Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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全国総県長会議 御書に学ぶ常勝の智慧

1999.6.9 スピーチ(1998.11〜)(池田大作全集第90巻)

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1  生き生きと、使命の人生の総仕上げを
 新出発の総県長会議、まことに、おめでとうございます。
 また、遠いところ、全国各地から、本当に、ご苦労さまです。
 皆さまのおかげで、今、学会は「昇り竜」のごとく、威光勢力を増しながら、前進しています。
 ともあれ、今年、そして来年の戦いで、二十一世紀の動向は一切、決まる。
 今、新しい世紀へ、希望と栄光の「橋渡し」となる、最も大事な時を迎えている。まさに「千載一遇」の、この好機に、創価学会の誉れ高き中枢として指揮を執っておられるのが、皆さま方であります。どれほど不思議な、どれほど重大な使命の方々であられるか。
2  有名な「諸法実相抄」に、日蓮大聖人は「地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり」と仰せである。
 御本仏であられる大聖人御自身が「地涌の菩薩のさきがけ」として、妙法流布のために、「かくのごとく『菩薩の行』を行ぜよ!」「末法の大法戦を、かくのごとく戦い、断じて勝ち抜け!」と示してくださっている。
 「弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」と。
 われ、大聖人の眷属なり!
 われ、地涌の菩薩なり!
 この深き自覚をもって、真剣に祈り、打って出る時、「力」が出ないわけがない。「智慧」がわかないわけがない。「諸天」が動かないわけがない。
 ゆえに、皆さまは、各方面の「地涌の菩薩」の先頭に立って、聡明に、また勇敢に、総力をあげて、新しい広宣流布の拡大と勝利の道を切り開いていただきたい。
 あのアメリカのリンカーン大統領は言った。
 「正義は力であるとの信念を持ち、この信念に立って、われらの義務と信ずるところを敢然と最後まで果たそうではありませんか」(『リンカーン演説集』高木八尺・斎藤光訳、岩波文庫)
 とくに、上の立場に立てば立つほど、人生の総仕上げを、最後の最後まで、いかに戦い抜くかが大事となる。フランスの文豪ロマン・ロランは語っている。
 「私は進めば進むほど、重要なことはただ一つだという確信をえました。それは生命、生命の力と真剣さです」(『ロマン・ロラン全集』32、宮本正清・山上千枝子訳、みすず書房)
 いわんや仏法は、三世にわたる峻厳な真剣勝負である。甘えや遊び半分など、絶対に許されない。
3  さて、本日午後、婦人部、女子部の皆さまの宮殿となる「創価世界女性会館」の定礎式が、晴天のもと、盛大に行われる。まことにまことに、おめでとうございます。
 ここには、世界各地の石をはじめ、日本の全都道府県、また地元・東京の全部の区、さらに学会本部や婦人会館、女子会館などの石が埋納されることになっている。
 晴れやかな「創価の女性の世紀」が、ついに到来した。
 私は、妻とともに、心から、最大に、お祝い申し上げます。
4  母から子へ、不屈の戦う心を継承
 現在、京都では「ポルトガル――栄光の五百年展」が開催されている。今後、香川の高松、北海道の旭川、そして千葉と東京を巡回する予定と、うかがっている。
 「ポルトガル展」は、「大航海時代」から現代まで、世界の海を結んだ「海洋王国」の五百年の壮大な歴史をたどっている。
 海外初公開のポルトガル王家の絢爛たる黄金の王冠。ダイヤの剣や勲章。また絵画、彫刻、工芸など「美の至宝」が出品されている。
 なお今回、真心込めて尽力してくださった、ポルトガルのアジューダ王宮の館長は、ゴディーニョさんという女性である。
 展示のなかで、わが創価の女性を思い起こさせる一枚の絵がある。
 「息子たちを騎士に叙任する伯爵夫人」(ヴィエイラ・ポルトゥエンセ画伯、一八〇一年の作品)
 ポルトガルで広く知られる″勇敢な母″の物語をもとに描いた名作である。
 それは、一六四〇年。当時のポルトガルは、長年にわたって他国の支配下に苦しめられていた。しかし、民衆が次々に蜂起し始め、独立へのチャンスが到来する。敵は、それを阻止しようと謀ったが、先手を打って、四十人の高貴なる勇者が決起したのである。
 その時、一人の母が立ち上がった。ドナ・フィリッパという女性である。彼女は伯爵夫人であったが、夫に先立たれていた。しかし母として、大切な二人の若き息子を、この歴史的な決起に勇んで送り出すのである。その厳かな場面を描いた名画である。
 「さあ、時が来ました。行きなさい! 愛する祖国の独立のために、命を賭けて戦ってきなさい!」――そんな言葉が聞こえてくる。
 絵に描かれた母は、まことに崇高な面持ちをしている。そこには、一点の感傷も、悲哀も、逡巡もない。気高き瞳は、凛として光り、はるかな未来を見つめているようでもある。
 母の手には、正義のために戦う騎士の象徴である「剣」が握られ、わが子に託そうとしている。息子は、しっかりと母を見つめながら、今、確かに「剣」を受け取ろうとしている。まさに、母から子へ、不屈の「戦う心」が継承されゆく、厳粛な瞬間であろう。私は感銘した。
 なお勝負は、決起のその日のうちに決まり、六十年の支配に幕が下りた。そして母も息子も、一転して歴史の晴れ舞台に躍り出ることになる。(母は女王の女官長、長男は後にブラジル副王となった)
 母の勇気が、一家の使命と栄冠を開く。広宣流布の大事業も、親から子へ、先輩から後輩へと確かに継承されてこそ、尽未来際へ、いよいよ拡大し、発展していく。その「信心継承」の大切な要の存在こそ、婦人部の皆さま方である。
5  ポルトガルといえば、近年も、独裁政権と戦い、勝利した女性の歴史がある。以前にもスピーチしたが、一九六〇年代から七〇年代にかけて、「マリア」という名前の女性三人が中心となって、自由と民主と人権のために戦ったのである。(第五十回本部幹部会。本全集第80巻収録)
 彼女たちは、投獄にもひるまず戦った。裁判でも、一歩も引かなかった。
 そして七四年、ついに独裁政権は崩壊。国際世論が高まるなか、「三人のマリア」は裁判でも勝利したのである。
 この時、駆けつけた満場の女性たちは、こう大合唱したという。「女性が団結すれば、決して敗れることはない!」(マリア・バレノ、マリア・オルタ、まりあ・コスタ『三人のマリア』藤枝澪子訳、人文書院)と。
6  「誠実」で勝て 「人心」をつかめ
 「一切の法は皆是れ仏法」である。「激動の乱世を、いかに生き抜き、いかに勝ち進んでいくか」、そのための「常勝の智慧」が、御書には縦横無尽に説かれている。
 ある時は、深遠な「歴史観」に照らし、またある時は、絶妙の「人間学」を通し、さらにある時は、峻厳な「将軍学」のうえから――。
 そのなかでも、ひときわ大聖人が立体的に光を当てておられるのが、古代・中国の「周王朝」の勝利の歴史である。すなわち、「周」の国が「殷」の国の非道の独裁者・紂王を打倒して、新たな時代を開いた、まさしく「天下分け目の戦」である。それは、紀元前十一世紀ごろ、今から三千年以上も前の歴史である。
 有名な御聖訓には、こう仰せである。
 「智者とは世間の法より外に仏法をおこなわず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり、殷の代の濁りて民のわづらいしを大公望出世して殷の紂が頸を切りて民のなげきを
 ――智者は、世間の法と別のところに仏法を行ずることはない。世間の治世の法を十分に心得ている人を、智者というのである。『殷』の社会が濁って、民衆が苦しんでいた時に、太公望(『周』の賢者)が世に出て、殷の紂王の頸を切って、民衆の嘆きを止めた――。
 「此等は仏法已前なれども教主釈尊の御使として民をたすけしなり、外経の人人は・しらざりしかども彼等の人人の智慧は内心には仏法の智慧をさしはさみたりしなり
 ――(また漢の建国の功臣・張良の例を挙げられて)これらの人々は、仏法が伝わる以前であったが、教主釈尊の御使いとして、民衆を助けたのである。
 仏法以外の教えをもった人々にはわからなかったけれども、彼らの智慧は、内心では仏法の智慧を含みもっていたのである――。
 要するに、混迷する現実社会のなかで、民衆の幸福を守るために、具体的に、どう的確な手を打っていくか、である。
 「仏法の智慧」に行き詰まりはない。皆さまも、それぞれの立場で、「智者」となり「賢者」となって、民衆救済の歴史に名を残していただきたい。
7  巨大な権勢を振るった「殷」の王朝――。それを打ち破って、なぜ、新興勢力の「周」が勝利できたか。当然、さまざまな次元から分析できる。また現在の歴史学からは、異なった見方もあるであろう。
 きょうは、御書を拝して、その実践的な「勝利の要諦」を何点か挙げてみたい。
 まず、何よりも「人間を大切にした」ことである。御書には仰せである。
 「周の文王は老たる者をやしなひていくさに勝ち、其の末・三十七代・八百年の間すゑずゑ末末は・ひが事ありしかども根本の功によりてさかへさせ給ふ
 ――周の文王は、老いた者を大切に養って、戦いに勝った。その子孫は、三十七代・八百年の間、末裔には曲がったこともあったが、(老人を大切にした文王の)根本の功によって、長く栄えることができた――。
 暴悪な「殷」の紂王は、人間を残酷に支配し、正義の人を迫害した。
 それは排他的な一族主義であり、王は贅沢三昧、遊興三昧にふけった――そう歴史書は伝える。
 堕落しきった宗門もまた同じ実態になっているのではないだろうか。
 これとは対照的に、「周」の建国の祖である文王は、徹底して、周囲の人間を大事にしたとされる。とくに、年配者の方々を敬い、子どもたちを慈しみ、そして、賢者に対して謙虚に礼を尽くしたのである。
 学会でいえば、多宝会の大先輩や、宝の未来部を大事にし、人材を大事にすることに通じよう。
 この指導者の「誠実」な振る舞いの積み重ねが、やがて周辺の国々にも知られるようになり、大きく信望を広げていく。リーダーの「人格の力」が、磁石のように多くの人々を引きつけていったとも言えよう。結局、一番強いのは「誠実」である。「誠実」に勝る力はない。
 学会も、リーダーが心して、この「大誠実」に徹していくならば、まだまだ、今の百倍・千倍の力を発揮できるのである。
 なかんずく、最も大切な最前線の同志に対して「当に起つて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし」――この法華経の「最上第一の相伝」の通りに接し、心の底から会員を尊敬し、賛嘆し、激励していくことだ。
 その振る舞いに、皆が心から喜びをもって、「よし!」と立ち上がっていくのである。
8  第二に「人材を結集し、拡大する」ことである。
 御聖訓には、こう説かれている。
 「周公旦は浴する時は三度にぎり食する時は三度はかせ給う、古の賢人なり今の人のかがみなり」――周公旦(周の文王の子で、孔子と並び称される聖人)は、客人が来れば、沐浴して髪を洗っている時でも三度でも水を絞り落とした。また、食事中であっても、三度でも吐いて食事を中断した(こうして客人を待たせることなく、礼を尽くして応対した)。それが、古の賢人であり、今の人の鑑である――と。
 「周」の国の首脳たちは、天下の優れた人材を一人でも多く結集し、陣列を拡大したいと望んでいた。だから、これほど真摯だった。これほど辛抱強く、全力で取り組んでいたのである。
 現代においても、周恩来総理は、海外からの来客など出会った人を「これほどまでに」と言われるほど、それはそれは大事にしておられた。そして一人一人の心を、がっちりと、つかんでいった。
9  ちなみに「韓国のガンジー」として名高い「安昌浩アンチャンホ先生」も、独立への戦いのなかで、こう語りながら、人材を結合させていった。
 「君も仕事をし私も仕事をしよう。君も主人になり私も主人になろう。功は『我々』に帰し、責任は『私』に帰そう」(李光洙『至誠、天を動かす』具末謨、現代書林)
 将の将は、この大きさをもたねばならない。一切の責任を毅然と、わが双肩に担いながら、皆から慕われ、皆から好かれる、人間味あふれる指導者であっていただきたい。
 有名な「諸法実相抄」には仰せである。
 「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや
 妙法流布の「人材の流れ」は、無窮(きわまることがない)であり、永遠でなければならない。ゆえに、自分の時代に、わが県から、わが方面から、新しき広宣流布の人材を、どれだけ輩出していけるであろうか。
 第一線の地区に徹して入りながら、「人材革命」への挑戦を、きょうより開始していただきたい。
10  「執念」で勝て 「味方」をつくれ
 「周」の勝因の第三に「異体同心の団結」がある。
 これまで何度も拝読してきた有名な御文に仰せの通りである。
 「異体同心なれば万事を成し同体異心なれば諸事叶う事なし
 「殷の紂王は七十万騎なれども同体異心なればいくさけぬ、周の武王は八百人なれども異体同心なればちぬ
 文王の後を継いだ武王は、周の総帥として決戦に臨んだ。
 彼は、まず、第一声から、戦士たちをねぎらった。「遠いところを、よく来てくれたなあ!」と。さらに、当時、野蛮国とされていた小国の人々に、一つ一つ、国の名を挙げて呼びかけ、奮闘を促した。
 ともあれ、妙法の世界にあっては、御本尊の前に、皆、平等である。上からの権威や、命令で、人を動かせると思ってはならない。同じ人間として、人間の心をつかみ、人間を引っ張っていくのである。
 ここにこそ、真の張り合いが生まれ、大いなる力が糾合されていく。
 団結固き「周」の陣列は、皆、意気揚々と進軍した。軍鼓を打ち鳴らし、戦に向かう鬨の声をあげ、足を踏み鳴らしながら行進した。前方の友が歌を歌えば、後方の友は舞を舞った。
 一方、「殷」の兵士たちは大軍ではあったが、堕落しきった独裁権力のもとに集められており、戦意をなくしていた。むしろ皆、心の中では、「周」が攻め入って、邪悪を打倒してくれることさえ待ち望んでいた。だから、なかには武器を逆さまにして、「周」の進軍の道を、進んで開ける者までいたというのである。
 こちらに団結があり、勢いがあれば、必ず「道」は開ける。ましてや、御書には、「魔及び魔民有りと雖も皆仏法を護る」と法華経の文を引かれている。
 正法正義の味方をつくり、味方を増やすこと――これが「広宣流布」の根本である。
11  第四に、「周」の勝利の根底には「正義の執念」があった。
 御書には「周の武王は父の形を木像に造つて車にのせて戦の大将と定めて天感を蒙り殷の紂王をうつ」――周の武王は、亡くなった父(文王)の姿を木像に刻み、車に乗せて『戦の大将』と定めた。(この孝心に)感応した天の加護を受けて、殷の紂王を討つことができた――と記されている。
 父・文王は、民衆から慕われ、多くの国の人々から敬愛される名君であった。恐れを抱いた紂王は、文王を幽閉して苦しめた。文王は、暴君の矢面に立って、じっと耐え抜きながら、「時」を待ち「時」をつくった。勢力を一歩一歩、拡大していった。
 武王は父の志を継ぎ、「正義の執念」を燃やし続けた。父の仇を討たんと死力を尽くした。だから強かった。だから負けなかった。だから最後に勝った。
 いわんや仏法は、仏と魔との大闘争である。「断じて勝つ!」執念が天をも動かす。わが学会は、大聖人に直結し、牧口先生、戸田先生以来、法華経と御書に仰せの通り、極悪の仏敵と戦い抜いてきた。この大闘争に明確な決着をつける「新世紀の勝利」は、わが青年部の諸君に託したい。
12  「民衆組織」がリード、人類史を大転換
 ところで、私たちSGI(創価学会インタナショナル)をはじめとする民衆の連帯は、ご存じのように「NGO(非政府組織)」と呼ばれる。しかし、現在、心ある識者は、この「政府に非ざる組織」という消極的な位置づけに対して、発想の転換を促しておられる。(名誉会長と対談集を発刊した平和学の創始者ガルトゥング博士など)
 すなわち、もっと積極的に、NGOを「民衆組織」「国際民衆組織」と呼ぶべきである。そして、世界市民に対して無責任な政府系の組織のほうこそ、「非民衆組織」(民衆に非ざる組織)と呼ぶべきではないか、と。
 いずれにせよ、「生命尊厳」の大哲学に立脚した、創価学会という真正の民衆組織が、ますます主体性を発揮し、世界に発展していくことを、第一級の知性は期待しているのである。
 我ら民衆と民衆による「平和」と「文化」と「教育」の善なる大連合は、何ものにも左右されない。否、我らが主役となって、一切が「人道」と「共生」と「繁栄」の方向へ向かうよう、監視し、リードしながら、人類史を大転換しゆく時代に入ったのである。
 古代ローマの雄弁家キケロは言った。
 「すべての者を公平な正義に基づいて結合することこそ、善良な市民の最高の政治であり、最も優れた叡智である」(『義務について』角南一郎訳、現代思潮社)
 結びに、「戦うことが、わが健康法なり」とは、ロマン・ロランの言葉である。
 我々も、広宣流布のために、ともに若々しく戦おう!
 創価学会の永遠不滅のために、堂々と戦おう!
 そして、世界の平和のために、広宣流布を断固としてやり抜こう!
 こう申し上げ、記念のメッセージとしたい。
 (創価学会本部)

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