる「謀略」「密約」「嘘」が結託して、仏意仏勅の創価学会を破壊しようと襲いかかってきた。彼らの悪事は、永遠に歴史に残ることを宣言しておきたい。(拍手)
 きょうは、日本全国と全世界の一千二百万の同志が「万歳!」を叫んでいる。(拍手)皆さま、本当に、ご苦労さま! 本当に、ありがとう!
 世界の同志も、皆、意気軒高である。(拍手)
 トルストイいわく。
 「不滅の魂には、同じように、不滅の行動が必要である。その行動とは、自分自身と世界を常に向上させることである」
 その通りである。自分も、もっと成長する。周囲も、もっと良くする。その戦いが人生を不滅にする。
 また、ナポレオンの言葉に、こうある。
 「華々しい勝利から没落への距離はただ一歩にすぎない。私は、最も重大な情況において、どんな大きな事件もほんのちょっとしたことで常に決まるのを見て来た」(『ナポレオン言行録』大塚幸男訳、岩波書店)
 勝つか、負けるか――それを決する「ただ一歩」の差を、英雄は鋭く見つめていた。「うぬぼれ」から「転落」までの距離は、ほんの「一歩」である。
 さらに、ナポレオンは言う。
 「凱旋門も、いかなる儀式も必要ではない。民衆の満足にまさる勝利を、私は知らない」
 「民衆が満足して」こそ、本当の勝利である。
3  キルギスは仏法に縁深き「希望の共和国」
 ともかく、きょうは遠いところ、また厳しい残暑の中、まことに、ご苦労さまです。
 今、私の心は、キルギスの先生方から賜った素晴らしき駿馬に乗って、緑の涼風を受けながら、キルギスの大草原を駆けている――そういう気持ちである。
 万年の白雪輝く「天山山脈」は、王者の風格をもって、堂々と、そびえ立っている。最高峰は七、四三九メートル。富士山も、およびもつかない高さである。その名も「勝利の峰」。山々の雪解けの水は、清流となってほとばしり、大地を潤す。
 やがて、琵琶湖の九倍もの広さをもつロマンの湖――イシク・クル湖へと注がれていく。「キルギスの美」とも、「天山の真珠」とも称えられる、この「かぐわしき湖」。どれほど多くの旅人が、その美しさに胸を躍らせながら、悠久のシルクロードを東へ、西へ、往来していったことであろうか。湖の周辺からは、たくさんの仏教遺跡も発掘されている。
 本日、キルギス共和国の首都ビシケクでは、中央アジア諸国と、中国、ロシアの「五カ国首脳会議」が開かれている。この会議には、江沢民国家主席、エリツィン大統領も出席される予定で、世界の大きな注目を集めている。
 キルギス共和国は、冷戦後に誕生した「希望の共和国」として、旭日のごとく、国際社会の大舞台に躍り出てこられた。
 八十もの多様な諸民族が「調和」を織りなしゆく貴国は、豊かな文化を光らせて、二十一世紀へ、新しい「平和のリーダーシップ」を発揮し始めておられる。
 その貴国から、偉大なる「人間教育の指導者」をお迎えし、本日は、歴史的な「民衆会議」となった。(拍手)
 心より尊敬申し上げるベクバラエフ総長。ならびに、アタハーノフ学長。さらに、世界二十カ国から来日された同志の皆さま。また、暑さにも負けず、尊き汗を流しゆかれる全国の大切な同志の皆さま。ただ今、私は、「新世紀の英知と希望の殿堂」より、最高に栄えある「名誉教授」の称号を賜りました。厚く厚く御礼申し上げます。(拍手)
 キルギスの天地には、シルクロードの主要路の一つである「天山北路」が貫いている。インドで生まれた大乗仏教は、貴国の、この道を通って、中国へ、そして東アジア全土へと伝えられていったのである。
 日蓮大聖人も、先駆の労苦を偲ばれて、このような御書を残しておられる。
 「法華経伝来の道には、西域の砂漠や葱嶺(パミール高原)などの険しい難所があり、五万八千里、また十万里という遠い道のりは、じつに大変であった」(御書一四五ページ、趣意)と。
 きょう八月二十四日は、五十二年前、恩師である戸田先生とともに、私が、仏法を基調とした平和と文化と教育の「新たな精神のシルクロード」へ、第一歩を踏み出した日である。
 不思議な縁の貴国から賜った「珠玉の栄誉」を、私は、苦楽をともにして「人間交流の大道」を開いてきた世界百二十八カ国・地域の全同志とご一緒に、謹んで拝受させていただきたい。(拍手)
4  生ある限り「勇者の道」を!
 さて、西洋では「イリアス」と「オデュッセイア」という、古代ギリシャの有名な英雄叙事詩がある。
 私たちの東洋にも、なんと四十万行以上にも及ぶ壮大なる英雄叙事詩がある。
 それこそ、キルギス共和国が誇る「マナス」という口承文学の至宝なのである。じつに、千年の歳月にわたって、脈々と語り継がれてきた精神の遺産である。
 四年前には、この叙事詩の「誕生千周年」を祝う国家式典が、盛大に開催された。私も文化大臣から、丁重な招聘をいただいた。
 また、昨年、民音がお招きした貴国の国立歌舞団「カンバルカン」の皆さまも、この叙事詩を見事に熱唱してくださった。
 あらすじは――。
 他民族の侵略によって追われ、分散させられたキルギスの人々が、若き英雄・マナスを中心に団結して立ち上がる。そして、迫害も、侮辱も、奮然と跳ね返し、打ち返して、三代にわたって自分たちの国土を、断固、守り広げていくという物語である。
 あのトインビー博士も、キルギスで歌われていた叙事詩について論究しておられた。ご存じのように、トインビー博士の歴史観の精髄は、「挑戦と応戦」の理論である。
 文明の発展のカギは、環境や時代などからの、さまざまな「挑戦」に対して、どう「応戦」していくかであり、この一点で勝負は決する。それが、トインビー博士の結論であった。
 キルギスの、この大叙事詩にも、過酷な「挑戦」に対する雄々しき「応戦」の勇気が、高らかに謳い上げられている。
5  大英雄・マナスは、同胞たちに、総決起を呼びかけた。
  生あり 死あり
  善あり 悪あり
  試練にさらされる運命の時あり われ父より生まれたるは何のためか
  わが魂が召されぬうちは(命ある限りは)
  栄光の道を進み続けるのみ!
  父より受け継ぎし この大地を
  敵に渡すほど愚かではない! われ母より生まれたるは何のためか
  勇者の道を歩むためなり
 邪悪に対する、この燃えたぎる敵愾心がなければ、民衆を守れない。正義も貫けない。
6  日蓮大聖人は「師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし」と叫ばれた。
 「師子王の心」で戦わなければ、仏にはなれない。臆病者は仏にはなれない。
 仏敵を前にして、傍観したり、逃げたり、手を抜いたり、人まかせにするような、ずるい人間は、永遠に仏になれない。
 青年部諸君は、勇者になっていただきたい。師子王になっていただきたい。大聖人の仰せの通りに!
 大聖人は「師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ」と仰せである。断じて、恐れるな! 断じて、引くな! これが日蓮仏法の真髄なのである。
 どんなに上の幹部になっても、広宣流布へ「戦い抜く心」がなくなれば、幹部失格である。
 大聖人は、「師子王」であられた。私たちも、大聖人直結でいくべきである。戸田先生直結でいくべきである。創価の師弟に徹するべきである。
 私は、この半世紀、恩師が「戸田の命より大切」と言われた「創価学会の民衆組織」を守り抜き、世界に発展させてきた。
 私は、戦った。「悪口罵詈」――経文通りの難を一身に受けながら、生死を超え、師弟の道に徹して、師が願った「地球民族主義」の人間連帯を広げてきた。
 私は、胸を張って、自分の人生を誇れる。どこに出ても、だれの前でも恥ずかしくない戦いをやってきた。
 うれしいことに、きょう(八月二十四日)、これから、地球の反対側の南米ブラジルでは、大師匠・戸田城聖先生へ「名誉市民」の称号が授与される。(拍手)
 リオデジャネイロ州のサンジョン・デ・メリチ市の市議会で授与式が盛大に行われる。
 私は、牧口先生、戸田先生を世界に宣揚してきた。これができてこそ師弟である。
7  さて、キルギスでは、「馬は人間の翼」と言われる。このたび、先生方から、夢の翼を広げる名馬を賜り、さらに「命名を」とのお話もいただいた。
 よろしければ、「栄光の道を断じて進め!」と呼びかける貴国の叙事詩にちなんで、「グローリー(Glory)号(栄光号)」と命名させていただきたい。
 (キルギスでは、血統の良い馬は、親の名前の頭文字をとる習わしがあり、今回の馬の場合は「G」であった)
8  若さの条件は「知性の探求」と「正義の行動」に
 教育は、人間が、人間として、人間らしく、「栄光」を勝ち取っていくための翼である。その教育に、ひたむきな大情熱を傾けておられるのが、ベクバラエフ総長であり、アタハーノフ学長である。
 総長は、ドイツ語とドイツ文学の研究者としても、大変に著名である。
 ドイツの文豪ゲーテは、今月二十八日に生誕二百五十年を迎える。彼は言った。
 「偉大なことをなしとげるには、若くなくてはいけない」(エッカーマン『ゲーテとの対話』山下肇訳、岩波文庫)
 若さとは、力である。
 若さとは、希望である。
 若さの条件とは何か――それは年齢では決まらない。みずみずしき「知性の探求」があるかどうか。そして、勇敢なる「正義の行動」があるかどうかである。
 総長も、また学長も、じつに若々しく、生き生きと、青年の先頭に立って、率先して大学建設の指揮を執っておられる。若き学長(三十七歳)は毎朝、だれよりも早く大学に来て、校舎の前に立たれ、教員や学生たちの登校を見守っておられると、うかがった。素晴らしき模範の姿である。(拍手)
 創価学会の幹部も会員に、そのような慈愛で接していただきたい。大事なのは、中心者の生命にみなぎる「勢い」である。
 戸田先生も、よく言われていた。「上に立つ指導者が真剣であれば、『改革』すべき急所は自然と見えてくるものである」と。
9  東洋言語文化大学には、教員の平均年齢が三十歳未満という、若い人材のパワーが結集している。昔の学会もそうであった。私も三十二歳で会長に就いた。青年部の諸君も早く立派になっていただきたい。
 同大学で、大きな信頼を集めている学長補佐の方は、私が創立した創価大学の十五期生である。きょうを記念して、和歌を贈りたい。
  偉大なる
    君に贈らむ
      創大生
    キルギス国家の
      先駆の誇りを
10  現在、わが創大出身者は、世界五十二カ国で活躍している。キルギスの教育界では、日本語教育の教職員のうち五人が創大出身者である。二人が男性、三人が女性で四人が貴大学に、お世話になっているという。
 総長先生、そして学長先生。私の生命の息子であり、愛娘である創大生を、今後とも、どうか何とぞ、よろしくお願い申し上げます。(拍手)
11  指導者は「生死の哲学」をもて
 さて、十一世紀のキルギス。詩人で大学者のバラサグンは、壮年時代に、つづっている。
 「いずれやってくる死を考えて生きよ! 墓に入ってから苦しまないように」
 日蓮大聖人も「先臨終の事を習うて後に他事を習うべし」と説かれている。
 人生の目的、生命の目的とは何か? そして生死とは何か? この根本の哲学的な思索が、人間にとって最も大事である。なかんずく、人の指導者となる人間に「生死の哲学」がなければ、根無し草のようなものである。民衆を幸福へと導けるはずがない。
 自分自身が、どう生きるべきか、確固たる哲学がない。哲学を求めようともしない。それでいて、いばっている。それでは、あまりにも傲慢であり、人間失格ではないだろうか。
 どんな権力であっても、いずれ、はかなく幻のように消え去ってしまう。
 妙法という「大宇宙の永遠不滅の法則」に生き抜く皆さまの人生こそ、永遠不滅である。
 地位や富など問題にならない。最高の人生であることを確信していただきたい。(拍手)
 さらに、このキルギスの壮年の大詩人は訴えている。
 「人のために働かないのは、墓にいるようなものだ。死人になるな! 力あるうちは人に尽くせよ!」
 きょうは、わが壮年部の記念日である。壮年部こそ広布の黄金の柱である。
 どうか壮年部の皆さまは、はつらつと、若々しく、率先して「皆のために行動する」人生を送っていただきたい。(拍手)
12  キルギス出身の文豪アイトマートフ先生は、私の親友である。昨年(一九九八年)も、秋の京都で再会し、活字文化の再興などをめぐって、親しく語り合った。
 先生は、「真実の人間の機関紙」である聖教新聞に、絶大なる期待を寄せてくださっている一人である。
 「低俗な活字ばかりが横行する時代にあって、聖教新聞には、ゴシップ記事も、捏造もない。きわめて高い文化的な内容の聖教新聞が発刊され続け、何百万という方々が読んでいます。これは大変なことです」
 明年は学会創立七十周年の佳節である。世界の第一級の良識が希望を見いだす、この聖教新聞を、皆で一段と拡大していきたい。
 「聖教新聞を日本中の人に読ませたい」――これが戸田先生の遺言であった。
13  生き生きと「女性の世紀」へ、「青年の世紀」へ
 二十一世紀は「女性の世紀」である。ますます女性リーダーが増え、時代は大きく変わっていくことであろう。
 また、二十一世紀は「青年の世紀」である。若々しい世紀である。青年部の諸君の舞台である。(拍手)
 先日、聖教新聞(八月十二日付)に、アイトマートフ先生の特別寄稿が掲載された。その中で、「種蒔く人」を謳った、キルギスの古代の歌謡が誇り高く紹介されていた。
  蒔かれた種に心ゆくまで水をやり
  広く広く、用水路を切り開こう
  自分の畑に雑草は生えさせない
  ペテン師に収穫を盗まれたりはしない
  みずからが泥棒の見張りをしよう
  育て、豊作に、育って繁殖するのだ
  一粒の種が千粒の実をつけますように
 青年こそ「種」である。「青年」という一粒一粒の種が、やがて千粒の実をつけるように、皆で大人材に育ててまいりたい。「ペテン師」や「泥棒」に、大切な広布の組織を乱されてはならない。
14  民衆が強くなることである。民衆の団体である学会が強くなることである。民衆をバカにするような人間がいれば、絶対に放っておいてはならない。
 立ち上がって、堂々と正義を明らかにすべきである。黙っていては敗北である。叫ばなければ正義はない。
 私も、戸田先生を守るため、敢然と一人、敵と戦った。そして、勝った。
 戸田先生なくして広宣流布はなかったからだ。戸田先生を守ることに、広宣流布の「急所」があったからだ。
 キルギスの先生方とご一緒に、私は、これまで以上に、「平和」と「文化」と「教育」の希望の種を蒔き育てながら、新たな千年に歌い継がれていく「民衆の勝利と栄光の大叙事詩」を一生涯、創り、残しゆく決心である。
 終わりに、「人間教育の実」を結びゆかれる貴大学の永遠無窮の大発展を心からお祈り申し上げ、全員を代表して、私の感謝のスピーチといたします。
 チョン・ラフマット(キルギス語で「本当に、ありがとうございます」)
 (東京牧口記念会館)

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