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日蓮大聖人・池田大作

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「4.2」記念幹部会、第10回第2東京… 勇気の人こそ永遠の勝利者

1999.4.2 スピーチ(1998.11〜)(池田大作全集第90巻)

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2  韓国青年の叫び「奮起せよ! 時は二度と来ないのだ」
 戸田城聖先生は、叫ばれました。「青年よ、社会の柱たれ! 青年よ、社会の眼目たれ! そして、青年よ、社会の大船たれ!」と。
 そして逝去された――今日の日であります。
 一九一九年の三月一日。尊敬する貴国の天地から、人類史の流れを変えゆく若人の正義の声が、怒涛となって湧き起こりました。これこそ、不滅の「三・一独立運動」であります。
 ″凶悪な日本″の暴虐に対して、真の獅子である貴国の民衆が、勇敢に「独立万歳!」の叫びを放ったのであります。このソウルの大地を揺るがす決起のなかに、貴・清道チョンド郡の出身の二人の情熱みなぎる青年がおりました。
 彼らは、疾風のごとく、美しき故郷に舞い戻って、この劇的な模様を皆に伝え、同志を糾合していった。青年たちは、烈々たる檄文をつくり、市場など、要所、要所に張り出していった。
 そこには、こう記されてありました。
 「わが同胞兄弟よ! この時期を逃さず、わが三千里の国土を取り戻さなければならない。死は、一度のみである。何ゆえに、このように、じっとしているのか!
 今はどういう時かを知れ! さあ、奮起しよう! 時は二度と来ないのだ。独立万歳!」と。
 これに対し、陰険極まる日本の支配勢力は、弾圧に弾圧を加えました。
 卑劣にも、リーダーの留守宅に押し入り、その老いたる母まで拘束した――何と残虐な日本でありましょうか。
 しかし、若き闘士は、圧迫があればあるほど、炎と燃えた。これが韓国人の強さであります。これに比べると、日本人の精神は弱い。
 そして、貴郡の「高貴なる青春の連帯」は、まさに八十年前の今日、四月二日にも、愛する祖国の太極旗を翻しながら、「独立万歳!」の勝鬨を、昼となく夜となく天空高く轟かせていったのであります。
 貴国を源流とする、この非暴力の民衆の勇気こそが、そのまま中国へ連動し、さらに、あのインドのマハトマ・ガンジーに引き継がれ、やがて「アジア・アフリカの独立運動」にも大きな波動を広げていったことは、二十世紀の不滅の歴史であります。
 韓国を大きな起点に「変革」は始まったのであります。
 正義によって立ち、ひるまずに、真実を、強く、また強く叫び切った勇者が必ず勝つ! それを若き諸君は忘れないでいただきたい。
 勇気です。勇気の人こそが、魂の勝利者として永遠にそびえ立っていくのであります。
3  二十年前の五月三日、「会長勇退の総会」を終えて、創価大学の中央体育館の渡り廊下を、私が歩いているときのことでありました。会場に入れない学会員の方々が、ずっと待っていてくださり、「先生!」「先生!」と大きな声で、手を振りながら駆け寄ってこられました。
 それは、わが第二東京の、けなげな婦人部の方々でありました。そこには、何ものにも負けない、何ものをも恐れない、「創価学会、万歳!」との誉れ高き響きがありました。
 無名の会員の方々の中にこそ、「真実」があったのであります。私は、その方々を思って、今でもお題目を送っています。
 そのとき、一人の母が背負っておられた幼子も、今や、立派に成長して、第二東京男子部のニュー・リーダーとして、颯爽と大活躍しているという報告を、先日、私は、うれしくうかがいました。また手紙もいただきました。一生涯、大切にいたします。
 きょうは、大勝利への第二東京総会、本当におめでとう!(拍手)
4  ″慈愛の政治″の努力に敬意
 心から尊敬するキム郡守ならびに令夫人、ご家族はじめ、ご一行の皆さま方! 私の師匠・戸田城聖先生は、貴国をこよなく敬愛しておりました。
 ゆえに、貴国に対する日本の非道には、烈火のごとく、憤怒しておりました。
 それに反して、「邪智と傲慢と保身の宗門」は、臆病にも日本の軍国主義に迎合し、加担していった。一九一〇年、「仏教伝来の大恩人」の貴国に対する悪逆な併合の暴挙に際しても、宗門は、機関誌の巻頭に卑しい追従の賛辞を載せている。
 そうした正法正義への違背を呵責し、平和の大仏法の真髄に殉教していったのが、創価学会の初代であり、第二代なのであります。
 きょう四月二日、第三代の私は、貴・清道郡の「名誉郡民」の称号を、この戸田城聖の不二の弟子として、ここに謹んで拝受いたします。(拍手)
 (会合の席上、韓国の慶尚北道清道キョンサンプクトチョンド郡から池田SGI〈創価学会インターナショナル〉会長に対する顕彰が行われた。清道郡の代表として金相淳キン・サンスン郡守が出席。池田会長夫妻に世界初の「名誉郡民証」が贈られた)
5  貴郡は、いにしえより、「三清」すなわち″三つの清らかなもの″があることで知られます。それは「山」と「水」そして「人の心」であります。
 また、「三果」(三つの果実)――「柿」や「桃」や「栗」の果実が多い、豊かな大地であります。桃の花が一面に咲き香る、平和の桃源郷でもあります。つつじの花も美しい、と。
 さらに、「三無」(三つの無いもの)、つまり、「逆賊」や「泥棒」や「ならず者」がいない、とも謳われております。
 この憧れの麗しき山河にあって、″全郡民は、わが家族である″という気高き心で、新世紀への前進の指揮をとっておられる人間指導者こそ、ここに、お迎えした金郡守であります。(拍手)
 郡守は、大統領表彰を受けられるなど、真の「公務員の模範」として、民衆への奉仕に徹してこられました。高齢者の医療の無料化を、貴国で初めて実施したのも、郡守であられる。
 また、さまざまな福祉施設の充実にも、町の環境美化にも尽力しておられる。さらに、亡くなられた方の葬儀に関しても、家計の大変な方々や身寄りのない方々のために、支援の態勢を整えるなど、万般にわたって、きめこまやかに手を打っておられると、うかがっております。
 とともに、これまで苦労してこられた郡民の方々の喜びになればと、「(牛と牛が闘う)闘牛祭」を開催してこられ、私もご招待いただきました。日本の徳之島からも牛が出場し、爽やかな話題となりました。
 奥さまもまた、郡守を支えながら、「児童保護施設」「敬老センター」などに、毎日、足を運ばれ、真心の激励を続けておられます。
 目には見えなくとも、菩薩のごとき慈愛の心の鼓動は、必ず伝わるものです。郡民の方々が、ご夫妻に寄せる尊敬と信頼は、まことに深い。郡守が、昨年、圧倒的な支持で再選を果たされたことは、その証でありましょう。私たちもまた、郡守ご一行の、ますますのご健康とご長寿を、心からお祈り申し上げたい。(拍手)
6  「わが郡を『生命の尊厳』と『慈悲』にあふれる地域にしたい」
 私は、若き日、十年近くにわたって、毎朝のように、戸田先生の個人教授を受けました。この「戸田大学」の政治学の授業で、恩師は、かのプラトンの「哲人政治」の理想についても熱く語ってくださいました。
 「民衆の幸福を勝ち取るためには、政治に確固たる哲学、理念がなければならない!」そして、「正しき哲学をもって、権力を厳然とリードしていかねばならない!」と戒めておられたのであります。
 昨年、郡守は、韓国SGI(創価学会インターナショナル)の清道チョンド文化会館を訪問してくださいました。その折、仏法の「一念三千」や「一生成仏」等の哲理に鋭く論及されながら、宣言されました。
 「わが郡の目標は、生命尊厳の精神と、人を愛する利他の行為が脈打ち、慈悲にあふれる豊かな地域をつくっていくことです」と。
 これこそ、二十一世紀の地球社会の根本の指標であらねばなりません。
7  あれは、三十年前のことであります。
 集中豪雨のため、貴郡では川が氾濫し、堤防はあちこちで決壊しました。道路も流されてしまった。このとき、貴郡の人々は、総動員で、懸命に復旧作業に取り組んでいかれた。
 その見事な団結と献身の行動が大きな手本となって、やがて全国に波及し、歴史的な「セマウル運動」という、新しい村づくりの運動へ発展していった。これは、有名な史実であります。
 こうした尊き社会貢献を、わが韓国SGIの友も、一貫して、積極果敢に、またじつに粘り強く展開してこられました。
 「農村助け合い運動」や「国土大清掃運動」、さらに「環境保護運動」等の推進も、その一環であります。
 貴国の友は、「仏法即社会」の偉大なモデルを、世界中に示してくださった。その意味において、私は、本日の栄誉を、韓国SGIの方々と、ご一緒に受けさせていただきたいのであります。(拍手)
8  仏法では、理想の国土の建設について、こう説いております。
 「衆生の心が汚れれば、その国土も汚れる。心が清ければ、その国土も清らかとなる。浄土といい、穢土(汚れた国土)といっても、国土に二つの違いがあるわけではない。ただ、我らの心の善悪によって決まるのである」と。
 要するに、「民衆の善の結合」を、忍耐強く、社会に、世界に、築き広げていく以外に、人類が夢見てきた理想郷の実現は、断じてありえない。
 その確信をもって、戦後の荒野に一人立ち、楽土アジアの大建設へ、第一歩を踏み出した執念の巌窟王こそ、戸田先生でありました。
9  ノートン博士「学会は戦後日本の民主の推進力」
 先日、私は、アメリカの名門デラウェア大学の学長一行をお迎えし、約二時間半にわたり、「教育」「哲学」また「歴史」をめぐって、有意義に語り合いました。高名な哲学者であった故ノートン博士の令夫人とも、懐かしい再会を果たしました。
 そのノートン博士が、遺言のように、語ってくださった言葉があります。
 「創価学会は創立以来、抑圧的な権威に対する民衆の抵抗組織として戦っています。現在も、日本を、五十年前、六十年前の権威主義の時代に逆行させようとする動きと、学会は戦っておられる。創価学会は、戦後日本の民主化を強力に進めてきた偉大な推進力です」
 そして、だからこそ、学会は迫害されてきたのだと、ノートン博士は喝破しておられた。嫉妬の心がなく、傲慢もなき世界の学者は公正な眼で″事実″を見つめております。
 ともあれ、信心していなくても、こうした真実の同志を、私は世界中につくってきました。光栄にも、金郡守とも、このように黄金の友情を結べたことは、本当にうれしいことであります。
 今、「創価の勝利」を、世界の良識は、見つめ、待ってくれております。これを忘れないでいただきたい。青年部の時代、諸君の時代であります。
10  生ある限り一歩もひくな!
 古来、貴郡をはじめとする慶尚北道キョンサンプクトの風土は、勇猛にして英邁な青年指導者を育成しゆく人材の宝庫として、大変に名高い。
 抗日独立闘争のなかで獄死した詩人・李陸史イユクサも、この地の出身でありました。
 彼は、毅然と、こう綴っております。
 「真正面から襲いかかってくる豹を恐れたりせず、一歩たりとも引き下がろうとすまいとして、わが道を愛するばかりです」(『李陸史詩集』安宇植訳、講談社)と。
 猛獣のごとき権力に対しても、一歩も引かない、逃げない心でありましょう。
 つまり、生ある限り、「気迫」を育み、金剛の心で、自分自身の誇り高き「詩」を生み出しながら、絶対に信念の行動をやめない――そう生き抜いたのであります。
 我らも、この闘魂を光らせて、新しい時代へ、新しい世紀へ、断固として、勝ち進みましょう! 勝たねばなりません。人生も、広宣流布も。
 青年部は「創価の正義の道」を、まっすぐに、まっしぐらに進んでいただきたい!(拍手)
 結びに、郡守の雄渾のリーダーシップのもと、躍動する文化の都・清道郡に、無窮のご繁栄あれ! と私は心より、お祈り申し上げます。
 そして「大恩の国・韓国、万歳!」「二十一世紀の韓日友好、万歳!」と申し上げ、謝辞とさせていただきます。カムサ・ハムニダ(韓国語で「ありがとうございます」)。
 (東京牧口記念会館)

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