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日蓮大聖人・池田大作

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「5.3」記念第33回本部幹部会 さあ新世紀! 民衆の勝鬨を全世界へ

1999.5.1 スピーチ(1998.11〜)(池田大作全集第90巻)

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1  婦人部の皆さまに最敬礼!
 5・3「創価学会の日」、おめでとう! 「創価学会母の日」、おめでとう!
 全国の皆さまと、晴れの日を祝賀したい。
 「創価学会、万歳!」
 「婦人部、万歳!」
 「芸術部はじめ、全同志の皆さま、万歳!」
 私どもの学会活動が、どれほど偉大であるか。
 そこには、「歌」がある。「詩」がある。「対話」がある。「哲学の研鑚」がある。「友好の拡大」がある。
 すべてが勉強であり、修行である。やった分だけ自分の力になっている。自然のうちに、自分自身を「全体人間」へと鍛え上げているのである。これほど素晴らしいことはない。(拍手)
 「対話の時代」である。一方通行の時代は終わった。
 学会の組織においても、幹部が「上から」一方的な話をしているのは時代遅れである。
 皆、人間と人間である。庶民と庶民である。仏法は「皆が平等」である。
 同志と同志が、手を取り合って、肩を組みながら、「さあ、語り合おうじゃないか!」「さあ、楽しくやろうじゃないか!」――これが真実の創価学会の集いであると思うが、どうだろうか。(拍手)
2  弘安元年(一二七八年)の「五月一日」のことである。
 日蓮大聖人は、弟子にあてて、こう言われている。
 「日月は地におち須弥山はくづるとも、彼の女人仏に成らせ給わん事疑いなし、あらたのもしや・たのもしや
 ――たとえ、太陽と月が地に落ち、須弥山が崩れたとしても、(妙法を持った)あの女性が仏になられることは疑いない。なんと頼もしいことであろうか。なんと頼もしいことであろうか――。
 「妙法を持った女性は必ず仏になる」との、大確信のお約束であられる。
 また、大聖人は、ある婦人に対して、こうも仰せである。
 「大風の草をなびかし・いかづちの人ををどろかすやうに候、の中にいかにいままで御しんよう信用の候いけるふしぎ不思議さよ、ふかければかれず・いづみに玉あれば水たえずと申すやうに・御信心のねのふかく・いさぎよき玉の心のうちに・わたらせ給うか、たうとしたうとし
 ――大風が草をなびかし、雷が人を脅えさせるような世の中にあって、あなたが今まで、この信仰を貫いてこられたことは、なんと不思議なことでしょうか!
 『根が深ければ、葉は枯れず、泉に玉があれば、水は絶えない』と言われるように、あなたのご信心の根が深く、あなたのご信心に勇気の玉があられるのでしょうか。尊いことです。尊いことです――。
 大聖人は、女性信徒の「勇敢なる信心」を繰り返し称賛しておられる。
 今で言えば、学会の婦人部の皆さまである。御本仏が皆さまを最大にたたえておられることはまちがいない。世界一である。宇宙一である。
 偉大なる「創価の母の日」、本当におめでとう!(拍手)
3  昨日(四月三十日)、婦人部の代表と懇談した。その際、こんな提案があった。
 「五月三日の『創価学会母の日』には、ご主人が奥さんに、必ず何かおみやげを買っていくこと」――男性の皆さん、どうだろうか?(笑い)
 賛同を得たので、後日、全員の報告を聞かせていただく(笑い)。約束を破ったら幹部失格!(爆笑)
 ともかく、壮年部、男子部の皆さんは、婦人部を大切にしていただきたい。
 必ず何か贈る。何か与える――何でもいい。心こそ大切なのである。
 さらに、次の三点が議題にあがった。
 「その日は、ご主人も、子どもも、何でも言うことをきくこと」。朝から晩まで、一日中(笑い)。
 「その日は、とくに、奥さんの健康と長寿を祈ること」
 「その日は、男性が、弘教も、聖教新聞の配達も啓蒙も、会合も、一切を引き受けて、女性は休むこと」
 以上、四点を、本日この場をお借りして決定――は、しないでおきますから(爆笑)、心をくんで、男性諸君、お願いします!
 せめて一日くらいは、婦人部の皆さんが一人残らず(会合を終えて)帰るまで見送ってさしあげるとか、「ごくろうさま」と声をかけてさしあげるとか――。男性ならば、そのくらいの雅量がなければいけない。
4  「師弟」の魂から無限に力が
 ここ東京牧口記念会館からも見えるが、新緑に包まれたロマンの丘に、「創価大学の本部棟」が竣工した。アメリカでは、カリフォルニアのオレンジ郡に、堂々たる「アメリカ創価大学」ができつつある。
 すべて皆さま方の真心の応援の結晶である。つつしんで感謝申し上げたい。(拍手)
 本部棟は、昨日、「引き渡し式」が行われた。十八階建ての高さから眺める「白雪の富士」は圧巻であったと、うかがった。
 夜には、美しい満月が、「知性の殿堂」を照らした。絵に描いたような素晴らしい光景であったという。
 明日(二日)は、お隣のロマンの赤き星「火星」が地球に接近する。今回は、八千六百五十万キロの中接近である。
 かつて、『若き日の日記』(昭和三十一年〈一九五六年〉九月七日)に、「火星」が五千六百五十四万キロにまで大接近したことを書き留めた。
 その年――昭和三十一年は、「まさかが実現!」と世間をあっと言わせた″大阪の大闘争″の年である。
 私は大阪で、一人立って、指揮をとった。「絶対に勝ち目のない戦」と言われた。
 私は、いつでも「いちばん厳しいところ」に行って、実践し、「いちばんすごい結果」を出してきた。
 信仰は実践である。真剣な実践もなく、ずるく立ち回って偉くなった人間は、絶対に信用してはいけない。
5  戸田先生は、大阪の大勝利を、ことのほか喜んでくださった。
 「大作、よくやってくれた!」と。
 東京は敗北していた。
 戸田先生をお守りすること――私の祈りは、ただ一点であった。先生の経済的な苦境も、ただ一人で、お守りした。莫大な借金も、すべて返済した。
 先生は心の底から私を信頼して、「大作、ありがとう!」「お前がいたから、おれは救われたんだ」「創価学会の会長ができたんだ」と感謝してくださった。
 ″大阪の戦い″が終わると、すぐに「山口闘争」を開始した。
 山口――戸田先生は、この「明治維新」の揺籃の地に、重大な布石を打とうとされていた。それを私に託したのである。
 「大作、やってくれるか」「はい、やらせていただきます」
 一瞬にして決まった。
 (山口闘争は昭和三十一年の十月、十一月、翌年の一月と三カ月にわたった。九月末、四百五十九世帯だった山口県は、一月末には、四千七十三世帯へと十倍の飛躍を遂げた)
 山口は、約四千世帯。
 大阪は、一カ月で、一万一千百十一世帯。
 すべては、中心者の指揮のとり方である。御本尊への祈りの一念である。
 御本尊に、本当に「広宣流布」を祈り、本当に「師匠の言葉を、うそにしたくない、実現したい」と祈り、師匠に本当に喜んでいただきたいと祈って、結果が出ないわけがない。
 日蓮仏法は、「広宣流布の信心」である。そこにしか、まことの信心は断じてない。そして、「広宣流布の師弟」である。師弟の心が一体になっての祈りが、かなわないわけがない。
 山口でも、大阪でも、多くの同志が私とともに戦ってくださった。決して恵まれた環境ではなかった。交通費も全部、自前である。
 私は、朝も昼も夜も、動いて動いて、戦って戦い抜いた。
 当時、私は二十八歳。青春の力を、すべて広宣流布に注いだ。くたびれ果てて、靴を脱ぐ力もなく、倒れ込むように帰宅した日々もあった。遙かなる銀河を仰ぎながら、「いつ死んでもいい」――その決心であった。
 そうやって「広布の地盤」を一つ一つ築いてきた。なまやさしい歴史ではなかった。そういう現実の道を経て、世界の創価学会ができたのである。後継の諸君は、決して簡単に考えてはならない。
6  日蓮大聖人は仰せである。
 「法華経の座は三千大千世界の外四百万億阿僧祗の世界なり其の中に充満せる菩薩・二乗・人天・八部等皆如来の告勅を蒙むり各各所在の国土に法華経を弘む可きの由之を願いぬ
 ――法華経の会座は、三千大千世界のほか、四百万億阿僧祇という広大な世界である。その中に充満する菩薩、二乗、人、天、八部(仏法守護の衆)などが、皆、如来の御命令を受けて、それぞれの住む国土に法華経を弘めることを願ったのである――。
 仏法は大きい。仏法は宇宙大である。
 日蓮大聖人の「大宇宙を貫く大哲学」を知れば、きっとベルクソンも、カントも、ヘーゲルも、マルクスも皆、感嘆して、仰ぎ見たであろう。
 いわんや、どんな社会の名声も、権力も、仏法の世界から見たら、豆粒のように小さい。
 私たちも、広大な宇宙の中から、地球を選んで、「ここで、仏法を弘めます!」と願って生まれてきたのである。その″使命″を達成しなければならない。
 私たちは、どこまでも、「人類のため」「平和のため」「幸福のため」「繁栄のため」、堂々と実践してまいりましょう!(拍手)
7  「千万人と雖も、吾往かん」
 青春時代、戸田先生から漢文を教わった。先生は、数学の大家だったが、漢文もお好きだった。たとえば――。
 「世を挙げて皆濁る。我独り清む」
 ――世間の人々は皆、(利欲に)濁り、私一人だけが清らかに生きている。
 「この自覚を忘れるな」という、戸田先生のお言葉を、今も忘れることができない。
 「清らかに生きる」、それは「信心」しかない。「妙法」しかない。
 この漢文は、屈原という、中国戦国時代の詩人政治家の言葉である。
 また、「心和し、気平らかなる者は、百福自ら集まる」。
 ――気持ちが和やかで平静であるならば、その人には、おのずから、あらゆる幸福が集まってくる。
 これは『菜根譚』。明の時代の洪自誠こうじせいという人の著作の一文である。
 仏法から見れば、「気平らか」とは、人界である。「心和し」とは、「すがすがしい心で南無妙法蓮華経と唱えること」と言えまいか。その時、百の福徳が全部、自然に集まってくる。
 「安んぞ求めん一時の誉れ、当に期すべし千載の知」
 ――一時的な栄誉など、どうして求めることがあろうか。後世、千年の未来に君の心を知ってくれる人がいればよいのだ。
 北宋の詩人、梅尭臣ばいぎょうしんという人の詩である。
 次の漢文は、戸田先生から「覚えておきなさい」と強く言われたものである。
 「大作、これでいけよ!」と。その通りにしてきたつもりである。
 「自ら反みてなおくんば、千万人と雖も、吾往かん」
 ――かえりみて、自分が確かに正しいという信念がある限り、たとえ相手が千万人であろうとも、自分は敢然として、一人行こう。(『孟子』から)
 これらの漢文は、すべて青春時代、二十代に「戸田大学」で教わった一節である。化学、他のサイエンス(科学)、法律、国語……ありとあらゆる学問を、戸田先生から十年間、教わった。
8  ナポレオンが示した「一人の人間の力」
 ご存じのように、このたび「特別ナポレオン展」が、東京富士美術館(八王子市)において、盛大に開幕した。(二〇〇一年まで全国を巡回)
 日本初公開の「フランスの国宝」をはじめ、約五百点。大変に貴重な出品である。
 「一人の人間」が、揺るぎない信念に立つ。その時に、どこまで歴史をつくれるか、動かせるのか――。
 二十一世紀への転換期を生きる私たちに、何らかのメッセージを送ってくれると信じる。
 今回の展示では、アメリカ・ナポレオン協会の理事であるブラスナー博士が、「名誉委員長」を務めてくださっている。つつしんで、御礼申し上げたい。(拍手)
9  ナポレオンの生涯から、何を学ぶことができるか。アメリカの思想家、エマソンの言葉を紹介したい。
 エマソンも、戸田先生から読むように勧められた。
 ナポレオンが教えてくれること、それは、「勇気があれば、道はいつでも拓けるものだという教訓にほかならない」(『エマソン詩集』6、酒本雅之訳、日本教文社)と、エマソンは言う。
 今回、晴れの五月三日を迎えるにあたっても、わが同志の「勇気」が、二十一世紀の道を大きく拓いたのである。本当におめでとう!(拍手)
 だれもが感嘆した勝利である。日蓮大聖人直結の団体でなければ、なしえない。「奇跡」のごとき勝利である。大聖人が皆さまを最大に称賛しておられると信ずる。(拍手)
 エマソンは、ナポレオンを、こう論じている。
 「彼の勝利は、そのまま、さらにあらたな勝利への門出であり、たとい現在の境遇が、どんなに目くるめくほど民衆の喝采を浴びていても、ほんの一瞬たりとも、自分の進むべき道を見失うことはなかった」
 ナポレオンは、勝ったら「また、次だ!」と。勝利に満足せず、それで安心せず、油断もしなかった。
 戦とは、そうでなければならない。一つの勝利を、さらに次の勝利への因としていく。それが″戦上手″であり、連戦連勝につながる。
 勝利の余韻に浸ると、慢心になる。これでは、次は負けである。
 勝った時にこそ、さらに次の新しい大きな展望を開く。これで、次も勝利できる。
 この、たゆみなき前進の息吹――これが「勇猛精進」である。
 「勇猛」の「勇」は、「勇気」。「猛」は「智慧の限りを尽くすこと」。「精進」の「精」は、「無雑」。純粋で、一点の混じりけもないことである。「進」は、「間断なく進むこと」である。
 勇猛精進が、″常勝の人間″をつくる。わが身を″常勝の生命″へと鍛え上げていく。
10  今回の展示では、ナポレオンが最後の六年間を過ごした、セント・ヘレナ島にゆかりのある貴重な品々も出品されている。″最後の玉座″など、フランス国宝の五点を含む、非常にめずらしいものである。
 「フランス国外では初公開」というものも多い。「直筆の回想録」は、世界初公開ともいわれる。「宝剣」(「ミュラ元帥の宝剣」四点)も、フランス国宝である。
 「必ずナポレオンに光の当たる時代が来る」。私は、そう信じて、何年も前から、この展示のために手を打ってきた。
 真剣であれば、「智慧」が出る。「力」が出る。反対に、立場や力を持ちながら、真剣にやらなければ、偉くしてくれた民衆への裏切りである。それは所詮、増上慢なのである。
 セルバンテスの『ドン・キホーテ』の有名な一節に「忘恩は、慢心の落とし子である」とある通りである。
11  「民衆勝利の劇」から新しい歴史が
 さて、「この地から、しかも今日から、世界歴史を画する一つの新しい時期が開けるのだ」(『滞仏陣中記』永井博・味村登訳、『ゲーテ詩集』12所収、潮出版社)――。
 これは、フランス革命のさなか、勇敢なる「民衆の勝利の劇」を見つめた、文豪ゲーテの感嘆である。
 ゲーテが見たのは、今から約二百年前の一七九二年九月。有名な「ヴァルミーの戦い」――ヴァルミーと呼ばれる丘での戦闘があった。
 ナポレオンが表舞台に登場する、少し前のドラマである。この時、フランス周辺諸国の連合軍は、「フランス革命」の台頭を押しつぶそうとしていた。国境を突破し、首都パリに襲いかかろうとした。そのさなかの戦いである。
 歴史家は、さまざまに分析している。
 連合軍(プロシア軍)は、当時、ヨーロッパで随一の強さを誇る、貴族の軍隊。十分な武器もある。勝つに決まっていると、傲り高ぶっていた。
 一方、最強の敵を迎え撃つフランスの革命軍には、正規軍とともに、義勇兵が、たくさんいた。
 連合軍は、「浮浪者」たちの集まりとバカにして、「脅せば、庶民どもは逃げ去っていくだろう」と、たかをくくっていた。慢心していた。有名大学出身者が、学歴のない人間を、傲慢に見くだすかのように。
 連合軍は、激しい砲撃を浴びせた。しかし、フランス軍は屈しなかった。
 ここで自分たちが敗れてしまえば、革命は挫折し、貴族たちの天下だ。庶民は、また馬鹿にされる。「自由」「平等」「友愛」という革命の理想もなくなる。それでは、あまりにも不幸だ――そういう覚悟であったかもしれない。
 庶民の英雄たちは「革命精神」で武装していたのである。
 「革命精神」――私どもで言えば、「信心」である。「心」で決まる。
 「革命精神という武装を忘れるな!」。そう私は叫びたい。
 創価学会も「庶民の義勇軍」である。「信心」という武装がある。「正義」という闘魂がある。本物の同志がいる。だから強い。だから屈しない。
12  フランスの慣れない新兵の中には、最初は砲弾に驚き、たじろいで逃げようとする者もいた。しかし、歴戦のケレルマン将軍がいた。五十七歳。将軍は厳然として、こう叫んだ。
 「一歩も引いてはならない! 私は、ここにいる! 君たちと、ともに!」
 将軍は、皆を励ましながら、態勢を立て直して前進していった。
 人にいばるのが中心者なのではない。同志を励ましながら、「一緒に戦おう!」「一緒に死んでいこう!」。この心があってはじめて、人は動く。
 いわんや、上から命令するだけで、人を利用して、地位や世間的な栄華を、うまく手に入れる。いざとなると皆に苦労させて、自分だけは傷つかないように、うまく泳いでいく。こんな卑怯者は、最低中の最低の人間である。
13  ヴァルミーの戦いは、「庶民と貴族の戦い」と呼ばれた。
 勢いを増す義勇兵たちは、戦いのさなか、大地を揺るがす大歓声をあげていった。「国民万歳!」「民衆万歳!」
 どんな爆音があろうが、砲弾が来ようが、叫んだ。怒涛のごとく。雷鳴のごとく。「国民万歳!」「民衆万歳!」
 何万というフランス軍が、サーベルや銃剣の先に帽子を乗せ、それを打ち振りながら、叫び続けた。
 敵は驚いた。動揺し、足をとめた。
 民衆の朗らかさ。恐れなき心意気。これが勝利の源泉である。そして、悪天候と病気と食糧不足に悩む連合軍のほうが、ついに撤退するにいたったのである。
 「声、仏事(仏の仕事)を為す」である。声が武器になる。声が力になる。
 この戦いで、連合軍が敗れた一因は、指揮官の戦意の薄さだったともいわれている。その理由は、いろいろあったであろうが、一般的にも、地位にすがりつく人間は、実は臆病である。自分を守ろうとするあまり、捨て身になれない。そこに弱さがある。
 この「ヴァルミーの戦い」の規模は大きくはなかったが、「民衆の勝利」の記録として、高く評価されてきた。
 わが同志の皆さまの各地での偉大な闘争もまた同じであると私は思う。諸仏も諸天も喝采を送っているにちがいない。
14  フランスには「エスプリ」がある。精神の力がある。ある意味で、どの国よりも強いかもしれない。
 先年(一九九七年)、亡くなられたルネ・ユイグ氏。何度も語り合ったが、いつも、この「エスプリ」を口にされていた。(対談集『闇は暁を求めて』を発刊。本全集第5巻収録)
 亡くなられた後、奥さまから連絡をいただいた。「夫は、いつも、池田先生のことを懐かしく話しておりました」と。
 そして、遺品を贈呈したいという申し出をいただいたのである。
 あの世界的なポーリング博士(ノーベル化学賞・平和賞受賞者)からも、同じように遺品を託された。あまりにも貴重な「人類の遺産」であり、アメリカ各地で紹介させていただいている。(「ライナス・ポーリングと二十世紀」展)
 二十年前、私は会長をやめた。その本質も、「民衆勢力の拡大」に対する、黒き嫉妬であった。
 師匠を売る下劣な人間もいた。いつもは、聞こえのいいことを言いながら、いざという時には、何もできない、情けない人間もいた。
 その時、「池田先生、フランスに来てください。先生に指揮をとっていただく城を用意しています」。そう言ってくださったのが、今のユゴー文学記念館のモワンヌ館長夫妻である。
 私は、その真心がうれしかった。海外には、こんなに強く、ロマンある心をもった人間がいる。しかし、城をいただくわけにはいかない。お気持ちに感謝しつつ、私は丁重に辞退申し上げた。
 ともあれ、嫉妬に狂った日本に見切りをつけて、外国へ行ったほうがいいのでは――そういう声もあった。
 しかし、妻は言った。
 「日本には、学園生がいるではありませんか。創立者がいなければ、学園生がかわいそうです」
 事実を、ありのままに語り残しておきたい。
15  「次の勝利」へマーチを奏で前進
 フランス革命の時、青年の情熱によって生まれ、勇壮に歌われていったのが、あの有名な「ラ・マルセイエーズ」――フランスの国歌である。
 ある将軍は言った。「私は、戦闘に勝った。この歌が、私とともに、勝利の指揮をとってくれた」と。
 あのナチスとの戦いにあって、レジスタンスの勇気ある者たちは皆、この曲を歌いながら戦った。私も「ともに歌おう!」「行進しよう!」と、フランスの青年部と一緒に、この歌を歌いながら行進したことが懐かしい。
 私どもにとって、「学会歌」が勝利の力である。
 先日も書いたが(四月二十一日付「随筆 新・人間革命」)、二十一世紀へ、「新しい前進の歌」「新しい行進のマーチ」「新しい勝利の曲」を、つくってはどうだろうか。
 婦人部も、女子部も、皆が親しめるような、新鮮味のある、新しい歌の誕生を期待したい。(拍手)
16  さて、今年は、ゲーテの生誕二百五十周年である。
 ゲーテは、戯曲の中で、新しき世界建設の気概を、こう謳っている。
  「兄弟たちよ、立て。世界の解放に。
  彗星は招く、偉大なる時が来た。
  あらゆる専制のおりなす業を
  真っぷたつに切って捨てよ。
  前へ、進め、高みへ。
  この大事業を、成功させよう」(『ゲーテ全集』5,小塩節訳、潮出版社)
17  世界の解放――私たちの立場で言えば、「世界平和」である。
 彗星は招く――天が見つめている、と。
 あらゆる専制を真っぷたつに――権力の傲慢を、真っぷたつに切れ、と。
 この大事業――広宣流布の大事業を成功させよう! という意味になろうか。
18   「かくて進もう、大胆なわれら」
  「なにものも
  われらの歩みをとどめはしない。
  前へ、進め、高みへ。
  そして偉大なる、この仕事をやり抜こう」(同前)
 立ち止まってはいけない。進まざるは退転である。
 前へ前へと進む――そこに勝利がある。
 創価学会の「勝利の三色旗」が今、ここでも、あそこでも、堂々として翻っている。私も、三色旗を見るたびに車中から題目を送らせていただいている。
 私は全国、全世界を回りたい。いよいよこれからが、二十一世紀への広宣流布の「総仕上げ」である。(拍手)
19  われらは「世紀の先頭」に立つ
 ナポレオンは晩年、セント・ヘレナで、「批判と誹謗の連続」であった自らの波乱万丈の人生を振り返りながら、きっぱりと語っている。
 「一つの勝利、一つの記念碑、これが最高の真実の答えである。虚偽は消え去り、真実が残る。賢い人々は、とくに後世は、事実に基づいてしか判断しない」
 彼は未来を、こう展望していた。いいかげんな中傷など、時とともに、幻となる。残るのは、「勝利」の「事実」だけである。
 また彼の有名な言葉に、こうある。
 「君の世紀の思想の先頭に立って歩いてみ給え、それらの思想は君に従い、君を支持するであろう」(『ナポレオン言行録』大塚幸男訳、岩波文庫)
 これから、二十一世紀の先頭に立つのは、どの思想か、どの勢力か――この熾烈な競争が始まっている。この競争は何で決まるか。一切、「人材」で決まる。「人物」で決まる。
 「人格」と「力」を兼ね備えた総合的な人材――「全体人間」が必要なのである。
 「全体人間」の育成が、学会の目標である。
 いくら秀才でも、信念がない。いくら有名でも、哲学がない。いくら情熱があっても、知性がない。忍耐力がない。いくら人気があっても、誠意がない。これでは、「全体人間」ではない。偏ぱであり、ひとつひとつが、バラバラである。総合的な力になっていない。
 総合性こそ、信仰者の徳である。「妙法蓮華経」には、徳も生命力も情熱も、知性も福運も哲学も、すべてが総合的に備わっているからである。
 ともあれ、「人材に道を開け!」――これがナポレオンの信念であった。
 「後輩を自分以上の人材に!」――これが戸田先生の遺言であった。
 「人材」で勝負は決まる。「人材」で歴史は決まる。ゆえに学会は、徹して「人材」を育て、徹して「人材」で勝っていきたい。
20  戸田先生は、四十五年前(一九五四年)の五月一日付の「大白蓮華」に「巻頭言」を記されている。
 ――広宣流布をする人は「仏の使い」であり、「仏の仕事を行う者」である。その人は、ナポレオン、アレキサンダーなどより、幾十億倍も優れている、と――。
 妙法を弘め、学会活動に活躍する人こそ、真の英雄である。いちばん尊い人である。
 日蓮大聖人は、「撰時抄」に仰せである。
 「法華経を経のごとくに持つ人は梵王にもすぐれ帝釈にもこえたり、修羅を随へば須弥山をもになひぬべし竜をせめつか使役はば大海をもくみほしぬべし
 ――法華経を、その教えの通りに持つ人は、梵天にも優れ、帝釈をも超えているのである。修羅を従えるので須弥山をも、かつげる。竜を使いこなして大海をも汲みほせる――。
 さまざまに拝することができるが、妙法を如説修行する人は、修羅界や畜生界の存在をも自由自在に使いながら、広宣流布の大偉業を成し遂げていける――との仰せとも拝せよう。
 総じては、そういう「偉大な人間指導者」の集いが、創価学会なのである。
 学会が強くなることが、二十一世紀の「希望」を強め、「平和」を強めていく。こういう確信で、誇り高く、雄々しく、「五月三日」を期して、また新たに前進を開始しましょう!(拍手)
21  嫉妬と増上慢の「修羅」は広布を妨害
 広宣流布を阻む「修羅」の生命について、お話ししておきたい。
 修羅界は、十界論では、下から四番目であり、地獄界、餓鬼界、畜生界とともに「四悪趣」に位置づけられる。
 修羅の生命の特徴は、自分よりも優れた人に対する「嫉妬」と、あらゆる人を見くだし、押さえ込もうとする「勝他の念」である。
 大聖人も御書の中でとりあげられているが、天台大師は『摩訶止観』で、修羅の卑しさを、こう表現している。
 「常に他人に勝つことを願い、その心を抑えきれず、人を見くだし、他者を軽んじ、自分だけを尊ぶ。それはまるで、トンビが高く飛んで、下を見おろす姿のようである。それでいて外面は、仁・義・礼・智・信という徳を掲げて、(表面的で、自己満足の)低級な善心を起こし、修羅道を行ずるのである」(御書430㌻、通解)
 すなわち修羅は、内面では、「我尊し」と驕りながら、外面では、徳を備えた人格者のように振る舞う。偽装がうまいのである。
 その根本は、自分をよく見せようとする「見栄」であり、他人を見くだし、民衆を蔑視する「傲慢」であり、「驕慢」である。ゆえに、「だれもが成仏できる」と説く法華経を信じることができない。
 他人よりも自分が上でないと、気がすまない。否、妙法そのものよりも、自分が上であるかのように慢心してしまう。
 それが広宣流布を阻む悪人たちの本質である。まして、「自他ともの幸福のために、真剣に戦う」法華経の行者の心など、わかるはずがない。
 「観心本尊抄」には、「諂曲てんごくなるは修羅」と仰せである。
 「諂曲」とは、諂い曲がった心のことである。この「諂い」とは、他人と自分とを比べ、それによって自分の態度を変え、自分の本心を見せずに従順を装うことである。
 また修羅は、心が曲がっているため、自分も、他人も正しく見ることができず、自分が偉いかのように錯覚してしまう。
 大聖人は、こうも仰せである。
 「能く大梵天王・帝釈・四天と戦う大阿修羅王有りて禅宗・念仏宗・律宗等の棟梁の心中に付け入つて次第に国主国中に遷り入つて賢人を失う、是くの如き大悪は梵釈ぼんしゃくも猶防ぎ難きか何に況んや日本守護の小神をや但地涌千界の大菩薩・釈迦・多宝・諸仏の御加護に非ざれば叶い難きか
 ――大梵天王や帝釈、四天王と戦うことのできる大阿修羅王がいて、禅宗、念仏宗、律宗等の指導者の心の中につけ入り、しだいに国の権力者をはじめ国中の者の心に移り入って、賢人をなき者にしようとする。
 このような大悪は、梵天・帝釈でさえも防ぐことは難しいであろう。いわんや日本を守護する、力の小さな神など、なおさらである。ただ、千世界を微塵にしたほど数限りなく出現した地涌の大菩薩や、釈迦如来、多宝如来、諸仏の御加護でなければ防げないであろう――。
 「修羅」がその身に入った、「邪教と権力の結託」に対しては、地涌の菩薩と諸仏の力以外では勝てない。こう御書に仰せの通り、地涌の菩薩の集いである学会は、見事に「大勝利の歴史」を刻んできた。すごいことなのである。(拍手)
 日寛上人は、「三重秘伝抄」で、大海の中に立っても、海水が膝までしかこないほどの巨大な姿として、修羅を表現されている。経典に、そうあるのである。
 (「修羅は身長みのたけ八万四千由旬、四大海の水も膝に過ぎず」)
 それくらい、自分が偉いと驕り高ぶっている。自分の実像が見えなくなっているのである。
 しかし、そのような傲慢な人間は、自分より強い者に責められると、小さな小さな「本当の姿」に縮まって、逃げていく。そのことは、「佐渡御書」で、「おごれる者は必ず強敵に値ておそるる心出来するなり例せば修羅しゅらのおごり帝釈たいしゃくめられて無熱池の蓮の中に小身と成て隠れしが如し」きちっと説かれている。
 修羅は、こちらが、より強い力で責めれば、本来の姿が暴かれて、醜態をさらしてしまうのである。
22  勝利の時、謙虚な者は、次も勝利
 最後に、人類の英知の言葉を紹介して終わりたい。
 マハトマ・ガンジーは語っている。
 「すべての文明が試練の途上にあることを考えなければなりません。永遠性をもつ文明とは、それに堪えて生きのびてゆく文明です」(森本達雄著『ガンディー』講談社)
 我らも、常に、試練に耐えてきた。
 また次は、フィリピンの格言である。
 「強さと勇気が、人生に前進をもたらす」
 「団結のなかにこそ、力は存在する」
 「苦闘が多ければ多いほど、勝利は輝かしい」
 「多くの犠牲と苦労を経験しなければ、成功とは何かを決して知ることはできない」
 「舌は最も強力な武器である」
 「真実の言葉ほど、強力なものはない」
 「勝利の時に、謙虚になることを知る者は、二度、勝利者となる」
 「富は失われても、智慧はなくならない」
 「もし世界を変えたければ、自身を変えることから始めよ」
 皆さま方のご健康とご長寿、大福運の人生を、私は一生懸命、祈っております。一生涯、祈ってまいります。
 きょうは長時間、本当にありがとう!
 (東京牧口記念会館)

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