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日蓮大聖人・池田大作

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「7.3」記念第35回本部幹部会 晴れ舞台で「人間の宗教」の実験証明

1999.7.3 スピーチ(1998.11〜)(池田大作全集第90巻)

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1  わが創価の地球家族、万歳!
 世界の五十二の国々から、皆さま、ようこそ!(拍手)
 皆さまは将来、必ず、その国の歴史に残る人です。尊い人です。
 日蓮大聖人が、十方の仏・菩薩が、賛嘆し、守ってくださる尊き指導者です。
 今は、名もなく、お金もないかもしれない。正法を知らない人から笑われ、バカにされることがあるかもしれない。しかし、永遠の生命から見れば、皆さまこそ、最高の勝利者である。最高の成功者となる方々である。来世は、大統領や大統領夫人、大実業家、大学者以上の偉大な境涯になられることは間違いない。
 そのことを、大聖人は、きちっと御書に書いてくださっている。
 そうならなかったら、大聖人が″嘘つき″になってしまう。断じて、そんなことはない。絶対に、大聖人だけは嘘をつかれない。
 (妙法を持つ人の境涯について、「四信五品抄」(御書342㌻)、「松野殿御消息」(同1378㌻)などに述べられている)
 一昨日(一日)、アフリカのコートジボワール共和国のエシー外務大臣を、SGI(創価学会インタナショナル)の代表とともに、お迎えした。世界の友の仲良き姿に、大臣は「未来の世界が、ここにある!」と感嘆しておられた。
 歓迎したメンバー一人一人と大臣が握手している姿を見て、私は「わが創価の地球家族、万歳!」と、叫びたい思いであった。(拍手)
2  ドミニカの詩人大統領「わが人生を英雄的なドラマに」
 きょうは、ドミニカの同志も来られている。本当にうれしく、懐かしい。
 こんな詩がある。
 「何ものも わが旗を切り裂くことはできない!」
 「わが人生を 英雄的なドラマで綴っていこう! そして怒りを込めた気力を炎として わが心を燃え上がらせていこう」
 これは、″カリブ海の宝石″ドミニカ共和国の詩人大統領――敬愛するバラゲール前大統領の詩の一節である。
 ドミニカには、十二年前(十九八七年)、私は訪問させていただいた。まるで″おとぎの国″のように、エメラルド色の海も、青空も、花や緑も、そして人々の心も、美しく光る天地であった。
 私は大統領府に招待され、バラゲール大統領と語り合った。堂々たる民主国家の繁栄を建設してこられた大指導者である。
 大統領は独身。文字通り、共和国を恋人とし、妻とし、国民をわが子として、人生を捧げてこられた。「預金通帳を持たない大統領」と言われたほど、質素で高潔な生き方は、世界的によく知られている。
 皆さまも、あまり預金がなさそうだが(笑い)……バラゲール大統領のように偉大である証拠かもしれない(爆笑)。
 大統領として、教育に力を入れ、南北アメリカ大陸で最古の名門「サントドミンゴ自治大学」の学生数を、四千人から六万人へと拡充された。(一五三八年創立。池田会長は同大学の名誉教授)
 毎日毎日、一心不乱の激務。町や村の人々の要望に応えて、小・中学校など、たくさんの教育機関を創設したことでも有名である。
 白内障で、視力をほとんど失っておられる。しかし、心眼――心の眼は研ぎ澄まされて、鋭い。詩人であり、文化人としても著名である。
 あの日、名画に囲まれて会見した執務室――。私は、大統領が青春の日に創作した詩を朗読させていただいた。「大統領。あなたの詩を私が読みます」と。
 驚いたようなお顔をされたが、じっと聴いてくださった。私の妻も同席していた。
 目が悪くなっては、自分の詩を読むことさえできない――激務の大統領に、しばしの間でも、ほっとしていただきたかったのである。
 私のそんな思いを、大統領は心から喜んでくださった。周囲の方も「大統領が、あんな笑顔を見せたことはないんですよ」と語っておられた。
 劇のごとき、その光景は、今も脳裏に鮮やかに刻まれている。
3  前大統領とは、その後も麗しい「心の交流」が、ずっと続いている。
 ひとたび結んだ縁を、断ち切ってはならない。誠心誠意、大切にして、さらにそれを広げていく――これが広宣流布である。創価の人間外交である。
 光栄にも、前大統領からは、その後も招聘をいただいている。「もう一度、お会いしたい」と。
 前大統領は、私どもの「文化交流の推進」「人類の連帯の拡大」に、深い深い共感と友情を寄せてくださっている。また、二十歳以上も若い私を、「親友」と呼んで、大事にしてくださっている。
 私が母たちに捧げた詩「偉大なる母を讃う」(九八年年五月発表。本全集43巻収録)にも、真心あふれる所感を送ってくださった。
 (所感では、こう語られている。「深い精神性が脈打つ詩を通し、池田大作博士がご教示してくださっている『愛し』『尊敬する』という心情こそ、現代の風潮と全く異なるものであります。貴殿の素晴らしい作品と『人類の連帯』のための崇高で私心のないご尽力に深く賛同し、心からお祝い申し上げます」)
4  「戦う魂」は老いない
 前大統領は、三年前に勇退された。今年の九月で九十二歳になられる。
 大変にお元気で、今も著作を次々に発刊しておられる。活字離れの青少年のために、わかりやすく、読みやすく、しかも深い内容の書物である。
 何歳になろうと、また、どんな立場になろうと、あとに続く人々のために、価値創造の行動をやめない――。戦う「活発な魂」には、行き詰まりがない。
 実は前大統領は、来年の大統領選挙に出馬を要請されているという。
 九十二歳を目前にして、青年のごとく、共和国のため、国民のために、断じて戦おうと「無私の大情熱」を燃やしておられる。
 どこまでも″私″のない、要領のない大情熱――これが本当の「人間」である。「英雄の人生」である。また、そうであってこそ、本物の「信仰」である。
 前大統領からみれば、五十代、六十代などは、まだまだ″子ども″である。早く楽をしようなんて、だらしがない。笑われてしまう。
 もちろん、年をとれば、いろいろと病気も出てくる。長い戦いのためには、休養も必要であろう。しかし、年齢に負けて老け込んでしまっては、心の敗北である。
 「人を救う」ための使命の人生である。「人を救う」べき人間が、自分が倒れたままであっては、何のための信心か。甘えてはならない。いくじなしであってはならない。学会は、どこまでも若々しく進むのである。「仏法をもたない九十二歳の″大統領″も戦っているではないか!」と。
5  前大統領の詩には、こうある。
  歩きに歩くことが あなたの運命なのだ!
  あなたの足は休むことはないから――
  一本の道の終わりまで来ると より一層 長い道が始まる!
  旅人よ! あなたの道は あなたが抱く希望とともに始まる
6  旅人よ!――私も若き日に、「旅人よ」と詩に詠んだことがある。
 二十一世紀は、目の前である。「新しき世紀」へ、広宣流布の「新しき道」が広々と開けている。この道を進んだ人が幸せである。勝ちである。
 道にも、いろいろある。希望の道がある。邪悪の道がある。緑の道がある。コンクリートの道がある。泥沼の道がある。遊びと誘惑の道がある。高貴に輝く使命の道がある。
 我々には「無上道」という道がある。大聖人が示された″この上ない道″である。人間が、最高に人間らしく、楽しく、幸福に歩んでいける道である。すなわち「幸福の道」「平和の道」「正義の道」である。
 この無上道を、私どもは進んでいるのである。頑張りましょう!(拍手)
7  いよいよ若々しく! いよいよ愉快に!
 妙法は、「不老不死」の法である。永遠に若々しく、生きて生きて生き抜いていく「大いなる生命力」の源泉である。「自分のため」「家族のため」「人のため」「法のため」に生きゆく大生命力を出していける。大聖人の仰せ通りに行動していけば、必ずそういう境涯になる。
 ゆえに「信心」が大事である。「信心」で、すべて決まる。大聖人は仰せである。
 「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」――今月も成長した。来月も成長しよう。今日も前進した。明日も前進しよう。それが「信心」である。
 少しでも油断があれば、魔が、そのすきに入ってくる。病魔をはじめ、魔は、さまざまな形で襲ってくる。絶対に負けてはならない。負けないのが信心である。
 大聖人は繰り返し、「いよいよ」と仰せである。
 「いよいよ・はげまして法華経の功徳を得給うべし」――「いよいよ信心に励んで、法華経の功徳を得られるがよい――と。
 功徳は自ら″勝ち得る″ものである。だれかに与えてもらうものではない。
 また「いよいよ道心堅固にして今度・仏になり給へ」――いよいよ、信心を強くして、今世で仏になりたまえ――と。
 死んだから仏になるのではない。戦わなければ、仏になれない。戦わなければ、魔は打ち破れない。戦わなければ、功徳は出ない。
8  釈尊が、幾多の大難を厳然と乗り越え、勝ち越えて、「出世の本懐」である「法華経」を説き始めたのは、何歳の時だったか?
 「七十二歳」であったとされる。それから八年間の説法であり、大闘争であった。
 それを考えても、まだまだ私たちは若い。これからが、正法流布の「大興隆の時」である。黄金の「晴れ舞台の時」である。
 この「素晴らしい時代」を、ともに健康で長生きして、「素晴らしい人生」を勝ち取っていただきたい。いよいよ生き生きと! いよいよ楽しく! いよいよ力強く! いよいよ愉快に!
 何かあっても、くよくよせず、愉快に生きたほうが得である。
 折伏ができないこともある――できないから、できた時に、喜びが深いのである。なかなかできないから、努力した功徳も大きい。
 学校の試験だって、いい学校に入るための試験は難しい。難しい試験だからこそ、たくさん努力して、力もつくし、試験に受かった喜びも大きい。
 折伏して、その時には相手が信心しなくても、「相手が発心した場合とまったく変わらぬ功徳」があることも、きちっと説かれている。
9  SGIの皆さまは、世界中から、本当によく来てくださった。(拍手)
 自分のお金を貯めて、仏法のために、遠く、はるばると――皆さまの功徳は、はかりしれない。
 一方、東京に住んでいながら、「牧口記念会館は遠いなぁ」とか(笑い)――ぶつぶつ言っているようでは、海外の同志に笑われる。
 これから、私たちの後には、陸続と後輩が続いていく。皆さまは、「後輩のため」に道を開いているのである。
 後輩を大切にしていただきたい。後輩を尊敬していただきたい。後輩を慈しんでいただきたい。それが、「仏」の心である。それが、私たちの「栄光の道」である。
 私たちは、この道を、後輩のために、立派に広げ、飾ってまいりたい。(拍手)
10  「女性の声」を生かせば繁栄
 古代ギリシャの作家・アリストパネース。(アリストファネス、紀元前四四五年頃〜同三八五年頃)
 彼の喜劇に「女の議会」という戯曲がある。婦人たちが議会に乗り込み、政権を男性から奪うという痛快な物語である。(男性にだけ参加が許された議会に、アテネの婦人たちが男装して忍び込み、見事な演説で「女性の政権」を決議させる)
 戯曲のなかで、(男装した)婦人リーダーが凛として訴える場面がある。
 「男子は須らく女子に国政を委ぬ可きだと、私は主張する。家庭内部に在っても我々は婦人に家政を司らしめ、また家計を委ねているではないか」
 「生みの母たる彼女等は兵士の安寧について最も心を致すであろう。次に兵士の食糧にしても生みの母以上に之を送る者があろうか?」(『女の議会』村川堅太郎訳、岩波文庫)
 この劇全体は、必ずしも女性をたたえたものではない。それはそれとして、どの国でも、「女性の目」は鋭い。「女性の力」は偉大である。
 「女性の声」を大事にしていけば、家庭も社会も、必ずや繁栄していく。これが万国共通の真理ではないだろうか。
11  これまでも、「婦人部を最大に大切に!」と申し上げてきた。しかし、何度言っても、何となく女性を下に見る″くせ″が抜けない人がいる。
 広宣流布に懸命に戦っている女性を下に見るような男性は、完全に幹部失格である。男性幹部は、「女性を最大に尊敬する」精神をもつべきであると、重ねて強く申し上げておきたい。
 日蓮大聖人もまた、けなげに戦う女性門下を、「これほどまでに」と感動するほど、大事にされ、称賛された。女性を尊敬することは、仏法の心なのである。
 女性に嫌われれば、みじめである(笑い)。自分が死んだ後、奥さんに「やっと逝ってくれたわ!」(笑い)なんて言われたのでは、生きていた価値がない。(笑い)
 組織で偉そうに女性にいばって、うちに帰ると、奥さんに頭が上がらない――そんな男性も多いようだ。(笑い)
 そもそも男性ならば、女性を包容できる大きさがなければならない。
 SGIの男性諸君も、お国に帰ったら、よろしく頼みます!(拍手)
12  牧口初代会長「日本は精神の根本的たて直しを」
 第二次世界大戦中のことである。牧口先生が会長の時代に、創価学会は「価値創造」という機関紙をつくっていた。軍部権力の弾圧で廃刊させられるまで、九号にわたって続いた。
 「価値創造」が創刊されたのは一九四一年(昭和十六年)の七月。日本がアジアを侵略し、太平洋戦争へと突入していった時代である。(五カ月後に開戦)
 創刊号には、牧口会長の講演論文が掲載された。タイトルは「目的観の確立」。
 ″日本は行き詰まっている。将来の見通しが全く立っていない″と、深く憂えた論文である。
 将来への何の見通しももたない無責任な政治家や軍人や学者たちと、牧口先生の観点は、まったく違っていた。日本の行き詰まりの根本原因を、「哲学の不在」「目的観の欠如」と鋭く見抜いておられた。
 「目的なしの行動は、暗中模索で成功しない」。なかには「金がたまれば生活が出来幸福になれると思うて居るものがある」
 (『牧口常三郎全集』第十巻。第三文明社。以下、引用も同じ)
 しかしそれは、確固たる目的観とは、とうてい言えない。そうした生き方は「ある場所まで行けば、その先が見えると思うて行くのと同じ」であり、漫然と進んでいるのは、不安定このうえない。
 要するに「究竟(=究極)の目的が確定せずして、中間の目的は定まらない」のである、と。
 その通りである。ここに、人生と社会の根本問題がある。
13  それでは、その「究極の目的」とは、どうすれば見つかるのか。
 ″それは、自分だけ、家族だけ、国家だけに閉ざされていたのでは分からない。「世界」に心を開け!″と牧口先生は訴えた。「世界が解らずに、国家が分かるものでない」と。
 続いて「国家の生活が立たないでは一家の生活が立とうはずはない。ゆえに一家の生活を確立せんとするには国家の生活が確立せねばならぬ。世界の生活が確定せねば国家の生活は定まらない」とある。
 しかし、「世界」を知るといっても、現在の表面的な姿を見ているだけでは分からない。
 「世界は過去現在将来の三世が分からなくては分からぬ。三世にわたる因果の法則が解ってこそ初めて、現在の各自の生活の確立ができるのである。それは現世に限られた科学の力では出来ない」
 ここに、三世永遠の生命観を解き明かした、正しき日蓮仏法が不可欠な所以がある。生命尊厳の哲理を実践していく以外に、「自他ともに幸福を満喫していく」という最高の目的観に生ききることはできない。
 ――これが、牧口先生の堂々たる論調であった。明快なる哲学である。本当に偉大な先生であられた。
 そして、我々は、その門下である。先生の主張通りに、「究極の目的観」を抱き、最も正しい道を進んでいるのが、皆さまなのである。
 いかなる有名人よりも、虚像の指導者よりも、事実の上で、人を幸福にしている。誇らかに胸を張っていただきたい。(拍手)
14  日中戦争が本格化したのは、一九三七年(昭和十二年)の七月である。
 その二カ月後、牧口先生は、『創価教育法の科学的超宗教的実験証明』を出版された。そのなかで先生は、「世界平和の実現」を厳然と論じておられる。
 ――「仏法の極意に基かなければ、教育の革新は到底できない。教育の革新ができなければ、幾百千の会議を重ねても、世界平和の実現は到底できない」と。
 かたや宗門は、軍国主義への迎合をいよいよ強めていった。日本の侵略戦争の戦勝を祈願する集会まで開いていったのである。
 平和の創価学会と、戦争協力の宗門と。当時からすでに、学会と宗門の間には、根本的な分かれ道があった。
 牧口先生は、世界の平和の建設のため、民衆の幸福のために、「精神の根本的な建て直し」を叫ばれた。
 「所詮、宗教革命によって心の根底から建て直さなければ、一切人事(=人間社会の一切の出来事)の混乱は永久に治すべからず」(「新教」別冊、同全集第八巻)
 人間社会の混乱を正していくには、「宗教革命」「精神革命」しかない、と。
 万事、「心こそ大切」なのである。
 今、世紀末の「哲学なき世界」にあって、心ある人々は、牧口先生の先見と卓見に刮目し始めている。
15  牧口先生は、大聖人の「佐渡流罪」からちょうど六百年後の一八七一年(明治四年)に、新潟で誕生された。また一九四三年(昭和十八年)の七月六日、牧口先生が軍部権力によって捕らえられたのは、大聖人が流罪にあわれた伊豆の地であった。そして、獄中で殉教された。
 その不二の弟子として、一九四五年(昭和二十年)のきょう七月三日に、戸田先生が出獄された。そして、牧口先生の心を受け継いで、「生命哲学」と「宗教革命」「人間革命」の旗を掲げ、巌窟王の戦いを開始されたのである。あまりにも意義深い「七月三日」である。
16  トインビー博士「私は大乗仏教に期待する」
 かつて対談したトインビー博士は、人類の歴史を大きく見て、「キリスト教の後退によって、三つの新しい宗教が興った」と言われた。
 ″三つの宗教″とは(1)科学技術の進歩への信仰(2)ナショナリズム(国家主義、民族主義)(3)共産主義――である。
 しかし、それらが「いずれも満足のいくものでないことがわかった」と、博士は喝破された。全部、だめだ。全部、人間を本当に幸福にするものではない、と。
 そして、「諸悪と対決し、諸悪を克服する力を、人類に与える」新しい高等宗教の出現を待望されたのである。これが、世界最高峰の大学者の結論であった。
 なかんずく、博士が期待し、注目したのが大乗仏教であった。
 そこで、博士のほうから私に「会いたい」との連絡があったのである。そして、約十日間、朝から晩まで論じ合った(一九七二、七三年)。懐かしい思い出である。
 博士は、創価学会の実践に、心からの信頼を寄せてくださった。
 今、博士との対談集(『二十一世紀への対話』本全集第3巻収録)は世界二十一言語で出版されている(=二〇〇一年十二月現在、日本語を含め二十四の言語で出版されている)。多くの世界のリーダーも読んでくださっている。
 二十一世紀。それは、大乗仏教の真髄である日蓮仏法が、いよいよ世界的に「実験証明」される時代に入る。
 大聖人の仏法の目的とは何か。それは、現代の言葉で言えば、「人間革命」となる。この「人間革命」を基盤とした「平和」「文化」「教育」の運動こそ、地球社会に最も貢献できる道である。私は、牧口先生、戸田先生が開かれたこの道を、具体的に実践し、世界に広げてきた。
 この壮大なる「人類史の大実験」を、世界のあの地この地で進めておられる「先駆者」が、皆さまなのである。
 皆さまは、華やかではない。マスコミから脚光を浴びるわけでもない。しかし、どんな有名人よりも、戦争を起こすような指導者よりも、何千倍も大きな仕事をしている。人類の歴史転換の「底流」をつくっているからである。
 牧口先生、戸田先生も、最大にたたえておられるに違いない。(拍手)
17  パークス女史「私は立ち上がる!」
 「精神の充実」のために、もう少し語っておきたい。
 私たちの大切な友人である、アメリカの「人権運動の母」ローザ・パークスさん。八十六歳の現在も、元気に活躍しておられる。今回、米国議会から、パークスさんに、民間人への最高の栄誉である「議会金メダル」が贈られた。
 (アラバマ州モンゴメリーのバスの中で、白人に席を譲ることを拒否し、パークスさんが逮捕されたのは一九五五年十二月一日。この事件が、キング牧師をリーダーとする「バス・ボイコット運動」のきっかけとなり、全米に「公民権運動」が広がった。
 事件から四十四年。議会は「国から国民に贈られる最も偉大な賞」で、パークスさんの人生を「公式に」たたえたことになる)
 私と妻は、受章確定の知らせをうかがうと(四月下旬)、すぐに祝電を打った。五月三日「創価学会母の日」の日付で。
 パークスさんからは、「授章式(六月十五日)に来てください」と、ご招待をいただいた。しかし、どうしても出席できないので、アメリカ創価大学の高橋朋子先生に、代わりに行っていただいた。
 さらに、パークスさんから「池田先生、ならびに創価家族の皆さまに、くれぐれも、よろしくお伝えください。皆さまの友情に、心から感謝します」との伝言が寄せられたので、そのまま、お伝えしたい。(拍手)
 (米議会の議事堂での授章式には、クリントン大統領も出席。「人間の尊厳のため、炎の中に立ち上がった普通の人の力を、われわれは忘れない」と語った)
 受章の祝賀会では、パークスさんの大好きな詩が朗読された。
 「それでも、私は立ち上がる!」――アメリカの女性詩人、マヤ・アンジェロさんの詩である。パークスさんの前で、この詩が、高らかに響きわたった――。
18   毒々しく、ねじ曲げた嘘で 私を謗ろうとも
  汚泥の中で 私を踏みつけようとも
  それでも私は 塵のように舞い上がる
  …………
  言葉で、私を射ようとも
  両目で、私を切り裂こうとも
  憎悪に満ちて私を殺そうとも
  それでも私は 空気のように立ち上がる
  …………
  不安と恐怖の夜を あとにして
  私は立ち上がる
  見事に晴れわたった 暁の空へと
  私は立ち上がる
  祖先からの贈り物を携えて
  私は自由を奪われた人々の「夢」となり、「希望」となる
  私は立ち上がる
  私は立ち上がる
  私は立ち上がる」
 今、パークスさんとともに、世界の「創価の女性」も立ち上がった!
 皆さまこそ、新しい時代の「希望」である。新しい世紀の「夢」を実現する方々である。(拍手)
19  ガルブレイス博士の健康法は毎朝、元気に出発すること
 ところで、世界的な経済学者のガルブレイス博士(ハーバード大学名誉教授)も、九十歳というお年で、今なお、新しい著書を書き、どんどん仕事をしておられる。
 博士とは、二十年来の交友である。ある時は、ボストンの博士のご自宅にお邪魔し(九三年)、また、ある時は、東京で(七八、九〇年)、お会いした。
 ハーバード大学での私の二度目の講演には、講評者として出席してくださった。(九三年。講演は「二十一世紀文明と大乗仏教」)
 九年前、(一九九〇年十月五日)、聖教新聞社で博士が言われた一言が、大変、印象に残っている。
 「私は再来週(十月十五日)、八十二歳になります。それを、私にとって″最初の誕生日″と思うつもりです。人間は、年をとればとるほど、ますます学んでいくべきだと信ずるからです」
 いつも若々しい博士の人生哲学である。博士は「健康法」を、こう言われた。
 「何よりも大事なことは――朝起きた時、『きょう一日の計画が決まっていない、考えていない』といったことが、ないようにすることです!」
 朝を「さあ、きょうも!」と元気に出発することである。
 その意味で、みずみずしい一日の出発をする「朝の朗々たる勤行・唱題」が、どれほど素晴らしい健康法か――。
20  勤行・唱題は、小宇宙である自分自身を、大宇宙の根本のリズムに合致させゆく崇高な儀式である。
 御本尊へ合掌し、勤行・唱題する。その声は、すべての仏・菩薩、諸天善神のもとに届いている。そして、目には見えないが、全宇宙の仏・菩薩、諸天善神が、その人を守り囲んでいく。その″真ん中″に自分がいることになる。
 東天に向かって、諸天善神の代表である大日天にあいさつし、諸天に法味を捧げる。その後、御本尊に向かうと、全宇宙の諸天善神がいっせいに、自分と一緒に御本尊に向かって合掌し、自分が願った通りに、諸天が動いていく。
 題目をあげるということが、どれほど、すごいことか。すべての仏・菩薩、諸天が味方になるのである。だから人類を救う力がある。救う使命がある。
 博士は言われた。
 「年配者の最大の誤りは、仕事から引退してしまうことです。やるべき仕事がなくなれば『肉体的努力』と『精神的な努力』を、しなくなってしまう。とくに『精神的な努力』をやめることは、非常によくありません」
 いわんや、信心に「引退」はない。広宣流布への学会活動は、生命力を増す「最極の精神の努力」であり、生命の根本的な健康法なのである。
21  「生きるのが楽しい」世界を!
 私は、ガルブレイス博士の「二十一世紀のビジョン」を尋ねた。
 博士は答えた。
 「私の二十一世紀のビジョンは、人々が『この世界で生きていくのが楽しい』と言える時代です。そして『よりよい生活ができるのだ』『幸せになれるのだ』という確信を、みなが分かち合って、『殺』ということのなくなる時代です」
 私どもの運動への共感を込めての話であった。
 「万人が楽しめる」世紀――これを創っているのが、わが創価学会インタナショナルなのである。
 そう申し上げ、本日の「世界広宣流布議会」は終了いたします。(拍手)
 いつまでも、いつまでもお元気で! お体を大事になさってください。
 帰られましたら、同志の皆さまに、くれぐれもよろしくお伝えください。
 世界と日本の全同志の皆さまの勝利を、お祈り申し上げます。
 皆さまに、「栄光あれ!」「幸福あれ!」「健康あれ!」「ご長寿あれ!」「和楽あれ!」
 (東京牧口記念会館)

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